古からの道を往く路線の廃止〜〜新京成バス高根線(0/3)

 

■路線図

 

 新京成バス高根線は、昭和33(1958)年の開業である。同時期の開業には小室線などがあり、新京成バスの中では、大仏線(夏見線)や市内線などに次ぎ、最も古い時期に開業した路線のひとつである。

 夏見線(大仏線)や小室線が歴史が比較的新しい道路を辿っているのに対し、高根線は古からの道を往くのが特徴だった。米ヶ崎・高根というゆかしき名の、江戸時代から続く地区(明治期の合併前は村名でもあった)を結ぶ路線であった。かつては高根小学校前が終点という、船橋市内のごくローカルなバス路線でもあった。

 グリーンハイツの開発に伴う船橋バスの開業により、かなりの利用者をとられたことが、高根線の運命を変えた。路線を御滝不動まで延長したものの、金杉台線を分岐する小室線は大幹線に成長しており、利用者はおのずから運行本数の多い小室線を選択した。その間、モータリゼーションが進展し、公共交通機関の利用者数は減少傾向を示し始めた。

 高根線の利用者数が減っても、新京成バスの利用者数が往時のままであれば、生き残る余地はあったかもしれない。しかし、状況は極めて厳しかった。新京成バスの利用者数のピークは平成 3(1991)年度の 4,770万人、これが平成11(1999)年度には 3,200万人と、わずか8年間に3分の1近い利用者数が消えてしまった。

 平成12(2000)年 8月、新京成バスは大規模縮小を断行した。高根線・横須賀線(松戸市内)は路線そのものを廃止、大仏線などでの区間廃止、夏見線に代表される大幅減便、深夜バスの区間統合、等々。

 これほど劇的な縮小を前にすると、サービスレベルの低下を嘆くどころではなく、また新京成バスの経営姿勢を批判するどころでもなく、バスをめぐる環境はそれほど深刻かと、慄然たる思いがする。公共交通機関は、モータリゼーションがさらに高度に進展したとき、存続しえるのであろうか。極めて難しい問題である。

 とりあえず今は、廃止直前の高根線の影をとどめ、名残を惜しむことにしよう。そして、焦燥を感じつつも、問題の解決は時間をかけて取り組むことにしよう。

 

■高根線の行先表字幕

 

 

 

先に進む