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金子みすゞノート(その1) 
    海から生まれ海へ還る
  
   仲秋の仙崎湾 石津氏と出会った日の輝く海
  金子みすゞの世界は海に満ちている。みすゞが生まれ育った山口県長門市仙崎は 
 日本海に突き出た尖塔のような細長い町である。どこからでも海の匂いがただよう人
 口六千人の小さな町だ。その中程に生家があり、みすゞは三方海に囲まれるようにし
 て育った。みすゞのうたが海まみれなのは当然なのだ。直接海をうたっていない作品
 にもわたしは背後に潮騒を聞いてしまう。それは、またわたしも仙崎湾に浮いている
 青海島(おおみじま)で、海のひかりを浴びて育ったためなのだろう。みすゞが見た同じ
 海を見、同じ風に吹かれたことの僥倖に感謝したい。
  わたしの実家には現在弟が住んでいるが、そこから数分のところに石津家という元
 網元(現在は仲買業)がある。そこがみすゞの父親の家系の家だ。その家の長男・貴 
 久さんはわたしの中学時代の同級生だったが、その同級生は級長をしたりして、みすゞ
 に似て目の大きい聡明な子だった。わたしの母親は彼のことを仏壇にお供えしたいくら
 い立派な息子さんだと、よく言っていたほどだ。そのとき、わたしは彼に軽い嫉妬心を 
 感じたのを覚えている。彼は進学もせず、家の仲買業を継いだ。
  2004年9月の末、帰郷した際にその家の前で石津貴久さんと出会い、立ち話をした。
 みすゞの話になり、みすゞの実父 が自分の家系の出だと知って、ほんとうに驚いたと
 彼は話していた。また東京に住んでいる彼の弟が、わたしのホームページのこの箇所
 を見て「お兄ちゃんのことが出ていたよ」といって知らせてくれたそうだ。彼は急ぎの仕
 事中だったらしく、夫人が呼びに来たので、また会いましょうと言って別れた。相変わら
 ず彼の全身からは誠実さがにじみ出ていた。いい年を重ねてきたねとわたしはそう言 
 いたかった。
  海べりの道を歩いて帰った。陽は海上に燦々と降り注ぎ、銀色に輝いていた。生き
 ていてよかったとは、こんなとき感受するものなのだろう。このときのことは、そのうち、
 雑記帳に書くつもりでいる。

  
みすゞの父親の家系・石津家    石津家の全景 仲買業を営んでいる
(参照下段) 石津庄之助生誕地記念碑の除幕式。
   海へ

   祖父さも海へ、
   父さも海へ、
   兄さも海へ、
   みんなみんな海へ。

   海のむかうは
   よいところだよ、
   みんな行つたきり
   帰りやあしない。

   おいらも早く
   大人になつて、
   やつぱり海へ
   ゆくんだよ。
   金子みすゞ(大正12年撮影)  
 
  写真は、金子みすゞ著作保存会の了承を得て掲載しています。
    海まみれになって暮らすわたしたちには、ひとは海から生まれ、海に還っていくという確
    信
のようなものが血脈の中に染み込んでいる。「祖父さも父さも兄さも」 「みんな行ったきり
   帰り
やあしない」を、海での遭難を意味すると解釈しているエッセイに出会ったが、違和感を
   もつ。
例えば、こんな詩がある。
    「海はまっ青、雲は白、赤いお舟は まだ見えぬ。 赤いお舟の父さまは、いつかの夢の父
    さまは」(「赤いお舟」より)とみすゞはうたっている。みすゞの父は三歳のとき死んでいる。そ
     の父の乗った赤い舟。死期が迫ると赤い舟は海の果てから迎えにくるのだ。
   「海のむこうはよいところだよ」とうたうみすゞの作品は異界への憧れに充ちている。国定公
   園に指定されているこの海の美しさは譬えようもない。透明度の高いエメラルドの色彩は身
   体に浸透し血液の色を変えてしまうような気配さえもっている。その海の色彩美から青海島と
   いう名がついたといわれている。みすゞの異界への憧れはこの海の美と無縁ではない。
   そんな海に抱かれながら死んでいく。それはまた死への憧憬でもある。わたしが みすゞの
   自殺に悲痛さをあまり見いださないのはそのためでもある。海は一瞬たりとも同じ状態はな
   い。からだを巡る血液のように息づいている。それは感性も認識も海色に染めてしまうのだ。
   もともと地球上の生物は海から発生したとされている。だから当然なのかもしれない。みすゞ
   の文学は海まみれの世界なのだ。

   夏がくると、わたしたちはそこへ呼ばれるように裸足で浜辺に向かう。海に浸かると焼けた
   皮膚に海水の粒がひかりまみれに付着する。その夢想のような体験に恍惚とした人も少なく
   ないだろう。それに見とれながら沖へ向かっていく。海にはいると最初は何故かみんな沖をめ
   ざすのだ。そのときの海面すれすれに遙かに招く水平線の輝きをどう伝えればいいのだろう。
    帆

  港に着いた船の帆は、
  みんな古びて黒いのに、  
    
  
  はるかの沖をゆく船は、
  光りかがやく白い帆ばかり。

  はるかの沖の、あの船は、
  いつも、港へつかないで、
  海とお空のさかひめばかり、
  はるか遠く行くんだよ。

  かがやきながら、行くんだよ。
 長門市・青海島の海岸 
    父の実家があり、みすゞもよく訪れた

  どんなに泳いでいっても、船に乗って漕いでいっても、水平線は近づいてはくれな い。現実
 界には憧れや異界はそのようにしか存在しない。「海とお空のさかひめばかりはるか遠くを行く
 んだよ」とみすゞは教えてくれる。こどもたちやわたしたちは、こうして、それを追い求めながら、
 感性を鍛え体験を重ねていく。「古びて黒い」船のそばで暮らしながら、はるかな海の果ての輝
 きを恋うことによって身体の汚れを洗いながしながら、高みを遠くを目指していこう。みすゞはこう
 自分自身へ子供たちへ呼びかける。
  現実のしがらみにもがきながらも、未来を高みをめざすことの大切さをみすゞは伝えたかった
 にちがいない。世界は広く豊かで深い。海はただじぶん自身を見せる ことによって、わたしたち
 の感性を豊かにし愛を深め認識を鍛えてくれる。海はいつもわたしたちの前にそのように広がり
 つづけている。
  みすゞの愛の深さや豊かな感性や真実を模索する認識の鋭さはその資質もあろうけれども、
 この海まみれの自然があたえてくれたのだとわたしは思っている。

 長門市通に庄之助生誕地記念碑が建立される
  
   みすゞの父金子庄之助            記念碑の除幕式。右から二人目は石津家7代当主石津貴久氏

   2006年6月20日、長門市通三区に長門郷土文化研究会による「みすゞの父庄之助生誕地」
 石碑建立除幕式が行われました。多くの市民やマスコミ関係者も参加し、みすゞへの関心の深
 さがうかがわれます。庄之助の母親は上利りんといい長門市大日比の上利家の長女でした。
  この記念碑の場所は私の実家から四軒目の空き地で、当日は弟も式の様子を遠くから眺め
 ていたそうです。(写真はいずれも長門市くじら資料館長・藤井氏提供)
                              ブログはこちら→長門市くじら資料館長ブログ
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