Tokyo Photograohy Study Session
東京写真・研究準備室
10年ほど前から向島、千住、深川など東京下町地域を中心に、写真と地域を結ぶ手作りの写真展示イベントを企画実施してきました、人と風景が経てきた時間軸などを写真をキーワードとして理解していただき、私たちの暮す『町』をお互いがあらためて見直す機会に恵まれ、それぞれうれしい経験でした。
ところが昨年の3月11日の震災が起き、私たちは復興への願いの中で、期せずして、写真と記憶について誰もが深く考えざるをえない時間が生まれました、写真というメディアの果たす「ビジュアルコミュニケーション」というひとつの側面について深く考える場を重ねていくこともますます重要になってきたように思えます。このたび、東京都現代美術館近くの「ArtLabo深川いっぷく」の軒先をお借りして、月1回「東京を写した写真家の作品研究」、あるいは「フィールドワーク」や「写真ワークショップ」といった実践を通して、「町と人と写真」のつながりを模索してみようと思います。無理なくみなさんにご参集いただける「寄合所、夜会」のような場です。どうぞお気軽にご参加いただけたなら幸いです。
「東京写真研究」は
この準備室の核になるもので、
写された「東京」の時間軸を行き来しながら考察します。
20011年11月
「ストリートスナップはどこへ行くのか? 大山高・Freezing at moment 」
ゲスト アサヒカメラ編集部 池谷修一
2012年1月「昭和30年代の写真はなぜ懐かしいのか?」ゲスト 秋山武雄
2012年2月「街区の眺め・飯田鉄の東京」ゲスト 飯田鉄
2012年3月「風景の中の東京大空襲」ゲスト 広瀬美紀
2012年9月「渡部雄吉・ACliminal Investigation の周辺」ゲスト 山崎幸雄・斉藤篤
2012年10月「山谷Now」ゲスト 新納翔
2012年11月「俯瞰の東京」ゲスト 佐藤信太郎
秋山さんの写真から/朝の賑わい・西新井橋西詰(昭和35年)
朝の賑わい。秋山武雄さんが足立区の西新井橋西詰で撮った一枚。ゲートルを巻いた男たちは大股でリヤカーを引き仕事へ向かおうとしている。リヤカーには帽子を被った少年が右手を見ている。その視線の先には「お化け煙突」があったのかもしれない。少年は成瀬巳喜男の名画「秋立ちぬ」の主人公に似ている。写真の左隅には男がしゃがんでなにかしている。傍らに自転車の空気入れがあるから、バンクでもしたのだろう。折しも左折するバス(関東興行バスか?)の中は満員だ。その進路には何人かの人々が歩いている。後ろ姿だが溌剌としているように感じる。白いワンピースにヒールを履いている女性がいい。彼女たちの向かう先には何本かの煙突が見え、背の高い建物も見える。工場で働く人々にとって、行き帰りの土手の風景は心を和ませるものがあったに違いない。
昭和35年。高度経済成長のただ中にあって、庶民は明日をしっかり見据えようと,勤勉に働き頑張っていた時代。ただ懐かしいというよりも、なんとかけがえのない時代に「わたし」はいたのだろうという思いにとらわれる。そしてそこから、某か大切な忘れ物を取りに帰りたくなる衝動にかられる。木村伊兵衛が那覇で撮った「市場」の写真と並ぶ、止まってはいるが、十二分に動き、いや息づかいが感じられる名作写真である。(写真をクリックしますと拡大します。)
広瀬さんの仕事・風景の中の東京大空襲
東京大空襲は、昭和20年3月10日未明、アメリカ軍・B29爆撃機からの高性能焼夷弾投下と機関銃掃射により、江東、墨田、台東をはじめとする広範囲の地域が火の海となり壊滅的被害を受け、推定で10万人の方が亡くなり、100万人もの被災者がでました。
写真家の広瀬美紀さんは、この大空襲で亡くなった方々の仮埋葬地を撮り続け、また被災されたみなさんの声を集めてきました。今回の「東京写真研究」は、決して忘れてはならない、戦争と戦後日本の足跡を思いながら、この「仮埋葬地」について、東京の現在の風景に重ねて勉強してみたいと思います。
「わたしはここにいる。なぜ私たちは殺されたの? 過去は今に通じ,未来へ繋がる。今の私たちがここにいるのは過去があるからだ・未来は今のひとがつくる。」(広瀬さん談)
広瀬さんは、今、東日本大震災の被災地である気仙沼にも入り込んで活動しています。この言葉の意味は期せずして,とても深刻で重たいものになってしまったのではないでしょうか。
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2012年6月
新宿「epSITE」
「砂町」



















