| 近所のレンタルヴィデオ店で、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が運良く1枚だけ返却されているのを確認、やっと借りて観ることができました。 TV版の1〜6話を再度描きなおして映画にしています。 フォギーで暗い画面が印象的です。多分デジタル彩色になってからでしょう、最近のTVアニメのやたらヴィヴィッドな発色に違和感があった私にはうれしい画面です。おそらく、フィルム調を意識しているのだろうと思います。 シンジの手の演出が印象的です。綾波レイを抱きかかえると(右手がヌルっとしたのか)手を見る、と血が!というカットはEnd of EVANGERIONの「最低だ、俺って」と対になっているんでしょうね。 その孤独な手がミサトの手をぎゅっと握り、そしてレイの手を握り締めるという、つながりの回復を手で見せているんですね。 ヤシマ作戦が終わって、レイのエントリープラグを開くと、レイが目覚めて、という所で、TV版ではレイはシンジを碇指令と見間違うというある意味で残酷なショットがあるんですが、これをオミットすることで、事故時にプラグを碇ゲンドウが開いたのを再度シンジが開くという繰り返しを強調する形になっています。 この時点では「エントリープラグ=子宮」のメタファーは出てこないんで、ゲンドウによって産まれさせられたレイがシンジによって再度ヒトとして産まれなおす、という解釈は後で考えてくれ、という事でしょう。 はじめの6話の映画化なのに、あの”電車”も出てきます。しかもNERV本部へ通ったり、また逃亡するのに電車を使う事で、心象の電車に意味を持たせています。 あの「カタンコトン」「カンカンカン」がイイと思っていた私にとってはちょっと解りやすすぎるように見えてしまいますが、TVの16話や25話を手抜きだといまだに怒ったりする人達のためのサーヴィスという事で納得。 それから、アパートメントのシークェンスで改めて長門有希と綾波レイの違いがわかります。 長門のマンションは殺風景 綾波のアパートは荒涼です。 (以降ハルヒ原作ネタバレ注意) 長門は感情がない、だから「待機モード」にも耐えられる。彼女がエラーによって誤動作するのを、キョンは能面にライティングや角度によって表情が見えるように感情を見立てている。 レイは我々(リリン)と起源を異にするとはいえ人間。だから「バーサンは用済み」と残酷な事も言える。しかしあの過酷な環境で精神に障害を負ってしまっている。 長門さん以外のインターフェイスはどうですかって?朝倉さんのバトルシーンは自動人形のように演出されています。おそらくあの「お願い」や「それ無理」や、全世界推定100万人の朝倉ファンの心わしづかみの「じゃあね」もAIの自動応答でしょう。 閑話休題。荒れ果てた綾波レイの心からふとユイが垣間見えると、彼女の持っているアンビパレントさにハッとさせられるし、自らを「このインターフェイス」と呼んでいた長門さんが「私という個体も、あなたには戻ってきて欲しいと感じている…また図書館に」とモニタ越しに言うと、彼女にも心が!となるわけ。 ハルヒの「憂鬱T〜Y」で描写されているハルヒやキョンの衣擦れの音とエヴァのプラグスーツのそれとはどちらが先なんでしょうか。 前者は静けさの、というかお互いそんな音が聞こえる距離なんだよという、後者はプラグスーツがウエットスーツのような質感だという表現ですよね。前者が後者に影響を与えているのではないかと想像します。 ラストで、総てはゼーレ/ハルヒの意のままに。が明示/暗示されるあたりも似ています。 スタッフロールに工夫がある、というのも共通。ヱヴァのそれは、「スタッフの死屍累々のおかげでこのフィルムがあるんですよ」という、これまでのエヴァンゲリオンにはなかったものです。実は今回、これに一番驚きました。 あいかわらずまとまりのない文章ですみません。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」は、ちょっと駆け足だし、バトルに偏っている気がするにせよ、10年前にTV版を観た人にもお勧めというのが結論です。(08/07/04) 追記1:観終ったあとでモニタの設定を見ると明度最大、コントラストはかなり下がっていました。かなり古いCRTですし。「フォギーで暗い画面」と言うのは勘違いかもしれません。 追記2:衣擦れの音で近さを表現したと書いてから、そうか!だからLOST MY MUSICの「遠すぎて泣きたくなるの」が生きてくるんだな。と気がついたりしました。
新しいPCパーツが欲しいと漏らしたら、知人がPCショップのチラシを見せてくださったけれど、10km以上も彼方の店。どうしようかという気分です。出先から歩いて10分の店に行く根性もでないというのに。 とにかく、どこかへ出かける位なら眠りたい。 ところで、今月のアワーズの「水惑星年代記」ですが、これは「11人いる!」が元ネタですよね。 上品な翻案に感動しました。 火星行きの宇宙船乗組員の適性検査という設定で、大学受験に60日掛けるより自然です。 「11人いる!」が発表された当時というのは、SFになんというか神通力のようなものがあった時代ですし、マニアックなものがかっこいいと思われていました。 それ故SF設定の使いまくりで、かなり遠未来の設定になっていました。 「水惑星年代記」は フロルがジェンダーを選択しなくてはならないのは大学受験の年代だからなのだというのもよく解りました。 そういえば、「涼宮ハルヒの分裂」αも「11人いる!」を思わせます。といっても、この作品のさらにネタ元になっている妖怪譚ですね。 妖怪話というのは旧萩尾望都作品集(いわゆる赤本)11人いる!の後書きに出ていました。現在流通している文庫版に載っているのかどうかはわかりません。 「分裂」では何度も「十一人か」「十一人だったよな」と繰り返して深いリスペクトを表現しています。 「11人いる!」は10人の筈なのに11人いるお話ですから、さらに「ひとり多いぞ!」というわけですね。 願わくは「十一人」より「11人」と表記して欲しかった(08/07/17)
いい加減で仮想読者/仮想観客を「おたく」と呼称するのはやめませんか?そう呼ぶだけで自分を安全圏に置けて便利だと言うのは事実なんですが、まさしくそのように見られる事自体不利だと思うんですが、それからオーツカ某氏の文を引用してみても空しいです。彼は「おたく」という言葉のいわば産婆さんなんで、自分に責任があると感じていらっしゃるのだろうけれど、彼の立場は当時からずっと供給側です。当事者といっても永久に自分の事として引き受けられる立ち位置じゃない人なんですから。つまり、オーツカ某氏の立場は「お客様をなんとかしたい」なんですね。それを解って引用されているのかどうなのか。 さて、そう書いた以上すこしは恥ずかしい私語りをしておきます。 前に「幸せだったのかもしれない」などと書きました。そういえば才能ある人たちのなかで私は唯一の「不思議君」でした。そのうえ、記憶からは消去寸前ですが、なにかオカルティックで恥ずかしい自己紹介をしたような記憶もあるようなないような、いや宇宙人でなければ相手にしないとは言わなかった(とは思いたい)けれど、あああオカルト研でなく漫研でよかった。昔の事と笑ってすませる気も無いけれど、まあ責任感でこの文章を書くほどえらそうでもないですが。 えーと、とにかくも少しだけ(以下最重度のネタバレ注意) 「新世紀エヴァンゲリオン」(旧作)では、シンジは父親の妄執が作り出したおぞましい「補完」世界から、(実写で表現される)現実に帰還できたはずでした。綾波が居ない事を突きつけられ続けるにせよ、アスカの首を絞めなくてはならないにせよ、エヴァンゲリオンに拘束されて死ぬ事すらできない地獄からは抜け出した筈でした。 ところがどうでしょう。「エヴァ」の続きが「ヱヴァンゲリヲン」だったとすれば、彼の帰還した日常は「もう一度最初からやり直せばすこしはうまくいくはず」に差し替えられてしまっているのです。そしてTVより激しく悩み絶叫し苦悩する、まさに「君は変わらない」 ハルヒはどうでしょう。閉鎖空間から帰還したキョンに古泉は「まあ、この世界が昨日の晩に出来たばかりという可能性も否定できないわけですが。」と言います。キョンと古泉をナメて、後ろで楽しそうに歌っているのは「ライブアライブ」で病気のため歌えず、ハルヒにライブを託したENOZの2人。なんと彼女たちは半年後に歌う事を断念させられ、ハルヒに歌われるための曲を作らされる為だけに、この瞬間に存在させられたのです。 その曲が「嘘はあなたらしくない/私覚悟している」(god knows)だというのも恐ろしい皮肉です。 どちらも帰還する先はメタレベルでしかない。おそろしい悪夢をこれが現実だと思って繰り返すしかないのです。(08/07/24) 追記:最終行はなんか変です。虫の居所でも悪かったのか私は?メタメタからメタに1つメタレベルが下がったら現実に帰った気がするのかどうなのかは、まあ「ドグラマグラ」や「紅い眼鏡」を観てから考える事にしましょう。結論は保留します。不幸な妄想からでも無理やり幸福になろうとした変な人たちを「おたく」と呼称し、誤読しなかった俺様偉いぞと言いたいのなら「それは誤読じゃね?」と主張するだけで充分じゃないの?みたいな事が言いたかったのだと思います。 それから、未見の人に為に書いておきますと「うる星やつら ビューティフルドリーマー」は観客の為になにかメッセージを放つような作品ではありません。むしろ、観客を無視して作りたい物を作ったら大うけしてしまった作品なのだと思います。私は84年に見て、こういう作品が作られて、それが観客に受け容れられるなんてアニメ界もすてたものじゃないと思いましたよ。 |
→2008年8月分の雑記 :「涼宮ハルヒの憂鬱」/「少女革命ウテナ」
←2008年5.6月分の雑記 涼宮ハルヒの憂鬱/lain/涼宮ハルヒちゃんの憂鬱01