| たくさんの伏線がひかれてはいますが、おそらくは「ハルヒ」シリーズでは最後まで解決されないであろう事もあります。 たとえば3大勢力のハルヒに関する理論はそうでしょう。例えば朝比奈さん(小)はハルヒの能力を 「涼宮ハルヒは造物主ではない。彼女が世界を創造したのではない。世界はこのままの形で以前から存在していた。超能力や時間異動体、概念形地球外生命体などの超自然的存在は涼宮ハルヒが願望によって生まれたのではなく、元々そこにいたのである。涼宮ハルヒの役割は、それらを自覚無しに発見することであり、その能力は三年前から発揮されている。」(溜息p.249-ただし長門の要約) と言います。古泉の考えとは強い人間原理の唯心論的な解釈と弱い人間原理の関係にあるようなのですが、この考えが続巻に反映されているようには見えませんし、同じ未来から来たはずの藤原ですら 「どちらでもいいことなんだ。涼宮だろうが佐々木だろうが、自然現象と考えるならば同じものだ。個々の人間にそんな価値はない。時間を歪ませる力、時空改変能力。見るべきものはそこにしかない。力が存在するなら、それが誰にあろうと関係ないんだ」(分裂p.198) と古泉の理解に近い言い方をします。 主観が異なれば見ている世界が違ってくる*2)というのはこのシリーズのテーマですから、これは最後までこういうものだとされて、各陣営の説明がその上位の論理に統合される事もないのではないかとも思います。「笹の葉ラプソディー」のラストで長門と古泉が不完全性定理を引いて、より上位の公理系で無矛盾な説明が可能だと述べている事も、「俺たちが認識している世界は物語に過ぎなかった」みたいなメタ落ち以外の解決が出てくるとも思えません。 一方、消失にはわざと不明確にされている描写があって、恐らくはラスト近くにその内容が明らかになるのだろうと思われるのですが、どこまでが作者の狙いなのか解らない部分もあります。 たとえば、キョンが非常脱出した先の部室にはパソコンがあります。 窓から差し込む僅かな明かりを頼りに、俺は自分の居場所を確かめる。ここは何かの部屋で、俺が手をついているのはテーブルの表面で、そのテーブルには旧式なパソコンが載っている……。(消失p.158) 憂鬱ではキョンが最初に文芸部室に来た日にはパソコンはありませんでした。アニメ版では小型輪転機とワープロ専用機が写るカットがあります。このPCはどうなってしまったのでしょうか。
1.ではPCを片付けた理由はハルヒのコンピ研襲撃事件を3年前の長門が同期時に知り、PCが有るとハルヒがコンピ研を襲撃しなくなる事を憂慮した為で、消失世界側ではハルヒが北高にいない為にコンピ研襲撃事件は発生せず、「PCを長門が片付けた」という歴史が生じない為に必然的に文芸部室にPCは12月18日まで置かれ続けたということになります。ただ、消失世界側はともかく通常世界でPCを片付ける理由が妙というかなんというか・・・・・・*) 2.ではどこへ返したのかという問題が生じます。 3.は言わずもがな。作者にしてみれば「そのテーブルには旧式なパソコンが載っている……。」と最初から書かなきゃいいだけです。 いずれも無理があるような気がします。かといってこの描写は作者のミスでPCは消失世界を作り出した時点で生じたのだとも思えません。編集長一直線で、 読みながら、俺は別のことを考えていた。どうやっても忘れることなどできそうにない、あの去年の十二月のこと。そして、あの中身が違ってしまった長門のことをだ。あの時、文芸部にいた長門なら、ひょっとしたら小説を書いていたのかもしれない。旧式のパソコンで、たった一人の部室の中で……。(憤慨p.94) と、わざわざ「旧式のパソコンで」を入れて消失の描写を読者に思い出させるような書き方をしている事からも、これ自体が意味のある伏線である事が伺えます。恐らくはキョンの非常脱出時点で歴史に歪みが生じているという事なのだろうとは思います。こちらは解決されなければ変でしょう。 *) ただ、ミステリックサインでキョンが長門の孤独を意識したり、射手座の日で長門の為を思ってコンピ研に出張しろと言った事がかえって長門のエラーを増大させる結果になったという事は規定事項(=消失が生じる為の重要なエレメント=三年前に時間遡行する原因)だとは言えますから、理由が無いとまではいえません。 アニメ版の射手座の日では、長門を賭けると言い出したハルヒが「どうしてもって言うんだったら、まああたしでもいいけど」というところでハルヒとキョンが視線で意識しあうところと、対戦後にコンピ研部長が長門をスカウトすると、キョンの「時々はコンピ研に顔を出せばいい」と言うoff台詞を聞きながらの長門の寂しげな表情、そして「そう たまになら」と見捨てられた子供のようにうつむいて長門が言う(とハルヒがはっと驚く)動作が対比されており、サムデイ イン ザ レインに繋がる、表面上の楽しさに流されて残酷な人生の皮肉に気付かないという原作の大事なモチーフを絵でわかりやすく示しています。原作では これでも俺は長門の表情を読むことにかけては誰よりも自信を持っているつもりだ。(暴走p.175) とモノローグしておいて、最後に消失を匂わせるというやっぱり強烈な皮肉。--青春の日の苦い悔悟は、作品に昇華することはできてもそれだけでは心から消え去ってはくれないものです。ああ胸が痛い(09/03/10追記) *2) というより「ひとの気持ちを解っているかに見えて誤解している」という伝説巨神イデオン的なテーマで、能力の解釈の違いは、キョンにとって最重要な他者であるハルヒの事ですら、他人は誰も知らないという例の一つに過ぎないのですわな。(09/03/17追記)
〜の憂鬱のほうは、2話では冒頭にキョンが部室の扉をノックしてハルヒが「どうぞぉ」と答えるシーンを入れる事で、「なんで依頼者のひとりもこないのよー ヒマヒマヒマー」をキョンひとりの前で駄々をこねているように見せたり、5話ではキョンとトランプしているのを「あーあ ひまよねぇ」「なら話ぐらい聞いてやれよ」に変える事で、部長氏の挑戦をキョンがつっこんだから聞いてあげているように改変するなど、漫画「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」よりもデレ分多目に演出されているようです。原作小説の一人称から三人称視点になった事で、キョンの突っ込みパワーが増大しているというべきなのか。 独自の視点からのカットもいくつかあります。 2話冒頭の学校全体の俯瞰ショットは、ゲームでも採用されているようですが、動画メディアでは初めてですね。学校は坂の上にある設定だから、この角度で見ることのできる建物も無いのではと思っていましたが、モデルになった高校のサイトに、ほぼ同じ角度からの航空写真がありました。(リンクしません。探せばすぐわかりますし)神様視点になってしまうのでアニメ版には無かったのでしょう。モデルの高校では「旧館」にあたる建物は二階建てなんですね。三階のSOS団室(文芸部室)はホームズの住んだベーカー街221Bのように虚構のなかだけにあるというわけです。 ![]() それから10話の待ち合わせのシーン「有希ー、こっちこっちぃ」(00;01;17あたり)の背景はアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」には無いのですが、オリジナルの風景ではありません。上の写真はgoogle mapからお借りしました。漫画では長門が話しかけるのは彫刻なのですが(2巻p.155)アニメではポストになったのは、もともとここにポストがあるからなのですね。 私は、「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」の最大の功績はハルヒのカチューシャがハルヒ自身にとって鉢巻である事を絵で示した事だと考えています。みんな思ってはいた事なのでしょうけれど、やった人勝ちなのよね。(09/03/16) |
→2009年4月分の雑記 「涼宮ハルヒの憂鬱」
←2009年1月分の雑記 「涼宮ハルヒの憂鬱」