| 「涼宮ハルヒの憂鬱」"あらためて"放送中、放送局の番組表にすら「#1
朝比奈ミクルの冒険episode00」と打っておいて「涼宮ハルヒの憂鬱T」(DVD版)を放送すると言う意味不明な流れです。全28話、旧アニメ版に新作混在?とのうわさ。どんな構成になるかは不明ですが、「憂鬱」で始めて「消失」で終われば最初と最後が対になる構成になることになりますね。 以降、本放送中なのでネタバレレベルをくわしく記述する事にします。 レベル0 : 「涼宮ハルヒの憂鬱」について全くしらない人向け。原作小説もDVDも前回放送も知らない人。 レベル1 : 前回youtubeにupされている回まで視聴した人向け レベル2 : 文章が書かれている時点でupされている回を視聴した人向け レベル3 : 前回放送分(いわゆる一期:現在DVDになっている分)を視聴した人向け。「『七夕』って何?」 レベル4 : 原作「憤慨」まで読んだ人向け「長門さんの小説っていいよね」 レベル5 : 原作「分裂」まで読んだ人向け「『わたぁし』って誰?」 さて、某掲示板でこんな書き込みがありました。 いささか不穏なサイトですが他意はありません。要は「なんでキョンは平然としているのか」という問いです。 第一回を見た人としてはあまりにも適切ピンポイントな書き込みで、思わず「業者乙」とレスしたくなりますが、釣られてしまいましょう。 以降ネタバレレベル1:第一回を見た人向け よく「涼宮ハルヒの憂鬱」について話題になるのは、キョンのモノローグと台詞の区別が付きにくいという事です。 これは原作小説のキョンの台詞に鍵括弧が付けられておらず、地の文と台詞の区別が付きにくくなっているのを、そのまま映像化している為です。 ほとんど掲示板では話題にならないのですが、地の文はキョンのモノローグと台詞だけでは有りません。 こうして俺たちは出会っちまった。/しみじみと思う。偶然だと信じたい、と。(憂鬱p.12) と、特に節の初めや終わりに過去形で独白をする事があります。 これとは別に、台詞の合間に挟まれる、キョンがその時々で思ってはいるだけで口には出さないつぶやきがあります。 「憂鬱T」では、谷口にハルヒに気があるのならやめとけと言われた時の やめとくも何も、そんな気ないんだがな。(憂鬱p.21) がそれにあたります。前者を「ナレーション」後者を「モノローグ」と呼ぶことにしましょう。 話が進むにつれて、これらは渾然一体になって、画面に映っているキョンが思っている事なのか、話している内容なのか、回想しているのかわかり難い事も増えてきます。面と向かって相手にこんな事言ったのか、いくらなんでもモノローグだろうと思っていると、その直後に目前に居る人物が、まるでモノローグの内容をソフトにしなおしたキョンの台詞を聞いたかのように返事したりします。原作ではモノローグモードのキョンのままで、さらに回想したりして、なおさら区別がわかりにくくなっています。 これは、キョンが全てが既におわってしまった視点にいて、読者に思い出話として語っている形式なのを、「と言った」「と思ったのだが、彼が言うには」や「当時はそう考えていた」などを省略していると考えるのが自然なように思います。省略されているからわかりにくい文体なのかと言うとむしろ逆で、この省略のもたらすドライブ感覚のせいで文章を読みなれていない人や疲れ切ったうつ気味な人でもすらすらと数時間で読めてしまうのは誰も認めるところでしょう。逆に読みやすさのあまり、大事な描写を読み流してしまって掲示板が伏線探しネタであふれたりします。 よく「キョンのしゃべりは冗長極まりない、本来ならこの本は半分の厚さで充分だ」などと書かれる事すらありますが、キョンの語りが回りくどいように思える所では、彼自身が読み手に見破られたくなかったり、言うのが恥ずかしい事を表現している部分なので語り手の心理を推し量りながら読む/見る必要があるのです。 さて、冒頭の書き込みの人はすっかり騙されてしまってい(る演技をしてい)ますが、キョンがハルヒに初めて話しかけるシーンでは、 涼宮ハルヒは黙ってじっと座っている限りでは一美少女高校生にしか見えない(んだぜ。)たまたま席が真ん前だったという地の利を生かしてお近づきになっとくのもいいかなと一瞬血迷った俺を誰が責められよう。 ( もちろん話題はあのことしかあるまい。) 「なあ」 ( と、俺はさりげなく振り返りながらさりげない笑みを満面に浮かべて言った。) 「しょっぱなの自己紹介のアレ、どのへんまで本気だったんだ?」(憂鬱p.13-カッコ内は原作のみ) モノローグ/ナレーションモードのキョンは平然としているのですが、直後の台詞はすこし声がうわずっているように演技されています。 アニメ版では省略されている「俺はさりげなく振り返りながらさりげない笑みを満面に浮かべて言った。」を読者に対する照れ隠しと解釈しているわけです。 また前述のナレーション「しみじみと思う。偶然だと信じたい」では、ハルヒとは(今でも)腐れ縁だと語っています。画面に出ているのはなんとトイレです。 憂鬱からは未来であるはずのナレーションモードキョンにとってすら、ハルヒに対する正直な気持ちは語るのが恥ずかしい事なのです。 憂鬱時点のキョンは国木田や谷口と話をしながら、谷口に「普通の人間の相手をしているヒマはないの!」と食って掛かるハルヒを幻視し(アニメ版。原作では七夕の夜に地上絵を描くハルヒを想像している)、目はずっと屋外にいるハルヒを追っています。この、語り手がハルヒの事ばかり見ていて、しかも画面上ではしかたなく付き合っているかのような描写のおかげで、旧アニメ版が「キョンの目を通してみたハルヒの成長物語」に見えてしまうというのは旧アニメ版スタッフの仕掛けたトリックです。(ちなみに私もそのトリックにひっかかってしまいました。このへん参照)おそらく今回のアニメ化で前回アニメ版のみを見た人は、既に見ているはずの作品の意味がひっくりかえる感覚を味わう事でしょう。主人公はやっぱりキョンでした。 以降ネタバレレベル3 : 前回のアニメ版を見た人向け キョンの語り口を使ったトリックはアニメ版ラストにも仕掛けられています。 恐らくは今回の「あらためて放送」は前回の放送順とは違って「憂鬱Y」がラストではないでしょうから、このトリックの効果は及ばないものと思いますので、ここで書いておきます。 原作「憂鬱」では、「ハルヒ/似合ってるぞ」で本編終了、エピローグが「その後の事を少しだけ語ろう」(p.294)とナレーションモードで始まります。 アニメ版では凶悪にも、事件の朝の話の後、不思議探索の待ち合わせに向かうキョンの映像に「その後の事を少しだけ語ろう」とSOS団設立申請の話が語られ、待ち合わせするキョンをフレームにとらえて「俺は今、」と台詞と絵の時制が一致するので、私はナレーションモードの「その後の事を少しだけ語ろう」以降全て駅前で待っているキョンの回想だと勘違いしてしまいました。つまり、「憂鬱」はすべてラストに駅前で待っているキョンの回想であると誤解してしまったわけです。掲示板等を読む限りでは私と同じ見方をしている人は多いようです。 しかも、この憂鬱Yは前回アニメ版の最終回ですから、「話してやろうと俺は思っている。」が全ての最後でハッピーエンドだと誤解してしまい、見終わったあとで、「あれ、あの回って野球(退屈)の前じゃん!なんだこれハッピーエンドじゃねえぞ」と気が付くという寸法です。その後に思い返して、ああ、雨の下校が最後なんだなと気が付くという。 どこかの二次創作サイトで、憂鬱Yラストの服装のままキョンとハルヒが仲良く手をつないで歩く絵を見たことがありますので、このトリックにひっかかってしまった人は多いかと思います。 すこし続きます。このキョンの語り口がこの作品のテーマにも、いわゆる「佐々木は眼中に無い」(まさか冗談でしょ。解って書いてるんですよね?)説とも関係がある事ですので。(09/04/13)
二度の核攻撃に傷つき、夕暮れにたたずむ長門の画像。アメリカの画家による水彩画だそうです。(09/04/15)
各回1週間しか公開されないようですので、UHFで放送されない地域の皆さんは早めに見ましょう!保存しておきたい、けれど方法がわからない人は「youtube ダウンロード」で検索してください。私はダウンロードソフトの起動が面倒なので、キャッシュを直接引っ張り出しています。*) 掲示板も活気を呈しているようです。1、2回の見所とか長門スレが「月をなめるな」になっている件とか書こうと思っていたら、その長門スレに最終兵器が投下されていました。 以下閲覧厳重注意!死にたくなっても当サイトは責任を持てません! 鬱で自分より苦しい人の話を聞くと気持ちが軽くなる人は読んでも可かもしれませんけど、中途半端に憂鬱な人はやめておきましょう。 綾波レイ「欲しいものは絶望。無へと帰りたいの。」 802 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/03/10(金) 17:32:24 ID:s2RHsW2o 上にコレクションについての話がありましたけど 私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした 鉄道模型でしたけど かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした 結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが 毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい 留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました 帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました 残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました 会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり 今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが 夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい かえって私が苦しくなってしまいました これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです こういう場合ってどうしたらいいんでしょう (長門有希に萌えるスレ 168冊目 http://changi.2ch.net/test/read.cgi/anichara2/1238935876/915) どうです、「後悔した立場でした」とか「全部処分してくれたのですごく嬉しかった」とか「かえって私が苦しくなってしまい」とか実にいい味出してますね。みなさん、気が遠くなりませんか?人生に絶望しましたか?人間そのものが信じられなくなった?でも首に縄をかけるのもナイフを研ぐのもまだ早いと思います。有名なコピペとの事なので冒頭の文でぐぐってみました。大量の改変コピペや転載サイトがひっかかります。しかしyahoo知恵袋に転載してる人ってなんなのよ。中立を装って人生に絶望する人を増やしているブログもあるなあ。ところで上記コピペ主の気持ちは理解できても「夫」の気持ちが理解できない人は死にたいとまでは思わないでしょう。でも「夫」の気持ちが解る人を、この文章は確実に何人かは絶望で死なせているでしょうね。それは確実に言えることです。 ですからすこしキツイ事も書いてしまいます。 私はアニメ版「宇宙海賊キャプテンハーロック」(最初のTVアニメバージョン)で、乗組員(魔地機関長)の最愛の娘を装ったマゾーンのスパイが、その乗組員に正体を明かして「今まで育ててくれてありがとう、お父さん」とせせら笑う恐ろしいシーンを思い出しました。 みなさんも、愛する人に笑いながら殺されるような恐怖を味わったのではないでしょうか。でもまだ早いです。 さて、急いで発見したのがこちらのログ転載サイトです。→ここです このコピペの後の書き込みも読むことができます。さらに恐ろしい書き込みも読めます。もうここまでくると私などは言葉になりません。 下のほうについているコメントにも、恐ろしい物がたくさんあります。 もう駄目だと思ったら死ぬ前に以下のコメントを読んでください。 1102は大人のコメント。達観してるね。 1056は醒めちゃった人は読まなくていいです。リアルではけんかもしてるんでしょうけれど、だんなさんが羨ましいと思った人は多いんじゃないかな。 1169と1170は出来過ぎてるけれど感動。ちゃんと落ちがある所がネタ臭いけれど許す。この骨っぽさはどうかとも思うけど。 恐らくは「『捨てる!』技術」関連の掲示板だったのではないでしょうかね?あの本も罪が深いです *)XP+IEの場合、HQボタンが押されている状態でプレイヤー画面の赤いインジケータが右端まで来るのを待つ→IEのアイコンを右クリック→プロパティー→"全般"タブ→「閲覧の履歴」の「設定」→「ファイルの表示」で開いたウィンドウからコピー。100MBを超えるファイルなんですぐわかります。…ってこれで解る人は既にやってるか。(09/04/18) 追記:この問題を男女の差異の典型とみなして「男はこうだから」「女はこうだから」的な書き込みも多い。それを必ずしも否定するものではないけれど、趣味人にさえそういうふうに見られがちな社会において、「腐」の人たちの受けているだろう風当たりの強さを思わずにはいられない。それと、いろいろ改変コピペが出回っているけれど、鉄道模型を他の物に変えただけなのに、それ自体は反社会的なものでもないにもかかわらず「そりゃ捨てられるだろう(笑)」とか「ざまみろ」とすら思ってしまうものがあるというのは恐ろしい。怖いのは自身の偏見でもあるのよね。(09/04/19)
誰も卒業式など開いてはくれないし、単位認定してもくれない。卒業は自らの決意と意思によらなくてはならないし、卒業しないと決めるにしても、年齢に応じた自らの居場所を作っていかなくてはならない。今まであなたは何を好きだったのか、どんな事の為に情熱を傾けてきたのか、それをただ捨てて何者でもない、つまらないただのヒトになる事を卒業などとは言わない。 いわゆる「脱オタ」というのは本来はそういった決意なくしてできるものではないけれど、その事を理解している人は少ない。 「脱オタすればモテるなどというのは幻想です、マイナスがゼロになっただけです。」脱オタサイトによくある文章だが勘違いもはなはだしい。自主退学しただけの、何が好きだと思うことも無い凡庸な奴をあなたは好きになれますか。(09/04/29) *)勿論、映画がそういった「趣味ねえ、(ニヤニヤ)映画鑑賞とでも書いておきゃいいか」と言うような人がうじゃうじゃ出てくるメディアになったのは多くの関係者諸氏の努力あってのことであるのは言うまでも無いことです。 日本のTVアニメだってこれほどまでにメジャーになったわけです。もう10年もすれば上記802のような立場になる人も出てくるかもしれません。 またしても追記:上の802ですが、「未知との遭遇」を意識しているのかも知れないと思えてなりません。 この映画、よーするに「隠者がインスピレーションを得て荒野で神と出会う話」の類型ですよね 趣味者の楽園、ロマンチックだねえと思っていましたが、主人公は実社会では誰の理解も得られていない=幸せになるにはあの世に行くしかないというテーマだと思うと、かなりブラックな作品に思えてなりません。 |
→2009年5月分の雑記 「涼宮ハルヒの憂鬱」:「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」「にょろーん ちゅるやさん」「笹の葉ラプソディー」
←2009年2、3月分の雑記 「涼宮ハルヒの憂鬱」