| 「涼宮ハルヒの憂鬱」"あらためて"放送は終了しましたので、ネタバレレベルを改定します 台詞の記述はアニメ版を優先します。引用に付けたタイムコードはyoutubeにupされた動画のものを見て付けていますが、あまり精度はありません。 レベル0 : 「涼宮ハルヒの憂鬱」について全くしらない人でもOK。原作小説もDVDも前回放送も知らない人。 レベル1 : 1期放映分を視聴した人向け レベル2 : 文章が書かれている時点でDVDになっている分を視聴した人向け。 レベル3 : 「あらためて」放送分を視聴した人向け。 レベル4 : 原作「憤慨」まで読んだ人向け「長門さんの小説っていいよね」 レベル5 : 原作「分裂」まで読んだ人向け「『わたぁし』って誰?」 レベル6 : 原作「驚愕」先行掲載分まで読んだ人。
5月2日、イメージフォーラムフェスティバルに行ってアート分を補給してきました。アニメーション80からmailで連絡が来たし、中西義久さんからはお手紙をいただいたので、どうしようかと思っていました。意を決して行く事に決めたのは数日前。ここ数年IFFには行けずにいたので、まあ1日だけでもと思い、行ってきました。とにかく高速バス往復でお尻が痛かった。 以下作品の感想などというものでなく、すこしだけ備忘録。 Oプログラム 「ヘリオセントリック(リンク先はトレーラー)」 この作品は「ヘリオグラフィー」(山崎博)と同じ、太陽を追尾した作品、ただし画面の水平が終始取れている。見ているうちはどうやって撮影したか謎だったのですが、一晩寝たらわかりました。おそらく○○○○○○社などから出ている◇◇◇◇装置のついた◇◇◇の改造(知りたい方はmailください)なのでは? Pプログラム 「キッチン・ディメンションズ(リンク先はトレーラー)」「アンナ・プルーメに(リンク先はトレーラー)」日常がグロテスクに変形して行くが、ふと気付くとまた元通り、というのはアートアニメーションの典型パターン。赤い怪物が町を這い回ったり、赤い洪水が都市を覆ってしまったり、朝食を取っていた男が切り刻まれて煮込まれ、その鍋の底を歩く人影がパスタになりケーブルになり、人型になる展開に某ロボットアニメを連想したりしたのは私だけでしょうか。 「雨の中の潜水夫」 ちっともたどり着けない。もどかしさ。定時で帰れるエストニア人がうらやましいって? Aプログラム 「子どもが虫の死骸を埋めにいく」の妙ないかがわしさがいい。全く性描写も無いし台詞もないが音楽とヘンテコな演技が不完全密着デュープのふわふわとした映像と相まって、某掲示板用語で言うところの「エロい」。強烈に人工的でわざとらしいところが魅力。…でも一番よかったのは奥山先生の「残り画(リンク先は作家サイト)」 感光乳剤をフィルムに手塗りして乳剤のムラを直接見せる。音もサウンドトラックに塗られた乳剤の濃淡による、というハードコアな実験映画でありながら、なんでこんなにソフトな印象なんでしょう。これこそ文字通りの意味でフィルムメイカー。 Bプログラム 「PATTERNS」歩道のタイルを眺めて、これって駒撮りするとおもしろいかも!とアニメーションを作る人ならば(私も、そしてあなたも)思うでしょう。きっちり作品にしてしまうのがこの方の才能。ぐりぐり回転し、うねり、走行してゆくタイル。くそ、くやしいなあ。:youtubeには同作家のPAPERS,POWER,desktop,The Booksがある模様。 (10/05/07)
遅ればせながら、「涼宮ハルヒの驚愕 先行掲載分」を読みました。 買おうかどうしようかと思っているうちに近所の書店では売り切れ、「たったひとつの冴えたやりかた」を読んだ図書館では頭に入らず、「ザ・スニーカー」を探して本屋のはしごをして、何年も行ったことの無かった書店でやっと発見。何やってるんだ俺。 しかし、文章が今までの巻と違って何度も確認するよう。というのか対置しているのか、それとも思っている事がどんどん実現していくのか。 例えば、ハルヒの料理に刺激されたキョンが「母親」「味覚障害」をモノローグする(p.73中段)と、ハルヒ自身の口から「母親はね、ちょっと味オンチなのよ(p.74上段)」とか 自分が朝倉のようであれば、と長門が嘆くのを聞いたキョンが「朝倉、二度とカナダとやらからかえってこなくていいぞ(p.73上段)」とモノローグすると、朝倉が「長門さんにお願いしてみてくれる?彼女がうんと言えば、わたしはカナダから帰ってくるかもしれないわよ(p.83上段)」 そして奇妙に視覚的です。今回字コンテを読むような気持ちで読ませていただきました。 キョンが甲陽園学院へ走る。今回は「消失」とは逆に長門の為に。 光陽園女子の制服をまとい、ハルヒが「憂鬱」で告白した踏切りに立つ九曜。しかも、「知りたかったのは」「あなたのこと(p.77下段)」 九曜は何者なのか? ところが、朝倉とのバトルでは朝倉のナイフを止め、同時に抜き手を放つという、ヴィジュアルを想像してみれば解るとおり、キョンをはさんで朝倉と対称。 「九曜さん」「あなた、この人間をどうしたいの? 殺したいの? 生かしておきたいの?(p.81中段)」朝倉の指摘は朝倉自身にもかかってきます。長門の望みはキョンを殺す事でもあり、また守る事でもありました(→10/04/19の.4.)、その望みを代行する為に現れた朝倉もまた。 九曜の言葉と行動が混乱しているように見えるのは、複数の記憶を持っているからのように思えます。 <妄想> 「そうさ、僕はもうこのかっこうでいる必要もないみたいだね。九曜さん、僕の髪を返してくれないか?」 そういうと佐々木は隣の陶器のような顔をした奴に触れた。二人の姿が重なる。 「髪---あなた---の、記憶---」 光陽園の制服、な、なんだ、その姿、、、 「久しぶりね。でも、あなたにとっては4ヶ月ぶりかしら…ジョン・スミス」 ハルヒ!それに、おまえは。 「ゆるさないわよって、言ったじゃない」 </妄想終了> という燃えるクライマックスになるのでしょうか? 自分の気持ちを隠しているSOS団員やキョンと違って、「私とつきあう?(p.77下段)」「おやすみ、親友(p.86中段)」と、佐々木達は想いを言葉にできるようです。 佐々木に会ってしまえば、SOS団員は隠していた事を言わなければならなくなるのでしょう。 発表会。/私は思い出そうとする。私はここで何を発表するのだろう。焦る。思い出せない。(憤慨p.96) 長門は思い出さなくてはなりません。 総てを記憶している筈の長門が思い出せない事。それは「消える世界にも」あった「私の場所」の記憶。 「発表会」が近づいているようです。 さらに、大ネタかもしれない小ネタ 以前「11人いる!」という漫画作品は「分裂」の元ネタかもしれないと紹介しました。 これは”10人で試験を受けたはずなのにいつのまにか11人いる”という話。「分裂」のα-6と同じですね。 ところで、「11人いる!」の元ネタは宮沢賢治の「ざしき童子のはなし」だそうです。(→wikipedia) 「ざしき童子のはなし」は青空文庫にあります。(→こちら) 2つめの段落に「ちょうど十人の子供」が「十一人になりました」という話があります。 それだけではなく、最初の、「ふたり」で「おたがい肩にしっかりと手を組みあって」見に行ってもだれもいないというのは「雪山症候群」を思わせますし、3番目の、病に「かかってやすんでい」た子供の家を訪ねると、いないはずの座敷に「まるっきりやせて青ざめて」座っているという話は今回のβ-7を思わせます。 長門がいない事に誰も気が付かず、やっと気付いて見舞いに行く。やせて小さくなった長門の姿にいたたまれなくなったキョンがトイレに行くとメール着信。 このメールは本当に長門からなのでしょうか。プロンプトが小文字になっている事以外にも、「そうとも言い切れない」「でもそうとも言える(p.71中段)」と言っていたはずの質問には「yuki.n>そう」と応えます。機関には朝倉の姿が見えていなかった(p.85中段)事も合わせ、気になります。ノーマル長門ではなく九曜なのか、それとも… まだ最後の「もうあきたから他へ行くよ」エピソードは現れていません。描かれる事になるのでしょうか。 さて、上記wikipedia「ざしき童子のはなし」の項によると、「ざしき童子のはなし」のさらに元ネタは佐々木喜善「奥州ザシキワラシの話」からだとのこと。つまり… 「座敷童子をもたらしたのは佐々木キ○ンだったんだよ!」「なんだってー!」(AA省略) さて、おまけです。 「脳軟化世代」様(全面的にR-18なので未成年は見ちゃダメ)の「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースが戦う漫画」(ちょいグロテイストなので注意)九曜と長門のバトルです。 同作者の「セーブガード長門漫画」や「ハルヒが四肢断絶キョンを背負って無人の荒野を行く漫画」(すこしグロ気味注意)など、いずれも断片ですがかっこいい。 朝倉大好きな「えす之の生きる道」様。「分裂」時点ではこんなだった九曜なのに、新規絵では美形モードです。 「安藤N子」様の可憐な九曜さん(pixivなのでアカウントが必要)。ちなみにこの方の「エンドレスエイト」絵。(pixiv) わかってらっしゃる! (10/05/26) |
→2010年6月分の雑記 :「涼宮ハルヒの消失」劇場版、文藝別冊/総特集・萩尾望都―少女マンガ界の偉大なる母
←2009年4月分の雑記 :「非実在青少年」「消失」と「エンドレスエイト」、「たったひとつの冴えたやりかた」