| 「涼宮ハルヒの憂鬱」"あらためて"放送は終了しましたので、ネタバレレベルを改定します 台詞の記述はアニメ版を優先します。引用に付けたタイムコードはyoutubeにupされた動画のものを見て付けていますが、あまり精度はありません。 レベル0 : 「涼宮ハルヒの憂鬱」について全くしらない人でもOK。原作小説もDVDも前回放送も知らない人。 レベル1 : 1期放映分を視聴した人向け レベル2 : 文章が書かれている時点でDVDになっている分を視聴した人向け。 レベル3 : 「あらためて」放送分を視聴した人向け。 レベル4 : 原作「憤慨」まで読んだ人向け「長門さんの小説っていいよね」 レベル5 : 原作「分裂」まで読んだ人向け「『わたぁし』って誰?」 レベル6 : 原作「驚愕」先行掲載分まで読んだ人。:劇場版「消失」を見た人
今回書いている時間が無いので結論だけ。 私は永井豪が何故「デビルマン」という傑作を描き上げる事ができたのか、いままでわかりませんでした。突然傑作が私たち読者の前に現れたように思えていたのです。 今回「魔法少女まどか☆マギカ」について書いていて、こういう展開になるとすげえよな!などと「デビルマン」に当てはめる妄想をして楽しんでいたのですが、前記(11/01/27の雑記)の魔法少女=クリエイターという置き換えを同様に「デビルマン」に適用すると「デビルマン」という作品がより理解できる事に気付いておどろいています。おそらくは1970年の経験が永井にデビルマンを描かせたのではないか、と思えてきました。 そして、いまのところこの置き換えは破綻していないように思えます。つまり「魔法少女まどか☆マギカ」のスタッフは、デビルマンという作品をそのように理解して、再度自作に応用しているのではないか?つまり、 ,ィィr-- ..__、j ル! { `ヽ, ∧ N { l ` ,、 i _|\/ ∨ ∨ ゝヽ _,,ィjjハ、 | \ 「魔法少女まどか☆マギカ」は `ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ > {___,リ ヽ二´ノ }ソ ∠ 「デビルマン」だったんだよ!! '、 `,-_-ュ u /| ∠ ヽ`┴ ' //l\ |/\∧ / --─‐ァ'| `ニ--‐'´ / |`ー ..__ `´ く__レ1;';';';>、 / __ | ,=、 ___ 「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l )) | |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,| , -, ! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | | | | .l / 〃 )) l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj 7 | |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\:: ::::| ::l / と予想しております。 くわしくは次々回!(11/02/07) 大急ぎで追記!:「魔法少女まどか☆マギカ」コミカライズ版1巻表紙には、マーティン・ルーサー・キング・Jr牧師の名言が書かれているとのこと。(→きょうもやられやく:『まどか☆マギカ』コミック表紙の英文が翻訳されたよー) 闇で闇を追い払うことはできない。光のみが、それをなしうる。 憎しみで憎しみを追い払うことはできない。ただ愛のみが、それをなしうるのだ。 英文タイトル「Puella Magi MADOKA MAGICA」のすぐ下ですね。 しかし「ただ愛のみが、それをなしうるのだ」とは…言葉を失います。デビルマンは激しい迫害の末に人間社会を去りましたが、魔法少女たちは人の世界を去るつもりはないようです。 なんとすさまじい愛の形でしょう。(11/02/08追記)
一見すると前回よりエンターティメント性が強調されているよう。しかし作り手が描きたいのは第一に表現者自身の心象。その点では今回もまた豪球一直線です。 マミの死に直面してもどこか他人事で、上條君の見舞いの帰りに「何であたしじゃなくて恭介なの」と問うさやか。この言葉は2話の屋上での「なんであたしたちなのかな」の繰り返しです。前回のマミの忠告も届いてはいませんでした。苦悩に直面しているのは上條君。彼の困難を取り除いてしまえば、命をかけて戦っている自分自身と乖離がおきて必ず悩む事になります。口をついて出た「あたしって嫌な子だ」に重ねられるモノローグ さやか「思えば、そのときの私は、まだなにも解っていなかった。奇跡を望む意味も、その代償も」 まどかは平穏な日常に涙を流し、屋上でも まどか「私、あんな死に方、今思い出しただけで息ができなくなっちゃうの…怖いよ、いやだよ」 と泣きます。まどかとさやかはすでにマミのいた場所の後ろに立って未来を見つめているのです。しかし、その立ち位置は違います。 マミの部屋に行き、魔法少女になった自分のイラストを描いたノートを返すまどか。*)そうしなければ思いを断ちがたかったから。マミの部屋まで来てマミが生きていた証に触れ、マミを裏切ってしまった事、そして自分の夢にも背を向けた事を思い知らされ声を上げて泣きます。 そして今回の最重要シーンへと移ります。工場地帯の巨大陸橋の上をほむらと歩くまどか。 まどか「ひどいよ、みんなの為にずっとひとりぼっちで戦ってきた人なのに、誰にも気付いてもらえないなんて。そんなの、寂しすぎるよ」 ほむら「そういう契約で、私たちはこの力を手に入れたの。誰のためでもない、自分自身の祈りの為に戦い続けるのよ。誰にも気付かれなくても、忘れ去られても、それは仕方のないことだわ」 まどか「私は憶えてる。マミさんの事、忘れない。絶対に」 ほむら「そう、そういってもらえるだけ、巴マミは幸せよ。羨ましいほどだわ」 まどか「ほむらちゃんだって、ほむらちゃんの事だって、私は忘れないもん。きのう助けてくれた事、絶対忘れたりしないもん」 ほむら「……」 まどか「ほむら、ちゃん?」 ほむら「あなたは優しすぎる」 まどか「え?」 ほむら「忘れないで。そのやさしさが、もっと大きな悲しみを呼び寄せる事もあるのよ」 まどかを諦めさせるために、 カメラはイマジナリーラインを越えて逆ポジションになり、画面左側の階段からほむらは降りてゆきます。これは妙な演出です。厳しさについてゆけないまどかと一人行くほむらの対比なら、ほむらが厳しく言い切ったあと、陸橋上にまどかがひとりたたずみ、ほむらはそのまままっすぐ歩いてゆくはず。まどかは一人橋の上に残り、カメラのポジションを変えたことでほむらは見かけ上逆方向におりてゆくのです。おそらくは重大なヒントです。 魔法少女についてゆくまどか×このあとのキュゥべえとさやか。3話と同じ構造です。まどかの言葉を光が飾るのも同じです。 病院に上條君を見舞うさやか。巨大な本棚と魔法陣のように光るカーペットの模様。学問に倦み死を望むファウスト博士の書斎のように。 さやか「何を聴いてるの?」 意地悪な演出です。CDをかけたのは上條君自身の意思なのです。続くさやかの言葉は自然なもので、そのことで上條君が苛立つのもおかしくはありません。しかしこの台詞の意味に気付くと、上條君の「なんで僕に音楽なんか聞かせるんだ」が、よりエゴイスティックに響きます。まどかの言葉はほむらの心に届いた(それゆえはねつけられた)のに、さやかの言葉は上條君の心に届いていないのです。これがマミが見抜いたまどかの「資質」なのでしょうか。 「奇跡」と「魔法」を望むさやかの前に現れたのは地霊でもメフィストフェレスでもありませんでした。 次のシーンでの町を歩くまどかが振り向くカットも、このシーンで顔をあげたさやかがキュゥべえに気付くカットも妙です。なにかに気付いて顔をあげているのに、なにかに気付くカットが省略されているのです。学校の屋上でさやかが言った「違う世界で違うものを見て暮らしている」という事なのでしょうか。魔法少女になることを諦めても、魔女を、キュゥべえを見る事のできる力が消え去るわけではないのです。その力を持ったまま老いて死ぬか、魔法少女になるか。その他はありません。 そしてバトルシークエンス。仁美の台詞がいかにも不自然です。こーゆーのハリウッド映画でよくあるよね〜、という奴。かなりあぶない題材ですし、あえてリアルに描く事を避け、というか仁美のギャグキャラとしての味でうまく中和しています。でも、工場主の言葉とまどかの言葉が本質です。しかし、まどか役の悠木碧さんの演技がすばらしいですね。 ゾートロープ結界の中に引きずり込まれるまどか。モニタの魔女。とどめを指されると噴出す白い血。何を意味するのかは明確。 さやかが魔女を打ち破ると病院で上條君が目を覚まします。青く輝くカーペット。もう悲しみに酔いしれる事はできない。表現者の孤独に再び直面しなくてはならなくなった上條君が残酷な運命が夢ではない事を確認するように、動くようになってしまった手を見つめます。 *)^テーブルに飲みかけの紅茶があります。昨日は紅茶を飲んでいる時に、まどかに呼ばれて病院まで走った(3話Bパート)のでしょう。ですがシンクにもティーカップがあります。マミはほむらが話しているように一人暮らしですから奇妙です。朝食の食器を片付けてないってのもリアルすぎるし…う〜む? (11/02/09)
魔法少女もののパターンとはなんでしょう。 wikipedia(→wikipedia:魔法少女)には細かく記述されていますが、一般的に「魔法少女」「魔女っ子」「魔法使い」といえば、
未来への憧れがテーマであり、それを他の登場人物(普通の人間)に先駆けて手にする事で社会に貢献するのが少女物スーパーヒロインの特徴だといってよいかもしれません。 なお、プリキュアやセーラームーンなどの「美少女戦士」ものはこの例からの逸脱が大きく、よく解らない理由で戦士に選ばれた普通の少女が直接バトルによって敵を倒します。 ただし、10年度の作品「ハートキャッチプリキュア」は魔法少女ものへ回帰している要素があると言ってもいいかと思います。 ヒロインが肩を組んでハート型の光と化して相手の胸に飛び込み、失われた心を象徴する花束を手にして「ハートキャッチ!」と叫ぶと、怪物になって暴れていた心が平安に包まれ、妖精が世界を豊かにする「心のたね」を産み出すという「フローラルパワーフォルテッシモ」必殺技描写はどう見ても恋愛→結婚→出産のメタファーです。 さらにその強化版である「ハートキャッチオーケストラ」では、ウェディングマーチをロックアレンジしたBGMが流れる中、鏡に祈るヒロインたちのコスチュームがハート型の光背をまとった純白のドレスへと変化し、やはり純白ドレスの巨大な女神が現れるとたけり狂う怪物を押し止め、そのまま両手で包み込むと怪物は歓喜につつまれます。もはや誤解のしようがありません。象徴というか絵面のレベルでは未来への憧れの力で敵を倒しているのです。 「魔法少女まどか☆マギカ」について、この5原則をあてはめてみましょう。
ひとつ、ついでに書きたいと思います。 魔法少女ものの元祖は「魔法使いサリー」であり、そのさらに元ネタはアメリカのTVドラマ「奥さまは魔女」です。 この作品を憶えているかた、またリメイク版をご覧になった方は多いと思います。新妻が魔女だとわかり、主人公は妻とその家族の奇妙な習慣に振り回されるという内容なのですが、よく考えてみるとおかしな作品です。 主人公ダーリンはなぜ、妻が魔女である事を会社の同僚やおとなりさんにまで秘密にするのでしょうか。タテマエ上アメリカは多くの人種が移民してできた国です。妻が異民族である事を断固として秘密にしてしまえば、妻サマンサのアイデンティティーはぼろぼろになってしまうのでは?サマンサは「スーパーマン」のような移民のスーパーヒーローではなく、ごく普通の主婦なのです。隠しておく理由は無いはずですし、作品中にもそれは示されていません。そういうドラマがなぜあれだけの人気を呼んだのでしょう。 おそらくですが、この作品のなかで「魔女」を隠さなくてはならないという設定はマッカーシズムを含意しているのではないでしょうか。 多くの日本アニメのスタイルの元祖となった50年代アメリカのホラー映画には、姿のわからないものによる侵略が多く描かれていますが、これも冷戦構造の中でのソビエトへの恐怖がモチーフになっていると聞いたことがあります。 「奥さまは魔女」を見た多くのアメリカ人たちは、この作品で必死になって妻の素性を隠す主人公の姿を見て、自分たちの社会が犯してきた過ちの愚かさに笑い転げ、平和な時代の到来を願っていたのではないでしょうか。 日本は60年代にはまだまだ貧しい時代でした。「奥さまは魔女」に私たちはアメリカの豊かさを見てしまい、こうした視点は魔法少女ものには反映されなかったように思います。 いまのような時代にこそ、寛容の大切さを描く作品が必要なのではないかと思います。 次に「デビルマン」(漫画版)です。 前々回書いたとおり、デビルマン=クリエーター説について述べます。*)
これをさらに「まどかマギカ」に置き換えるのは難しくはありません。デーモン=魔女 デビルマン=魔法少女 闘争本能=祈り:願い事 なんですが、ここまでなら他のヒーローものでも置き換え可能です。 さて、「デビルマン」後半のストーリーを追ってゆくと デビルマン=クリエーター説が解りやすいのですが、完全なネタバレになります。また、「まどかマギカ」にとっては結末のネタバレ予想となります。構わない方のみ読んでください。白で書いておきますので読みたい方は反転してください。 [ * 1.デーモンの存在が人間社会に知られることとなります 2.人類にとっては、デーモンとデビルマンは区別がつきません 3.「不満を抱えた人間がデーモンに変身するのだ」と信じた人間たちは「悪魔特捜隊」をつくり、デビルマンやデビルマンに好意的な人間を攻撃します 4.もはやデビルマンは悪魔特捜隊と戦うしかありません 5.デーモンは人間界から姿を消して勢力を温存し、戦う理由をなくした主人公は愛するもの(美樹!)を守るためにのみ戦おうと決意しますが、彼女は魔女狩り(!)にあって既に殺された後でした 6.愛する美樹を失ったデビルマンは、人類が滅んだ荒野でデーモンに最後の戦いを挑みます というのが連載時のストーリーです。現在の用語で置き換えましょう。 「悪魔特捜隊」を「都条例」と置き換えて読んでください。 「不満を抱えた人間がデーモンに変身するのだ」はもうお分かりですね。酷いですよね。 「デーモンは人間界から姿を消して勢力を温存」も書くまでもありません。条例は本来「デーモン」を倒す事が目的だったはずですが、内容的には「デーモン」なんて関係無しの上に成立前から閣下は「デビルマン」だけをさんざん攻撃してましたよね。「卑しい仕事」とか「変態」とか。ポーズだけでも「デーモン」を攻撃してくれたら随分と印象が変わったかもしれませんが。 1970年には、去年(2010年)と同じような事が起こったことは既に何度も書きました。 「デビルマン」はそのわずか2年後の作品です。はっきり言って、私にはなんで「アポロの歌」「やけっぱちのマリア」がダメで「デビルマン」がOKなのかさっぱりわかりません。当時は今より自作がTV放映されることには大きな権威がありました。掲載誌の表紙に「TV放映中!」などと大きな文字で打たれていましたよ。 「デビルマン」は多くの永井原作アニメ作品と同じくTVアニメ企画が先行した作品(→wikipedia:漫画版とテレビアニメ版の関係) で、連載開始されてから数ヶ月で放映開始でした。 「傑作なら喜んで原稿を受け取る。条例なんて、そのつぎの話」なんて大嘘ですね。それとも「傑作」ってのは「掲載時点から社会的権威を付与されている作品」「確実に読者がつく事が(内容以前に)状況からあきらかな作品」のこと?-凄まじい迫害を受けてから2年で作りたい作品を作れる状況を作り出せた永井は凄いと思いますが、それを「まずは傑作を書いてから心配すればよい」と言うのは作家OBとしてどうなの。 閑話休題。 それはともかく、人間のために戦っていたはずのデビルマンが人間から迫害され、そのあまりの醜さに人間を見捨てる描写は当時から衝撃的でしたが、このような暗喩が隠されていた事は私にはずっと解りませんでした。 ラストは「もうだれにも期待しない!好きなもの描いて死ぬからほっとけ」という作家の宣言と読めます。確かに「デビルマン」はラストに近づくにつれてものすごいエネルギーで神がかってきます。すべての戦いを終えたデビルマンはデーモンの神サタンと和解すると、安らぎの死のねむりにつくのですが、確かに創作意欲の源と戦う気持ちを失えば作家は死ぬしかなくなってしまいます。] さて、この作品が「まどか☆マギカ」のベースであろうと想像するのは、なにより主人公たちの境遇の厳しさからです。 なぜにそこまで魔法少女であることの厳しさを描くのか。それは今はクリエーターである事がなにより厳しい時代であるからに他なりません。もしも上記のような展開にならなくても、この厳しい時代に生きるものたちの覚悟がさらに描かれると信じます。 すこしだけ、状況証拠があります。 「デビルマン」の後半が開始される前に主人公が読者に向かって呼びかけるシーンがあります。 だいたいこんな台詞でした。「あなたはここまで読んでしまいましたね。これからはあなた自身がまきこまれるのです。読み終えたときあなたは…(沈黙)」 「デビルマン」は3巻までは「仮面ライダー」のような影を背おったヒーローなのですが、これ以降全く違った展開を見せます。上記白文字部分です。 これ、この脚本家の宣言に似ていると思いませんか?(→やらおん:【まどか☆マギカ】 虚淵「6話から最終回までジェットコースターです」・・・こりゃー6話で何かが起きるな) もうひとつ。上記の展開は連載当時のストーリーです。 現在のヴァージョンではさまざまな加筆がされていますが、特に*の位置に後の「新デビルマン」が挟み込まれています。 デビルマンが時間をさかのぼって、人類史に介入しようとするデーモンと戦うという「新幻魔大戦」のようなストーリーなのですが、関係ありそうですよね。やっぱりほむら=時間をさかのぼったまどかなのかな。 すこし蛇足。よく話題に出る「鏡の国のアリス」なのですが、これはどうなの?という問いが予想されます。 「鏡の国のアリス」からテーマ演繹できるでしょうか? これはデザインソースだと思います。ただし、上記「デビルマン」にはメタレベルの混交があります。戦う事は描く事であり、その結果がこの作品そのものであるということに永井豪が自覚的だったとは思いません。「アリス」のラストを付け加えれば、この作品自体がクリエーターの厳しい生き方の結果である事が示せるように思います。 *)^え〜と、なに箇条書きマジック(→yuipediaの該当記事)やってんだと思われた方がいらっしゃるかもしれません。 当たり前すぎて書くのも嫌になりますが、書いておきます。 物語を要素にまで分解したり、テーマとその表現法まで遡ってしまえば驚くほど少数の類型しかありません。 例えば、「まもって守護月天!」は「ああっ女神さまっ」のパクリだなどとおっしゃる方がいらっしゃいます(恥ずかし過ぎるので示しません)。しかしそれを言ったら「うる星やつら」はどうなのとか、だいたい美少女漫画にはその手は数え切れないとか言い出す以前に「鶴の恩返し」「雪女」を思い出せば、人類の基本的な物語パターン(異類婚姻譚)の一変奏にしか過ぎない事に気付けるはずです。 どのパターンに属するかを理解する事は作品への理解を助ける事です。作品のあら捜しに使うと恥をかきます。 え?「エヴァンゲリオンはウルトラマンのパクリだ」ですって?いいかげんにしなさいっ(笑い)72年当時、特撮界ではウルトラシリーズを元祖とする巨大ヒーローものと、仮面ライダーを祖とする変身ヒーローものがあったのです。二つくっつければおもしろいだろうという考えで、バイクに乗った主人公が巨大ロボットを操縦すると言うアイデアで生まれたのが「マジンガーZ」という巨大ロボットものの元祖なわけで、つまり「ウルトラマン」は「エヴァンゲリオン」の遠い祖先のひとつなんですよ。おそらく東映動画(当時)スタッフの脳裏にあったのは「やぶにらみの暴君(現在の題名は王と鳥)」なのでしょうが。 というわけで、エヴァンゲリオンにとってウルトラマンとは、ジャンルの意義を考えるために深くさかのぼって、そのジャンルが本来もっている良さを掘り出した存在なのです。 (11/02/14)
アバンタイトル。 灯りの消えた一條君の病室。血のような夕焼け。闇に覆われる病院。キュゥべえ、夜が来るというのに雄鶏の姿。 「さあ、受け取るといい。それが君の運命だ」 さやかが倒れると散る花びら。あきらかに「死」の暗喩。 本編 あくびする仁美。前日の事を思い出している。「精密検査に行かなくてはならない」魔女を撃退すればすべて終わりでめでたしめでたしではない。心配そうに聞くまどか。笑顔のさやか。それとなく聞いているほむら。 放課後、草の上に寝転び、不安だった魔法少女になれたことを素直に喜ぶさやか……だが、違和感のある風景。 二人が並ぶカット(さやか「なんつうかね、自信?安心感?ちょっと自分を褒めちゃいたい気分つーかね」)では、まどかの座る左半分では明るく、花が咲いているのに、さやかの座っている右半分は薄暗い色調で花も無い。 次のカット(さやか「まあ、舞い上がっちゃってますね、あたし」)や(さやか「そう気付くのが遅すぎたっていうのが」)では、日向のはずなのにさやかだけが影になっている。違和感を薄めているのは大量の風力発電機なのだが、これもおなじ角度なのに順光になったり逆光になったり。日常の中に闇が現れ、さやかは既にそれに飲み込まれている。そしてまどかの近くにもそれは迫っている。発電機がシルエットになるとき、それは並んだ墓標のようにも見える。 病院 もうカーペットは輝いたりしない。 上條「もうしばらく精密検査がいるんだって」 不穏な兆候。魔女に魅入られた者と魔法を受けたものが同時に。そして、散る花びらが上條君の言葉を遮る。 上條「さやかには、酷い事いっちゃったよね、いくら気が滅入ってたとはいえ」 直前の沈黙の表情から、さやかが聴いているとおりの意味ではないだろう。 屋上。昨日の雄鶏もない。奏でられるグノー「アヴェ・マリア」 「罪人なる我らのために祈りたまえ、今も、我らの死の時も」という歌詞だが、上條君はさやかの死の為に弾いているわけではない さやか「後悔なんてあるわけない」 自らに言い聞かせるように。 杏子。深紅のソウルジェムが強調される。お菓子の魔女が倒されたあと、お菓子を食べる魔法少女が現れる。それは偶然ではないだろう。 ファストフード店。ほむらとまどか。まどかが引け目に感ずるのは、さやかがほむらを嫌っているからではなく、自分が魔法少女を諦めてしまったから。 ほむら「どんな献身にも見返りなんてない。それを弁えていなければ、魔法少女は務まらない」 コーヒー(?)のカップに置いた指で、カップをゆっくりなでる。中指のソウルジェムと爪の印を自ら確認するように。 ほむら「だから巴マミは命を落とした」 カップの蓋を外す。滴る雫。これはマミの首。滴り落ちるのはマミの命。恐ろしく残酷。 直前の、ソウルジェムをした中指でゆっくりカップをなでた指の動きから、ほむらは解ってやっている。決して死者を蔑んでいるわけではない。まどかには厳しさを、マミの死の意味を、そしてもう入りこめない事を知って欲しいから。 まどかの言葉。ほむらのカップの水面に、ほのかに照明が写りこみゆらいでいる。4話までとは違う。光はもはやまどかの言葉を輝かせない。 今回の振り向きクローズアップはほむら。決然 ほむら「美樹さやかの事はあきらめて」 ほむら「今となっては、どうにも償いきれないミスなの。死んでしまった人が帰ってこないのと同じ事」 また繰り返される「契約=死」 映像でなく言葉ではっきりと。もう手遅れ。 ほむら「一度魔法少女になってしまったら、もう救われる望みなんて無い。あの契約は、たった一つの希望と引き換えに、総てを諦めるって事だから」 まどかの夢見た魔法少女の道はどこまでも峻厳。おそらくほむらの言葉の意味はそれだけでは無いでしょうが まどか「だから、ほむらちゃんもあきらめちゃってるの?自分の事も、他の子の事も、全部?」 先ほどのまどかの「なら!」は哀願だが、これは違う。ほむらのカップの中で光が輝きを増す。 だがそのまどかの想いの光が入ったカップから、ほむらは手を離す。 ほむら「罪滅ぼしなんて言い訳はしないわ。私はどんな罪を背負おうと、私の戦いをつづけなきゃならない」 まだ自信がありませんが、ほむら=前回ループのまどかだと考えると”このほむら”の台詞が理解できるような気がします。 鏡の前で頬を叩き、気合を入れるさやか。またしても影の中。 まどかがついてゆく。2,3,4話と同じく魔法少女についてゆくまどか。 キュゥべえが振り向く。キュゥべえの瞳に吸い込まれる視線。まどかが写っている。そのまどかの瞳にクローズアップすると、マミのマンションに置かれたまどかのノートが現れる。まどかの憧れはまだ消え残っているが、それをキュゥべえは見据えている。 使い魔の結界へと降りてゆくさやか。震えている足。変身すると剣の円陣。剣を投げてしとめようとする。マミと同じ技。力は足りなくてもマミの遺志を受け継ぎたい。だが、杏子に止められる。 杏子「食物連鎖って知ってる?学校で習ったよね。弱い人間を魔女が食う。その魔女をあたしたちが食う。これがあたりまえのルールでしょ」 「デビルマン」3巻にも、デーモンによる殺人事件を食物連鎖であり自然の摂理だと語る学生が出てくる。これを魔法少女が語るとひどく利己的に響く。 杏子「正義だの人助けだの、その手のおちゃらけた冗談かますためにあいつ(キュゥべえ)と契約したわけじゃないよね」 心だけでは魔法少女になれない。プリキュアではないのだ。 さやか「あんたみたいなのがいるから、マミさんは!」 「あんたみたいなの」とはほむらの事。ほむらが束縛されていた事をさやかは知らない。*) 杏子「うぜえ。超うぜえ」 さやかに面を通しておく事が目的なら充分なはず。マミの名を出した事に怒る杏子。普通に考えるとリンク先「38式」さんの漫画(→pixiv:赤い子がいいのよ…(/・ω・)/【5話バレ有】)のようになりますが、合理的なプロの道を行くはずの杏子が熱すぎます。本当に「瞬殺」するつもりだったというのも考えにくいし。誰だ杏子、君は?!(予想は次回) すこしおまけ キュゥべえの秘密をハケーンしました。 こちらのサイト(→なのログ(°□°;) 『まどか☆マギカ』キュゥべえの怪しさは目が原因であることが判明)を見ていて気付いたのですが、これはルネ・ラルーの「ファンタスティック・プラネット」ではありませんか!! ご存知でない方のためにyoutubeの日本語字幕トレーラーにリンクしておきます。(→こちら)音ズレがありますがご容赦。キモイし神経に障る映像ですのでご注意を。 青い巨人の目がキュゥべえそっくりですね。巨人は人間など虫けらとしか思っていない事が短い映像からも伺えるとおもいます。 *)^ ただし疑問も生じます。くわしくは次回。 (11/02/15)
「終わりだよ!」 杏子の目が赤く輝き七節棍がうなりを上げる。赤龍の娘。 静止した水滴を影が走る。割って入るほむら。一瞬でさやかを気絶させる。消える有刺鉄線結界。 --この有刺鉄線のようなものは誰が作ったのでしょう。5話でまどかと並んでいたさやかを杏子が押してまどかから引き離して発生し、さやかが気絶すると消失しています。赤い色合いから杏子が作ったのでしょうが、まどかに邪魔されないようにしたのか、怪我をさせない為か? 寝室でソウルジェムを浄化するさやか。 キュゥべえ「これ以上の穢れを吸ったら、魔女が孵化するかもしれない」 --キュゥべえの目的が単にグリーフシードを食べる事なら、3話ではマミなど呼ばずにキュゥべえが食べてしまえば済む事。キュゥべえが食べているのは”魔法少女の穢れ”なのではないでしょうか。*) キュゥべえ「佐倉杏子は強かっただろう?余分なソウルジェムがあれば、魔法を出し惜しみせずに、無駄遣いすることだってできる。それが杏子の強みだ」 --キュゥべえが言ったのは「ソウルジェム」ではなく「グリーフシード」のように思える。さやかもその意味で受け答えしている。脚本のミスなのか?それともキュゥべえは杏子が冒頭でさやかをそうしようとしたように、魔法少女を屠ってソウルジェムを集めていたと言っているのだろうか。または、何らかの理由で杏子は「余分なソウルジェム」をもっているのか。 さやかはマミに比べ才能が無いとまで言われる。まどかは天才だと。止めをさすように。 キュゥべえ「どうしても杏子に対抗する戦力が欲しいなら、いっそまどかに頼んでみるのも手だよ」 冷厳な現実。自らが魔法少女でいなくてはならない理由はない。別にここで製作しているのが私でなくてはならない理由なんか無い。代えはいくらでもいる。 さやか「これは、あたしの戦いなんだ。あの子を巻き込むわけにはいかない」 もはやそう思うしかない。 ゲームセンター。一瞬だけ写る注意書き。きっちりと前振り。 「プレイ中の飲食はご遠慮ください。」 「ナンパ目的、セールス、客引き等される方の入場をお断りいたします。」 マミとも、さやかともしなかった共闘。前回まどかに「魔女とやっつけるときも、みんなで協力して戦えば、ずっと安全なはずだよね」といわれて「美樹さやかのことはあきらめて」と言ったはず。 ゲーム機筐体について、”第二の時計説”と言い出す人がいますが、与みしません。理由は文末。*2) 「何者だ?」と問われて首をかしげて沈黙のほむら。4話でまどかに「昨日助けてくれた事、絶対忘れたりしないもん」といわれた時と同じ。 --余談ですが、私も疲れると無意識に首が傾きます。同じ症状の方がシャフトには多いのでしょうか。それはそれとして、杏子があっさり協力したのは、ほむらが底知れぬ相手だと知ったからでしょう。 昨日の路地。杏子やほむらと協力しようというまどか。だがさやかには届かない。自らを抱きしめながら叫ぶ さやか「あいつはグリーフシード欲しさにマミさんを見殺しにしたんだ」 それは違うというまどかの言葉は耳に入らない。才能が無いと断言されたから。まどかに頼めばとまで言われたから。誰にも頼れない。何も聞けない。あまりの事にたじろぐまどか。*3) 夜。やわらかな月の光。 詢子「正しい事だけ積み上げてけばハッピーエンドが手に入るってわけじゃない」 詢子「どうしようもないほどどん詰まりになったら、いっそ思い切って間違えちゃうのも手なんだよ」 詢子「大人になる前に、今度は間違え方もちゃんと勉強しときな」 グラスを撫でグラスハープのように鳴らす。澄んだ音。このグラスはまどか。これは、5話でほむらがカップの蓋をマミにみたてて撫で「どんな献身にも見返りなんてない」と言ったのと対。詢子の思いはまどかに届いた。ほむらの思いは? 病院。CDを持ったまどかが上條君を見舞う。病室は空。 夜。上條家の前へと着いたさやか。手にCDを持っている。3話アバンで病室のサイドチェストに積み上げられたCDと、上條「さやかはレアなCDを見つける天才だね」の意味がわかる。「レアなCDを見つける天才」のわけがない!!上條君との唯一の繋がりだから必死で探してきたのだ。上條君が「天才だね」と言いながら、CDを無邪気に自宅へ持って帰った(そうでなければ、さやかの見えない場所に捨てられたCDのカットがインサートされるだろう)事から、さやかの事はまったくなんとも思っていない事が示される。 家の前に立つと上條君のヴァイオリンの音。自らの「献身」で彼が弾けるようになった事を確認できた事で安心したさやか。今日はこれでいい。これでもいい。帰ろうと振り向く。人影。杏子。 杏子「会えもしないで帰るのかい?今日一日追いかけまわしたくせに」 そう知っているのは、杏子もさやかを「一日追いかけまわした」から。 杏子「魔法ってのはね、徹頭徹尾自分だけの望みを叶えるためのもんなんだよ」 杏子「巴マミはそんなことも教えてくれなかったのかい」 3話、橋の上でマミが「あなたは彼に夢をかなえて欲しいの?それとも彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」と問うた、その天秤の片側。そう、教えてくれた。さやかに「ごめんね」と言ってまで。なぜ知っている? 杏子「今すぐ乗り込んでいって、ボウヤの手も足も二度と使えないぐらいつぶしてやりな」 不器用。怒ろうとしないさやかの代わりに怒る杏子。止まらない。邪悪な心が溢れ出す。街灯の光の下にいた杏子が「同じ魔法少女のよしみだ」と挑発すると影になる。怒りはアタシにぶつければいい。 --まどかがタイプしていたマザーグース”Hey Diddle Diddle”ですが、関係ありそうなページを見つけたのでリンクしておきます。(→不思議の国より不思議な国のアリス:公爵夫人の教訓) 歩道橋。 杏子「うざい奴にはうざい仲間がいるもんだねえ」 ほむら「じゃああなたの仲間はどうかしら」 現れるほむら。杏子を「仲間」と呼ぶのは計算だけではないのかもしれない。だがマミに対した時とは違って能力全開。*4) まどかの選択した「間違い」はさやかのソウルジェムを投げ捨てる事。 そして、明かされるのは キュゥべえ「僕の役目はね、君たちの魂を抜き取ってソウルジェムに変えることなのさ」 魔法少女の使命を離れては生きてさえゆけない。 ソウルジェムを追うほむら。トラックの幌の上にソウルジェムを拾うと、黙って見つめる。まどかにはもう諦めろと言ったさやかの魂を。 今回のおまけ。(→内村かなめ:ほむほむの必死さが、こう考えたら超伝わったので)さすがです。「僕の役目はね、君たちの魂を抜き取ってXXXXに変えることなのさ」 *)^ まだ魔女が何者なのかは本編中では示されていないので、前回のデビルマンメソッドで考えます。ストーリーそのものではなく3巻の学生の会話と、そのあとの主人公と了の会話から膨らませています。 人類は巨大な脳を持った事で生存できる力を得た。だが何も無い暗がりを訳も無く恐れ、後悔に苦しみ、前途が解らない事に不安をいだくようになってしまった。そして、仲間への疑念や恐怖が社会の悲惨を生んだ。これがデーモン(魔女)。 デーモンに深く苦しめられ、誰よりも悩んだ人の中から、歌い、描き、像をつくる者が生まれた。かれらがデビルマン(魔法少女)。彼らが己の心の中でデーモンと戦う事は彼らにとって必然だが、彼らがうみだしたものにふれた人は心を癒すことができ、つかのまデーモンのいない平穏を味わう事ができた。また、デビルマンの力を信ずる人びとは、デビルマンが戦うとき自分たちに脅威が迫っている事に気付き、彼らに感謝した。 以降、デビルマンにはキュゥべえにあたる存在が無いので魔法少女で考えます。(デモン=魔女、デビルマン=魔法少女) 魔法少女が人間にとって楽しめるものを産み出している事に気付いた者は、魔法少女が戦いやすいシステムを考え出した。彼女らに見返り(グリーフシード)を与えるのと同時に、彼女らが人間に与えている益の対価を自らが得る事にした。彼がキュゥべえ。 魔法少女にとってはグリーフシードを得る事で生きられる事に加え、グリーフシードを多く得ればそれによってさらに多くのグリーフシードを得られる可能性が増す。逆にグリーフシードを得られなければ次にグリーフシードを得られる可能性が下がり、生きてゆけなくなる。 人間の苦悩が魔女を通じて吐き出され、それが魔法少女の穢れとなり、それをキュゥべえが得る事で回っているシステムであるのでしょう。 キュゥべえが何かと言うと…ゴニョゴニョ。では、システムを維持する為の触媒となるグリーフシードをキュゥべえが蒔いているのかというと、まだそれは解りません。魔女という形をとらなくても人類の苦悩は普遍だと言えばグリーフシードは自然発生しているのでしょうが、実世界のキュゥべえさん達はシーズという形でグリーフシードを蒔いているといえば言えるのかもしれません *2)^ ストーリーの行く末がわからないと不安になる気持ちは解らない訳ではありませんが、画面から過度にメッセージを読み取ろうとするのは危険です。まずは「動き」を見、会話を聞き、演出、テーマ、モチーフを見てくれないと作った人が困ります。 同様に「フラグ」に過度にこだわる人も。 単に「マエフリ」の意味で使っている人は問題ありませんが、やたらさまざまなものにフラグを見出してしまって、それで予想が外れるとフラクラだといって大騒ぎする人にはこまりものです。「ここは俺にまかせて先に行け」と言った人物が助かってしまったら駄作でしょうか? 私も十代の頃は作品が天から降ってきたもののように思え、特に名作は、それが人間の作り出したものであることに違和感を感じていました。でも人間が作り出した物なのです。 美術デザインをしてくれと依頼されたらその作品の、またそのシーンのイメージにそったものかどうかを考えるのではないでしょうか。そこで当該シーンの意味と同時に今後のストーリー展開を聞くことになりますから、それをお遊びでいれることもあるでしょう。作り手は画面の雰囲気をまずは見て欲しいと思うのですが。 そのうえであえて読み取ると、画面の髭のキャラクター(魔女?)がクリア画面でわっかを付けて死んだように表示される事と、がらんとした室内で3人プレイ可能な台を描いてあり、左右二人分が空いている事が強調されている事から、「二人だけしかいないけど、杏子だけじゃダメ。3人で力をあわせれば勝てるぜ」がメッセージであるようにも見えます。 まあひとのことは言えないかもしれませんが。 *3)^ 「なんでそんなに才能にこだわるんだよ、自意識過剰じゃね??クリエーターってそんなにおえらいのかよ」なんて仰る方はここをお読みではないでしょうが、そんな方には「アニメがお仕事!」(石田 敦子)をお勧めします。(→さあ? :作ることを仕事にする地獄 『アニメがお仕事!』) ただ、この作品はさめた目で読むと主人公がヘンなヒトに見えるんですね。感情移入し(きれないけど無理にでもし)て読むとキリキリと胃が痛む名作。もひとつレビュー紹介(→冒険の書:アニメがお仕事! レビュー) 感受性が強いからこそ人一倍悩み苦しむ。 友よ、苦悩をつきぬけて歓喜に至れ。たとえそれが物語の中にしかないように思えても。描き続けよう。 *4)^ なんで杏子はさやかにこだわるのか。マミの名を出された事に怒り、マミに言われなかったのかと後輩を叱るのはなぜか。お菓子の魔女が倒されたあと、お菓子を食べる魔法少女が現れるのはなぜか。 --以降最重要ネタバレ予想!読みたい人だけ反転して読んでください-- [ 「デビルマン」では、人間の肉体を持っているデーモンとデビルマンの間には違いはありません。人間の心を持っていればデビルマン、そうでなければデーモンです。 キュウべえ「願いから生まれるのが魔法少女とすれば、魔女は呪いから生まれた存在なんだ」「魔法少女が希望を振りまくように魔女は絶望を撒き散らす(略)不安や猜疑心、過剰な怒りや憎しみ、そういう災いの種を世界にもたらしているんだ」 マミ「理由のはっきりしない自殺や殺人事件は、かなりの確率で魔女の呪いが原因なのよ。形のない悪意となって、人間を内側から蝕んでゆくの」 2話のマミのマンションでの会話です。会話の内容を今時点で読むと興味深いのですが、それだけではなくここの奇妙な演出にも注目します。 マミが話し出すと、まずテーブルのガラス面に映ったさかさまのマミ、「〜魔女の呪いが原因なのよ」で一拍おくと、夕日に薄暗く映えるマミの顔クローズアップ。後半の「形のない悪意となって〜」はミドルショットで、左3分の一が窓外の夕景。陰になった残りの真ん中にマミがいます。 3カットとも単にまどかの見た目ショットだろうといってしまえば、まどかはマミに不気味さを感じたという演出になってしまいます。 これを、魔女はマミとは逆の存在だが、マミ自身危ういところで影(魔女)のギリギリで踏みとどまっている と理解するのはさほど不自然な解釈ではないでしょう。 魔法を使えば魔法少女のソウルジェムには穢れが溜まり、それをグリーフシードに移さねばならない。グリーフシードの穢れが限界に達すると魔女が孵化する。ならば穢れとは魔法少女の「不安や猜疑心、過剰な怒りや憎しみ」 魔法少女が魔女と戦うと魔女の憎しみは吐き出され、空のグリーフシードになるのでしょう。 もしもグリーフシードとソウルジェムが同質のものなら?空のグリーフシードから、さらに穢れを除けばソウルジェムになるのだとしたら?ソウルジェムが穢れきったときグリーフシードになるとしたら。 リンク先画像を見てください。(→こちら リンク元のページは「かくれオタのブログ:『魔法少女まどか☆マギカ』6話の作画ミスっぽいシーンまとめ」)ほむらの手の中で深紅のソウルジェムへと変化するグリーフシード!! ほむら「そうよ、これは魔法少女のための物。あなた達には触る資格なんてない」 「これ」とは深紅のソウルジェム。 今回のキュゥべえの台詞から、ソウルジェムさえあれば肉体は復元できる事が示されています。 杏子がマミにこだわるのは、マミの魂を食べてしまったことで記憶を受け継いでしまったからなのでしょうか。 ] 次に前回の疑問について、つまりはなぜこう(→さなり:ままま☆ま 第3話)ならなかったのか?ということです。まあ、すり抜けはしないでしょうけれど、ほむらならマミが魔法を使う事が予想できてさえいればマミに捕縛されはしなかったはずです。杏子を寄せ付けもしないのですから。上記のような事があるからといって、最初からマミを魔女に食わせるつもりだったわけでもないでしょう。マミの魔法が解けた瞬間の「まさか」という台詞が無意味になってしまいます。 ほむらのマミと杏子への対応の差は、ほむらの二人への感情の差によるのでしょう。それはおそらく、これから描かれるはずです。 (11/02/22)
「魔法少女まどか☆マギカ」7話 ネタバレあり。8話予想。
前回のテーマは「才能・協力」でしたが今回は「信念・欺瞞」*)です。予算が潤沢で表現の制約が少ないNHKのドラマ枠ですらもてあますような難しいテーマを処理しています。 今回はセルアニメ表現の特質をうまく生かしています。セルアニメでは微妙な表情は描きにくく、とくにこの作品のようにデフォルメされたキャラクターデザインでは典型的な数種類の表情の繰り返しになりがちです。これを、適切に間をとりながら別の表情への変化を描く事で「ほんとうは悲しい→でも笑う」「仲間になって欲しい→でも怒ってしまう」というように表現しています。 アバンタイトルのさやかがキュゥべえを問い詰めるシーンは、それに続く、まどかとほむらのシーンと対称です。さやかとまどかの台詞を並べてみましょう。 さやか「だましてたのね、あたしたちを」⇔まどか「ほむらちゃんは、知ってたの?」 さやか「なんで教えてくれなかったのよ」⇔まどか「どうして教えてくれなかったの?」 さやか「大きなお世話よ、そんな余計な事」⇔まどか「キュゥべえはどうしてこんな酷い事するの」 さやか「なんでよ、どうしてあたしたちをこんな目に」⇔まどか「全然つりあってないよ。あんな体にされちゃうなんて、さやかちゃんは、ただ好きな人の怪我を治したかっただけなのに」 さやかの部屋では鏡、またはキュゥべえの瞳に映ったさやか自身が強調され、直情的、他罰的なさやかはキュゥべえを問い詰めるほどに「そもそもなぜ契約したのか」その自分の心を思わずにはいられなくなります。 まどかがいる屋上ではほむらとの(物理的な)距離が強調され、ただ問うていただけのまどかがほむらを非難せずにはいられなくなります。あれだけマミやさやかを思って涙を流していたまどかが泣いてるのに涙も流れません。 屋上のフェンスは2話や4話とは違うものになっています。公園にあるような乗り越えようと思えばそうできるようなものから、背が高く頑丈な檻へと。 このシーンと、5話で契約したばかりのさやかとまどかが話していた、背景に風力発電機の並ぶ屋外の水辺と比較したくなります。風力発電機は墓標のようでした。7話の屋上では背景のビル群を墓標に見立てれば、二人は墓地の入り口の前に立っているように見えます。 5話アバンで、さやかが契約し魂を抜き取られて人間としては死んだとき、夕方なのにキュゥべえは雄鶏のような影をまとって暁を待つかのようでした。登場人物の影が強調されているのも、このシーンだけでなく今までの回の多くのシーンにありました。 生と死、光と影、夜と昼、内と外が反転した世界。そして恐らく夢とうつつ、過去と未来も。 まどか「ほむらちゃんはどうしていつも冷たいの」 ほむらが言うように、さやかの困難(=魔法少女の運命)がどうしようもない事であるならば、まどかのこの問いは「なぜ(さやかがかわいそうだと)私に同情してくれないの」という意味でしかありません。 4話の陸橋上で「ほむらちゃんの事だって、私は忘れないもん」と叫んでいたまどかに、ほむらは自分のソウルジェムと爪の印を見せて「きっともう、人間じゃないから、かもね」と言います。(ほむらが自らにいいきかせる言葉なら、このカットではほむらは手の甲を見ているでしょう) 他の回のほむらの台詞と比べても、ほむらは「どうしていつも冷たいの」どころか、かなりやわらかに話している事がわかります。 4話でほむらが言ったように「そのやさしさが、もっと大きな悲しみを呼び寄せる」のなら、これはほむらの望んだ通りの事でしょう。しかし、さやかと同じく「あんな体にされ」たほむら自身の孤独は誰が聞き届けてくれるのでしょう。まどかが変化した事で「もっと大きな悲しみ」を避けられるのだとしても。 ベッドに丸くなって、自分のソウルジェム(=魂)を見つめるさやかを呼び出すのは杏子。前日の事で毒気が抜けたよう。 今回は林檎が重要モチーフ。 あの素直なさやかが「あんたは自業自得なだけでしょ」と言っても「『自分の為だけに生きていれば、なにもかもじぶんのせいだ、だれを恨む事も無いし、後悔なんてあるわけが無い』そう思えばたいていの事は背負えるもんさ」とかわします。 巨大な教会の廃墟。扉を蹴破り板を踏み割ります。言葉とは裏腹に、この場所であっただろう事には激しい感情を隠せません。 奥の演台(説教台?)に向けて席がせりあがる奇妙な教会内部。杏子がさやかに林檎を渡します。受け取ると林檎にさやか自身が映っています。おそらくはそのことが耐えられないさやかは林檎を投げ捨てる。「食い物を粗末にするんじゃねえ。殺すぞ」怒りをあらわにする杏子。林檎を拾って袋に入れなおします。 キュゥべえが言うように「癒しの祈りを契約して魔法少女に」なれば「ダメージの回復力は人一倍」になるなら、杏子の祈りは飢え。単なるキャラ立てでお菓子を食べているわけではありません。 そして始まる人形芝居。さやかを前に今この場で演じている/教会内で過去そうであったように演じている、夢とも現実ともつかないもの/回想/など、複数のメタレベルで語られます。*2) とくに美しいのは、父の紙人形を持っていた杏子が目を閉じ、再び目を開くとかつての教会内での人形劇舞台になり、ぬいぐるみ(?)にかこまれたさやかが一人劇をみている、という数カット。杏子の父への深い愛情。杏子にとって信仰とは父への深い家族愛。父の胸に杏子のソウルジェムと同じ形の赤い石がある、つまり、杏子がこの石をかたどったソウルジェムにしている事からも、どんな悲劇があっても父と家族への愛情をなくしていないことがわかります。 皿の上の半分の林檎や信徒の目が林檎になっているカットから、杏子の飢えが願いに直結している事がわかります。 がらんとした教会。首を千切られうち捨てられている棒人形。みつめる幼い杏子。これは悲劇の予兆。 杏子「みんなが親父の話を、真面目に聞いてくれますようにって」 杏子が手に持った林檎に杏子が映っている。杏子自身の見た目ショット。さやかができない事(=自分自身の過ちを見つめること)。 戦う杏子と説教する父。杏子が武器をあくまでも槍として使っている事に注目。槍を七節棍にしたのはこの事件後なのでしょうか。[やはり鎖の魔法をマミのソウルジェムから得たのでしょうか。 ] 杏子の「祈り」が父に知られたとき、父は絶望します。信者が集ってきたのは、自分の言葉が正しい為ではなかったこと。自分の志が娘にさえ理解されていなかった事を知ったから。 父とその人形が炎に包まれる。首をもがれた人形を前に「祈った」ことが、家族の命を奪い取る。自らの飢えが家族を殺した。そう語る杏子の言葉に、さやかの膝は震えます。 教会内。ステンドグラスは崩れ落ちているが、ひとつだけ破壊をまぬかれている。神ではなく杏子にとっては父なのか。 夕闇が迫る教会内。杏子とさやかも影となり、教会は人形劇場に見える。おたがいに「アンタ」と呼びあう杏子とさやか。 すべてを失った杏子が、これからは自分のために生きればいいと言うと、うつむいていたさやかが顔をあげる。 さやか「あたしはね、高すぎるものを支払ったなんて思ってない」 壊れたステンドグラスが短いカットで重ねられる。最後のカットはシルエットになった杏子とさやかを背景に、剣を振り下ろす天使。杏子の影を突き刺しているように見える。赤竜と戦うミカエル。二人が演じる影絵芝居。 さやか「この力は、使い方次第でいくらでも素晴らしいものにできるはずだから」 そう思えるのは、まださやかの願いで傷ついているのはさやかだけだから。さやかの後ろに夕日が差し込む。どうやって林檎を手に入れたのかと問うさやかに、杏子は答えられない。奪う事にも殺す事にも罪悪感を感じていないかに見えた杏子がたじろぐのは、魔法で食物を手に入れているからでしょう。*3) 杏子「バカヤロー。あたしたちは魔法少女なんだぞ。ほかに同類なんていないんだぞ」 下手な文を書くより、(→カラヅキ:じたばたあんあん(魔まマ7話))こういう事ですね。 さやか「あたしはあたしのやりかたで、戦い続けるよ」 これはほむらが5話のファーストフード店でまどかに言った「私はどんな罪を背負おうと、私の戦いをつづけなきゃならない」と共通。表現者はいつも孤独。 目を杏子の方にむけてからうつむき、手のソウルジェムを撫でる。まだ願いを投げ捨てられない。「殺しに来ればいい」とまで言うのは強がっているのではなく、夢を失いかけているから。 林檎を乱暴にかじる杏子。自分の魔力で手に入れた、それをいくら食べても飢えはみたされない。食べる事自体が彼女の望みではなかったから。 翌日、仁美とまどかの笑顔が別世界の物のように思える。登校する上條君。上條君が挨拶すらしないのは、4話でさやかに泣き言を言ってしまい、弱みを見せてしまったと思っているからでしょうか。 放課後。仁美に問われるさやか。 仁美「あなた自身の本当の気持ちと向き合えますか」 限りなくフェア。仁美がさやかに悪びれた態度を一切見せなかった事が、逆にさやかを苦しめます。 夜。魔女狩りに出かけようとするさやか。扉がひらくと、うつむいていたまどかが「ついていっていいかな」 そう決意したのは、「なんでそんなにやさしいかな」ではなく、自分が契約せずに済んでいる事を引け目に感じているから。 さやか「あたしにはそんな価値なんてないのに」 それは、「仁美を助けなければよかった」と思ってしまったからだけではない。隠していた気持ちがあふれ出す。 さやか「仁美に恭介を取られちゃうよ。でもあたし、何もできない」 それを認めれば、もう「祈り」が無駄になってしまう。杏子に誓った事もただの強がりになる。マミに「酷いと思う」と言った事も。しかし さやか「だってあたし、もう死んでるんだもん。ゾンビだもん。こんな体で抱きしめてなんていえない。キスしてなんて言えないよ」 それは偽りではないにせよ、それだけではない。恭介に避けられている事に気がついたから。挨拶もされない事で、自分ひとりが舞い上がっていた事を思い知らされたから。 一度カメラがロングになって、そして戻る。まどかから抱きしめていた体を離す。まどかの目に涙は無い。冷酷極まりないカメラワークで、二人の立場の違いを際立たせます。 夜の工場地帯。魔女結界が水面のように揺らぐ。みつめる杏子。現れるほむら。「そんな理由であなたが獲物を譲るなんてね」と言ったきり沈黙。おかしいと思ったのか、風に誘われてほむらを見る。ほむらの表情になにを見たのか? その結界の中。巨大な自由の女神像。像の手にはたいまつではなく赤い太陽。そのたもとに、太陽に一心に祈りをささげる影。魔女。斬りかかるさやかは魔女の背から生える樹に巻き込まれる。結界と魔女の樹を引き裂く七節棍。現れる杏子。 だが助勢を断るさやか。魔女を切り裂き笑う。 さやか「あっはっははっ。 本当だあ。その気になれば痛みなんて、完全に消しちゃえるんだ」 笑うさやかのほほに二筋の血。涙のように。 今回のオマケはこれ。「超早乙女研究所」氏の(→新まどか☆マギカ(新ゲッターマギカ) 1〜6話)7話分もあります(→新まどか☆マギカ (新ゲッターマギカ) 7話)。OVA「新ゲッターロボ」をご存じなくても楽しめることと思います。 なぜ魔法「少女」なのかお解かりになれる事でしょう。ロボット物が何をしてきたのかも。 「ゲッターロボ」は、ロボット物にスポ根の血を注入しました。困難があっても正面突破でなんとかなる。負けるのは/悩むのは弱いからだ----という考え方です。 青春の苦悩を正面から描いたエヴァンゲリオンですら、「へたれシンジ」と言われるほどです。 悩む為には少女でなくてはならないというのも因果な話です。 もひとつ。(→nmrn:杏子とさやか)二次創作では背が低く描かれる杏子ですが、フィルム上ではさやかより背が高いのです。でも背が低いほうが似合ってるんだよなあ。 *)^ 私がこれを「宗教・正義」と呼ばない理由は一つです。 「宗教はキチガイ」「正義の主張は迷惑」という硬直した紋切りな煽りを自分の脳裏にペタっと貼って判断停止して欲しくないからです。 これ、真面目でしっかりと物事を考えていると思っていた人の口から出てくるとギョッとします。それって、「郷に入りては郷に従え」「空気読め」の原理主義じゃね? *2)^ 今回、参考にするとおもしろい作品は「ファウスト」(ヤン・シュヴァンクマイエル) シュワンクマイエルがグロい人形アニメーションで、「ファウスト」を描きます。 廃墟を舞台にした実写映画、「ファウスト」を題材にした人形劇、人形アニメーションが入れ子になる迷路のような作品。 ただし、メタレベルがかなりこんがらがる作品なので、「ファウスト」のストーリー(特に第2部)を知らないと混乱してしまう人も少なくないものと思います。 くわしくは「Faust Jan Svankmajer」あたりでググってください。DVDは(→日本コロムビア:ヤン・シュヴァンクマイエル/ファウスト)「アリス」は未見なのでわかりませんが、おそらく関係あるでしょう。アートアニメーションでは知らなきゃモグリな作家ですので、他のスタッフが知らなくても劇団イヌカレーは見ていると思われます。 なお、作家名は日本語では「シュヴァンクマイエル」「シュワンクマイエル」「シュヴァンクマイヤー」などがあります。「ギョエテとは俺の事かとゲーテ言い」状態ですので検索時は注意が必要です。 *3)^ 盗んだり脅したりして手に入れたんだという意見がけっこう多いのですが、このシーンでの林檎が杏子の「祈り」のメタファーであり、劇中劇で林檎が信者の目になっていた(=魔法で信者を呼び寄せることで糧を得た)事から、同じ魔法で林檎を得たと解釈するのが自然でしょう。 (11/02/26)
「魔法少女まどか☆マギカ」8話について、既にweb上にはさまざまな感想が上がっています。 「デビルマン」だと思っていたら「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」だったでござるの巻 らしいです。(´・ω・`) くわしくは次回。 (11/02/27) |
→2011年3月分の雑記 :「魔法少女まどか☆マギカ」8〜9話 、「私はここにいる」
←2011年1月分の雑記 :「消失」「魔法少女まどか☆マギカ」1〜3話