「涼宮ハルヒの消失」Blu-ray/DVDが発売されましたので、ネタバレレベルを改定します
「魔法少女まどか☆マギカ」11話 ネタバレします。 前々回、モニタが退色してきたと書きましたが、プレイヤの色相設定がおかしかった事が判明。マミのコスチュームが黄色系に戻りました! F1を押してショートカットキーを再確認しました。これ、特にエディタと併用して文章を書きながら見ている方は注意が必要ですね。プレイヤのウィンドウがアクティブになっている事に気付かずQWERTYOを叩いて色彩を変化させてしまったり、UNDOしようとしてctrl-zを押すと「再生終了後PCシャットダウン」が設定されてしまいます。 ついでに、突然ブラウザがなんのメッセージもなく終了してしまう症状に見舞われていました。ブラウザが落ちるのは動画サイトを見ているときに多いのでflash playerを再インストールしたり、ブラウザの設定をリセットしたりしてみたりしたのですが変化無し。ふと思い立ってメモリを抜き差ししてみたら解消。そういえばときどきブルースクリーンがでたりしていたのですが、おそらくは同じ原因だったのでしょう。 「魔法少女まどか☆マギカ」11話 11、12話もまた、350MBを超える高画質です。ううむ、いままでも混雑時の低画質モードを避けておけばよかったのかな。 アバンタイトル ほむらのリビング。時計の意匠。ソファも文字盤であり、ほむら自身もキュゥべえも針。 キュゥべえ「君が繰り返してきた時間、その中で循環した因果のすべてが巡り巡って、鹿目まどかに繋がってしまったんだ」 白い糸で時計に磔にされるまどか。どんなにあがいても、すべてが運命のなか。 驚きに手をわななかせるほむら。10話ファーストカットのほむらと同じ。気丈に見せていても、本質は変わってはいない。なのに運命の歯車は回り続ける。 本編 雨の都市。さやかの葬儀。家の前。詢子「おかえり」まどかの肩の水滴をぬぐう。まどかの口は固く結ばれたまま。 まどかの寝室。 まどか「さやかちゃんも杏子ちゃんも死んじゃった」 キュウべえ「意外な展開ではないよ。予兆は随分前からあった」 現れるキュゥべえ。「予兆」とはなにか?まどかがスルーしてしまうので観客も流してしまいがちなのですが、その意味はこのあとの説明にあります。おそらく「予兆」とは希望を持ち「祈った」事。それが、「だれかの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない(9話)」と流された涙(さやか)、9話中盤で街灯から落ちる雨粒(杏子)、そして今回の傘から落ちる水滴(まどか)で響きあいます。キュゥべえの声を聞き希望を抱いたとき、死への道を歩み始める。それが祈りとなったとき、もうそれは間近にあるというのです。 キュゥべえ「例えば君は、家畜に対して引け目を感じたりするかい?」 キュゥべえの目の中にzoom。まどかの目が映っている。 牛、豚、鶏。赤い目が震えている。キュゥべえと同じ。感情のまま見て家畜の復讐なのかと思ってしまいそうだし、そのあとの展開もそう思うように仕組まれている。キュゥべえの酷い台詞。だが邪悪な詐欺師だったキュゥべえは、その見立てから遠のいてゆく。 今度はまどかの目にzoom、キュゥべえが映っている。その目が輝く。画面が各話アバンと同じ細長いサイズになる。 キュゥべえ「僕達はね、有史以前から人類に干渉してきた。数え切れないほど大勢の少女がインキュベーターと契約し、希望を叶え、そして絶望に身を委ねていった。祈りから始まり、呪いで終わる。これまで、あまたの魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだ。中には、歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた子もいた。」 まどか「もうやめて!みんな、信じてたの!信じてたのに裏切られたの!!」 あまりの恐ろしさに叫ぶまどか。目の前の残酷ないきものは他者ではない。もうふりほどけない。 キュゥべえ「彼女を裏切ったのは僕たちではなく、むしろ自分自身の祈りだろう。どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかのゆがみを生み出す事になる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の摂理だ。そんな当たり前の結末を裏切りだと言うなら、そもそも、願い事なんてする事自体が間違いなのさ」 キュゥべえの目が震えている。願う事自体が、希望こそが災厄の原因。なにかをなそうとすれば、その思いを呪いに変えなくてはならないとは。 1話の排水口に流れ込む雨水が輝く。スクリーンが元のサイズに戻る。映画館の上映後スヌケが映っているような、窓の外の雨。無音。 まどか「ずっとあの子たちを見守りながら、あなたは何も感じなかったの?みんながどんなに辛かったか、解ってあげようとしなかったの?」 問うあいてはもう詐欺師でも侵略者でもない。それは自らの心に影を落とした運命。それを知ってしまったまどかは、進む為に、呪いに沈む事を決意するのか、思いを振り捨て生きる事を諦めてしまうのか。*) 詢子と早乙女先生の会話。この二人が同窓なのは、1話洗面所での会話でマエフリがあります。壁面のミケランジェロ「アダムの創造」はご存知のとおり映画「ET」の元ネタ。「ET」では老宇宙人と少年の純真さを神とアダムに見立てるのですが、神と人間ではなく親と子、大人と子供でしょう。画面がシンメトリになっているので、詢子と早乙女先生、どちらが神でどちらがアダム?と思ってしまうのですが、詢子と早乙女先生は同じ立場で、いずれもまどか達を育てる立場でありながら、同時に魔法少女たちによって守られてきた人間側でもある、ということだと思います。そしてどちらの立場であっても、まどか達の葛藤を知りえないのです。BGMは7話の教会跡での杏子の回想と同じ。これも「予兆」なのでしょう。「アダムの創造」だなんておおげさなのですが、これは12話のマエフリでもあります。 同じ夜。ほむらの家。9話のキュゥべえと同じく「入っていいかな」と聞くまどか。ほむらの冷たい視線。だがもう引くわけにはいかない。まどかの涙がほむらの仮面を突き崩す……が、お互い理解しあう事はできません。ほむらの望み自体がそれを妨げているからです。 ここで困った事が起こります。観客は10話を既に見ているので、気持ちはほむらの側にあります。観客と共に泣き、少女達の運命を嘆いてきたはずのまどかが、観客が既に知っている10話の回想場面の中にいます。しかし、まどかの申し出をほむらは受け入れられません。どんなにほむらが涙を流しても、まどかを固く抱きしめても、ほむらの苦悩はまどかには届きません。10話でまどか中心の物語をひっくり返したにもかかわらず、ここまで感情移入して見てきたまどかをほむらが受け入れなかったことで、観客はいずれからも疎外されます。輝くソウルジェム。まどかを救う事を「たったひとつ残った道しるべ」だと声をふるわせるほむら。ほむらも、まどかも観客からは一人で戦う他人になってしまいました。 9話と同じ石畳に落ちる木の影、5.6話の路地、8話のサンルーム?、6話の鉄塔。都市に迫る嵐。8話で、仁美が上條に告白した水辺の公園で待つほむら。避難所のまどか。水波がほむらの足を濡らす。 象に引かれ、カウントダウンマークと共に現れる巨大な歯車。ワルプルギスの夜。それは負の祝祭。 ほむら「今度こそ、決着をつけてやる」 ありとあらゆる火器で攻撃しても、ワルプルギスの夜を止める事はできません。 明滅する避難所の照明。まどかがすっと立ちます。 まどか「ほむらちゃんが一人でも勝てるっているのは、本当?」 キュゥべえ「それを否定したとして、君は僕の言葉を信じるかい?」 言葉ではない。どうなるか解っているはずだから。 まどか「どうしてそうまでして戦うの?」 キュゥべえ「彼女が希望を求めているからさ」 それも知っていたはず キュゥべえ「何もかもが無駄だったと、決してまどかの運命を変えられないと確信したその瞬間に、暁美ほむらは絶望に負けて、グリーフシードへと変わるだろう」 糸で時計に磔にされるほむら。アバンでの、ほむらの心象のなかのまどかと同じ。ワルプルギスの夜、それは運命のくびき。 まどか「希望を持つ限り、救われないっていうの?」 キュゥべえ「そうさ。過去のすべての魔法少女たちと同じだよ」 運命の過酷さに吐き気を抑えられないまどか。しかし、もう時は来ている。 まどか「でも、でも……でも!」 ざわめく木々からもれる光。決然と進んでゆくまどか、その手を握る。詢子。 主人公の決意を、降りてゆく事で表現するというのも、ある意味凄い。4話の陸橋でほむらが降りていったのと同じ。 このあとの詢子とまどかの会話は、「親と子の別れ」という類型を超えていて奇妙に感じます。ざわめく光も、庵野監督なら「ウルトラセヴン」最終回といった所でしょうが。しかし、父と子のような会話です。 まどかの望みは最初から変わっていません。「本当なの?私なんかでも、本当になにかできるの?(1話アバン)」「きっとこれから先ずっと誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって、それが嫌でしようがなかったんです。(略)こんな自分でも、誰かの役に立てるんだって、胸を張って生きて行けたら、それが一番の夢だから(3話)」「私は、自分なんてなんのとりえも無い人間だと思ってた。ずっとこのまま、誰のためになることも、何の役に立つ事もできずに、最期までただなんとなく生きてゆくだけなのかなって(8話)」 無為な自身ではなく、「なにか」ができる自分になりたい。「なにか」とは、それをする事で誰かに認められるということではなく、自分が誰かの為になる事をしたと信じられる事。8話で、そうしてしまえばどれだけさやかが悲しむか、という事を思うこともなく、さやかの為と信じて契約しようとしたまどか。9話で、杏子の絶望的な申し出をみずから進んでうけたことも、それがささやかでも自分にしかできない「なにか」だからでしょう。おそらくはその気持ちは杏子の強制力魔法を跳ね返すほどのものだったろう、ということも以前指摘しました。(→雑記11/03/29) まどか「私じゃなきゃだめなの!」 まどかはその「なにか」を今度こそ見つけました。 手をあげようとして、思いとどまる詢子。右手を握って堪えます。もう、送り出してあげるしかない。もしまどかが死んでしまったとしても、泣いてあげるだけ。*2) やはり、いままで書いてきたとおり、 魔法少女=(多分にクリエイティブ系の)仕事 という寓意は生きているのでしょう。 カットバック。魔女と使い魔達の哄笑。ほむらに止める事はできない。すでに時の砂は落ち切ってしまった。吹き飛ばされ、血を流すほむら。 ほむら「どうして、どうしてなの。なんどやっても、あいつに勝てない!」 盾を回して時間跳躍しようとしますが、思いとどまります。 もうすでにわかっているはず。執念だけでは運命の呪いには、無力の諦念には勝てない。絶望。悔し涙をながすほむらのソウルジェムが濁ってゆく。 まどか「もういい。もういいんだよ。ほむらちゃん」 こんなところに現れるはずの無いまどかがほむらの手を握っている。そして まどか「ほむらちゃん。ごめんね」 *)^ このあとの会話はSF的には意味があるのでしょう。でも少女の葛藤の表現としては、なんか蛇足っぽいというか。(→でんでん:はじめ少女 げんし☆マギカ)でんでんさんのように考えてしまって、なんだ別にキュゥべえいらないじゃんと思ってしまうのは私だけではないでしょう。まあ、狩猟採集生活では多くの人口を養えない事は事実だとか、多くの魔法少女の涙の上にまどかの存在があるいうのが趣旨であることはそのとおりなのですが。 *2)^ このカットでは、詢子はなにを思いとどまったのでしょうか。 せめて抱きしめてあげようとした?もう一度ひっぱたこうとした?12話を見ていると、リボンを直してあげようとしたと考えると寓意がうまくまとまるようにも思います。 が、よくこのカットを見ると、右手を上げると同時に左手を少し引いています。右手には力が入っていたということでしょう。右手を戻すと軽く握って堪え、左手でまどかの背を叩いて送り出します。背を叩くことと逆の意味を持つ事は間違いないでしょう。 (11/05/08)
大変遅くなってしまいました。まずざっとおおつかみに。 12話を見て、凄い、大傑作!という人と、さやかが救われないなんてそんなのないよ、あんまりだよ、という方とがいらっしゃる様子。私はもちろん前者です。 2点重要な要素があって、ググってみた限りではあまり言及されていないようです。 1点目は、「魔女を滅ぼす概念」「ひとつ上の領域」とはなにか。ということ 2点目は、「ええ、私にもおぼえがあります」とは? 2点とも、同じ事から導き出せます。ここで答えを書いてしまってもいいのですが、ストーリーに即して述べてみましょう。 「END of Evangerion」 とも比較される事もあるようですが、私は基本的にはほむらが体験した時系列どおりで、ひねったところの無い素直な物語だと理解しました。10話までのスタイリッシュよりで、かっこいいけれど解りにくいところが無いストレートな回で、その点でも上二点との絡みで面白いと思います。なお、蛇足ですが「END of Evangerion」クライマックスの時系列を脚注に書いておきました。*)では。 まどか「ほむらちゃん。ごめんね。私、魔法少女になる」 瓦礫の只中。どうやってまどかはこの戦場にやってきたのか。もう問うものもいない。迷いも既に無い。それがこの物語の意義だったから。 まどか「神様でもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最期まで笑顔でいてほしい。それを邪魔するルールなんて、壊してみせる。変えてみせる。これが私の祈り。私の願い。さあ、叶えてよ!インキュベーター!」 命と引き換えにしてまで願う事なんてない「幸せバカ(2話:さやか)」だったまどか。魔法少女の悲惨をいやというほど「目に焼付け(3話:ほむら)」て、心に誓ったただひとつの願いは、彼女たちのために「すべての魔女を消し去る」事。だが、その願いは。 マミ「未来と過去と、すべての時間で、あなたは永遠に戦い続ける事になるのよ。そうなればきっと、あなたはあなたという個体を保てなくなる。死ぬなんて生易しいものじゃない。未来永劫に終わり無く、魔女を滅ぼす概念として、この宇宙に固定されてしまうわ」 マミの部屋(心象)。紅茶を注いでまどかに差し出す。すでにマミの前にはケーキと紅茶があり、じゅうたんの上には二人が座っているのとは別に座布団が3つ。お盆には3つのティーセット。ケーキも2/5ほど切ってある。つまり、最初からふたりでいてお茶にしたのではなく、マミが5人分の用意をして先に一人でお茶を始めたところに、まどかが訪ねてきたという事。美術さんの心憎い配慮です。言葉からはこの上なく悲惨な自己犠牲の決意に思えますが、絵からは、決意した段階で悲惨は過ぎ去っているのです。では、その「魔女を滅ぼす概念として、この宇宙に固定されてしまう」とは? 窓外に見える夜の都市。その安らぎを守ってきた魔法少女達の、夜のティータイム。旅立とうとする後輩の為の。 まどか「希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、私、そんなのは違うって、何度でもそう言い返せます。きっといつまでも言い張れます」 杏子「いいんじゃねえの?やれるもんならやってみなよ。戦う理由、見つけたんだろ。逃げないって自分で決めたんだろ。なら仕方ないじゃん。あとはもう、とことん突っ走るしかねえんだからさ」 現れる杏子。ちゃんと先ほどまで空いていた座布団に座っています。あと2つが誰のものかは明確ですね。*2)「あんただっていつかは、否が応でも命がけで戦わなきゃならない時が来るかもしれない。その時になって考えればいいんだよ」8話の魔女結界で杏子が言った、「その時」が来たのです。 まどかの決意を認めたマミはノートをまどかに返します。それは、2話でまどかが自身の魔法少女姿を描き、4話で泣きながらマミの部屋に置いてきたノート。さやかのバット=守る力と対になるまどかの=描く思いです。それを再び手にする資格をまどかは得たのです。差し出すマミの左手にはソウルジェムリングがあります。OGではなく、先輩として渡しています。 マミ「あなたは希望をかなえるんじゃない。あなた自身が希望になるのよ。私たち、すべての希望に」 マンションの部屋には昇り階段。時計は0時を指しています。背景は今から始まる事を暗示しています。 既に変身しているまどか。微動だにしない。まぶしそうに見つめるほむら、動かないキュゥべえ。ワルプルギスの哄笑。 空に向けて矢を射ると、それは重苦しい雲を射抜き、無数の矢があらゆる方向へと飛んでゆく。仏塔の丘に倒れた少女のもとに、サバンナの樹の下で死の床にある少女の下に。光に満ちた見知らぬ都市へ、緑の島の浮かぶ海へ、激しく火山が噴火する極北の地へ。さらに硝煙のたなびく市街戦地、絶滅収容所へと向かう貨物列車、炎に包まれる極東の神殿、古代エジプトの王宮、救国の乙女の火刑の場にも。黒く染まった魔法少女達のソウルジェムを蒸発させ、彼女たちを世界を呪う運命から開放します。 まどか「あなたたちの祈りを、絶望でおわらせたりしない。あなたたちは、誰も呪わない。祟らない。因果はすべて、私が受け止める。だからお願い、最後まで、自分を信じて」 崩れてゆくワルプルギス。元となった魔法少女(達?)の絶望が消失したから。 まどか「もういいの。もう、いいんだよ。もうだれも恨まなくていいの。だれも、呪わなくていいんだよ」 スクリーンに向かって手を広げるまどか。怨念の解放者であり、同時に死神でもある。光に包まれるワルプルギス。 ほむらが目をさますと宇宙。桃色の巨大な彗星。まどかのソウルジェム。すべての時間の、すべての魔法少女の呪いを吸収してはじけとび、星を喰う巨大な魔女が生まれる。恐ろしい結末に顔を覆うほむら。 まどか「ううん、大丈夫。私の願いは、すべての魔女を消し去る事。本当にそれが叶ったんだとしたら、私だって、もう絶望する必要なんて、ない!」 時間から自由になったまどかが無限シルエット化して魔女を射抜く。世界が終わる絶望すらも開放する。はじけ飛んでゆく宇宙。 キュゥべえ「まどか、これで君の人生は、始まりも終わりも無くなった。この世界に生きた証も、その記憶も、もうどこにも残されていない。君という存在は、ひとつ上の領域にシフトして、ただの概念に成り果ててしまった。もうだれも君を認識できないし、君もまた、誰にも干渉できない。君はこの宇宙の一員では無くなった」 第二のヒントです。ほむらが「こんな場所」なんで言うので、この視覚化された光の世界がオカルト的ななにかだと思ってしまう人もおおいようなのですが、言葉にすると簡単な事です。 まどか「だって、魔法少女はさ、夢と希望を叶えるんだから」 髪をとめていたリボンをはずし、ほむらに渡すまどか。光に満ちていた世界に闇が生まれ、広がってゆく。宇宙の晴れ上がり(→理科年表:宇宙には果てがあるのですか)です。均質で高温だった宇宙が冷えて、物質とエネルギーの流れが、そして再び生命が生まれます。世界に命をもたらすものこそ夜。 夜の都市。コンテスト。上条君*3)が舞台上で弾くのは5話と同じアヴェマリア。ヴァイオリンを構える音まで入っていて、音声さんのこだわりがすばらしい。pixiv絵師の胡桃さんが補完されています(→胡桃:わたしの、大好きな友達)が、もとの世界の未来がこのコンテストで、まどか達が去った後にコンサートのシーンに改変されるのでしょう。 さやか「そうだよ。あたしはただ、もう一度、あいつの演奏が聞きたかっただけなんだ。あのヴァイオリンを、もっともっと大勢の人に聴いて欲しかった。それを思い出せただけで、充分だよ。もうなんの後悔も無い」 舞台袖。仁美。望遠ポン寄りで上条君と並びます。このしつこいカメラワーク(失礼!)で悲劇性を駆り立てられた多くのファンのブーイング多数なのですが、しかし。 涙。8話/9話アバンの「あたしって、ほんとバカ」が「幸せになって、くれるよね」に浄化されます。まどかが言うように、たとえ気付かれなくても、知られなくても、と願ったさやかの心と苦しい日々が、ハッピーエンドになってしまったのでは失われてしまうのです。「男には解らない」みたいな女性ファン諸氏(声優さん含む)の声もある(→やらおん: 『魔法少女まどか☆マギカ』アフレコ現場でのキタエリが凄い楽しそうww)のですが、大抵の男性ファンはさやかに感情移入して見ていると思いますよ。まあ引用先掲示板住人はともかく。(→草野:杏さやEND)。ある意味、こんな風にさっぱりと忘れられるならば、それもまた幸せなんじゃないか。むしろ(さやかに感情移入している)男性の作り手の苦悩が色濃く出ているシーンではないかと、しみじみ思うのです。自分の心の中の「なにウジウジしやがって見下げ果てた奴だな」に苦しめられ続けるよりはずっと。 上条君が顔を上げると、そこはコンサート会場。違和感。 上条「さやか?」 カーテンに吹く風。もう、いってしまった。 ほむらが気付くと、駅ホーム。9話のそれと同じに見えますが、ホーム屋根が違います。 杏子「バカ野郎。惚れた男の為だからって、自分が消えちまってどうするんだよ。 バカ。やっと友達になれたのに……」 ほんの少しの救い。上条君には最後に気にかけてもらえ、杏子とは友達になれた。世界を呪う絶望で苦闘を無にしなくていいようになったことだけではなく。それはさやかだけではない。 ほむら「まどか!」 二人「?」 マミ「暁美さん?まどかって……」 杏子「誰だよ?」 手の上の赤いリボン。ほむらの記憶は残された。そして、マミと杏子にも、「まどか」はどうしても気にかかる名前として、その記憶のかけらが。 夕暮れの公園。右から少女が歩いてくる、地面に描いている子供(たっくん)の隣にすわる。ほむら。ピアノBGM(シンクロがすばらしい!)も相まって、エピローグの情感を盛り上げます。左側がほの明るく、奇妙な事に枯れ木の影も見える。 光と影に縁取られた戦場へ行く途中で、家族の下に立ち寄るほむらの姿をしたまどか、と捉えるのは考えすぎでしょうか。このシーンの、微妙な表情で見せる演技がすばらしい。7話の感想(→11/02/26)では「典型的な数種類の表情の繰り返しになりがち」なんて書いてごめんなさい。 たっくん「まろか、まろか!」 ほむら「…うん、そうだね」 この「…」の間が絶妙です。と、言っても、濃密に詰め込まれたこの作品ですから、ほんの少しの間に意味があります。まどかの声のほむらにとって、たっくんが「まどか」と声をかけてくれる事はすでに解っていること。ほんの僅かの時間を惜しんでいるようなこの間。そして、たっくんが(魔法少女姿の)まどかを”描いている”事にも意味があります。それはほむらが「まどか、だね」という言葉にも。 詢子「まあその、あの子が一人遊びするときの、見えないお友達って奴?子供の頃には、よくあるんだけどね」 ほむら「ええ、私にも覚えがあります」 なぜほむら(inまどか)には「覚えがあ」るのでしょう。単に話を合わせただけではありません。「見えないお友達」とは? それは、このほむらにとってのまどかの事であるのと同時に、キュゥべえのことでもあるように思います。キュゥべえは、11話ではそれまでの宇宙詐欺師としての役柄を超えて、まどかの気持ちとはうらはらながら、まどかが知っているはずの”現実”を語っていました。 詢子「まどか…ってさ、あなたも知ってるの?アニメかなにかのキャラとか?」 ここまでヒントが出れば、もうお解かりの事と思います。詢子さんは「第四の壁」超えの自己言及をしていると同時に、事実をはっきりと言っているのです。1話からのまどかは、この詢子さんにとっては「アニメ」「のキャラ」に過ぎません。では、この時点ではリボンを外した宇宙まどかはどうなっているのでしょうか。マミのいう「魔女を滅ぼす概念」、キュゥべえの言う「ひとつ上の領域」、まどか自身の言う「みんないつまでも私と一緒」「いつでもどこにでもいる」とは。それは物語自体とは別のメタレベルにある「魔法少女まどか☆マギカ」という作品タイトルや、そのテーマにほかなりません。 まどかは、「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない(8話:さやか)」過酷な現実の一断面を写した物語のキャラクターである事をやめて、「夢と希望をかなえる」魔法少女という、新しい物語のテーマそのものになったのです。これはもはや、作り手の切実な願いでしょう。世のすべての人、特にクリエイターが、その夢と希望を描く代償に、心に世の中への悪意を溜め込んだり挫折に苦しんだりしてほしくない。描いた夢と希望のその万分の一でも、心に夢と希望を保っていて欲しい、という。 詢子はほむらのリボンを褒め、「私の好みにド直球」と言います。ストーリー上「娘とかいたら、付けさせたかもしれない」が重要なのですが、「こんなオバさんには似合わない」も。このリボンは1話で、詢子がまどかの為に選んだもの。前の世界から唯一持ち越した”キャラとしてのまどか”の遺品でもあるのです。だからほむら(inまどか)は渡そうとしたのですが、少女であるほむらの為のものだからと断られるのです。 まどかからほむらへと主人公の座が受け継がれたことを表していると同時に、魔法少女が「少女」である事が強調されます。 魔法少女とは、どんなに「世の中は厳しいんだよ、いつまでも夢と希望でもねえだろうが。現実を見ろっての」と言われてもそれを描く事をやめないクリエーターの寓意であるようにも思えます。 しかし素晴らしいシーンです。短い作品であったけれども、いつまでも「まどか」は愛されて欲しい、私たちもこの作品を忘れないから、という作り手の気持ちが伝わってきます。 夜の都市を見下ろす鉄塔の上。 キュゥべえ「君の言うように、宇宙のルールが書き換えられてしまったのだとすれば、今の僕らにそれを確かめる手段なんて無いわけだし、君だけがその記憶を持ち越しているのだとしても、それは、君の頭の中にしかない夢物語と区別が付かない」 ほむら「うん」 これも、ヒントであり、そしてモチーフどおり。このキュゥべえにとって11話までは夢、そして物語。それはアリスのそれのように、ファウストが最後に夢見たそれのように。*4) ほむら「たとえ、魔女が生まれなくなった世界でも、それで、人の世の呪いが消えうせるわけではない。世界のゆがみは形を変えて、今も闇の底から人びとを狙っている」 都市の影に浮かぶ魔獣。顔を隠した聖者の姿。 ほむら「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようの無い世界だけれど、だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なの。それを、憶えて、決して、忘れたりしない。だから私は、戦い続ける」 路上に舞い降り、魔獣に矢を放つほむら。作り手たちの、倦まず描き続けるという力強い宣言です。 ED。白バックに「コネクト」が流れます。 自らと「交わした約束」を忘れぬよう、心と世界に「押し寄せ」た「闇」を「振り払って」描き続けよう。 一体「いつになったら」挫折から立ち直り「未来」への夢を取り戻せるのか、と 沸き出る「不安」に苦しめられても、それを振り切って「歩んで」ゆこう 青空がいつも変わらないように、未来は必ずあると信じて 草も無い荒野。かなたに人影。テロップ「忘れないで。いつも、どこかで、誰かが君のために戦い続けている。彼女を忘れない限り、君は孤独じゃない (和訳しました)」 人影の前に立ちはだかる巨大な魔獣の列。雲間からの金色の光。その光に照らされた荒野を歩いてくる人影=ほむら。その体から影が伸びてくる。暗黒の禍々しい翼。だが漆黒の翼には星のような光が瞬き、無数の花の影が見える。 背に伸びる黒い翼ときらめく魔法文字(?)をまとって進んでゆくほむら。「がんばって」まどかの声が響く。ほむらの口元が緩む。 漆黒の巨大な翼すら吹き飛びそうな、猛烈な魔力を放って飛び立つほむら。金色の空を覆い尽くす黒い翼。 魔法の力の源が感情であるならば、それはいかに禍々しく見えても生命の根源の力であること。それと敵対する顔の無い聖者=魔獣とは、人の心から感情を奪い取って平和で安らかな世界をもたらそうとしているけれど、それは生の喜びとは本質的に逆のものである事。 クリエイターはそうした、感情も顔もない平安とは対立せざるを得ず、そして命の続く限り、心の中に思い描いた夢に力を得て描き続けるだろう。 黒味。映写機がフィルムを送る音。画面に背を向けて(観客と同じ未来を見つめて)立つ5人の魔法少女の姿。クロスディゾルブ。5人を中心に並ぶ魔法少女達のシルエット。赤いリボンが落ちると、ピンクのソウルジェム。フィルムを巻き取ったカラカラという音。 黒味。 *)^ 「今のレイはあなたの心。何を望むの?」→記憶→「みんな死んじゃえ。僕も死んじゃえ」→補完。世界中に赤い十字架が上がり、みなLCLに→レイ=リリスの胎内に浮かぶ無数の影→心象→「なにも悩みの無い世界だと思ってたのに、これは違う」→リリス崩壊→「では、僕の中にいる、君は何?」「希望なのよ。人は分かり合える、という」→「さよなら、かあさん」→「きもちわるい」 こう書いてみると、最後まで何の為に戦うのか悩んでいる事も含めて、まどか12話にちょっと似ているのかもしれません。 いまだに、まどかスレにまで来て「エヴァなんてまだ終わってない話じゃねーか。綺麗に風呂敷たたんだまどかと一緒にするな」なんて15年も怒っている人の為に書いておくと、TV版も旧劇場版も同じ内容です。私は、旧劇場版を観て「ここまで解りやすくする必要ないじゃん。TV版のほうが面白かったのに興ざめだよ」とちょっとイライラしました。 新劇場版も、「破」クライマックスの「世界なんかどうなってもいい!綾波!来い!!」は確かに感動的なのですが、まさにこの台詞自体が、世界を滅ぼしてもユイに逢いたいというゲンドウの妄執とパラレルである事に気付くべきだと思います。 *2)^ よく見ると座布団は黄色、ピンク、オレンジ、パープル、黄緑と、5人のテーマカラーをパステル調にした色です。3人は自分のテーマカラーとは違う座布団に座っていますから、杏子の隣のオレンジの座布団にはさやか、マミの左後ろの黄緑の座布団にはほむらが座ることが、美術レベルでは想定されているのでしょうね。 *3)^ 7話以降「上條」ではなく「上条」と表記しているとの事。公式サイトも後者の表記になっていますから、おそらくDVD/BDでも後者になるものと思われます。 また、審査員4人が病院の医療スタッフと同じ顔であると書いているブログもあります。確かに左から2番目と4番目の人物が5話の病院屋上シーンの医師二人と似ていますが、残りの二人がフィルムには未登場ですので、単に設定の流用でしょう。コンテストのシーンが5話の屋上に対応する平行世界ならば、それとわかるように5話の屋上と同じ人物配置にするでしょうから。 (11/05/15) *4)^ このほむらは、まどかの事などなにも知らずにキュゥべえと契約して弓を使う魔法少女になり、駅ホームで4人がかりで魔獣と戦い、さやかが魔獣と刺し違えた瞬間に1〜12話前半の記憶が蘇ったということになります。おそらくはほむらにとって、弓を使う魔法少女だった記憶よりも、時間を操る魔法少女だった記憶のほうにリアリティーを感じているのでしょう。が、キュゥべえの指摘に「うん」と答えたように、その記憶が客観的には夢にすぎない事も自覚しています。(11/05/19追記) 次回は「魔法少女まどか☆マギカ」総評をすこし。「涼宮ハルヒの驚愕」発売前に戻らないと!
--*-- 文章を書いてみましたが、あんまり面白くなりそうに無いのでとりあえずおまけのほうを。 (→才能の枯渇について (内田樹の研究室))こちらは「才能」でぐぐったら最初のほうに出てきました。「魔法少女まどか☆マギカ」とも響きあう才能観です。 >スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。 >自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが、才能の枯渇をまぬかれることができる。 >「自分は世のため人のために何をなしうるか」という問いは、自分の才能の成り立ちと機能についての徹底的な省察を要求するからである。 >自分が成し遂げたことのうち、「これだけは自分が創造したものだ」「これは誰にも依存しないオリジナルだ」と言いうるようなものは、ほとんど一つもないことを思い知らせてくれるからである。 ”できるはずがないことができるということ”が才能であるなら、その事を自覚した人にとってそれは魔法。そして、すべてのクリエイター=魔法少女の為に、すべての才能=魔法を無意味にしないようにと望んだまどかが最大の魔力を行使できる理由もわかります 「自分は世のため人のために何をなしうるか」はクリエイターの、というよりはスーパーヒーローの言葉に聞こえます。 そのために最も苦しんできたのがまどかでした。だからこそ彼女は最強の魔法少女になれ、そして新しい世界の「ことわり」そのものになれたのです。 いつものとおり、二次創作作品の紹介。個人的に面白いと思った作品を紹介しています。あばんぎゃるどのヒトとしては、優等生すぎるとせせら笑われる事を恐れつつ。 (→おこたん:(・з・)) 見事な一発ネタです。これが面白い私も、ひょっとしてうめてんてーの策に乗せられてる? (→切符:【9話ネタバレ】次の世界できっと*) (→コドウ:最終話【杏さや補完】) 丹念に本編のあの時どう思ったか、あのあとこうなる、を描いています。 この2作品は少女漫画特有の、ツノのない長円形のフキダシが使われています。これはもともとOFF台詞や主人公のモノローグに使われていたのですが、慣れないとだれが喋っているのか混乱する事があります。この長円形のふきだしは、「どうしたか」を表現する少年漫画(青年男性向け含む)と、「どう思ったか」を描く少女漫画の外見上最も端的な違いではないかと思っています。 (→HideeNoP:マジカル○学生杏子ちゃん1) 読み終わったら上の方のリンクから「マジカル○学生杏子ちゃん2」をどうぞ。「5」まであります。本編とは違う設定で補完。 テーマがどこかに行ってしまいますが、あの悲惨な魔法少女たちが幸せになるにはと考えたとき、これが現実的な解であるのも確かです。彼女達はまだ中学生なのですから。なお、人間というものの複雑さを信じられないヒトにはフィルタを解除する事をお薦めしません。 * : 魔女が何を寓意するか、いまひとつ明確でない気がしています。そのへんについて、もうすこししたら書くかもしれません。 (11/05/24)
6話、さやかが上条邸を訪れるシーンで演奏される曲は「亜麻色の髪の乙女」とのこと。 こちらの動画(→youtube:ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女)では、ちょうど01;00あたりですね。ピアノソロでしか聞いた事がなかったので気が付きませんでした。 さやかが4話の病院での会話を思い出しているだろうと想像すると、さやかの安心した表情もより理解できるのですが、同時にそのさやかをずっと追い掛け回していただろう(→6話の感想で書きました 11/02/22)杏子が、さやかの代わりに(というか視聴者の代わりに)怒る事もより理解できます。 「涼宮ハルヒの驚愕」予想 驚愕のネタバレも始まっちゃうので予測も書いておきたい。 キョン×ハルヒはストーリー上確定しているので、やっぱり思念体×天蓋領域(というか長門×九曜)も確定なんじゃないのかな。もう一波乱あるんで無けりゃ、これでラストまで行くのがハッピーエンドでしょう。 メタ的なアプローチがありそう。いずれかの世界、もしくはだれか(たとえばミヨキチ、佐々木、またはハルヒ)がメインストーリーの誰かが描いた物語の登場人物にすぎない。という。そう考えると、分裂序盤で部誌に言及しているハルヒの態度や、古泉がキョンの思い出話の中のミヨキチに対する態度も理解しやすい。 原作「消失」の後書きは事実(作家の近況)ではなく「消失」の一部。これは「編集長一直線」と相似構造。 だとすると劇場版「消失」自体、ラストの図書館長門が書いた物語で、消失長門のPCに入っている小説textファイルはそれへの自己言及、またはそのもの。 (11/05/24) |
→2011年6月分の雑記…はトップにあります
←2011年4月分の雑記 : 「魔法少女まどか☆マギカ」10話/自主規制について。