2007年11月28日
このたび、世の人のすなるブログというものを
ためしに私も使ってみようと実験的に作ってみました。
しかし使い方がいまひとつよくわからん。
当面はそちらで更新をすると思いますので、よろしければのぞいてみてください。
タイトルは相変わらず「よしのずいから天井をのぞく」。
2007年11月20日
コドモが生まれた当初、3キロほどの彼を持ち上げて
抱っこしたり、授乳したりするたびに
重い重いと思っていた。
首も据わらず、体もぐにゃぐにゃだったので
それを支えるためにいろいろなところに力が入っていたせいもあるだろうが
主に手首が腱鞘炎になりそうだった。
それがいまでは、8キロ超(推定)のヤツを抱えたままで
立ったり座ったり
片手で抱っこしたままもう片方の手で何か取ったり作業したり。
時には片手抱っこのまま20〜30分も電話していたりする。
忍者は跳躍力を鍛えるために麻を植えたという。
毎日その植えた麻に身体が触れないように飛び越す訓練をしたのだと。
麻は生長が早い。
その生長に合わせて毎日少しずつ跳躍の高さを増していくと
最後にはすごい高さまで飛べるようになるのだという。
(右足が落ちないうちに左足を前に出し…で空中が歩けるようになる
というハナシとどこか似ているが)
少しずつ重みを増すコドモを抱っこする自分に
そんなハナシを思い出した次第。
* * * * *
子供が生まれて生活が一変し
子供の世話にかかりきりになった母親は「社会から取り残された」感覚に襲われる
ことが多い。
私もそうであった。
最近でこそ、保育園に通わせたり、多少なりとも翻訳をしたりして
外の世界と接触ができてきたので、それはそれなりに楽しくもあり
忙しくもあり、多少の充実感もある。
「取り残された」感は薄れてきたが
それでもなくなったわけではない。
ときたま、ゼミの仲間の留学生から電話がかかってきたり
論文の日本語直しを頼まれたりする。
あるいはメーリングリストやインターネットなどで
シンポジウムやら学会やら勉強会やらイベントやらの情報に出会ったりする。
そんなとき。
駅の階段にたとえてみると、こんな感じ。
要領悪くやることの遅い私は、階段を登っているつもりだった。
コドモが生まれて、踊り場に出て、そこからちょっと脇のドアを開け、
部屋で一休み。
久しぶりにドアを開けて、もう一度階段を上り始めたが、
背中には8キロ超のコドモを背負っていて、以前よりも足取りは重い。
一足飛びに昇っていたときには見えなかったものが見えたりもするのだが。
肩や腰も痛くなれば、息も切れる。
ふと横を見るとエスカレーターが並行して流れていて
以前一緒に歩いていた人たちが皆それに乗って
ある人たちは動くエスカレーターをさらに歩いて昇っている。
私の横をどんどんと先に流れていく。
そんな感じ。
2007年11月15日
わが息子、絶好調。
朝目覚めるのとほぼ同時に視界に入ったモノに突進(ハイハイで)。
狭い我が家の中には危険も(バッチイところも)いっぱい。
そんなわけでしょっちゅう強制退去。
保育園でもひたすら動き回り、電池が切れて力尽きるまで動いているらしい。
連絡帳によれば、テーブルの下で力尽きて救出され、そのままお昼寝に突入したりしているらしい。
ハハは、疲れ気味。
抱っこやおんぶ、家の中での「強制退去」といった力仕事に加え
(保育者はそれを日々の仕事にしているのだから頭が下がる)
毎日、時間とのたたかい。
わずかな時間で翻訳もこなさねばならない。
必死です。とうちゃんをないがしろにしている気がしないでもないが
大人のひとには自分のことはもちろん、ほかのこともいろいろやってもらわねば。
それにしても、このところ疲労感があるなあ。
最近でこそ、NHKの朝ドラを楽しむスキができてきてはいるが
朝は保育園に行く支度をしながらだし。
ぼーっとすることがめっきり減った。
常に段取りを考えながら時間を気にしながら何かしている。
もともと要領の悪い私には、なかなか大変なことなのである。
そして、思えば、出産以来8ヶ月余り、一夜を通しで眠った日がない。
ひところは、コドモも4〜5時間まとめて眠ってくれるようになったので
ハハも助かっていたのだが
このところ「知恵がついた」せいなのか、1時間半おきくらいに目を覚ますことがよくある。
正確には本人は目を覚ましていないのかもしれない(目をつぶったままのこともある)が
モゾモゾと布団から這い出したり、エーンと泣き声をあげたりするので
それに対応せねばならない。
本人は別にお腹がすいたりのどがかわいたりしているわけでもなさそうで
大して飲むわけではないのだが
おっぱいをくわえると安心するらしく、眠りにつくのである。
それはまあいい。
いっときのことだろうから、つきあってあげる。
でもね、頼むから、
おっぱい飲みながらハハの鎖骨を
爪をたてて力いっぱいわしづかみにするのはやめて。
視線の先にあるし、ほどよくでっぱっているし、
つかみたい気持ちはわからないでもないけれど
本気で痛いのよ。
2007年11月14日
アメリカと朝鮮の関係についての記事の見出しを見るにつけ、
上方落語の重鎮を連想してしまう私。
その昔、NHKを見ながら、
「大手」という企業グループがあるのかと思っていた私。
(「大手スーパー」「大手デパート」)
「山田洋行」は会社名だが、世の中にはこういう名前の人もいることだろう。
それはともかく。
NHKの「防衛商社」という表現はなんとかならないものだろうか。
意味がわからん。
取引先は防衛庁(省)かもしれないけれど
それに合わせて表現を自主規制(?)する意味がどこにある。
朝日その他のメディアの表現「軍需専門商社」が一般的に通用していることばだと思うのだが。
みなさまの、日本語の、NHKが、こんな「新しい用語」を多用していいのかしら。
ことばおじさーん。日本語がたいへんですよー。
2007年11月9日
政治の世界では、また民主党がごたごたしているようで…。
それにしても、このたびの「大連立」という話題を聞いて
私などは「ほれみたことか」と思ってしまった。
基本政策では大きな違いのない二大政党が
政権だけやり取りすることにどんな意味があるというのでしょうか。
そんな二つの政党は、ある局面にくれば手を結ぶことだってありうる。
その他の選択肢を残さないでおいたら、あぶないあぶない。
政策をおいといて、政権とることが政治だと思って
力学だけで考えてたら、世の中どうなっちゃうのでしょうかね。
神奈川県では、知事の任期を制限する条例を可決したとか。
多選が腐敗のもと、というのは真実かもしれないけれど
それは選挙のときに有権者が投票の形で判断すればいいことじゃないのかしら。
政治参加の権利をわざわざ制限するしくみをつくってどうする。
そんなことより、みんながちゃんと判断するための材料が
充分行き届くように選挙制度を整備したほうがよほど有益なのではないでしょうかね。
ビラに候補者の名前が記載できない(判じ物か!と突っ込みを入れたくなる)とか
選挙期間になると急にポスターが制限されるとか。
* * * * *
少し前、われながら何を思ったか、
父親である幸田露伴の思い出を書いた幸田文の作品を読んでいたところ
幸田露伴は酒飲みでもあったがえらく教養のある人だったらしいということがうかがえた。
中国というのは、ウソかホントかよくわからないが歴史にまつわる逸話の実に多い国であるようだ。
そういう逸話を題材に、いろいろ作品を書いたのが幸田露伴だとか。
今読んでいる本(清朝の歴史に関するもの)に、そんなことが紹介されていた。
幸田露伴の教養とは、そういうものだったのか、と感心。
教養のない私は、ちっともしらなんだ。
* * * * *
テレビで「あいのり」という番組があるそうだ。
見たことはないが、存在はなんとなく知っていた。
それがこのたび、舞台をモンゴルに移したとか。
テレビ欄の紹介文は、こんな感じ。
ラブワゴンは、モンゴルの大草原を走り、テレルジから西へ移動する。メンバーは馬に乗って近くの丘まで出掛けた。茶葉はこの時こそと鉄平を誘う。そして30分ほど馬に乗り、鉄平はふと、ねこの姿が見えないことに気付いて捜そうとする。翌朝、ねこが鉄平を呼び出して何かを渡した。そして茶葉は、鉄平とねこが2人でゲルに戻ってきたのを見る。ねこと茶葉の争いはさらに激化する。鉄平は仕事と恋愛のはざまで苦しむが、この後さらに恐ろしい修羅場が待ち受けていた。
「ラブワゴン」「テレルジ」「ゲル」「修羅場」
この単語の取り合わせに、なんともいえぬおかしみが漂っていますな。
2007年11月1日
11月に入りました。
10月はコドモと自分の発熱と風邪で終始した気がします。
ようやく平穏な日常が戻ってきたかな(内心、いつぶりかえすかとハラハラ)。
朝起きて、コドモを保育園に送って(ついでに授乳して)
戻ってきて1時間強翻訳やって、お昼前に保育園に行って授乳、
戻ってきて自分がお昼食べて、集中して本読んで
2時半におむかえにいって授乳して
帰ってきて洗濯物とりこんでコドモを遊ばせて
少し寝かして夕飯のしたくして
夕飯食べてお風呂に入れて授乳して寝かす(でも寝ない!)
の日々。
なにしろ、1ヶ月近く患っていたおかげで
離乳食が進まないこと。
(広告や雑誌の紙を食べてるヒマがあったら普通の食べ物を食べてくれ。)
哺乳瓶を「ニセモノ」と見破るだけの知恵がついているため
ホンモノでないと受け付けてくれない。
そういうわけでハハは「おっぱいの出前」に通わねばならない。
コドモの人生はこれから長いのであわてることはないと思いつつ
ハハには時間がないのであるよ。
2007年10月17日
今度の朝ドラ、けっこう面白い。
大阪局制作の下半期作品は、こてこてに偏ったキャスティングによる
大味な出来のものが多いのだが
今回はそうでもないかも。
ちかごろの朝ドラのタイトルバックは、空から撮影した風景かCGがおきまりとなっており
今回もまたCG。
ではあるが、配色といい、和風の絵柄(文様)といい、私好みである。
和久井映見も天然ぶりがよい。
(主人公の母親役、という点にはいささかショックと感慨を覚えるが)。
松重豊がお父さんというのも、意外でよい。
主人公の叔父(伯父)がフラフラしたお調子者、というのもよくあるパターンだが
京本政樹が若作りしてがんばっているのもよい。
そして主人公の、自信なさの余りに過剰に悪くふくらむ、
あるいはその裏返しとしてやはり過剰にふくらむ、一足飛びの「素敵な自分」実現
という妄想。
いやー、ちょうどあの年頃の自分を見ているようで、いたたまれない感じが素敵。
彼女はそれでも「変わらねば!」と一念発起したところで、
ただの凡庸な人からドラマの主人公となりえているわけだけれども。
でもこういう若い女の子の自己実現のための模索という話は
全国的には(とくに「どんど晴れ」的なセンスを好む高齢のNHK視聴者には)
ウケが悪いのかもしれない。
そして舞台が大阪に移ったことで、
やはりおきまりのこてこてかつ大味なドラマになるかもしれないけれど。
朝ドラで「落語」といえば「水色の時」が思い出される。
あのときは小さんが出演していた覚えがある。
最近では某民放ドラマでも落語をネタにしたものが好評だった。
企画時期を考えると、そのブームにのった、
ないし意地悪く言えばパクリという気もしないではないが
今回は上方落語、ということで、また別の味わいがあるかもしれない。
* * * * *
ハナミズが止まらない。
例年の花粉症をしのぐ勢いでティッシュが消費されてゆく。
ハナミズで水分が体外にでているせいでもあるまいが、やたらとのどが渇く。
そしてここ2、3日は嗅覚もほとんどはたらかない。
匂いがほとんどわからない。
何を食べても風味がしないので、味気ないことこの上ない。
匂いのしない納豆なんて、ただの粘る豆である。
菓子パンは、匂いをとりのぞくとこんなに味付けがきつかったのかと気づかされる。
野菜と果物のミックスジュースを飲んでも、甘ったるいだけ。
* * * * *
朝日新聞の「天声人語」の書き手が代わってしばらくたつ。
今の書き手の人は、どうやらネタを書物から起こすのが好きらしい。
最初は博学だなと思って読んでいたけれど
こうも毎日古今東西の書物や名言の引用からはじまると、食傷気味。
少しは自分で直接見聞きしたこともネタにしなさいよ、という気分になる。
2007年10月16日
風邪、継続中。
その後、コドモと一緒になって発熱し、動けなくなっておりました。
すぐに治るとおもいきや、コドモが高熱を出し、私も負けず高熱。
しかもそれが何日も継続。
すっかり声変わりしてしまった。
さらに夫にも感染。
ハナミズとのどの腫れをきたしているらしい。
鼻がつまるので、夜良く眠れないらしい。気の毒に。
それでもとうちゃんは発熱しておらず、ゴハン作ったりその他コドモの世話や家事など
いろいろやってくれて助かった。
小児科の先生も、発熱と風邪症状がこんなに続いたことに、首をかしげていた。
コドモの方はおかげさまで熱も下がり、結構元気に保育園へ行った。
このところ急に気温が下がったので、保育園でも風邪が流行っているようだ。
ハナをたらした園児が何人もいた(元気に遊んでたけど)。
ハハはまだだめ。微熱が下がりません。
もともと扁桃腺が弱く、すぐに発熱するタチだったが
ここまで悪化して回復しないというのは、しばらくなかった。
コドモがいると、授乳やらその他の世話やらがあるので
ゆっくり休めないのも原因の一つだろうが
根本的には、やはり「トシ」のせいなんじゃないだろうか。
2007年10月10日
風邪を引いた。
保育園に通う子を持つ人が「子どもの風邪がうつった」というのをよく耳にしていたが
まさにそれである。
保育園でコドモがもらってきた風邪を、大人がもらう。
子どもの風邪とあなどっていると、大変な目に会う。
授乳中なので、勝手に薬を飲むことも出来ない。
お医者さんには「赤ちゃんに影響のない程度の弱い薬を出しておきますから
あとはがんばって」とのお言葉をいただいた。
がんばれといわれても。
2007年10月1日
そうか、今日は都民の日か。
いやに街中に小学生がいると思った。
カッパのバッジがなつかしい。
* * * * * *
簡単に言わせてもらえば、
そもそも、大相撲を「国技」なんていって天皇賜杯なんかかかげて
権威づけようとすることはない。
興行だと割り切ってしまったほうがよいのではないでしょうか。
競技人口がこれほど少ないものが「国技」なのだろうか。
自分でやるのでなくとも、よほどの愛好者でなければ
横綱、大関以下の地位(序ノ口まで)のランク付けやその他のならわしが知られていない
それを「国技」といってよいのだろうか。
みんな、なんとなく知った気になっているかもしれないが、
野球やサッカーの競技人口(学校の部活や地元のクラブチーム、実業団、草野球、草サッカー、
それに組織だっていなくても日常的に自然発生的に遊びとしておこなわれるものを含めて)や
プロ野球の1軍、2軍、あるいはサッカーのJ1、J2などの成り立ち、
ドラフト会議といったシステムなど、その「業界」についての一般人の知識量と
お相撲に関するそれとは、比べ物にならないだろう。
「国技」という看板だって、所詮は明治以降、「国技館」ができて以来のものだし、
天皇賜杯だって、昭和天皇の皇太子時代に、協会がお願いして実現したもの。
昭和以降のものなのである。
興行を「国技」としてもったいづけるから、話がややこしくなる。
詳しいことを知らない人びともそのもったいづけを鵜呑みにして幻想をもち
ナマハンカな知識であれこれ言うから、さらにややこしくなる。
それにしても、このところの騒ぎに対するコメントを寄せる「元力士」たちの姿も
別の意味で興味深い。
彼らの「常識」と一般人とのずれ
コメンテーターとして登場する「元力士」の顔ぶれ
など、いろいろと考えさせられる。
維新力が自分の親方(故・大鳴戸親方/元高鉄山)のことを語ったりして。
それはまた別の問題とのからみでさしさわりないのだろうか。
* * * * *
このたび、ミャンマー(ビルマ)入りしたナイジェリア出身で国連事務総長の特別顧問の人は
イブラヒム・ガンバリさんというのだそうだ。(今日付の朝日新聞で見た)
「ガンバリ特別顧問」。
なんだか、一生懸命やっている感じ。
(なんて言っている人、たくさんいるんだろうなあ)
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