オーディオ雑記帳
原子力発電は必要か?
「電気がなくなったら困る」、「昔のような生活には戻れない」、そうかもしれません。
温暖化の問題だけで言えば、火力をやめて原子力、という話でいいのかもしれません。
でも、原子力を使い続けることで、未来の子供たちがこの地球に住みにくくなるとしたらどうでしょうか。
私の原子力に対する心配は、事故の問題と、作り出される放射性物質の管理の問題の2つです。
チェルノブイリの事故では多くの人が亡くなり、半径30kmの範囲で人が住めなくなったそうでが、
事故後30年たっても人が住めるようになったとは聞いていません。
事故が悲惨だと思うのは、子供が先に犠牲になるということです。子供の成長をつかさどる甲状腺に
放射性ヨウ素が入り込むことによって、甲状腺がんになりやすくなってしまうのだそうです。
原子力を使うと、もともと自然界には存在していないようなさまざまな放射性物質が生み出されること
になります。
半減期(放射能が減衰する目安)は様々で、上記ヨウ素は数日間ですが、長いものでは数万年から、
45億年というものまであるそうです。つまり、放射能を出し続ける長い間、それらは適切に管理され
なければならないということです。
地中深くに埋めるとしても、地殻変動や火山活動は数万年単位で大きな活動があったりする
ので、人類が生きている間本当に安全かどうかは保証がないと思います。
これらの管理を未来の子供たちに委ねる、ということを、たかだか100年くらいで獲得した私たちの
便利さに対する代償とするのは、あまりにも不釣合いな気がするのです。
だから、原子力はなるべく早急にやめて、温暖化対策は太陽光などを増やす、という方法のほうが良いと
思います。
ただ、もう少し素朴な疑問もあります。そもそも、今のような電気に頼った快適な生活は、未来の
子供たちのためになるのでしょうか?
太古の昔から、積み上げてやっと獲得した人間の能力なのに、電気が使えるようになってから
(産業革命以降?)何か大事な能力が急速に失われたりしていないか心配です。
・・・・
これを書いている間に、NHKスペシャルで「原発解体」というのをやっているのを見ました。
原発の解体や廃棄物処理作業の、なんと非生産的なこと!
自分の子供には絶対こんな仕事はさせたくないと思いました(実際の作業従事者の方、気を悪くされたら
すみません。感謝しております)。
このようなことを未来の子供たちにほぼ永久的に課すというのはいかがなものでしょうか?
たとえ電気はなくても自らくわをふるい、自然の中で自然の恵みを得て生活する方が幸せだったりしませんか?
つい100年前の私たちのように。
現在作り出される電力のうち3割ほどを原発が担っているといいますが本当でしょうか?
柏崎が地震で止まってもなんとかなっているように見えるし、浜岡が止まってもなんとかなっているように見えます。
その分火力を回したんだよ!ということかもしれませんが、火力発電で排出されるCO2は問題なのに
高速道路土日祝千円化で余分に排出されたCO2は問題にならないのでしょうか(ほんとに無料化するの?)?
温暖化も原子力も未来の子供たちのために良くないのだから、電気(や化石燃料)を使うのを我慢する、
という方向になぜ行かないのでしょう?(といいつつ私自身ちゃんとと取り組めているわけではありませんが・・・)
必要なら、給水制限ならぬ給電制限のようなものがあっても良いはず。そのほうが本気で社会も企業も家庭も
考えるはず。太陽光等への転換も急速に進むはず。
産業だ国際競争力だ国力だとかいったことを重視すれば、こういうことはやりにくいのかもしれません。
でもNHKスペシャルで示唆されていたように、原子力を使い続ければ、そんなものは逆に吹っ飛んでしまうん
じゃないでしょうか?
日本のことだったかドイツだったかイギリスだったか忘れましたが、原発の解体処理費用に当初7兆円を見込んで
いたものが、11兆に膨れ上がってしまったとのこと。
作ってしまったものですからどうしても払わなければならないものですが、これだけあったらどれだけ太陽光を
普及できたことか。
原子力を使い続ければ、新たに作れば、もっともっとこの費用(なんとも非生産的な)が膨れ上がっていくこと
になりますよ!
このまま原子力を使い続ける、新たに原発を作るということは、これに携わる人も増やすことになり
ます。その人達は、職にありつくことはできるかもしれませんが、自分が浴びる放射線の量に日々おびえながら
作業をすることになります。今廃棄されている廃棄物は、今でこそ厳重に管理されているかもしれませんが、
長い間にはドラム缶も錆びてきたりしますよね。それでも放射線は残っている。それも管理し続けなければならない
わけです。
そして作業者やその家族、周辺住民等に健康被害が起こったとしても、おそらく「直接の因果関係は認められない」
とかいって救済されないというのがオチです。救済されるとしても費用の問題で国民は圧迫されていくのです。
放射能はそう簡単には消えてくれませんから。
どう考えても、私には、「原子力を使った明るい未来」というイメージは湧いてきません。
原子力が生み出す「不都合な真実」にもちゃんと目を向けるべきだと思います。
人は何のために生きているんでしょう?
いきなりなテーマで申し訳ありません。直接的な回答ではないかもしれませんが、これに対する
私なりの答えは、「人は生きるために生きている」=「未来の子供たちのために生きている」です。
これは、長男を授かって胸に抱き、その温もりを感じた時に感じた、なんともいえない充足感のようなもの
から得た結論です。「あぁ自分はこれのために生きていたんだ」と。
「生命」の定義もそういうことです。あらゆる生き物は、生まれて、生きて、子孫を残して、死んでゆく、
それを数十億年の昔からひたすら繰り返しています。いろいろあってもやっていることは結局それだけです。
そして地球上のあらゆる人は、人種が違っても結婚すれば子孫を残せるひとつの種です。
そう考えるようになってから、私は、国家にしろ、宗教にしろ、純粋な命の営みそのものから離れた、
文明的なものに人の命が左右されることに、さらにむなしさを覚えるようになってきました。
せっかく人間が獲得した知性ですが、なんか間違った方向に使ってるんじゃないか、と思うのです。
世代の連続性
今回は教育論?などをひとつ。
数年前に、田舎の小学校に金管五重奏の演奏をしに行ったことがありました。児童は1年生から
6年生まで十数人という感じでした。熱心に聴いてくれて、最後に上級生から順に一人ずつ感想を
言ってくれたのですが、まず上級生の感想が曲の内容にまで踏み込んで立派だったのですが、
それが一年生でも、途中で上級生に励まされながら、でもなよなよせずに、しっかり発言できて
いたのには驚きました(内容も上級生と同じとかではなくちゃんと自分で考えたもののようでした)。
なるほど、このような、上の子も下の子も常に見ている、見られている状況なら、自分の見本は
身近にいるし、下級生が困っていたらすぐアドバイスできる。目標はクラスで1番になることで
はなく、最上級のお兄さんお姉さんのようになること、となるでしょう。
何をするにしてもクラス単位が基本の普通の都会の学校だったら、目標は成績で言えばクラスで
上位に立つこと、上位に行く見込みがなければ平均並であること。生活面ではクラスの仲間から
変な目で見られたくない、仲間はずれにされたくない、というのがもっぱらの懸念事項だったり
するのではないでしょうか。だから細かい点数や細かい違いを気にして、少しでも勝っていると
思えば優越感に浸り、少しでも変だと思えば仲間はずれにしたりいじめたりする。
中学生や高校生になると部活動で先輩後輩という関係ができますが、先輩のほうがより上手で、より
知識があったりするのは当然として、それで先輩が威張りくさったりする意識はどこからくるので
しょう?
これも普段はクラスで成績のことなどでストレスがたまっていて、部活動で下手な後輩が現れると、
ここぞとばかり優越感に浸りたくなるのでしょうか。
中学生や高校生は3年の幅しかありませんが、もし、最上級生よりもさらに上級生がいたら、最下級生
よりもさらに下級生がいたら、自分が獲得した能力を、威張る、ということに用いずに、下には指導する、
上を向いてさらに向上する、といった方向に向けられるのではないでしょうか。
大人の社会でも似たようなことがあるように思います。
大学生まで同世代の仲間だけでの社会性があれば済んだのに、社会人になって急にある年代的な幅の
ある大人社会に入って戸惑ったり、恋愛には夢中になるけれども精神が大人にならないまま突然親に
なったりして戸惑ったり、世代の連続性が希薄なために戸惑うことがいろいろありそうです。
大昔の社会なら、大人たちも子供たちもよく見える、見られる環境にいて、大人たちが働く姿を子供たち は見ていたし、年相応に手伝いもしてきた。自分が成長していく中での見本(自分より少し先に成長して いくお兄さん姉さんたち)も近くにいて、見る、聞くことができた。
現代の子供たちにも、希薄になっている(と思う)世代の連続性を補ってやることはできないか、
と思います。
そういう意味では、いま私の地元で続けられている「お祭り」に参加できるのは良いことだと思って
います。
カナル型イヤフォンの謎
所属するオーケストラの練習録音用(自分の音程やバランスのチェック用)に、ポータブル録音機を
購入し、たまに使用しているのですが、練習現場のうるさい環境でモニターするのには
目立たなくて遮音性のよいカナル形イヤフォンが良いのではと思い、SHUREのE2C-Nというものを購入
して使用していました。
ところが最近左chの調子がおかしいことに気づきました。左のイヤフォンのハウジングを指で触ると周囲音
の音色が変わるのです。接合部で空気でも漏れているのでないかと思い接着剤を注したりしてみましたが
変化なし。原因不明のままなのですが、とりあえず代替器を購入することにしました。
候補はいくつもあったのですが、ある意味思い切って国内メーカの廉価器、オーディオテクニカATH-CK32に
しました。
Web上の評判は廉価器としてはまあまあのようでしたが、「イヤーチップをSONYのEXチップに交換すると良い」
という情報が気になったので、これも購入し交換を試してみました。
「おお、確かにぜんぜん違う。EXチップのほうが密度が上がる感じ。」と悦に入っていましたが、ここでさらに
好奇心、「E2N-Cのチップは使えないだろうか?」ということで、取り付け部形状が違うのを無理やり付けて
みました。
最初は厚手の黒のMを試しましたが、低音の量感が格段に増し、ここでも違いに驚きました。
ただ低音の質はちょっとダルくなったので、透明のMはどうかと思い試してみました。こちらのほうは低音は
少しすっきりしてしまいましたが、全域で解像度が増し、よりモニター調になりました。
一応これで決定したのですが、これならある面ではオリジナルE2C-Nの音質を超えていると思いました。
イヤーチップでこんなに変わるんだった国内メーカーもこの辺をもっと真剣に取り組んだら良いのに、
と思ってしまいました。
なお、上記したようにE2C-N(SHURE)とATH-CK32(オーディオテクニカ)のイヤーチップの取り付け部形状は
異なります。追試は勧めませんがされる場合は個人の責任でお願いします(イヤーチップが耳に入ったまま
取れなくなったりしても知りません)。
近況・・・
いつのまにか二児の父になり、子供中心の生活になっています。
オーディオ工作としては、昨年(2006年)TangBand の記事を載せてからは、
スピーカのほうは「唐傘」の中高域、スコーカとツィータをいじっています。
これはそのうち記事にしたいと思っています。
アンプのほうも、トランスインピーダンスアンプの入力部のバッファを、FETからTrのダイアモンドバッファに
してみる、という実験を少し行ない、よさげな感触までは得ましたがなかなか進んでいません。
子供を持つといろいろ興味や関心を持つことが変わります。いまは例えば「鉄」でしょうか。なんとなくですが
以前に比べて鉄道関係の話題、情報って多くないですか?
あとはやはり環境問題ですね。温暖化もそうだけれども、私としては
「原発」がとにかく怖い。
ひとたび事故になって放射能が漏れれば、最初に犠牲になるのは子供たちです。処分できずたまる一方の
放射性廃棄物の問題や、実際に起こったチェルノブイリの事故や日本での事故隠し、等、
人類が原子力をコントロールできているとは到底思えません。
唐突ですが、人はなぜ生きているかといえば、それは他の生き物と同じだと思います。あらゆる生き物たちは、
ひたすら生きて、子供を生み、育て、死んでいきます。それだけです。
わたしも子供ができて思うようになりました。人間も、子供を持って育てることに、一番の幸せ、充実感が得られるよう
にできているのだと。
今の世の中では、その一番大事なものが見えなくなりがちで、手段が目的と入れ替わっているようなことが多いように
思います。
せめて、子供たちが生きていける環境を残していくことが、自分たちの使命だと思います。
極論ですが、例えばオーディオ工作ができなくなってもいいから、原発はやめて欲しいです。温暖化もダメだから
火力もこれ以上は増やさないで。昔みたいに頻繁に停電が起こるようになっても良いです。そのほうが
みんなが太陽発電とかに移行する気になるし、企業の省エネ意識や危機管理能力も上がるのではないでしょうか。
子供たちに、今の経済第一主義のツケを回すのは、もういい加減にやめませんか?
どうせ経済発展と環境の両立なんてできないと思います(間に合わない)。いろいろと不便になっても、
次の世代のために環境のほうを採らなくてはならない。もうそういう段階に来ているのだと思います。
「大仏」を・・・
無理やり6畳間に押し込んで、数年来拝んできましたが、結婚してからというもの、めっきり拝む機会
が減ってしまいました。
また、アンプをいじってそれなりにアンプの音質が向上(自己満足ですが)してくると、音の満足度に対
するスピーカとアンプの比重がアンプの方に大きく傾いてきました。スピーカを変えることによって音
色は大きく変わりますが、音質という面ではアンプの影響も大きいと思います。
ということで、「大仏」が、自分にとってかなり大げさなものに思えるようになってきてしまいました。
今後、もしかしたらマンションかマイホームを持とうとするかもしれないけれど、果たしてホームシア
ターはやりそうにないし、「大仏」(というよりFE-208ES)の能力を十分に発揮できる環境を作れるか、
というのがはなはだ疑問に思えてくるようになってしまいました。
つまり「大仏」も手放してしまおうか・・・と悩んでいるわけなんですが・・・
聴く機会が減っても新作は作りたかったりするんですよね(爆)。
しかし実際問題引き取り手は付くんだろうか・・・箱は捨てるしかないのかな(粗大ゴミ)・・・
こりゃ一苦労だな・・・ぶつ仏・・・
長岡鉄男先生亡き今
今年の「stereo」誌7月号の長岡先生の遺作の記事、あれでは少し物足りないです。もう少し頑張れば、
残された図面から、設計パラメータ(バックロードなら空気室の容積、絞り率、広がり率、ホーン長
など、他にもユニットの特性、ネットワークの特性などなど)を洗い出し、もっと先生の設計意図を
深く理解することもできたはずです。スペアナ測定をして、読者に音をもっと想像してもらうこともできた
はずです。雑誌社にはそれができる人はおられなかったのでしょうか?
そもそも、長岡鉄男先生がいなくなって、今後の自作スピーカの世界はどうなるのでしょうか?
私の希望としては、長岡先生とまったく同じやり方でなくてよいから、さまざまなアイデアにあふれた作品を
継続して発表してくれるライターが出てきて欲しいような気がします。そこで重要なのは、わかりやすい
設計ポリシーと、結果の説明でしょう
アマチュアの自作スピーカマニアは、まだままだいっぱいいますから、その中から製作記事を発表するような
人が出てくるのもいいと思います。その中にはごく初歩的なものから、高度な設計手法や測定手法を
使ったものまで、さまざまあるでしょう。それはそれでよいと思います。どちらもある方が、自分のレベル
に合わせてそれらを参考にできます。
違う話になりますが、個人的には初心者からでも使えるスピーカ設計の教科書が出て欲しいと思います。
イメージとしては長岡先生の計算式をTSパラメータに置き換えたくらいのもの。
その上級編として、その計算式の元の大体の理論やf特のシミュレーションくらいまで踏み込んだものも欲しい
と思います。ネットではちらほら見かけますが、どなたかまとめて出版したりして下さらないでしょうか。
長岡鉄男先生ご逝去
去る2000年5月29日、長岡鉄男先生が肺炎のため亡くなりました。ここをご覧になっている方には
あえて申すまでもなく、とても偉大な方でした。
先生のモットーは「見る前に跳べ」で、泉のように湧いてくるさまざまなアイデアを、中には「こんなの
いい音するとは思えない」というものでも、本当に変な音しか出ないのか?どんな面白い音
がするか?どんな特徴が出てくるか?ということで、とにかく作って、形にしてみて、それを測定した
り、試聴したりしていく中で、特徴的なもの、本質的なものを探っていくという姿勢だったように思い
ます。
雑誌に掲載されているコラム的なものを見ても、歴史的、世界的な多様性を挙げて、その中にある
本質を見出そうという姿勢を感じました。
オーディオにかかわらず、どんなものでもメリットもデメリットもあるものとして捉える視点も、私にとっ
ては大変勉強になりました。
まだまだいろんな作品や文章を拝見したかったです。謹んでご冥福をお祈りします。
きつさ・冷たさとの戦い
私がオーディオで求めている音は、滑らかで、明るく、あたたかい、高解像度の音です。
スピーカやアンプ、DACを自作したり、ケーブルを代えてみたり、レイアウトを変えてみ
たりして、求める音になるよう近づけてきたつもりです。
しかし、何かを変えた直後は良くなったと感じても、時間を置いて、改めて聞くとなんか
まだ冷たいな、とかきついな、とか思うことがあります。これは、「変えて良くなった」
というのが勘違いだった、ということもあるでしょう。「聴覚の調子」(下に掲載)に関係
した部分もあると思います。
が、「本当に良いオーディオは、やはりいつ聞いてもいい音で聞こえるのではないか?」と
考える部分もまたあります。あるいは、自分のオーディオを聞いて、冷たい、きついと感じる
時間が少なくなっていく、というのが、自分にとって音が良くなっていくということなのかも
しれません。
ごく最近では、T型(抵抗式)ATTを使用したアンプを導入した時そんな感じがしました(まだ
本物かどうかはわかりませんが)。自分としては、今までだと、金田アンプを導入した時が
最大の転機だったのではないかと思います。
とはいえ、まだまだ先は長いんでしょうねえ。まあ、じっくりゆっくり楽しむことにしましょう。
最近、あまりオーディオを聞かなかった。その最大の理由はメインのDAコンバータを
貸し出していたからです。で、昨日それが帰ってきたので、夜、ヘッドフォンでそれ
をちょっと聴いてみました。音源は坂本龍一・ヴァージントラックス。
すると、気持ちの悪いくらいの音像の定位感。ヘッドフォンですので、頭中定位なの
ですが、聞こえ方が以前同装置で同CDを聞いたときとぜんぜん違っていました。
実は、これも私にとってはよくあることで、しばらくオーディオを聴いていないで
久しぶりに聞くと、やけに細かい音が聞こえる。しかし全体の聞こえ方はしっくり
こない。やはり、分レベル、時間レベル、日レベル、週レベルとか、それぞれに
聞こえ方の「慣れ」みたいなものが、体調や環境とも関係して、あるのかなあと思
っています。
さらに、こういう経験は楽器演奏のときにもありまして、毎週オーケストラの合奏に
同じように参加しても、自分の音や周囲の音が違って聞こえます。遠くに聞こえたり
近くに聞こえたり、鮮明に聞こえたりこもって聞こえたり、うまく聞こえたり下手に
聞こえたり(^^;;)。
もちろん、不都合というほどのものでもないのですが。
ところで、このホームページも8月にオープンして1000アクセス。ありがとうござい
ます。メールを下さったみなさん、ありがとうございます。私もそろそろまたなんか
作りたいなあ。ホームページの一新も考えようかなあ。
今後ともよろしくお願いします。
真空管だから音がいいのか?半導体だから音がいいのか?バックロードホーン
だから音が悪いのか?直接放射だから音がいいのか?リヤダクトだから音がいいのか?
紙コーンだから音がいいのか?DDDSだから音がいいのか?
回路がシンプルだから音がいいのか?金田式だから音がいいのか?終段NO-NFBだから音がいいのか?
OSコンだから音がいいのか?UHC-MOSだから音がいいのか?
ノンオーバーサンプリングだから音がいいのか?オーバーサンプリング・ディジフィルだから音がいいのか?
抵抗I/Vだから音がいいのか?オペアンプI/Vだから音がいいのか?
アナログだから音がいいのか?ディジタルだから音がいいのか?
原波形に忠実だから音がいいのか?歪み率が小さいから音がいいのか?
理論に矛盾があるから音が悪いのか?素子を適正に使っていないから音が悪いのか?
理論が正しいから音がいいのか?理論が間違っているから音が悪いのか?
聴覚とは?聴覚心理とは?主観とは?
自分が音がいいと思えればいいのだけれど。趣味のアマチュアオーディオ工作なのだから。
自分で作ったものからいい音が出たら、他人に聴かせてみたくなるけれど、その人がいい音と
思ってくれなくてもしかたない。趣味のアマチュアオーディオ工作なのだから。
完璧な理論のスピーカー、アンプ、DAコンバーターとか、作れる人がいたらぜひ製作記事を発表
して欲しい。金銭的、技術的に作れないものは作れないけれど。それを自分が作って、音がいい
と思うかどうかは聴いてみなければわからない。
昨日試聴会がありました。試聴会といってもオーディオのではなく、私が所属しているオーケストラの
先日の演奏会の録音の試聴会・反省会でした。
なぜか機材は私が持参することになり、スピーカはDDDS5のバスレフ(作品履歴・スピーカ編の16)、
アンプはリファレンスの金田式を持参しました。スピーカは本当は同僚から借りた大型アンプ内蔵を
使いたかったのですが、悪天候で断念しました。音源はDATで、これは別の人が持ってきました。
試聴に使ったのは実は公民館の料理教室で、30畳くらいの部屋を1/3に区切るようにカウンターがあり、
そこにスピーカを置きました。ですからややライブ過ぎたり、音を聴く条件としてはいいものではありま
せんでした。
ここから感想なのですが、DDDS5はそう高能率ではないし、アンプも30〜40Wしかないはずなので、音量
に不安があったのですが、一応歪まずにすんで安心しました。アンプもスピーカも壊れなかったし(^^;)。
驚いたのはDDDS5にしては小型のバスレフから、ティンパニとかベースとか、ものすごい量の低音が出る
のを再認識したことです。もちろん低域の解像度はそう良くはありませんでしたが。聴いていたほかの
人からも、「こんな小さなスピーカからよく出るね」と言われました。DDDS5については大き目のトール
ボーイのバスレフを作ってぜんぜん低音が出なかった経験があるので不思議です。このスピーカについて
は、もうちょっと大きくしたらとか、箱鳴りを押さえるよう板厚を増やして作り直したらどうなるかとか、
まだ興味は尽きないです。
もう一つ再認識したことがありました。「耳は慣れる」ということです。約2時間ぐらいの試聴でしたが、
最初と最後では自分の聞こえ方にずいぶん差がありました。ずいぶんシビアな聴き方をしていたら(別な
意味でも)、最後の方では細かい音がよく聞こえるようになり、ホールトーンがきれいに聞こえるように
なりました。これは機器のエージングと言うよりも、耳が変化したと言った方が正しいような経験でした。
実際家に帰ってすぐまた同じ装置を聴いてみたのですが、いつも聴いていたときより非常に細かい音がよ
く聞こえたのです。これはいつもよりシビアな聴き方、大き目の音量で聴いて、私の中で聞こえ方が変化
したものと思います。今はもう戻っているかもしれません。このようなことは個人差があるものと思いま
すが、自分のオーディオの音が厳密にはいつも同じようには聞こえていない、というのは実は自分にはよ
く感じられることです。そう考えると、新しいものを作ったときとか、評価には時間をかけて判断しなけ
ればならないと改めて思います。
大学生時代、自作スピーカの鳴き合わせ会なるものを開催。ある参加者が試聴用に薬師丸ひろ子をかけて聴き
比べたところ、その参加者の作ったスピーカが一番薬師丸ひろ子を魅力的に鳴らしたのでした。
チューニングというよりも、製作者のこういう音になってくれ、というイメージが、設計している時、作って
いる時に乗り移っているんだな、という感じでした。
中学生時代、なけなしの小遣いを貯めてスピーカユニットを購入すると、箱を製作するまで待ちきれないで、
ダンボール箱をくりぬいてユニットを取り付け、鳴らしたものでした。
これが結構良く鳴るんです。箱を作ってまたびっくり。音が良くなる楽しさを感じたのでした。
会社の同僚某氏が「スワン」を製作。順調に製作してたと思ったら、最終段階でいろんな製作上のひずみ
がたまり、最後の板が接合困難に。強引に組みつけたら箱がひし形になってしまったのでした。
それでもちゃんと鳴ってしまうんですから、自作オーディオはいい加減なもんです。いい加減ならいい加減なり
に楽しめるというのが、よさでもあるのです。
オーディオの音が快適か不快かは、部屋によるところが大きいと感じています。手を一発たたいて、ミシーン
とフラッターエコーがあるような部屋では、オーディオを聴いても音が濁り、音量を上げるとうるさく感じます。
私の寮の部屋ではなぜかあまりうるさくなりませんでした。部屋に吊るしっぱなしの洗濯物のせいか?、はたまためっ
たに掃除をしないほこりのせいか?、それとも白波のビンのせいか?
ややデッドで響きに癖のない、遮音の良い静かな部屋がオーディオにはいいようです。
自作オーディオで万が一事故が起こった場合はすべて製作者の責任です。
電気、電子回路の知識にあまり自信のない私は、電源を入れてしばらくするとカッカとなってくるヒートシンクに
ひやひやしてしまいます。
かといって、必要以上に保護回路をつけて音が悪くなったりするのもいやな私。複雑になって作りにくくなるし。
今のリファレンスアンプでは、一応温度補償が効いて暴走はしないようですが、やはり心配は心配。
オーディオの楽しみ方はさまざまです。ラジカセの音で満足する人もいます。音楽が分かればいいという人も
います。私自身、オーディオは所詮ナマとは違う、代用でしかないことはわかっているつもりです。
私がオーディオに求めるのは、「どこどこホールの響きを忠実に再現する」という指向ではなくて、所詮疑似
でも、演奏者が発する音のニュアンスがはっきりするように、たとえばギターを指ではじく感じが生々しく聞
こえるように、演奏者の息遣いが感じられるように、電子楽器の面白い響きや人工的な空間表現の意図がはっ
きりわかるように、といったものです。
音そのものが活き活きとして聞こえれば、音楽はもっと楽しく聴けるようになると思います。
よく人から聞かれるのは、「同じ値段の市販品に比べて音はどうなの?」とか、「市販品だったらいくらぐらい
の音?」ということです。
自作のメリットは、人件費がタダ、いくらでも手間をかけられる(工夫できる)、超シンプルにできる(それし
かできない)、といった点で、デメリットは、見かけはあまり良くできない、機能が少ない、信頼性に疑問、
パーツ代が高い(大手メーカーが買う場合の10倍とか)といった点でしょうか。
ですから、上記質問には簡単には答えられないのですが、3万数千円の真空管パワーアンプのキット(パワーアン
プ機能のみ)と、市販の20万円台のプリメインアンプ(機能はてんこ盛り)を比較試聴したことがあって、その時
は、自分としては3万数千年のキットの方がいい音してると思いました。特性は悪いのだと思いますが、活き活き
とした音は、シンプルなゆえのものだったと思います。
スピーカの場合は、同じユニットを使って自作しても、駄作にもなれば傑作にもなります。シビアに見れば、最近
の市販の小、中型スピーカは安くて音も良いので、長岡鉄男氏の言うように、同じ値段をかけても、2way、3way
とかを普通に作ったのではそんなにメリットは出ないと思います。あらゆる面でメーカーにまねのできないような
工夫、こだわりが必要になってくると思います。
しかし、日曜大工的に、作る事自体を楽しむのであれば、話は別です。自分が作ったスピーカで音を聞くのはそ
れだけで楽しいものです。自作用ユニットにはメーカー用ユニットと多少性格が違うものもあるので、メーカー製に
はない音の魅力も引き出せることがあります。
よく人から指摘されるのは、バックロードホーンは低音の発音が遅れて良くないんじゃないの、ということです。
確かにバックロードホーンの低音にはホーン長による数〜十数msecの発音遅れがありますが、そう気になるもの
ではないですし、自作スピーカの神様、長岡鉄男氏の話では、直接放射型のウーファーも、低音を伸ばすために
コーン紙を大きく重くし、f0を利用し、立ち上がり立ち下がりの鈍さで低音を稼いでいる面があるので、結局
大差ないのではないか、ということです(バックロードホーンは軽量コーン、強力磁気回路のフルレンジ使用)。
メーカー製の大型3wayの低音もいいですが、いいバックロードホーンの低音は量は同じでも軽々と出てきます。
後は好みの問題でしょうか。
自作オーディオとはあまり関係ありませんが、あるオーケストラの演奏会のパンフレットに載っていた某会社の
広告のコピー「新しい価値に挑戦します」。その反対のページの某会社の広告のコピー「本物の価値だけを見つ
めて70年」。
新しくて「本物の」価値を探求していきたいものです。