古希を記念に第2回歩き遍路  ホームヘ

四国遍路 第2回 遍路日記 
平成18年2月22日から4月5日まで

 徳島(発心の道場) 2/23〜3/3まで

 高知(修行の道場) 3/4〜3/17まで

 愛媛(菩提の道場) 3/18〜3/30まで

 香川(涅槃の道場) 3/31〜4/5まで


       古希を記念に2度目の遍路へ
                      八十八ヶ所の所在地は(こちら
                                  伊予鉄道のHPへリンク

平成18年2月22日(水)
(ベートーベンの第9を聞く)

いよいよ2回目の遍路が実現する。
思えば第1回目の遍路から帰った時から、もう一度の思いがあった。
はじめは65歳70歳75歳と5年を節目に行こうと思っていた。
何がこうさせるのか自分にもよく分からない。
とにかくこの思いから抜け出す事は無かった。

古希を迎える来年こそはと昨年来考えは固まっていた。
前回は秋10月の出発だった。
今回は春にしようと考えていた。
元会社のOB会が月初めの第2火曜日にある、2ヶ月連続の欠席はあまり良くない。
毎月12日の歩こう会も連続欠席は幹事としては気が引ける。
そのほか4月は高校同窓会のゴルフコンペの幹事の仕事が待っている。
家内と旅行の約束もした。
前回61歳の時の第1回目の遍路は42日で廻れた。
古希を迎えた今、少なくとも前回の42日以上の日数は考えておかねばならない。
するとまだ寒い日が続いているが、どうしても2月の半ばには出発する必要がある。

考えあぐねた結論が2月22日だった。
これなら遅くとも4月10日までには帰る事が出来るはず。
その間はどんなお誘いも一切お断りした。
こうして出発の日を迎えた。

午前4時半に起床し5時15分に自宅を出た。
新横浜から新幹線「ひかり」で岡山までと前回と同じだ。
(JRのジパングクラブは「のぞみ」を利用できないがこれもおかしな事だ、だが年金生活者に
は30%オフは魅力だ、時間だけはある身分、我慢して待てばよいと慰めている)

板東駅に2時20分に到着。
駅前には人一人居ないのは同じだが、前回以上に森閑としている。

人影のない霊仙寺への通り

前回泊まった民宿阿波の手前の「かどや」に予約している。

我が国での第9の初演地であるドイツ村に足を運ぼうと前から思っていた。
荷物を「かどや」に置いて、ドイツ村に出かけた。
立派な展示館をゆっくりと見学。
カメラ撮影か禁止されていたが、こっそり何枚か撮った。
第9の人形演奏が門出を祝ってくれたのは大収穫だった。
(ドイツ村の展示館で人形の第9演奏を聞く)

(聞けば今年7月頃には全国ネットで映画「バルトの楽園」が上映されるそうだ。此処板東に第
一次大戦で捕虜となったドイツ兵の収容所があり、収容されていたドイツ兵が手作りの楽器で
ベードーベンの交響曲第9番合唱を我が国で初演したと伝えられている。それを映画化したよ
うで、地元の全面的な支援の下に完成しているようだ)

帰りに霊仙寺の納経所に出向き、菅笠、金剛杖、線香,蝋燭、納札を買う。
前回お参りの所作を教えてくれた懐かしい顔がそこにあった。

4時半に「かどや」に入る。
民宿とは思えないほど清潔で部屋も床の間付きの立派なものだ。
夕食も手のかかった料理と分かる。
泊り客は4人で1人は車で既に10回も四国を廻っている。
1人は焼山寺のことを聞いている。もう1人は岩手から来たと言っている。
部屋に帰り荷物の整理。

随分考えて減量に努めて出かけて来たが、重くてどうしようもない10キロ近くある。
不要になる都度送り返そう。
暖かくなるのを待つばかりだ。

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  徳島(発心の道場) 2/23〜3/3まで
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2月23日(木)
(農家の人は余り歩かない)

6時30分から朝食、7時に出発した。
岩手から来た人は全くの初めてで、どうしたら良いのか、色々悩んでいたらしい。
民宿のおかみさんが、「大村さんに教えて貰いながら行ったら良い」と言っている。
二人で出かけることにした。

「かどや」の夫婦は3年前まで東京都八王子市に居住していたが父親の病死で帰郷。
後を継ぐなど考えて居なかったが、料理学校に通い免許を取り経営を続けている。
一方では趣味の墨絵や焼きものを楽しんでいるようだ。
食器や玄関に掛かっていた墨絵は全部御主人作だと聞いた。

「かどや」の奥さん

焼きものの為に瀬戸からわざわざ焼きもの用の電気釜まで買ったと奥さんが言っていた。

霊仙寺で岩手の彼(浅沼さん)に作法を教え、納経所で遍路のバイブルとまで言われる「へん
ろ道保存協力会」の遍路地図¥2500を買うよう勧めた。
一緒に2番、3番、4番、5番を打つ。

前回初めての私にいろいろ教えて頂いた本田さん(今も連絡がる)と昼食を摂った中華屋へ行
ってみると、お好み焼きと書いてある、経営が変わったなと思いつつ入ってみると、その時オロ
ナミンを接待してくれたおばちゃんの笑顔があった。

9年前、初めてお接待して頂いた、お好み焼き屋のおばちゃんと

9年前にお世話になったお礼を言うと、事の外喜んでくれ一緒に写真を撮ることになった。
中華をやっていた息子が病死し、自分ひとりでは出来ないと思っていたが、中華はやめてお好
み焼きで続けていると言う。

道路が前回と変わってしまっている。
当時は無かった高速道路があちこちに見える。

6番札所安楽寺へ向かう途中、一人の人影も無い町中を通っていたら、一角に分譲地の看板
が出ていた。
1坪3.2万円 90坪288万円と書いてある。
町中でこの値段、過疎という言葉はよく耳にするがこの現実を見ると驚くほかなし。

今日は7番札所十楽寺で宿坊を予約している。
納経していると浅沼君が来た、彼も宿坊を予約していた。
古い靴を履いてきたが中敷がぼろぼろになり、足が痛いと言っている。
3時半過ぎに部屋に入り直ぐ風呂、洗濯だ。

夕食時浅沼君から話を聞いた。
岩手で米、シイタケ、野菜などを栽培する農業をしている。
消費者の要望が強く、その上経費が嵩み農業の経営は大変だ。
踵に大きなマメを作っているようだ。
部屋に帰り、隣の部屋の彼に治療するよう絆創膏を渡しながら話した。
農業をしているから足は強いでしょうと言うと、とんでもない農家は田畑までは車で行くし、田畑
は耕運機やトラクターを使い余り歩く事はないとのこと。
成る程な、昔の農業とは違うのだと再認識。

今回は携帯電話を持ってきた、早速メールが一通届いた。無理をするなと。

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2月24日(金)
(2人と言えば夫婦か?)

5時半に起床した。
夜は9時にはすんなりと眠れるし、前回には度々苦労したトイレも今回はスムースだ。
6時半には食事、7時には出発だ。
浅沼君の足のマメはあるも大丈夫。若い人は強い。
昨夜私が元証券マンと知り驚いていた。
きっと彼の抱いていたイメージと違ったのだろう。
知らない大抵の人は証券マンと聞くと、生き馬の目を抜くような強い印象を持っているようだ。
実体の無いものはよく分からないという。
株式の事を少し話したが直ぐ止めた。

熊谷寺への道が以前とまるで違うように思える。
立派な道路が出来ていて、どちらか是から行く方向を探していると、その様子を遠くから見てい
た通学児童を誘導していたおばちゃんが、大声で方向を指差してくれた。
やはり四国の人は親切だ。
これも菅笠と白衣のお陰か。
熊谷寺の大師堂でお参りが終わると、掃除をしていた老婆が話しかけて来た。
今からだと切幡寺の下のうどん屋で昼食が丁度良い。
熊谷寺のおばあちゃんと言えばコーヒーを接待してくれると言う。

切幡寺の333段の石段は初回の時すごいと思っていたが、意外にすんなりと登ってしまった。
やはり先輩の渡邉髭爺(会社の先輩で登山の師匠)の薫陶が生きているようだ。
9年前に調達した「頭陀袋」の一部が破れてきているのに気付き、切幡寺下の遍路用品店で新
調した。
言われたとおりに「うどん亭八幡」に入り「すし6貫うどん定食」という名前の定食を注文。
食後には確かにコーヒーが出た。
だがこのコーヒーはどう見てもインスタントとしか思えないものだ。

うどん屋を出て交差点を曲がり歩き始めたところで、自転車に乗った60歳代と思える男子が近
づき、「みかんをどうぞ」と声を掛けられた。
前の籠の中から出したのは大きなみかん。
「ハッサクだよ。休むときに食べてください」と笑顔で渡してくれた。
今回初めてのお接待をありがたく頂いた。

浅沼君は法輪寺で先に行ってしまった。
きっと靴を買い換えるために行ってしまったと思うが、黙って行くとは!!

藤井寺の手前のコンビニ、サンクスでコーヒー、チョコバー、カロリーメイトを買いリュックに詰
め込んでいたら、背後から中年の女性が百円玉を二つ「お接待ですお賽銭の足しにでも」と差
し出していた。
お礼を言ってありがたく頂いた。
前回の時もそうだったが、思いがけなく突然にお接待に預かる事が多い。

お接待を頂くと途端に元気が出る。気持ちが晴れ晴れとして来る。
同行二人のお大師さんに接待してくれているのだが、この時の気持ちを忘れる事が出来ない
のも、何度もへんろに出掛ける人達の心境の一つなのかも知れない。

藤井寺で浅沼君が待っていた。靴を新調していた。
境内で別の歩き遍路と出会い話が弾む。
どうやら浅沼君と同郷、岩手に住んだことがある人のようで、今日の宿舎は別の民宿らしい。 
明日の出発時間を聞くので、7時にこの境内で落ち合いましょうと言って別れた。
藤井寺前の「民宿ふじい本館」は電話した時今日は休もうと思っていたと言う。
泊まるだけでよいからとお願いしたら、それでは御出で下さい。食事も用意しますからと言って
いた。
その時2人(浅沼君と)でと言っておいた。
浅沼君と2人同じ部屋に案内された。
他に客は居ないようなのに何故かと思い、お上さんに2人は昨日会ったばかりですので部屋は
別々にお願い出来ませんかとお願いした。
お上さんは2人と聞いていたので、てっきり夫婦だと思っていたようで、別の個室を用意して布
団は運んでくれと言う。

(民宿ふじいの部屋)
話し方に注意が必要!!

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2月25日(土)
(乗り物を断るのは変人か)

5時半起床、6時半朝食、7時前に出発。
藤井寺で別の民宿の人を待つも来ない。
7時5分まで待とうと言って待つも来ないので2人で出発した。
想い出の道だ。
苔むした祠が並ぶ「空海が残した最後の道」。
急な坂が続き早くも息が切れる。
しばらく登ると浅沼君は昨日靴を買い換えてマメの痛みも少なそうで歩きが早い。
林道に出た所で小休止した。

先ほど待っていた別の民宿の人が立っていた。
7時前に藤井寺に行ったが誰もいないので、先に行ったと思い1人で出かけましたと言う。
浅沼君が2人で待っていたんですよと話していた。
浅沼君は今回、四国遍路はどんな所を歩くのか経験のために来て、後2〜3日で帰る予定と聞
いていた。
「折角来たのだから、私は置いて少しでも先に進みなさい、予約した"なべいわ荘"はキャンセ
ルして先に進めるなら出来るだけ伸ばしてみたらと言って別れた。
それからは1人旅。9年前を思い出しながら登る。
その時感激した景色が広がる。

長戸庵(空海の休みどころと言われる)に9時着。
想い出の柳水庵に10時着。
崖の下に以前と変わらない姿でひっそりと静まっている。
だが着いてみると雨戸が全て閉じられており、長く人の住んだ気配が無い。

(雨戸が閉まって人気のない柳水庵)

壁に張り紙があり、「納経は焼山寺で受けます」と書いてあった。
あの時主人は既に80歳を越えていた。
「子供達は帰ってこないし、どうなるのでしょうかね、此処が無いと困る人も出るし」と心配して
いた。
今回も出来れば泊まりたいと思っていたが、スケジュールから焼山寺越えとなり、予約の電話
もしなかった。
直前まで一言挨拶をさせて頂こうと思っていたのに。
玄関前で9年前のお礼を無言で申し上げた。
色即是空、人生ははかない、何時しか思い出す人も居なくなるだろう。

あの五右衛門風呂のある小屋も、遍路が誰でも使えるトイレの小屋もそのままだが、付近の
様子は様変わりしていた。

直ぐ下には遍路休憩所が出来上がっていた。

主人が何時までも見送ってくれた山道と違う道をしばらく登ると車道に出た。
空海の残した道が拡張されて林道になっている。
いやだ!いやだ!そう思いながら。
あの急な坂が待っていた。

1本杉に辿りついたのが11時だった。
「ふじいや」で作ってもらったおにぎり弁当をいただく。
若い夫婦連れにお大師像の前で1枚シャッターを押してもらい出発。
下の集落まで下り、それからの上りはやはり足が思うように動かない。
焼山寺も変化している。

焼山寺の山門

本堂下に立派な大師堂、その横が納経所。

(焼山寺の山門を入って)

味が無くなってしまった感じがする。
どのお寺も金回りが良いらしい。
初めての人は何も感じないだろうが、人間は一度感じた印象が様変わりすると、過去を懐かし
む心の方が強く、良い感じを持たない。
変化した状態が平常になっていても、過去の情景と比較してしまう。
過去の印象が強ければ強いほどこうなる。
人は基本的には変化を好まないのだろうか。

下りはきつい、トボトボ歩く。
なべいわ荘に3時20分到着。

なべいわ荘の内部は、贅沢に大木を使った
純日本建築だ

浅沼君はなべいわ荘をキャンセルしていた。
もう1人のおじさんも同宿となり、明日の予定を聞くと、大日寺まではバスを利用し、また長距
離は列車を利用するとの事。
遍路に出かける前の事前準備でずいぶん歩いたと話していたが、やはり一般の人達はそれが
普通のこと。
全く乗り物を使わないのはやはり変人なのか?

明日は無理をせず、大日寺までにしよう。
門前の民宿かどや旅館を予約しておいた。
しかも雨らしい。明日の天気でもう一度考えよう。

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2月26日(日)雨
(想い出の柳水庵のこと)

5時に目が覚めた。外は雨音が激しい。
6時半朝食、今日はゆっくり、雨具の完全装備。
今回は玉が峠越えはやめて、平坦な道で神山を通り大日寺までと思い出発した。

道を間違えたのか遍路道の道標に導かれていくとまた山へ入った。
雨の中我慢して登る。
峠に着くと、何か見覚えのある仏像。

見覚えのある仏像たち

しかしまだ気つかない。
一呼吸置き、写真など撮ってどんどん下って行く。
町中に入って見覚えのある交差点に差し掛かった。
ヤッパリ間違えて玉ガ峠を越えて来たのだ。
その昔、植村旅館を車の人に聞き"すぐそこ"と言われた所だ。
咄嗟に柳水庵の件を思い出し、植村旅館に立ち寄った。

前回柳水庵に泊まった時、ご主人が植村旅館と親しいからと、電話で予約してくれた民宿だ。

若い女の人が出てきて「今日はお休みしています」と不信な顔をして見ている。

9年前にお世話になったことを告げ、昨日の柳水庵のことを話すと、
「ご夫婦ともに老齢で近くの養老施設に入ってらっしゃいます」との事だった。
2人共にお元気とのこと。
何かの折に、横浜から来た大村と言う遍路がお礼を言っていたと伝えて下さいとお願いした。
お茶でもどうぞと勧められたが、カッパに笠姿で、先を急いでいますからと辞した。

大日寺への途中、へんろ休み所と言う小さな建物があり、中には水、お茶、インスタントコーヒ
ー、みかん、金平糖などが並べてあり、テーブルに椅子が4脚備えてある。

(私設の接待所、奇特な人達の親切が伝わる)

電力は風力発電で近くの人が親切心で作った接待所らしい。
お礼はノートに一筆と、納札と書いてある。
一筆震える手で書いておいた。

ゆっくり書くしかない。
(震える手とは、50歳代の後半から徐々に指先の震えが始まり、60歳代になると思うように字
を書くことが出来なくなって来ていた。少しでも緊張感があると益々振るえが増幅してくる。ある
とき脳神経外科で検査してもらったが脳に異変は全く無く、病名は「本態性振戦」と言う病気で
手の振るえ以外に別に問題は生じない。療法としては必要に応じて薬を用いると治まる。また
手術する方法もあるが我慢するしか無いとのこと。進行した場合は頭(首)が揺れてくる人もあ
るとか)

大日寺の納経所で納経を終り、外に出て今日の宿は門前近くと思い地図を出していたら、奥さ
んが納経所から出てきて、納経帳を忘れていますよと持ってきてくれた。
手の震えだけではなく、脳の方も老化してきている。

門前の「かどや旅館」で風呂。
シャツ、パンツ、は風呂の洗い場で済ませた。
明日からの予定が難しい。
食事は部屋食だった。
あすの宿泊は民宿「ちば」に決めた。24,5キロでゆっくり行ける。

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2月27日(月)曇り
(男は数え歳)

起床5時20分 朝食6時半 出発7時
昨夜同宿した人。神戸の人でよくしゃべる。二言目には六甲ウォークの話に戻る。
歩きが自慢の良い人だが、あの大阪弁の喋り過ぎは失礼ながら、私の好みには合わない。
出来れば別行動と思っていたが同時出発となった。
少し行った所で、私は到底一緒に付いて行けないからお先にどうぞとお別れした。
聞けば今日の宿は同じ「ちば」と聞いた。
彼は昨日「ふじや」から焼山寺を越えて雨の中を大日寺まで歩いていて超人的な強さだ。
今日も一つ先の金子や迄歩くよう強く薦めておいた。

雨は降らないが寒い、途中でウインドブレーカーを取り出して着た。
今日は18番恩山寺下の民宿「ちば」を予約している。

前回と全く違う道「地蔵寺越え」を取った。
小山を登り下ると徳島市を迂回して恩山寺には近く、趣のある道だった。

昨夜セーターと防寒用の上着それに軍手を送り返して、少しでも荷物を軽くしようと用意した。
地図帳にある郵便局を目指して歩くがよく分からない。
スクーターで郵便物の配達をしていた局員を止めて、近くの郵便局を聞くと真っ直ぐ行ってT字
路の道路に出て直ぐですという。
言われたとおりに歩いたが郵便局の看板は見えない。

近くの人に聞くと、
「ずっと手前ですよ」と言う。
20歳代の美人だった。
「じゃー引き返そう」
と歩き始めると自分の車に乗れと言う。
一瞬考えたが来た道を引き返す訳だから乗せてもらった。
「八万郵便局」まで約1キロ。

何のことはない、郵便局はT字路の左側に少し引っ込んだ所にあった。
ザックから荷物を取り出し、郵パックをお願いした。
局長が出てきて地図を出して恩山寺への道順を丁寧に教えてくれる。
遍路地図を持っていて道順は分かっているが、折角の親切に応じて説明を聞きお礼を申し上
げた。

延々と国道を歩き、3時30分頃民宿「ちば」に着いた。

ザックを預けて坂道を登り、恩山寺にお参りし、納経所に行くと、あの大阪弁の彼が居るでは
ないか。
私を見付けると、今日は「ちば」に泊まる事にしたが早く着き過ぎるので、途中の石屋で話した
とか、何やらでも話したと、またまた堰を切ったように話す。
要は私に比べて足が速いことを言っているのがよく分かる。
申し訳ないが風景を見ながら上の空で、適当に聞きながら民宿に帰った。

口の重い私には、速射砲のように言葉が飛び出すと辟易としてしまう。
この感情は私だけだろうかと時々疑ったりする。
ご本人に対しても申し訳ないと思ってはいるが、この感情はどうにもならない。

食後、明日の予定。
前回は次の宿泊予定の「金子や」に泊まり、そこから翌日20番鶴林寺21番大龍寺と打った。

「金子や」までは「ちば」から15キロもある。
「ちば」を発ち、恩山寺から鶴林寺、大龍寺と二つの山越えは不可能に近い。

鶴林寺下には「金子や」しかなく、皆ここに泊まる事になる。
「金子や」に電話したら、早く着いたらザックを置いて鶴林寺へ行く人が多いと聞いた。

それをやってみよう。大龍寺への道は他にもあるのだろう。到着した時聞いて考える事にしう。

民宿「ちば」の夕食は楽しい時間となった。
神戸の人はどうした事か始終黙っていた。
京都長岡京の可児さんと京都で豆腐の商いをしていると言う遠藤さんに私の4人。

遠藤さんは友人の可児さんが遍路をしていると聞いて、わざわざ京都から今日ここまで来たの
だと言っている。
明日は19番立江寺まで一緒に行き列車で京都へ帰ると言う。

いろいろ話しているうち突然私に対して、
「旦那さん(と彼は呼ぶ)は何才ですか」
と聞く。

「満69才になりました。古希の記念に2回目の遍路に出かけたのです」
と答えた。

すると遠藤氏。

「旦那さん、男は数え歳で言うものですよ。知ってますか?」

「何で?」

「男は数え歳です。女は満です」

「男に満はありません」

と言って澄まし顔でいた。

(金子やで夕食時撮影、直ぐに親しくなってしまう
後列右可児さん、中が遠藤さん、神戸の人、前が私)

「関西の人にはこれを言っても分からないが、関東の人は直ぐ反応します」

そして、「大村さんは(今度は名前で)お住まいはどちらですか」と聞く。

横浜ですと言うと、東京の目黒には行きますかと聞く。

よく行きますよと答えると、目黒の「とんき」で京都の遠藤と言えばよく知っています。
行くと必ず「ひれカツ」と「串カツ」1本に「とん汁」ビール大1本、小1本と決まっています。
是非行ってみて下さい。

それから吉祥寺の伊勢丹の7〜8階の南国酒家の5目焼きそば、これも行って下さい。
新潟の人で伊藤さんと言うのが店長をしています。
遠藤と言えばよく知っていますから。
などと言いながら、目黒「とんき」の地図まで書いて教えてくれた。

遠藤氏の能弁はウイットに富み、耳さわりにならない。
一緒に記念写真を撮りお互いの健闘を約した。
ただ、残念だったのは彼は数えで何歳だったのか、聞くのを忘れていたことでした。

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2月28日(火)曇り
(有難く送らせて頂きます)

5時起床、6時半朝食、7時出発
立江寺で遠藤氏と可児氏に出会う。

本堂、大師堂で、遠藤氏が大音声で般若心教を読んでいる声が、境内に響き渡っていた。
私も結構大きな声で読んでいるつもりだが、あんな大声は聞いた事が無い。
遠藤氏はJR立江駅から京都へ帰る。
握手して別れた。

神戸の人は早朝に発って行った。
立江寺で納経を済ませ出かけようとすると、可児氏が足が遅いからお先にどうぞと言う。
一足先に山門を出たが、反対方向に歩いていた。

(どうも方向感覚が鈍いようで、時々方向が反対に見える事がある。電車で出かけた時なども
よく、この感覚になる。走っている電車が反対方向に向いて走っているように感じるのだ。風景
を見ていると元に戻ってくる)

引き返して急ぐと可児氏の姿が見えた。
近づいて一緒に歩く事になった。
可児氏は初めての遍路でいろいろ聞かれるので、知っていることを教えながら歩く。
真面目を絵に描いたような人だ。
若い時は胃潰瘍を何度もわずらっているのも私と同じだ。

彼は雨の支度も出来ていず、明日は雨の予想でこれ以上は無理と判断して、「金子や」に着く
と今日の予約をキャンセルしてバス便でJR立江駅まで帰って行った。
5月ころからまた続けますと言っていた。

金子やの玄関にザックを置き鶴林寺へ向かった。
重い荷物を下ろして身軽になっても息が切れる。

みかん畑には熟れたみかんが木になったまま放置されており、地面一杯に落ちて散らかって
いる。
人手が無いのかそれとも商品価値が無いのか分からないが、拾って食べてみるとまだ食べら
れる。

急な坂を登るが、初回の時より短い距離に感じる。
鶴林寺は何も変わらず、人影も無くひっそりとしていた。

本堂、大師堂を巡り納経所で、宿坊はやっていないのか聞いた。
遍路地図には鶴林寺にも宿坊があるようになっていた。
納経所の僧は、もう以前から宿坊はやめたと言う。
鶴林寺か大龍寺に宿坊があればもっとゆっくりとした計画が立てられるのにと思う。

駐車場で靴を脱ぎ日差しの中で汗を乾かしゆっくりとして時を過ごす。
2時半には「金子や」に戻りついた。
「金子や」が近くなった時、一人の女性がザック無しで登って来た。
聞くと金子やで私の話を聞き今から登ってくるとのこと。

この時間で大丈夫かなと心配しながら下ってきて、「金子や」のすぐ側で声がかかって来た。

電気工事を請け負っている野崎さんと言う方。
野崎さんも遍路の経験があるとのこと。
いろいろ話す中で「明日の予定は?」と聞かれた。
明日大龍寺への道を聞くと、もう一度登るしか方法はないとのこと。
迂回する道路があるのではと思っていたことを話すと、それでは明朝、自分が車で峠まで送っ
てあげようと言う。

私はというと、乗り物は使わず全行程を歩くが目標だった。
しかし今日歩いた所まで送ってあげようと言うそのご親切はお受けしようと思った。
それなら乗り物を使って廻ったことにはなるまい。
もう1人の女性にも言って2人でどうぞとのこと。
朝7時に迎えに来てくれると言う。

感謝の礼を言うと、
「反対で、こちらが有難く送らせて頂きます」
との言葉が返って来た。
同行二人のもう一人お大師様を送ることになるのだ。

何時もながら、見返りを求めないこの親切には、胸を打つものがある。
(この親切を断るのはあまり良くない、お接待は断らずお受けしなさい、とよく言われる)

野崎さんはその時、自分が感銘を受けた文章のコピーを、お宿で暇な時読んで下さいと数枚
持ってきた。
それは、地方紙に掲載された中塚茂兵衛伝説や雑誌の玄侑宗久へのインタビュー記事、聖路
加病院の日野原重明へのインタビュー記事、それに榊莫山の文章だった。
夕食までの時間にざっと読み通してみた。

中塚茂兵衛
幕末の1845年山口の山村に生まれる。
大正11年77歳で旅に倒れるまで88ケ所を280回巡拝。88回目の巡拝から道標を立て始め
170基の立石道標を独力で建立した。中塚茂兵衛を生涯研究した愛媛県の石川椿老師は
「文明が曲がり角に来た現代、人間がモノや科学技術に振り回されず真に豊かに生きる心を、
私たちは茂兵衛から学ばなければならない」
と伝記に書いている。

玄侑宗久
一歩一歩、坂道を登る事を楽しむように、歩く事が三昧になる。三昧が数珠繋ぎになった結果
が88ケ所になるなら、それは素晴らしいことです。
釈迦は6年の苦行の末、結局それを否定した。「苦行をすると心が汚れる」がその理由。
苦行をすると、してない人に対し軽蔑が生まれる。また競争心にも駆られる。人は人生にさま
ざまな悩みを持っている。ところがその悩みの多くは、自分が作った「物語」から生まれてい
る。歩行瞑想と言う言葉があるくらい、三昧になる事で自分が作った「物語」から開放される為
にこそ、行はあるのだと思う

日野原重明
人間は死の遺伝子をもつ細胞から出来ていると言う意識を持つべきだ。
遺伝子は自分で選ぶ事が出来ない与えられた運命です。
その運命をどう受け止めるかは、自分で考える事が出来る。その人らしく命の限界を考えなが
らね。
死ぬ時に「ありがとう」といえるように生きたい。
身体だけでなく、心を鍛えるには道を歩くのが大変良い。早く歩いていると脳は何も考えない状
態になり、悩まないし、ストレスから開放されます。

榊莫山
融通無碍、人のまねはせず。
「人皆直行 我1人横行」

女性は5時ころ帰ってきた。
車の件を話すと、私も一緒に是非ともと言っている。

夕食時、「金子や」の奥さんらしい人が、朝食は7時からですという。
到着時に主人に6時半で良いと了解してもらっていますと言っても譲らない。
9年前岡山から来た延原さんと一緒に泊まった時の印象とまるで違う。
(延原さんは光明真言の読み方を教わった人)
全く聞く耳を持たないし、主人も何の言葉も出さないで黙っているので諦めた。

野崎さんは、明朝7時に民宿前に来てくれる。

仕方が無いので、朝食2人分はおにぎりでも作ってくれと頼み、その場は終った。
印象悪い、この奥さんを何と表現すれば良いのか。

野崎さんのように、頼みもしないのに早朝から自家用車で送らせて頂きますという人もいれ
ば、主人が泊り客と約束した事を、句もなく破り去って平気のご夫人もいる。

部屋にはお茶も無いので、外の自動販売機でお茶を買って飲む。こりゃーダメだ。

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3月1日(水) 雨
(へんろ道に、階段を刻むのは誰だ)

おにぎり2個入りが二つ玄関前に置いてあった。

野崎さんは7時ジャストに来てくれた。
納札をお渡して野崎さんの名刺を頂く。
小雨の中で写真を撮って下さる。

雨でカメラはザックカバーをかけたザックの中に入れていて、野崎さんを撮影出来ない。
写真は自宅の方へ送っておきますとのこと。

野崎さんが写して送ってくださった写真

4輪駆動の車で坂道を登り(歩いた道とは別)鶴林寺下の峠まで送って頂いた。

「お気をつけて」の言葉に送られて女性と2人で歩き始めた。

女性は静岡に住んでいるが東京にも家があるらしい。
主人は石油会社勤務(横文字の会社と言っていたが、どうやらモービルのようだ)で本人は不
動産などの商売をしていたようで、バブルの時代は大きく儲けたと話していて、いわゆるやり手
に違いない。
今は毎日パチンコをしていると言い、最新のシステムを教えてくれるが、もうパチンコは30年以
上触った事も無い。
しばらく一緒に歩いたが途中で、先に行ってくれで1人となる。

下りが終わると今度は大龍寺への上りが始まる。
雨が続いている。
急な坂を登る。前回より山道が階段式に整備されている。
自然に出来た道と比べ歩き難い事おびただしい。

何度も思うがこの工事には、相当な経費と労力が費やされていると思うが、管理施工するのは
誰なのか。
歩く人の身になって考えた事があるのだろうか。
人工的に作られ一定間隔に段が刻まれると、自分の疲れ度や歩幅とかみ合わず、
道の端の段が刻まれていない所を選んで歩く。
その証拠に真ん中を歩いた形跡はほとんど無く、階段の端の狭い部分に人の通った形跡が見
える。


     (大龍寺では雨で撮影不能。前日の鶴林寺への道)

大龍寺は何処よりも整備が行き届いた美しい寺。
ただ雨で見学も撮影もする気がしない。

大師堂で雨宿り方々休んでいたら、彼女が追いついてきた。

先に1人で下り始めた途中、出会った中年の遍路姿の人に道を確かめた。
見るからに善良そうな人で、下り道を指差し教えてくれる。

休むことなく下り、先年宿泊した坂口屋前のトイレの廂で雨宿り。
一休みして歩いていると交差点に遍路休憩所が見えた。
木造で3〜4人は休めるように出来ている。

このような施設は前回には無かったもので、歩き遍路には格好の休み場所となっている。
荷物を下ろし笠を取るがカッパの上着は寒くて取れない。

おにぎりで昼食していると、先ほど出会った一人遍路が追いついてきた。
岡山の人で今日の宿は平等寺前の「山茶花」に同宿する。

(岡山から来ている河合さん、ベテランだ)

彼を置いて先に出かけた。
一山越えて平等寺へ。

意外に歩けた。自信回復。
雨の中2時頃「サザンカ」に到着した。

宿の奥さん、濡れたままでもお構い無しにカッパを着たまま部屋に案内された。

(大広間にただ1人)

宴会の出来る舞台つきの大広間に1人だけ。後ほど数えてみたら、24畳あった。
しかもとなりに岡山の人で半分に仕切られていた。

洗濯機には乾燥機も付いており、着ているもの全部を放り込み、靴は靴用の乾燥機で乾か
す。
食堂でドリップしたコーヒー(420円)は久しぶりの本格コーヒーでウマイ!
食後女性(大野さん)岡山の人(河合さん)と談笑、納札を交わした。

前列左大野さん右河合さん後ろ私

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3月2日(木)雨
(道の駅に追い出された善人宿)

5時20分起床 6時半朝食 7時スタート
大野さんは夕食、朝食とも摂らない。金子やでも夕食は摂らなかった。
パンなどを買って部屋で食べていると言う。
食事が偏ってあまり良くないのではと思うが、干渉はしないのが遍路同士。

河合さんはランの栽培に注力していると言っていた。
自宅には可なり大きな温室を持っているとのこと。
それに写真が趣味でこれも相当な機材を持っている様子。
良い趣味で豊かな暮らしが顔に表れている。

2人を残して先に出発した。

55号線を歩いていたら、軽トラックが止まり、乗れと言う。次の信号までだが乗ってくれと言う。
私の前にもう1人後ろに歩いているのがいたが若そうなので、声を掛けなかったそうだ。

野崎さんに続く車のお接待だが、もう断れない。
次の信号までと言うのですぐ近くだと思い、サック、笠をつけたまま助手席に頭を下げたままの
窮屈な姿勢で乗り込んだ。
次の信号は中々出てこない、体感で計ると約4キロはあったのではないか? 
あっという間に通り過ぎていた。
歩行すれば一時間近い距離だ。

乗り物は使わない主義はこれで消えるが、有料の乗り物を自分の意思で使った訳ではない
し、鶴林寺下で野崎さんに教えられた「有難く接待させてもらいます」の精神は断れないと思っ
ていた。

その代わり、今日は薬王寺のある日和佐での宿泊予定を少し延ばして、牟岐町まで足を伸ば
そうと思い、牟岐町の草鞋大師近くの「やさか民宿」を予約した。

薬王寺を打ち、ドライブイン橋本前に来て見ると延原さんと9年前に泊まった、懐かしの善人宿
はやはり無くなっていた。
やはりと思ったのは、1キロほど手前の途中で見つけた大型バスに、確か善人宿の看板が付
いていて変だなと思っていたからだ。

(バスを改造した善人宿、前回はこれの前身のバスに泊まった)

ドライブインの隣は大きな道の駅に替わっていた。

懐かしさにドライブイン橋本の前で写真を撮ろうとしていたら、誰かが店から出てきて物を捨て
ているのが見えた。
よく見るとどうやらあの時の主人らしい、"橋本さーん"と呼んだが車の音が激しく聞こえない。
道路を渡り近づいて声を掛けるとやはり橋本さんだった。
9年前の話をしてお礼を言った。
隣が道の駅になって"あれ"(バスの善人宿のこと)をおく場所が無くなったのだという。
あの時と同じ、良い笑顔だ。

牟岐町に入り歩いていると学校帰りの子供達のパトロールだろう、黄色の腕章を付け交差点
で交通整理をしていた人達が、信号先の接待所を教えてくれた。
年配の男性1名と女性2名が歩き遍路への接待をしている。
町内で接待をしており週3交代制で2週間に一回接待日が巡って来るようになっているとのこと
だった。

(お接待のお世話を頂いた人達)

お茶とお菓子で接待して頂く。
今日はもう歩きの遍路は来ないだろうと、店仕舞の用意をしているところだったそうだ。

接待を受けた遍路には記帳してもらう。
男性の話によれば統計をとっているが、この接待所で年間記帳者は約1500人程度だそうで。
少なく見積もっても3000人は歩いているのではとの話だった。

記帳されたページを遡って見ると、年齢別では60歳代が圧倒的に多いのが一目でわかる。
やはり定年で時間的にも余裕が出来て思い立つのだろう。

今日の宿舎として2軒の宿に電話したが断られた、
まだ歩いている人が少ないのだ。
「やさか」民宿は快く受けてくれた。着いてみると家形船と言うレストランだった。
レストランの裏に宿泊施設を併営しているようだ。
奥さんが飛び切り親切に案内してくれる。
宿泊は私1人のようだ。

4歳くらいの女の子が恥ずかしそうにお母さんに隠れて、時々私の顔を覗く。
顔を見ると隠れる。いらっしゃいと声を掛けると厨房の中に駆け込み、しばらくすると又出る。

(民宿やさかで夕食、小さくて見えないが左に小さな子供が見える)

何と可愛い事か。
夕食は5時半、私一人がレストランで新鮮な魚中心の美味しい料理を頂いた。

明日の室戸までのスケジュールが中々立たない。
奥さんのお母さんの知り合いが東洋町で「民宿谷口」を経営しているとの話を聞き、20キロほ
どで近いが予約した。
明日は超ゆっくり出来る。
今日は30キロ、プラス車4キロだった。

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3月3日(金)曇り
(お接待でザックは重くなるばかりで困った)

今日はゆっくりで、朝食は7時だった。
主人が私一人のために、朝食を作ってくれた。
焼き魚が付いた好みの朝食。
レストラン経営で料理はお手の物だ。

55号線を歩く。
55号線沿いに昔からの遍路道が2つあった。
前にも書いたが、へんろ道を良くしようとするのか、坂道に階段を作っているところが目立つ。
人工的な道は本当に歩き難い。
その証拠に外側の狭い所を選ぶように歩く。
その方が自分の歩幅に合わせる事が出来るのだ。
階段を登ると疲れてしまう。
同じ金を使うなら、もっと考えたらどうなのかと何度も思う。

今回は鯖大師に立ち寄ってみた。
納経所でお守りを頂いた。これを財布に入れて下さいという。
財宝の御守り 鯖大師百万両と書いた袋に百万両と紙幣のように印策したものが入っていた。
余りに直裁で余り有り難味が感ぜられない。

いよいよ高知県へ。
海と空が美しい。
左足の薬指が痛い。
今頃マメが出来るとは思いもしなかった。

東洋町に入りみかんを大量に並べて売ってる。
女の人が3人、道路の向こうから呼び止められた。
みかんをポリ袋に沢山入れて持って行けと言う。(みかんと言ってもポンカンで重い)

(みかんのお接待を頂いた人達)

重いからと5個にしてもらいザックに詰めていると、今日は何処に泊まるのかと聞く。

(遍路に出ると全く無欲になる。持ち物は着替えなどの最低限の衣類と、後は遍路必需用品の
み、出来ればもっと持ち物を減らす事は出来ないかばかり考える。後は何もいらない喰う・寝
る・歩くだけでよい)

谷口と言うと、皆であそこが良いと言う。
谷口さんは75歳で人柄が良い。

(谷口のおかみさん)

主人が脳梗塞で倒れ半身不随になっている。
評判で客が増える。

他の宿泊者は中老年の女性一人。
薬王寺から来たと言っている。
距離は39キロある。
平気な顔で夕食を食べている。
あな!恐ろしや!女は強いを益々感じる。

薬王寺から室戸まで1泊で歩く人は男でも少ない。

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  高知(修行の道場) 3/4〜3/17まで
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3月4日(土)晴れ
(ジンクスは生きていた)

4時15分 携帯が鳴る。
目覚ましと間違えて起床。
勝部さん(OB会の理事長だ)からのメールだった。
山頭火の
「わけいっても わけいっても 青い山」と
放哉の 
「咳をしてもひとり」
が書いてあった。

布団をたたみ、顔を洗い、ザックを整理して時間を見るとまだ5時前。
隣のおばさんの部屋もまだ暗かった。
朝食は6時にお願いしてある。

太平洋の朝焼けが素晴らしい。
前回はもう少し先のロッジ尾崎で素晴らしい朝焼けを見た。
庭に降りて朝焼けの太平洋を見ながら体操をしたり、部屋で地図帳を出して行程を調べたりで
過ごした。

6時朝食、6時半にはスタートした。
55号線から東洋大師のへんろ道に入ると、凄い声が聞こえて来た。
何事かと声の方に行って見ると、東洋大師側の滝で荒行をしている声だ。
遠くからシャッターを切っておいた。

荒行をする僧

犬の散歩で出会った女性が、冬でも一年中毎朝必ずとの事だった。

国道に出ると55号線を同宿の女性が歩いて来た。
昨夜の話を聞いているので、一緒に歩くとこちらがくたばってしまう予感がするので、お先にど
うぞと先に行ってもらった。
9年前と比較すると、体力的には弱っているはずで、歩幅も狭くなっているが、精神的には余裕
があり、周りが良く見える。
初回の時は、何しろ目的地に向かって、地図と首っ引きで、まっしぐらだった。

1人で歩いていると、先ほどの彼女が道端に座って休んでいた。
足が痛いし、睡眠不足で疲れたと言っている。
あんなに凄い話をする人でも足は痛いんだと半ば安心する。
初日は何処から歩き始めたのかは知らないが、最初に元気の良い時、足を伸ばしすぎて途中
下車する人がある。
彼女もきっと無理が祟ったのではないかと思う。

丁度その時大きなザックに寝袋を担いだ若者が通りかかった。
彼に追いつきいろいろ話を聞いた。
2週間の休暇を取り、その内の10日を「四国へんろ」にあてた。
行ける所まで行くと言っている。
靴が合わなくて足が痛いと言っているがどんどん歩く。
このような若者が四国へんろに出てくるケースが増えてきているのもご時勢か。
先に行ってくれるよう言って別れた。

好天、温暖で、青い空、青い海、青い山、素晴らしい空海の道だ!!

早朝の勝部さんのメールの山頭火の句を噛み締めながら歩いた。

雑誌四国へんろの特集にもあったお堂の建築地を見た。

前回の歩きで起きたジンスクは生きていた。
そのジンクスとは、
「もう限度で何処でも良いから休みたい、だが我慢して歩くと、5分以内に格好の休み場所が必
ず現れる、だから5分だけ我慢してみなさい」だ。

格好の場所が現れた。

前回泊まったロッジ尾崎はそのままの姿で建っていたが、休業していた。

(ロッジ尾崎は休業だった)

本来は尾崎にもう一度泊まろうと思っていた。
「定年からは同行二人」の著者はどうしいるか聞きたかったので。
しかし休業では致し方ない、今回の選択は正しかったようだ。

東洋町に入ったところで1人の女性が、お接待ですと500円玉を差し出す。
替わりにお参りしますと、有難く頂いた。
今日の宿は「ロッジ室戸岬」と言う民宿だ。
結局彼の女性は遅れて同じロッジ室戸岬で落ち合う事になった。
ロッジ室戸岬は食事待遇共に好感の持てる宿だった。

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3月5日(日)晴れ
(健脚そろい)

5時半起床 7時朝食 7時40分スタート
右の足先が痛い。靴下が触っているようだ。
靴を脱ぎ靴下をしっかりとつま先まで入れて履いてみると良くなった。
余りしっかりと履くと、つま先が圧迫されるような気がして、どちらかと言うとルーズに履くのが
通常だった。

今日は短距離(約20キロ)でゆっくり歩く。
ゆっくり歩いても足は重い。
意識が楽と思っているからか?

長距離だと緊張感があり、目的意識が強いと脚の痛みも疲れも余り感じない。
人間と言う者は意識の持ち方で、こんなにも変わるものかと時々思う。
何事かを成し遂げようと思ったら、強い目的意識を持続させる事の重要さを再認識させてくる。

足は重いが、反面風景や室戸の名所を気の向くままに見ながら歩いた。

(空海が修行した御蔵洞)

前回見えなかった所が良く見える。

(最御崎寺からの下り坂の絶景)

24番最御崎寺への急な坂で息を切らせ、下りの絶景にしばし見惚れながら25番津照寺を打ち
今日の宿、民宿「うらしま」にザックを置き、26番金剛頂寺へ車道を登った。
へんろ道への入り口を見失っていた為、帰りはへんろ道を辿り「うらしま」へ入った。
1番風呂に入った。

今日は同宿が多いようだ。
隣の部屋の音が筒抜け、電話で話している声が全部聞こえる。
奥さんに電話しているようだ、オシッコが1時間おきに出るが、ちょろちょろしか出ないなど・・・
浦島は改築して部屋数は増えているが、見かけだけの安普請。

明日は浜吉屋、電話に出た人は以前、後継ぎがいないとこぼしていたおばあちゃんらしい。
ロッジ室戸岬の人と同じく、親切心が伝わってくるような言葉だ。
明朝は早出の予定で、朝食は断った。
パンに牛乳、コーヒーでの予定。

同宿は5名。
聞くと、私が23日、1人は24日、2人は25日、あと1人は27日に1番札所霊仙寺を発っていた。
歳はあまり違わないと思うが、健脚そろいに驚いた。
それぞれ初回では無い経験者揃いのようだ。
うらしま¥5500

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3月6日(月)雨
(黒田君に説教した宿)

5時起床。朝食は部屋でパン。
6時20分出発。
外はまだ暗い。
昨日26番金剛頂寺は打っているのでもう山登りは止めて、国道伝いの道を選んだ。

アスファルトの隙間に根を張り、堂々と花を咲かせた菜の花に
”1人でよく頑張ったね”と声を掛けずにはいられなかった)

左足のマメも痛くない。
4人の宿泊者に先立ち出発した。

彼らは昨夜の話からも健脚で皆強そうな面構え。
どうせ何処かで追い越されるはず。
思っていたとおり、やはり奈半利の手前で追いつかれた。
通り道の休み場のような店で3人が休んでいた。

うどん一杯にいろいろお接待

店の女性が手馴れた様子で世間話などしながら相手にしている。
皆と一緒にうどんを一杯食べて、それぞれ出掛けた。
今日のお昼はこれで済む。

彼らに少し遅れて歩き始めて直ぐに雨が降り始めた。
雨宿りの場所を探すが格好の場所が見当たらない。
道路の側にある自動販売機の並ぶ軒下で、カッパを取り出し完全武装で歩き始めた。

神峰寺に登るためには、2時には浜吉屋に着きたい。
浜吉屋に荷物を置いて神峰寺に登るためだ。

浜吉屋はその昔、同宿した黒多君という横浜の青年に、
「遍路は人生と一緒だ無理をすると直ぐにしっぺ返しが来る」
とまるで僧侶のように説教した民宿だ。

浜吉屋に到着してみると、ロッジ室戸岬で同宿したあの女性が顔を出した。
今日は短くて昼過ぎに到着したとのこと。

雨の神峰寺へ登る(ザックは宿に置いて来て、身は軽い)
千葉から来ている、夫婦連れの二人と一緒になる。
歩き方がきびきびと強い。

私の山登りの師匠渡邉さんクラス。
日本百名山を後15峰残すのみとの事。
全てツアーに参加して登っており、1人での登山ではない。
歳は昭和11年2月生れで学年は1年先輩になる。

途中からのへんろ道は例の「真ツ従」と言われる1500メートルの難所。
やはり息が切れた。

神峰寺は以前と変わらず、手入れが行き届いた佇まい。
銘水が有名で、今回も到着したらまず一番に銘水をタップリと頂いた。

「うらしま」で同宿した4人が揃っていた。
納経所に行くと、前回お茶とお菓子の接待をして頂いた、見覚えのある奥様が納経帳に朱印
を押してくれる。
平成9年の10月に、縁側でお茶とお菓子のお接待して頂いた事を話し、お礼を言った。
「あの当時は歩きの人がまだ少なかったですからねー」
「今は多くてとても出来ません」
と言って、黒糖の飴と一緒にお姿を差し出された。

前回ルンルンの気持ちで坂を下ったことを思い出す。
浜吉屋のおばあちゃんは、やはり年老いているが相変わらず親切心が伝わってくる。
息子が手伝ってくれていると喜んでいた。

浜吉屋のオバアチャンと息子

(その昔、息子は帰ってこないし、特に嫁が反対だと嘆いていたが)

私がタバコを買いに行きたいが、自動販売機は何処にあるかと聞くと、息子さんが自分が買っ
て来てあげると言う。
なーに2百メートルほどだからと言いながら、小型自動車のエンジンをかけた。

地方の人は歩かないとは聞くが、本当にモータリゼーションは都会より田舎が進んでいる。
天気予報で明日は気温が25度位になると言っている。
洗濯代込みで¥6700

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3月7日(火)晴れ
(目が三角になる)

6時朝食 6時半スタートとなる
街並みを抜け左手に朝焼けの太平洋。
浜千鳥公園でWC。

田崎氏(4人の内横浜の人)に出会う。

横浜から来た田崎さん

先に行ってもらうが、道を間違えたりで何度か追いつく。

田崎氏は私の予定宿舎より約5キロ先の宿を予約している。
明日、大日寺を打ち、高知空港から一旦横浜に帰ると言っている。
民宿「うらしま」で隣の部屋からオシッコが出ないと電話で話していたのは田崎さんだった。
彼は糖尿病でインシュリンを持参して一日に4回注射をしながら歩いている事を初めて知った。
私がもし彼のような状況でへんろが出来るだろうか?
その精神力には感服だ。
無理をしないように話したが、要らぬお節介だったかも知れない。

前回昼食で初めてカツオのたたきを食べた、懐かしいレストラン「矢流」を右に見ながら通過。
サイクリングの休憩所で、1人でゆっくりと昼食弁当。

明日の宿舎はサンピア高知を予定している。
電話で予約すると、前回と同じように厚生年金受給の証明書を提示してくれと言う。
そんなものは持ち合わせていないが、もう9年間も受給しており、何か別の方法はないかとう。
誰かと相談していたが結局は承諾してくれた。
シングルは満室で、ツインの部屋を1人で使ってよい、料金は5800円との事。
住所、氏名、TELを詳しく聞かれた。

昼食が終わった時、昨日神峰寺で一緒に登った千葉の夫妻が追いついて来た。
奥さんは足が痛く、体力的にも参っている様子。
主人は山登りのベテランで足も速い。

以後、今日の宿舎旅館「かとり」まで同道する事になった。
海岸沿いに延々と続くサイクリングロードが素晴らしい。

休憩所                          自転車でタオルを届けに来た夫人

9年前に休憩して昼寝をしてしまった場所を通り過ぎた。
昨日のように覚えている。

しばらく行った所に、個人設営の立派な遍路休憩所が出来ている。
千葉の夫妻としばし休憩。
飲み物やみかんなどお接待品が置いてある。
周りの板塀にはいろいろなイラストや人生訓のような文字が並んでいる。

休憩後千葉の夫妻と3人で浜辺のサイクリングロードを暫く歩いていたら、後ろから自転車を飛
ばして追いかけてきた人が、タオルを手に持って「忘れ物だよ」と届けに来た。
3人ともにタオルの忘れ物はなく、間違いだとわかった。
「汗を拭くのに困ると思って追いかけて来た」と声を弾ませている。

ここまで親切に出来るだろうかと自身に問うてみた。

「かとり」の付近は開発が進み、田んぼや畑は工場やパチンコ屋などが立ち並び以前の面影
は無く、思わず道を間違えたかと錯覚するほどだった。

「かとり」で目が三角に。(怒った時の私の表情を家内が表現する言葉)

到着するや、
受付で料金6800円と言ったが、それは朝食無しの料金で、2食付は7300円だと言う。
受けたと思われる女性が謝るので了承した。

それからだ!!
まず、千葉の夫妻と私の名前を取り違えて案内する。
私は大村だ!
カチンと来る。

風呂は後ほど案内しますとのこと。

夕食の時間は何時にしますかと問うので、風呂から上がって少し時間を置いてと思い6時と決
めた。
テレビを見ながら待った。

待てど暮らせど風呂の案内が来ない。
フロントに電話で風呂はまだかと聞くと、案内しますからお待ちくださいと言う。
きっと団体か何かで遅くなるのだろうと思い、我慢して待っていた。

6時丁度に電話のベルが鳴った。
てっきりお風呂の案内と思って受話器を取ると、

「お食事の時間です食堂の方へどうぞ」

と言うではないか。

もう切れた!

フロントへ素っ飛んで行き、
「何と言う失礼な事をするんだ!!」
「風呂はどうなっているんだ!!」

と大声で怒鳴った。

「あ!!お風呂はまだだったんですか」
「まだもヘチマもあるか!案内するからと何度も言うから待っていたんだ!」

「申し訳ありません」

男性の従業員が平謝りに謝る。
人前での諍いは好まない性格だが、このときは厳しく怒った。

憤懣遣る方ないが、何時まで怒っても致し方ない。
風呂に入り(大きな風呂で私のほかには1人しか居ない)怒りを鎮め、部屋でもう一度心を落ち
着けて食堂へ行った。

千葉の夫妻はもう食事を終わっていた。
私がなかなか来ないので、どうしたのかと心配していたと言う。
一部始終を話して、少しは気が落ち着いた。

今日の道には、各所に休憩所が設けられており、また道の駅などの施設もあり、とても気分の
良い歩きが出来た。

でも目的地まで後10.5キロからが長かった。
何時も後半の数キロはきついが。

安芸市の町並みは、古い立派な家屋が多く、ご老公好みの街並みだ。
(ご老公とは、前回のへんろで書いた私のホームページを見てメールを貰い、以後メール友達
となった。
彼のホームページは「ご老公のページ」http://homepage2.nifty.com/goroukou_3/で四国4県88
ケ所の寺を含み、各所にある伝統的な建物や風景をスケッチしてホームページに公開してい
る)

通りの道に何本も「絵金蔵」という幟が掲げられていたが、何のことやら判断が付かなかった。

旅館「かとり」の食堂に張ってあったポスター

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3月8日(水)曇り
(腰の曲がりは単なる老化ではない)

6時朝食。
食堂には菊池さん(千葉の夫妻)が居た。
昨夜怒りの後の食後、食堂に張ってある「絵金蔵」のポスターについて女性の従業員に聞いて
みた。
その昔、山之内家の家臣が左遷され、田舎に帰り絵を描くようになった。各家に屏風絵などが
残っており、それを持ち寄って,部屋を暗くして蝋燭の炎で覗き見をするそうだ。
それは美しくも恐ろしい絵だそうだ。
それを「絵金蔵」と呼んでいるという。
菊池さんが食後、食堂の女性に同じように聞いていた。

食後、部屋に帰ろうとしたら、昨夜厳しく叱った若者が、デザートだと言ってポンカンの皮を剥
いてきて、「遅かったですね、部屋で食べて下さい」と差し出した。
「もう気にしないでくれ」と言ったが平身低頭だった。

28番、29番、30番と菊池夫妻と同道。足が速い。
前回通った道と違いサッパリ分からない。
菊池さんは昨秋も歩いていて、先頭に立ち案内してくれる。

菊池さん夫妻

車に乗せてもらって行くのと同じように、人の後に付いて歩くと道中を全く覚えない。
地図を出して調べる事も無く、へんろマークに注意する事も無い。
土地の人に道を尋ねる事も無い。
ただ付いて行くだけだ。
やはり自分で苦労しないとダメだ。

サンピアには2時30分に到着しチェックインを済ませた。
部屋は清掃中とのことで、ロビーで待つ事になった。

明日は前回と同じように、朝食無しで早朝に1人で出発しようと思い、フロントで近くのコンビニ
を教えてもらい、菊池さん夫妻を置いて出かけた。
直ぐ近くと言われたが、往復で30分かかり、明日の朝食と昼食を仕入れて帰った。

ホテルのランドリーは、外の向かいの建物の部屋にある。
風呂は以前のラドンではなく普通のお湯に変わっていた。

疲れていて、一人でレストランに行って食べるのは面倒になった。
部屋で朝食用に買ってきたもので済ませた。

渡邉さん(山登りの師匠)からメール。
自宅からは自治会の防犯パトロールの引継ぎが廻ってきたが、西川さん宅へ持っていったと
の事。

菊池さん夫妻と歩いて。
自分のスピードより早い。私の平地の歩行速度は遅い、子供の頃から「かけっこ」では何時も
負けていた。ただ長距離だと持続力は強い方だと思っている。
見栄を張って菊池さんに遅れないよう歩くと疲れる。
いろいろ教えてもらったり、会話で楽しいが、先ほども書いたように、ただ人に着いて歩くだけ
で道も覚えない。
見栄を張るな。自分を知れ。が今日の教訓。

それから創意工夫を教わった。
線香やローソク入れ。
賞状などを入れる筒を適当に切り、これを使う。
私が前回の遍路で本田さんに教えてもらい、霊仙寺の納経所の売店で買入れた納札入れは、
それなりに使えば便利だが、首から提げて歩くのはやはり面倒だ。
菊池さんの工夫した道具を見ると。これはもう歩き遍路にピッタリだ。

歩きの途中で気がついたことがある。
腰の曲がった老人が小型自動車に乗り込み、平気で運転している。
ある食堂で教えられた。
腰の曲がりは単なる老化ではないと。
農家の人は、下ばかり見て仕事をする。
腰を曲げる仕事を一生続けているから腰が曲がるのだ。

だが本当は健康で強い。
車に乗ると腰を曲げた状態で座る事が出来るので、席に着くとシャンとする。

一生続けて仕事をする、またそれができる事は何と素晴らしい事か。
過っての日本には手や指や肩などにタコを作ったその道の名人が、周りにも沢山いた。

現在の農家の人は、秋田から来た浅沼君が言っていたように、自動車、トラクターやコンバイ
ン、田植え機などの農機具が発達して、腰の曲がることも無くなった。

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3月9日(木)
(モーツアルトが聞こえた)

5時起床、6時出発。
誰も居ないフロントへ、菊池さん夫妻へお礼のメモとキーを置いて出かけた。
一緒に歩くのは楽しいが、やはり1人で苦労しながら歩こう。
竹林寺へ向かう。

竹林寺へ向かう途中の朝焼け

前回は全て車道を歩いたが、橋を渡ったところから住宅地の細い道を抜けて、へんろ道に入
った。
竹林寺の裏手から入るような趣のある道だ。
まだ誰も居ない本堂,大師堂が素晴らしい。
石組みのへんろ道を下り禅師峰寺へ向かう。
このへんろ道も結構長く感じる。

種崎の渡しで時間待ち。
四万十川の船の渡しは無くなったと聞いた。
へんろ道の渡し船は此処だけとなったようだ。
無料の渡しだから、これはへんろ道だ。

前回この渡しでは、竹林寺でみかんをどうぞと頂いた、重見さんと言う女性と一緒に乗った。
彼女は不幸にも突然心筋梗塞でご主人を失い、遍路に出かけて来ていた。

私の側で
「五十歳前後の若さで、子供も育ち此れからだという時に」
と、大粒の涙を流しながら、
「根性で歩いているんです」
と小走りに歩いていた。
私は慰めの言葉も出なかったのを思い出す。

今回は子犬を抱いた女性がいろいろ聞いてくる。
一緒に渡し舟で対岸へ渡り、先に行った。

途中のスーパーで又出合い、大きな声でお元気でと見送ってくれる。

種崎の渡しで

種間寺は門前の道路が拡張され、まるで違った雰囲気となっていた。

土佐市への道も広くなり、へんろ道と交差して分かりにくい。
仁淀橋から「ビジネスイン土佐」までの道の長い事。
今回は朝食付きとしている。

ホテル下の居酒屋で今回も夕食、オヤジは変わっていない。
客がいて昔話はしなかった。
北海道の友人、伊藤さんにそっくりなのだ。

途中の小学校の側の田んぼの中を通っていると、放課後の時間だと思うが、拡声器から名曲
が流れてきていた。
モーツアルトのアイネクライネ・ナハトムジーク、チャイコフスキーの花のワルツ、アンネンポル
カ等が広い空間を流れ、なんとも心地よい一時を与えてくれた。

明日の予定に迷う。
前回の汐浜荘はやめて、横浪ラインを通り須崎市浦の内の「旭旅館」と言う民宿に予約した。
明日は、早朝から35番清滝寺を打ちいったんホテルに帰り朝食を摂りスタートする予定。

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3月10日(金)雨
(伊勢エビで歩き遍路には贅沢な夕食)

5時起床。
外は暗いが電灯で見える路面は雨で濡れていた。
天気予報は雨。
カッパを取り出し準備。

5時40分、ザックを置いて清滝寺へ向かう。
前回のあの素晴らしい朝焼けは見る事が出来ない。
それどころかまだ暗い。高速道路が出来て風景が変わってしまっている。

まだ暗くて道標や、へんろマークが見えないが感で歩く。
間違えたら引き返せば良い。
薄明るくなり、やっとへんろマークが現れた。これで安心。

明け行くへんろ道の石仏は前回と同じように美しい。
6時30分には到着してしまった。

まだ薄くらい清滝寺の参道

たった一人でローソクも線香も一番乗り。
般若心経の声が響き、心地よい。

急な坂道は厳しかったが、明け行く里を見下ろしながら納経時間を待った。
納経所の若い僧が丁寧に応対してくれ、すっかり明けた寺からの下りは早い。
コンビニに寄り昼の用意を済ませて、ホテルのレストランで朝食。

8時40分、36番青龍寺へ向けて出発した。

塚地峠の上り口には広い休憩視所が作られていた。

塚地峠のへんろ道は懐かしいが、整備が進んでいて興醒めがする。
何度も言いたくなるが、
丸太組みで階段状に手が加えられ、見掛けは良いが、歩く者にとっては邪魔者になる。
歩いた人の跡は、丸太の片隅にある30センチほどの段の無い所を通っているのが分かる。

真ん中は歩かない、右端ばかり歩く

だが、山道と峠からの景観は素晴らしい。
下りになり不快感はなお増して来た。

階段も嫌だが、コンクリートで固めた石畳はなお嫌だ。

塚地峠への道 コンクリートで固めると歩き難い

コンクリートは丸い砂利石で、石畳はコケが付いており雨の後ですべる。

木の根や岩や石ころで出来た自然の道を残して欲しい。
作った人達は古来からのへんろ道を手入れして、喜んでもらおうと思って作業したのだろうが、
昔の状態を出来るだけ維持するにはどうしたら良いかを考えて欲しい。

とにかくコンクリートを使うと、遍路道が歩き難い道になるのは確かだ。

宇佐の町、大橋は変わらず。
先年泊まった汐浜荘には泊まらない、御主人は元気だろうか。

青龍寺から横浪道路へ行く道は何処だろうかと、門前の小店で石細工をしている店主に聞い
た。
古色蒼然とした道だが、厳しい上り坂が続く。

青龍寺奥の院への険しい登り道

奥の院への道を登ると横浪道路へ出た。

素晴らしい自動車道だが、通る車はほとんど無い。
緩慢な上りと下りだが、なだらかに波打つ道路は結構足にくる。

延々と歩く。
太平洋と磯に砕ける浪の組み合わせが絶妙。

前回通った内海沿いの道とはまったく違う、ダイナミックな景色だ

須崎市に入ってくる。
高校野球や柔道また横綱朝青龍で有名な明徳義塾の中、高の表示があった。
野球部の練習だろう、大きな声が山上の道まで響いてくる。

「旭旅館」の人が場所は明徳義塾から近くの左下の方と言っていた。
しばらくして、池の浦の表示があった。
海までは遥か下までうねうねと曲がりくねった下り道。

宿は旅館となっているが、いわゆる釣り宿。
「へんろ」が良く泊まると言うが、今日は私1人。

旭旅館の窓から、漁港を望む

部屋に案内した奥さんが、夕食は普通どうりにするか、それともイセエビにするかと聞く。

「ここのイセエビはブランド物と言われていますが、どうしますか?」と言う。
それではイセエビでお願いしますと答えて、さて料金はと聞くと合計で¥11000円ですと言う。
「歩きへんろに¥11000は贅沢だなー¥10000円ならお願いします」と値切った。
それでは10000円でと言う事になった。

大きなイセエビ2匹を真ん中から切ったものが,鍋の中にある。
その中に豆腐、白菜、ねぎ、茸などをドバッと入れる。
煮上がるる前にイセエビを取り出して食べる。 
ポン酢があるが、まず食べてみて、必要なら使ってくれと言う。
そのまま食べて見ると多少の塩気があり最高の美味。
最後は雑炊にする。
ふぐちりの雑炊も真っ青の美味さ。
10000円は充分取り返した。

明朝は坂の上まで送ってくれると言う。
あれを登ると一汗かく。有難い。

奥さん曰く、ここ2〜3年客が減っていた。
同業の人から聞いたが、青龍寺の前でおばあちゃんが、横浪道路はきついから止めて内海の
方を廻ったほうが良いと盛んに言うらしい。
私が聞いた時も小店の主人は横浪は厳しいよと言っていた。
どうもその加減で客数が減ったらしい。

年末のイセエビ、いつでも注文受け付けますとのことだった。
洗濯も終り寝るだけ。
外の港では煌煌と明かりがついていて、漁師の方が網の作業をしているのが見える。

木下さん(OB会の友人)からメールあり。

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3月11日(土)晴れ
(困った!郵便局は土・日は休み)

6時30分朝食。
支払い¥11000円と言う、そうだ何時もは飲まないビールを1本頼んだので。
横浪道路まで送ってもらう。昨日歩いた道だが大助かり。
これを登るだけで疲れてしまう。

横浪コースは素晴らしい。
途中にあった道の駅のような施設は利用者が無いのか寂れてしまっている。
月形半平太の大きな銅像が、1人寂しく海を向いていた。

道の近くにあるペンションのような建物も利用されている気配は無く、朽ち果てかかっている。
道路計画で一旗挙げようとしたが利用者が無く潰れてしまったようだ。

次々と左側に現れてくる、太平洋と岩礁の美しさ、見惚れるほどの絶景が続く。
内海の静かな入り江も良かったが、ダイナミックなこの美しさとは比較にならない。

豪快な景色が続く

一方足は重い。
高知も西に寄るほど人の挨拶が増えてきた。
工事中の人が遠くから声を掛けてくれる。
石垣の下からおばあちゃんが、お茶でも飲んで行きなさいと言う。
通りすがりのおばあちゃん、"えらいねー"
どれも顔が良い。
これぞ! 言施か。
言施を頂くと不思議に元気が出てくる。

須崎市の市街に入り、河口の入り組んだ道を、岩本寺への近道と書かれた案内表示に導か
れて進む。

ある交差点で、反対側の道を反対方向に進む夫婦がいた。
遍路姿の私を見て信号を渡って来られた。
岩本寺方向はこちらと教えて先に進んだ。

今回は出来るだけ、出合った人達を記録に残したくて、出来るだけ写真に撮っていた。
このご夫婦も記念に一枚撮らせて頂いた。

後で何度も出会うことになった石原夫妻

山桜が満開で、鶯が絶え間なく鳴いている。
安和までトンネルを3個通過した。

トンネルを出た所にみかんの販売所がある。
店の前で腰を下ろして休む。 
販売店のおばさんは炬燵に入ってテレビに見入っている。

贈り物にしたいが、ポンカンと甘夏とどちらが良いかと聞くと、珍しがられて味も良いポンカンが
良いのではと言う。
親戚と自宅に1箱づつ送った。

みかんの売店のおばさん

昨夜予約した「安和の里」を通り過ぎた。
予約取り消しの電話を入れた。

旭旅館の奥さんが私の足なら久礼まで充分行けると言っていたが、その通り「安和の里」は1
時過ぎに通り過ぎたのだ。
久礼の福屋と言う旅館に予約を入れた。

途中大変なことに気付いていた。
ポンカンの代金を支払った後、調べてみると手元の残金が12900円しかない。
今日・明日は土・日で郵便局は休み。
今日の福屋も料金は聞いていない。
少なくとも6500円はするはず。
次の岩本寺の宿坊もその程度はする。
しかも日曜日で予約が取れるかどうか分からない。
思い切って電話で聞いてみた。

素泊まりで4000円程度ですが、係がいないので正確ではないと言う。
とりあえず、素泊まりの予約を入れておいた。

日曜日は昼・夜共に食餌無しになるかも知れない。
みかん販売所でおまけにと貰った、ポンカン2個と甘夏2個、それにカロリーメイトが二箱ある
ので、それで過ごせば凌げると覚悟を決めた。

久礼の町に入り、国道から左に入り消防署の前に来た。
地図には書いてない。
通りかかった女性に福屋旅館を聞くと、詳しく教えてくれた。

ふと見ると四国銀行の看板が見えた。
ATMのコーナーの中に明りが灯っている。
郵貯のカードが使えるのかどうかは知らない。
お恐る恐るカードを挿入し、暗証番号を入力すると、コンピューターが動き始めた。
カードと明細票が出てきてそれを取ると現金が現れた。
こんな安堵感は久しぶりだ。

久礼に入り旅館への道を一つ間違えて入った為に、この幸運に恵まれたのだ。
順調に福屋旅館に行っていたら、今頃悩んでいたに違いない。
(元証券マンと言いつつ、今の金融界の提携関係の広まりには全くの無知)
福屋は2食付で6500円だった。
清潔で食事は部屋食、普通なら10000円はしてもよい様なもてなしで、朝食も部屋に持って来
るそうだ。
洗濯も済み今日は言う事無しに終わった。

木村さん(OB会の先輩)からメールが2度
明日は12日でOB会の「歩こう会」の日だった。確か房総の村歴史散歩だった。

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3月12日(日)曇り
(そえみみず遍路道)

5時半に起床した。
7時に部屋食、7時半にスタートした。
今日は25キロほどでゆっくり出来る。

久礼から「そえみみず」へ。
宇和からの道と何処かで合流する。

遍路道の道標から橋を渡り山に向かうと、見覚えのある家と小屋があった。
前回お接待を受けた所だ。

近づいて行くと、待っていたようにオバアチャンが手招きして、小屋の中に案内した。

前回と同じように年老いた女性が3人でニラを束ねていた。
10年まえにお世話になった話をすると、もう止まらない。
一方的に話が続く。

確か前回も耳が遠いと聞いていた。
歩き遍路への接待は生活の一部になり、生き甲斐となっているのが、ありありと分かる。
3人の作業中の人達の顔もとってもよい顔をしている。
ここにはお金で買うような幸せは存在しない。
決して裕福とは思わないが、本当の幸せがある様に感じる。

中土佐町久礼の奥代初子さん(左)と作業中の人

自分が端布で作った小袋を賽銭入れにと頂く。
ほかに前回同様、ポリ袋にウーロン茶の缶、せんべい、薄皮まんじゅう、あめ玉にみかんを入
れて渡してくれる。

写真を撮ったが住所と名前を聞いていない、こちらの名前は納札をお渡ししたので分かるが。
何としても調べて写真を送ってあげよう。

(後日帰宅後、久礼町の役場に問い合わせてオバアチャンの住所と名前を確認し写真を大判
にプリントアウトしてお礼状と共に送って差し上げた。すると返事が届いて再び驚いた。何と手
紙には9年前に差し上げていた納札が同封されていた。新しい納札を頂いたので古い納札は
お返ししますと書き込んであった。私の納札を9年間も保管してしかもそれを探し出して送って
下さった。なんと言う人だ、このオバアチャンは)

話は尽きないが先があるからと外に出た。
オバアチャンも外に出て、息子さんが作ったと言う、菜の花畑を紹介し何時までも見送ってくれ
ていた。

奥代のオバアチャンが何時までも見送ってくれた

「そえみみず」はやはり素晴らしいへんろ道だが、しばらく登っていくと、木々が伐採されて禿山
となっている部分に出会った。

オバアチャンが言っていた高速道路がここを通るのだ。

木が伐採されて禿山となったへんろ道

何処まで破壊すれば気が済むのかと言いたくなる。
この状況を見ると、道路公団の民営化も形だけで、産業の無い地方の要求に答える政府与党
の弱味が見える。

「そえみみず」の余韻を残しながら下り、途中のコンビニで一休み、パンを食べていたら千葉の
菊池夫妻が予想通りに追いついてきた。

島根から来ている夫妻も来た。

重い荷物を背負った若者も一緒に来た。

彼は何処が悪いのか知らないが、難病を持っているらしい。
大きな声でお経を唱えながら歩いている。
何度か四国を廻っているらしく、お寺で倉庫などに止めてもらって歩いていると言っていた。
何時もお経のテンポで歩いているのかと聞くと、そうだと言う。
般若心経でも、大師法号でも何でも良いから、お経のテンポで歩くと疲れが少ないと言う。
試してみよう。

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3月13日(月)雪のち晴れ
(勘違い、早とちり)

5時10分起床
6時からのお勤めを昨夜言われていたが出ず、6時10分に出発した。
寒い。
歩けば暖かくなり、厚着をすると汗が出るので、そのまま歩く。
明るくなってきた。

何か白いものが飛んでいる。
梅の花びらでもないし、虫でもない。
間もなくすると、それがだんだん多くなり、雪だと分かった。

3月も半ばになろうという、南国土佐で雪とは思いも掛けない事だ。
風も強くなり、菅笠を手で傾けながら早足に歩く。
暫くすれば止むと、たかをくくっていた。

昨夜は宿坊で自室にテレビは無く天気予報も聞いていない。
何の疑いも無く、約2時間ほど休み無く歩いた。
普通は1時間ほど歩くと、何処かで一休みする。

ふと道路標識を見ると、381号線とある。
56号線を歩いているはずだった。

雪が小降りになっていたので、遍路地図を取り出して調べるが、自分が何処に居るのかサッ
パリ分からない。
何時もの遍路マークが橋の袂にも無い。

右前方に「食事・喫茶」の店があり、営業中と看板が出ている。
ここは川滝町秋丸という所の店名は「プラターヌ」

カッパのまま飛び込み、とりあえずホットコーヒーを注文した。
客が3人、女性二人がジロジロ見ている。

尋ねると、ここは56号線から全く離れたところで国道までは、8キロほどある。
山に沿って歩けば国道にぶつかると言っている。

女主人が
「誰かお接待してくれないかねー」
とつぶやいていた。
コーヒーを飲みながら覚悟を決めて、
「仕方が無いから歩きます」
と言った。
すると、奥の席に座って朝食のパンを食べていた男性が、
「私が送ってあげよう」
と言ってくた。
「食事が終わったら行くから、待っていてください」
と言う。

今回はお接待を無碍に断らないと方針を決めていたし、ここから国道まで8キロと言えば時間
にして2時間強はみなければならない。
遍路道を自動車で進むのでもなくて、国道まで戻るのだからと自分で納得し、
「申し訳ないがお願いします」
と挨拶した。
男性が食事を終り、「それでは」の言葉に促されて車に乗り込んだ。

納札をお渡しして自己紹介をすると、名刺を差し出された。
大正町、町議会副議長の肩書きが目に入った。
車を飛ばしながら、町村合併の話が煮詰まっていて、毎日忙しい。
今日もこれから会議がある。
子供は3人で、孫が9人、曾孫が2人で来月はもう一人生まれる予定。

ゴルフが趣味で、オーストラリアのゴールドコースと、ハワイ、斎州島、カナダ、アメリカ 
それに欧州でも。
私費か公費か知らないが話が途切れなく続く。

文明の利器は凄い!!
瞬く間に国道に出た。

「直接国道を歩いていたら、ずっと先まで行っていたでしょう」
と言っていたが、そんな事はどうでも良い、とにかく助かった。

お礼を言って、車が見えなくなるまで見送っていた。

雪はもう止んでいたが、風が強く寒い。
ザックにはパンと牛乳があるが、この寒空で止まって食べる気がしない。
食堂などが次々見えるが何処も全部休業。

大方町に入り町外れの一軒の食堂に入る。
誰も居なくて大声で呼ぶと、品の良い老夫人が出てきた。
うどん定食とコーヒーをお願いした。
ご飯がどんぶりに山盛りになっているので、半分に減らしてもらった。
昼食で食べ過ぎると後で歩くのが辛くなる。

大方町の海岸

大方町の松原を歩き、4時頃民宿「わかば」へ入った。

家の観かけは悪いが、食事は奥さんの手料理で心がこもっていた。
インスタントだがコーヒー、紅茶、お茶、水が廊下に備えてある。

祐理子、一生、自宅へメール。
明朝は6時30分朝食予定。

国道の側で終夜車の音がするが、奥さんの親切で余り気にならないのが不思議。

今日、お接待頂いたのは
高知県大正町 町議会副議長 国澤雅男氏78才 髪の毛は私よりずっと若々しい。

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3月14日(火)雪・風
(南の国でまたまた雪)

6時30分朝食といっていたが6時過ぎには、朝食の用意が出来たと呼びに来た。
前回のへんろ時、疲れている事を理由に、岩本寺から約20キロ地点の「民宿さかうえ」に宿泊
し、翌日下の加江の「民宿安宿」まで長距離を残し、日が暮れて苦労した事を思い出し、岩本
寺から36キロ先にある「民宿わかば」を選んだ。しかし前回「さかうえ」に辿り着いた時より疲労
感は少ない。

四万十大橋に向けて、広い農道を進む。
今日も寒い。
最初からウインドブレーカーを着た。
大橋を過ぎ(風が強く橋中から川を眺める余裕なし)例の長いトンネルの前から、猛烈な雪に
なった。

四万十川


下の加江へ向かうトンネルの手前で突然雪

小さなバス停のような所に入り、様子を見ていた。
待ってもダメだとカッパを取り出し着始めると一気に明るくなり陽が指し始める。
カッパは収納して、ザックカバーは付けたままトンネルを出たのが11;00、見覚えのある水車が
見えた。トイレ・タイムだ。
うどんと大判焼き2個を注文。
大判焼きは歩きながら食べた。

安宿が見えた。                                    
前回は暗くて見えなかった下の加江川は、青い水をたたえた清流だった。
下の加江の橋に向かって川を下ってくる風が強く、身体を吹き飛ばしそうな勢いで、何度も止
まって耐えながら橋を渡った。

安宿を過ぎて、菊池さん夫妻が泊まるといっていた「久百」から7キロ先の「民宿青空」を予約し
ておいた。
前回は砂浜の終わる所から入り大失敗した、大岐海岸の砂浜を通る。
白砂、青松の砂浜で何人かの人が何か探していた、旅行の途中らしい。

白砂青松の海岸

聞いて見ると「ぼうふ」と言う植物を探していると言う。
子供の頃砂浜の松林で母が探していたのを思い出す。
1人の夫人が「あった」と大喜びしている。
私が「ぼうふ」の名前を知っている事に驚いていた。
砂浜が終わり、前回間違って降りた崖を上り道路に出た。

民宿「青空」に16:00に到着。
老奥さんが来て、洗濯物を出してくれと言う。自分でするからと言っても聞き入れない。
部屋でお茶を飲んでいたら主人が洗濯済みのものを持って来て、部屋の前の廊下に干し始め
た。
息子の子供(孫)が優秀で現在アメリカに留学中などを嬉しそうに話していた。

下の加江を過ぎてまた、雪、みぞれ、今度は木陰で待った。
数分で晴れてきた。足摺岬の38番からの打ち帰る人多数。
星空近くで会ったへんろは、一日で往復していると言う。
78歳で45キロ以上を。タマゲタ!!
隣の部屋に誰か居る。
襖一枚。

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3月15日(水)曇り
(定年後は庭師))

6:05食事
6:40スタート
隣の部屋に同宿したのは北條氏 静岡の人
日本百名山を83箇所踏破している山男。
定年後庭師の資格を取り4人一組で家庭の庭木の剪定などを請け負っており、4月〜7月、9月
〜11月と忙しいと言っている。

北條さん 定年後庭師の資格を取った。

足の親指の付け根に大きなマメを作っていた。岩本寺から区切り打ちを再開し、初日に35キロ
以上歩いたようだ。
殺菌用のパットを渡して治療を薦めた。
足をかばって右腰の付け根も痛むと言っていた。
無理は出来ないと38番で別れた。

朝出発する時、「星空」の主人がへんろ道を教えると言って約1キロほど案内をしてくれた。
実直を絵に描いたような人。
北條氏に言わせると「星空」は襖の間仕切り、和風トイレで若い人には評判が悪い。

設備は仕方が無いが、老夫婦の心が篭ったもてなしは、今日泊まっていて、小奇麗にしている
「土佐や」などより数倍の好感が持てる。
「土佐や」の泊まりは私だけ。
お茶なし、浴衣なし、風呂のお湯無し、部屋にちゃぶ台も無い、ナイナイ尽くし。
掛け合って浴衣は出してくれたが、お茶は自販機で、風呂は自分でお湯を入れてムカムカしな
がら入った。

今日は37キロと足を伸ばした。
足摺からの西回りの道は、断崖と青い海の続く景色は抜群。

足摺から西海岸へ

菊池さん夫妻が話していた「民宿夕日」がある。
きっと今夜は此処に泊まられるのだろうと思いながら通る。
山の中腹から西向きに、夕日を真正面に見るには絶好の位置にある。

中浜万次郎の生誕地を通り清水港に向かう。

中浜万次郎誕生地の石碑

今回はどうしても月山神社廻りで歩いてみたいと当初から思ってはいたが、いざ現地に来てみ
ると、月山神社から宿毛経由の39番延光寺への道は、前回通った下の加江の民宿「安宿」に
一泊して歩くコースに比べ約20キロほどの回り道になる。
迷ったが前日「星空」まで足を延ばしていたため、思い切ることが出来た。

中浜町に入って見つけた

ただ歩き始めるとなかなか思うようには進まない。
特に土佐清水市の清水港などは、目の前に見える向こう岸へ行くためには、深く切れ込んだ
入り江の奥まで歩きまた引き返すような格好になり、此処に橋を掛けてくれたらなどと思ったり
する。
日頃は無駄な公共投資をいつも指弾しているくせに。

足腰が痛い。
へんろ道の上下の繰り返しでバテた。
もう9時になる、これでは疲れは取れそうも無い。

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3月16日(木)雨・強風
(まるで台風)

土佐や6000円 おにぎりを2個作ってもらった。
外は雨、カッパ着用。
霞む水平線、黒い岩礁、打ち寄せる白い波、豪快の一言。写真は撮れない、頭の中に焼き付
ける。

雨の小止みを狙って撮影 他は風雨で不可能だった

月山神社への道。
海岸線は凄い風雨。
波が岩に砕け、風が水しぶきを容赦なく吹き付ける。
笠は背中に背負う形にして、カッパのフードを硬く閉めて、しゃにむに進む。

へんろ道に入ると、険しい道だが木々に遮られて風雨が弱まる。
落ち葉で土が軟らかい。

今朝から痛んでいたアキレス腱がへんろ道に入ると治まる。
月山神社は思ったより小さくこじんまりとしたお宮。

月山神社 此処で昼食 雨の隙間に

本殿横に休み場が設けてあった。
おにぎりとポンカンの昼食。

風雨の中へ再出発。

間もなく新しいへんろ道への表示があった。
インターネットで読んだ新しいへんろ道だ。
荒々しく木が切られ、良い道だがまだ未整備だ。
下っていくと、終わりの頃は崖で危険な場所。
下りきったところは小さな川になっているが、遍路道の表示が無い。

雨の中で地図を取り出して調べるが、遍路地図にはこの道のことは書いてなく、サッパリ分か
らない。
エイヤ!!で、山の方へ向かう道を選び暴風のような風雨の中を進んだ。
不安な気持ちだが、車の人も全く通らない。
しばらく上りカーブの場所の木の下に入り途方に暮れていた。
じっと風雨の弱まるのを待っていたら、軽トラックが下から上がってきた。
老夫婦に聞くとこの道で間違いはないと言う。

勇気を奮い起こして山道を登る。
風雨が強く休み場も無い。
いつの間にか般若心経に合せて夢中で歩いていた。
やっと目の下に人家が見えた。
バス停の表示に姫の井と書かれていた。

地図を取り出して見ると、大月町の安岡旅館という今日の宿舎にはまだ8キロもある。
とにかく何処かで休みたいがどうしようもない。
地図帳に書いてある、大月の道の駅まで行こう。
今日は日暮れ前の5時頃までに着けばよいと諦めて、歩きに歩くが歩幅が狭まりなかなか前に
進まない。
やっと道の駅に着いた。

まだ後2キロ以上ある。
目当てにしていた大月町役場が見えた、
もう近くだ。
左右を見ながら進むが、旅館らしいものは何処にも見えなかった。
町並みを通り過ぎそうになり、民家に飛び込んで聞こうとするが、いくら呼びかけても誰も出て
こない。
仕方なく引き返して、ガソリンスタンドで安岡旅館を聞くと、通りの裏側の細い道を2〜300メート
ル引き返した所ですと教えてくれた。
言われたとおりに行ったが、それらしいものは無い。
また反対の町外れまで来てしまった。
先ほど通った道路は向かい側に見えている。

再び注意して引き返すと電柱の上のほうに小さな字で、「安岡旅館」と書いた看板が見えた。
その家は古い時計屋のようだ。
戸をあけようとしても開かない。
裏に廻ると、老人が出てきた。

横にある古い農家のような建物が「安岡旅館」だった。
農家のような土間でカッパを脱ぎ、2階に案内された。
泊まり客は私一人だ。

安岡旅館のご夫妻

風呂、洗濯を済ますと、老夫婦が2人掛かりで食事を2階に運んで来た。
洗濯物を部屋に干し、日記とメールを書く。
もう8時45分だ。
荷物の整理は明日にして、もう寝よう。疲れた。
それにしても今日の風雨は台風以上だった。

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3月17日(金)晴れ
(春の小川)

6時半と予定していた朝食を6時15分に奥さんが2階に運んで来た。

早くから起きて身支度をしているのを知っているのだ。
支払いをお願いすると5500円だという。
それにおにぎり3個入った弁当のお接待がついていた。

昨夜の小奇麗にした「土佐や」とつい比較したくなる。
農家のような建物でトイレも風呂も昔のようだが、人情が違う。
月山神社廻りの遍路は殆ど居ないようだ。
歩く身になると次の宿舎までの距離を考えると、月山神社廻りは少し厳しいからかも知れい。

宿毛への道でこの家から人が出て道路を渡り、
ポンカンのお接待。袋にいっぱい、余ったら誰かにあげろと。

以外に早く宿毛市に着いた。
今日はビジネスホテルにしよう。
市街地に入り、郵便局により資金手当てを済まし、近くのビジネスホテルに直接行った。
空室ありで部屋にザックを置き39番延光寺へ向かった。

ザックを置き、確かに軽くなったが、頭陀袋の帯が肩に食い込んできて痛い。何故か?
軽くなればなったで、それなりに不平が出る。不思議なものだ。
ポカポカ陽気の中、延光寺には誰一人居ない。

午前中の延光寺には誰一人居なかった

下の加江方面からだと、早くて2時から3時ごろになる。
月山神社廻りは殆ど居ないのだ。

車で廻っている人から声がかかった。
「今日は40番までですか?」
とんでもない!!車の距離で聞いてくれるな!!
ゆっくりビジネスホテル桂月へ向けて帰る。

5月を思わせる陽気の中、スミレ、タンポポ、レンゲ、ツクシ、ナノハナ、自然に「春の小川」
を口ずさんでいた。
昨日は「般若心経」今日は「春の小川」余りの違いに我ながら苦笑する。

ビジネスホテル桂月に帰り、風呂。
もう外で食べる気がしない。

コンビニを探した。
ハンバーグ弁当に明日の昼用のパン、牛乳。
テレビの相撲をゆっくり見て、ハンバーグの夕食弁当をほうばる。

今日は汗もかかず洗濯は無し。
サロンパスを買って来て、左足のアキレス腱の上に貼った。
途中で貰ったお接待のポンカンが美味い。

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  愛媛(菩提の道場) 3/18〜3/30
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3月18日(土)曇り、雨
(再会 北條さん 島根の夫婦)

6時半にスタートした。
市街地を抜けると直ぐにへんろ道。
道端で朝食代わりにパンを食べていたら、3人に追い抜かれた、1人は普通の山歩きの服装。
後の二人はペアールックの白のトレイニングウエアーに菅傘姿。
早いスピードで追い抜いて行った。
山歩き姿の人が丘の上で休んでいるのに追いついた。

東京から土、日を利用して4日間歩くと言う。
まだ若い人だ。休みの利用で何度も四国に来ているそうだ。

東京から来ていた人

往復の旅費も大変だが、休暇をしばしば取れるのだろうか。
もう二度と来れないだろうからと言って、記念の写真を撮っている。
「そんな事を言っているけど、また必ず来ますよ」
「この経験をしたら、将来仕事を終えて暇が出来たら必ず・・・」
と言ったので笑っていた。
歩き遍路の魅力を知って、二度と来れないはずがない。

山を下ると次は松尾峠、雨が降りだした。

松尾峠

松尾峠を下ると40番までが長い。
40番で先ほどの東京からの人に会う。
本堂の中の納経所は前回寒くなり長袖の白衣を買い、その時お寺でセールスされたのは初め
てで、霊験あらたかな手ぬぐいを買ったところだ。
今回も過日心臓の手術をしたばかりの、親戚の叔母にと手ぬぐいを土産に一枚買った。
病気のところに充てたり、枕につけたりして下さい。中に使い方が入っていますとのことだっ
た。

近くの焼肉店でランチ定食550円、豚のしょうが焼き。
肉を食べることは滅多に無い。
そこから宿舎までの10キロだが長い長い。
雨は続く。

旭屋は新しく建て替えたそうで、部屋も広く一階は活魚の店になっており夕食も美味しかった。
何と先に分かれた北條さんに食堂でヒョッコリと会う。
あれから安宿へ行って39番から宿毛まで来たそうだ。

明日はどうするか。
洗濯機、乾燥機ありで助かった。
アキレス腱にサロンパスを貼る。
明朝どうするか。
北條さんは56号線を行くと言っている。
私は出来ればへんろ道を行きたい。
ただし海岸から直ぐ登りになる、高度470メートルの山越えだ。

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3月19火(日)曇り 強風
(紫色の壁を見てキャンセル)

6:20 奥さんが昨日干してくれたカッパを主人に取り込んでもらう。
出掛けに北條さんへ、山のへんろ道を行くと伝えてもらうよう頼む。
寒い。
すぐ遍路道へ。

3月12日と13日この道でへんろウォークがあったようだ。
前回歩いた時より良く整備されている。
ただし自然が生かされて、コンクリートや階段は無く、そえみみず遍路道ひ匹敵する、素晴らし
い道になっている。
北條さんが追いついてきた。

北條さん、島根の夫妻などが追い抜いていく

休み場でまた島根の夫妻と会う。
39番からきたと言う。
「何時にでられましたか?」
しかも今日は41番まで行くと言う。
タップリ40キロはある。
昭和10年生れで私より1歳先輩だし、奥さんも昭和12年生れと言う。
どんな生活をしてきた夫婦なんだろうと驚くばかり。

昨日朝追い越して行った夫婦が後ろから来た。
岡山県倉敷の人で、これは足が速い。
今日は疲れがひどく、またアキレス腱が痛い。
結局全員が追い抜いて先に行ってしまった。

宇和島市に入ってからが苦しく長い。
パチンコ屋の前の石垣に腰を掛け、一覧表を見てビジネスホテル鶴島に電話して予約した。
市内に入り鶴島をやっと見つけたが、壁の色は紫色で見るからにみすぼらしい。

少し後ろに宇和島パークホテルと書いたビルが見えた。
フロントに行き宿泊をお願いし、宿泊料4500円で直ぐにキーを渡してくれた。
鶴島には悪いが電話でキャンセルさせて頂いた。

夕食は近くの郷土料理店でうなぎ定食2100円と張り込んだ。
鯛めしが有名な店らしいことを、うなぎを食べながら知った。
残念至極!!
店の人から、うなぎも名物ですと慰めてもらった。

近くのローソンで朝と昼の用意。部屋でインスタントコーヒーだが美味い。
札幌の佐々木さんから贈り物が届いたとのメール。
何処かで何か送ってあげよう。

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3月20日(月)晴れ
(前回は三隣亡だった日)

思い出す!前回は最悪の日だったのだ。
(三隣亡と名付けたのは、まず歯長峠への道を迷い別の山を彷徨った。続いて歯長峠の頂上
で眼鏡を忘れた。その上に明石寺の大師うどんを時間切れで断られた)

スタート地点も前回泊まった「ビジネスホテルまことや」の直ぐ側。

国道57号線のなだらかな坂を上る。

直ぐに北條氏が追いついて来た。
続いて倉敷の夫妻。
また2人連れの年配の男性が2人。

計5人が追い越して行った。
いつも人より早めに発つようにするが、いつも追い越される。

マイペースを守る。
だが結局は41番龍光寺で全員が揃った。

納経所に列が出来ている。
なかなか捗らないようだ。
私の前に並んだ人曰く。
「ここの住職は口は動くが手が動かない」

口は動くが手が動かず、納経がなかなか進まない龍光寺

やっと納経所には入れたが、住職が参拝者のマナーや諸々のことを、納経帳を差し出す一人
一人に長々と喋っている。

仏木寺まで5人は別々に歩いている。
仏木寺の納経所では、前回のような説教は無くスムースに終わった。
(前回の説教、掛け軸の巻き方を大勢の前で、滔々と教授された)

先ほどの人曰く。
以前は仏木寺が長かったが住職が変わって、今度は龍光寺が長くなったそうだ。

仏木寺から例の三隣亡のコースが始まる。
まず迷い道の現場に行って見ると、高速道路の工事中で、まるで風景が変わってしまってる。
前回迷った道は高速道路ので消えて無くなっていた。
これでは迷う必要はない。

高速道路の工事現場となった歯長峠への入り口

歯長峠の休み場で休憩し、苦を取るか楽を取るかで、苦を取った遍路道の鎖場はそのまま残
っていた。
鎖場で感じた前回の凄さは全く感じないのはどうしてか。
あれ以後、登山の経験がそうさせるのか、前回より上り易く意外な感じが残る。
頂上に立ち前回は疲れ切って座り込んだ場所は良く覚えている。
眼鏡を置き忘れた岩もそのままで健在だ。

前回はこの場所で眼鏡を岩の上に忘れてきた

想い出に浸りながら下り明石寺を目指す。

ここも風景がまるで変わっていた。
高速道路が走り、他の一般道も様変わりしている。
目測で歩き遍路マークを探すが見つからないので、地図を取り出していたら、それを見ていた
老婆が家から出てきて声を掛けてくれた。
する事も無く外を眺めていたら、貴方が困っていた様なのでと言う。

助かった有難い。

明石寺でも先に行った5人が全員揃った。
多少のスピードの差も札所では一緒になる。
今日は北條さんと宇和島パークホテルを予約している。

しかし私にはリベンジしたい事がある。

山門下の「大師うどん」だ。
前回丁度5時に納経が済み、空腹で大師うどんに望みを掛けて飛び込んだが、今日は終了し
たと断られたのだ。

今回はまだ2時過ぎだ。
北條さんに断った。
「リベンジでうどんを食べて行きます」と。

すると北條さんが「ホテルのバイキングはどうするの?」
「バイキングは食べないで、ホテル前にあるコンビニで何か買って食べる」
と言って階段を下りながら見ると、「大師うどん」の幟は立っているが扉にはカーテンがかかっ
ている。

そういえば今まで月曜日は殆どの食堂やレストランは休みだった。

リベンジはならず、北條さんとホテルでバイキングの和洋食。
倉敷の夫婦もバイキングだった。
風呂、サウナ、洗濯と全て終了。明日は内子か?
宿泊料5800バイキング1250

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3月21日(火)晴れ
(お大師さんも、ゆっくり休めなくなった)

5:00起床 コンビニで買った助六寿司にねぎの味噌汁。
6:00隣部屋の北條さんもジャスト6:00に出て来た。
ゆっくり歩く私に北條さんは合せてくれているのが良く分かる。
何度か待ってくれた後、先に行ってもらった。

鳥坂峠のへんろ道を選んだ。
北條さんが鳥坂峠を取ったかどうか分からない。
いよいよ峠の坂道に入る所に一段高く休み場が設けてある。
下から写真を撮っていたら、倉敷の夫婦が休んでいるのが見えた。
峠の前に一休みと私もザックを降ろした。
納札を交わす。

ペアールックの田口さん夫妻

田口さん。
納札の大村を見て、奥さんは長崎県の大村市出身で名前が順子さん。
私の家内と同じ名前だと言うと、一気に親近感が増す。
山道は楽しい。
田口さんに褒めてもらった。

「昨日は右肩が下がって苦しそうだったが、今日は真っ直ぐに歩いて居ますよ」と。
アキレス腱が痛くて知らず知らず右肩が下がっていたらしい。
単細胞は褒めてもらうと嬉しい。
歩き始めるともう、田口夫妻との距離はどんどん離れて行く。
杉林の遥か先を行く田口さんを撮影したが見えるかどうか。

下りに入り、たった一人になった。
林道のような一本道を下りきると真新しい道路がT字路となっていて、遍路表示もマークもい。
地図を取り出して何度見ても分からない。
賭けのような気持ちで、エイヤッ!!と右に行き始めた時、一台の車が来た。
両手を広げて止めて尋ねた。
「こちらは山です、左方向に行くと下に小学校がありますよ」と言う。
仕方が無いので下って行くとへんろ道の表示が現れた。
表示に沿って行くと交差点に56号線の表示があった。

大洲まで8キロ。
もう大丈夫と安心。
国道脇に数軒並んだ内の一軒のコーヒーショップに入った。
タップリ2杯分のコーヒーがポットのような容器で出された。
本格的コーヒーで本当に美味い、四国に入って初めての味。

56号線は拡張された素晴らしい道になっている。
その立派さには驚くばかり。
国道、県道、共に拡張されており、その上に高速道路の建設が続いている。目に付くものは道
路ばかり、山が至る所で削られて。
1人で腹を立てて怒鳴っていた。
凄い金が使われたね!!と。

誰も歩いていない広い歩道を延々と歩く。
交差点に差し掛かり、突然十夜ケ橋が見えた。
永徳寺の姿は変わらないが付近の風景は様変わりしていた。
十夜ヶ橋の上は高速道路の高架線が走っている。

十夜ケ橋付近は様変わり

これではお大師さんは眠れないのでは。
我々歩き遍路は橋の上では杖を突かないことになっている。
お大師さんの眠りを覚ますからだ。

お大師さんは眠れますか?

このように公共工事には、景観とか都市計画などは、余り考慮に入れていないとしか思えない
事が多すぎる。
内子町には前回と違う迂回路から入った。
松乃屋は前回と全く変わらない姿。

前回松の屋へ入る前に頂いたお接待に感激した「へもくればあさん」のだんご屋に立ち寄って
みた。
店はうらぶれてしまい見る影も無い。
中を見ると白髪の男性が近所の人と思える人と話している。
仕方なく引き返し松の屋に入った。

何度も考えるが、高速道路や一般道路が四通発達し確かに便利になる。
しかし高速道路の通過により、内子の町は通過してしまい、過疎が進むと言うジレンマは、どう
すれば解決出来るのか。
大手ゼネコンと地元の土建屋さんだけが潤うばかり。
目に付く新しいものは、道路と老人ホームとケヤハウス。

松の屋は部屋食は廃止されて食堂での夕食となったが、変わらぬ気配りがあり感じが良い。

お風呂で一緒になった同年輩の人は逆打ちをしている。
「道に迷って参った参った」と高笑い。
へんろ道の道標は,いわゆる順打ち用に表示されていて、逆から来ると見えなのが殆んどだ。
順打ちでも、私のように何度も迷うのだから、よく分かる。
横浜の隣、藤沢の人(戸沢さん)。
昨年順打ちで一回りして、今年は逆で行ってやろうと出掛けたそうだ。

道路の事で同じ考えをしていて、二人で公共投資という名目の無駄使いをこき下ろすこと暫
し、もっとお金の使い道を考えなさいと。

明日は又雨の予報。
一気に大宝寺は無理。

逆打ちの戸沢さんが言っていた「ひわだ」越えで行ってみようと、
山中の一軒宿、広田村の「えびすや」と言う民宿旅館を予約した。

松の屋¥9450
前回は¥12000円だった。これもデフレか?

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3月22日(水)雨
(鶸田峠越え)

6:00戸沢さんと、それに大洲で後ろから私を軽々と追い抜いていった女性が朝食。
女性は横浜の港北区だそうだ。
彼女が私と一緒に行くと言う。
昨日追い抜かれたスピードから、私は足が遅いのでマイペースで行きますよと断って出掛た。

松乃屋にて 左から戸沢さん、おかみさん、横浜の健脚女性

彼女は今日大宝寺まで行くと言う。

1時間ほどで予定どうりの雨となった。
彼女は時々待っては歩いていた。
途中、新設されたへんろ休み場で休憩する。
囲炉裏が切ってあり、老人が二人火箸を弄びながら談笑している。
テーブルのみかんを勧められ、頂くとくと同時に2個ほどザックに入れた。
彼女にはお先にどうぞと、先に行ってもらった。
雨が続き左足首が痛む。

大瀬の町でパンと牛乳を仕入れる。

町並みが一段と美しく整備されている。

買い物をした店の主人曰く。
「ノーベル賞さまさまです」
大瀬出身の大江健三郎氏がノーベル賞を受賞した結果の事を言っているのだ。
古民家保存で補助金が出て、建て替える家が多いのだそうだ。

道路わきの休憩所で雨宿りしていたら、彼女が後ろから来た、道を聞いていたらいろいろお接
待を頂いたと言っている。

「今から鶸田峠を越えるのは大変ですよ」と老婆心ながら言うが彼女は意に介さず、平気だ。
知らないとは言え大した自信だ。

雨の中思ったより早く「えびすや」への分かれ道に来たようで、トンネルを抜けたところで地図
を出し確認。
歩き出してしばらくした時人が歩いてきたので問い合わせた、間違いなし。

やがて前方から来た車が止まった。
窓を開けて
「どちらへ?」
と聞く。
「えびすやです」
と答える。
「私はえびすやの者です」
「ここは遍路道ではないので車に乗って下さい」
と言う。
歩き遍路の事を心得ている人だ。

「えびすや」は主人と奥様が万全のもてなし。
到着すると主人が、カッパを干してくれる、奥様は洗濯物を出せと言う。
2時過ぎに到着したので時間はタップリとある。

9年前にはお宅のことを知らなかったと話すと、その時は遍路地図に「えびすや」は掲載されて
いなかったそうだ。
2年程前から客が電話してくるので調べたらへんろ道保存協力会の遍路地図に掲載されてい
たと言う。
二人はそれから遍路の事を勉強したと言う。
夫婦揃って親切この上なし。

えびすやの夕食 部屋食で心のこもった手料理

1回のロビーの様な所で久しぶりに新聞を読む。
王ジャパンの記事が目に付いた。

明日は岩屋寺を打って、今回も予約した古岩屋荘(国民宿舎)だ。
えびすや¥7000

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3月23日(木)晴れ
(檜の植林)
「えびすや」は夜スナックをやっており、夜が遅いので朝食はなし。
替わりに夜の間におにぎり弁当を作り、朝は自由に出発できる。

「えびすや」は2組の宿泊しか出来ない。
同宿した2人は鎌倉在住の人だった。
6:00過ぎに出発した。
2人が先に発ち、それに続いて出発した。

徐々に上り坂になり、もう2人は見えなくなった。
遍路道がだんだん狭くなり、やがて「鶸田峠」の山道に入って行く。

雨に煙る鶸田峠への山道

息を切らせて上り詰めたところは下坂屋峠と書いてあり高度570メートル。

峠から高度410メートルまで下り、そこから「鶸田峠」がはじまるのだ。
峠の頂上は高度790メートルだ。

途中、早朝から檜を植林している夫妻に出会った。
雨が晴れた時を狙ってやっているようだが、山はだが段段状になっている直ぐ下の道路に軽ト
ラックが止まった。
老夫婦が車から降りて何か植物の苗のような物を取り出していた。
きっと植林をしているのだと思い聞いてみた。
もう70歳代と思われる年齢の夫婦だ。
「もう私たちは先がないが、こうやって置けば孫か曾孫の時には役に立つ事もあるかも知れな
い」と言っている。
目先の利益が全ての世の中になって仕舞った中で、100年のスパンで物事を考える人達がい
る事に感動する。

今回初めて通るが、内子の風呂で藤沢の戸沢さんが「鶸田峠」を通りますか?あそこはきつか
ったと言っていたのを思い出す。
港北区の彼女は雨の中昨日ここを越えたはずだ。
あの時間からだと、雨の上に薄暗くなり岩や石ころのこの道を通ったかと思うと無茶だと思う。
頂上まで登り詰め、長い下りを久万高原町の大宝寺まで歩く。

やっと辿り着いた町中から、大宝寺に向かっていると前方に遍路姿が見えた。
近づくと驚いたことに、北條さんとバッタリ出会った。
私が内子に泊まった日に、北條さんは大瀬まで足を伸ばしていた。
そして私が今日予約している古岩屋荘に泊まり、早朝から岩屋寺まで往復して、此処でバッタ
リ出会ったのだ。

大宝寺への入り口まで来ると今度は休み場から出てきた島根の夫妻とバッタリ出会う。
健脚に驚くと共に奥様の頑張りに感心すると主人が
「女の方が強いんですよ・・・」と。
「同感です・・」と大笑い。

大宝寺の納経所では、9年前と同じように奥様が納経帳に朱印を押していた。
前回のことを話すと納経帳の字を見て「私の字ですね」と途端に笑顔となった。

大宝寺で再び一緒になった鎌倉の2人と45番岩屋寺への遍路道に入った。
ここも前回は歩いていない道だ。
ここでも二つ峠を越えることになったが、前を行く二人が
「これでもか、これでもかと続きますね」
と言ったが鶸田越えの後のこの道は正に「これでもか、これでもか」と人を試すような遍路だ。
「参りました」と言いたくなるような気持ちだが気力を振り絞る思いで歩いた。

二人に引き離されて一人になり下ばかり向いて歩いていたら、最後の山越え道を間違えたよう
だ。
山を越えて岩屋寺の近くで大きな不動尊が迎えてくれると何かで読んだ。
下っていく左の谷の向こう側に岩の断崖の中腹に開いた洞穴の中に不動尊が立っているのが
見えた。

谷越えに不動尊が見えた

その時は「これだな」と思い込んでいた。

谷底まで降りる道があり、下まで降りて不動尊の写真を撮って、尚下って行くと、何と今日予約
している国民宿舎古岩屋荘に出てしまった。

二人は山越えをしたようだ。

古岩屋荘へザックを置き岩屋寺へ急いだ。
この坂も長距離を歩いた後で厳しい。
本堂までの長い石段を登り切りお参りを済ませてベンチに腰掛けて休んでいたら、これが本来
の道だろう、山から下りてきたところにある古い山門から鎌倉の二人が入って来た。

山越えで来る道の山門

彼らが「あれ!!」と言っている。
私が先に来ているのがどうしてか分からないのだ。

当然のことだが二人に説明すると「最後のこの山坂は、本当に死ぬほど厳しい道だった」と言
っていた。
悔しがっていると「四つも山越えをして来たのだから良いのでは」と慰められた。
古岩屋荘で聞くと一人は78歳、もう一人は1回り下の66歳という。
驚くべき体力にただただダツボウ!!

食堂で2人の外人が彼らの席の前に座った。
私の席からは離れていて聞くことは出来なかったが、78歳の彼は盛んに英語で応対してた。
きっと海外生活が長かったのだろう。
どんな仕事をしていたのか聞いてみたかったがチャンスを逸してしまった。
古岩屋荘¥7300

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3月24日(金)晴れ
(またまた道路工事のこと)

7:00朝食
昨夜46番浄瑠璃寺近く長珍屋という民宿を予約していたが、今回は前日岩屋寺を打っており、
出来れば足を伸ばしておきたいと思い最初からスピードを上げた。
鎌倉の2人にいつ追いつかれるか。

もう一つの山越えの遍路道もあるが、国道のコースを取った。
コンビニでおにぎりの用意をして国道33号線を三坂峠へまっしぐら。
峠の頂上は高度740メートルで頂上まではダラダラとした登り坂だ。

上り坂の途中で2人に追いつかれた。
78歳には脱帽だ。

三坂峠から細い遍路道の下りに入る。
まだ10:30だ。

林野庁の人達が作業をしていたが、山の中腹に設けてある休み場で一緒に昼食を食べた。
迷惑ではと言うと「遍路さんからはお陰をもらえるから」と大歓迎。
四国の多くの人がこの言葉を使う「お陰を頂けるから」と。
子供の頃からそのことが普通のことになっているし、又自然に信じているのだ。

するとそこへ鎌倉の2人がヒョッコリと現れた。
峠でお昼を食べようと探したが見当たらなかったと言う。
又彼らが先に発つ。
下りきったところで休んでいた2人に追いついた。

一緒に腰を下ろして、今日も話題は道路工事。
三坂峠への国道筋で3メートル幅の歩道を6メートル幅ほどに拡幅する工事が続いていた。
何のために?誰も歩かない歩道を?無駄使い!!
誰の目にも「どうして?」と写るのだ。
意見は何時も一致する。

何の産業も無い農と林の地帯では、大、中、小の土建屋さんだけが潤っているようだ。
しかもその事業が地元の人たちを雇用しているのだ。
国会で話題になる道路族のことは、この現地に出くわすと良く分かる。
この工事がなくなると後はどうなるのかが問題の根幹なのだ。

昨日予約し長珍屋は後105キロに迫っているがまだお昼だ。
地図を出して検討。
49番浄土寺の近くにある鷹ノ子温泉ホテルを予約した。
旧館で7500円だと言う。
47番、48番と打ち49番までは後約4キロ。
何時もの事だが後4キロは足が重く、歩幅も狭くなる。
ホテルの前は観光バスから降りた人でごったがえしていた。

フロントに入ろうとすると、紺の制服が飛んできて、お泊りはあちらですと旧館を指す。
何も言わないのに遍路姿で直ぐ分かるのだ。
薄汚れた旧館のフロントで受付の女性が、風呂、部屋、食堂などを地図を指差しながら説明。
遍路道より難しそうだ。
泊り客用の風呂の湯が良いと盛んに言う。
こんなに薦めるのは何か理由がありそう。
先程みたあの来客数を考えると、大浴場は使われたくないのだろうと想像がつく。

フロントで内子の宿から歩いた女性がヒョッコリ現れた。
鶸田峠を雨中越えてきた人だ。
薄暗い坂道を雨の中、死に物狂いで越えてきたといっている。
昨日は無理をせず短距離にして、今日は温泉で身体を休めようとしてここに来たようだ。
次の泊まり場所も話していたが聞き流していた。
温泉はつるつるのアルカリ性の湯で、疲れが取れそう。

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3月25日(土)晴れ
(道後温泉、山頭火、一草庵)

5:20久しぶりに朝風呂に入る。
直ぐ側の浄土寺から50番繁多寺そして51番石手寺を打つ。
昨日から常に私と前後する人がいる。
埼玉から来たと言っていたが、私より先に行っては何処かで後ろから現れる。
聞くと道を間違えたと言う。
後ろから彼の歩きを観察していると、間違いそうも無い場所でもたもたしている。
多分方向音痴といわれる奴だろう。

石手寺は相変わらず賑やかで遍路以外の観光客で一杯だ。

石手寺の境内で

さあ、道後に近づくと、前回もそうだったが道がサッパリ分からない。
地図を見ても、自分がどの位置に居るのか分からない。
あてずっぽうに進んで行ったら道後温泉本館前に来た。

道後温泉本館

何人かが盛んに写真を撮っていた、記念に数枚写真に収めた。
又埼玉の人に出会う。
松山大学のグラウンドを過ぎ道路の側を流れる小川の小さな橋の袂に山頭火の一草庵への
表示があった。

山頭火終焉の地 一草庵

寄り道は殆どしないのが普通だったが、一草庵には立ち寄った。
想像していたよりきれいに整備された一軒家。
しばし句碑などを眺め、彼の伝記などから得た想像を巡らせていた。

52番太山寺を打ち、53番円明寺に着く。
境内が狭くなっている様に感じた。
納経所の建物が大きく立派になっているためだ。
前回は46番浄瑠璃寺側の長珍屋からこの円明寺前の民宿上松に宿泊した。
今日はその先の民宿四国(なんと大きな名前か)を予約している。
円明寺から約3キロ弱だが、その遠いいこと。
もう直ぐだと思うと足が重く荷が重くなる。

民宿四国は鉄筋で二階建て、広い通りから少し入った所にあった。
私の直ぐ後に電話が架かり、宮城県の人が同宿となった。
ひたちなか市の人で、言葉が所謂ずーずー弁で、茨城県の人の言葉がこんなに聞き辛いとは
思ってもいなかった。
話し掛けても言葉が時々分からなく聞き直すことが多くなり、なんだか申し訳ない。

鷹ノ子温泉で再会した横浜の人はどうしただろうか。
夕食時も、朝食時も同じ食堂で食事をしたが、彼女の食事の早い事。
話の中に仕事の話も出てくるし、失礼ながら想像するにきっと独身だったのでは。
今日もきっと無理をした事だろう。

無理をしても結局は同じ事になるのが多いように感じる。
歩き遍路の泊まり場所は限られており、早く進んだとしても次の宿舎を決める時考えてしまう。
私も今回は前回より歩く距離は長くても疲れは前回より少ない。
だから最初から前回よりも長い距離を歩き、宿泊地も皆違うが、自分の足と相談していると結
局は前回と同じようなペースに落ち着いてくる。

もっと各所に宿泊施設があれば、次々と先に延ばして行くことが出来るが、よほど健脚でない
と先に延ばせない場所が出てきて、結局は短距離にするしかなく、同じようなペースになってし
まう。

山頭火のように野宿なら別だが。

戻る





3月26日(日) 曇・雨のち晴れ 寒し
(のたりのたりの春の海)

6:00前におばさんから食事の案内。
茨城の人(関口)と朝食。
大月の宿と同じだが、シーツなどは洗濯が出来ていて清潔だが、何しろ布団が重い。
古い宿に共通している。

「民宿四国」と言う宿の名前が凄いというと、おばさんは、この民宿はおじいさんが四国銀行の
出でこの名前をつけたので、自分達はそんなによい名前とは思っていなかったと言う。
     
関口さんより先に出発したが直ぐ追いつかれた。
国道を進もうとする関口さんに、海岸の堤防を歩く事を薦めた。
前回ある弁当屋さんで教えられ感激した道なのだ。
今回はまさに春。

波静かな瀬戸内海 関口氏

のたりのたりの瀬戸内海の海は霞がかかり、島々が幾重にも重なりすがらしい眺めだ。
対岸は広島県の呉あたりになるらしい。

展望が終わりあとは国道の歩道を歩くだけ。
関口さんは先のほうを歩いているが、そのうち姿が見えなくなった。
瓦の菊間を過ぎたあたりから又雨となってきた。
廃屋の軒下でザックカバー、カッパは上着だけにした。
今治まで行けるのかどうか分からない。急ぐ。
昼前に崎の一軒家のうどん屋に入りきつねうどんを一杯。
誰もいない店でオヤジさんと話す。
お互いに同じような年頃。
オヤジさんは昭和10年生れと言う。
私より若いねと褒めると話し出す。

最後に彼が余計な事だがといって、
「遍路さんは善通寺、高野山、それに京都の東寺だけは行っておいたほうが良い」と熱心に言
う。
いずれも空海の重要拠点だ。
「東寺は今回は行けないので、後日必ず行きますよ」と答えた。

54番延命寺を打ち今治市街に入る手前のスーパーの前で一休みしながら宿泊先を物色して、
ステーションホテルに電話したが満室だと断られた。
次に第一ホテルに電話すると句も無くOKだ。

市街地の南光坊を打ち、方向感覚が無くなり通る人に教えられながら、第一ホテルに着いて
みると室料4000円の安ホテル。
前回もそうだったが時々ホテルや民宿の設備などの文句をつけることが多くなる。
用は足を延ばして眠れれば良いのだ。

駅に行ってうどん、てんぷらで食事。パンと朝食用に名物の鯛の押し寿司を買って帰った。
洗濯物は屋上に干しに上がる。
ホテルのシーツや枕カバーに混じり、ホテルの人達の洗濯物が一杯に干してある。
隙間を利用して洗濯物を吊るした。

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3月29日(月) 晴れ
(お接待が激減)

6:20スタート
今治駅の構内を通り抜け直進。
56番泰山寺はすぐだ。
前回もそうだったが鉄筋コンクリートの建物に境内の庭も改装中。
大きな石の彫像を立てているが、何か白々しい。

誰もいない本堂、大師堂で経を読み、丁度7時になったので納経所で呼び鈴を押す。
愛想の無い顔で白い子犬と一緒に出てきた人(住職か?)は事務的に押印をし、
ガラスの小窓をピシャリと閉めて奥に入った。
お早うも、ご苦労様の一言も無い。

こんな奴がいると遍路の有り難味が半減してしまう。
こんな寺でも毎年何万人もの人達がお参りし、その都度納経料やお賽銭などを納める。
じっとして無愛想にしていても、年間何千万円もの収入となる。
こんな計算をしている自分がおかしいのか。

そんなお金があるなら、寺の境内でも近くにでも良いから、無料の接待宿でも作って若い野宿
の人達に提供してはどうか。
蚕棚のベッドに水道とトイレを付けるだけでよい。

つまらない石像の一つを作るより、よっぽどのご利益がある。
空海の足跡を写す寺々なら、もっと原点に返った処し方があるはずだと常々思う。

泰山寺で例の横浜の健脚女史に又出合った。
足が痛いと言っている。
きっと歩き過ぎが今頃出てきたのだろう。
無理をした人は何時も必ずこうなってくる。
わたしも無理をした後、アキレス腱が痛くて困った。
明日、横峰寺を打って横浜に帰るという。
子供が早く帰れというのでとの事。
鷹ノ子温泉ホテルで独身かもと思ったのは大きな誤りだったようだ。
余りに強いのでそう思ったのだろう。

マイペースと言いながら、何時も彼女の健脚に当惑していた自分を見た。
これで急がされる事もなくなるだろうと一方ではホットしていた。

市街地を通り抜けると何時も早朝には鶏の時を告げる鳴き声が聞こえ心地よい。
先程バタリー式の養鶏所の側を通ったが、そこで聞いた鶏の声は悲鳴に聞こえる。
仙遊寺から前回とまったビジハウス国安より6キロ先になる今日の宿舎「栄家旅館」までの遠
いこと。

オバアチャンが洗濯をしてくれると言う。
茨木の関口さんが疲れた様子で同じ宿にやってきた。
明日は又湯之谷温泉止まりにしようかな?

前回と今回の遍路行で決定的な違いは、お接待の回数が激減したこと。
原因を考えてみるに。

歩き遍路が多くなった。(年間3000人以上と言われる。次々に通る遍路に対応できない)
伝統を受け継いだ人達の代替わり。(個人から団体に替わった。市町村で伝統維持)
観光行事の一端となった。(お接待の真似事)

宿料¥6000

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3月28日(火)晴れのち午後雨
(豪雨で破壊された横峰から香園寺への下り道)

6:00朝食
工事の人達がまだ寝ているので静かにして下さいの注意あり。
関口さん、塚原さん(健脚の女性)と出発。

今日は山越えで昼食用の弁当を仕入れて置かないといけない。             41
民宿では作ってもらえないので、コンビニがあると教えられて出かけたが、宿から2.5キロ先だ
った。(民宿では近くのコンビニと言われたが)

それから山に向かってダラダラの坂道。
前回も途中で雨が降り出し、慌ててカッパを取り出して着たコカコーラの前を通る。

両名には先に行ってもらった。
塚原さんは宿に荷物を置き、横峰を打って3時までに宿に帰り横浜へ帰る予定。
横峰への上り口は前回道路工事中だったが、今回も崖の改修中だったが崖崩れがあったよう
だ。

上り口から山門までは前回の記憶も薄く、これでもか、これでもか、上り坂の連続。
一昨年の大雨で崩れた山道の補修工事が続いていて、工事をしている人達に聞くとまだ半分
も登っていないと言う。
それからの登りのキツイコト。

前回雨の中到着した山門にやっと着いた。
山門の写真を撮り、本堂、大師堂は階段を上がった上にあるので、納経所でお参りに前だと
断って納経を済ませた。
納経を済ませたところへ、関口、塚原の両名が本堂、大師堂のお参りを済ませて降りてきた。
塚原さんは来た道を引き返すのでここでお別れとなった。
関口氏は先に発って行った。

横峰寺から61番香園寺までの遍路道は先の大雨の時の崖崩れの影響で一時通過不能と聞
いていた。
下り道の掲示に危険と書いてあった。
その時下から登ってきた青年に聞くと、問題ありませんと言う。
彼の言葉を信じて下っていくと、実際は余程の大水だったと想像出来るような凄い崩れ方だ。

橋があったと思われるが豪雨で破壊されていた

も一度同じような水が出るとこの遍路道は通ることは出来なくなるだろう。
山中で風が強くなり、雨が降り出した。
カッパを着用し足元に気をつけながらやっと香園寺の奥の院が見えるところまで降りてきた。

赤い杖を突いた遍路を追い抜いて歩いた。
香園寺の側では後ろから大声で道案内の声を掛けてくれた。
赤い杖が何を表しているのか知らないが、この人の立ち居振る舞いは只者ではないとの感
触。

香園寺でその人と一緒になり本堂前で教えられた。
「左の入り口から中に入りお参りするのが本当だ」と
だがカッパを着たままでお参りした。
その人もそうした。

61,62,63,64番と立て続けの打つ。
国道11号線沿いの寺ばかりで、トラックが水しぶきを上げながら通る。

63番吉祥寺で青年の横で昼食。
青年から仙遊寺の住職の話が出た。本物の住職だと言う。

湯之谷温泉では前回と同じだが、例の刺青の人が1人いた。
近くにそういう人達が住んでいるとしか思えない。

夕食を食べていたら島根の夫妻が入って来た。
菅笠が無くなったと探している。

食後納札を交わした。
石原美冶氏夫妻。

翌日の宿舎は前回の好印象を受けて「蔦乃屋」を予約した。  
次の雲辺寺への宿舎も前回と同じ「岡田」と思っていたが、石原さんたちはもう予約したと言
う。

満室では困るので電話した。
主人が3畳の間なら空いているがと言う。
もう皆が予約しているのだ。
3畳でも何でも良いから泊めてくれと予約した。
5930円

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3月29日(水) 晴れのち曇り一時雨
(サンチャゴ巡礼を勧められた)

6:45朝食
トイレ中に皆出掛けてしまっていた。
関口氏は1人黙々と歩く。
石原さん夫妻が途中で、昨日前神寺で出会った人と話をしていた。
宿舎の事で話していたようだ。
岡田屋を紹介したらしい。
私と同じような3畳の狭い部屋で予約出来たとの事。
やがてその人と2人になった。

納札を渡すと名刺を差し出した。
関西学院大学の大学院社会学研究科教授で心理学の博士号を持った藤原武弘氏だった。
昼食もうどん屋でいろいろ話を聞かせてもらった。
サンチャゴの巡礼もした経験があり、大村さんも是非と勧めてくれる。
四国遍路にも、もっと安価な宿泊設備を行政が作るべきだと言う。
私が前から思っていることと同じ考えで、藤原さんに親しみを感じた。

蔦乃家で前と違った感じがすると言ったが、女将さんは内装は変えたが、後は何も変わってい
ないと言う。

蔦乃家

女将さんも記憶していたより若い。
夕食も一階の食堂で女将さんと話しながら食べた。
食後のコーヒーも付き、美味しく頂いた。

今日は汗も出ず、洗濯はなし。
山は雪で真っ白、寒く桜もまだつぼみ。

途中の畳屋さんが遍路の休憩所を作っていた。
石原さんが前回廻ったとき島根の話が出て大変お世話になったらしい。
91歳のおじいちゃんが今年亡くなられたそうで、石原さんの奥さんがオバアチャンの手をとって
涙している。
石原さんが財布から2000円取り出し、お線香代として手渡していた。
オバアチャンはそれでは仏さんにお参りしてくれと、中に案内した。

休憩所で畳屋のオバアチャンと石原夫妻

私と藤原さんは失礼して先に発った。

蔦乃屋は7800円,
今回も飲み物代と言って120円のお接待を返してくれた。

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3月30日(木) 曇り 雨 雷 アラレ
(岡田でテレビの取材に出くわした)

蔦乃屋を7:40分に発つ。
へんろ道保存協力会の宮崎さんが蔦乃屋に泊まり、初めて遍路のことが分かり勉強したと言
う。
鶸田峠の前に泊まった「えびすや」のおかみも遍路地図に掲載されたのを知って、遍路の勉強
をしたと言っていた。
へんろ道保存協力会はへんろをしている者だけでなく、それを支える人達にも大きな影響を与
えているのだと言う事が良く分かる。

コーヒーの接待に飲み物代だと言って120円を手渡された。
前回同様蔦乃屋には良印象しか残らない。
風が強いがまだ雨は無い。

近くに出来たと教えられていたコンビニで昼のお握りを仕入れて、しばらく歩いているとポツリ
ポツリと雨が降り出した。
自動車販売店の駐車場の自動車の陰でカッパを取り出し完全武装。
徐々に雨脚が強くなり、そのうち雷が凄い。

雨の中を進んでいたら向かいから逆打ちのへんろが来た、ベテランらしく声を掛けてきて「この
先にコンビニがあるから、必ず昼の用意をして行ったほうが良い」とアドバイスを残して早足に
行った。
山にかかり、急な坂道だが前回の記憶が薄く、こんな坂道を通ったかどうか分らない。
へんろ道の山道だが休むところも無い予想以上の山道だった。

三角寺の休み場に、石原さん、藤原さんがいた。
彼らは7時前に出発したようでもう昼食も終わっていた。
お参り、お昼を済ませて民宿岡田へ向かう。

突然アラレが猛烈な勢いで降ってきて、一面が真っ白になった。
カッパを取り外さなかったのは正解だった。
ただ寒くて脱げなかったのが本当のところだ。

下りの途中の休み場トイレありで子供達が野良犬を可愛がっていた。
ザックから飲み物を出そうとすると、何の匂いに反応するのか私のザックに凄い力で頭を突っ
込んでくる。
雨は小降り。

岡田へ急ぐ。
トンネルの中は相変わらず怖い。
岡田に着く。
オヤジさんの出迎え、自分でやるからと言ったが杖を洗ってくれる。

部屋へ案内される。
6畳の間だ。
オヤジさんに、予約した時は狭いけど3畳の間で良いかと聞かれた事を話すと、手帳を取り出
して調べていたが、申し訳ない間違えたと、小さな3畳の間へ通された。

長方形の3畳の間の奥1畳ほどのスペースの半分が蒲団入れ、残りの半分の上の段がテレ
ビ、下の段にポットなどのお茶セットに湯飲みなどがコンパクトに置かれた、機能的な部屋だ。

風呂も最後になった。

夕食は合計9名で。
今までで一番多い、もちろん歩きへんろばかりだ。
オヤジさんの座談は一流で話題は尽きない。
今日はテレビの取材があるとのことだが、普通どうりにしてくれ言っている。

テレビ東京の関連会社と言っていたが、カメラマンが小型カメラで撮影。
話が欲しいと私に聞く。
どうして岡田に?
泊まるところは此処しかないし、亡くなられた奥様にかって大変お世話になったことを話した。
こんな夕食は他では無い事だ。

前回と同じように、オヤジさんは手つくりの地図をコピーして各自に渡し、明日のコースを説明
してくれる。
明日は晴れらしい。

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  香川(涅槃の道場) 3/31〜4/5まで
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3月31日(金)晴れ(寒い)
(四国霊場の最高峰へ)

6:00朝食 6:30出発
前回は奥さんと2人でいつまでも見送ってくれたが、今回はオヤジさん1人で皆を送り出す。
オヤジさんを呼んで記念の写真を撮った。

岡田の主人と

前回は工事中だった高速道路を越えてへんろ道へ。
急なのぼり道を、石原夫妻と藤原氏と一緒に登る。

意外に足が軽く、記憶していた以上の急な坂を、何度か待ちながら登った。
登りきったところは平地でそこからはもう近いと思っていたが、どうしてどうして遠く感じた。
まだかと思っている時、若い遍路が通りかかった。

若い人の話を聞くのは好きだ。
3月1日に一番札所霊仙寺をスタートしたと言う。
私は2月23日にスタートしたのに、なんと言う早さだ!!
1日40キロ以上、50キロ以上歩いた日もあると言っている。

原則野宿でバス停などを利用している。

彼曰く身障者用のトイレは最高でしたと。
夜は利用者は無く広いしドアーを閉めると水道、トイレ付きの格好の休み場で、2人充分に足を
延ばして眠る事が出来る。

大阪大学の法学部2回生。

阪大生 野宿の話を聞かせてくれた

高校時代はサッカーをやっていたと言う。
将来裁判官か弁護士になって頑張ってくれと言いつつ寺まで一緒に歩いた。

昨日から環袈裟が行方不明になっていた。
何か因縁でもあるのか。
前回も此処で環袈裟を紛失して納経所で新調したのだ。
今回も同じように雲辺で買う事になってしまった。

雲辺寺の納経所 最高峰の表示

大興寺への下りでどうしてか道を間違えて、栗井ダムという新しいダムへ下りてしまった。
持参している遍路地図にはない。
しまったと思いつつダムの整備された公園のベンチで一休み。
舗装道路を少し下って行くと、へんろ道の表示があり合流できて、ホット胸を撫で下した。

大興寺でまた石原、藤原氏と合流した。
先に行ってもらった。

観音寺への道、安易な気持ちで地図を見ないで歩くものだから、観音寺駅まで行ってしまた。
タクシーの運転手さんに聞き、大回りをして観音寺に着いた。
石原、藤原氏にまた出合った。

藤原先生は此処で打ち止めにして西宮へ帰る。
帰るのだが家の鍵を持っていないので、自宅に電話するが奥様が電話に出ない。
出かけている様だ。
西宮で、もう一泊する事になるかも、と笑っている。

今日の宿、若松屋別館は前回とまるで違う。
古ぼけたビルで中も暗くて寒い。
部屋も前回となるで違う。
重い布団で寝る事になった。

ただ従業員が親切で、洗濯物を乾燥させてくれたのは助かった。

それにしても若松屋別館は、どうしてこんなに違ったのだろうかと今も合点が行かぬ。

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4月1日(土) 晴れ
(5分掛かるけど聞いてくれる?足湯の顛末)

5:10勝部さんのメールで起床。
6:00朝食
6:30岡田で同宿の夫婦が前を歩く、早い。

朝靄の中に本山寺の5重の塔が見えてくる。
川筋に沿って歩く。

本山寺の塔が見える

この景色は平和そのもの。
本山寺では納経所が立派に建て替えられている。
前回亡き母に買って帰った6文銭はあったが、あの親切なオバアチャンの姿は無かった。

71番弥谷寺へのへんろ道。
途中に足湯の設備を作りかけていた。
その工事中の地点から登りは急になっている。

こんなところで靴を脱いで足湯に入る歩き遍路がいるのだろうかと直ぐに思った。
それとも誰を目当てにしているのだろうか。
弥谷寺の下には温泉を掘り当てたそうで、車社会を象徴するような立派な設備と道路が出来
上がっていた。

歩き遍路は昔のままの道で、門を入ると本堂まで536段の階段が待っている。
一気に登ってしまった。
われながら健脚になったものだと感心する。

団体客の話を小耳に挟む。「約半分は本堂まで行かず大師堂で済ましているよ」と。

帰り道は朝から決めていた俳句茶屋へ入りうどんを食べる。

俳句茶屋のおびただしい納札


大きな油揚げに玉子焼きの薄いのが入っている珍しいうどんだ。

前回と違い男性が客サービスをしている。
あのテキパキと働いていたおばさんはカウンターの中で料理を作っている。

うどんを作ってくれたおばさんが顔を出したので聞くと、ハイヒールでスーパーに買い物に行っ
て転び左腕を骨折し、腰も痛くて客相手が出来なくなった。
何時も行くコーヒー屋が、私が行かないから静かだと言う。

足湯のことを話すと
「5分かかるけど聞いてくれる?」
と話し出した。

温泉が出て町がその温泉の利用を考え、開発者から細いパイプで温泉を引いて足湯にする事
を考えた。
60度の温泉も細いパイプで長く引くと冷めてしまう。
おまけにあんな場所では使う者は居
歩き遍路の立場で考えても、あんなところで靴を脱いでゆっくりは出来ない。
町は何を考えて居るのかねー。
船頭多くして船山に登るとはこのことだ。
とまくしたてていた。

善通寺。
広い境内は前回同様観光客で一杯だ。
門前の道路を石畳にしている。
開寺1200年だそうだ。

門前にある山本旅館は改装して部屋も綺麗になっている。
バス、トイレ付きで7500円。

夕食時、この屋のオバアチャン。

長男が高松で開業している。

出戻りの長女がここをやっている。
(出戻りなどと言わなくても良いのに)
私は週2日は高松に行っている。
幸せです。
88歳はかくしゃくとしていた。

今回も善通寺から近くの金毘羅宮、それにあの満濃池を見る事はなかった。

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4月2日(日)曇 雨 曇
(大窪寺で万歳の予定が・・・)

6:30朝食
食堂には数人の泊り客が居て、通し打ちの話が出ていた。

76番金倉寺、77番道隆寺を打ち78番郷照寺に向かう時またもや雨となる。
境内で支度が出来て一同安心。

雨の中79番高照院へ向かう途中うどんやへ。
菅傘を取り暖簾をくぐって入ろうとすると、中からひょっと出てきた人は、あの耳の遠い年配の
人だった。
私が雨の支度をして77番を出るときは、確かまだ残っていたのに、この人は何と早いのだと驚
いた。
聞くと、どうも鉄道を利用したらしい。
あんなに急いだ私を追い抜くはずはないのだから。

80番国分寺へ向かうと雨は止んできた。

前回のえびすやを止めて民宿あずさ」へ。
「あずさ」はうどんやの後ろの倉庫のような建物。

2階の2部屋を1人で使う。
トイレも付いている。
ウス汚い部屋だが一人で落ち着ける。

風呂は順番にと言うことで待っていた。

しばらく待って、石原さん夫妻は風呂に入ったかと主人に聞くと、故郷で不幸があって今から帰
らねばならなくなったとの事だった。
父親が100歳でもう長くないと言う事は、今朝聞いたところだ。

早速部屋に行きお悔やみを申し上げた。
列車の連絡を調べたら、今から出発すると今夜中に帰る事が出来るそうだ。
奥様が忙しく荷作りをしている。
石原さんとは88番大窪寺で一緒に万歳をしようと言っていたのに。

79番高照院で石原さんがデジカメを失い一騒動あった。
いくら探しても見当たらないし、第一どうして、何処でなくしたか分らない。
門の入り口で撮影していたのは私も見ていた。

奥さんが何か心配だから帰ろうかと言っていた。
デジカメ紛失の時が、お父さんからの何かの知らせだったかもしれない。

これで1人で結願することになるのだと思った。

明日は晴れらしい。

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4月3日(月)晴れ
(悪口へのしっぺ返しが・・・)

6:30部屋で朝食
決して良い宿ではないが2階の2部屋を独占しトイレもついていた。

あの「古今に稀なへんろ道」と書かれていた遍路道へ進んでいくが、どうも前回と違う。
幅広い道をうねうねと登って行く。
前回のような細い道の急な遍路ではない。

若い遍路杉浦さんに再会し一緒に登る事になった。

イラストレター杉浦さん

お大師像のある展望台で一休み。

展望台の絶景

お寺の坊さんの態度などを、こき下ろしながら歩いていたら、道を間違えてしまったらしい。
表示には根来寺へ1.7キロと書いてあるではないか。

これを見て気付いた 猛烈な勢いで引き返した

何のことはない根来寺は向かって歩いていたのだ。
反対の白峰寺へ行かないといけない。
若者を残して”行くぞー”と言って一目散に坂を駆け上がり。
白峰寺へ引き返した。

お大師さんは全てを見ていらっしゃるのだ、と2人で失笑
したことだ

息せき切って白峰寺を打ち、根来寺へ直行。
既に1時を過ぎた。

下りも前回と違う周り道。

根来寺からの下り

下りきったところで遍路マークを見失う。
車が走っている大きな道路を目指した。
通りかかりの若い人に一宮寺を聞いても良くわからない。
方向を感覚で決めて一路歩く。

うどん屋に入り遅い昼食。
お接待にと伊予疳2個頂く。
道を教えてもらい、ボケ防止の香西寺を通り一宮寺へ。

後で考えると3角形の2辺を歩いた事になる。

市内の道を間違いながら歩きに歩き一宮寺は16:00に着いた。

一宮寺から栗林公園近くのパークサイド高松へ予約。
17:30ホテルに到着。

夕食と朝食をレストランのガストからの出前で注文した。
ランドリーで洗濯。
出前の夕食を肴に、ビールを一缶飲む。
ゆっくり飲めば良いものを、一気に飲んでしまった。
目が廻って洗濯物を取りに行けない。メールも打てない。
もう7時を過ぎた。
やっと目が普通に戻った。
洗濯物を取りに行こうと立ち上がったらまた目が廻った。
治るまで待つしかない。
こうなる事は、最初から分っているが疲れた後の一口は美味いので、つい一杯飲みたくなる。
下戸は辛い。

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4月4日(火)晴 曇
(新しい道は望むところだ)

6:15スタート
500メートル位進んだところで、携帯電話を忘れたことに気付く。
ホテルに戻りフロントで理由を話してルーム・キーを預かり部屋に戻る。

ベッドの枕元に携帯を見つけて再出発6:35.
屋島寺へ。
地図を頼りに川筋まで行き、国道11号線に沿い屋島寺への入り口を捜す。
通勤時間でスーツ姿のサラリーマンと多くすれ違う。
お早うございますの声が自然に出るが、誰も反応しない。
屋島寺への上り口から例の急な坂道。

石畳になる手前で一休憩していると地元の人が2人、毎日屋島寺までこの坂道を登っているよ
うだ。
石畳のへんろ道から木の茂る山道に入って行った。
そちらを行っても屋島寺へ着くという。
新しい道は望むところ、一緒に登り始めた。
2人は荷物なしだが、私は思いザックを担いでいる。
大汗をかいた。

2人に誘われて予定外のへんろ道で屋島寺へ

屋島寺でおまいりを済ます私を先ほどの男性が待っていて、今度は屋島寺の裏側からの下り
道へ私を案内するという。

前回歩いていない道なのでお言葉に甘えた。
微に入り細に渡り現場を案内して、教えて頂く。

前回の経験もあり大体の事は分っているが、熱心に教えて頂く手前、黙って教えて頂きまた本
堂前まで引き返してザックを背負い再出発した。
思ったより急な下り道から八栗寺へ向かう。

前を1人の遍路が歩いている。
八栗寺へ向かう道は石工の工場が多い。

前回も気付いていたが通り過ごした「山田家」と言ううどん屋あり。

広大な田舎屋敷風

店内に入り席に着こうとしたら、あの耳の悪いおじいさんに出会った。
どうもうどん屋で突然出会う。

八栗寺から志度寺まで休み無しで歩いた。

長尾寺では前回の感激は皆無。

宿舎は民宿ながお路を予約している。
ながお路では歩き遍路が6名同宿となった。

翌日の大窪寺は女体山越えを予定しているが、民宿のおかみは雨のときは辞めた方が良い
と言っている。

大窪寺から高野山への行き方を教わる。
大窪寺からコミュニティーバスで志度バスターミナルへ。
そこから高速バスで大阪難波へ。
難波で1泊して翌朝高野山へ。
高野山から横浜へ帰宅出来る。

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4月5日(水)雨 曇
(残念ながら感激の結願は出来なかった)

朝食 6:00
朝から予定どうりに雨。
同宿の6名で出発。
北海道の人が健脚で、普通に歩いているように見えるが早い。
昨日屋島寺から下山して先を歩いていた遍路だ。前回と同じようにダムの手前の休み場で休
憩。
雨のため全員女体山越えは断念。
ロータリークラブが運営する、お遍路交流サロンへ立ち寄る。

へんろ交流サロンにて

資料などが豊富に展示されており、飲み物などのサービスも行き届いた立派な施設だ。
開館前の朝8:00だが女性が早朝から居て出迎えてくれた。
歩きの人達は朝が早いからいつも時間前に出向いてくれているとのことだった。
「四国遍路大使任命書」と「バッジ」を頂く。

遍路大使任命書を書いて頂いた

前回は大窪寺で結願の印を2000円で買ったが、何の感激も沸かなかった。
ここではすがすがしい気持ちで任命書とバッジを頂いた。

前回と同じ道を、同じような雨の中を仲間の6人と歩く。

雨の中を大窪寺へ、ひたすら歩く(札幌の高橋さんに頂いた写真)

何度か「まだですか」の声が聞こえる。
雨の中に山門が見えた。

88番札所大窪寺の山門

本堂は大勢の団体で、前回のように感動する雰囲気はなし。

団体客でごった返す本堂

大師堂も全く同じだった。

呆気ない幕切れとなった。

同道の仲間と記念写真を撮る。

長尾寺から雨の中を、一緒に歩いた遍路仲間


本堂前でのカッパ姿


八十八庵

本堂下の八十八庵という売店食堂で懐かしの「打ち込みうどん」を注文。
雨と汗で全身がグッショリと濡れているため、お願いして別室を借り、着替えをした。
コミュニティーバスは13:35発だ。

バスは志度の高速バス停下まで100円だと言う。
高速バスで大阪難波までは3400円。
明石大橋から震災から復興した神戸の町を見ながら難波へ。
6人のうち2人は難波に泊まり高野山へ行く。

私は心替わりで地下鉄御堂筋線から新大阪へ向かった。
杉浦君は帰った。
こんなに簡単に心替わりをしてしまったのも、大窪寺で何の感動も覚えず、ただこれで終わっ
たと思っただけだったからかも知れない。

私は新幹線ひかりを待って新横浜へ。
乗換えてJR東戸塚まで行くのも嫌で、新横浜から地下鉄で帰宅した。

高野山はそのうちチャンスを見て行けばよい。

 今回もたくさんの人に出会えて良かった!
                            

              終わり
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