「告白 - Princess Side - 」
文字綴り屋 ひじり
目覚めた時に一番最初に見たいのは神室(かむろ)さんの顔。
最初に聞きたいのはあの優しいバリトンで話す神室さんの声。
そして私の髪に撫でるように触れてほしいのは神室さんの綺麗な指。
だけどそんなことは現実には起きない。
朝一番に私をベッドから引き離すのはお手伝いの万里さんだし、「起きて下さい。学校に遅れますよ。」と叱るのも万里さんだもの。神室さんは昔と違って滅多なことでは杉並の家には寄りつかなくなってしまったから。
私はいつものように万里さんからベッドから叩き出され、急いで身支度を済ませ階下のダイニングへと降りてきた。
「おはようございます。」
と言いながらも髪のうねりが気になってついつい触りまくってしまう。どうも猫っ毛だから梅雨時は微妙なうねりがでてしまう。そんなのが嫌だからストレートパーマでもかけてしまおうかと思っているんだけど、行きつけの美容室 DOLL の仁さんは頑としてかけてくれないのよね。お母さんに怒られるとかなんとか言っちゃって、全く母娘で同じ美容室に行くと面倒だわ。でも仁さんの腕は確かだから他の所へは行きたくない乙女心で、現在もウネウネ中なわけ。
「おはよう。」
と、カプチーノの泡が今にも髭にくっつきそうなパパ。
「お姉ちゃん、ウグゥ、おはよう。」
と言いながら、ご飯を納豆でかきこんでいるの弟の隼人。最近部活の野球でかなり鍛えられているらしくハラペコマシーン化してるのよ。
「茜お嬢様、おはようございます。」
んっ?おかしいわ。神室さんの声がする。私は髪の毛からダイニングテーブルの方へ視線を向けると、そこには黒の細身のスーツを着てにこやかに微笑む神室さんがいる。心の中でえっと驚きながらも顔は自然にほころんでしまう。だって朝から神室さんに会えるなんてラッキーだわ。でもあくまでも自然に自然にと気をつけつつ、
「あら、神室さん。おはようございます。来てるとは知らなかったわ。今日は何かあるの。」
と言って、神室さんの脇を通りいつもの席に座ろうとした。すると神室さんがさっと椅子を引いてくれる。私は軽く目配せして席に着く。こういうさりげなさがいいのよねぇ。
「本日は朝からお得意先との会議がありまして。社長をお迎えに参りました。」
「そうなの。」
会話はそれ以上繋がりようがない。私は杏ジャムをたっぷり塗ったトーストを食べなきゃいけないし、パパと神室さんは仕事の打ち合わせをし始めてしまったもの。隼人は隼人でお替りしたご飯を平らげるのに忙しいみたい。会話らしい会話はないんだけど、妙に落ち着くのよ。変だよね。そこにいるのが当たり前だから別にややこしい話をしなくてもいい空気があってさ。
私はトーストと苺のヨーグルトかけを食べ終え、
「じゃあ行ってきまーす。」
と言いながら、小走りで玄関へ向かう。早くしないと電車に間に合わなくなっちゃう。本当はカフェオレでも飲んでから行きたいんだけど、朝の10分間は遅刻するかしないかの勝負だから、そんな余裕はない。っていうかもう少し早く起きればいいのに、どうしても起きられないのは夜更かし好きの私のせいだもの仕方ない。
玄関を出ようとした矢先に「お弁当を忘れちゃダメですよ。」と叫ぶ万里さんの声。あっそうだ。大事なお弁当を忘れたら泣きをみるとこだったわ。取りに戻ろうと慌てて靴を脱ぎ捨てダイニングへ向かおうとした瞬間、扉がバタンと開きそこにお弁当箱を持った神室さんが立っていた。私は危うく神室さんに正面衝突するところだったが何とか寸止めでセーフ。が、急に止まろうとした反動で体が後ろへとのけ反り倒れこむ。反射的に差し出された神室さんの手を掴めば良かったのになぜか躊躇った。それで体を横に捻るようにお尻から着地なんて最低だわ。
「イタッ。」
「大丈夫ですか。」
心配そうに体を私に寄せてくる神室さんを手で制止ながら立ち上がろうとした。すると右足のくるぶしに突き刺さるような痛みが走る。変に転んだたために足首を捻挫したみたい。私はその捻挫の痛みよりも格好悪くすっ転んだ恥ずかしさの方が勝り、引きつった笑顔を浮かべながら奪うようにしてお弁当箱を受け取り玄関へと戻る。
しかし足首が痛くてまるで片足でピョンピョン跳ねるような歩き方しか出来ない。シップでも貼りたいのだが、神室さんの手前それも恥ずかしくてできない。だってばつが悪いもの。ここは我慢して学校の保健室でシップをもらえばいいわね。
そう思いながら靴を何とかして履いて出ようとした時、体がふわりと持ち上がる。
「なっ、何するんですか。神室さん、降ろしてください。」
神室さんは私をお姫様だっこでしっかりと抱きかかえている。
「やめてください。」
「いいえ、やめません。痛くて足をピョンピョンさせていたじゃないですか。」
「大丈夫です。歩けます。早く降ろしてくださいってば。」
「だめです。このまま病院へ直行します。」
と言って、そのまま車庫の方へずんずんと歩いていく。玄関前ではパパの車の運転手の栗田さんが驚いたように私たちを見つめている。
「神室さんっ。」
私は顔から火が出るような気分だ。神室さんと体が密着するどころか、もうちょっとで神室さんの頬に触れられるぐらいに近すぎる距離にあたふたとするばかり。どうしようもなくて目を伏せてしまう。
「そんなに暴れるとスカートがめくれ上がってしまいますよ。」
「嘘っ。」
と、慌ててスカートの裾を直す。思わず私は「神室さんの意地悪。」と呟く。だってこんなに私はドキドキしてるのに神室さんは平然とした様子でまるっきり余裕だもの。私よりも8歳年上だからって大人ぶってるのが癪に障る。
車庫に停めてあった神室さんの銀色のセダンはもうすぐそこだ。もう少しだけじっとしてれば降ろしてもらえる。そんな気持ちで口を閉じ、パンクしそうなほどに速くなった鼓動をおとなしくさせようと頑張ってみる。
「ちゃんと食べないといけませんよ。」
「食べてますよ。」
「だったらこんなに軽くないはずです。健康が一番なんですから。」
「大丈夫です。……。でも心配してくれてありがとう。」
「そうです。素直でよろしい。」
と言って、にっこりと笑う顔はこの家で一緒に暮らしていた翔太お兄ちゃんのままだと思った。ずっと家族同然で過ごしていたあの頃は翔太お兄ちゃんと呼んでいたのにね。パパの会社に入ってこの家から出て行ったからはお兄ちゃんじゃなくて神室さんになった。寂しいけれど遠い存在になってしまった。あんなに近くに感じていたのが嘘みたい。
「翔太お兄ちゃん。」
私はか細く小さな声であの頃のように呼んでみる。ほんの一瞬、神室さんがはっと息をのんだような気配がした。そして唇を私の耳元に押し付けながらゆっくりと息を吐き出し、
「私をもうそんな風に呼んではいけないと言ったでしょう。」
と囁く。髪づたいに神室さんの呼吸が伝わってくる。耳ばかりか体中が真っ赤になってしまい、私はパニックになり口をパクパクとさせるだけで言葉にならない。
「さ、ドアを開けたいので降ろしてよろしいでしょうか。茜お嬢様。」
「ああ、降りますとも。さっさと降ろしてください。」
私は照れと気恥ずかしさ、それに胸の内を見透かされまいとお嬢様然として虚勢を張るのが精一杯だった。
車の運転席の神室さん気にしながらも、私は後部座席で窓の外を興味のないのに懸命に見つめていた。でもまだ神室さんの呼吸を感じた耳朶がはっきりと熱を帯びている。その熱だけが私たちの間の危ういバランスをきっと壊してしまう。そう確信していた。
私はずっと前から望んでいたことなのに心が震えるはなぜだろう。でも震えていたとして神室さんのそばへと一歩でも踏み出すしかない。それが私の恋なんだもの。
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