パソコン通信を始めた15年くらい前、僕も何か情報を提供したいなと始めたのが
聖書解説とエッセイを交えたような「P−COM村の小さな教会」。
ご要望により、その時の書き込みを再アップすることにしました。
 「俊輔、もうそこからお父さんが抱き上げてあげよう」
4才の息子が、3メートル程の岩場に上がる途中で足を滑らせて、
その擦傷から血がにじんでいるのを見て親父である僕はあわてて抱き上げようと
しました。
その僕の手を振り払いながら「大丈夫、一人で登れる」と、家内は息子を
励ましていました。
「まだ難しいよ、落ちたら大変な怪我をするよ」
ハラハラして見守る中、どうにかこうにか「足が痛い、痛い」と言いながらも、
息子は風師山岩峰の天辺に立つ事が出来ました。

 夜、「もう寝よう」と床を敷く頃、炊事の終わった家内が息子にエレクトーン
教室の宿題をさせています。
なかなか旨く弾けない箇所を、何度も何度も叱咤練習させています。
「もういいじゃないか、俊も眠たいよ」
「出来ない、出来ない」と涙しながらキーボードに向かっている息子を見て、
つい、かばってやるような事を言ってしまいます。
それでも家内は止めません。
息子が完全に泣きだしてしまうと「弾けるまで起きていなさい」と持久戦に
持ち込んでしまいます。
息子は仕方なく目を擦りながらたどたどしく鍵盤を叩きます。
何回か繰り返している内に、出来る様になるものです。
一人で床に就いている親父の耳に「お母さん、出来たよ」と、息子の得意気な
声が飛び込んで来ました。
「旨いねー、俊ちゃん。歯を磨いてお父さんに寝る前の本を読んで貰いなさい」
と家内の嬉しそうな声も響き渡って来ました。

 「この世に神なんて居やしない。願い事はちっとも叶わないし、嫌な事ばかり
何故こう続くんだろう」
僕は時々、そう神を呪いふてくされる事があります。
けれども家内と子供のやり取りを見ている内に、手を差し伸べたいけれども、
じっとそれを堪えている神を意識するようになりました。
簡単に助けの手を差し伸べようとする親父、子供の真の成長を考えない親父、
「神は居ないんじゃなくて、伸ばしたい手を我慢している」のだ。
そしてそれが、一人一人の真の成長を願う「神の愛」なのだと気づかされました。
門司の信仰者
証詞集