| 前回、4ケ月ほど前、約1週間の行程で、中国・上海市・閔行(みんこう)石炭焚火力発電所を調査した。帰国後は現地で見聞きした情報を元に報告書をまとめた。1988年3月10日〜13日、短期間ながら中国電力庁に調査結果の報告に北京を再び訪れた。 今回は、後半の調査報告「その2」である。昭和最後の63年は、中国・上海で赤痢だったか疫痢だったかがはやり、発電所への報告のための上海行きは中止になった。また、上海の閔行発電所技師の北京参集もなく、代わりに水電部の幹部が中方として我々の説明を聞いてくれた。ここでは、技術的な事は割愛して、今回、会議の合間に見聞した北京の模様を紹介する。 当時の交換レートは、1ドル=129.94円、1元=約35円であった。 |
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| 北京市街地図(分かり易い) |
| ▼1988年(昭和63年)3月全行程
昭和63(1988)年3月10日(木) 10:00成田発 同日 13:40 北京着。北京・京倫飯店泊。 3月11日(金) 午前中、日方各グループと中方水利電部及び各発電所関係者による合同の全体会議。 午後、各発電所毎(遼寧省・錦州、山東省・済寧、上海市・閔行)に分かれて、分科会。 3月12日(土)午前中、分科会続き。午後、総括会議。北京・京倫飯店泊。 3月13日(日) 14:00 上海発 同日18:40 成田着。 |
| ▼成田〜北京(3/11) 今回も出発2時間前の午前8時までに成田へ自宅から行けないので、三軒茶屋のホテルに前泊した。 左はいずれも、3/11
成田出発後、左は東京上空(下方は東京湾、中程は皇居、そのちょっと上に東京ドオームが見える)、右は北京空港近くの写真。
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| ▼北京(3/11) 当時北京では、毛生薬101というのが凄いブームになっていた。民族飯店で昼食後町をブラブラしていたら、下の写真にあるように、その薬を売っている店の前に長蛇の列があるのを発見、早速探索する事にした。この店の2階に毛髪診断専門の医師がいて、我々が入場料を払うと、現地の人が並ぶ中、先行して中に入れてくれ、言葉は分からなかったが、診断してくれ、毛生薬101を買わされた。そのころは小生も薄いのが気になっていたので買ってきたが、帰国後、変なにおいがするので気持ち悪くなり、捨ててしまった。 |
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| 毛生薬101専門店前 1988.03.11 |
同 左 | 同 左 |
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| 毛生薬101専門店前 1988.03.11 |
同 左 |
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| 中国・水利電力部前 | 同 左 |
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| 仲間と祝杯 | 同 左(汾酒プーシュという強いのを飲んだ) |
| ▼天壇公園観光(3/13、日曜日) 今日は早や帰国の日となってしまったが、午前中、天壇公園と故宮を大特急で見て回る事にした。 どちらも広大な敷地にある歴史的な遺産といえようが、時間がないので、行き当たりばったりで、ぐるっと一回りした。どこがいいのか、知る由もなく、時計と首っ引きで歩いた。天壇公園の入場料は2元であった。 |
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| 天壇公園 1988.03.13 |
同 左 | 同 左 |
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| 天壇公園 1988.03.13 |
同 左 | 同 左 |
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| 天壇公園 1988.03.13 |
同 左 |
| ▼故宮観光(3/13、日曜日) 故宮は噂には聞いていたが、1406〜1420年の建造、明清2代にわたる凄い宮殿で、紫雲城とも呼ばれる。入場料5元を払って一人で中を散策した。表門の午門から入って、中心部を駆け足で、裏門の神武門まで行き、その後、美術工芸品の陳列棟などを見る。古い建物、宮殿内の丁度品や、大理石で出来た階段や欄干などは、さすがに凄い宮殿だと思い知らされた。しかし、後年、台湾の故宮博物院を訪問する事になるが、今回のここ故宮の美術工芸品がいかに貧弱であったかを知る。すなわち、北京の故宮の美術工芸品はもぬけの殻といった表現が相応しいほどひどいものだった。Yahoo検索で探した『The Last Emperor』の紹介サイト故宮の歩き方を最後に引用して、終わりにする。 |
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| 紫雲城配置(色の線は足跡) | 紫雲城全景(72万平方米) |
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| 午門(正面入り口) | 外東路(東筒子路・紫雲城側壁) |
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| 大和殿 | 乾隆花園 | 同 左 |
| ▼帰国(3/13) 今回は我がTグループが担当した上海市・閔行発電所の運用効率向上などのリハビリ提案は、発電所技師と直接技術交流が出来なくて、中方にどれだけ趣旨が理解されたかは分からない。具体化に当たっては詳細な詰めが必要だろうし、我々メーカーとしてやった事のない他社機の改造をどうするかの問題も残る。でも珍しい経験もしたし、束の間の観光見聞と言う収穫もあって、無事帰国した。 この年、翌4月から30年勤続の会社を早期退職し、新しい第二の職場に転籍した。 この「旅つれづれ」のサイトは、今回の「その2」を入れて全部で8編に及んだ。これはいわば我が生涯に経験した外国出張史とも言うべき集大成と自負するものである。 今後は、国内・海外のプライベートな旅行を起草して行こうと思っている。 |
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