初代ゴジラの謎を追う
初代ゴジラは東宝最初の特撮映画の主役にして、日本最初の本格的な巨大怪獣である。現在に至る特撮映画、怪獣にいまだ影響力を持ち、その範となっている。極論すれば以降のすべての怪獣(2代目以降のゴジラも含めて)はその始祖たる初代ゴジラのバリエーションにすぎないともいえる。
さて、その初代ゴジラであるが、実に謎が多い。まず、現在とは着ぐるみの製作方法が違う。映画の製作過程も様々な著作で追うことが出来るが、それぞれに食い違いがある。当然のことであるが白黒写真しか現存しない。劇中やスチールから得られる情報には限りがある。それらを今の常識で考えると、真実を見誤る可能性がある。製作者の方たちが試行錯誤して作り上げた初代ゴジラ。この謎を追ってみたいと思う。
1、『ゴジラ』タイムスケジュール
最初に『ゴジラ』製作の時間的流れを押さえておきたい。
映画『ゴジラ』が製作されたのは1954年(昭和29年)。急遽中止となったインドネシアとの合作映画の代案として同年春に企画された。
当初『G作品』と仮称された本作は、5月12日には推理作家、香山滋に検討用ストーリーが依頼され、6月10日前後には村田武雄・本多猪四郎による脚本(準備稿)が脱稿した。準備稿の時点ですでに実際のキャスティングを意識して人物が描かれていたという。
検討用台本の執筆が進行した5月中には、香山の提案によって漫画家の阿部和助にゴジラのデザインが依頼され、きのこ雲状の頭部を持つゴジラの姿が描かれた。ゴジラのデザインはその後、特技美術の渡辺明によって恐竜のイメージが付加され立体デザインに進むことになる。準備稿が脱稿した後、この脚本を元に渡辺とアルバイトの美術学生によってピクトリアルスケッチが製作され、これは6月20日前後には完成したと言われる。
雛形から着ぐるみまで、ゴジラ造型スタッフの中心となった利光貞三は、同年5月に旧知の円谷英二と再会した。6月1日には東宝から招聘され、以後秘密裡にゴジラの粘土原型(雛形)の製作を進めていくことになる。
7月5日には製作発表が行われた。この時点でスタッフ、キャストは固まっていたものと見られる。
この製作発表の頃、利光による雛形が完成、撮影に使用する縫いぐるみの製作が開始した(実際には雛形完成前から利光以外のスタッフは着手していたという)。
なお、製作発表の際に公開されたゴジラのスチールはウロコを持つ第1案の雛形を使用したコラージュで、製作発表の準備段階では雛形は完成していなかったと推測することができる。
8月7日、本編班クランクイン。9月29日まで51日間の撮影を行う。特撮班は本編班に遅れ8月下旬より撮影開始。10月下旬にようやく撮影は終了(一説には10月20日前後)、撮影日数は71日間であった。
特撮班の撮影開始がミニチュアの完成を待ってのことだとすると、7月上旬の雛形完成から8月下旬の撮影開始までの間、約1月半の間に二体のスーツ及びギニョール等の各種造形物が作られたと推測される。
9月末からポストプロダクション、10月23日に映画『ゴジラ』は完成した。10月25日に所内検定試写を行い、11月3日に封切りとなった。特撮班の撮影終了から映画の完成までの時間幅はほとんどなく、ぎりぎりまで撮影を続けていたことが読み取れる。
なお、映画の完成を祝う「ゴジラ祭り」が検定試写の日、10月25日に撮影所中庭で催された。2号スーツとチビゴジラが祭壇に上げられ、平田昭彦が宮司を、河内桃子が巫女を務めたのはこの時である。
本稿の主題である特殊造型に関わる部分を抽出してみると、利光貞三が関わったのが6月1日以降であること、7月上旬には雛形が完成し、それを待たずして造型スタッフの作業は開始されていたこと、8月下旬の特撮班クランクインまでの約1月半の間に二体のスーツをはじめとする造形物が製作されたことが明らかになる。
2、『ゴジラ』造型スタッフ
本作の特殊造型に携わった人物、そしてスーツに入った人物は次のとおり。
特殊技術 演出:円谷英二
美術:渡辺 明
造型班 利光貞三(雛形製作・仕上げ担当)
八木康栄
八木勘寿
開米栄三
八木正夫(八木勘寿の子息)
鈴木儀雄(学生アルバイト。後にデザイナー)
演技 中島春雄(メイン)
手塚勝巳(中島の補佐。初期撮影の国会シーンを担当)
開米栄三(長身を活かし、特写会等スチール撮影時を担当)
3、『ゴジラ』で製作された造形物
本作の特殊造型スタッフによって製作された造形物は以下のものと言われる。
・雛形(体表はウロコ→イボイボ→ワニ皮状のヒダと変遷をたどる)
・1号スーツ(完成後腰で切断)
・プール用上半身スーツ
・アップ用下半身スーツ
・2号スーツ(メイン)
・上半身ギニョール
・小サイズゴジラ(撮影未使用?)
・コマ撮り用ギニョール(撮影未使用)
・尻尾(2、3本との証言あり)
(つづく)
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