創作者としての私、人としての私


 外側から冷静に眺めている。それが私の文字に対するスタンスの取り方である。あまり入れ込み過ぎると客観的な見方ができなくなるので距離を置くこと、あまり好きになり過ぎないようにすることによって冷静さと新鮮さを保ちたいと考えるからだ。必要以上に専門的知識を持たず、感性を優先させて文字に接することを心掛けている。それが長く文字と付き合っていく秘訣だと思っている。
 私は創作者であり続けるために会社を辞めたのかもしれない。私にとって書体設計はそれほど大きな存在ではないのかもしれない。文字でなくてもいい、創ることは続けていたい。今現在は隠遁生活を楽しんでいるという感じである。一生の間にこうした穏やかな時間が持てるというのはとても幸せなことだと思う。万が一このまま終わったとしてもいいかもしれない。会社にいたときにそれなりの結果は残せたし、明日死んだとしても思い残すことはそれほどないと思う。
 新鮮な創造力を持続させるために、私は大好きなTVのドラマを見たり、アニメを見たりしている。ドラマなんて架空の作り話だと言う人もいるが、私はそうは思わない。ただ単に感動的なストーリーを楽しむだけではなく、俳優の才能とか原作者の才能から刺激を得ることができる。作業をしている間もTVはつけっぱなしにしている。バラエティー番組にも楽しめる要素がある。タレントさんたちの微笑ましい人柄を感じ取ることができ、良い人間観察になる。特に好きなのは、さんまさんのレギュラーものだ。さんまさんの番組は理屈ぬきで楽しいし、彼の才能から得られるものも大きい。TV以外でも絵を見たり、音楽を聴いたりするのもいい。兎に角、文字以外の分野を楽しむことによってある種の休息となり、尚且つ得られる創造の素はたくさんある。文字ばかりにのめり込んで専門ばか的になってしまうと創造性の広がりが狭くなってしまうような気がするのである。今の状態はとても気楽でリラックスできている。それでいて書体設計に関することなら大概はできそうな気がする。錯覚かもしれないけど。
 私は1999年春までの17年間、某大手フォントメーカーのデザイン部門にいた。その間は結構楽しく仕事をしていたと思うし、多くの良い出会いにも恵まれた。(一番の出会いはS氏との出会いだ。)文字を作る上での謙虚さの大切さも学んだ。ただ、少し長過ぎたような気もしていたし、会社という環境の中で刺激、新鮮さを見つけることが難しくなってきていた。そして流れのままに会社を辞め今の隠遁生活に入った。それでも仕事としては、書体制作を続けている。仕事上やむなく書体デザイナーという肩書きを名のってはいるが、出来うるならただの人(本来あるべき人)でいたい。17年間在籍した会社で文字を書いていたのは最初の5年間だけである。それ以外ほとんどの時間を調査、チェック、デザイン評価など文字制作を客観的に見れる作業を担当していた。私をそういった作業に導いてくれたH氏には感謝している。独立してからは専ら作業としては文字制作ばかりであるが、大変だったのは最初の一ヶ月ぐらいですぐにペースを掴むことができた。文字制作のやり方次第で品質の良いものを効率的に生み出すことができる。そんな効率性を考えるのも面白い。幸い私は、数学が得意だし、大学では経済を学んだし、自身で作業方法を分析、改善することには全く違和感がない。ましてや独立してからは時間が自由に使えるし、やった分だけ収入に跳ね返ってくるのでやり甲斐はある。
 稀な場合を除いて、書体は芸術作品ではない。ごく一般の生活の中で使われるものだ。それだけに不自然さがあってはならない。書体をまとめあげていく中で大切なことは、作者の変なこだわり、癖を排除していくことだと思う。良い個性と悪い癖は全くの別物だ。一部の職人たちは書体の中に自分の足跡を残そうとする。それが良い個性であればいいのだが大概は悪い癖の場合が多い。かく言う私もどちらかというと癖の多い人であった。悪い癖を取り払い、本来あるべき姿でいることが私の創作者としてのあり方である。そうすれば自ずと良い個性は生き続けてくれるのだと思う。傲慢にならず謙虚に、いつまでもいつまでも生まれたままの私でいたいと思う。

(2002.12.16 記)