| パソコンについて |
| 初回は、下記のテーマにします。 1、まだまだ、扱い難い道具であること。 アルゴリズム、アーキテクチャー、階層理論は、さておきまして。 キーボードは、皆さんはどんなものを使用していますか。 私は、親指シフトを使用しています。さて、ローマ字入力は、打鍵が多いこと。わたしは、WATASIでなく、ひらがなでわたしですよ。思考の過程もそうだと思います。そもそも、タイプライターの配置は、早く打ちすぎると機械的に故障しやすかった昔のことから由来しており、何ら改善されていないこと。製造コストがDOS/V機で101、109が安価なことに尽きるでしょう。それでは、JISのひらがな入力はどうか。こちらは、タイピングは四段でブラインドタッチは難しい。キーボードの問題は、入力を手段とするパソコンでは、重要なことですから、お調べ下さい。後日、参考となるネットとリンクする予定です。 2、困った機械であること。 道具は、目的や利便性があり生まれることからすると、パソコンは、もの自体が最初にあり、各自がどのように使うかは全く定まっていない。初心者がどんな目的で購入するかは定かではないが、分からない人に疑問点を尋ねるようなもので厄介きわまりない。むしろ、おとうさんのパソコンは、単純で明快である。必要なことしかやらないし、費用対効果を最初から定めるので、習得は以外に早い。次に、自分がどれ程に素直かが分かる機械である。コツコツとこなす人、疑問点を解決して、点が線になり、面となる形式で分野を広げる人など、さまざまである。所詮、道具であるので使うことが重要で、クヨクヨしないことである。別の方法が必ずあるので、友達を作ることも絶え間なくこなすようになるような気がします。 |
| 美容院の主人がホームヘルパー2級を取得したこと。その学習報告。 |
| 概要は、以下の3点。 1、社会人の必須科目であること。 今後は、中学の科目で履修となってもらいたい。少子高齢化・老人介護の問題は多くの言葉を要しないこと。国の無策は否めない。社会化として誰もが体験すること。子供しかなる、来たみちだから。年寄り怒るな、行く道だから。と安易に考えることはできない。 2、介護は技術と人権意識であること。 そして、大型施設(特養・老健)がダメで。グループホームは無理がある。(西洋の形式を真似るだけで展望は持てない)どうすりゃいいの、私たち。美容院と介護は、きっと良い関係で連携するでしょう。介護保険が不備であり、今後はどうなるやら全く展望がない。医療保険と違い利用の仕方だけでも理解すべきでしょう。 3、介護される側の心得も習得したこと。 利用者はお客様で、される側の立場と権利擁護は誰が守っていくのか。 これらの問題を綴ると長文になります。 興味のある方とは、そのためのフォーラムを用意する予定です。 |
| 岡林信康と大利根月夜。 |
| 11月1日午後6時開演の岡林信康コンサートを聞くため、松本市へ行く。 片道200キロ程の小さな旅も兼ねている。この1年の間に岡林を4・5回聞ことになろうとは私自身の約束には無かった。以下の箇条書きで記すことにする。 1、 歌詞がいい。最近の歌は歌詞がいけない。取り止めがなく、誰それが好きだの、ああした・こうしたの、たぐいで日記なのか、何なのか全く理解に苦しむ。こんな時代は、そっと過ぎるのを待つだけかと思っていた。しかし、岡林の歌には、大利根月夜の「あれをごらんと指指す方に…」といった人の思いや夢を伝えるものがあると思うのは私だけだろうか。私は、フォークソングや演歌を好まなかった節がある。でも、鼻唄はやはり演歌や民謡で体が揺れることからしても認知せざるを得ない訳です。かたやクラシックに至っては、演奏者が聴衆をわざわざ遠ざけている感がしてならない。演奏家達はタキシードやドレスをまとい、再三再四にわたりアンコールが行われ、金管四重奏などは自己満足に憔悴し、歌舞伎の二の前に陥ることが予想される程で、もはや伝承芸能かの如く誤解しているかもしれない。クラシックの今後は目を覆うばかりである。やはり、ハートですよ。テクニックを慮り、ハートがお座なりなるといった具合です。プロの演奏家の方には申し訳ないが否めない点ではないでしょうか。 2、 ステージの曲間の話しを2題。ひとつは、岡林は言う。コンサートの主人公は歌であり、歌は船であると。岡林が誘い、聴衆はその船に乗り、程よく揺れると言う。自分のメッセージが歌を道具として用い伝えるのではないと言っていた。歌に用いられているとも言っていた。自分自身が道具とも言っていた。やはり神様なのか啓示がなれる業なのかもしれないとも思ったりもする。(私は、桜雨の朝に・ラブソング・山辺に向いて・オリビアに・が好きです) 3、 もうひとつが、年を取るもの悪くはないという。年を取ってみなければ分からないことも数多くあり、味わいもないと言う。隠し味のようになっていると言う。誠にそのとおりで、過去をそのまま切り売りしない姿勢が窺われ立派である。 4、 一人で1時間30分のステージをギター1本で行う。力が入り、手抜きができない、息使いが分かる等やはり、生のステージは良い。口パクでなく、本物の歌唱力の有る歌は聴衆を魅了する。成るほどである。フォークの神様とは、過去の笑いの具に過ぎない程で、どうでもよい呼称でしかなかった。50歳半ばの奏者であるので、正味期限もありましょうし、岡林自身は、酒・煙草は止めたと言う。(管楽器奏者や歌手が煙草を嗜む、馬鹿といってよいのか哀れと申し上げるべきなのか。異論を待たないことでしょう)どなた様も頃合いみて、吟味の上、岡林を聞いて頂きたいものと思います。 5、 最後に、老人介護にも貢献しているのではといった話を。このことは、今回の主催者のご婦人を見ても分かるように元気で、枯れかかった身が吹き出すように快活であり、年配の追っかけである。馬に連れられ善光寺というよりも、岡林につれられ晩年をでしょうか。さあさあ、皆様方遅れることなく本物のハートのある歌を聞こうではないでしょうか。 |
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実学と虚学(求めているものと失ってはいけないもの) |
| 以下は、転載記事です。 宇宿允人の世界を語る 私のライフワーク −−音楽を愛する人々へ−− フロイデフィルハーモニー芸術監督・指揮者 宇宿允人 宇宙に於ける現象は変化であり、永遠の育成と消滅で常に死に向かって歩いている。すべての人間は生まれ死んでいった。本当にそれで終わりだろうか……。確かに肉体は滅びる。 しかし、その中から精神は生死の彼方に何かを追い求めるのだ。偉大なる人間は、同時代、いや、むしろ後世にその光を強く放射する。その精神は束の間の地上での生存を超えて、無限の精神の旅を続けるのである。 芸術とはより高度の次元に於ける生命の反映であり、芸術とその人(人生)とは決して区別されるものではなく常に一体である……"音は人なり"。 およそ芸術と並び称されるものの中から、創造性の基盤となる感性(感受性)を取り除くならば、如何にそれが美しく見え、美しく鳴り響き、さも本物らしく見え、人々の賞賛を得ようとも、創造性豊かな精神と作品の持つ深奥からくる真の価値、人間の悲しみ、苦悩、そして最後にたどりつく愛の世界へと人々を導く芸術の真の姿はなく、一片のガラクタと何ら変わることはない。 明治以後、外国文化の無定見な賛美と導入は、我が国の政治経済においてもきわめて流動的な性格を与えてしまった。政治、経済はもとより数百年、数千年に至る人間(民族)の生活を通しての精神的充実と言える文化の結晶である芸術でさえ、バーゲンセールで買いあさる如く充分吟味せず、時と場において巧みに使い分け、国籍不明の文化を育てることに成功したのである。 しかし当然とはいえ、その代償として、ものを創る為の基礎となるエネルギー、そしてその核となる感受性は遥か彼方に置き忘れ、何とも奇妙な民族へと歩み始めたのである。 もともと文化と呼ばれるものは、人間が生きることのより高い最後の充実した精神の領域であり、その国その国の長い歴史と人々の知恵から生み出された結晶であり、現在のの我が国の様に他国、他人のいい所だけ失敬して、文化を生む為の創造力と一番大切な感受性が二の次という現実に驚き戸惑うのは、私一人だけであろうか……。 本当に外国文化(音楽にとどまらず、建築・絵画・生活様式に至るまで)を理解し、消化しうる為には、日本古来から美とされた空間の芸術(ワビ・サビなど)、芭蕉をはじめとする数多くの歌人の名歌の数々、人々を殺戮することのみの現代の化学兵器ではない名刀から生まれた本当の武士道精神を理解し、信仰厚き人間(国民)になってこそ、ベートーヴェン始め名曲と称される数多き作品を理解出来るのである。クラシック音楽が日本人の教養の域を脱し得ず、低迷している原因がここにある様に思われる。 感受性(感性)とは、本当の意味での愛を知ることであり、教養を示す理解力とか努力といったものでは推し量ることの出来ない世界ではなかろうか……。 音楽について私が多くの人々(素人・専門家を問わず)と語る時「どうしてあなた(宇宿)はクラシック、特にモーツァルト・ベートーヴェンについて、その様に熱を入れて語るのか」とよく質問を受ける。 その時私はこうお答えする……。文明の発達によって生活上の焦燥や、日常の雑事、物質的文明から来る精神的不安をクラシック音楽、とくにバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンが自然治癒してくれるのです。それは、モーツァルト、ベートーヴェンが一般に受け取られている美しい音楽ではなく、モーツァルトやベートーヴェンは私たちの精神的苦しみを遥かに超えた何十倍の苦しみの中から、あの天上の神の声とも言える名曲を生み出したものであるが故に。蛇の毒から摘出された血清のように我々の苦しみや痛みを和らげてくれるのです。 ここ数年、私は音楽、特にクラシックを敬遠する人々とお話する機会に出合うことが多い。人々は言う。「私は音痴だ。クラシック音楽は難しい。オーケストラなんて」と私を詰るように。いやそれ以上に、クラシック音楽に生命を懸けている私を半ば軽蔑の眼でさえ見ている様に感じることさえある。私はその人の視線をじっとこらえ、話に耳を傾け、そしてお答えする。 「貴方は一番のクラシック理解者なのです。どうか胸襟を開いて耳を傾けなさい」……と。 これは今日までの日本の音楽教育の歪んだ教え方が大きな原因なのである。貴族や金持ちの道楽であった音楽を、モーツァルト、ベートーヴェンは一般民衆の為に(全人類の為の音楽として)生涯を捧げたのです。それをもう一度神棚に奉り上げたのが学校教育であり同時に音楽コンクールという代物が驚異的な職人養成所と化したのである。そして段々と人々を音痴や音楽嫌いにしていった。 技術と機械化が完全に発達を遂げた今日の時代にあって、人間がいかに正確にピアノを弾こうが、アンサンブルの完璧なオーケストラ、明確な指揮技術などもはや何の意味も持つものではない。 ただ人間がもつ創造の世界、感性豊かな精神体験から生まれた人生哲学が聴く人々の感性にふれ、演奏者と聴衆が一体化された時、初めてそこに芸術が生まれるのである。けれども、この四次元の世界に入る為には演奏者も聴衆も両者とも一度は死を体験しなければならない。というのは他でもない……あらゆる虚栄、あらゆる習得されたもの、うわべにくっついたものを殺す、あの犠牲の祭壇上での死のことを言うのであり、すべてを捨てる勇気を持つことがクラシック音楽を理解出来る最も近い道なのです。 私にとっては音楽という芸術を通して、人間が持つ創造の世界をより豊かにする為に、"生涯をかけて素晴らしいオーケストラを生成し、偉大なる作品の真髄を再現する"ことが神から与えられた、この世に於ける自分の役割と考えている。 地球という宇宙船はこの五十年間、文明というエネルギー(武器)でもって物凄いスピードで襲いかかり今や窒息寸前まで汚染され、文化、芸術という素晴らしい果実だけを味わう時間も与えず、ほんの少しの香りを嗅いだだけで無惨にも押し流されてしまったのです。第二次世界大戦後も休むことなく続いている戦争、やれ聖戦だ、正義だと言っては地球の資源を破壊し、資本家はより豊かな社会、人類の平和と言ったうたい文句を唱えながら化学工場から吐き出す汚染物質、又、政治不信、宗教界の縄張り争い、学歴偏重の教育、それは芸術の世界まで忍び寄り、テクニック先行、学歴重視、コンクール盛況で必要以上の競争心を煽られ、創造し夢を持つ豊かな人格、そして一番大切な"愛する心"を持った芸術家を生み出す時間もないまま21世紀を迎えようとしている。 最近、TVで放映されたニュースで中国政府は一家族(夫婦)に一人の子供しか認めない口減らしの為の政治対策を発令したと伝えられた。いわずもがな、その結果無菌状態の育児教育、そして過保護はどんどんエスカレートし、例えば父親の二ヶ月分の給料で子供の為にミノルタカメラを買ったとか……うっかり二人目の子供が出来た場合、病院や家の中で産むことは出来ず(認知されない為)、馬小屋や倉庫の中でそっと産み落とすと言った非人道的な事を余儀なくさせられ一人っ子の為の英才教育に全てのエネルギーをかけ、一日も早く先進国の仲間入りをするのだ……と。あたかも敗戦後の日本がアメリカに追いつけ追い越せと周りを振り向く余裕もなく、勤勉に働いた日本の何倍ものスピードを感じ本当に恐ろしく悲しい時代が到来したと感じたのは私一人だけではないと確信している。 人類(人間)は本質的に何ら他の動物と変わりなく何時も群を成して動き、なまじ知恵がある為、学歴、肩書、名誉を重んじ学校、社会(団体)という檻の中で命令され少々の競争心を煽られ、適当に褒められ適当に苛め、苛められることで心地良い刺激と満足を覚えるものの様だ。 それは子供から大人になり社会的地位が出来ると益々エスカレートするのには驚きである。現在世界のトップクラスに躍り出た日本のエリート達、特に政治経済界に於いて彼らは本当によく勉強し、よく働いて来た。どこかに置き忘れてきたのに気付いているのはほんの僅かの人達のようだ。 富ヲ得テ道ヲ誤ラザル人ハ少ナシ 多クノ者ハ大金をヲ手ニスルヤ忽チ心オドリテ欲楽ニオボレ道ニ外ルルヲサトラズ カケラレシ罠ヲ知ラザル鹿ノ如クヤガテハ苦難ニ陥ラン−−釈迦 三年前、93歳で他界された日本発明振興協会会長で私の後援会長であった海野幸保先生は人類発祥以来変わる事のなかった生命の倫理まで根底から覆す技術を持つに至った最近の科学の発達を危惧され「人が人の精神を忘れて人の命を弄ぶ様になった時、人類の歴史は終わる」とおっしゃっている。 ベートーヴェンはあの第九交響曲で「全ての人々は自然の乳房から歓喜を飲み、全世界の人々に接吻を、そしてきっとあの星空には愛する父、神が住んでいるに違いない、友よ! 全世界の友よ愛し合うのだ!」と。 人間そのものが神から与えられた偉大なる芸術作品である事を決して忘れてはならない。そして何事も大きく考え目先の事にとらわれ過ぎない様にそして心から愛し合う友を作ろうではないか……合掌。 The World of Masato Usuki 宇宿允人の世界を語る ■「奇才」指揮者、終演間近に──自前オケ率い16年、宇宿允人氏 音楽界に失望、資金も尽き──「神の響き」熱烈愛好家も 朝日新聞 1998年4月7日付より 「神のような音を出す人」と震える愛好者がいる一方で、団員への暴言は数限りなく、悪評たらたら。指揮者の宇宿允人さん(63)は、「クラシック界一の奇人」とも言われてきた。その、自ら率いる交響楽団「フロイデ・フィルハーモニー」の、16年続いた自主公演に幕が引かれようとしている。「戦後日本の社会の荒廃が行き着くところまで来た。もう私の芸術的な言葉が通じない。死んだも同然だ」。こんな"遺言"を残し、11日に109回目のコンサートに臨む。 「フロイデ」の2000人を超すファンは、先月、宇宿さんからの手紙に驚いた。 「電力や酸素の供給も途絶え、地球へ帰る船もなく冷えきって、絶望を感じながら宇宙空間をさまよい燃え尽きてチリとなって……。今の私は、そんな『運命』と対峙しております」 緊急の寄付を求める「泣き言」だった。 宇宿さんは東京芸大在学中から近衛秀麿氏の下で指揮法などを学び、NHK交響楽団で首席トロンボーンを10年間務めた後、指揮者に転向した。大阪フィルの専任指揮者から東京に戻り、自前の交響楽団をつくって「宇宿允人の世界」と名付けた自主公演を2カ月に1度催してきた。 しかし、放送局や自治体の専属オケと違い、独立のオケは資金繰りが大変。宇宿さんは「満席になってやっと次の資金が捻出できるかどうかなのに、1度やるごとに2、300万円の赤字。家財を売り払って経費にあててきたが、それも尽きた」という。さらに「団員が私の要求についてこられない。これは戦後日本の教育が失敗したからだ」。 企業スポンサーがついて給料制になった時期もあったが、会社側の経営不振で長続きしなかった。 応援で来たコンサートマスター級の奏者やソリストに対しても、練習で音楽的要求にこたえられなければ子供扱い。評判は口コミで全国を駆けめぐる。音楽ジャーナリズムからも、ほとんど無視されてきた。 「音楽大学で教えることは、すべて間違い。精神性や魂が決定的に欠けている。楽譜の読み方さえ知らん。そんなやつらが音楽界を仕切っているからだめなんだ」とところかまわず叫ぶので、敬遠される。 一方で、評価する人たちも、並の言葉ではない。 新日本フィル名誉首席奏者で、「フロイデ」のティンパニにも参加している山口浩一さん(68)は「どんなオケも出せない神の響きがする」。音楽プロデューサーの神田正美さん(66)は、「とにかく衝撃的。情感と迫力に驚くしかない」。 コンサートのたびに、聴衆からは「帰り道の外の風景が、来た時とは違って見えます」などというメッセージが寄せられる。 今春、東京大学医学部教授を退官したばかりの日本整形外科学会理事長、黒川高秀さん(60)は、「4年前、友人から券をもらって行ったら、金縛りにあった。なんという生命感と清らかさなのか」と興奮して以来のファンだ。 黒川さんは、宇宿さんの危機について語る。 「ほかの音楽家に対する悪口は、音楽界にとって香辛料であり警鐘でもある。それを内包できるかどうか、日本の音楽界や社会のあり方全体が問われている気がする」 ◇ ◇ ◆練習中の「悪態」 宇宿さんは、無機質な音を嫌う。練習では「聖母マリアの像から一粒の涙が落ちるように」といった抽象的表現を駆使しつつ、少々品に欠ける一面も。怒りのあまり帰ってしまう奏者もいる。記者が聞いたり、団員から「内部告発」を受けたりした言葉は次の通り。 〈演奏に気持ちが入らない時〉 「顔つきが悪い。おまえは音楽をする顔ではない」「じっと見るな、気持ち悪い。指揮者は私でなく君だ。棒に合わせるのではなく、自分のビートを出せ」 〈自分の要求にこたえられない時〉 「アホらしくてやってられんわ。公務員になった方がよかったんじゃないか」「どうして自分のミスを謝らない。人の車にぶつけて何も言わずに逃げてしまうのと同じことだ。二度と使わんぞ」「音楽にも『て・に・を・は』がある。何を習ってきてるんだ。句読点を間違えたら文章にならん」 〈うまくいった時〉 「ブラボー、ありがとう。そうそう」(拍手しながら指揮台で阿波踊りする) ------------------------------------------------------------------------------- 宇宿 允人(指揮者) 神のような音を出す・・・。演奏を聴いた人の心を捕らえて離さない宇宿允人は、奇才の指揮者と言われている。 はじめてフロイデ・フィルハーモニーの演奏を聴いた日、訴えかける響きの迫力と共に例えようのない哀感と郷愁を感じて、その想像を遥かに超えてしまった。100人近くのプレーヤーが演奏をしている筈なのに、その100人がまったく一つの身体を共有しているように呼吸がぴたりと合わさり、巨大なエネルギーの塊が一気に動いているような躍動感と音から音への一瞬の間の静とのコントラストが見事で、息もつけぬほどだった。演奏が終わった瞬間、他の演奏会でかつて聴いたことのないような唸るような拍手の嵐だった。 宇宿允人はフロイデ・フィルハーモニーを率いる指揮者である。1982年東京芸術音楽協会を組織し、その年の10月、「宇宿允人の世界」の第1回演奏会を開催した。当時はフィルハーモニアTokyoというオーケストラであった。以後、97年6月に100回を数える演奏会を行い、今年1月、フロイデ・フィルハーモニーと名を改め、多くの宇宿ファンを魅了し続けてきたのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉並の閑静な住宅街に宇宿允人の家がある。青々とした樹木に囲まれた、年月と風格を感じさせる裏木戸を開けると、家屋が2つ建っていた。宇宿はその一方の「離れ」で生活をしている。 楽譜の棚とピアノと、大きなテーブルが存在感のある離れは、エアコンが気持ちよい風を送る音だけが機械的な音を立てていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 宇宿允人は1934年に京都で生まれた。子供時代の宇宿はガキ大将で、何事も人に負けることが嫌いだった。常に「悔しい」という気持ちを持ち続けていた。 『小学校のときに学校の宿題を忘れてしまったのです。そのときに限って、黒板に答えを書けと先生に言われましてね。 同じクラスにいつも勉強ばかりしている米屋の息子がいて、家に遊びに行くと彼はいつも山と積まれた米俵の陰で小さな30Wくらいの電気の下で勉強しているんです。頭がでっかくてね。ほとんど同級生の名前は覚えていないのに、なぜかその米屋の息子の名前だけは覚えているんですよ。 私は結局、問題の答えを書けなかったんです。その後に指されたのが米屋の息子で、彼は見事に答えを書いたんですよ。その時に私は先生から、「彼の爪の垢を煎じて飲んだほうがいい」と言われたんですね。悔しくて悔しくて、今でも覚えていますよ。しかしその悔しさも、今の私のバネになっていると思います。「お前はバカだ」という言い方をされるより、同級生と比較されたことは悔しかったですね。小学校4年のときで、人間の感情が露骨にわかるときですからね。』 中学時代は、バレーボール、軟式テニス、野球、ありとあらゆるスポーツをしていた。中でも走ることはどんなことよりも得意だった。 『走るときに、自分より前に人がいるのを見たことがないんですよ。3年になって編入してきた奴が陸上部に入ったんです。いかにも足が速そうで、土踏まずがグッとくびれていてね。そいつに追い抜かされたんですよ。最後の決勝の時に、はじめて自分の前に走る人間を見たんです。そのことも今でも忘れられないくらい悔しい出来事でした。しかし、小さな頃に運動会で負けたりした些細なことがその後の人生も「よし負けるものか!」という気持ちにさせるんです。』 宇宿が音楽に興味を持ったのも、実はその頃だった。 『ブラスバンドを始めたのもちょうどその頃だったんです。私達の小さな頃は戦争時代で、男は男らしく、女は女らしく、といった育てられ方です。音楽をやっている男は、女々しいと言われた時代です。だから音楽は好きでしたが、ブラスバンド部に入って初めて音楽をしたようなものなのです。担任の教師からは「音楽なんてやめろ。君はクラス委員もしているんだから立派な大学に入って勉強するんだ。」と言われていましたよ。』 そして実際に将来の希望として音楽の道に進むことを決めたのは高校2年の時であった。なんと晩学でのスタートであった。しかし、音楽という芸術の一分野に足を一歩進めたのも幼い頃からの宇宿の習慣や感性からして、必然だったのであろう。 小さな頃から父親と共に、月に3度、7のつく日には必ず比叡山に登っていた。山の頂から見る雄大な空、風とともに流れゆく雲、途中の道々で見かける小さな草花、路傍の石、その自然の全てと、延暦寺の風情ある佇まいとが、宇宿の幼な心に芸術家の種を蒔き続けていた。 宇宿がまだ小学生だった頃に一番上の兄が戦死したことも、その後の宇宿の心に大きな影響を与え続けた。宇宿は自由闊達な少年であったが、人の何倍も繊細な感情の持ち主であったから、生命の尊さをなによりも重く感じていたのである。 『高校の音楽コースに入ったら、みんな真っ黒な譜面(音符の数が多いということ)を見てピアノを弾いているんです。とにかくそれにショックを受けて、私はバイエル(ピアノの初級者のための教則本)から始めました。音楽大学を受けるなんてその頃の自分にはとんでもないことだったんです。遥か宇宙に飛び立つようなものだった。しかし、ここで負けてはいけない。なんと10日間で106番まで弾けるようにしたんです。次のレッスンのときは最後まで完璧に先生の前で弾きました。先生は非常にびっくりしていましたよ。バイエルは真ん中から加速度がついたように難しくなるんですが、きちんと音楽的に弾きましたよ。そしてバイエルが終わってすぐに、ソナタ(ピアノの中上級程度の教則本)を始めたんです。ベートーヴェンの「悲愴」も弾きました。しかし、まだまだ準備不十分で、芸大を受けるなんてとんでもないことだったんですよ。戦争中の特攻隊みたいなもんですよね。私はそういう感じで東京に受験に来たんです。』 それでも東京芸術大学の入学を果たして、意気揚々とした宇宿に運命の出会いがあった。その出会いとは、数々のオーケストラを創立してきた音楽界の大御所である近衛秀麿氏との出会いであった。 『そしてそのあとに近衛先生にお会いできたのですが、「芸大?あそこはだめですよ・・・」と言われてしまったんです。私は顔をバンバンと何発も叩かれたようなショックでした。それから近衛先生の書生のようなことをさせてもらったのですが、そうしながら学校に行くと、学校がいかに程度の低いことをやっているのかわかったのです。 近衛先生に「先生、僕は指揮者になりたいんです」と言いました。そうしたら、笑いながら、「地下足袋を履いて土方になりなさい。そうすれば土方は使えます。」と言って、すーっとその場からいなくなってしまったんです。 一瞬、何のことかわからなかった!!しかし、よくよく考えてみたらオーケストラのプレーヤーになることなんだとわかったんです。つまり「現場を踏むこと」だったんです。オーケストラのプレーヤーになるには、まず芸大を首席で卒業しなければならないんです。私はそれで「よし、1番になる!」と心に決めました。幸いに、なんとか首席で卒業しました。しかし本当は、どこの学校を卒業したとか、どんな賞をもらったとか、そんなことは本質的なものではなく、音楽とは、芸術とは、もっともっと奥深いものなのですよ。』 当時、日本のオーケストラの管楽器は、ほとんど陸海軍に抑えられていた。陸海軍の音楽隊の出身者がNHK交響楽団の主要メンバーであった。 宇宿が近衛管弦楽団を経てN響の首席トロンボーン奏者になったのは、1960年のことであった。一般にはとても魅力的なポストであったが、何故か10年後に指揮者として再出発することになる。 『それは日本の音楽界、並びに日本の音楽教育の将来に、疑問を持つようになったからです。それならば日本の音楽界を変えるためには、どういう勉強をすればいいのか?指揮をしたいから指揮者になったというより、音楽界を見直すために指揮者(指導者)としての道を選んだのです。 N響にいたころは、給料も良かったし、何よりゆったりと演奏活動はできました。しかし周りを見回すと、日本のオーケストラはピンからキリまである。N響だけでなく、他のオーケストラもレベルアップしなければいけないと私は考えました。近衛先生に「指揮者になりたい」と私が言った意味はそういうことなのだと、はっきりその時にわかったのです。』 そして「宇宿允人の世界」が幕を開くことになる。 スポンサーを持たないオーケストラの活動を続けるため、宇宿は自ら陣頭に立った。スポンサーを持たず、オーケストラのコンサートを100回以上も続けることはまさに至難の業であった。100人からなるオーケストラは、想像を絶する苦労を伴う。 今年の春には朝日新聞に、資金が尽き今後の演奏会活動が危ぶまれる、との記事が掲載され、多くの人の反響を呼んだ。その記事の中には "「神のような音を出す人」と絶賛するベテランメンバー、涙する愛好者がいる一方で、団員への暴言は数限りなく、悪評たらたら。「クラシック界一の奇人」とも言われてきた・・・・" というくだりがあった。 実際の宇宿は、コンサートマスター級の演奏者と学生の演奏者を、経験や身分の違いで差別することは全くない。どちらに対しても、音楽を真摯に追究していなければ「諫める」のだ。それは音楽的にはもちろん、物事の本質を追究するに他ならないのである。 『オーケストラの楽団員は、良く言えば個性的、悪く言えば奔放で無軌道な人間たちです。そういう人達をまとめるには、穏やかにやるのか、その人達以上に強烈にやるのか、どちらかと言われたら、やはりその人達以上に強烈でなければ人様を感動させる音楽を作るなんてことは不可能なんです。 私はいつもメンバー全員を怒っているようなイメージがあるらしいのですが、決してそんなことはないのです。しかしテレビや新聞で取り上げられると、私が怒っているところしか取り上げない。 取材はとても恐ろしいと思いますよ。読み手も、人の不幸は面白いんでしょうね。だから3面記事がいつまで経っても繁盛するんですよ。(笑)』 4月に新聞記事が掲載されたその日中にチケットは完売になった。しかし、必要以上に揶揄があったことも事実だった。 『電話で「4月にオーケストラは終演と言ったじゃないか」と抗議があったんですよ。朝日新聞に掲載された記事についてです。「終演と言ったのは嘘だったのか。終わると言うから切符を買ってやったんだ」と言うんですよ。しかもそれだけ言って、自分の名前も言わずに電話を切ってしまうんです。本当に信じられないことですよ。 そうかと思うと、「4月の演奏会の時のテンポが自分の趣味に合わなかったから、ダイレクトメールは今後一切送ってくれなくていい」という内容の電話をしてくる人間もいる。そんなものは個人の趣味に過ぎないじゃないかと言いたいですよ。 演奏会を聴きに来る人たちの中には、芸術家宇宿と違った面を見たいとか、苦悩している宇宿個人の生活面を見たくない人、さまざまな人がいます。テレビや新聞で取材を受けている私の違う面(苦悩している宇宿の私生活)を見たくないという人もたくさんいます。演奏会の最後に、私の声を聞きたいという人と聞きたくないという人も、はっきり二分されています。指揮者は喋らないほうがいい、偶像視していたいという人はたくさんいますよ。 中には、「先生の演奏会に人が入らないほうがいい」と言う人までいます。何故かというと、「人が入らなければ、いつでも好きな場所で聴けるから・・・」と言うんです。席を曲に合わせて好き勝手に移動ができないから人がたくさん入ると困る、というばかげたことを言う人間もいるんです。なんと中野区の教育委員ですよ。「全席のチケットを買ってくれるならば、好きなように移動してくださって構わない」と私は答えました。 ある人は2階の招待席に座っていたんです。「そこは招待席ですので・・・」と席の移動をお願いしたら、「チケットには全自由席と書いてある、どこに座ろうと自由じゃないか。大声で怒鳴るぞ!」と言うんです。とても悲しいことです。まったく、開いた口が塞がりませんでしたよ。』 ここまで聞いて、震えが止まらなかった。これが現実なのである。いったい人はどういう権利や思考でそんなことを言えるのだろう。チケット代を払っているからというそんな単純な理由だけで、そういう苦情は成り立つのだろうか?演奏を聴く側にもそれなりの姿勢がなければ、音楽の感動を味わうことは全く不可能なのではないだろうか? 『「こどもをオーケストラに連れてきていいのか?」と悩む親御さんは多いようですが、こどもの時からそういう場所に連れてこないと、大人になってからマナーがわからないんです。会社の経営者の人ですら、Tシャツ1枚で招待席に座ってしまう。会場は空調がきちんとされている。もちろん人がたくさん集まっているわけだから、暑いかもしれない。しかし演奏者は燕尾服を着ているんです。それなのに聴衆はTシャツで来る。演奏会は「儀式」なんですよ。日本人ももう少し、パーティや社交の場に慣れてほしいと思います。 文化放送のレポーターが、「先生、今はクラシックのコンサートは自由な雰囲気でいいんですよね!スニーカーで来てもいいんじゃないんですか?先生はどう思いますか」って言うんですよ。私は「儀式だと思っていますよ」と言ったんです。続けて、「これは冠婚葬祭と同じです。お葬式の時に、ジーパンで参列しますか?」と言いました。オーケストラをカジュアルに・・・と言ってしまったら、ステンレスでできた犬や猫の食器も洗剤で洗いさえすれば人間がそれでご飯を食べられる、水洗便器で食器を洗っても同じことになりますね。』 更に、宇宿はこう続けた。 『悲しいということのどん底ですよ。しかし、これが世の中なんです。世の中の50%の人が精神的に病んでいると思います。そして45%の人は優柔不断で、どちらにも転がる。残るたった5%のひとつかみの人だけが、本当の意味で世の中を引っ張っていくリーダーになるんですよ。働きアリにしても働きバチにしても同様なんです。 私は、物事をまず悲劇に落とすんです。悲観的に考えるんですよ。そしてその中から這いあがる。その時の力強さを音楽として表現しているんです。 今の芸術界は、ある先生の門下であったら、他の先生の門下になってはいけないという風潮があるんです。道をはみ出したら、破門になるんですよ。 幼稚園の子供でも、小学生でも中学生でも、音楽が好きで素直であれば、みんな伸びるんですよ。伸びないのは、ただひとつ、指導者の責任なんです。「どうして?」という質問にきちんと答えを出せる指導者がいないからです。 学校の勉強や、かけ算の九九を覚えるように、丸暗記で音楽をやったりする。それは全くの誤りなんですよ。だから、楽譜を本当の意味で読めていないんです。「なぜ?なぜ?なぜ?」という気持ちを常に持たなければ、本当の意味の演奏はできません。 税務署に行っても警察に行っても、全てのことで「法律で決まっているから」と言われますよね。「その法律が間違っていないですか?」と私は思うことがよくありますよ。日本の国は共産主義よりもっとすごい社会主義ですよ。きたないものに蓋をして、見ないようにしている日本人特有の精神が、私はとてもイヤなんですよ。歴史を、消そう消そうとしている。とくに痛ましい出来事の歴史は見ないようにしているんです。それが過ち(戦争)を繰り返すのです。世の中の事には、法律も含め、良い意味で疑問を持つことが必要なんです。』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ オーケストラの楽団員用の楽譜は、すべて宇宿の手作りである。空間の空いていない市販の楽譜から、一段ずつ、拡大コピーして切り貼りしていく。しかも、譜めくりの時に演奏に支障を来さないよう、各パートの休みの箇所を、めくりの場所に当てている。奏者の目に優しいように、ほんの少しクリームがかった色の紙を特注している。練習の時に、散らばった楽譜を集めてもすぐにパートが分かるように、パート毎に表紙の色を変えているetc・・・。そこには並々ならぬ配慮がされていて、その細やかさに溜息が出た。 楽譜のファイルケースもすべて宇宿の手作りだ。一分の隙もないほどきれいに作られているそれは、蛇腹式で、収納する楽譜が増えていっても大丈夫なように形作られている。 庭の木々や石畳、楽譜室、家の本棚、浴室、下水、家の門は杉を使って京都の庭園のような作りで、これら全て宇宿の手作りなのである。家の中で手を入れていない箇所は畳くらいだという。何事にも興味を持って自らやってみるということが、宇宿允人の音楽の根底にあるのだろう。 『アイロンがけも洗濯も、全部自分でやりますよ。人のものだってやりますよ。奥さんがやらなきゃいけないなんて法律ないでしょ。でもね、私は自分の布団が汚いことなんて問題じゃあないんですよ。自分については全然気にならないから、よく娘には注意されますよ。 自分で使える自由時間内には、できるだけ生活の努力をしたほうがいい。それは物事の本質を見つめるということに於いて、最も大切なことなのです。』 人を信じる、疑ってもやはり信じる。宇宿の心にはどんなに汲んでも汲んでも汲みきることのできない愛情の深い大きな井戸があるような、そういう真の芸術家としての計り知れない、人や事物への思いを感じてならなかった。人並み外れた愛情があるからこそ、怒りも尋常ではないのであろう。 インタビューのその晩も、演奏を聴いた日と同じように眠れなかった。重すぎて大きすぎて、頭の中でぐるぐると渦を巻いているようだった。何かの機会を与えてもらったような、この話のひとつひとつをこれからきちんと咀嚼していかなければいけないことを痛切に感じた。(インタビュアー 三上敦子)1998.9 ----------------------------------------------------------------------------- |
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