ベトナム中部訪問記■

(世界遺産ホイアン・ミーソン・フエ)

副題は,   < のんびり  いこうよ  このたびは >

 

今回の私のベトナム訪問は、2006112日から同月22日までの11日間でした。私は今回で、ベトナムは3回目の訪問です。日本はこの時期寒く、ベトナムのホーチミン(以下、サイゴン)は真夏の前くらいの安定した気候です。費用は、FIX(往復が、変更不可のチケット)66000円程です。近年の原油高騰で燃油特別付加運賃等が6500円ほどが加算され、それらの費用を含んでいます。

 今回のベトナム訪問で特記すべきことは、ベトナム人女性のユンさんにアテンド(ガイド)をお願いして、ベトナム訪問の一週間をずっと同行してもらった旅であったということです。

 ユンさんは、サイゴン市内の日本食レストランで昼間にバイトしながら、夜には日本語を勉強している26歳の大学生であります。今回の私のベトナム訪問は、ユンさんに同行してもらったお蔭で素晴らしい旅となったのです。このことをまず最初にユンさんに感謝したいと思います。

 **   ***   ***   ***   ***   ***   

 

   ■今回のベトナム訪問紀・中部編をみなさんに紹介したいと思います■

       (以下の文中の時間は現地時間。金額は日本円です。)

 ☆日程は、下記のとおりです。

●1日目:112日(木)/18:00/ホーチミン着 ほうれん荘で宿泊

●2日目:  13日(金) ほうれん荘宿泊

●3日目:  14日(土) サイゴン→ニャチャン→ホイアン。車中泊

●4日目:  15日(日) ホイアン泊

●5日目:   16日(月) ホイアン泊

●6日目:  17日(火) ホイアン→フエ泊

●7日目:   18日(水) フエ泊

●8日目:  19日(木) フエのビンズオンTに宿泊

●9日目:  20日(金)  フエ→サイゴン泊

10日目:  21日(土)  サイゴン泊

11日目:  22日(日)11:40/ホーチミン/キャセイ航空/S/CX766で帰国

 <第1話:盗っ人とイカの塩辛のこと>

 112()午後6時、私はサイゴン在住の邦人・春さんとサイゴン空港出口で待ち合わせです。この時に、私が定刻より空港に遅れて到着した直後、今回持参した手荷物の一つが盗難にあったのです。この時の現場の詳細は省きます。

 私が春さんに「手荷物がなくなった!」と告げたとたんに、春さんは、私から半歩さがり「なんばしよるか!大バカもんたい!お前はあれほど言ったのに……」と雨あられの如く、30秒間は罵声の嵐でした。私は、春さんの身体の何処かにスイッチのOFFがあれば、その電源を切り、制止させたいような思いでした。春さんは九州の熊本出身ですからお国なまりでしたね。

 その後、盗難品はデジカメ・日本円の現金3000円程で被害額は1万円を越えないだろうと判明しました。私の片方の手荷物品は、春さんからの要望の土産品であります。イカの塩辛、瓶入りウニ、せんべい等、いわゆる懐かしい日本の味の品々です。こちらは全て無事に残されている状態でした。

 その後私と春さん、そして春さんの友人でサイゴン在住邦人Yさんと会食をした席では、盗人はイカの塩辛や、瓶入りウニのバックを盗まなく良かった。それは、盗人が入手したところでその味を楽しむとは決して思えないので、やはり換金可能なデジカメや日本円を有効利用し、その日の生活の糧とした方が有益であろうということでした。

 そして春さんの手許には無事にイカの塩辛、瓶入りウニ等は届いたのであります。単に私の不注意と後悔のみが残るのでしょうが、これもベトナム特別入場券か、それとも安全祈願の御布施と思って次の行動へと進むのです。

 以上の顛末について、くれぐれも誤解して頂いては困ることがあります。前回のベトナム訪問もそうでしたが、今回も私は『ベトナム人の方々やベトナムについて軽蔑や屈辱的なことは決して言ってはならない』という姿勢でいるのです。

 私がベトナム滞在時に泊まるベトナムのホテルの中に置いてある、日本人が書き込む雑記帳の中に、交通ルートや有益な情報の他に「ベトナム人に騙された、ぼったくられた、盗まれた、殴られた」等の出来事は確かに事実であるかも知れませんが、そういうことは基本的には万人が目を通すものに書き記すべきでないと、私は思っているのです。

 わざわざ、海外まで出かけ、その国やその国の人々の悪口を残してみても、自分自身の興味や感性を昇華させるのに弊害はあっても、その後の旅の味わいはおそらく薄れるだろうと思うからです。

 <第2話:ユンさんの登場>

 1月13():ベトナムに到着した翌日は大切な日なのです。自らの体調を確認し、今後の予定を確定するのです。私が今回ベトナムで初体面した藤牧さんについて紹介します。

 藤牧さんの年齢は60歳余。藤牧さんの言によれば、「私は、日本への出稼ぎ者です」と。藤牧さんは日本で3ヶ月間働き、その賃金を蓄え(いわゆる肉体労働だそうです)そして、その後3ヶ月間はサイゴンで奥さんと2人で開いた特殊小学校の支援活動をしています。一年中この周期で、日本とベトナムを往復している方なのです。藤牧さんの奥さんはベトナム人です。原則として藤牧さんは、他の団体からの補助金はもらわないそうです。詳細は藤牧さんのホームページを一読下さい。../st_vincent05/

 今日の午後にユンさんと初対面です。ユンさんは小柄な女性です。今回ベトナムで行動するパターンとして、

 @私一人だけの場合

A私とベトナム語が堪能な日本人

B私と日本語が堪能なベトナム人

 この3タイプがありますが、私は今回のベトナム訪問では幸運にも、Bを選ぶことが出来ました。

 今回のベトナム訪問はベトナム人女性と同行の旅をすることが出来た結果、前回・前々回とは全く違った見方をすることが出来たのです。道中はベトナムの風景の中にユンさんが溶け込み、それに私が随行し、いろんな分らないことを彼女に見聞していくことになったのです。

 彼女の性格や行動については、以下の点をはっきり示しておきます。同じ店で私一人がビールを飲む値段。そして、私と在留邦人と飲むビールの値段。私がユンさんと同席して飲むビールの値段がそれぞれ違うのです。私のそばにユンさんがいる時といない時とでは、明かに周りのベトナム人の態度が明らかに違うのです。

 これから随所にこのことを書いていきますが、ベトナムの素晴らしさはユンさんを通して私の体内を通過し、時としてユンさんに気づかれないように、私は感動して一人で涙が出ることもあったのです。

 ユンさんはビールを飲みませんし、煙草も吸いません。ベトナムでは普通、女性は煙草を嗜みません。でも夜の水商売の女性は別です。

 私は出会った最初の日に、ユンさんに今回の旅で必要であろうまとまったお金を預けたのです。ベトナム通貨の200万ドン。日本円で14000円程です。今回の同行日程の全ての支払は、ユンさんにホテル代、飲食代、拝観料等、全てを支払ってもらうためです。 ユンさんのアテンド料はこの旅の最後です。200万ドンはユンさんの2ヶ月分の給与に相当するでしょう。信頼はまず、私の方から示したかったのです。(それでも、明日、朝7時に私のホテル前の集合時に会うことができるかの不安は、少なからず有りましたが…)

 私は慣れないベトナムでの通貨での支払が、その都度日本円の交換レートを計算し、使用通貨の選別、お釣りの受渡しに神経を使いたくなかったのです。ユンさんは、毎回支払を済ませるとどんな少額であっても、必ず店から領収書をもらい私に渡してくれました。そういう領収書の授受については、私はユンさんにはお願いしていませんでした。しかしユンさんが自発的にそうしてくれたのです。

 <第3話:サイゴン→ホイアンのノンストップ・バス移動>

 1月14():今日もシンカフェ(Sinh Cafe)利用です。なお、Sinh Cafe WebSiteは次のアドレスです。  http://www.sinhcafevn.com

 私は毎回のベトナム旅行でも、いつもこのシンカフェを利用するのです。その理由は安価で、安心だからです。このツアーは外人ばかりの寄せ集めツアーバスです。 シンカフェ以外で日本人専用バスもありますが、おそらく料金は10倍はするでしょう。そういう意味ではシンカフェ等の旅行社がベトナム旅行を支えている実態があるのです。日本にはこのようなものは有りませんから、外人は物価が安い東南アジアには来るでしょうが、残念ながら日本までは行くのを敬遠するのです。

 ●サイゴン→ニャ‐チャン→ホイアン→フエのオープンチケット

 1人が16ドル。1800円程です。 @サイゴン→ニャ‐チャン(450Km。8時間)

 毎日朝7:30出発

 夜行バス:夜8時発

 Aニャ‐チャン→ホイアン(530Km。10時間)

 毎日朝7:00出発 

の予定でしたので、ユンさんとは朝7時集合。このバスでは、朝7:30出発でサイゴン→ニャ‐チャン(450Km。8時間)へと移動したのです。3時間間隔でトイレ休憩や食事休憩があり、夜7時にニャ‐チャンに到着したのです。

 そしてニャ‐チャンでユンさんとその日に泊まるホテルを探そうとして、『明日の朝に出発してホイアンですね』と、ユンさんに伝えたところ、『いえ、明日の夜にホイアンへ出発予定になっていますよ』との返事でした。

 そもそもニャ‐チャンはビーチリゾートような観光地であり、私のようなおじさんが一人で保養する場所では無いのです。ですからニャ‐チャンでは単なる通過地点として、『ここで一晩宿をとって休息し、その後そのままホイアンへ急ぎたいのだが…』とユンさんに相談したところ、ユンさんは『そうであれば今日の夜にホイアン行きの深夜バスが出発するから、それに乗りましょう』との即答があり、翌15日朝630分までバスに乗ることになったのです。

 つまり、14日の朝7時から15日の朝630分までバスで移動となったのです。このユンさんの機転で、私は当初の予定ではミーソン遺跡は断念せざるを得ないだろうとの予測が回避され、ベトナムの世界遺産3ヶ所を訪れることが可能になったのです。よってこの日は車中泊。

 私は町から町、村から村への狭間を見るのが好きなのです。飛行機では見ることが出来ません。今回の旅は、宮本常一主宰雑誌の題名である「あるく、みる、きく」だと考えているのです。私は、昨年10月に、自宅の岐阜県羽島市の自宅から名古屋の知人宅まで、片道約30キロを徒歩で往復12日の旅をしました。

 平地を歩くので疲労感はなく、爽快でしたね。一つとして同じ家はなく、同じ道も無く、愉快さえ感じた訳です。この事を実母に言ったところ、「この事を、人前で話してはいけない、変わり者だと思われるから」との忠告でありましたが、「心配要りません。私はもう十分に変わり者だと思われていますから」と咄嗟に言おうとしましたが、この時には私は言えませんでしたね。

 <第4話:ホイアンは日本人の香り>

 

1月15() :朝630分。ホイアン到着です。シンカフェの指定する10ドル。1100円のホテルとしました。ホイアンでは2泊します。勿論、ユンさんとは別々の部屋です。前夜が車中泊でしたので、ユンさんにはつらいことを強いた結果となったのです。

 ホイアンの町並は、建物が日本の風景に似ている。私の世代の記憶にある道幅や生活があるのです。それは建物の背丈、間口の大きさ、いつの時代かは知りませんが、確かに日本人がここには居たのです。

 ここは海のシルクードです。日本の正倉院は特別です。正倉院は天皇の倉庫ですから、保管や管理が万全です。正倉院は修復が今後もまだ数十年を要するのでしょうが、ホイアンは現在も生活の居として、ホイアンの市民や観光客や一般人の用を果たしているのです。ホイアンの観光チケットの区域は、半径300メートルほどの小さな範囲です。このホイアンは入り江を利用した小さな港町です。

 この日は、M女史を訪問したのです。ホイアンの一泊80ドルから100ドルの高級リゾートホテルに勤務する、26歳の女性です。お父さんは70歳を超えた、岐阜県在住の画家さんです。M女史は、このホテルに1年半の勤務で、ホテルでは英語使用だそうです。

 私は初対面でしたが、30分程の会話ではM 女史の快活で、且つ明朗な、爽やかな笑い声がこの高級ホテルのロビーに響いていました。突然の訪問でしたが、互いに日本人だという安心感がそうさせたのでしょう。

 私一人が、浮浪者如きに尋ねて行っても相互理解に手間取るのでしょうが、M女史もこの時ユンさんが同席し、ユンさんが私の通訳の任をしてくれているのを理解した様子で、この時はM女史も『困ったおじさんが来たな…』くらいのことだったのでしょう。

 それにしても、日本人の女性があのような大きな声で笑っていた様子は、清々しい思いがしました。その後M女史の紹介で、同じホテルで勤務し、夜レストランでアルバイトしているレエさんと会うことになりました。そのレエさんが勤務しているレストランで彼女と会い、お茶を飲み、休憩することにしたのです。このレエさんとは翌日も偶然に会うのです。

 「人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。としたり顔して教える苦労人が多いけれども、(中略)私は、それを意志だと思う」は, 太宰治でしたかね。M女史には、この意志が明確でした。一人で海外で暮らす意志の強さです。

 <第5話:ミーソン遺跡と88ドル盗難された女性Sさん

 

1月16() :この日も、宿泊ホテルロビー前では日本語愛好家が参集し、日本語研修会です。ホテル従業員やバスの運転手さん達です。忙しいのはユンさんで、私は決して邪魔にならないように傍らで待機しているのです。このような光景の真似は、果たして日本人には出来るのでしょうか。観光客目的のための日本語習得でしょうが、その親しみやすさと向学心には感じさせられます。

 ミーソン遺跡は中東からの文化の影響でしょうか。カンボジアのアンコールワットと同系列の遺産でしょうか。遺跡は風化して、保存が必要とされる状態でした。それでも一見の価値は十分にあります。西洋の豪華絢爛は無いのですが、その当時の民衆の信仰を集めたもので、この建物すべてが人の手で成し得た事実が分かるのです。

 ★この日、ボートツアーに出かけた際の出来事をお話します★

 15人程の外国人観光者を乗せてのボートツアーで各所を周り、昼食はこのボート内です。食事が始まる頃、私の隣席のユンさんが荷物を置き、後方へと行くのです。暫くしても帰って来ませんので、私が後ろを見ると、ユンさんは観光客に出す昼食の配膳の手伝いをしているです。

 皿にご飯を盛り、おかずを乗せて、外国人観光者にふるまうのです。勿論本来、その担当者は船長やそのアシスタント、ツアーガイド全員です。私がこの時ユンさんに伝えたことは、「十分に手伝って下さい」でしたね。その後、ベトナム人同士の会話が和んだことは、申し上げるまでも有りません。

 旅は一人でいる孤独と、複数で居るわずらわしさが交錯するのですが、ユンさんを通して格別な思いがしましたね。この時は。

 サイゴンを離れて、初めて日本人を見かけたのが、S女史です。

 東京在住の26歳。一人旅でした。日本からハノイ着でベトナムを南下しているとの事でした。S女史はハノイ空港から市内までのローカルバスで、その時履いていたズボンのポケットの中にあった88ドルをすられたとの事でした。これ以前にも、ベルギーでは首締め強盗に遇ったとのことでした。私が、サイゴンでデジカメの盗難に合いましたので、各自の精神安定のためにも今晩の夕食はホイアンでご一緒する約束にしたのです。

 そしてユンさんによれば、山田さんは日本人の若い女性には声をかけると言っていましたが、この頃から、ユンさんは私の生活指導の役目も果たすことになっていたのです。

 その後ホイアン市内に戻った所、私の背後から「ヤマダさんー」と大きな声です。私は、ホイアンに知人・親戚の類はいないので、振り向くと何と昨日のレエさんです。そして午後3時のお茶は、私とユンさん、S女史、このレエさんの4人となった次第です。

 S女史は、木版画を趣味で勉強中との事。ヨーロッパを中心に数カ国を旅しているとのことで私はビックリしたのです。そして、つげ義春、宮本常一を知っていたので、更にビックリしたのです。

 私は最近、分からない部分が分からない人には、何を言っても無駄だと思っているのです。このことは重要な点です。分からない部分が分かれば、解決の方法や手段は指導法があるのでしょうが、分からない部分が分からない人は、単に消化不良し、混乱するだけです。

 私には娘が2人いますが、親が教えるのは近道や要領のよさで、根本の解決に成らないのです。自分で考え、自分の意見を言えることが重要なのです。

<第6話:ユンさん作成の支出明細表>

 1月17()は、ホイアン→フエ泊です。ホイアン→フエ(120Km。5時間)

朝7:30出発で、フエに午後1時に到着しました。途中の五行山で、私は、子供に土産を買ったのです。 

ここは外国人観光者目当ての売店です。当然ですが、ユンさんはベトナム女性として本来の取引価格を熟知しているのです。在日邦人とは決定的に違う点です。フエの宿泊は3日間です。ホテルは、一部屋550円。ユンさんとホテルを選別する際も節約を勧めるのはユンさんです。夕刻時は、フエの新市街を散歩して、明日の朝8時から午後3時までのボートツアーの申し込みです。一人220円です。昼食付きです。

 今夜の夕食は、外人向けのレストランとしました。店内に入り、ユンさんにメニューを見せると、ユンさんは、「ここは料金が高いから、自分は食べない。私は山田さんのお金を預かっているので、無駄づかいはできない」とのことです。私のようなおじさん泣かせの一言でしたね。

 続いて、「山田さん、今日はビール2本までですよ。昨日は飲みすぎましたね」と追い打ちのような言葉まで頂戴し、私はユンさんの生活指導員としての指示に従うのです。

 今までは、ユンさんと屋台での食事でした。一人150円程です。女性のアテンドが幸いしたことは、小食であることです。食事時にユンさんの好みで店を探すのですが、食べ慣れた食事を選択しやすい地元の屋台ばかりでした。

 私は食事の席で、ユンさんに仮払いしているお金が不足するであろうから、追加のお金を渡そうとした所、ユンさん作成の支出明細表が示されたのです。私はユンさんに尋ねたのです。

 ユンさんが金銭の支払直後に私にレシートや領収書を渡しているのに、『どのようにしてこの明細表を作ったのですか?』と。その答えは、何とユンさんは毎夜集計していたそうです。その記載内容は、ホテル代が(やちん)と書いてあったりしますが、金銭管理を疑うことが微塵も出来ない、立派な支出明細表でした。

 ユンさんは私との同行中いつも分厚い辞書を持参し、私とのやり取りも、大変であったろうに。

 これからは、日本人以外の人と日本語で話す時の注意点を書いておきます。注意すべきは、この2点です。

 @        平易な日本語。短い文。ゆっくり、はっきりと話す。敬語は使わない。敬語は、仮に、「Aさんは、明日、みえられますか(または、こられますか)」は、日本人以外には難解なのです。前記の「みえられますか」は、見える、何が見える、英語のLOOKSEEに理解されるのです。この場合は、単に「来ますか」。を使う訳です。

 A        カタカナ単語や英語らしき単語を使わない。日本人の言葉の理解と違うことが多いのです。出来るだけ、ひらがなで使える単語をつかうのです。

 <第7話:フエのフォーン川のボートツア

18()  フエは、サイゴンの騒がしい街中とは違って穏やかな町です。

今日はボートで、フエ郊外の6ヶ所ほどの帝廟を観て回るのです。昼食付きです。朝8時から午後3時頃までです。各帝廟では、300円ほどの拝観料がいるのです。ベトナム人のユンさんは無料であったり、私より低額であったりです。

 外国人料金格差は、金銭価値が違うので仕方がないのです。それぞれの帝廟では、ユンさんがこの王様は良い王様、悪い王様。又は、この王様は外国に住んでベトナムには居なかった等の説明です。フエを旅するには、ベトナム人のアテンドが重要です。邦人に、これらの説明は出来ません。

 午後はフエの新市街を散歩し、夜はフォーン川の船上での民俗音楽を演じるツアーに出かけました。所謂民謡であったり、合奏であったり、恋歌であったりです。私には、同じアジア人としての奏者の表情を観ているだけで満足する催しでした。明日はいよいよ旧市街です。

 <第8話:フエの旧市街は広い>

 

19()  旧市街は、2キロ四方の広い所です。ここは一人で歩いては、所在場所が掴めない程の広大な、いにしえの都です。周りの外国人観光者は、やはりアテンドと同行しています。

 ベトナム人の年配のアテンドは、フランス語通訳が多かったのです。朝の8時から午後1時まで歩き、そろそろシクロ (改造した自転車タクシー)に乗りましょうと、ユンさんに提案してもユンさんは健脚でしたね。

 旧市街を出る辺りで、ベトナム王宮音楽、昨日の民俗音楽、そしてユンさんのお勧めのCD、各1枚を購入したのです。正規販売店の正規の商品です。1200円程です。ここにも、ユンさんの姿勢が現れているのです。安かろう、悪かろうのコピー商品を私に勧めないのです。東南アジアはコピー商品氾濫です。それでも、ユンさんは自国にあって毅然とした態度で示しているのです。

 ユンさんの日本語で多用される言葉に、「少々、お待ち下さい」があります。これは、ユンさんが日本食レストランに勤務し、日々日本人客を相手に、熱心に日本語を習得した結果でしょうね。

 この日の宿泊は、地球の歩き方にも記載されている、ビンズオンTです。一泊550円です。このホテルは、日本人女性の経営です。旦那さんは、ベトナム人です。3店舗あり、私の友人は以前ビンズオンVに宿泊し、絶賛していました。それは、各部屋が綺麗であり、そしてサービスの良さにあるのでしょう。

 お気づきでしょうか。私は、一部屋1100円、又は550円レベルのホテルに泊まり、アテンドと同行しているのです。それぞれの旅は失礼の無い限り、他人と比較しないのです。

 超高級ホテルを利用される方はそれで良いのです。私とは違う、ただそれだけのことなのです。ある種の日本人のように、ブランド名の新興宗教を盲信し、高額なビニールバックを持ち歩くことを猛省すべきなのです。『それぞれ、自由なのよ』の自由の意味が違うのです。

 ★自由について述べておきます。

 その@「人間は、これほど(犬に食われるほど)自由だ」この言葉は、私が20歳程の時に、藤原新也の写真にあった言葉です。人間の死体に犬が食らいついている写真でした。そのA「自由への逃避」これは、避難民が自由を求めるものです。そのB「自由への長い旅」という言葉です。

 これら3つの言葉を広義・狭義の別なく、感性として受け入れることが出来る人でなければ、何を言っても無駄でしょう。凡そ、実学以外の学ぶという分野として成立している、文学、芸術、哲学等は自由を探求していることのみを目的としている、と言明しても過言ではないでしょう。

 「報道の自由とプライバシーの保護」が話題になりますが、私には、不思議で仕方がないのです。報道の自由は憲法で保護されていて、プライバシーは民法レベルの問題です。民法や商法は社会規範のルールですから、赤信号は止まれとか、相続分の割合とか、この場合は債権者保護として、別の場合は債務者保護とするとか、社会運営上の均衡問題です。報道の自由とプライバシーの保護を、同じ秤では計る訳には到底できなくて、優先されるべきは、報道の自由に決まっているはずです。これ程「自由」は高い位置に有るのです。

 <第9話:ユンさんとの別れ>

 

20()  フエからサイゴンへ飛行機で移動です。この日の夕刻にユンさんとの別れです。最初は、小柄で長い髪の女の子と思って見てましたが、私はこの日ばかりは女性を感じましたね。

 ユンさんを紹介して頂いたYさんと同席し、ユンさんに約束していたアテンド料と私の心付けを加算した料金を渡しました。

 サイゴンの夕刻時は、私と春さん、そしてYさんの3人でいつものレストランで、ビール、ソーセージとマスタード、ピザ、パスタです。1500円程です。

 ベトナムは唯一、アメリカを駆逐した国と言っていいのだろうか。アメリカは個々人の人権を尊ぶ自国民の要求で撤退しただけで、ベトナムはアメリカに勝利したとは言えないのです。ベトナムは、フランス、アメリカ、中国、カンボジアと戦禍に及び、その国土が消耗し、日本はその間特需景気で繁栄し現在に至っているのです。ベトナム国内は、今もてんびん棒の商売人がいて、街中はバイクの洪水の様相で、なおかつ到る所にインターネットカフェがあるという、まさに三世代混在の現状です。

 ★独立について述べておきます。

 日本の幕末から明治への移行は失敗であった。とすると、独立の意味が分り易いと思います。江戸が焦土となり、もっと大がかりな戦いであれば、我々日本人は、自由や独立が気楽に手に入れられ、独立の概念が、さも道端に落ちていそうなどとは考えないだろうということです。安全や水がタダだと考えているのと同じです。日本が単一民族で、一国家とノー天気に構えているので、気楽なもんです。

 日常的な話題にしましょう。「親が子供を確実に育てる方法は、唯一、親が早くいなくなること」というのは、親が子供に教えるのは、世の中の利便性や道徳心でしょうが、これらは各自がその時々に身につけるものです。人に会ったら挨拶することは、礼儀として当然に身に付くのです。その後、人として独立心が持て、その尊厳の上に立ち、独立を獲得する。崇高な理念です。目に見えないから、概念として形成するのです。

 形から入るものは有りますよ。茶道や華道がそうです。これらにしても、大人が意味を理解した上でのことで、子供が猿まねしても仕方が有りません。

 

更に、民主主義について言えば、
「民主主義は、多数決だ」。これは、民主主義という躯体の一部の部品にすぎない、技法にすぎない程度のものです。どの程度の多数決要件を決めれば良いのですから安直なものです。過半数にするのか、3分の2にするのか、4分の3にするのか、というものです。どのような過程でこの計量的割合が決められるのでしょうかね。これらも多数決ですかね。

 「多数は一人のために、一人は多数のために」は、「民主主義は、多数決だ」とどのように関係するのでしょうかね。『決まったことには従え』と、これだけでしょうかね。

 <第10話:お土産は、爪楊枝(つまようじ)

21()  帰国の準備です。お土産は安価で、手軽で、ユーモアのある物として、爪楊枝にしました。場所は、サイゴンの国営百貨店です。品揃えが多く、値段交渉がありません。正札価格です。しかもここは安価で。冷房完備です。

 日本のスーパーマーケットの様子です。爪楊枝については、『妻、用事(つまようじ)があるから…』と呼ぶも、妻は多事所用で忙しく、呑気な亭主は『自分の事は自分でするように』これが拙宅の現状ですよ。

 但し、男には男の財布というものが有り、それは旅の原資となり、家人には到底理解が出来ないから、私は言わないのです。

 昨年、驚いたことがあったのです。いわゆる、小泉劇場の総選挙です。

テレビを観ていて、衆議院選挙・静岡小選挙区の女性刺客片山さつきの当選インタビュー時の一節です。「丸山真男先生の民主主義・・・・」正確には記憶していませんが、丸山真男崇拝者の一節でした。
 片山さつきは、舛添要一参議院議員の元妻だそうです。この二人は、東大法学部出身官僚の見本のようなものです。私の記憶では、丸山真男は「政治は、徹頭徹尾、結果責任である」と言っていたのですが、小泉の結果責任について片山女史はどのように考えるか、私は大いに疑問なのです。

 選挙結果では、日本は硬直した官僚支配が約束されたようなものです。私は、官僚が無用・無能だと言っているのではないのです。私は、民主主義とは「文句の言える社会」だと思っています。文句が言えない社会は、他者の意見を聞かない、抑圧社会です。共産党を見れば一目瞭然でしょう。

 <第11話:非日常から日常へ>

 1月22() 中部国際空港到着が午後9時。帰宅が午後11時でした。最寄りの駅から徒歩15分です。自宅付近では小雪がチラつき、日本の風情を感じました。今日の午前中には、サイゴンでは半ズボン、半袖シャツでしたが、日本の日常への到着でもあります。

 日本は平和な安全な国です。そして自由があるのです。ベトナムを離れているベトナム人の多くは、『ベトナムに帰りたくない』と言うそうです。ベトナムには自由がないのです。町中に張りめぐらされた密告があり、批判が出来ないのです。

 憲法9条について、述べておきます。

 自衛隊は軍隊であるから、憲法9条を変えるという。自衛権ないしは、集団的自衛権のことです。私はこのように考えます。戦争の開始は、自衛と思い込んで行なわれるということです。戦争はどちらかが発砲したとか、挑発したとか、他国の解放とか、理由付けはなんでも良いでしょうが、憲法9条を変えるとは、この意味です。

 『侵略しますよ』と言って戦争は開始されないのです。自衛隊は軍隊であり、それで9条があるから良いのです。現状と合致していないことを理由にする人がいますが、道路交通法や建築基準法ではないのですよ。短い条文の現行の憲法で良いのです。そして日本国憲法は、9条と99条にその魅力があるのです。

 私は、最近の嫌中国派、親中国派の分類もテレビやマスコミが、赤コーナー、青コーナーに分かれて営業的発言をしているだけですので、全く興味が有りません。

 左翼と右翼について 

◎指定暴力団幹部(A)と、人権派であるその代理人弁護士(B)の会話です。
A  左翼と右翼は、どう違うのですか。

B  太平洋戦争を、侵略戦争と考えるのが左翼。正義の戦いと考えるのが右翼ですよ。

A  よそへ行って、鉄砲を撃って、人殺しをしたら、侵略に決まってますよ。そうしたら、我々は、左翼ですね。

 この会話は的を射ています。そしていずれであっても、どのような理由付けがあっても戦争はしてならないのです。

 私の日常の食事は性格が脂っこい(冗談ですよ)のに、納豆、とうふ、干物という簡素な日本食です。やはり日本食は美味いのです。温暖な土地には、多くの産物が多種多用にあるのですが、日本は品種を改良、加工に努めるため味が良いのです。

 春さんに言い忘れましたので、この文書でお伝えします。来年の今頃、私とユンさんがサイゴンを歩いていても驚かないように、と。

 ユンさんをはじめ、春さん、私と接点を持たれた方々に満腔のお礼を申し上げたいと思います。

 私の帰宅後一番の役目は犬の散歩です。小雪が舞う深夜に犬を散歩させたのです。私がベトナムから帰った時最初に、「お帰りなさい」を言ってくれたのも、この犬でした。 こうして、私の11日間のベトナム中部訪問(世界遺産ホイアン・ミーソン・フエ)の旅を終えた次第です。