ネタ職人PN元姫路市民の活動記録

年代
ネタ採用雑誌・番組
内容、感想
91年2月
別冊コロコロスペシャルに採用
生まれて初めてネタを採用された。佳作だったので、ページの下のほうに名前が載っただけ。それでも佳作になるまで半年はかかった。
91年8月
コロコロコミックに採用
コロスペでそこそこ採用され続けたのに自信をつけて本店コロコロへ。ここはポイント制ではないのでそんなにしゃかりきになってネタを送らなかった。中学生になっても投稿は続けた。クラスや部活動で「ネタ見たで」と少しづつ話題になっていく。

神戸新聞「まんが館」に採用
いじわるばあさんのネタをアレンジしたからか、佳作で名前のみ。教室でこれでもかと自慢しまくった。鼻で笑われたが。
93年10月
MBSヤングタウン日曜日「写真集のポエム」に採用
当時ラジオ大阪で「魔神英雄伝ワタル4」のラジオアニメをやっていた。ワタルには小学校のときにかなりハマッた。部屋にラジオがないので妹のラジオを借りて聴いてた。終わったあと何気なくチャンネルをいじってると、ぜんじろうと小高紀子の声が聴こえた。ネタのコーナーがあったので送ってみる。公共の電波にのるので今までの本名をやめてPNをつくる。 ここで「PN元姫路市民」が誕生する。
94年10月 コロコロコミック「まんがアカデミー」大賞受賞
佳作をとってから何ヶ月も没になってやっととった。しかし絵は採用者の中では下手な方だった。やっぱり中身やね。 (よーいうわ)
95年4月
コロコロスペシャル「41代名人」に襲名
コロスペ編集部から「41代名人に襲名しました。ご自身のプロフィールとネタを送ってください」と手紙がきたのが1月17日。そう阪神大震災の日。電話が通じないのになぜか郵便はきた。地震の影響で入試が延期したとはいえ、ネタ考えるのは片腹痛かった。
97年2月
ヤンタン水曜日「しりとりでデート」に出演
パーソナリティーはますだおかだ、濱田マリ、松井愛アナ。当時は協調性のないもてないクン(今もそない変わらないが)だったので相手の女の子としゃべっても空回りしていた。
97年3月
ヤンタン日、木、金曜日各コーナー
ナゴヤドーム元年、昨年惜しいとこまでいった中日をより応援するためPNを元姫路市民から  「 燃えたれ!ドラゴンズ に改名。しかし連敗につぐ連敗で早くも最下位。シーズン終了後元に戻す。
98年3月
ヤンタン木曜日「CD大喜利」に採用
これまで3週連続読まれて終わりの繰り返しのネタ職人だったが、このコーナーだけは毎週読まれた。日曜日もそこそこ読まれてたのでリスナーには名前だけでも覚えてもらえた。この頃元姫路市民の第1次ブレイクであり、イベントにいっては女性リスナーに声をかけだした。
98年4月
真夜かんかん過激団に採用
これまで聴くだけだったのだか、はじめて須磨海岸で行われたイベントに参加。森田よしひろ、種浦マサオのええ大人が須磨海岸を花火を持って暴れ回る。(須磨海岸は花火禁止)リスナーもたいがい痛かった。女性リスナーが大半を占めた中の新顔男性リスナーなので結構いじられた。
その模様を手紙に書いて番組に送る。それで森田、種浦の二人爆笑!好評を得てこの番組でも元姫路市民は認知された。


ヤンタン火曜日に採用
3月に大阪城ホールで行われたヤンタンフェスティバルに行った時、ほとんどヤン火リスナーだったのを知り聴きだす。しかしソフィアの松岡がすぐに番組を卒業する。
新メンバーにクラリオンガールの塔堂なつが入る。北海道出身の塔堂なつに関西の常識を教えるコーナーがあったので(コーナー名忘れたが)そこで「おき太くん」「ちゃらんぽらん」「青野敏行」等を説明し採用される。

99年4月
週刊ベースボールのボールパーク共和国に採用
週べはオリックスが日本一になったときの優勝パレードの写真を売りさばくために買った雑誌。よく読んでみるとネタのコーナーがあったので出してみる。高校時代「西のやくみつるになったる」と野球4コマ漫画家を目指してただけはあって簡単に採用される。でもヤンタン同様そんなに甘くはなかった。採用、没、没、没、採用の繰り返し。好不調の波が激しくボ共ベストナインにかすりもしない。
99年6月
金曜12時上岡龍太郎がやってきた「日々是遺言」に採用
ぜんじろう、種浦マサオらがヤンタンを卒業してしまい、当時週3本出してたネタ番組が皆なくなった。そんなとき昼間に聴いていたのがこの番組。上岡師匠とレベルの高いリスナーのやりとりにすっかりハマってしまう。
何回目かのファックスで「図書カードのデザインが悪い」という内容が採用されるも、師匠の逆鱗に触れ、「こいつにはなんもやらんでよろしい!」とファックス破られる。ほんまになんもくれんかった。

99年10月
誠のサイキック青年団に採用
当時サイキックイベントのチケットを買うと「イベント質問用ハガキ」がもらえると言われていた。しかし三ノ宮のぴあではもらえず。その苦情を送った。
ただ、普通に書いてもあじけないので「先週の放送で誠さんがタージンさんの彼女を会ったその日にカイたのにショックを受けました」とつかみを書く。これに誠さんは「その日にカイてへんわ!しかもタージンが付き合う前や。あのあと3年付き合うたわ」と弁明。
その後は「裏ビデオ大安売りのチラシ」、「西武の三井投手が決め球に『ムネオボール』と命名」等 名前を呼ばれたり呼ばれなんだりしたけど採用されている。


友池中林のミットナイトギャング
「一発ギャグランド」に採用
サイキックの前にやってた番組。聴いてた週がたまたまネタが面白かったのと採用されるとCDギフト券がもらえたので出してみる。これがなかなか連続して採用されない。ちょうどたかじんさんのライブCDとビデオが出る頃には笑いの神様が降りてきてくれて、一気に荒稼ぎするもそれで終わり。その後「久保くん喜多くんのミッドナイトギャング」になり時間帯もかわるも元姫路市民の活躍は変わらなかった。エースとして活躍した学生時代を回顧し嘆く日々が続く。
99年12月
XXX(クスクスクス)木曜日小川竜生に採用
毎日放送ラジオがヤンタンを終了させて心機一転「XXX」とタイトルを変えて10時〜12時と12時〜3時に持ってきた。木曜日はヤンタンを聴いていたので目がさえる。 12時から3時までぼそぼそとしゃべっていたのが作家小川竜生さん。小川さんはアウトローな作品を多く手がけているが、本人も主人公に負けず劣らずのアウトロー な行動をしゃべっていたので、おもしろくてつい聴いてしまう。
最初に読まれたのが、「就職活動中に乗った電車で窓から手を出している傷だらけの男を見ました。こんな人はほっとってもいいんでしょうか?」その後に書いた 「こんな怖い質問ができるのはこの番組しかないと思いまして」に小川さん思わず苦笑。小川さんは昔京都でたかじんさんと一緒に暴れて・・・いや遊んでいたそうなので当時の話も してもらった。印象に残ったのが私と妹が常に冷戦状態であることを相談したとき。「母親が死んだら今よりももっと仲が悪くなります。このままでいいんでしょうか?」
小川「たとえ血がつながっていようと他人や。血がつながっているから仲良くせんとあかんことはない」この一言でかなり楽になれた。

00年10月
アメリカザリガニのスレッドキングABCに採用
ミッドナイトギャングも終わり、ボ共に出すだけだった。そんな時師と仰ぐ澄川順さんがこの番組を紹介してくれた。「案外捨てネタが採用される」というのでとりあえず出してみる。アメザリなんて「チーズバーガーの歌の漫才師」としか認知度はなかった。そこでまた最初だけ読まれる。しかし間隔は空くものの読んではくれる。ヤンタンをともに戦った、レッツゴー3000匹等懐かしい名前もよく聴くのでネタを送り続けた。
インターネットの普及により、携帯電話からネタが送れるようになった。浮かんだらすぐに出せるので、変にひねったりできないのがよかったのかけっこう採用されだす。おかげさんでいまでもネタ職人ベスト10位の中に入っている。ハガキ職人としての第2次ブレイクである。

02年9月 ぜんタネ「ぜんタネカップ」にエントリー
ヤンタンが終わった後「ぜんじろうさん、種浦さん がいつ帰ってきても大丈夫なようにネタを作り続けよう」そう心に誓って今日までハ ガキ職人をやってきた。
ひょんなことからぜんタネを知る。 我が家のケーブルテレビからではトラベラーズTVが見れないので、友達からビデオに ダビングしてもらって見る。ラジオのときはFAXがないため、すぐに話に入れず苦 労したが、メールという最新通信機器を使用できるようになってもトラベラーズTVに 加入していない為、リアルタイムで見れず番組に自宅から参加できない。皮肉なもん や。何回かネタ写真やメールを送ったがなかなか採用されず。採用されても名前を入 れるのを忘れて送っていた。
そんな私にやっとチャンスが回ってきた。ぜんタネオープニング曲を視聴者か ら募集する企画があった。決められた歌詞に基づいて曲をつけるというものだったが、 私は作曲が出来ないし楽器が弾けない。考えた末、長年作り続けた替え歌で挑戦する。 曲も他の名作とはかぶらないように(かぶった曲なんかよう作れないが)大阪近鉄応 援歌、燃えよドラゴンズ、じゃりん子チエの3曲で替え歌を作る。
結果は、私の作品が唯一「なんやこれ?イタイ奴が作ってるんやで」とぜんじろうさ んにボロクソに言われた。さすがに傷付いたが「こんな曲で勝てるなんてはなから思っ てなかったやろ。あれだけいじられたら御の字」と切り換えた。まあ切り換えに3日 はかかったけどね(苦笑)。
02年12月 ボールパーク共和国のボ共ベストナインにかする
このベストナインはベストナインというだけあってほとんど採用されている 方ばかりが並んでいます。02年の夏場12週連続採用されたので「ベストナインは無理でもベストナインに 漏れた人として紹介されたらええなあ」と言うてたら選ばれた。漏れた人の7番目に入っていた。50音順では ないことをみると、私は日本17番目のボ共民ということになります(ちゅ〜〜とはんぱやなあ)。03年はもちろん 狙いますよ。他のボ共民を脅かせますよ。15番目まで上がってやる!(ベストナインに入れっちゅうねん。)
03年3月
ボールパーク共和国でMVP受賞
ボールパーク共和国では毎週最優秀国民1名と優秀国民5名が選ばれる。 選ばれるとプロ野球選手カードがもらえるだけでなく、最優秀国民には3点、優秀国民には1点を加点していき ます。そして10週ごとに集計。最高得点者をシリーズMVPとして表彰してくれる。最優秀と優秀を連続で とったからいけるかな、と思ったら隅っこのほうに発表されてた。5ポイントでとれたのだから常連ボ共民のレベルとの 差がなくなってきたのだろう。
と思ってたら3月24日号で「元姫路市民さんのポイントが5としていましたが、9点の誤りでした」と 訂正記事が載っていた。全然気がつかなかった(苦笑)。
03年4月
BBビームに採用
ぜんタネで知り合ったりょうさんから突然「私が担当している番組に 投稿してください」と連絡があった。私は言われるがままにスカパーBBを探す。探したけど 登録前の視聴では見れず。うちはADSLでなくいまだISDNなので遅い。無理やり登録するも画像なし、 音声は音とびすると最悪の状態。それでもネタを送った。
ネタといってもビームというコンビをここで初めて知ったので、ゲストの根本はるみにちなんだ替歌を 作る。ここでなんかあったら自分は替歌に頼るなぁと認識する。そんなことはどーでもいい。で、いざ採用 されると著作権の都合で替歌はなし。替歌の元ネタになった、「イエローキャブ野田社長があいさつ代わりに 乳をもむ、とさんまのまんまで言ってました。今日もまれましたか?」というマニアックかつ下ネタも交える 質問だけだった。根本はるみは照れることなく「社長の教え。おっぱいはもんでももまれるな、ですよ」と言い切った。 根本はるみはあなどれない、今後乳以外でも注目していいグラビアアイドルです。
03年5月
桂三枝の茶屋町ホテルでMVP獲得
この番組の放送開始からちょくちょく出していたのだが、普段から毒ネタ、下ネタなどを 使ってるので、どうもあわない。そのためスペシャルウィークしかネタを送らず。
野球が始まってからは月イチの放送になる。お題が「野球に関するものを使って替え歌」というもの。 野球と替え歌と私の得意分野(?)が二つも揃ったのでネタを送ってみる。ほんとに久しぶりのため三枝さんに 「ご新規さん」と言われたがMVPをもらった。商品がクオカードだけでなく毎日放送のタオルや腕時計も入っていた。 それとスタッフの方から「ご新規さんといってしまい申し訳ございませんでした」と謝罪の手紙も入っていた。 そこまでしていただいても翌月から没続き。採用され続けるっていうのは難しいものです。
03年6月
嘉門達夫のネットでごめんに採用
うちのお客さんのあやこさんに「嘉門さんがネタ番組をしている」と 書き込みがあるのに早速HPに行ってみる。そこはラジ@という、ネットラジオのHPやった。(ちなみに鶴瓶 さんのぬかるみもここでやっている。) そこには「あったら怖い」、「どんなんやねん」等嘉門さんのCDでおなじみのネタコーナーがあった。私は 嘉門さんの曲は聴いてても、ラジオに目覚めたときにはすでにヤンタンを卒業しておられたのでネタを見てもらう機会が なかった。
これまでにCDやライブで聴いてきたネタに基づいてネタを考えると結構出てくる。どんどん送ると忘れた頃に 採用されていた。「時空を越えた番組」といっているだけあって毎週録音しているのか、ネタだけ何本かまとめて収録している のかそのへんは分かりません。ここは長くからの嘉門達夫ファンがネタをこれでもかというくらい送っているので 少しでも追いつけるように、ライブでCDにサインしてもらうとき
「名前は?」「元姫路市民でお願いします」「ああ最近よくネタ送ってくれるねえ」
等と嘉門さんに名前を覚えててもらいたいです。がんばろ。
03年6月
どーだますだおかだに採用
この番組はますだおかだが最近自分に起こった出来事から時事問題までを語る番組。 だからネタコーナーは基本的にない。しかし、褒めたくなるようなニュースを紹介する「ほめてやる!」のコーナーや、 愛すべき松竹芸人の素顔を紹介する「マンスリーしょうちく」のコーナーがある。私は「マンスリーしょうちく」の方に採用された。
内容はど真ん中ホールで安田団長が「オジオズの篠宮がオクレさんに『キングコングのパクリ』とからまれてた」と言う話。聞いたそのままの 内容を送っただけで、自分の足を使って捜したネタではないんです。

04年11月

神戸に引っ越す。

結婚を機に高砂から神戸に引っ越す。「高砂市 元姫路市民」から「神戸市(長田区) 元姫路市民」と呼ばれる。高砂に比べて雑音がなくラジオに集中できるようになると思いきや、家庭の事情で聴く時間が規制される。

06年1月

どーだますだおかだ月間ランキングトップ10入り。

どーだますだおかだの月間ランキングに7位入賞。サイン付のステッカーをもらう。

06年4月

ますだおかだのオールナイトニッポンに採用。

どーだますだおかだの人気コーナー「ほめてやる」を全国区のオールナイトニッポンでそのまま使われる。おかげで採用。ナイナイのオールナイトニッポンで出来なかった全国ネットのラジオで初めて採用される。普通のお便りでも採用され、千社札を合計4枚獲得。

06年6月

ラジオのネタ投稿を休止。

今まで採用されたネタはMDに録音している。そのMDがもういっぱいになる。いっぱいになるまで約7年かかったので2枚目を作るのがしんどくなる。これを機にスレキン、ますおかオールナイトにネタを送るのをやめる。週刊ベースボール1本に絞る。

06年9月

全力投球!妹尾和夫ですの「男と女のシークレットゾーン」に採用。

MDに若干録音するスペースが残っていたので、全力投球のエロコーナーに送る。スポーツの秋をテーマに自分のトレーニング方法を紹介。だいぶエロを交えたがほとんどカットされ原文の雰囲気を179度くらいひっくり返された。やっぱり深夜のノリでは朝ではあかんと今更思い知らされる。

06年12月

ボールパーク共和国の06年度年間MVPを受賞

これまで4年連続ベストナイン候補だったが、今年は結構採用される。そして

「今年ベストナインに入ったらネタ職人を引退しよう」

と誓う。それでもベストナイン規定打数(推測)40には12月に入っても到達していなかった。そのため11月からほぼ毎日ネタを送る。12月19日の晩、私の携帯にベーマガ社の方から電話があり、

「おめでとうございます。元姫路市民さんが年間MVPに決まりました!」

と報告される。年末で疲労がピークに達していたがその一言で疲労はすべてふっとんだ。ただ、引退すると知られたらMVP剥奪されるのでは、と勝手に心配して発表の前日までネタを送っていた。MVPを記念してこんな↓ワッペンを自分で作成する。もちろん週べにはなんの連絡もしていない。

07年1月1日

ネタ職人を引退発表。

ボ共でベストナインに入ったので無事引退。15年のネタ職人活動にピリオドを打つ。


 



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