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■モーゲン日記2003


●12/1

 もう師走か。早いもんですなあ。
 さて、日記を書かなかった間の近況でも書いてみるか。

 ――安いライティングにかかりきりで、ほとんどPCの前に軟禁状態でした。

 って、終わりかよ。
 困ったちゃんですなあ。せめてもう少しなんか書こうよ。

 ――三流フリーライターの宿命ですが、取材の案件がない場合は特に、傍目には、プータローかひきこもりに見えるはずです。どっちも当たらずとも遠からず? なめんなボケー。

 いや、そんな愚痴はいらないから。

 ――今週もド安い案件がふたつ入ってるなり。一難去ってまた一難。

 飯の種に対して、その言い方はまちがいなくまちがってるし。

 ――松屋&ほっかほか亭は、独身貴族である予の救いの星なり。配偶者いらず。

 って、わびしいな、おい。
 もうちょっとアクティブなこと書けないのかよ。

 ――今年は来週から再来週にかけて帰省する予定ざんす。

 え? 早すぎないか? いくらクリスマスやバレンタインに無縁だからって、そんなに早く帰省するこたぁねえべ。

 ――実家からクルマを借りるのだ。そして福岡に行くのだ。裁判がらみだよ。でも気分はすっかり旅行モード。詳しくは以前の日記を読んでね。

 ああ、そう言やそういうようなこともほざいてたな。裁判の経過を書けば?

 ――福岡に行って現地調査が終わるまで、裁判上の手続はストップしてる。以上。

 なんだ素っ気無いなあ。なんか不愉快なことでもあるのか?

 ――あるとも。

 ほう。書いちゃえ書いちゃえ。

 ――いやしかし、予にも一定の倫理観というものはあるのでして。

 いいから書いちゃえって。物言わぬは腹ふくるるわざ、すべてぶちまけてスッキリしちゃえ。

 ――じゃあ、ここだけの話ということで。

 ウェブ上でそんなん言っても無意味だし。

 ――でも書いちゃうよ。実は……この日記のオチが思い浮かばなくて困ってるのです。

 んまー、わかりにくいオチだこと。

●11/17(11/19これを綴る)

 仕事の合間を見てカキコキ。

 17日。裁判所に電話して、書記官に現地調査について尋ねた。

(え? また裁判の中間報告なんか書きやがるかよって? いいの! ごく一部の読者には好評(?)なんだから。これでいいのだ。バカボンのファザーなのだ)

 閑話休題。もし、インターホンを鳴らして本人が出たら、「本人がいた」と裁判所に報告すればいいんですと。妻が出たら「妻が出た」と。……なんちうか、いくらでも報告書を偽造できそうな気がしてきた。←コラコラ
 確認し忘れたけど、もし現地に行って被告の社長宅のインターホンを鳴らす段階になったら、万一あん畜生(顔も知らないんだけどね)がいやがった場合に備えて、テープレコーダを回す予定です。いや、それくらいは当然でしょう。

 んで、書記官いわく、16日の日曜に着くように訴状を送ったらしいんだけど、「不在」で不受理の場合、一週間後にもう一度配達して、それでも「不在」だったら返送されるから、26日くらいで戻ってくるらしいんだよね。まあ、戻ってくる確率は、ほぼ100%と見てるけどね。

 するってえと、12/11の裁判の期日を元に考えると、11/27〜12/10の間、「福岡旅行」に繰り出すことになる。しかし現実問題として、予は少なくとも今月いっぱいは、仕事でいっぱいいっぱい。今月末日には「あるテーマ」の作品アップもしないといけないだろうし。……投稿があればの話だけど。

 というわけで、12/2〜12/10というスケジュールになる。福岡への直行直帰なら十分な時間だが、そんなバカバカしい選択肢はとうの昔に捨てている。クルマによる「旅行モード」で道中を楽しもうと思っている。たぶん一人旅。というわけで、それをたった一週間程度で、というのはギリギリでキツイ。それにライターってのは基本的に12月は忙しくなるはずで、さらにキツクなる可能性がある。

 そんなわけで、裁判の期日を一週間、日延べしてもらえないかと書記官に願い出たところ、一週間後の11/18は、他の案件で予定が埋まってしまってるそうだ。んでもって、その次の期日が、来年の1/8以降ですと。

 あはははは! やっぱりこの事件、年越しちゃうね。念書を取ったA社(1/10に支払う)のほうが早く片付きそうだ。やれやれ。

 でもまあ、いいや。
 年越しを受け入れちゃえば、一ヶ月もしくはそれ以上の期間が得られるんだから。書記官いわく、
「訴状が戻ってきた場合、原告による現地調査報告書がなければ、裁判の日取りが決められない」
 だそうで、言い換えるなら、予の都合で裁判の日取りを決められるということだ。まあ、半年くらい放置されると自動的に終了してしまうと書記官に注意されたが、もちろんそんなに放置しておくつもりはない。26日頃に電話して訴状の行方を最終確認し、12/11決戦か来年に持ち越しかを決める。たぶん後者だな。

 というわけで、12月上旬かと思われた「福岡一人ドライブ」は、12月中旬以降になる可能性も出てきた。若葉マークの予は、道路の積雪がちょいと心配だが、まあ、南方だから大丈夫だろう。←なんちう楽観主義だ

 ちなみに、少額訴訟ではなく通常裁判であれば、他の案件に関係なく、バカスカ裁判の期日を決定してしまうのだそうだ。少額訴訟は「被告との話し合い」、通常訴訟は「追って沙汰する」であるから、そのような差が出るらしい。

 あとは、被告社長の住民票を取り寄せるべく、福岡市役所のサイトから印刷して記入しておいた申請書(「関係」欄にはもちろん「債権請求訴訟の原告と被告」と書いた)、訴訟が事実であると証明するための事務連絡&訴状のコピー、そして手数料の定額小為替300円を同封して区役所(市役所ではなくて。福岡は政令指定都市だからねえ)に送った。まあ、受理はされるでしょう。

 ただ問題は、予は申請書で、被告社長の本籍も求めている点なんだよなあ。本籍は住所に比べて、保護の壁が厚いらしい。可否は職員の判断にかかっているわけだが、さて、どうなることやら。もし本籍がゲットできれば、そこに訴状を送り付けるという仕儀に相成るかもしれない。

 って、防備録も兼ねて、ごく短く書き留めておくだけのつもりだったのに、どうも長くなっちゃうねえ。とほほ。

●11/13

 早速、書記官から事務連絡が郵送される。
 「調査報告書」の雛型が同封されていた。

 ザーッと目を通すと、原告として証明すべきは、
「被告社長は自宅にいる。なのに訴状を受け取らない」
 ということのようだ。不在証明ではなく、在宅証明をしろってこと。

 被告が現に住んでいるのに訴状の受け取り拒否をしているということを、調査報告書によって裁判官に認めてもらえれば、民事訴訟法第107条にもとづく「書留郵便に付する送達」というものが実行できるらしい。
 発送した日に受取日を「擬制」できるのだそうで、要するに、受け取らなくても受け取ったことにしてしまえるのだそうだ。ほお、これはナイスだ。
 公示通達という七面倒くさい最後の手段の前に、もうひとつ方法が残されているというわけですな。

 調査報告書で原告が調査すべき内容は、以下のようなものだ。

1.就業場所に関する報告(今回の事例では法人が被告だから不要)
2.住居に関する報告(今回の事例では被告の代表取締役宅)

 つまり2.を調査して提出する必要がある。その詳細は、

・住居の種類(アパートとかマンションとか一戸建てとか。階数も)
・表札の有無
・郵便受けの有無とその表示
・郵便受けの外観(内容物があふれているかどうか)
・電気メーター等が作動しているかどうか
・その他参考事項(室内の電灯がともっていたとか洗濯物が干されていたなど)
・近隣の人などの話(マンションの管理人、隣人の○○氏の話など、出所を明らかにした上での、ターゲットの在宅証明となりうる証言)

 ……うーむ、名古屋や大阪くらいならスパッと出かけて白黒つけてやるのだけれど、福岡はさすがに遠い。てゆーか、福岡に行ってすぐに帰ってくるなんて、どうしてもバカバカしい。やはりどうしても行くとなれば、物見遊山も兼ねないとね。そうでないと、自腹の交通費(というより旅費)も含めて、いろんな意味でもったいない。愚弟を引っ張り出すのはこの時期、さすがに厳しいだろうな。
 代理人に現地調査を頼むという選択肢も一応はあるのだが、福岡に知り合いはいない。やはり実際にやるとすれば、自分で調査するしかなさそうだ。
 実は、現地に行ったふりして適当にごまかすという悪いコちゃんな選択肢も考えないでもなかったのだが、これはあんまり積極的にはなれない。てゆーか、隣人の話はともかく、氏名まではごまかしきれないわな。
 ネットで検索しまくれば、あるいは電話調査で済ませられる部分もあるかもしれないが、やはり不十分だろう。

 てゆーか、もし現地へ行ってインターホンを鳴らしてみたら、被告社長がバカっ面ぶら下げてホイホイと出てきたらウケるなあ。万一そんなことになったら、どう対処すりゃいいんだろうか? 念書でも取ればいいのかな? 近日中に、書記官に電話で聞いてみよう。

 さてと、どこから手をつけたもんかね。
 まあ、とりあえず、郵送で被告社長の住民票を取り寄せるところから始めてみようかね。万一、転居先がわかれば、それはそれで進展だし。まあ、殆どありえないと思ってるけど。
 「年内に片をつけたい」というワガママさえ取り下げれば、緊急度はそんなに高くなさそうだけどね。まあ、期日は12/11なんだけど、

 てゆーか、よく考えたら、こんなもんに始終かかずらってる場合じゃないのだった。明日のオマンマを食うための執筆の締切が、明日午前・来週月曜午前・そして20日に迫ってるのでした。おまけに、25日前後締切があと2件、出てくる可能性あり。
 まあ、忙しいのは基本的にうれしいことなんだけど、もうちょっと原稿料が高ければ、もっとうれしい今日この頃。とまあ、そんなかんじです。って、いつもと同じこと言ってるような気がするけど。

●11/11

 裁判所の書記官から電話あり。
 どうやら年内に決着はつかなさそうだ。

 あ、「書記官」と「事務官」のちがいですが、裁判の雑務一般を扱う人たちは「事務官」で、事件を担当する人を「書記官」と呼ぶようです。つまり「事務官」が「書記官」に出世するということですな。前の日記では、明確に書き分けてないです。

 閑話休題。
 書記官から電話あり。
 11/20の裁判の期日を変更してほしいとのこと。被告が不在で、訴状が送り返されてきたらしい。社長の自宅に送っても同様とのこと。あとは休日を狙って送る手続きに移るということだ。
 まあ、訴える前に送った内容証明が送り返されていることから、予想できる事態ではありました。どうせまた送り返されるに決まってる。

 じゃあ、被告に訴状が受け取ってもらえないことが確定したら、ぶっちゃけ夜逃げしたらしいとわかったら、どういうことになるのかと尋ねたら、書記官いわく、最終手段は「公示通達」であるとのこと。

 って、予はすでに、公示通達の存在は知ってました。
 要するに、被告が行方不明だということが確定したら、裁判所に2週間公示して、それでもって被告に訴状を通達したことにしちゃおうという制度なり。
 ちなみに、公示通達は少額訴訟では利用できないので、通常の訴訟に移行するのだそうだ。通常訴訟に移行すると余計な費用がかかるのかと、少しうんざりしながら書記官に尋ねたところ、特にそういうことはないとのこと。
 じゃあ、それでいいや。

 ところが、事態はそう簡単ではない。
 前述の通り、予は訴える以前に「公示通達」のことは既に知っていた。内容証明郵便が送り返された時点で、被告がすでに夜逃げしている可能性が高いこともわかっていた。それにもかかわらず、直接的に公示通達(つまり通常訴訟)を選ばなかったのには、理由がある。
 公示通達を裁判官に認めてもらうには、「被告は行方不明である」ということを、原告が証明しなければならないのだ。しかも聞くところによると、裁判官は、ちょっとやそっとじゃこれを認定してくれないらしい。これを決めると、いわば原告の一人勝ちなので、まあ、一応の理はある。
 ったく、勝訴しても被告の預金がゼロで骨折り損の可能性が高いってのに、そこにすら、なかなか辿り着けない。

 被告が行方不明であることの証明は、原告がもちろん自腹で行なわなければならない。そしてその報告書を裁判所に提出するのだそうだ。
 アホか。被告は福岡だぞ。いないこともほぼ確定してるのに、いちいち行ってられっかフザケンナ、と思ったが、あくまで第三者である書記官を相手にキレても仕方がない。
「遠方ということで、考慮はしてくれないんですか?」
 と念のために尋ねてみたが、「申し訳ないですけど」との返事。
 具体的にどうやって確かめればいいのかと尋ねると、たとえば現地に行って近所の人たちの話を聞いてみるとか、などとのたまわった。
「刑事みたいなことをやれってことですか?」
 と皮肉交じりで言ったところ、「まあ、そうですね」との返事。やれやれ。

 ここで、「そんなことできません。イヤです」と答えると、書記官に、「じゃあ、要件不十分で裁判は成立しません」とかなんとか言われるのは目に見えているので、建前上は言えない。
 と判断して、一応はわかったというようなことを答えておいたが、ただそれだけの理由で福岡に出かけるのは非常にバカバカしい。百万くらいの債権なら、街金の人たちみたいに仕事にもなるが、旅費で消えるような債権だ。
 どうせなら旅行気分で、そのついでにというくらいの勢いで臨みたい。北海道に出向いたときと同様に、大阪とか厳島神社とか関門海峡とか別府温泉とか、通過地点及びその先までちょっと足を伸ばすなどの観光していくのもいいかもしれない。
 まあ、本当に行くとすればの話だけど。

「刑事みたいなことをやるといっても、裁判所は証拠主義・書類主義でしょう、何か証明書のような類いを提出する必要があるのではないですか」
 との旨を書記官に尋ねたところ、なんと、被告の社長の住民票を取るのもひとつの手だという。
 第三者が他人の住民票を取れるのかと尋ねたところ、裁判であるとの旨を伝えれば、取れるとのこと。こりゃビックリ。

「でも住民票を取ったところで、現に不在でありながら転居届が出されていない可能性もあるでしょう」
 と食いついたところ、
「まあ、その可能性は大いにありますね。でも、もし転居先が記してあれば、また話は別ですし」
 本気で言ってるとは思えない。夜逃げする人間が転居届なんか出すもんか。それは書記官もわかってるはずだ。やれやれ。

 ついでだからと、強制執行のことについても詳しく尋ねようとしたら、それは別の部署の担当だから、ご希望ならそちらに電話を回しますとのたまわった。出たな、必殺・役所のたらい回し!

「人情としては、年内に片付けたいですけどね」
 とまあ、言っている本人も実現するとは思えないことを言うと、とりあえず裁判の期日を12/11に設定するとのこと。まあ、どうせこれも日延べになるだろう。そのときはまたお知らせくださいといっておいた。
 期日変更の旨、一応郵送してくださいと頼むと、ついでに「公示通達」を行なうための報告書に書くべきことなども、合わせて郵送してくれるとのこと。まあ、大体電話で言ったとおりのことなんだろうけど、それを見て対策を考えるとしよう。


 電話は、強制執行の担当にまわされた。
 ちなみに、強制執行は地裁の担当だそうだ。予が下調べしていたことなども含めて、いろいろと尋ねた。

 まずは最も現実的な、被告の預金口座を差し押さえる方法について。
 口座の強制執行を行なうには、郵便口座を差し押さえるなら日本郵政公社の登記簿が、銀行口座を差し押さえるには、その銀行の登記簿が必要とのこと。それから、簡易裁判所に既に提出したのに、被告の登記簿も必要なのだそうだ。まあ、登記簿の有効期限の問題なんでしょうな。
 手続き費用は3000円×2で、登記簿はたぶん1通1000円だから、トータル9000円か。バーカ、想像以上に割に合わないってことが丸わかりになってきたよ。
 夜逃げした者勝ちなんだね、結局。
 まあ、裁判の仕組みを体感的に勉強するためにやってるんだから、授業料と思うことにしよう。強制執行まで辿り着ければいいけどね。

 それから電話加入権も差し押さえられるときいたが、これいかに? と尋ねたところ、手続きに壱万数千円もかかって、しかもこのご時世、電話加入権は激安で、裁判所で競売にかけて換金した後、結局原告の手取りは千円くらいにしかならないという。
 電話加入権を原告のほうで直接転売するというのはダメなのかと尋ねたところ、ダメですと即座に返答された。なんじゃそりゃ。アホか。

 物品の差し押さえもあるが、まずは被告名義の物品を把握する必要があるし、引渡しのために執行官を同行させねばならず、費用が最もかかるという。ダメだこりゃ。

 強制執行の部署(正式な名前は忘れた)は、判決文をもとに、権利の執行をすることだけが仕事です、と言われた。
 判決で証明された債権を執行するタイミングは債権者の自由で、預金口座だと、執行したその時点での残高のみが差し押さえの対象になるという。もし翌日に金額が振り込まれても、それは差し押さえられないのだそうだ。うーむ、なんて融通が利かないんだ。
 その代わり、判決の消滅時効は10年なので、その間なら何度でも強制執行を試みることができるそうだ。判決文を持ってくればいつでも執行するとのこと。そのタイミングを見図ることなどを称して、はっきりと「作戦」と言われた。そうか、裁判は作戦なのか。そうなのね。


 あとは福岡市役所に電話して、「特殊なことだと思うのですが」と前置きして、第三者による住民票取得のことを尋ねた。
 いわく、住民基本台帳法に基づいて、債権不履行などの不利益を蒙った場合には、第三者が住民票の写しを取得できるとのこと。書記官が言ってたのは、このことだろう。同居している人間や代理人以外は、請求理由を書く必要がある。それを書けばいいわけだが、その可否の判断は、基本的に職員が行なうのだそうだ。んまー、思ったより強い権限を持ってるのね。
 郵送で申告できるとのことで、「ホームページに申請書の雛形なんてないですよねえ」と軽い気持ちで尋ねたところ、いやありますとのこと。後で調べたら確かにあったので、申請書の雛形を印刷しておいた。手続費用は、福岡の場合は定額小為替300円分を同封して、それにプラス切手代。
 住民票に比べて、登記簿取得って、なんで1000円もするんだろ。個人が取ることをあんまり想定してないだろコノヤロ。

 直接の担当は市役所ではなく区役所とのことで、そちらに電話したが、なんか電話に出たオッサンが早口で、一刻も早く電話を切りたいというような対応をされた。もういいやと適当に切った。
 それにしても、裁判所に関わってて市役所にまでタッチするとは思わなかった。
 
 とまあ、そんなキレの悪い中間報告でしたとさ。

●11/5
 あーあー、ただいま日記のテスト中。
 予は今まで何度かオフレポートを書いてきたけど、今回の「海坂さん歓迎オフ」は、賓客が海坂さんで、幹事が久遠さんで、さらに予が参加したことは、まあすでに幹事のweb日記上に出たことだから明かしても問題ナッシングでしょうが、その他の具体的な参加者名は伏せて書くという、なんだかいまだかつてない、とっても奇妙なことにあいなります。ちうわけで、3名以外はイニシャルトークにします。
 ちうのも、「参加者名を公開すること」によって、ある種の不利益が参加者に生じるのではないかという配慮が、そこはかとなく存在するらしい。てなことを知ってしまったら、あえてその禁を破る気にはなれないわけで。その配慮が妥当か杞憂かはともかく、参加者名を伏せたが故の手ひどい不利益は思い当たらないので、とりあえず従うことにする。
 まあ以下、想像力をピクピクさせてお楽しみくださいってかんじで。

 いわゆるひとつの海坂さんが、仙台から関東に来襲。

 まずは1次会。  久遠さんは仕事で不参加マンガン。←二酸化マンガンとかけたらしい

 3時半頃、東京駅の、居酒屋のような名前に反して小洒落たミニマムなケーキ屋に、予が一番乗り。
 すぐに、背後から海坂さんに声をかけられる。
 やあやあ、北海道オフ以来だから、2ヵ月半ぶりくらいですか。
 仙台在住なのに、北海道と東京という、江戸の敵を長崎で討つような所業の再会ぶり。奇妙なご縁ですな。

 間もなくAさんが到着。続いてAさんも到着。ありゃ、どっちもAさんだ。まあいいや。
 おのおのケーキセットを買って、小さな円卓に陣取る。
 予が岡目八目(?)で見るに、時間が経つにつれ、海坂さんとA1さん、そして海坂さんとA2さんの話が弾んできた。三者の間で、多少突っ込んだ話も飛び交った。なんかいいかんじ、と傍目には映った。
 海坂さんの、ひとつふたつと数を数えると……って話が面白かった。語り口がまさに『人の声にその本性が顕れることについて』の世界で、そのうち海坂さんの手による小説になるかもしれないので、あえて詳細はぼかしておく。
 予はなんとか合いの手を入れようとするが、我ながらとてもぎこちない。ぎこちないのにはそれなりの理由があって、三人は主に「文学」の話をしていた。はっきり言って、予にその種の話をするだけの素養はない。まあ、その他もろもろの要素もあって、予はその円卓では浮いていたと思う。
 万一、海坂さんと予の立場が逆になってしまったとしたら、予はいろんな意味で人非人になってしまうので、これはこれでOKなり。

 5時半。A二人と別れて、いわゆるひとつの、予と海坂さんで横浜中華街に移動。
 時間的にはちょうど帰宅ラッシュ。横浜市の関内駅に着くまでの40分くらい、二人でずっと立ちっぱなし。一人ぶんくらいならたびたび座席が空くのだが、話しづらいという理由でお互いに座らない。あと2駅くらいで2席ぶん空いて、やっと座れたけど。

 約束の6時45分。待ち合わせ場所には、時間になってもだあれも来やしねえ。海坂さんと二人で「みんなバックレやがったか?」などと、あくまで丁寧に話す。あくまで丁寧に。←しつこい
 たまりかねた海坂さんが、少し遠くで待ち合わせしてるっぽい人に目星をつけ、声をかけると、Yさんだった。どうもどうもナイスチューミーチュー。作風からはもっとガタイのいい人を想像してたが、ノンノンノン。作風から作者の体型を憶測するのは、とってもマチガイなので、そのギャップが楽しかったりする。九州在住男児だと思ってたら、産はともかく住は首都圏だったのだね。

 間もなくEさんが登場。露出指数より閲覧指数のほうが高めな人で、「短編」周辺の喧々諤々ぶりに、どんな連中なんだという興味をいだいて参上したらしい。海坂さんの作品をはじめ、予の作品「クイズのヤツ」もチェックしていただいてたようで、なんていうか、そういうマメなところは感服です。

 続いて久遠さんが登場。仙人のような物腰の柔らかさと饒舌さは、3年前と相変わらず。時に(というか、非常にしばしば)悪魔のようなカキコミとのギャップはやっぱり特異というか、初対面の人は絶対にフシギなかんじがしたでしょうな。相手の臓腑をえぐるようなカキコミ内容にだまされちゃイカンと予は思っていたのだけれど、実はむしろ、その物腰の柔らかさにだまされちゃイカンぞのマチガイかもと思わないこともない、わはは。まあ、いずれにせよ、カキコミ(黒モード)の内容と実物とのイメージが、これほどかけ離れた人はいないだろうな。

 予の、初顔合わせである海坂さんと久遠さんを引き合わせるという任務を無事に完了。これより本国に帰還――じゃなくて、中華街に突入。酔っ払ったドラゴンという名前の店だが、中華街で特定の店を探すというのは非常に困難だ。ナビ役の久遠さんが他店で道を尋ねるという荒業を駆使して到着。

 食べ放題で飲み放題のターンテーブルに着席して間もなく、Iさんが到着。IさんじゃなくてAさんか。作風からはやはり想像しにくい、落ち着いた低い声が印象的だった。
 予はオフ会で初めて、酒を断つ。当日はバイクの運転があったからだ。
 話の内容はねえ、久遠さんのマシンガントークでみんな突き抜けちゃうんだよね。それをAさんが補強し、Eさんが絶妙な相槌を打ち、というかんじ。海坂さんなどは、久遠さんに生気を徐々に吸い取られていたかもしれない。わはは。
 さらに終了間際、バックレ決定かと思っていたTさんが来る。3年前に比べてずいぶん痩せた。自転車で痩せたとのこと。ガンじゃないのね。←ヤメナサイ 頭割りだから来たとのこと。義理堅い人だ。
 幹事の役割のひとつに「場を盛り上げる」というものがあるとすれば、久遠さんは任を全うしたと思う。まあ、半分くらい予(というか参加者の大半)がついていけない話をしてるんだけど、全部をわかろうってのが無茶で、わかる話だけわかりゃそれでいい。久遠さんだってそこまで考えてたら、あんなマシンガンにはならないだろう。
 「ドキッ! 男だらけの水着オフ会」はこうして閉幕した。←少し違う ←全然ちがうっちうねん

 帰りの電車を待つホームで、Yさんに突然、
「荒木飛呂彦に似てますよね」
 などと言われる。そんなこと、生まれて初めて言われた。ジョジョファンの久遠さんにすら言われたこともない。
 しかーし! この虚構ではない些細な事実を針小棒大に必要以上にアピールして、この駄文を読んでくださっている予の女性ファンのハートを、ぜひゲットしたいところなりねえ。目指せハーレム! ←絵に描いたようなバカタレ
 まあ、もちろん社交辞令でしょうけれども、マンガ界でもハンサムとして知られる荒木氏に似ているといわれて悪い気はしないです。Yさんが女だったら、妄言女王の冠をあげたのになあ。←はいはい

 ちなみにメンバーのうち、その日に最初に海坂さんと会ったのは予でした。そして最後に別れたのも予でした。いや、だからどうしたってことはないんですが、シメの文章としては、こんなところあたりが適当かなと。

●10/24(10/29これを綴る)
 裁判所から「事務連絡」の書面が郵送されてきた。
 書面の直接の差出人は、もちろん事件担当の書記官。

 第一に、予が先日提出した数々の証拠に、番号を振り当てた旨が記してあった。そういや裁判所に訴状を提出した日、書記官がそういうことをするとを言っていた。予は殊勝にも「すいません、お手間かけます」と答えたんだっけ。

 甲第1号証 取材交通費清算書
 甲第2号証 原稿料・経費請求書
 甲第3号証 内容証明郵便
 甲第4号証 駐在記者の皆様へ(という献本の付箋だべ)
 甲第5号証 名刺コピー(予が被告B社から支給された名刺と、取材先の社長に頂戴した名刺)
 甲第6号証 記事(雑誌掲載されたものなり)
 甲第7号証の1 メモ 同の2 メモ

 ところがというかやっぱり(?)というか、数十枚に及ぶメール記録(キリで穴を空けてヒモを通したものを、裁判所用と被告用と2部提出した。まるで小説の応募原稿ですな)には、証拠番号は振り当てられなかった。取材先から貰ったパンフレットも証拠として提出したんだけどなあ。いちいち付していったらキリがないっちうことなのでしょう。

「(番号が付されていない)その他の書証については、答弁書が提出された時点で、ご対応いただくか、期日当日ご持参ください」

 とある。要するに、被告が書面で反駁してきたときに再び持ち出すか、公判の当日に裁判官に直接見せてちょうだいということだ。
 まあ、これはこれでOKなり。どうせ答弁書なんか送ってこられないだろうし、審判当日、裁判官に直接見せるだけ見せればいいや。

 あと、主張が足りないと指摘された。要するに、訴状の不備を裁判官に指摘されたってことですな。

1.原稿料について詳細な約束はあったのか。
2.支払方法、支払期日などについて約束はあったのか。あればその内容。
3.取材交通費についても支払の約束はあったのか。またその内容。
4.原稿依頼は、いつ、どこで、誰からあったのか

 このうち、本当に訴状に書き足りなかったのは「4」だけで、あとは「約束があったのかどうか」を主張してほしいとの主旨らしい。
 また裁判所に出向くのは面倒なので、郵送で返答することにした。FAX番号も書いてあったから、FAXでもいいのかなと思ったりもしたが、確認とったりなんだりで、かえって面倒くさい。

 123すべてについて「約束はあった」と答えた。原告である予はもちろん、そう書かなければならない。「約束はなかった」と主張すべきは被告のほうなのだ。
 4については、メール記録を見れば明らか。

「○○取材分については、ン月ン日、電子メールにて、被告の社員である××から正式依頼があった。●●取材分については……」

 と答えた。そして、指定されたタイトル「準備書面」と銘打ち、必要事項(事件番号や当時者名(要するに原告である予と被告であるB社の名前ですな))も書き、それをワードでプリントアウトして、指示通りに手書きで署名して捺印して、切手を貼ってポストに投函した。

 そんな事務作業をやってるうちに、予ってば行政書士くらいならカンタンにできるんじゃなかろうかと錯覚してしまった。わはは。

●10/24
 いわゆる「オフ会」には、予は大きく分けて3つあると思う。

1.出会い系・合コン
2.社交・セミナー
3.親睦会・飲み会

 1.は彼女や彼氏やその類いを作るという欲望が背後にあって、2.には、能力開発や仕事の糸口をつかむという唯一無二の目的がある。まあ、やるべきことがハッキリしているのはいいことなのかもしれないが、端的に言ってどちらも、参加者たちはガツガツしていて意地汚い。←語弊ありまくり

 2なんかは職業上、人脈づくりも兼ねて出かけたほうがええんでないの? なんて予自身に問い掛けることもあるが、大抵が有料だ。有料であるというだけで、予はゲンナリとする。わざわざ出かけて、なんで実費以外のものを徴収されなきゃアカンねん。それなら稼ぎとなる仕事に時間を使ったほうがマシだ。有料以外にも、人脈を作るルートはちゃんとある(あったから予はいま食えている)。接待とかそんなことはしないけれども(そんなものやるくらいならサラリーマンやったほうがマシだ)。

 3.は、コミュニケーションそのものが目的といえるかもしれないが、究極的には「無目的」に近い。つまりガツガツしていなくて、意地汚さからは最も縁遠い(はず)。
 基本的に、参加者同士に利害関係はないから、てめえの欲望が最優先で目が血走ってるような醜い奴はいない(酔っ払ってパッパラパーになるような奴はいるけど)。
 有益な話を聞いて知的好奇心を刺激されるとか、共通の情報を語り合うとか、友情を深めるとか、とにかく飯が食えて酒が飲める口実があればいいんだよとか、そんなところがメインではあるまいか。

 ちなみに予は、「オフ会」という言葉の響き(あくまで言葉の響き)が、あまり好きではない。
 誤解を恐れずに言えば、響きがややアヤシイ。便宜的に使うことはあるけど、飲み会とか親睦会とか会合とか全員集合とか面通しとか、換言できるものならそっちのほうにしてもらいたい。←面通しって犯人扱いかよ

 言葉の響きの問題はともかく、その指し示すところのものは嫌いではない。
 嫌いではないというよりも、平板になりがちな脳味噌に、ちょっとした刺激を与えるには、なかなか有効なキッカケではないかと思う。たしかに、ちょっと「どっこいしょ」というような気合を要するかもしれないが、一度「参加表明」してしまえば、参加するしかないのだから、とっとと表明してしまえばいい。
 同窓会に出かけるとか、美術館を観覧するとか、定食屋でいつもとちがうメニューを注文してみるとか、3べん回ってワンと鳴いてみるとか、人間、たまには何かしら、ふだんの生活とは違った刺激を積極的に受けようとしないと、どんどん生活と脳味噌が硬直化していくよ。いやマヂで。

 で、久遠さんが告知している親睦会は、平日集合(11/5.予約締切は10/30)という変わり種だ。
 まあ、海坂さんの上京に合わせての開催だからやむをえないのだけれど、平日に集まる奇人変人なんて、いるものだろうか。なんてったって日本は、まだまだサラリーマン社会だべ?
 ところが、噂によると、モーゲンオーとかいう三流自由業(ヤク[ピー]やチン[ピー]ラぢゃないよ)が、二つ返事で出席するらしい。
 モーゲン……どっかで聞いたことある名前だな。
 あ、予か。←直球すぎるボケ。30点

 ヒマなら売るほどあるというわけでもないのだが、是が非でも時間が空けられないというわけでもない。 「忙しい」を理由に何かをやらないのは、最もありふれた言い訳をエラそうにほざいているに過ぎない。

 久遠さんも海坂さんも、掲示板での発言などを見れば、「恐い」だの「取って食われそう」なんて印象がアリアリかもしれませんが、そのとおりです。もとい、そんなことはありません。驚くほど人当たりが良いです。予が初めて久遠さんに会ったときには、そのあまりもの善人っぽさに、ちょっと驚いたくらいです。善人というか、仙人の風情がある。まあ、最後の会合から数年経ってるから、また印象も変わるかもしれませんが。

 まあ、言いたいことはつまり、ちょっぴり無理をすれば参加できるというのなら、参加表明を、幹事の久遠さんにメールしてねということです。

 でも平日だから、ちょいとキビシイかなあ?


●10/20
 中里奈央さんが、10月17日、午後2時14分に亡くなりました。

 海坂さんのように何かしら日記を書き起こさなければならないのではないかとか、掲示板で少なからず交流のあったお前にはその責務があるのではないかとか、ご遺族の方々のほうが数万倍も悲しいのだからお前なんかは黙っているのが一等正しいだろうとか、いろいろな自問自答があって、中里さんへの具体的な追憶については、何も書けないというのが正直なところです。書きたくないというほうが近いでしょうか。書けば書くほど空しくなるという気持ちもあります。

 海坂さんは「ネットの儚さ」を感じたようですが、個人的には、ネットというよりも、人生の儚さ、必ず訪れる「訃報」という試練の重さを感じました。
 考えてみれば、人が生きていくということは、このような理不尽な訃報を何度も味わわざるをえないということです。

 ライターの仕事はタイトな辛さや不安定さを承知の上で余裕綽々、苦しい恋愛の呪詛も昔に手痛い免疫があるからどうってことないと、精神的にすっかり「人生の安定航海」に入っているとばかり自認していましたが(金銭的には全く不安定ですが)、頭でっかちの悲しさ、訃報に接するという人生最大の辛さを忘れていました。
 当たり前ですが、失恋や生き別れやケンカ別れのほうがずっと生易しいです。「それでもあの人は生きている」「もしかしたらまた会えるかもしれない」「自分と別れたほうが相手は幸せになれる」「縁があったらまた会おう」といった最後の救いがあるのだから。

 中里さんの訃報には、人によって温度差があるでしょう。たとえば「妄言王」の実体が明日に死んだとしても同じことだと思います。いい悪いの問題ではなく。中里さんの名前を少なからず拝見したことがあるにもかかわらず、「顔も声も知らない人の訃報」であることを理由に、まったく何の感慨も持たない人もいるのかもしれません。そんな腐った感性で小説なんか書くな。

 ここらへんにも「ネットの儚さ」があるのかもしれませんが、結局は人によると思います。義理で葬儀に出る人と、葬儀には出られないけれども故人を偲ぶ人とでは、後者のほうが尊いに決まっています。

 お悔やみのカキコミをしても、他の人のを読んでも、空しさばかりが先行します。感慨は胸のうちにしまっておいてカキコミなんかしないほうがよかったのではないかとか、そのカキコミは誰のために書いているんだお前は? とか、この日記の着陸点はどこなんだ? とか、奇妙な罪悪感みたいなものがよぎったりもします。

 人間に与えられた時間には、限りがある。
 そういう感慨を最終的に得た人が、中里さんの訃報に最も「報いている」のかもしれません。なんだか幽かな損得勘定が混じっているようで嫌な感じですが、「悲しいです」で片付けてしまうほうが、よっぽど悲しい気がします。

 「ネット上で知らされた訃報」ということでは、ひさきゆうせいさんの名前を思い出します。これから個人的な交流が始まって「顔見知り」になろうとしていた矢先の早世でした。中里さんに負けず劣らず、カリスマ性のある人でした。

 こんなことなら、北海道オフの時に、中里さんところへ、もう少し強引にお誘いをかけたほうがよかったのだろうか、という小さな後悔が込み上げてきます。ご本人は明言しませんでしたが、体調不良という理由で、結局はやっぱり断られたでしょうけれども。

 ネット上で知り合った人で、会ってみたいと思った人には早めに会っておくのが良いのかもしれません。一方的すぎると「ストーカーまがい」なので、そこらへんの兼ね合いは気をつけないといけませんが。
 よく「ネットを使った犯罪」などというネガティブな言い方をしますが、ネットがまだ時代的に過渡期だという証左でしょう。電話で暗躍する詐欺師があるように、ネット上で暗躍する詐欺師がいるだけの話です。要は、ツールを使う者の人間性の問題でしょう。

 そもそも、もちろん相手にもよりますが、
「ネット上の交流とオフラインでの交流は等価」
 というのが個人的な価値観です。それはライター業務の大半がメールによって行なわれることに由来しているのですが、これはまだまだ「ヘン」な価値観なのでしょう。
 もちろん、たとえばネット上で知り合っただけで結婚したいなどと思うのは飛躍しすぎだと思いますが、ネットで知り合ってオフラインで付き合うようになり、結婚に至った例を知っているということを付記しておきます。

 「ネットの儚さ」を感じるという海坂さんの気持ちは痛いほど分かるのですが、それでも個人的には、ネットの偉力も信じていたいのです。


●10/15
 A社から、7掛けの金額を1月10日(土日の場合は翌週月曜)に振り込むとの念書が郵送されてきた。日付と金額と名前が明記されていて、会社の実印も押してあるので、まあ、これはこれで解決だろう。
 もしそれまでに倒産したら、ただの紙切れになるんだけど、そんなこと言ってたらキリがない。

 B社を相手取るための訴状を裁判所に提出する。もちろん証拠も添えて(どんな証拠かは過去日記を参照のこと)。
 たぶん訴状の内容に不備があるだろうからと、書記官に見てもらう。
 すると、請求する額の合算だけではなく、個別の明細と、約束した支払期限も記すべしとの不備を指摘された。
「証拠を持ってきてくださるのは大変けっこうなんです。が、発想が逆です。証拠が従で、訴状が主ですから。訴状にすべて書いていただかないと」
「訴状を書き直せってことですか?」
 正直、少々うんざりしながら問う。二、三の問答の末、訴状に「別紙の通り」の一文を書き足して、別紙に追記すればよいと返答を得た。もし裁判官から訂正の指示があれば、書面で返答する必要があるとのことだったが。

 その追記すべき内容についてだが、書記官がいろいろと説明してくれたが、それを聞いていた予は、その内容をひとことで言い表せることができるのではないかと思った。すわなち、
「要するに、請求書の内容を書き起こせってことですか?」
「あ、まあ、そうですね」
 予ってば要約するのが上手だなあ。←自画自賛
「できれば今日のうちに書き終えてしまいたいんですが」
 と軽い苛立ちを押さえながら言うと、「どうぞどうぞ」と紙をもらった。やれやれ手書きか。面倒だな。
 まあ、持参した訴状も、カーボンコピーのついている訴状(先日もらった。過去日記参照)に、結局手書きだったんだけどね。メモ帳で下書きして、それから手書きに。

 追記分は、文章ではなく箇条書きというか、ほとんどそのまま請求書を書き起こした内容になった。請求書に支払期限は明記されていないが、この業界では2ヶ月後の月末が通常だから、その期限のみ書いておいた。

 まちがっても「約束はしたが確約したという証拠はない」などとは書かないし、書いてはいけない。てめえに不利な証拠や証人を出してはいけないのである。「出さないほうがいい」じゃなくて「出してはいけない」。
 裁判を起こすからには、勝ちの判決を得なければ意味がない。強制執行をかけられる段階まで進んだとしても、相手の口座が空なら無意味に等しいというのに、その前でコケてしまっては泣くに泣けない。
 予にとって不利な証拠を法廷に出すとすれば、それは被告であるB社の仕事だ。まあ、今までが徹底無視だから、何かしらアクションを起こすとは思えないけどね。ありていに言ってしまえば、あるものなら出してみろ、だ。
 もっと言えば、「やい、生きているならブヒブヒと鳴いてみやがれ」だ。

「訴状を相手に送って、答弁書というものを書いてもらいます」
 ここまでは「役人的な説明」だが、そのあとの言葉が良い。
「まあ、書かない人もいますけど」
 書記官と話しているうちに少し気安くなっていたので、
「もちろん訴状を出す前に、話し合いを試みたり、内容証明郵便やら、いろんな努力をしたんですが、ずっと無視なんです。むしろ『やい、なんとか言ってみろ』ってかんじなんですよね」
「ああ、そうなんですか」
 書記官は失笑気味でそう答えた。わーい、ウケた。←そんな問題じゃねえよ
 予の欲目かもしれないけど、この書記官はけっこう予に好感を持ってくれたみたいだ。

 裁判所用と被告用と控えが必要なので、コピーを取ろうと、受付まで戻って警備員姿の翁にコピーの場所を聞くと、
「売店で40円。でも、すぐそこのコンビにだと10円。外のほうがいいよ」
 と、なかなかナイスな返答を得たので、それに従った。

 カーボン付きの訴状に「原稿料の明細は以下別紙の通り」と書き添えて、ふたたび書記官に見てもらう。
「これでいいですか?」
 その書記官はベテランか中堅どころの、スキンヘッドの書記官だったが、それより先輩に当たるらしい書記官と「これでいいですかね」「うーん、そうだなあ……」などと相談を始めた。
「ふつうより複雑な案件なんですか?」
 と尋ねると、
「いや、要件がちゃんと書かれているかどうかを確認しているんです」
 との返答。要件の確認に手間取るんだから、やっぱりちょっぴり複雑な案件らしい。

 証拠についても、先輩格の書記官から「この証拠は?」と、証拠の確認を受けた。特にメール記録の印刷が気に入らなかったようで、まあ、端的に言えば「こんなに証拠を出す必要はない。多すぎる」ということを言いたかったようだが、明言はされなかった。あくまで中立の立場で、しかも今日は受理のみで、あまり指示を出すような言い方ができないからなのだろう。
 証拠が多すぎると難色を示されることは、予はそれは分かっていた。きっとイヤな顔されるだろうなあ、と。
 でも、軽い押し問答の末、一応受け取ってもらうことにした。

 最後に総計5000円の収入印紙を納めて、訴状はやっと受理された。
「1ヶ月後の予定はわかりますか? というのも、もし予定が分かるようでしたら、今から裁判の日取りを決めることもできますが」
「決めたいです」
 予は即答した。とっとと終止符を打ちたい。この旨は書記官にも話した。だいぶ気安くなってきていて、けっこう本音の部分までしゃべってしまった。といっても、もちろん自己に不利益を被るようなことはしゃべっていない。
 書記官からすれば、思いっきり生電話の、みのもんたのような心境だったかもしれない。
 いや、書記官の態度は、みのとは正反対で、あくまで丁寧でしたよ。予もそれに負けず劣らず丁寧だったけど。

 念のため、社長個人に負債を背負わせることはできないか、会社とセットで被告にすることはできないかと質問したが、やはり会社名義の財産しか差し押さえられないとのこと。
 ま、そうだろうね。合資会社なら、たしか社長個人の口座も差し押さえられるはずだが、残念ながら相手は株式会社だ。

 ちうわけで、公判は11月20日の午後3時に決定。
 その日は、某冊子のライティングの締切日だったが、もうええねんとばかりに、その指定された出廷日を受け入れた。
 聞くところによると、少額訴訟の判決は、円卓で行なわれるそうだ。裁判官もスーツ姿で、10分くらいで終わることもあるとのこと。

 予としては、満額回答の判決がもらえると思っているので、その日のうちに、強制執行のやり方について具体的に尋ねるつもりでいるから、1時間くらいはかかるだろうか。裁判所には説明パンフレットもあるのだが、実際に動かないと、実感なんか湧かないよ。

 公判当日に、被告は来るでしょうか。来るとすれば、どのツラ下げてくるんでしょうか。片足を上げてションベンを撒き散らしながら来るんでしょうか(=人間ではない)。
「原稿料、払う気はありますか?」
「ご存知の通り、会社の資金繰りがつかなくて……」
「そんなこと聞いてません。払う気があるのかどうか、答えてください」
 くらいは言ってやろうと思う。「会社がパンクしたなら、私個人の財産から支払います」という念書でも取ってやろうかな。
 それとも、代理人を立てられるってことですから、弁護士でも来るんでしょうか。
 まあ、来ないだろうなあ。来なくていいけど。

●10/13
 郵便局員が内容証明郵便を返しに来る。保管期間が切れたとのこと。「受け取り拒否」をしたのではなく、ずっと「不在」だったらしい。
 B社社長が居留守を使って受け取りを拒否した可能性もあるが、塒がもぬけの殻である可能性のほうが高いようだ。ちっ、雲隠れかよ。とりあえず住所は生きているようだが、あんまり慰めにもならんな。訴状を書き上げて、証拠も準備完了させて、裁判所に提出することにしよう。
 「欠席判決」になりそうな予感だが、この分だと、会社の口座にもビタ一文残ってなさそうだな。すでに倒産してるのかもしれん。強制執行の最大の泣き所は「無い物は取れない」で、期待薄か。
 やれやれ、もともと裁判に絶大な効果は期待していなかったものの、ひどいもんだな。一応、社長個人の口座も差し押さえられないのかを、書記官に尋ねる予定。株式会社だから建前上は「無責任」だろうなあ。
 どうもB社に関しては、読むのも書くのも、あまり面白くない幕切れになりそうな予感。残念ながら、小説を書くようなわけにはいかないね。

●10/12
 B社め、内容証明郵便を開封せずに返送する暴挙に出たようだ(ネット確認による)。
 完璧な「受け取り拒否」の証拠として裁判所に出そう。
 証拠のひとつとして、仕事のやり取りのメール記録を印刷する。

 ったく、こっちだってヒマじゃないのに手間かけさせやがって。
(最近の予の日記、ちょっとすさんでる?)
●10/13
 郵便局員が内容証明郵便を返しに来る。保管期間が切れたとのこと。「受け取り拒否」をしたのではなく、ずっと「不在」だったらしい。
 B社社長が居留守を使って受け取りを拒否した可能性もあるが、塒がもぬけの殻である可能性のほうが高いようだ。ちっ、雲隠れかよ。とりあえず住所は生きているようだが、あんまり慰めにもならんな。訴状を書き上げて、証拠も準備完了させて、裁判所に提出することにしよう。
 「欠席判決」になりそうな予感だが、この分だと、会社の口座にもビタ一文残ってなさそうだな。すでに倒産してるのかもしれん。強制執行の最大の泣き所は「無い物は取れない」で、期待薄か。
 やれやれ、もともと裁判に絶大な効果は期待していなかったものの、ひどいもんだな。一応、社長個人の口座も差し押さえられないのかを、書記官に尋ねる予定。株式会社だから建前上は「無責任」だろうなあ。
 どうもB社に関しては、読むのも書くのも、あまり面白くない幕切れになりそうな予感。残念ながら、小説を書くようなわけにはいかないね。

●10/12
 B社め、内容証明郵便を開封せずに返送する暴挙に出たようだ(ネット確認による)。
 完璧な「受け取り拒否」の証拠として裁判所に出そう。
 証拠のひとつとして、仕事のやり取りのメール記録を印刷する。

 ったく、こっちだってヒマじゃないのに手間かけさせやがって。
(最近の予の日記、ちょっとすさんでる?)

●10/11
 ここのところ、仕事をたっぷり抱えてしまって自縄自縛ぎみ。

 10/1→10/7の日記の続き。

 10日夕方、A社から電話連絡あり。
 仕事をこなして、来年1月に、7掛けの額を一気に支払うとのこと。
 帳簿上、去年の債務超過を消していきたいので、その額の請求書を出してくれという。その後、その額を支払う旨を念書を郵送で寄越すとのこと。
 ホントか? 逡巡した。「これって詐欺!?」とまで電話口で噛み付いてしまった。
 相手は不快になったに違いないが「信じてもらうしかありません」と。「そこまで人間不信になってます?」と。
 そりゃそうだ。2件も不払いを抱えて、しかもそれが初体験となりゃ、多少なりともそうなる。

 B社の徹底的な不誠実さをA社に漏らして、B社を訴える準備も整えていると告げた。
 「アホなことすると、オタクも訴えるよ」という婉曲的な釘差しである。

 「でも、裁判なんかするとお金がかかりますよ」とA社社長は訳知り顔で言う。
 「わかってます。しかし腹が立って仕方がないので。義憤ですかね」と答えた。予は怒ったら金銭を度外視してでも本気で訴える奴だと、婉曲的に通知したつもりだ。
 しかし相手は「自分とB社はちがう」のスタンスを微動だにさせない。どうも電話口だと、調子が狂う。A社社長はけっこう安穏としている。
 弁護士がいるから訴えられるのが恐くないとカンチガイしてるのかとも思ったが(弁護士がつこうと債権は債権だ)、どうやら誠実に事を進めるという自負があるらしいと思うに至った。半信半疑だけれども。

 結局、メールでその旨を送ってもらって(万一のための証拠の意味もある)、A社の提示に従うことにした。
「B社と違って、こういう土壇場にこそ人間性が出てきますよね」
 とA社社長をおだててみると、こういう返事が返ってきた。
「人間性なんて関係ないですよ。その会社は、今後この世界で仕事をする気がないんでしょう。私はフリーに戻ったとしても、この仕事を続けたい。だから誠実に対応するんです」
 電話口では気がつかなかったが、今から考えると、これは真実の叫びに聞こえる。信じてやるか、という結論した。まだ疑ってるけど。
「スッキリしてまた一緒に仕事をしたいですし」
 と彼。フン御免被りたいねとは言わなかった。雨降って地固まるという言葉もある。
 まあ、すべては本当に支払われてからだね。最低限そうでないと「ごいっしょにお仕事」など考えられないと、以前にメールで告げてあることだし。
 

 一方、あいも変わらず知らん振りを決め込むB社社長。逃げ得なんて絶対に許さん。念のため、ケータイの留守電に(相手が出たことがないから、ホントにB社社長のケータイかは不透明だったが)
「内容証明郵便、送り返されてくるようでしたら、受け取り拒否の証拠として裁判所に提出します」
 と録音しておいたところ(もちろん本気)、なんと11日の今日、「再配達の申込み」を郵便局に連絡したようだ。そういうことはネットで丸分かりなのだ。ネットばんざい。
 これで数日後には「配達証明」のハガキが拙宅のポストに届くだろう。裁判所に提出する証拠がまた一つ増える。グー。

 B社社長め、びびってるな。あはは、いい気味だ。
 先の日記に書いた通り、内容証明郵便には「8日以内に原稿料を支払わないと訴える」とある。
 さて迷える子羊よ、どう出るかね?
 これからが楽しみだ。どっちにしろ、払わないなら即訴えるけどね。何度も言うけど「内容を証明されちゃってる郵便」なんだから。

●10/7
 10/1の日記の続き。
 進展があったら続きをと思っていたのだが、B社はどうやら内容証明郵便を無視するつもりらしい。

 というのも、内容証明郵便は書留めで、書留めはネット上で追跡できるのであり(ということをさっき知った)、追跡の結果が「不在保管」になっている。10/3の時点で。こりゃ保管期間が切れて返送されてしまう気配が濃厚だな。郵便局よ、夜にでも押しかけてムリヤリ握らせてくれよ。
 まあ、いいか。受け取り拒否という意味での証拠能力として使えないこともあるまい。

 とはいうものの、やっぱりいまいましいので、裁判所からもらっていた訴状の記入を始める。
 証拠もそろえてみる。掲載された雑誌やら、取材先からの名刺やら、取材メモやら、請求書の控えやら。
 会社を訴えるのに必要な登記簿は既にゲットしている。そこに書かれた、社名や住所など必要事項を訴状に書き込む。
 あとは仕事のやり取りのメールを印刷して、これも証拠とする予定。
 証拠品は各2部ずつ、被告用と裁判所用をコピーして提出せよとのことなので、けっこうな量になるな。あんまり多すぎると裁判官の心証が悪くなりそうだが、やむをえまい。
 ところどころ取材メモやら何やらが紛失していて揃わなかったが、まあ、とりあえず証拠品としては及第点だろう。たぶん。

 そこまでやって、ようやく苛立ちが収まった。
 下準備は、ちょこちょこと進めておくこと。これがいくさの前の心得だね。

●10/6
 私信。
 ちょっと旅に出ます宣言はいつも突然なのだね。そんな素振りはちっとも見せなかったのに。貴君の言わんとしていることはこうこうだねと、訳知り顔で(てゆーか憶測交じりだけど)メールしようかとも思ったけれど、いまはそっとしておくのが良いらしい。今回は塒が消えずにいたことは、予は進歩だと思います。

 予から見れば「とっても恵まれたポジション」にいるのに、ひとつふたつの古傷が気になって仕方がないご様子。ポジよりネガが大きく見えてしまうとは因果なご性格ですな。誰も彼も皆々似たようなネガの思いをしたことはあれど、あえて言わずにいるだけのことですよ。たぶん。

 問題の女性、きっとあの人のことを言っているのだろうけれど、あの人がそんなに狭量な人とは、予には思えないけどなあ。ちょっとだけワルぶるところはあるけれど、憚りながら「可愛らしい」の範疇じゃなかろうか。ほんの誤解のすれ違いではなかろうか。

 まあ、一呼吸置いたらまた戻ってくるとよろしいと思う。明日にでも、知らん顔して帰って来ればいいんです。たとえ、ひとりふたりが顰め面しようと、さんにんよにんが笑顔ならそれ以上に何を言おうか。
 あのひともあのひとも、しばしネットから消えていたのに、知らん顔して戻ってるじゃないですか。あれが正当なんです。って、予もその一員だったけど。

●10/1
 今日、2社に宣戦布告をしてやった。
 ターゲットは、原稿料の支払いが滞っているA社とB社。

 まずはA社。
 親会社がぶっつぶれた煽りを食らって青息吐息。このごろでは、下手すりゃココもつぶれるかもしれんという事態になっている。
 それが明確にわかるのは、A社の社長がほぼ定期的に、迅速かつ誠意ある経緯報告をしてくるからで、なしのつぶてでないぶん、どちらかというと良性の癌だ。
 と考えた予もお人好しで、事情と誠意を考慮し、7掛け程度の減額や分割払いを提示する。
 それでもしばしご猶予をと、徹底した誠意大将軍作戦に、うかうかと、気がついたら1年も猶予してしまった。鬼になりきれぬ我が身が恨めしい。要するに、面倒がって本腰を入れなかった予の非ですな。

 いいかげんシメなアカンと思い立ち、しかし平身低頭の相手が態度が硬化すると面倒だとやや逡巡した挙げ句、メールで宣告した。

「予が提示した分割払い第1回分を10日までに払え。もしくは支払計画書を提示しろ。さもなくばごっつ不本意やけど法的措置をとる。ちなみにその際は、妥協した7掛けではなく、全額と法定利息年6%も請求する」

 上記内容を、もちろん慇懃に申し伝えた。
 さて、どう出るかと思っていたところへ、半日もしないうちに返事が来た。
 A社のメール返信は、相変わらず早い。だからつい「良性」だと思って、ダラダラと放置してしまってたんだけど。

「法的云々となると弁護士が窓口になります。しかしそれは不本意で、親会社の破産管財人と面会する10日過ぎには、こちらの支払プランを提示できるはずです。どうかご猶予を」

 もう聞き飽きた「ご猶予を」だが、期限の言質を得たのは前進と言えよう。
 15日までリミットを延期する旨を返信しておいた。
 あとはその支払いプランを受け取り、そのまま誠実に遂行してもらえれば、A社の不良債権問題は片付いたといっていいのだろう。まあ、向こうにしてみれば、
「減額をチャラにして、しかも利息をつけて法的措置に出てやる」
 と言われれば、さすがに本気で焦るだろう。予への支払いの優先順位も高くしているらしいし。
 さて、どうなるかは15日以降だね。乞うご期待。


 続いてB社。
 こいつは悪性の癌だ。

 数ヶ月前、B社の人間が、予の寄稿していた雑誌の休刊を宣言し、しかも事務所と固定電話番号を返却したと、一方的にその旨をメールで寄越してきた。
 しかも、自分のフルネームを名乗らない無礼さ。一社員なんだか社長なんだかもわかりゃしない。まあ、仕事をしているときには全く出てこなかった名前なので、たぶん社長なんだろうとは思ったが。
 さらにひどいことに、現在の住所は秘匿し、さらに唯一提示した電話番号はケータイのみ。

 交渉とは、妥協と強気の複合物だろう。とりあえず1ヶ月猶予する旨を申し付けた。
 そのまま無視された。
 経緯を報告して下さいとメールした。
 無視された。
 コピーを再送した。
 やはり無視。
 電話。つながらないか、もしくは留守電。てゆーか、もう口も利きたくない。

 キレた。てめえだけは許さん!
 取り立てのプランニングも面倒だし、そんな労力に似合うほどの大金でもないしヒマでもないと放置しておいた予も悪いのだが、考え方を改めた。
 こんなB社の不誠実がまかり通ってなるものかという義憤だ。
 いや義憤よりやっぱり、これっぽっちやんか、とっとと払えという私憤がメラメラと燃え上がる。
 ちなみに5ケタね。てゆーか、予はこれを「大金でもない」といえるほど金持ちではなく、世界一貧乏な王なのだった。忘れてた。

 会社が倒産してしまえば、事実上、不良債権を取り立てるのは不可能に近いという。
 それで半ばあきらめていたし、事実、不払いで泣き寝入りするフリーライターも少なくないようだ。通(?)になると「交通事故みたいなものさ」と達観してるんだか、負け惜しみを言ってるんだかというのもいるらしい。

 倒産さえしてなけりゃ――そういや「休刊」および「事務所と固定電話の引き払い」であって、「倒産」とは知らされてないな。ただの言い繕いだと思ってたが、ひょっとしたら――。

 献本として送られていた雑誌を見ると、年間購読のための振込先口座があった。
 この口座がまだ有効ならあるいは――と、ネット上で振込するフリをして確かめてみると、なんと生きている。
 このB社、実は倒産していないのかもしれない。虫の息ながら。急がにゃなるまい。

 直接B社に乗り込もうにも、事務所は引き払ってるというし、しかも所在地が福岡。
 遠隔地だからとタカをくくられているのもあるのだろう。たしかに、いちいち交通費の自腹を切っていては割に合わなさすぎる。

 社会勉強の一環だと自らを説得しつつ、訴訟関係について調べる。
 まあ、妥当なのは少額訴訟ですかね。30万円以下の請求に適用できて、しかも即日判決ときたもんだ。実は裁判所が面倒を避けるための制度だという説もあるが、面倒なのは原告予備軍(予)も同じだ。費用も4ケタで収まるっぽいし、まあ悪くない制度なんじゃないでしょうか。
 他に支払督促なんてのもある。少額訴訟が制定される前の「簡易訴訟」といったかんじなのかな。書面で言いたいことを言えば済むし。
 ただ、どちらも相手がとち狂って異議を申し立てれば、通常訴訟に移行する。支払督促なんて、相手が時間稼ぎで、とりあえず異議申立てすることも少なくないらしい。
 だったら、証拠を提示できる少額訴訟のほうが良かろう。相手の身柄をおさえるという意味でも。

 会社を訴えるには登記簿が必要で、法務局でとれるという。
 でも、遠く離れた福岡の会社の登記簿なんてとれるのだろうか。
 電話で確認したら、登記簿がデータ化されている個所に該当している(いわゆるコンピュータ庁)ので、とれるらしい。会社の住所は博多駅前。登記簿のデータ化は都市から順次行なっていくのだろうから、さもありなん。よっしゃ! ゴキブリを一歩追いつめた気分。

 法務局。こんな役所があるとは、ついぞ知らなかった。出張所が近かったので、出向く。
 弁護士のようなキャリア組の溜まり場かと想像していたが、今日はノンキャリアっぽいおっさんたちでごった返していた。中小企業の社長たちなんだろうな。
 申請用紙に記入して、B社の商業登記簿の謄本をとる。1100円(100円はコンピュータ庁の利用料)。けっこう高いな。まあ、これもB社に鉄槌を食らわすためだ。ガマンガマン。
 てゆーか、つい最近まで「登記簿の電子化」はなかったはずで、ということは、一昔前だったら福岡まで行かなきゃならんかったということか? さすがにそこまではの手間と時間と費用はかけられない。あぶねー。

 商業登記簿とは、要するに会社の住民票みたいなもの。
 つらつらと眺めると――あ、代表取締役の住所が載ってる。フルネームもわかった。メールの名字とも合致する。
 よーし! まずはココ(社長の自宅)に内容証明郵便を、いきなり送り付けてビビらしてやろう。
 自宅の住所は伏せていたはずなのに、なぜわかったんだろうとパニックに陥ったなら、いい気味だ。苦しめもがけ。コミュニケーションを拒否する相手だと妙な仏心も起こらないから、かえって気が楽だなあ。

「貴社の依頼に基づき、2件取材した原稿料の請求を、貴社指定した請求書で郵送したのに、いまだ支払いが無い。本書到着後8日以内に払え。さもなくば直ちに法的措置をとる」

 予の銀行口座名も添えて、そんなことを書いてやった。きちんと慇懃無礼にね。って、無礼なのは向こうだけど。
 内容証明郵便は、「こういう内容で、誰から誰に、いつ郵送しました」ということを郵便局が証明してくれる。もちろん、裁判上の証拠にもなる。字数制限さえ守れば、用紙は自由ということを、郵便局に電話して確かめていた。
 これに配達証明もつければ完璧というわけで、つけた。
 総額1400円強。むう、ちょっぴりゴージャスな宣戦布告になったのう。

 もし内容証明郵便が無視されれば、宣告どおり、訴えてやるつもりだ。内容が証明されちゃってる郵便なんだから、ちゃんと遂行しないとね。わはは。

 福岡なんて遠隔地でも訴えられるのか不明だったので、内容証明を送る前に、裁判所に電話して確認する。金銭請求であれば、原告の住所を管轄する簡易裁判所で、とりあえずは受理されるとのこと。
 なんか思ったより順調な気がする。というのは、予の下手な楽観主義だろうか。

 簡易裁判所に行って、訴状の雛形をもらってくる。「原稿料の請求」にピッタリ当てはまる雛形がないのが不満だが、まあ使えないことはない。
 訴状のデータがあればいいのにと言ったが、「すいません、ないです」とのこと。
 まあいいや。いざとなれば、てめえで作ってもいいし。てゆーか本来、訴状は自作するものなのだそうだ。雛形は、便利でしょうからどうぞということに過ぎない。

 さらに書記官いわく、裁判官の心証さえ良ければ「欠席判決」もあるとのこと。被告の顔や声すら知らずに強制執行できるというわけか。こりゃ楽しくなってきたぞ。
 と、いまは言っておこう。

 もちろん、強制執行する場合のことまでプランは立てている。予をナメてもらっちゃ困る。
 B社の銀行口座と郵便口座は押さえてある。
 あと、住所付近の支店に、手当たり次第、探りを入れることもできるようだ。費用は郵便代程度ということで、やってみる価値はあるとのこと。
 まあ、たかが5ケタの請求額だ。異議を申し立てて争うだけの価値があるのか? という気がするし、ましてや弁護士なんぞ立てたら大赤字だ。少額だからこそかえって簡単に取れるだろうと、予は思ったのだが、やっぱり楽観的すぎる?

 詳細は追って報告する。←特捜200X風味

追記:
 法務局やら郵便局やら裁判所など、あちこちの役所(郵便局は事実上の役所)に電話し、いずれも今日、直接訪問したが、どこも対応が丁寧だった。法務局なんて、茶髪のキレイなおねいさんがいたし、想像より役所はフランクなかんじだった。よいことですな。


●9/30
 御茶ノ水電子製作所のアドベンチャーゲーム(フリーウェア)をプレイする。
 「second Anopheles」と、その続編「Duolith」にハマりにハマり、立て続けに3日も釘付けになって、クリアしてしまった。うーむ、ムチャな没頭ぶりだ。

「おまえ、そんなにヒマなのか?」「いや、そうでもないんだけど、つい……」

 これでフリーとはスゴイ。誤植が散見されてしまうところがイタイが、それを補ってあまりある内容。アイデンティティーについて考えさせられる。ぜひプレイすることをオススメしちゃうね。いやマヂで。人物CGを使わずに人物像を彷彿とさせるあたりがスゴイねえ。
 小説なんか書いてる場合じゃねえよ。エンターテイメントとして、小説はゲームソフトには勝てないと思わされる。そういや数年前にも似たようなことを思ったことがあったな。

 しかーし! とここで論をひっくり返してしまうのだが、考えてみれば、人物CGが皆無に等しいということは(イメージイラストはあるけど)、このゲームの世界観は、文字の力によるところが大きいといえる。となると、矛盾しているようだが、よいアドベンチャーゲームはシナリオがあってこそということになり、ということは、文字だけで世界が構成されている小説のエンターテイメント性の可能性を婉曲的に証明しているということでもある。
 かくして予は、推薦したいフリーフェアを讃美しつつ、かつ、このサイトを少なからず閲覧してくださっているであろう創作小説関係者の皆様を敵に回さぬ言辞を弄することに成功したのでした。まる。

 あ、そういや中間に「LONGESTCAPERUNNER」もプレイした。対立するふたりを陰と陽として同列の主人公に据えるアイデアは秀逸だと思ったけど、登場人物がバカバカと簡単に死にすぎなのが良くないですな。なるべく登場人物を殺さないようにクリアするのが「ハッピーエンド」なのだろうけど、ねえ。繰り返しプレイしてやりこむタイプのヒトにはオススメかも。

追伸:
 ちなみに、同団体から出ている恋愛シュミレーションゲームに、予は食指は伸びませんでしたなり。
 出来はきっと良いのでしょうけど、ジャンルがねえ。お好きな方はやってみるよろし。
 ああ、まんじゅうこわいまんじゅうこわい。そしてお茶が恐いおちゃがこわい。ついでに言っておくと、キレイなおねいさんもカワイコちゃんも恐い。いやマヂで。

●9/29
 昨今、北海道やら東北やらに地震が多発しているようですな。関係者の皆様方には個別でお見舞い申し上げたいところですが、いちいち申し上げるのもアホらしくなるほど多発しているし、これからもそうでしょうきっと。それゆえの不義理です。
 アノヒトやコノヒトは大丈夫だろうかと地震速報のたびに気にかかります。でもそのたびに「大丈夫ですかー」なんて当人にメールを送ったり電話したりするのは、予はなんだか抵抗があるのです。予よりももっと「その人を心配するポジションにある人」がいるにちがいないと思ってしまうのですね。要するに、そこで出るかおまえがよ? なんて自粛が働くんですな。
 ヘンなたとえですが、ある老人の葬儀の席で、本妻より愛人のほうが大声を上げて泣くのは無礼極まりないというようなかんじです。ああ、なんかわけわかりませんね。そんなことわかってらい。←逆ギレ?

 東海や関東のほうがよりアブナイとはききますし、阪神大震災の例もありますし、九州だって知らん顔できるとは思えないし、言ってしまえば、日本に住んでりゃ地震は不可避の天災ってことで、予はけっこう昔から達観してます。幼少の砌から。これも少なからず関係してるでしょうね。
 オンボロ居城の倒壊で押しつぶされて予がオシャカになったら、それはそれで仕方が無いかなと。幕末の水戸藩の重臣・藤田東湖と同じ死に方です。わーいわーい。って、なんかマニアックなこと言ってるな。

 不可避の天災で死ぬなら「是非もなし」(信長が光秀謀反を知ったときに口にしたという言葉)。
 予はそんなふうに思っている――と言ったところで、べつに特筆するほどのことでもなくて、多くの日本人がそうじゃないでしょか。
 もっと言ってしまえば、本格的にヤヴァイ状態を実感しないと、わからないほど鈍感なんだと思います。大半の人が。いい意味で。真に感受性の鋭い人間は、この世の中を、たったの一日だって生きちゃいられません。首くくって死ぬしかなくなります。何しろ、明日にでも核ミサイルをぶっ放すかもしれない天然パーマ野郎がお隣さんですからね。

 井上陽水風味に言えば、そんなことより傘がない、なのであります。もっと下世話に言えば、もうちょっと原稿料上げろ、なのであります。世の中ゼニや。
 なんともサイテーなオチですみません。

●9/26
 筆不精ということばがある。
 予はこれに該当するのかな、などと愚にもつかぬことを考えてみた。
 ココの日記の更新頻度を見れば明らかですな。
 って、出オチみたいになっちゃってるので、もう少し書き続けさせておくれ。

 直筆でなにがしかの文章をつづるということは、もう何年もやっていない。
 取材でメモを取ることはするけれども、メモはメモにすぎないので、まあ、とりあえず除外。
 キーボードに慣れきっているので、ペンだけの文章だと確実にヘタクソになる。もっと言えば、商売あがったりだ。
 ライターの仕事を極論で、
「紙の鉛筆さえあればできる」
 などと形容することもあるが、予にはたぶん無理。てゆーか、そもそも手書き納品をいまだにやってるクライアントなんて存在するのだろうか。

 直筆で書く機会があるとすれば、せいぜいが確定申告など役所の書類に記入するくらいか。
 そのうち訴状なんかを書くことになるかもしれないが、これらは雛形があるから、手書きで書くことはなさそうだ。

 あ、そういや請求書などの郵送で、宛先は手書きである。
 肉筆でクライアントに予を印象づけるための遠大なる作戦――というのは「理屈と膏薬はどうにでもくっつく」の典型であって、封筒を印刷するくらいなら手で書いたほうが早いから、やってるだけのこと。プリンタの設定がメンドクサイ。
 ビジネスっぽさを出すには印字がよいだの、差出人の欄は専用ハンコを作成して使えだのという小技を説く向きもあるが、そんな小細工しなくても、予の執筆能力は立派に通用するのです、わはは。←大法螺を吹くだけならタダなり

 どうせこだわるなら、名刺にこだわるほうがよろしいかと。
 マイPCによるお手製だが、クライアントの3割くらいは「おっ」と目をひくようだ。
 諱の一文字を朱に染めてあるだけなんだけどね。
 ココを読んだ人は運がいい。この小技(小枝ではない)、マネしていいよ。
←センスわるぅー、とか言わないように

 もっとこだわるべきはクライアントとのコミュニケーションですな。
 メールでのやりとりなら、相手の時間をそれほど取らなくて済むし。
 予が電話が苦手な理由は3つある。
 ひとつには相手の時間を拘束してしまう苦痛。
 ひとつには予自身の時間が拘束されてしまう苦痛。
 そしてもうひとつには、話の内容の半分程度を記憶するのがせいぜいであるという難点が。←コラ

 そして時に大事になってくるのは、クライアントの発する突風の受け方。
 たとえばクライアントが電話口で不当に憤怒しだしたら、諸賢ならどうするか。
 たとえば事前に明確な指示もしていないのに「早く資料を返せ」と見当違いにキレているクライアントとか、こっちはごく普通にしゃべっているのに「そんな口のきき方がありますか」と突然怒鳴られたり。

 まあ、カッカしている相手には何を言っても無駄。
 しかも編集者の類いは、睡眠時間を削られたりして通常以上にストレスをためやすい環境でもある。なだめるように謝る。電話を切った後は「ざけんなー」とこちらもキレるのだが、電話が切れた後なら、どんな放送禁止用語でも叫んでやればいいのだ。
 後日、クライアントはそ知らぬ顔をして、予にごく普通に接してくるのだが(だって予に非はないんだもん)、その時点で追及しないことですな。怒りが収まってケッコーと納得することなりね。

 というわけで、予にとっての「執筆」の99%を占めているのはキーボード出力だ。
 しかし、キーボード出力の内訳としては「しゃべり」も少なからず含まれている。これがなんとも摩訶不思議なところですな。
 しかも長電話並みにダラダラと「しゃべりたい」ことが多いから、つい長文になってしまう。長文になってしまうから「拙速」が減る。
 まあ、一昔前よりは「かなり抑え目」にはなってるけど。
●9/18
 北村さんのはてなアンテナ「徒読」(イタズラよみっていいタイトルだなあ)に勝手にアクセスして、更新されているものを順次閲覧しがちな今日この頃。正確には、このリストのうちの半分くらい(全部ではない)と、このリストにはない他のサイトや掲示板をいくつか覗いてる、といったかんじですが。アソコとかアレとかも追加して欲しいなあ。←だったらてめえではてなアンテナを立ち上げろよ

 北村さんに無断で利用してもいいのかなー、こんなことカミングアウトしたら「やーいやーいゴバンザメー」と北村さん他に囃し立てられないかなーと思うふしがなきにしもあらずでしたが、きくところによると「プライベートモード」という他者のアクセス拒否機能も標準装備されているサービスだそうで、それがなされていないということは、きっと勝手に使用してもいいんだ、サイトのリンク集みたいなもんだと手前勝手に納得しました。もしお嫌でしたら「プライベートモード」にしておくんなまし。予のほかにも数名ほど、利用している方々がいると推察されますによって。

 北村さんの閲覧センスがうかがえてなかなか面白いのですが、そのなかで拙宅が選ばれているのはマイ栄光です。たぶん「短編」への参加歴があればこそなんでしょうけれども、いやいや動機がどうあれ光栄です。願わくばずっと外さないで欲しいです。
 ココを更新したらリストの順位が跳ね上がるのが何気に面白い。って、CGIに遊ばれてどうする。

 このサイトリストで30番以下になったら、「あー、そろそろ日記を更新せねばならぬのう」という目安としても活用してます。更新の怠け癖を矯正するにはまずまずの方法かなと。あのサイトとかこのサイトとかに負けちゃいられません(って、あくまで更新頻度レベルの話だけど)。

 また、このサイトリストを丁寧に巡覧していけば、目下のところ、アノヒトとアノヒト、アノヒトとアノヒト、さらにアノヒトとアノヒトも仲はあまり良くないらしい(わざとか?)、アノヒトはアノヒトをバカにしているらしいetcが丸分かりな仕組みになってます。
 てゆーか、岡目八目と申しまして、予のような立場の人間が、もっとも明確に「バカにしたりされたり相関図」が描けるんじゃなかろうか。自慢にゃならんけど。
 かく言う予のことだってきっと、ひとりやふたりくらい、陰でバカにしている不逞の輩がいることだろう。ネットの内外を問わず。心当たりはあるような無いような。まったく陰口を叩かれない清廉潔白な人間だと心底信じることこそめでたけれ。てゆーか、噂されているうちが花ともいう。

 まあ、まったく議論(=互いの意見の相違を認め合って初めて成り立つ)にならないという意味では、この「バカにしたりされたり相関図」は不毛なんですが、傍観している分にはそれなりに面白く、それはスキャンダラスな意味もなきにしもあらずですが、やはり「悪態をつく」という目的が明確なせいか、言辞が冴え渡ってるからでしょう。冴え渡るというか、邪悪に鈍く光っているというか。
 コウモリの気分で傍観して、AからBへの攻撃でも、BからAへの応酬でも、笑わせてもらったことが何回かある。どちらかというとワライを取る文章を書きたい予としては、ちーとばかしうらやましい。でも予はよい子なのでマネしません。

 あ、ちなみに予は、昔々の大昔、「悪態衆」のうちのひとりである某氏に、散々悪態をつかれたように記憶してます。また、そう遠くない昔にも舌戦(小競り合いですが)があったようです。でも、実際はとっても人あたりがよいキャラだとお見受けします。んもー、そのギャップってスゴイと一部の婦女子がメロメロなり。←ホントかよ

 日本語を磨く技術のひとつとして「悪態の文化」は推奨したいところですな。古典的なものだと、
「おまえのかーちゃんでーべーそー」
 なんてのがありますね。これには、言った相手をやりこめる返し技があるのをご存じですか?
「おまえ見たことあるのかよ。この変態」
 などと言い返せば、小学生程度なら恐れ入ってしっぽを巻いてキャインキャインと悲鳴をあげて退散です。
 おおまかに言ってしまえば、「悪態合戦」では、「この変態」を、いかに「論理的に」あるいは「もっともらしく」はたまた「正当化して」言い放てるかが勝負です。

 あと「赦す」という大技ですか。これは素晴らしい。
 「昔は私もそうだったよ……」なんて、これはオトナのセリフです。先に言ったほうが勝ちだと予は判定しちゃいます。成長なさったなあ、しみじみ。←だからそういう見方はやめなさいって
 しかし使い方を間違えると「なに負け惜しみをほざいてやがる」と、見るも無残な姿になりそうです。
 「悪態合戦」は引き際が最も難しく、また最も技量が求められます。

 「悪態合戦」の必勝法を、予は知っちゃってます。
 ここに書いたら誰かに盗まれそうだけど、書いちゃいますか。
 それはまず、怒らないことです。
 殴り合いならともかく、文章での悪態合戦は、怒ったら負けでしょう。はらわたが煮えくりかえっても、涼しい顔してる風情を漂わせるべきですな。
 もうひとつお教えしましょう。それは「アクセス拒否」です。これはラクラクですが、最終手段としたいところ。要するに相手をキチガ(ピー)と認定したのと同じですからね。

 他にも予は、悪態合戦を切り抜けるための技をいろいろと知ってますが、詳しくは書けません。だって予もいつなんどき、そういう悪態合戦に巻き込まれるか知れないからです。そのときのために、手の内は明かしません。ふっふっふ。

●8/20 妄言王の北上日記 津軽海峡夏景色編(9/13これを綴る)

 恐山を後にしたモーゲン3兄弟は、20日の18時前に、ついに下北半島の突端・大間に到着した。
 しかし「フェリー乗り場」の看板を見つけるも、肝心の乗り場が見当たらない。日も傾いてきて、薄暗くなってくる。真っ暗になるとこりゃ探すのは骨だぞと1ミクロンくらい焦りつつ、しばらくクルマでウロウロしていると――見つけた。

 想像以上にショボイ乗り場(待合室)ですな。まるでプレハブ小屋のごとし。一度は見落とすのも無理はないですな。台風でもきたら

♪しゃーぼんだーまとんだー 屋根までとんだー

 と、屋根ごと吹っ飛ぶんぢゃなかろうか。
 事前にネットで調べていて、大間発−函館着のフェリーは、早朝6時過ぎ、11時過ぎ、16時過ぎ、そして最終便は21時過ぎだということを知っていた。
 フェリーが出るまでまだ時間がある。てゆーか、まだ船の影も形も見えず。

 すっかり忘れていたが、予はこの前日から、ライティングの仕事を1本抱えていたのでした。
 半ばレギュラーのシゴトなのである程度ライティングの勝手が分かっている、運転しているのが楽しい、たぶん入社2〜3年程度であると思われる編集者が、ライターである予に(少なくとも形式上は)最恵国待遇を与えてくれている、予が北上中であることを伝えてある(それでも依頼があるなら書く書く大事ない、と予は言い放ったのでした)、走る車内でキーボードを叩くとすぐに車酔いするなどの理由から、開き直って、時間ギリギリまで放置プレイにしていたのです。

 しかし、さすがに本腰を入れないと、締切を破ってしまうことになりかねない。ちなみにその締切とは、翌日の午前中まで。
 うわーっ、すっげー追いつめられてんじゃん。尻に火ぃ着いてんじゃん。もっと早くに取りかかれよ。バカバカ。

 締切を破るなどは、ライターとして、もっとも犯してはならないタブーです。
 親類の葬式があっても、締切が迫っていたので、喪主にイヤな顔をされながらもキーボードを叩いたというプロフェッショナルなというか、鬼気迫るまじめな主婦ライターの風聞も聞き及んでいるくらいなのだ。
 まあ、案件によっては、編集者が余裕をもって締切を設定している場合もあるのだが、その逆もある。「この締切が破られるとほんとシャレにならないのでよろしくお願いします」なんて念を押されることだってある。いずれにせよ、締切を守ることが編集者の信用を築く第一歩であることに変わりはない。
 ライターの鉄則。締切は死んでも守れ(でも死ぬな)。
 作家(たとえば伊佐坂先生)気取りで踏み倒しちゃいかん。作家とて、新人だったら締切破りなど言語道断です。たぶん。
 デートに遅れて、
「ごんめんごめん。遅刻しちゃった。この埋め合わせは必ずするからさ。許してよハニー」
「んもー。じゃあ、こんどティファニーで朝食を(はあと)」
 などという甘っちょろさ(ざけんなこのイチャイチャカップル破局してしまえ。←てめえで創出した架空のふたりにナニをムキになってるんですか)とはワケがちがうのだと知るべし。
 ライターが締切を破れば、ほぼ100%、ワンモア・チャンスなどないのだ。その時点で、食い扶持の一端が消え去るのだ。あなおそろしや。

 フェリー出港まで時間があるのを幸いとばかりに、予は車内でキーボードを打ち始めた。
 ちなみに電源は、クルマのバッテリーからふつうのコンセントの電源がとれる装置を出発前に買っていて、愚弟と結託して備え付けておいた。ケータイの充電もこれでふつうにできる。どうだい、観光と仕事を両立させるために、予はここまで準備していたのだ。予ってばエライ! ←自画自賛

 愚弟どもは予がPCとにらめっこをしている間に、フェリーの予約&料金の支払いを済ませる。ついでに、帰りのことを考えて時刻表をゲットしたりする(実はこれが結局無駄に終わるのだけれど、この話はまた後日に)。
 てゆーか、愚弟どもはそれくらいしかすることがない。ヒマを持て余したらしい。
「その仕事、どれくらいで終わる?」
 などと予を急かす。
 アホタレ、まだ30分も経ってないじゃないか。比較的手慣れた案件とは言え、最低でも2時間は待ってもらわんと困る。

 と言おうとしたが、すっかり日が落ちて明かりもロクにないし、腹もやや減ってきたし、やる気も失せたので、フェリーの船内でやろうと決めた。
「もういい。飯にしよう」
「え? いいの?」
 アホタレ。キミがうながしたんやないかい。

 あまりフェリー乗り場から遠くに離れすぎないようにと心がけつつ、食堂を探す。
 つまり、大間のフェリー乗り場は本州最北端なわけで、要するに、ほんの少しだけ南下したということなり。
 そして発見。
 いかにもわけありげな女将が自営している風情の店で、一見より常連のほうが多いんだろうなと思わせるかんじだったが、そこくらいしか食堂が見当たらなかったので、それで手を打つ。
 で、名物は「もずくラーメン」らしい。地元産のもずくを麺に練り込んだ代物だそうな。予と愚弟1号は、ものめずらしさから、もちろんそれを頼む。
 愚弟2号は、なぜかカツ丼を注文。――こ、こ、このバカタレ! 津軽海峡を臨む本州最北端で、なぜにカツ丼だ。キミの思考回路はどうなってんだ。正気の沙汰とは思えん。アホーボケーカスーおまえのかーちゃんでべーそー。←まんまと自らの首を絞めるの図

 ふと横を見ると、コンセントがあるじゃありませんか。
 むむっ、ここで仕事をしようと思い立った予は、車内からノートPCを引っ張り出してくる。
 しかし予は、いったんやりはじめると、どっぷり集中しないと書けないタチなので、ラーメンがやってくると、作業を中断させざるを得ない。ラーメンは早く食わないと伸びる。ノートPCの持ち主である愚弟1号からは「ラーメン食べながら仕事はせんでくれ。もし汁がこぼれたら困る」と牽制の言葉を吐かれる(もっともだ)。
 ちうわけで、ラーメンを食うことに専念することに。もずくラーメンなんてどうせたいしたことなかろうと思っていたのだが、悪くはない味。看板メニューのひとつとして出しておいてもいい味ではある。
 愚弟1号が「うん、なかなかいい味だな。今度、雑誌に載せよう」などと、お店の人に向けたフェイクをほざく。うわー、ヘンなこと言うのやめれ。「もしかして雑誌関係のヒト?」なんて声をかけられたらどうするんだ。純度100%のウソではないだけに困惑しまくるじゃないか。
 食後、フェリー出港の時間いっぱいまでその店でPCと格闘しようとしたが、愚弟の戯言もあってか、どうも落ち着かない。ので、観念してその店を出た。

「そう言えば、フェリー乗り場の待合室にもコンセントがあった」
 この愚弟の証言をもとに、予はPCを待合室まで持ち込んで、かねてより用意してあった延長コードを駆使して準備を整えた。机も椅子もあり、待っている人の多くが寝て待っていたため、静かで、やっとPCに集中することができた。
 予は書くことに集中すると、時間の流れがわからなくなり、周囲の物音も聞こえなくなるタチで、その間、愚弟どもがナニをしていたかはまったく知らないし、見向きもしなかった。後で聞いたところによると「ヒマで死にそうだったー」だそうな。

 進歩度70%くらいで、愚弟に声をかけられる。
「フェリーが来たぞ」
 8時半だ。クルマは早めに乗り込むということらしい。
 ライティングがノッてきたところだから、もう少し粘りたかったが、乗り過ごしたらシャレにならないのであきらめる。
 クルマは、最初にフェリーに乗り込めるポジションに移動してあった。やるな愚弟ども(まあ、ヒマを持て余していたから、それくらいはお茶の子さいさいか)。

 いよいよクルマで乗船。
 さらば青森。そして、あと2時間くらいで会えるよ北海道(函館)。
 フェリー内でクルマを止めて、客室へ向かうべく、PC片手に階段を上る。
 貧乏旅行の3兄弟は、もちろん2等客室。つまりは、ゆるい仕切りしかない大部屋。予は一貫して「タコ部屋」と呼び習わしていたのだけれど。

 復路のフェリーと合わせて思ったことだが、1等客室、つまり個室だが、あんなもんはカップルが密室でイチャイチャベタベタネチョネチョしたいときか、あるいは「ワシは貴様ら庶民とはちがうのだ」という選民思想の持ち主が利用する邪悪なボックスであるにちがいない。たぶん夜行列車の個室と同様だ。シャワーとかも使えるんだ多分。ムキー! ロクなもんじゃねえ!((c)長渕剛)
 まあ、タイタニックの例を挙げるまでもなく、身分差によって1等2等と部屋を分けるのが、客船の「伝統」らしいですがね。
 あ、飛行機にもファーストクラスとかってあるか。ファーストフード(MドNド)でも食ってろ。←貧乏人のひがみ

 タコ部屋にコンセントが無ければ万事休すと思っていたが、あった。
 さっそく一隅に陣取って、PCとにらめっこ。
 愚弟どもにしてみりゃ面白くないだろうけど、1号2号でじゃれあってりゃよかんべーと、集中モードに突入して放置プレイに。ふたりで船内探検に出かけていった。

 進歩度70%だったはずなのに、残りの30%がどうにも手強くて、到着30分前というギリギリのタイミングで、なんとか書き終えた。
 気がつけば、愚弟2匹は間近でグースカと寝ていた。そりゃ疲れるわな。20日だけで十和田湖と恐山を走破したんだもんな。
 あとはこの原稿を送信するだけ。いつでもどこでも送信できるように、ケータイを介して、ダイアルアップ接続できるように、予は事前に準備しておいた。うーむ、ぬかりなしだ。
 ところがコイツ、もんのすごく遅い。ADSLなら5秒とかからない画像データをダウンロードするのに10分以上もかかりやがるということを、秋田で初めて使ったときに知った。だから通話料もハンパじゃない。というわけであんまり使いたくなかったのだが、函館に着いてから(23時過ぎ到着予定)インターネットカフェを探すのはタイムロスだ。てゆーか、もし見つからなかったら、締切に間に合わない。しょうがないのでケータイのダイアルアップで送った。電波が悪くて、なかなか遅れなかった。またしても無駄な通話料がかさむ。

 そろそろ函館に着くというアナウンスが流れたので、愚弟どもを起こす。
 クルマに戻る前に、甲板に出て夜風に当たる。心地よい涼しさだったが、真っ暗でなんも見えやせん。

 しかし、まもなく函館の夜景が見えてきた。でも夜も遅いせいだろう、明かりは少なめだった。

♪はーるばる来たぜ 函館へー

 とベタに歌いたくならないでもなかったが、さすがにベタすぎるのでやめた。
 あれは函館に逃げた女を追いかけるストーカーの歌だが(少し違う)、コアなサブちゃんファンは、
「あんな女々しい歌はサブちゃんの本当の心の歌ではない。やっぱり『兄弟仁義』だ」
 などとと言うに違いない(予にはなぜかわかるのだ)。しかしあんた、

♪親の血を引く兄弟よりーもー かたーい契りの 義兄弟ー

 って歌を、実の愚弟どもを前にして歌えますかってんだ。ちょっとは考えて物を言いなさい。←誰に対する抗議?

 夜景よりも目をひかれたのは、のっそりと聳え立つ大きな山。
 愚弟が「あれは何という山だろう」と言うので、予は「函館山だろう」と確信がないまま答えた。後で知ることになるのだが、恐ろしいことに、これがビンゴ。
 まあ、いくら確信が無いとはいえ、まったく根拠が無いわけではなかった。根拠はやっぱりサブちゃんだ。いやマヂで。

♪はーこだて山のいただきでー なーなつの夜も呼んでいるー

 という二番目の歌詞を知っていたのだ。ゆえに的中できたわけだ。さんきゅう星野哲郎。

 そしてついに接岸。クルマで函館の地へと躍り出た。
 やっと津軽海峡を渡り終えた。PCとにらめっこしてなかったら、もっと長ったらしく感じたんだろうなあ。


 ――うーむ、予ってば無駄な記述が多すぎ?
 予定ではもう札幌で3氏に出会うの巻まで進むはずだったのに、ちーとも進みゃしねえ。しかも、復路は復路なりに書くことがあるってえのに。

 ま、いいやと開き直って、また後日に続く。

●9/9
 懸案の「妄言王的征夷大将軍日記」(注:北海道を征服するの意)の続きですが、「忘れた頃に書いてやる」風味でお送りしたいと思います。というわけでまた後日に不定期で。

 不定期。それは言わば川島さんところの日記に出没する(していた?)「ヨネモン」みたいなもの。もちろん知ってるヨネー。え? 知らない? ダメダヨダメダヨー(欽一風味)。ナンセンスの髄液ココにアリだよー。かのサイトの過去日記をさかのぼって探し出して読みなさい。これはお願いではなくて司令です。ハイル・モーゲン!

 そしてナンセンスの真骨頂は、ごく一部で伝説となっているアカチバラチ(すべて見せちゃうゾ!)。 とにかく読め! そしてジャパーン!(郷風味)2000年の歴史をタップリンコと味わい、そのあまりのしょーもなさに、3べん回ってニャーと鳴け! 合い言葉は、読んだら捨てようゼ!

 なんか日記とリンク集のコメントをまちがえてるんじゃないかと思われるほどですが、ナンセンス物が無性に恋しい今日この頃。
 ツチダさん寝てるんぢゃねえよー。貴殿の新作が読みてえよー。北海道オフでも貴殿の噂が出たくらいだぜー。キミのファンはキミが思っている以上にいる。たぶん。
 って、こんな私信はメールで書きゃいいんですが、ココに書いてもきっと同じだからいいんです。


 以前この日記でも書いたのですが、三遊亭夢丸という落語家が創作落語を募集していて、勧められて応募して、夢丸さん御本人直々のお電話でボツ報告を受けてキョトンとしてしまったということがありました。

 その三遊亭夢丸さんから封筒が届きました。
 って、ずっと三亭だと思ってましたが、差出人の欄をよくよく見たら、三亭でした。思いっきり間違えてました黙ってりゃ誰もわかりゃしなかったはずですが、一応訂正しておきます。でも過去日記まで溯って訂正するのは面倒なのでやーらないっと。←ものぐさ太郎の末裔かよ

 こんなイイカゲンな奴は、そもそも入選しちゃいけなかったのです。藤田田氏の名前を知らずにマクドナルドのバイトをやるようなものです。って、フジタタってダレ? なんて、まったく知らないバイトのほうが多そうです。いくら引退した人とは言え、さすがに社員なら知ってるでしょう。いやいやアヤシイぞ。直木賞作家で直木三十五を知らないなんてのもいそうだ。そんな部分も含めて、我ながらナイスなたとえです。←そおか?

 閑話休題。
 封筒の中身は、独演会のチケットでした。夢丸氏の顔が載っているチラシも同封されていた。ほう、この人が夢丸さんか。丸というより四角という風情で……どうもお初にお目にかかりやす。
 予は寄席には縁が薄く、せいぜいが、たまに「笑点」をテレビで観るとか、NHKの「日本の話芸」を観る程度なんですが(いまでもやってるんだろうか?)、木戸が二千円とは安いのやら高いのやらよくわかりません。
 てゆーか、問題は木戸ではなくて、チケットが一枚しか入っていないというのはどういうんでしょうか、と問いたいわけです。ひとりで寄席に行く? うーむ、それがふつうなんでしょうかねえ? なんかヘンな気がするんですが。
 といって、デートで寄席に繰り出すというのもどうでしょう。吉原よりはよさげですが。って、そもそもそんなアテはありません。ほっといてちょーだい!(おすぎ風味)。
 友人と出かけるのが一般的なんでしょうか? よくわかりません。
 寄席の楽しみ方も知らずに落語台本に応募してたなんて、まったくチャンチャラおかしいですな。とか何とか言いながら、飛行機のイヤホンでは十中八九、落語のチャンネルに合わせてしまう予なのであった(川のせせらぎのチャンネルなんか聴いてるヤツなんているんでしょうか。謎です)。

 ちなみにこのチケット、いらないのでご希望の方に差し上げます。詳細は問い合わせてね。←おいコラ

●8/20 モーゲン北上日記 恐山編(9/5これをつづる)

※前回までのあらすじ
 アニメ顔妖精とサポセン将校と生き別れのドッペルゲンガーに再会すべく、モーゲン君は梅雨前線といっしょに北上を開始。途中、越後の国でヒッチハイカーを発見。なんと彼女は、♪雨々ふれふれもっとふれー と提唱する八代亜紀女史だった。馬鍋を食わせてお供に加えてやろうとしたが、エサじゃなくてギャラを払えとわめき散らして収拾がつかなくなったので、マリモをつけて十和田湖の底に沈めた。


 今夏、予が北海道上陸作戦を思い立ち、飛行機も電車もあきらめてクルマ移動を決定するまで、じぇんじぇん知らなかった。

 本州から北海道へクルマで移動するには、フェリーを使うしかないとは……!

 この驚くべき事実には「へぇ」「へぇ」と2へぇ(ボツ)をあげると同時に、
「テンメー! 青函トンネルで電車を走らせるなら、オプションで車道もつけとけ! 頭悪いぞボケェ!」
 と毒づいてやりたい(って、JRに毒づけばいいのか道路公団に毒づけばいいのかよくわからんが)。

 まあ、フェリー会社の陰謀なんだろうと勝手に結論づけて、どのルートが最善かを考えた結果、フェリーに乗っている時間が最も短い「大間−函館」間を選択。当然、運賃も最も安い。
 って、これはさすがに出発前にネットで調べた。料金もチェック済。他の交通機関との比較検討の問題もあるからね。クルマ(軽)一頭とサル3匹で、片道一万三千円くらいだったかな。この旅路の交通費(ガソリン代・フェリー代・オイル代)はすべて割り勘だから、一人頭四千円で津軽海峡冬景色が歌えるのです。もとい、津軽海峡を渡れるのです。

 地理関係がよくわからないひとは、頭に青森県の地図を思い浮かべてください。
(地図にリンクを貼らないなんて、あるいは画像を添えないなんて、なんと不親切なウェブ日記なんざんしょ、プンプン。←読者に怒られる前に、予が先に怒ってみました)
 いや大体でいいですよ。青森の北部にふたつの半島が突き出てるでしょ? 予の記憶が確かならば、左側が津軽半島で、右側が下北半島です。で、大間は下北半島の最北端。ココから出ているフェリーに乗るべく、クルマの進路を下北へと取りました。よーそろー。

 大間は下北半島の最北端であり、本州の最北端であり、そして恐山を頂く地でもあります。
 って、恐山と大間はちょっと離れてたと思うが、クルマで本州縦断をやってると、無視してもいいような離れ具合です。

 愚弟1号はそもそも、北海道征服よりも、この恐山踏破に大いなる興味をいだいていました。彼をして、
「今までで一番行きたかった場所」
 と言わしめるほどで、ココが通り道だと教えたからこそ、長期同行に同意させられたようなもんです。
 彼は、近所の有名な心霊スポットを友人たちと巡って、心霊現象らしきものを何回か体験しているらしい。まあ、彼が嘘をついているとは全く思わないのだけれども、予はそういうものに臆するところ皆無に等しく、霊の存在も信じていないし、怪談話もどうってことないし、もちろん恐くもない。生きている人間のほうがよっぽど恐い。なかんずくオンナはとってもコワイ。←コラコラ
 でも「霊を信じる人たちの心理」には興味がある。だからというわけでは全然ないのだけれど、心霊体験談の文章を書けというライティングの依頼があったので、はいはいと引き受けて書いた。何なんでしょ、この尻の軽さって。
 その依頼原稿に出てくる登場人物はすべて仮名です。その仮名の部分は、テキトーに名前を入れてOKだったので、愚弟の名前をそのまま入れてやりました、わはは。
 いやね、シャレで「おまえの名前入れたろか」って言ったら、「おお、それいいね」と乗り気だったので、ついイタズラしちゃいました。予と諱と同じ名字なのに、編集者もよくそんな仮名のまま入稿したなあ。まあ、そんな細かいところにツッコミ入れてるヒマなんかないくらいにタイトな依頼だったんですけどね。

 閑話休題。
 愚弟1号にとっては、あたかも我がメッカであるかのように思えていたらしい恐山は、十和田湖での薄い靄とは比較にならないくらいの濃霧でした。
 恐山を切り裂く舗装道路を走る車中でも、愚弟は「水木しげる、初めて恐山を訪れる」という新聞記事を読んだという話を熱っぽく語ってました。いわく、水木氏自身は「霊感がない」と自認しているそうで、「ただ、何かいそうな雰囲気はあります」とコメントしたという。まあ、そう言ってもらわないと(もしくは言ったことにしないと)記事にはなりませんわな。
 途中、恐山展望台というものがあったんですが、なーんも見えんでやんの。なんでそこが展望台だとわかったかというと、霧の中に「恐山展望台」と書かれた碑を見つけたからです。しょーがないので、こいつの前で記念撮影。この碑がなきゃどこだかわかりゃしねえ。とほほ。

 展望台を後にしてクルマを先へ進めると、あとは山を下る一方。これで終わりなのかとヘコみかける愚弟だったが、そんな鼻先に、馬糞だか牛糞だかの臭いがプーンと漂ってきました。ええ、クルマの窓は全開でしたとも。
 クセー! 恐山なのに牧場でもあるんかいなと思いながら周囲を見回すと、採石場のような殺風景な場所を発見。家畜はおらねど糞の臭いとはこれいかに。
 異臭の正体は、奇妙な水溜まり&小川でした。水の色は黄色だったり、エメラルドグリーンだったりして、タダモノじゃない。
 恐山については、古くから娑婆と冥界の境界線という信仰がある場所、「イタコ」という口寄せ婆が接吻を迫ってくる――もとい、口寄せという降霊術(という出し物)をやっているらしいということ以外、一切の予備知識を持っていなかったのだけれども、こりゃ硫黄ですなと気がつきました。
 予は温泉というものの存在を知っているからわかったわけですが、予がたとえば一般的アメリカ人だったら、硫黄だと気がついたんでしょうか。難しいんじゃなかろうか。ああ、アメリカ人じゃなくて良かった。←そんな言い草あるかよ

 で、舗装道路の行先のどん詰まりには、寺がありました。
 どうやらココがメインのようです。
 パンフレットによると、開山は平安時代だそうな。本尊は地蔵菩薩で、オプションとして不動明王も奉られている。なんでかというと、不動明王は地蔵菩薩の仮の姿なのだそうだ。金八先生と武田鉄也、もしくは初代仮面ライダーと川口浩の後継者の関係ということですな。←わかりにくいたとえを出すなよ
 ちなみに地蔵菩薩は、衆生が地獄へ落ちる苦しみを一身に受けるという慈愛を持つのだそうだ。そういや、道々にも地蔵が何体もあった。地蔵ってつまり、マゾの元祖なのね。←ドアホウ

 入山料五百円。境内の様子をひとことで言ってしまえば、賽の河原のイメージそのままだ。採石場のような殺風景な場に、石ころが山積みにされたものが無数に点在している。その石ころの山に刺された風車も、風が強くてクルクルと回っている。硫黄の臭いが漂っているし、黄色や青の水溜まりも散見される。その硫黄が少なからず流れ込んでいると見られる湖も「境内」の一部だった。硫黄が流れ込んでるんじゃ、魚は棲めないんでしょうな。死を連想するには十分な湖だ。
 平安時代の頃から賽の河原のイメージが当時の日本人に流布していて、それに合わせて境内をそのようにしたのか。それともこの境内のイメージが後世の人間に影響を与えたのか。ニワトリが先かタマゴが先かはわからないが、いずれにせよ賽の河原と地獄を想定した場であることは疑いありませんな。

「地獄と賽の河原をこの世に作り出してみせた、一種のテーマパークだ」
 と予が珍説を皮肉のつもりでぶちまけたら、愚弟2匹は「テーマパーク」という部分にひっかかったようで、賛同は得られなかった。
 ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンは100%人工だが、ココはそうではない。2匹は、岩だらけの地表に硫黄が染み出ていることに自然の神秘を感じ取ったようだ。その証拠に、本尊である五メートルくらいありそうな地蔵菩薩をバックに記念撮影するかと提案したら、2匹とも「こんなもん作りもんぢゃ、意味ねえ」と即座に却下した。で、結局硫黄の水溜まりの前で、ウンコ座りで記念撮影。
 遠目に、テレビ局の撮影が行なわれているのが見えた。何の撮影だか知らないが、通りすがりにクルマのナンバーを見たら品川だった。遠くからご苦労なことですな。←ヒトのことは言えない
 しばらくして「風車を刺したの、あいつらじゃないか」と愚弟。なるほど、妙に新しかったから、その可能性はあるな。

 大体巡り終えて、やっぱり予の印象は「地獄と賽の河原を現出したテーマパーク」だった。ただ、歴史が古いから、この語が馴染まないだけのことかと。
 もっとも、現在でも「亡くなった人を埋葬する習慣が下北半島の人たちを中心に残っている」と案内板にあった。名前やら「先祖代代」やら書かれた石ころも散見されたのでまさかと思っていたが、石ころを積んだ小山は、実際の墓だったようだ。ごめんなさい、暴言が過ぎました。予が死んでも、葬式も読経も墓もいらないぜ(もし予の遺族が望むなら勝手にせい)と半分以上本気で思っているキチガ(ピー)の言い草なので、どうぞ大目に見てやってください。

 それから、この境内では硫黄風呂に入れます。
 年季の入った小屋があってなんじゃこりゃと思ったら、中は桧風呂です。平らな床が凹んでいる形で存在します。もっとも、3人くらいで入るのが限度でしょう。
 愚弟が境内について坊さんに尋ねたとき、どうぞどうぞと勧められましたが、あまりに粗末なので満場一致で遠慮。
 この日(8/20)の朝に、つまり十和田湖に向かう前に、通り道だった温泉町で、入浴料150円という温泉に入ったばかりだったというのもありました。←ということをいま思い出して書き足してる
 温泉とは名ばかりで、これまた4人くらいがせいぜいの狭い空間。シャワーもなければ椅子すらなし。タコ部屋ならぬタコ風呂場。さすが150円。

 で、恐山を後にするんですが、クルマに乗り込む前にトイレへ。
 そのトイレのくさいこと。ずっと息を止めてました。関係者各位へ。なんとかなりませんかね。周囲が硫黄だから無頓着?(そんなバカな)
 あ、そうそう。イタコはいたようですが、一室もうけてあって、そこにこもってました。カモもとい客もいたようですが、そんなお遊びにカネを払うほど、3兄弟はお大尽暮らしはしておらぬゆえ、パス。

 後日に続く。
 ――うーむ、まだ津軽海峡を渡らないのか。けっこう長くなるもんだな。
 いつ完結するのか予自身にもまったく見えなくなってきました。どうなることやら。

●9/3
 坂口さんの日記(9/3)にて、8/20十和田湖編の注釈をめっけた。
 馬は五戸ですか。千葉にあるのに「東京です」と言い張る某鼠園ようなものですな。←適切な譬えなのか?
 五戸の親類として(往路と復路で)九戸と八戸と七戸と二戸は通過した記憶にありますが、どこに所在していたかは思い出せぬなり(地図みりゃいいんですが)。一戸と四戸と六戸に関しては、予にとっては実在するのかすらビミョーです(てゆーか漢字変換できたので多分存在するのでしょうな)。なんかルイ14世とルイ16世みたいで紛らわしい。
青森にキリストの墓があるというトンデモ伝説は以前から聞きかじっていましたし、案内看板も見たように思いますが、坂口さんに指摘されるまでスツカリ忘れてました。こりゃ予は天国へは行けそうにありません。
 そんなこんなで、当分完結しそうにない「蝦夷への北上日記」ですが、ちょいと中休み。

 拙宅は、日記の更新頻度があまり高くないわりには、まあまあのアクセス数です
(「まあまあ」がどの程度なのかは各人のご想像にお任せします)。
 これもそれも、みんな予の人徳のおかげです、ふははのは。←オヤクソクのボケ

 ちうわけで、軽く宣伝なんかしてみる。宣伝というか予のプロパガンダかも。
 マイ日記であればそれが許されるのです。
 北の天然パーマ様、マンセー。←オヤクソクのボケその2

 ネタ元は、トップページ右側にもリンクがあるあるテーマにまつわる短編集。ご存じない方のために簡潔に説明しておくと、毎月CGIで選出されるお題に沿った小説を書く&読めるという小説投稿サイトです。
 えむいとうさんに多くのサーバースペースを借り、CGIも提供してもらっているので、個人的には「自分のサイト」という感じはしないのですが、しかし主催者をやってるだけあって、もちろん愛着はあります。投稿作のアップもすべて予がやってるし。

 ただ、ココ「妄言王の執務室」は「存在することが存在意義=予の分身のごときもの」という考えですが、「あるテーマ」は参加者の皆さんに「存在意義を見出されることが存在意義」です。参加者数の多寡は、さほど問うものではありません。商売をやってるんじゃないんだから。
 もっと言えば、「あるテーマ」は、強いられたテーマによって作品が生み出されるという「作品を生み出すための触媒」、あるいは「作品をプラッシュアップするための場」以上でも以下でもないというのが、予の現段階での考えです。サイトのアクセスアップがその一助になりうるとは思いますが、アクセス数や投稿数自体に主眼は置いてません(もちろん多いに越したことはないですが)。じゃあカウンタはなぜ設置したかといえば、若気の至りです。←アホ

 また、「あるテーマ」は少なくとも「コンテストサイトではない」とだけは言えます。「コンテストによる決着じゃなきゃ意味が無い」という作者にとっては、たぶん存在意義が見出せなかろうと思います。
 「投票によって雌雄を決する」のは、数多ある投稿サイトの基本的特質のようですが、予はまず、ここから脱却して正解だったと思っています。誤解を恐れずに言えば、コンテストサイトでない投稿サイトはむしろ貴重ではないかなと。相対評価より絶対評価に主眼が置かれる投稿サイトは、べつにリサーチしたわけではないですが、意外と希少価値があるんじゃなかろうか。

 まあ、従来的ではないという意味で、「あるテーマ」は、わかりにくいサイトなのかもしれません。コンテストという明確な「疑似権威」がないぶん、存在意義を見出しにくいのかも。

 予自身は「賞金付きの賞に出す(こともできるような)作品の下読み」という存在意義を作り出そうとしています。つまり「コンテストサイト」ではなく「コンテストに投稿する以前の作品を下読みするサイト」ということですな。
 具体的には、掲示板へのカキコミで、投稿作品に感想を付しています。→ たとえばこんなかんじ

 感想というか、やっぱこれは下読みに近いのかなと。
 要するに、決してサイト立ち上げ当初から狙っていたことではないというか、成り行き上そうなっているクサイのですが、予が伯楽になったろやないかい(と小声で言ってみる)ということです。名馬は量産されるものでもありますまい。

 まあ、伯楽というからには、(ウソンコでもいいから)それなりの「権威」が必要であるらしいとは、心理学者の言を俟つまでも無いのですが、
「予はフリーライターだぜ。文章で飯を食ってるぜ」
 などと精一杯言ってみても、一体どうしてこんなスモールなライター業務だけで生計が成り立ってしまっているのか我ながらフシギだ(もちろん請求書は書くが帳簿は付けない。確定申告は天下御免のドンブリ勘定)というほどなので、どうにも頼りない。
 てゆーか、ライターと小説の間には、相関関係があるように見えて、実は皆無に等しいと予は思う。

 なんて予自身の権威の構築を、自ら否定してかかりたくなってしまうのが問題ですなあ。ウソンコでもいいから、
「予は文筆を生業とするから権威があるのだ(ヘンな液体が出てるかも(←それは文筆ならぬ分泌))」
 などとエラソーにしてりゃいいのに。アホですなあ。←世渡りが下手なタイプだ


 なんだかんだと言い募りましたが、要するに「賞金付きの賞への投稿を狙うための場」というのが、予の「あるテーマ」に見出している存在意義のひとつです。「伯楽」はことばの(松浦もしくは杉本はたまた上戸)アヤですが、1ミクロンくらいは本気です。
 が、もちろん、これが唯一の解答というわけではありません。参加者(作者&読者)の数だけ解答があっていいと思います。たとえば、えむいとうさんなら、
「オイラは『あるテーマ』で、CGIと自鯖の試運転ができれば、それで十分っす」
 という、とっても特殊な存在意義があるわけで。わはは。
 まあ、そんなかんじです。

●8/20 モーゲン北上日記 十和田湖編(9/1これを綴る)
 翌20日の昼には、秋田と青森にまたがる十和田湖を攻略。曇天のせいか、少し靄がかかっていた。
「天気がいいと、もっとスッキリと見渡せるのにあ。こんなに曇ってるなんて、日ごろの行ないがねえ」
 などと話す、事情通ぶってる観光客の声が漏れ聞こえる。
「確かに、予の日ごろの行ないは良いとは言えない。しかーし! その言葉は、発言者であるおまえ自身にも跳ね返ってくるじゃないか、やーいやーい」
 などと、べつに予に向けられた言葉でもないのに、勝手に心の中でツッコミを入れる。
 予の記憶では、十和田湖はたしか透明度が日本一の湖だったはず。湖面に接近して確かめると、うーむ、たしかに琵琶湖とは比較にならない。てゆーか、たぶん十和田湖の周辺には、あまり湖が汚れるような要素がないんでしょうな。つまり地元住民が琵琶湖周辺よりずっと少ないんだろうな、と。
 要するに田舎だと言いたいのですが、予にとって「田舎」は賛辞です。しかし「田舎者」は自己卑下です。ここらへんが、日本語のビミョーなところですな。東京に住もうがニューヨークに住もうがアンドロメダに住もうが、予には、まごうことなき田舎者の血が流れてます。エッヘン。

 湖周辺の狭い道路を、デッカイ観光バスが何台も乗り入れているのには閉口しました。排気ガスはくさいし、クルマの大幅な減速を余儀なくされる。観光客どもめ、消えてなくなれ! と呪詛する予の脳裏には、もちろん予自身が観光で来ているという事実はキレイに掻き消えているのであった。

 十和田湖に向かう前に「比内」なる地名の看板を見る。
 「比内は地鶏が有名だな」と愚弟どもを前に兄らしくウンチクを口にしたのだが、かの地を通ったのは午前7時くらいだったので、店が開いているはずもなく、結局地鶏にはありつけずに通過。19日の日記にも書いたとおり、札幌にて集合の約束があった。遅くとも21日の夜には入札したかったので、それだけのために時間をつぶすという選択肢はありませんでした。「入札」ってオークションじゃないよ。札幌入りのこと。たぶん道民はふつうに使ってることばだ。←ホントかよ

 十和田湖を過ぎて十和田湖町に入る。朝飯を食おうと、数少ない食堂を発見。ちょうど十時に開店と書かれてあり、着いたのも十時ちょうど。何やら気分がよいですな。
 メニューの「馬鍋」の文字に惹かれる。どうやら馬が地元の名物らしい。そういや、結局は忌避したが、十和田湖畔を乗馬でめぐるというポスターもあった。十和田湖と馬。なんかイメージにそぐわない気がするのは予だけだろうか。馬鍋は1200円ほどだったか、熱海の旅館なんかに出てきそうな、固形燃料を使う安物の小鍋だった。まあ、食えないことはないけど、そんなにうまいもんでもなかったですな。牛ステーキのほうが、なんぼかよい。それとも、この店がハズレだったのか。
 愚弟が、オプションで注文した鶏のから揚げを「柔らかくて美味い」と絶賛。ひとつもらう。たしかに。ちょっとお値段高めの馬なのに、肉で最安値の鶏に負けるとは。深遠なりき。

 ちなみにオーストラリアでは、鶏は牛や羊や豚より高い肉で、鶏肉を振る舞われたら最高の待遇だと思って良いらしい。知人にオーストラリア人がいる日本人の皆さん(そんな人がこの日記を読んでいるとは思えないけど)、奮発して彼らに牛肉を饗してはダメダメです。ぜひケチって鶏肉を振る舞おう。

 閑話休題。
 勢いあまって愚弟、その店の鶏肉にいたく感心して「これは、さっき兄貴が言っていたヒナイのトリにちがいない」と言い出す。「いや、比内はもう過ぎてるからちがうだろう」と説く予のことばを聞かず、愚弟は好奇心がおさえられなかったらしい。店員に確かめる。
「このから揚げ、ヒナイのニワトリですか?」
 やっぱりというかホレミタコトカというか、店員は困惑気味に、
「いいえ……」
 と答えた。愚弟はさらに、
「ふつうのニワトリ?」
 などと執拗に問う。
「はい……」
「ふーん。これ、柔らかくておいしいね」
 愚弟にフォローされても、店員は苦笑いしただけだった。たぶんブロイラーなのだろう。比内地鶏ではないと判明しても、愚弟は平気な顔。店員を困らせたいんだか褒めたいんだか、いや褒めたかったのはよくわかるんだが、いや褒めるって難しいですな。

 1日ごとに書こうと思ったのだけど、けっこう長くなりそうなので、続きはまた後日。  教訓。日記はやっぱり、あとでまとめて書こうと思っちゃイケナイ。

●8/19(8/30これを綴る)

 某日某日、突如、日本列島の北上を思い立つ。すなわち、本州を縦断して北海道の札幌へと切り込むという大作戦なのだ。

・理系でありながら純文学肌な海坂さん(仙台から出向いて札幌に滞在中だった)
・某サポセン勤務でネットの裏事情にも詳しげな「仮性ひきこもり」を自称するえむいとうさん
・周囲に夢と混沌を振りまく年齢不詳の葱色な道民妖精みかりん

 以上3氏(五十音順)とじかにあいまみえる日を、予と諸氏の都合で8/22と設定し、これを旅の目的の一つとして発つことにしたなり。

 予はかりそめにも王なれど、福の神よりは貧乏神とのほうがずっと懇意なので、豪遊よりは貧乏旅行が身の程に合う。というよりむしろ、金銭の有無にあまり関係なく貧乏旅行が好き、と言ったほうが実情に近い。飛行機は運賃が高く、電車も同様。さらに乗降時間の縛りを嫌ったがゆえに、ではクルマで赴くしかあるまいと、けっこうあっさりと結論づけました。
 もちろん、当家の愛車は、燃費が最もかからない軽自動車。さらに、随行者の頭数を増やして交通費を減らさんと欲す。よって愚弟2匹を供に加えて、19日にサクッと出発しました。
 ♪地図さえないそれもまた人生〜 と美空さんが忠告するけれども、さすがにそれはキツイので、ダイソーで百円相当の日本地図を入手。カーナビなんぞ軟弱者のオモチャだという事実を証明すべくこのアイテムを駆使し、さらに高速道路を使わずに蝦夷地を目指します。ビバ・貧乏旅行!

 1日目は、昼から夜まで、けっこう雨が降り続いていました。
 新潟の三条というところだったか、予の運転で「道の駅」から出ようとしたところで、スケッチブックに太い字で「村上」と書いて掲げている人を発見。おおっ、これが世に言うヒッチハイクか。村上市なら、ダイソーの地図によると、通り道である。
 乗せてあげようと思い、一時停止しようとしたら、愚弟2匹が「ダメダメ」と冷ややかに言い放つ。おいおまえら、予は貴様らをそんな冷血漢に育てた覚えはないぞバカタレ、などと言おうとしたが、すぐに、車内の荷物がいっぱいいっはいで余剰スペースがないことに気がつく。やむを得ずそのまま再発進。そのヒッチハイカーには、変に気を持たせたに違いない。悪い事をした。
 翻って予も、アマテラスの末裔には、愛か恋かと、いろいろと変に気を持たされること、しばしばである。しかしこの場合は、勘違いする野郎のほうが悪いという不文律があるようだ。とかくこの世は住みにくい。

 しかし愚弟のうちの1匹は感激した様子で、「ヒッチハイクか。面白そうだな。俺もいつかやろうかな」などと言い出した。残りの二人は「たしかに面白そうだ」とすぐに相槌を打つ。こういうバカなところは兄弟だなと思うなりね。

 予は、運転が楽しくて仕方がない若葉君なので、9時間以上ぶっ続けで運転してました。
 そう、予は運転歴が半年未満という、若葉マーク君なのです。というか、ふだんはほとんど運転しないのだけど、全行程の半分以上を運転しました。愚弟どもは免許取りたての頃に、「キチガ(ピー)」(←当家の流行語)のようにさんざん愛車を乗り回していて、運転にはむしろ飽き飽きしている。だから予が進んで運転することを好都合に思っていて、これじゃ愚弟どもが予の供だか、予がハイヤーだかわかりゃしない。
 いやいや、予が純粋に運転を楽しんでいたんです。しかも、そんじょそこらの若葉君よりは巧みなドライビングテクニックのはずだぜ。もうすでに片手運転なのさ。フッ。←こういう奴が事故りやすいんだよねえ

 クルマで走行中、けっこう雨に降られて、愚弟弐匹はブルーだとブーブー言いたれてましたが、日ごろの愛馬(原付)がフツーだった予は、まったく意に介しませんでした。余裕をぶっこいて八代亜紀を口ずさんだくらいでした。
 ♪お酒はぬるめの 燗がいい〜 ←その曲じゃなかんべ

 合間に運転を交代して、愚弟のノートPCを使って仕事を行なう。なんてワーカホリック(ミスターマリックの遠縁)なんだと、内外から非難の嵐が飛び交いそうですが、結局気が散って全然はかどりゃしねーので、その日はあきらめて、サクッと中止に。
 しかし、それはそうと、たとえ北海道に向かう車中とて、理論上は仕事ができてしまう。これぞネットの恩恵受けまくりの生活ですな。
 でも某巨大掲示板はあまり好きではないという、エセ・ヘビーユーザーなり。
 あの板は、あの板を愛好する方々の編集したテキストを読むほうが面白いんじゃなかろうかと思う。あるいは「職務上知りえた秘密」を共有するとかね。たとえば予の立場で言えば「某出版社の某編集者は、無能のくせにレ○プまがいは日常茶飯事」(某の部分はもっとわかりやすい伏字で)なんて噂話をするのが楽しいのかもしれませんが、予はあんまり楽しめません。週刊誌の芸能人スキャンダルにも興味がない非国民ですが、スキャンダルの捏造方法なら知ってます。なんなんでしょ、この矛盾って。

 北上初日、予は寝くたびれたので、一日目は、零時過ぎにどこかの「道の駅」の駐車場に止まったらしいということしか知らない。そのまま車内宿泊。たぶん秋田のどこかだったと思う。

 とりあえず、続く。
 一週間ぶんくらい、続く。
 予の記憶を手繰り寄せつつ、続く。

●8/7
 暑いのと寒いの、どっちがキライかと言われればどっちもキライなんですが、暑いほうがよりいっそうキライです。暑いのがキモチイイなんて豪語するハイテンションな南国育ちが少なくないですが、きっと皮膚がソーラー電池になってるんだと思います。

 暑さの一番の弊害は、なんといっても脳味噌の機能が半減する点です。
 といっても、エアコン漬けになると体調を崩すので厳禁です。てゆーか、エアコンは予の館には存在しないのでした。あれば使ってしまうに決まってます。無いがゆえに、予は毎年、猛暑を扇風機のみで乗り越えているのだ。耐え難い暑さには、濡れたTシャツを着て扇風機の前に立つという荒業で対処するのだ。尊敬してもいいよ。←ドアホ

 とにかく脳味噌が暑さにヘロヘロにされちゃってるので、ここ数日、ネット上の活字がまともに読めません。字面を追うのが精一杯。困ったもんです。いや、正確には、理解の速度が遅くなっているかんじかな。あと、喜んでいいんだか悪いんだか(いいんでしょうけど)、こんな猛暑でも仕事は容赦なくやってきます。でも能率は、雨続きだった日々の半分くらい。
 この日記のように、予の脳味噌にあることばを引きずり出して活字にするくらいなら、辛うじてできますが、涼しくなってから読み返すと、いつも以上にラリッた文章になってるかもしれません。

 脳味噌が濃いアホになってしまっている最大の証拠に、税金etcを納めようと思い立ってしまいました。
 王位を冠しているのに、しかも一人称が「予」なのに、フツーに税金を納める義務があるらしいです。つい最近まで知りませんでした。というより知らないフリをしてました。督促状がたんまりとたまってしまったので、全部一括で払ってやることにしました。福沢十匹相当……。
 やい公僕ども、三拝九拝して受け取るがよい。(でも年金は払ってやらない)

 ところが、せっかく出向いてやったのに、郵便局のアホンダラ、4時で受付終了してやんの。バカかテメー。おまえのカーチャンでべそ。民営化される前はたしか4時半まで受け付けていた気がする。不便になってどうするんだよ。貸し渋りだの貸し剥がしだので間接殺人を行なってきた銀行よりは親近感持ってるんだからさ、もう少し考えようぜ、国立銀行の郵ちゃん。
 ――脳味噌が暑さで茹ってるので、一部不適切な発言があった気もしますが、お詫びも訂正もしません。

 こうして予のミニミニ金庫(俗に言う財布)には、消えるはずだった福沢の団体さんがひしめいているわけですが、右から左へ流れて消えるということをよーく考えてみると、コイツらがタダの紙切れに思えてきました。こんなオッサンをコレクションするために、予は額に汗――はあんまりしてないけど、脳に汗して奮闘してるのか? なんて妙に突き詰めちゃって、ひどいことに、「世の中ゼニや」という金言が、しばらくの間、ウソっぽく感じられました。

 うわーっ、やっぱり予の脳味噌は異常事態なり。

●7/30
 日記の間が空きすぎ。これがホントの間抜け。
(掲示板にも書いた言い回しの使い回し。まるで猿回し。←ナニが言いたいの?)

 完全に終了したわけではないけど、表稼業がやっと終わる。
 900wの掌編を10本書く、というような内容をこなしていたのだが、「短編」や「あるテーマ」に集う作者のほうが良い仕事をするんじゃないかと思われ。
 もっとも、この仕事はたぶんゴーストライターなので、作者名は仮名すら表に出てこない。さあどうだ、それでもやってみたかったなりか?
「ギャラ次第だね」
 むむっ、そう答えるキミには、フリーライターになる素質があるようだ(ホントかよ?)。
 しかし、それはさすがに教えてあげられないなり。なぜかって? そんなことを平気で尋ねてるようじゃ、キミにはフリーランスのセンスはないね。
 だってキミは、キミの預金通帳をネット上に公開できるかね? 給与明細でもいいけど。それと同じことだべ。
 その10本を3日半で仕上げなければならない。もちろん、それなりの質を保ちつつ、という条件が付く。さあどうだ、まだやれるか? 自信満々か? しかも、さらに1000wのIT商材のプレスリリース原稿も平行して書かないといけないときた。さあどうだ、まだ怯まないか? もし締切を破れば信用は失墜、明日からオマンマの食い上げだ。さあ、怖いかビビッたか?
 え? 全然平気? 強いのね、キミは。

 じゃあ、こういう現実がくっついてきたらどうだ?(以前、掲示板にも書いたけど)
 まず、借金が非常に難しい。ローンを組むことは実質不可能なのがフリーランスと知れ。住宅ローンどころかカーローンすら厳しい場合が多いだろう。
 それから、同様の理由で賃貸も、サラリーマンよりずっと借り難い。堂々と大家に拒否される場合も少なくない。ちゃんと、ゴマカシを結託してくれる不動産屋を介さないとね。
 そしてフリーライターにヤタラメッタラ憧れる若人よ、よおく聞け。男は特に、結婚が困難だ。ケッコンの第一の要件はカネだから、当然の帰結ですな。貧乏なんて苦にならないというスーパー変わり者の嫁を見つけない限り、フリーランス野郎に所帯は持てない。あるいは、所帯のせいで会社勤めを余儀なくされる。
 ついでに言っておくと、フリーになって最低でも半年くらいは、貯金を切り崩す羽目になると心得よ。
 おまけにもうひとつ。特に年配者からは、フリーターと同列だと思われることを知っておいてもいいかもしれない。同情されるならまだいいほうで、内心侮蔑されることも少なくない。特にサラリーマンの中間管理職。独立なんて考えたこともないチキン野郎(←不適切発言)。
 クライアントであるはずの編集者も、内心ではせせら笑っているということもあるだろう。「駄文書きの便利屋」とかね。「文章乞食」と言われても「ハーイ!」と平気で答えられるだけの神経の図太さは欲しいところ。

 ――どうだい、フリーライターはイバラの道だろう? キミが不満タラタラの月給取りがいかに幸せか、よおくわかったんじゃないかい?

 つまりこういうことだ。
 サラリーマンは現状への不満が、フリーランスは将来への不安が募る。

 え? だったらやっぱり、フリーライターとフリーターは紙一重だって?
 うっさいねん、ボケー。埋草野郎と言うな、フリーライターと言え。フリーターと言うな、無職と言え。

(注:あえて偉様口調で書いてみましたが、ホントは偉そうなことをいえる身分じゃねえっす。ほんのエンターテインメントとしてお読みあれ)


●7/19
 久遠さんの7/15の日記を拝読。

 「オフ会」という語を目にするのは久しぶりですな。
 予(の影武者)を最後に派遣したのは、いつだったかな。もう3年くらい過ぎてるような気が。年月の流れるのは早いねえ。
 さらに溯ればネットを始めた頃、予(の影武者)は、オフ会なんて狂気の沙汰だと思っていたスーパー・シャイ・ボーイだったので、まさに「彼は昔の彼ならず」ですなあ。

 「大麻ビール」とは興味深いですな。続編で「マジックマッシュルーム・ビール」(最新式)とか「ヒロポン・ビール」(懐古系)とか、半ばギャグで出してほしい。イロイロと問題になりそうだけど。
 しかし、予および影の奴は、酒の味がわからぬによって、アルコールならナニを飲んでも、
「ムヒョー! ムヒョヒョノヒョー!」(←瑕瑾さんのマイブームらしい。発祥地はココですから、予がパクったんじゃありませんなり。モー娘の歌を、つんくが歌うようなものです)
 とラリってしまうという点において、ふつうのビールと大差はないような。

 それよりも、予および影は、目下7月末をリミットとする、いまだゴールが見えない表稼業にかかりっきりで、残念ながら、出向くヒマはなさそう。少なくとも、現時点で確約はできませんなり。参加したいとは思うんだけどね。

 というわけで、オフ会にお誘いするなら、「短編」主催者の北村さんが個人的オススメ。居住地域を存じ上げているわけじゃないけど、たぶん横浜には、行って行けないこともないと憶測する。あくまで憶測。
 まあ、居住地域というのは一種のプライバシーですから、これ以上はツッコミませんが、横浜まで出向くことのできる人は、「短編」あるいは「あるテーマ〜」周辺に限定しても、けっこうたくさんいると思う。
 瑕瑾さんなんてどうだ? オフ会なんてしたことなさそうだぞ。「オフ会慣れ」してなさそうな人こそ、招待すると面白いと思う。久遠氏+瑕瑾氏=波乱必至?(シで韻を踏んでみました)だけど、それも風雅よホトトギス。もちろん、オフ会に慣れている人でもいいんだけど。

 横浜まで出向くことのできる「オフ会」希望者は、久遠さん宛てに「本格的に決まったら参加します」と予約メールするとよいとぞ思ふ。参加者がある程度、横浜に集まるとなれば、久遠さんのほうで幹事を務めてくれることは、ほぼ確実でしょう。少なくとも、過去事例から推測すると、そういうことです。
 人生とは、人との邂逅によってのみ、積み上げられてゆくものですぞ。←なんて堅苦しい勧誘だ

 余談ですが、おーぎやさんが結婚なさったのは風の噂で知っていた。けど、影いわく、あくまで3年前(?)に拝顔した印象でいうなら、結婚にはあまり向いていないようなかんじが(以下自粛) ←つまりイイ男ってことですがな ←そんなフォローをするくらいなら書くなよ

 最後に一句。

女っ気 なきぞかなしき とは言えず ←言ってる

●7/15
 給水ポイントの日記エッセイ(?)「歌詞」を拝読。
 「まったくもって、JASRACはアカンよ!」
 と、音楽業界とは無縁であるどころか、CDさえほとんど購入しない予も吠えちゃいます。

 音楽著作権(特に歌詞)の独占企業みたいなもんでしょ、要するに? 社団法人ということだけど。
 サイト内で、事業目的として、

「音楽の著作権者の権利を擁護し、あわせて音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に資すること」
[引用元:http://www.jasrac.or.jp/profile/outline/index.html]

 なんて謳ってますが、ウソクセエと思うのは予だけでしょうか?
 前者はともかく、音楽文化に貢献しているどころか、足を引っ張っている気がする。
 普及につとめているという言い分に関しては、インターネット内から、歌詞を駆逐しようというタワケた活動からみても、本気で言ってるのかなと感じてしまう。
 いや、しょせんはスローガンに過ぎないというか、キレイゴトだとは思うんですけどね。

 というわけで、JASRACをテキに回すべく、歌詞と分かちがたい日記エッセイを書くことにしました。
 昔から、ギャグとして「替え歌の歌詞」はランダム表記されてるトップページですが、替え歌ではJASRACさんも警告を発動しようがないので、歌詞そのものを、ココに記すいうことで。
 商用利用じゃないから全く問題ないとも思うんですが、もし問題なら、削除要請とか警告とか、そんなんでJASRACもしくはジオシティーズ・バイオレーション担当者あたりが教えてくれるしょうから、やっちゃいましょう。

 ――そーれ、歌詞のモロ掲載だ!

♪君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔の生すまで

 ……って、歌詞は歌詞だけど、古歌からの転用じゃん。
 これはまさか、JASRACも著作権はおさえてはいまい。警告できるものならしてみろ。やーいやーい。

 君が代といえば、たぶん自国民の人気が世界一低い国歌でしょう。とはいうものの、国歌は国歌です。

 国歌のくせに、作曲者は日本人ではありません。

 という無駄知識を、トリビアの泉に投稿しました。
 まあ、不採用でしょうな。
 ちなみにタモリが邪魔とは、いかにもごもっとも。←話題がズレてきた

 余談ですが、先週「金の脳」を獲得しやがったトリビア

「コアラの赤ちゃんは、母親のウンチを食べて育つ」

 は、予も投稿しようと思っていただけに、けっこうショック。早い者勝ちだと、公式サイトの投稿フォームにも書いてあります。

 「最高10万円」とか謳ってますが、バネラー全員が満点の「へぇー」を叩き出さないといけないわけで、限りなくウソに近い「本当のこと」ですなあ(過去の放送で、満点を得たトリビアなんてあったのだろうか?)

 その所業、まさにJASRACの「事業目的」に似たり。
 ←ということで、ちゃんとオチてますでしょうか?

●7/12
 過去の日記も含めて、気持ち、読みやすいテキストにしてみた。

 久しぶりに「短編」の話題でも。
 11期の拙作「『チャタロー夫人の恋人』軍団」への感想を拝読するに、作り物めいた感じがするという意見が多かったようです。
 これは、本業の弊害かなという気がしないでもありません。体裁を整えたくなるというか、きちんと終結させたいというか。
 実は、生まれて初めての私小説もどきだったんですが、そういう読まれかたは全くされていないようで、下手な味付けで風味を殺してしまったのかもしれません。大昔に書いた原文があって、それを圧縮したんですが、そもそも、千字に圧縮する手法がよくないのかも。理想は、断片から話を膨らませる、星新一方式だな。そのほうが良作が生まれる気がします。予に限らず、どの作者にも共通して言えることではないかなあ、と。まあ、執筆は極めて個人的な行為で、それを大胆に憶測するのも、エエ度胸してまんな、ですが。
 というような自作解説の類いは好きではないのに、なんか書いちゃいました。まあ、投票結果が出てから書く分には大事無いということは弁えてますが、ヤキが回ったのかもしれない。メエー。←それはヤギ

●6/29(7/4これを綴る)
 6/27〜28にかけて、名古屋に行ってきました。わーいわーい。
 といっても、遊びじゃないのよ。出張なのでした。

 サラリーマンじゃないのに出張なんてあるのかって?
 まあ、サラリーマンで言うところの出張であり、正確にはインタビュー取材です。しかし交通費はクライアント持ちなので、出張といってもマチガイではありますまい。
 まあ、スーツではなく、チノパン(というズボンらしい)&アロハシャツ(ではないけどそれっぽい服)という姿なので、いくら平日に新幹線に乗ってても、傍からはゼッタイに出張には見えないでしょうけどね。

 電話取材でいいぢゃないか、メンドイなあ、とか思わないこともなかったんですが、メンドイことをやるのが仕事なのです。仕事とはそういうもののはずです。モデルハウスへの案内看板を持って道端に佇む仕事はヒマすぎて苦痛であるとか、ヒモ(仕事かどうかはともかく経済活動ではある)でさえどうやって女を騙してやろうと知恵を絞ってるとか、傍から見てラクなんだろうなと思われる仕事でも、それなりに苦労があるものなのです。たぶん。出張くらいナンボのもんぢゃい。もちろん交通費を出してくれるからこそですが。

 名古屋駅にAM10:00に来てくれとのことだったので、朝6時には起きなくてはいけない。ちょいとハードだ。昔、朝の5時に横浜に行けだの、零時まで帰るなだの、時間的にクレイジーな仕事をしていたことがありますが、それに比べればチョロイチョロイ、しかもたったの一回ではないかと自らに言い聞かせました。

 サラリーマンにはないハードさ、とは言えないようです。クライアントとの雑談で出てきた話題ですが、某大手出版社は、噂どおりヒドイらしいですな。クライアントは、たまたま元社員の人と話をしたそうですが、「俺は虫か? 虫は寝るのか?」と呟きたくなるような扱いだったらしく、♪24時間戦えますかー の世界だったそうな。日帰りで「東京−名古屋−岡山」を巡れ、とかムチャを言うそうな。あなおそろしや。そんなの無理なんだけど、上司が眉を釣り上げるからしぶしぶ了解して(サラリーマンの悲哀ですなあ)、無理なんだから後でワビを入れた復命をするんだと。えー、そおなの? てゆーか、はっきり言って、大手だろうとそうでなかろうと、どこも大差ないのではないかと思う。まあ、ココの例は極端というかアホだけど。他所の事例で「明日、日帰りで東京−広島を往復させられるんです」というカメラマンの話も、本人から聞いたことがあるし。

 早朝にちゃんと起きなければいけないとなると、なかなか眠れなくなるのが予の悪い性分で、零時にやっとこと眠りに就いて、朝5時には目覚めちゃいました。まあ、仕事を終えた当月に、バイト君の一ヶ月分の給料相応の額を支払ってくれるという、とっても金払いのよいクライアント(もちろん編集者にこんなウルトラCは無理です)なので、寝坊して信用を失墜させてしまうよりはずっといいんですが。

 このクライアント、物事をカネを基準にして考える人で、つまりビジネスマンですな。雇われのサラリーマンではなく。といっても守銭奴ではなく、いわく「ある程度儲けるまでは『とにかく金儲けだ!』と血眼になっていればいいが、一定のラインを超えたら、それでは破綻する」とのことで、拝金主義者が放つ異臭もまったくない。一部上場企業にも、ポロシャツで出向くそうな。うーむ、予とご同類だ。
 「最低いくら欲しい?」と尋ねてきたので、やや勉強した額を言うと、それに5割増ししてくれました。とっても良いねえ。
 これと反対なのが、某編集者。多くの出版系に見られるような「できるだけ安く書かせてやる」という根性、やれやれです。テメーの目算違いで勝手にページ減らして、それに合わせて書き直せだと? 寝言イッテンヂャネエ。それをやるのがテメーの仕事だろうが、コラ。ギャラはページ計算なので、黙ってたらギャラも減らされるところだったにちがいない。抗議してページ単価を上げさせることで、なんとか一線は死守したけど(それでも総計で千円ダウンだが)。予になんの非がなくても、ギャラが下げられかねないという危険性もあるのです。ココ、試験に出ます。
 もっとヒドイのが、7/2に倒産した某出版事業部。資金繰りにヒーコラ言ってる最中らしい。よくもまあ、アッサリとつぶれてくれたもんだ。やはり出版事業は厳しいんだね。社員の人は災難だね。原稿料を猶予するのはやむをえないが、ちゃんと払うのかねえ? こんなもんでヤキモキしていては、予の精神衛生上よくないので、放置プレイにしておく。「発行されない分の原稿料もちゃんと払うんでしょうね?」ということを慇懃に念押ししたメールは送りつけておいたけど。

 名古屋での仕事は、下手をすると泊りがけになるかもしれないと言われてましたが、なんとか1日で済みました。4時半に終了。ちなみに、昼飯はきしめんをごちそうになりました。心なしか、やはり名古屋のきしめんは美味い。気がする。
 別件で、ある中華料理店に取材に行った時、料理長が言っていたことで「なるほど」と思ったのですが、中華は日本が一番美味い。本場中国のほうが美味いという人がいるが、日本人の口に合わせたもののほうが美味いに決まってる。それでもオイシイと感じるのは、「海外旅行」というオプションで食べるからだ、と。本来はそんなに美味くないはずの、夏祭のやきそばは、露天だから売れるのだ、と。
 その伝で、きしめんが2割増しくらい美味く感じられたのかもしれません。それに加えて、たぶん「美酒とは?」「人からおごってもらった酒」(by妄言辞典)に通じる意味においても、美味かったんだと思います。

 せっかく名古屋に来たのに日帰りするのも味気ないなあ、一泊して、噂に聞く徳川美術館にでも行ってみるか、気力が残っていたら名古屋城にも、と考えました。もっとも、宿泊代は当然自腹だから、あんまり高ければあきらめるつもりでしたし、そもそもビジネスホテルがあるのかもおぼつかなかった。ところがどっこい、名古屋駅周辺って、ビジネスホテルがこれでもかこれでもかと乱立しているんですねえ。フラフラと歩き回った結果、たぶん名古屋一安い宿を見つけました。……2100円! 安っ! 他所より狭い入り口から突入すると、中は薄暗く、異臭がしそうな雰囲気で、安宿のオーラが漂ってます。でもまあ、エレベータがあるだけ上出来といえるでしょう。受付のベルを2回鳴らすと、補聴器をつけたジイサンが出てきました。
「あ、おたくさん、初めて?」
 と尋ねられた。ということは、ここは常連が多いらしい。
「じゃ、説明させてもらうけど、ベッドがあるだけの狭い部屋です。あとは百円を入れるテレビ。風呂もトイレも共同。そんなんでよろしければ泊まれますよ」
 わお。商売っ気がまるでありません。たぶん、このジイサンが生活できるだけのものが稼げれば十分だということなのでしょう。
「構いません」
「んじゃあ、これにサインを」
 領収書を渡されたんですが、どのあたりにサインすれば……と戸惑っていたところへ、後ろから、
「空いてるところにサインすればいいんだよ」
 と声がかかった。いかにもビジネスホテルを利用しそうなオッサンだった。ジイサンとの話し振りからして、常連らしい。そのオッサンが立ち去ったところでその旨をジイサンにきくと、
「ああ、名古屋に来ると、パチンコで遊んでいくんだがね。朝から閉店まで、ずーっとね」
 そう言えば、パチンコの発祥は名古屋だときいたことがある。
「でも昔より、遊ばせてくれないですよ。なかなか出んのよ。ご時世なんでしょうね」
 つまり、昔は「よく出る台が多い」ということで名古屋は勇名を馳せていたということだろうか。
 ついでに徳川美術館への行き方を尋ねると、
「バスだね。ずーっとまっすぐ行って、松坂屋の2階のバス停だがね」
「2階?」
「そう、2階。エスカレーターで上るんだがね。何番のバス停かは、近くの人に聞いてみればわかりますよ」
 名古屋駅を知らない人にとっては、とっても奇妙な説明に聞こえるんぢゃなかろうか。予も正直、ジイサンが少々ボケちゃったのかと思ったほどでしたのはナイショです。あとで、その通りだと知るのだけど。

 キーをもらって部屋に入ると……刑務所って、きっとこんなかんじだな。パイプベッドのペンキの禿げ具合とか。独房のほうがまだ広いかも。女性はたぶん躊躇してしまうにちがいない(予もちょっとだけ考えた)。でもまあ、寝場所があればいいのだ。カプセルホテルより安いのだ。文句は言うまい。ジイサンだって最初に「狭い」と念を押していたじゃないか。「やっぱりイヤだ」と言うお客への対策として、釘を刺しているのかもしれない。
 世の中には、一泊で30万以上もするスイートルームとやらがあるそうだが、アホか(一月30万の家賃でも高いわい)。先のクライアントとの雑談でもそんな話になったのだが「女の子は喜ぶかもしれんけど、バカバカしいね」とのこと。やはり、このクライアントとは気が合いそうだ。
 え? 30万ごときで驚くな? もっと高いスイートルームもある? そんなもん、焼けてなくなってしまえ!

 疲れてはいたんですが、名古屋駅周辺を散策するついでに、バス停の場所を確認すると……ジイサンのいうとおりなんですな。駅の中からエスカレーターで2階に上って外へ出て、バス停に向かうといったかんじです。10台近く停まれるスペースがあって、下の道路へと続くスローブがついていた。有効な空間利用をしてますなあ。って、べつに珍しくもないのかもしれないが。
 夕飯には、駅の飲食店で味噌カツを食いました。味噌が甘い。たぶん赤味噌に砂糖を加えているんでしょうが、激しくB級グルメの味です。全国区になりえない理由がなんとなくわかります。でも(だから?)、今でも食べたくなる味ですな。

 一泊して、徳川美術館へレッツゴー3匹(いや一人だけど)。
 あいにく、昨夜から雨でした。でも100円ショップで傘を買っていたので大事ない。ワンタッチで開くタイプが買えたので、デフレもここに極まれり、なんて思っちゃいましたが。
 バスに揺られて最寄りのバス停に着いたんですが、名古屋市内って、道路の中央がバス停になってるんですね。四国松山の路面電車も、たしか道路の中央が停車場だったと記憶してます。名古屋に路面電車が走ってた頃の名残りだろうか?(って、走ってたかどうかは知りませんが)
 徒歩3分で到着したはいいけど、10時開館とある。9時半に着いちゃったんだよねえ。どこかで朝飯でも食うか。しかし近辺には、軽食アリの喫茶店しかない。しょうがないのでそこへ入った。そういや、名古屋の喫茶店ではモーニングサービスがあるのが当たり前、ときいていたが、果たしてそれはあった。350円で、コーヒーor紅茶orミルク+ホットドッグorトースト、だそうな。地域差を比較できるほど喫茶店を利用しないのだけど、これは名古屋に独特なもののような気もするが、ココに関してのみ言えば、想像以下のものだった。頼んだホットドッグが、楕円形のパンにミニウインナー1本とレタスの切れ端を挟んだものだったのはご愛敬ということで。
 で、入棺もとい入館したが、1200円。他所の美術館より割高じゃない?(よくわからんけど)
 どうやらボランティアらしいジイサンが、簡単に徳川美術館の口上を述べていた。昭和初期、元大名だった華族が、不況の煽りを受けて、バカスカと家財道具を売り飛ばす風潮があった(現代とよう似てますな。今は「バブル華族」がそうだろう)。尾張徳川家はそれを嘆かわしく思い、ウチはそんなことせえへんもんねー、というわけで名古屋市に家宝を寄付したのが、徳川美術館の始まりらしい。尾張徳川? ああ、幕末に、親藩でありながら江戸徳川宗家を裏切ったあの家ね、とかは禁句なので言わなかった。「駿府形見分け」「初音の調度」など、由緒がハッキリしているものが多いのが、その特徴だと説明された。ああ、これぞ宗家を裏切ったおかげだねきっと、とは口が裂けても言ってはイケナイ。尾張は木曽川流域も支配圏にあったので、材木の歳入がスゴかったという。表石高は約63万石だが、実質は加賀百万石と並ぶかそれ以上だと。ほう、あの裏切り大名が。←もうええっちうねん
 んで、茶器とか能面とか硯とか和琴とか幕末時の尾張藩主の書状とかを見たんだが……予って、歴史は好きでも、「骨董品」には、あまり興味がないみたい。疲れてたのもあるかもしれないけど。基礎知識が不足しているからかもしれないが、料理で言うと、生野菜をドンと突き出されただけで、しかも見るだけというかんじかな。「歴史」そのものは面白くもおかしくもないというのは予の従前からの考えで、そこに史論だの作家的解釈だのが加わって、いわば「現代との共通項やつながり」を見出すことができて、はじめて「おいしく食べられる」んだと思う。一応、それらしき付記はあるのだが、「現代とのつながり」についてほとんど述べられていない。
 そんななか、企画展だった「武士のおしゃれ」は、ちょっとだけ面白かった。印篭やら根付(印篭についている、現代でいうとケータイストラップみたいな飾り)やら、目貫(上級武士の刀の束につけられた装飾品)やらは、仕事が細かく、猿やら鳳凰やら梅やらが極小サイズで彫り込まれていた。この技術は、現代日本でもフィギュアという形で生きているんじゃないかと思わされた。
 真紅のビロードのマント。織田信長が上杉謙信に送ったという品が上杉神社にあるらしいことを幼少の砌に雑誌で見たことがあるが、それによく似たものがあった。日本文化というより「南蛮文化」というかんじ。染め上げは東南アジアの虫をすりつぶしたものだそうな。やはり国産ではなかったのか。
 あと、「源氏物語絵巻」の多くが徳川美術館に保存されているが、現物の公開は来年らしい。棒を横に引いただけの目と三角の鼻。総称して「引き目 鉤鼻」が人物を描く時の特徴といい、この無個性さによって、あらゆる表情を読者側に委託させたと解説する。「どうにでも解釈できる玉虫色」は、どうやら日本古来の文化らしい。
 しっかりモトを取ってやろうと、3時間ほどドップリ徳川美術館に入り浸って疲れたので、名古屋城はパス。雨ということもあったし。またぞろ別の店で味噌カツを食い収めて新幹線に乗りました。

 うんちくはそれなりに惹かれるんだけど、現物にはそれほどでも――という予には、美術品を愛でる資格はないようです。巷で話題の「右脳」(もう古いのか?)が、あんまり機能していないようだ。脳に右も左もあるか、そんなもん便宜的に分けただけちゃうんかいという気がしてますが、それはともかく、やな結論が出ちゃいましたねえ(予想はしてたけど)。
 それより何より、読者にスーパー不親切な長文になっちゃいました。しーらないっと。

●6/26
 気がつけば、もう「短編」11期が始まったのだね。はやっ。とりあえず、トト短編[ http://cgi30.plala.or.jp/jaromir/toto/index.html ]で10期の優勝を当てた唯一の目利き君は、予だけであったことよ(「トト短編」という客観的証明がある)、ふははのはーだ、という自慢だけは、取り急ぎしておこうっと。しかも、予は『手術』優勝の予想は的中したものの、この作品に投票はしていません。トト短編参加者のひとりである透明さんは逆に、短編本選で投票はしたもののトトの予想は外したとのことで、好対照ですなあ。自分が投票することによって作品を優勝させるのと、自分が投票しなかった作品をトト短編の予想で的中させるのとでは、どちらが喜びが大きいのでしょうか? どちらもそれぞれに喜びがある、ということでいいんじゃないでしょうか。うーむ、見事なまとめだ。←自画自賛

 ここのところ、表稼業に追われて脳みそフワフワな状態で「妄言王の執務」(巡回とか)をやることが多いんですが、そんなフワフワ脳で11期の作品を読むと、面白い作品とそうでない作品の差が激しく感じられてしまいました。ここのところ、ヒソカにスランプかなと思っていたあの作者の作品、今期は面白いじゃないか。阿刀田さんや下読みが耄碌してなけりゃ入選するかもね(←言いすぎ?)。
 もう、投票する3作を決めてしまいそうです。はやっ。……いやいや、予の現状がフワフワ脳であることを知っているので、締切近くまで保留し、後日また再考しますけどね。

 それにしても「優勝にさほど意味は無く、優勝したいという気概にこそ意味がある」という説は至言ですな。2ちゃんねる風味に言うなら、いわゆるひとつの禿胴です(注:激しく同意、の略)。もちろん、それは作者の事情に過ぎないのであって、読者や北村さんとは一切かかわりの無い話ではあるけれども。

●6/17
 4/27の日記で書いた、「文章でも写真でも絵でも、本になる素材ならなんでも受け付けちゃうよ」な某賞の結果が郵送されてきました。

 ボーツボツボツボボツ没!
 拙作は最終審査まで上り詰めたらしいが、結局、最低ラインの賞金3万円にすら届かなかった。ちぇっ。
 念のため、再び書いておきますが、予が送ったのは小説ではありません。

 受賞作の選評も同封されていたので、ナナメ読みする。
 大賞の百万円を射止めたのは……夏をヌーディストとして過ごしている女性。山や海での全裸を晒した写真付きの作品のようだ。
 勝てるわけがない。
 自分の全裸写真を賞に応募する勇気というか狂気というか、名義は本名ではなさそうだが、それにしたって猛者だ。予が逆立ちしたって太刀打ちできない。選評を読む限り、「プロポーションのいい」「美しいヌード」が「ふんだんに」に散りばめられているそうで、つまり「美人素人ヌード写真集」というわけで、そこそこ売れる本になる気がする。大賞にして正解なんじゃないでしょうか。夏をすっぽんぽんで過ごすのは美容に良くて楽しいとの主張だそうで、ヌード+トンデモ本(?)という趣向は面白いのかもしれない。「美容」で、ひょっとしたら女性の食いつきも良いのかもしれないし。
 とにかく、この作品に対しては勝負になりません。負け負け。

 他の受賞作についても選評が載ってるが、ちょっと「おっ?」と思ったのが、10歳の女の子が30万円をゲットしていること。ははあ、どうやら作品単体ではなく、作者のキャラクターも含めて審査しているらしいという推測が成り立った。
 あと、入選するには「審査員を驚かせること」だそうで、これは通常の文学賞にも敷衍できるかもしれない。できないかもしれない。知らない。

 「共同出版」(出版社と著者が折半で出版費用を負担)勧誘の文書も同封されていた。むしろこれが一番、応募者に読ませたいものなんだろうな。5000作以上の応募があったというから、仮に10%のレスポンスでも500人のカモもとい候補、そのうち10%を成約にこぎつけたとしても50冊。「本を出したい人」に宛ててるわけで、このパーセンテージはかなり低くみつもってるが、それでも50冊分、出版社は通常の半分のコストで出版できるわけだ。わお、なんて効率的なダイレクトメールなんだ。
 「妄言王様の作品に可能性を感じた」「経験豊富な編集者やデザイナーによって製本して商品価値を高める」などと書かれていて、末尾は「ご希望の方はアンケートにお答えください」とある。返信用の封書もある。
 上手い。ビジネスとして非常に上手い。気分を高揚させてしっかりとレスポンスを取る。「応募者全員に送っているんだろうな」という想像力がなかったら、つい応じてしまうかもしれない。この出版社、ふつうの大手出版社と違って(?)「お客」(読者ではなく作者)の心を動かす術を知っている。出版社の利潤が正義だという哲学が確立していると見た。ひょっとしたら、ビジネスマンによる出版事業なのかもしれない。この出版社、伸びそうな感じがする。だって、その出版物の多くを「作者に金を出させて」作ってるみたいだから。出版不況の時代、出版社にとっては、実は最もいい形態なのかもしれない。
 そんな「勢いのある出版社」であっても、いや、だからこそ余計に、予はあくまで「原稿には対価を貰う」にこだわる。一万歩譲っても「タダで出版する」だ。共同出版でも30万ほどかかるはずで、原稿を書いたのに、さらに金を払わなければならないなんて不条理だよ。原稿を野菜に置き換えてみようか。野菜を作ってスーパーマーケットに置いてもらう、包装もしてもらうから金を払いますなんてバカげてる。まあ、自費出版や共同出版でそこそこ流通させて、太陽が西から昇ったってヒットしないとは言い切れないけど、それは宝くじを買えば当たるかもしれないのと同じ。しかも「一口」がベラボウに高い。
 本一冊分の原稿を、出版社が「買い取り」(印税なし)扱いにするとしたら、30万円前後〜 だろう。片や30万を払い、片や30万をもらう。こんな両極端がまかり通るなんて、ヘンなの。
 数字の信憑性とかも含めて書いたほうがいいのかもしれないけど、同じ「原稿を書く」という行為として「金を取られる」と「金をもらう」という正反対の結果が世の中にはある、ということが言いたいのだわさ。

●6/14
 今日のテーマは「売文」です。

 予は1年ほど前、某フリーペーパーに原稿を書いていた時期があります。ちょっと注釈を加えると、タダでゲットできる小冊子(実は広告)のこと。CMなどで最も知名度があるのは、たぶんリクルート社の「ホットペッパー」{ http://www.recruit.co.jp/corporate/service/hot_pepper.html ]だと思うけど、予の関わっていたのは、もう少し情報誌に近い体裁のものでした。取材にも繰り出しましたとも。
 消費者はホットペッパーを選択した。
 要するに、予のタッチしていた某フリーペーパーは廃刊。出版母体そのものが、億単位の負債を抱えて倒産したのだ。たぶんホットペッパーに負けたんだろうなというのは、予の勝手な憶測です。
 余談ながら、予への原稿料は不払いのままです。経費だけは返してもらったけど。半額近くに減額したのに。まあ、月1で「経過報告」のメールを寄越すだけ、まだマシというものか。「訴えてやる!」と言いたいところだが、裁判に大岡裁きを期待するのは間違ってる。所詮、消耗してしまうだけのことだ。時間と体力気力の無駄(もしやるなら、相手を社会的に抹殺する相打ち覚悟でかからないとね)。借金を抱えたわけではないからいいか、とポジティブに考えるようにしてます。まだ一縷の望みはあるけどね。

 フリーペーパーが無料で立ち行く理由は、もちろん、広告費を掲載店から得ているからだ。この手法に疑いを持っている人は少ない。「しかし」と予は言うのである。読者に百円で売ればいいのだ。非出版社系の版元はカタログと同等に考えているから何の疑問も持たないんだろうけど、百円すら出すのを惜しまれる冊子なら、ゴミに等しい代物だと思う。実際、某フリーペーパーは駅前でアルバイトを使って配布していたが、数冊が道端に打ち捨てられていた。客は、追えば逃げるのだ。百円くらい出してもらえる(客のほうで追ってもらう)冊子でなくてどうする。百円という対価を払うことによって、客はより真剣に中身を見るはずだ。コミケを見習え。予には近づきがたい亜空間ではあるものの、フリーペーパーや多くの文学雑誌より、経済的に自立している。なぜか? 客のニーズに応えているからだ。客(読者もしくはクライアント)のニーズが絶対無二の正義だとまでは言わないが、最も強力なバックアップであるとは言える。

 ネット小説に話を移そう。
 実は、百円くらいなら出しても惜しくない作品というのは、ネット上に存在する。『短編』にも個人的に、数十円くらいなら出してもいいという作品もある。しかし、フリーソフトが当たり前になっているネット上では、物体でないものに金を払うのは「異端」だ(日本では、なのかもしれないが)。また、ネット上の支払システムに関しては、セキュリティ面を中心に不安が大きい。百円未満を出し惜しむのではなく、セキュリティや手続きの面倒さがネックになっているのだろうと思う。だから売れない。
 ただ、本の体裁からイラストからデザインから紙質から、つまり「物体」としてのこだわりを全面的に出せば、それをフリーマーケットのように「触れられる」ものにすれば、あるいは売れる確率があがるのかもしれない。そこまでくると、予にはタッチできない世界だが。

 それどころか、条件によっては千円以上出してもいいというネット作品もある。ただし、著作権を買うという意味において(まあ、買えるとは思ってませんけどね)。
 ブロードウェイでは、興行前に出資者を募り、客の動員数に応じて、株のように配当を還元(あるいは減額)するシステムがあるという(これが事実であるかどうかではなく、そういうシステムを引き合いに出したということが重要)。劇の場合は会社と同様、小道具やらナニやらで金がかかるから、これはとってもいいシステムだと思う。
 売文で言えば、著作権を買った作品を、たとえば地方自治体など非出版社系の文学賞などに出して、当たれば「賞金」という「配当金」がもらえるという仕組み(出版社系は、例外もあるが「作品」ではなく「新人」を探しての文学賞だから、著作権を得たりといえども、自作以外のものを応募してはいい迷惑だ)。制度として確立しなくても、個人間のやり取りでもできそうだな。
 ただ、人間関係のモツレの過半数は金銭トラブルなので、非常にデリケートな問題であるとは思う。契約書を書くべく、顔を合わせるべきだろうし、ハンドルネームで通すのもどうかということになりそうだ。そんな煩わしさを思えば「売文」など考えないほうが幸せなのだというネット作家もいよう。そしてそれは往々にして正しい。
 メールなどで「自費出版」などを勧められたら断固として断りなさいと、予は声を大にして言いたい。要するに出版社が「ウチでリスクを負うのはイヤだから、テメエで負え」と、あちこちに言って回っているのであって、無礼なことをほざくなとキレてもいいくらいのものだ(と個人的には思う)。出版社がリスクを覚悟しつつ本の目利きをしないなんて職務怠慢もいいところで、中小企業への目利きを全くしないでバカスカ貸し付けていたバブル期から一転して貸し渋りや貸しはがしに躍起になるアホンダラ銀行と同列だ。
 「共同出版」も、リスクを出版社と著者で半分にするという妥協案で、それでも30万は取られるはずだ。しかも、ほとんど流通しない。まったく売れなくてもいいんだ、百万くらい惜しくないわいというブルジョワのみ、自費出版や共同出版を可とすべし。
 だが、いまはDTPソフトやその技術者に頼んだほうがよっぽど安上がりだ。売れなくていい=流通なんかどうでもいい なんだから。

 金が介すると文章が濁るというのは、「自己実現」のために書くなら、真実だと思う。自己実現を果たすための文学(小説がすべてそれだなんてもちろん思っていないけど)と、自己のある部分(たとえば時間とか労働力とか職場のストレスとか)を犠牲にして対価を得る経済というのは、いわば対極にあるものだろうから、アメリカでいう「エージェント」(作者に優位な契約を、作者の代理で出版社と締結する仕事)の存在が日本にも欲しいところ。
 ボイルドエッグ{ http://www.boiledeggs.com/ ]という日本版エージェントのサイトもあるが、一律3万円の手数料をとる。対価を求めるのは当たり前だろうが、一律というのは、いかがなものか。石でもゴミでもとりあえず受け付けて、結果がどうあれ金はガッチリもらうなんてのは。
 でも、3万円もかかるとなれば、自作に自信がないと出せないわけで、結果的に効率的なフルイになってるのかもしれない。そういう意味ではナイスな料金設定なのかも。ただ、郵送料くらいしか払いたくないという「普通人」には、まだなじめない制度だと思うが、一度くらいはトライしてもいいのかも。プラッシュアップするノウハウを駆使するというのだから、それを目の当たりにするのも悪くはなかろう。授業料と思えば安いのかもしれない。
 でも、出版社と制約できた著作に、同一作者が目立つのが気になるなあ。邪推は書かないけど、ひっかかることはひっかかる。どっちにしろ簡単な道ではなさそうだという話。

 星新一によると、かつて日本には、企業が発行するPR誌からの原稿依頼というものがあったそうで、しかも外国には例がないという(これは古い情報で、今は事情が変わっているかもしれないけど)。フリーペーパーに近いが、小説を載せるという点が大きく異なる。
 住宅関連のPR誌なら「未来の家」というお題で書いたりしたという。もっとも、星氏は「イラストでオチを割らないように」と注意書きを添えたにもかかわらず、版元は、すべての作家のオチを割るという劣悪なことをしたそうな。アホだ。小説と記事を同じだと考える頭の悪さには感心してしまう。接着剤というテーマで書いたこともあったそうで、小松左京や筒井康隆など、その時期のSF作家には、同じ理由から接着剤をネタにした短編があるそうな(タイトルには言及していなかったけど)。
 もっとも、殺人は困る家庭不和は困る、お題のネガティブな使われ方は困るという制約に耐えかねて、星氏はかなりの高額をふっかけたそうだ(星氏が原稿料について異議を唱えたのは、これが最初で最後だそうな)。
 企業の冗費節約のため、PR誌は姿を消したというが、不況の今でも(いや、不況だからか)たとえばフリーペーパーなんか元気で、いい媒体だと思うけどなあ。でも、そういう広告と共存したエンターテインメントの役割は、いまはマンガが果たしてるか。商品紹介の4コママンガとか、そういや時々目にする。
 「千字」とか「五百字」あるいはもっと短い「お題付き超短編」なら、同様に切り込める気はするけどなあ。この駄文をお読みの皆さんのなかで、身近な会社やら組織やらで、そんなPR誌に心当たりのある人いませんか? 会社と作者の間に立って、仲介料をゲットできるという特典付きなんだけどなあ。採用する作品にだけ原稿料を払えばいいのであって、会社側もさほど経済的な苦にはならないと思うのだけど。『短編』掲示板あたりで「賞金」をつけて宣伝すれば、テーマに即した作品はすぐ集まるべ。アイデアは悪くないと思うのだが、いかが?
 などと丸投げにしないで、どっか適当な「版元」がないか、予ももう一度考えてみよう。諸賢も、身辺を見回しちゃってちょうだい。言いたいことはつまり、小説の「原稿料」や「代金」を支払うのは、必ずしも出版社関係とは限らないし、読者にも限らないということなのです。


 例によって例のごとく、校正も構成も公正さも考えない駄文ですが、しかもワライ指数低めというオマケつきですが、ピックリマンチョコのオマケシールだけが目的でチョコは捨てていた諸君、悔い改めよ。←キレの悪いオチだこと

●6/9
 言ってるそばからです。枕にいいのは、そばがらです。
 何の話かというと、6/6の日記の「2」が現実化しちゃいました。つまりPC昇天です。ちょいとバグが見つかって、あれよあれよという間にお亡くなりになりました。一説には、予が下手に「治療」を試みなければ、使いにくいなりに死なずに済んだという説がありますが、まあ、いいんです。死んでもいいやと思いながらいじってたんですから。
 蘇生させるべくOSを再インストールするわけですが、重要データを余所のHDDに置いておく技を覚えてからは、パニックにもならず(舌打ちくらいはしますが)淡々とWin95を注入です。あはは、いまどきwin95だってさ。骨董的価値が高いなあ。でもでも、Winの最新であるXPだからって、いい気になっちゃイケナイよ。XPだとヤフーの将棋ができないんだぞ。「進歩」すると利用できないコンテンツが出てくる。どうだ、これがマイクロソフトのスゴイところだ。アホだ。(ということを、眷族が買ったばかりのPCを操作していときに知った)
 で、再インストールすると、ブラウザがIE3。細かい理由はよくわかりませんが、起動しやがりません。しょうがないので、たまたま手元にあったIE4.0のCDをインストール。セットでついているメールソフトがOutlookExpress。なのに、昇天する前のOEとビミョーに操作性が違う。というか「メンテナンス」というメールデータの保存先を決定するコマンドがない。要するに、致命的に性質が異なっていることに不快指数上昇。ちょっと考えてわかりましたが、PC昇天直前まで使っていたのはIE5.5で、OEが5.5。いまインストールしたのがIEもOEも4だ。それなら最後の手段だとばかりに、マイコンピュータに直接アクセスして、OE5.5のメールデータをOE4のメールデータ保存先にぶち込みました。……が、まったく反映されない。よくよく見てみると、メールデータの種類が別物だ。てんめーボケ、同じOEがバージョンアップするとメールデータの種類が変わるだと? ふざけんなMS!
 次はネットへのアクセス回路の確保です。これが最重要課題。予はLAN接続なんですが、LANカードが後づけなのだ。何度も取り外したりくっつけたりを繰り返して、ようやくPCのご機嫌を取り結ぶことに成功。なんかLANカードの説明書どおりの画面にならなかったですが、結局接続できているのでオールOKです。考えてみると、NTTのフレッツISDNだった頃や、その前のダイアルアップ接続のころと違って、PC内の設定をいちいちしなくて済んだのがラクだったような気がする。ダイアルアップの例で言うと、プロバイダの電話番号なんかいちいち覚えてないから復帰が一苦労だけど、LANなら基本的につなぐだけだもんねえ。
 ネットにアクセスできたのを機に、IE5.5とOE5.5を取り込むべくMSのサイトへ。……ねえさん、殺意というものは、ある日突然やってくるんですね。MSのスーパー糞ボケ野郎は、IE5.5(+OE5.5)の配布を停止してやがりました。最新のIE6はwin95には未対応なのでイミナシです。「死ね」と軽くつぶやいたことはヒミツです。このままだとメールデータ(.dbxファイル)が、ただのゴミになっちゃいます。予はIEを捨てざるを得ませんでした。そういや以前からセキュリティとかの評判、悪かったもんな。これを機に捨てるのも一興だ。
 で、最初は.dbxファイルに対応するメーラーを探してたんですが、どうも探しきれない。試用しまくって馬が合ったやつにしようと決めました。決めましたが……ほとんどがwin95未対応。とほほ、どうすんべえと思ってるところへ、『あるテーマ〜』のCGI設置人でもある、えむいとうさんが以前、日記で「Becky!」というメーラーを推奨していたことを思い出し、検索してサイトにアクセス[ http://www.rimarts.co.jp/becky-j.htm ]、PCに入れてみました。きちんと作動してくれました。うれすぃーな。使い心地もよさげです。でも問題は、.dbxファイルです。予は検索しまくって解決策を探しましたとも。そうしたら、.dbxファイルを、一般的なメールデータ(.mel)に変換するというないスなソフトを提供しているサイトを発見。が、閉鎖されていた。しかし案山子、サイトページの「過去」を振り返ることができる、googleより強力な検索エンジン(url記入式)があることを思い出す。が、その情報を最初にいただいたメールは、ただいま開けなくて困ってる最中。検索エンジンの名も忘れて手詰まりのように見えたが、そういや『短編』で北村さんが、掲示板上で『勝ち抜き小説合戦』という過去のサイトをそのサイトで復元していることを思い出し、アクセスして、掲示板検索を使って見つけ出して[ http://www.archive.org/ ]、そのサイトに閉鎖されているサイトのURLを打ち込み、「過去」から当該ソフトをダウンロードし、それによって.dbx→.melへの変換がつつがなく完了。かくしてBecky!にすべてのメールデータを反映させることができました。わーいわーい。永かった。さらばOE。もう使ってやらん。
 ついでにIE4も捨てたいんですが、対抗馬である寝助も、最新の7.02のみで、これはWin95未対応。archiveで拾えないかと試したんですが、どうもうまくいかない。たぶんサイトのほうで防衛策でも施してあるんでしょう。くったでらねえことに地からいれやがってドアホ。雑誌の付録とかでIE5.5などがついている例もあるみたいだから、今後はそれを図書館などで探すという迂遠な方法をとらざるをえません。とほほ。と思ったんですが、IEでもないネスケでもない第3のブラウザを探すことにしました。で、見つけて気に入ったのがモジラさん[ http://jt.mozilla.gr.jp/start/1.0/ ]。この名前、記憶の片隅にあるようなないような。セットアップをしなくても使える点が気に入りました。ひとつだけ、この日記を書くときにソースから直接書き込むことができず、FTPソフトでいったんテキスト変換、んでもってHTMLに戻すという、ちょいと手間が増えましたが、それでも気に入りました。だってIE4だと『短編』や『あるテーマ〜』の背景が見えないほか、IE5より劣る点が明らかで、使いにくかったんです。セキュリティの悪評も聞き及んでるし。さらばIE。もう二度と使ってやらん。と思ったんだけど、アンインイトールすると、デスクトップの操作性がやや不弁に。ちっ、IEの毒牙はデスクトップにも及んでいたか。しょうがないので、ネットアクセスには使わないという条件付きで出戻りを許しました(再インストールした)。
 しぶしぶ置いてやるIEとちがって、モジラさんはスゴイね。しばらく使ってわかったんだけど、ホップアップウインドウをブロックしてくれる。開いてもいいかと、逐一きいてくれるわけだ。非常にありがたい。ホップアップウインドウこそ諸悪の根元、くらいに思っていたのでずいぶん快適になった。
 無事にネット接続ができ、メーラーもスムーズに使え、ブラウザの「お気に入り」も委譲できたし、さらにFTPも設定し終えたので、PC頓死前と大差ありません。いやむしろ、MS離れが進んだ結果以前より快適になってる気がします(ポジティブは地球を救う)。あと、チョコチョコと必要ソフトをインストールしています。

 ……PC初心者には頭痛が走るであろう日記になっちゃいました。書いてる予も偏頭痛がしてきましたので、ここらへんでおきます。MSへの悪評の理由が体感できた気がする数日でした。

●6/6
 ふいーっ、やっと一息つけた。
 仕事の締切のオンパレードだったので、日記etcがちょいと休眠してました。予の日記やら掲示板のレスやらが停滞しているときは、次の内のどれかが原因だと思われます。

1.仕事の締切間近で他の文章を書く余裕などない
2.長期ネット離れ。取材や帰省やPC昇天など
3.電話が止められた

 はい、3段オチなんですが、我ながら弱いと反省します。めんご。
 まあ、3.なんかは、今ではコンビニでの支払いによって即つながるので、あまり問題でもないです。


 5/20の日記に書いた歴史・時代小説をネタにしたムック本のライティングにケリをつけたのです。幕末全般の流れを、有名事件とそれにからむ小説を織り交ぜてまとめるライティングなどです。改めて、歴史ってスゴイなあと思う。有名な歴史的事件が全部つながってるんだな、と。いや、前々から知っていたことであり、歴史に「つながり」を見出さなければ、それは戯言にも等しいと思ってはいたものの、「まなびてときにこれをならう。またたのしからずや」ですな。
 この仕事の編集者は、なんか口ごもるというか人見知りするというか、そんなかんじだったので、予はあえて「腹を割って話す」というコマンドを打ち合わせのときに実行したんです。えー、結論から言えば、しなけりゃヨカッタかもと思ったなり。雑談チックに彼に、
「歴史に興味があるんですか?」
 と質問してみたら、
「いや全然。歴史なんか知らなくても死にはしないし」
 と笑顔で答えちゃってるよ。ある意味スゴイね。どうやら、歴史物の企画が通りやすいことに気がついて、集中的に提出しているということらしい。まあ、好きでない分野でも「上からOKがもらえる企画」だから出すというあたりがプロだなと思ったし、そう褒めたんだけど、一方で予は「歴史が大好きだからこの仕事をやります」と先に言ってるわけなのさ。ちょいと複雑な気分。
 おまけに、
「ライティングなんか、いかにパクリがバレないように書くかですよ」
 とのたまわった。資料を参考にする、ということの極論だ。
 なんていうか、その真っ正直さは、予の「腹を割って話そうコマンド」が利いたからなんだろうけど、そこまで言うのは極論すぎるというか実も蓋もないというか。たぶん本が好きで編集者になったであろうに、そんな若さで(たぶん30前だと思う)そんな冷めたこと言わないでほしい、と思った。
 サラリーマンのなかでも、サラリーマン編集者は特にストレスが溜まる仕事だと思う。ライターやカメラマンやデザイナーなど、自分の能力以外の部分で、製本していかなければならない面があるからだ。ライターがカス原稿を送ってきたら、そして「書き直せ」と突き返す暇がないくらい締切が迫っていたら、半べそをかきながら自分で書き直さなければならない。ライターが仕事を途中で放り出して遁走することもあるそうな。え? 予? 予は逃げませんよ。そんなアンポンタンじゃありません。むしろ締切を忘れてしまうことのほうが心配です(←コラ)。原稿の質? たぶん大丈夫でしょう。一応、得意分野だし。もっとも、「文章を足すのは苦手ですが、削るのは得意です」と彼が言ってたので、ラフで提示したワード数より、やや多めにして送ったけど。まあ、削られるんでしょうね。

 このような、編集者による「削り・修正」を甘受するのがライターであり(たまに編集者につっかかって切り捨てられるライターもいるらしいけど)、その点において小説家とは一線を画します。と言いたいところだけど、新人賞の受賞作も、編集者の指導を受けて部分的に書き直したりするというから、似たり寄ったりなのかも。もっとも、ライターの場合は「文字数」が最大の枷であり、文章だけで見れば、編集者が施す修正は「改悪」であることのほうが多い。だから、文字数に関係のない「改悪」にぶち当たると、自分でも驚くくらい不愉快になる。そういうのに限って署名原稿だからねえ。まあ、ライターも一度はゲラチェックができるのがふつうですが、頭の悪い(?)編集者は、その後かってに改悪することがあります。
 まったく別の仕事ですが、予の書いた原稿の「水晶の一種」という語を「水晶の1種」と出版直前(念校)で改悪されたことがありました。機械的に漢数字を算用数字に置き換えたのだろうなあ。この編集者(あるいは校正者)はバカではなかろうかと本気で疑った。出版したあとだったので修正要求もできない。それとはまった関係ないけど、その版元は倒産しました。

 編集者の苦悶は、中間管理職の苦悶に似てるのかも。しかも、建前上はライターたちの「上司」ではないので、頭ごなしに怒鳴ることも、基本的にはできない。まあ、編集者の多くが、ライターなんて使い捨てでいくらでも代替がきくと思っているというのが「裏の常識」のようだけど。予が、
「他にどんなライターさんが関わってるんですか?」
 と尋ねると彼は、
「歴史が好きという奴に片っ端から連絡して――」
 と口を滑らせた。これは流石に予に対して失礼だと気がついたのか、最後は言いよどんでたけど。

 本作り。おんなじような仕事のくり返しで、夢も希望も抹殺されたんだろうな。彼は、予の数倍は忙殺されているのだろうと推察できる。しかも、給料はそんなに高くないと思う。その根底には「やってもやっても仕事が終わらない(次々と仕事が入ってくるから)」という徒労感がありはしないか。予の場合、締切まで時間があれば「今日は気が乗らない」と、とっとと寝てしまうことがしょっちゅうあるが(その代わり、集中すると何時間でもPCに向かう。でなきゃとっくに失業だわさ)、編集者にはそれも許されない。土日が休めるのがサラリーマンというが、仕事の内容や締切によってはそれも返上しなければなるまい。フリーランスは平日でも遊びに行けるぞ。うらやましいだろ。その代わり、土日や休日なんか関係ないけど。
 知人のフリーカメラマンがうまいことを言っていた。
「(サラリーマン)編集者には残業という概念がない。フリーには休日という概念がない」
 サラリーマンの最大の苦痛は「自分の意志で仕事上の決断ができない」ことではないかと思う。対して、経営者やフリーランスの最大の苦痛は「先の不安」だろう。どっちがよりキツイかと言えば、予はサラリーマンのほうがキツイと思う。もちろんサラリーマンでも、それなりに責任あるポストを与えられれば、権限を大きくなって仕事が楽しくなるだろうとは思うけど。古臭い言葉だが、恵子となるも優子となるなかれだ。もとい、鶏口となるも牛後となるなかれだ(わかりにくいときは、声に出して読んでみよう)。

 なんかいろいろと、構成も校正も公正さも考えずに書きましたが、「彼」は基本的にいいひとだと思いますよ。少なくとも、自らお茶を出してくれたし。

「いい編集者の条件とは?」
「予に仕事をくれること」

 小話っぽくなったけど、これが偽らざるところでしょうな。


 あと、某IT関連の導入事例のライティングをやってました。
 うおっ、あのスーパーITオンチの予がその導入事例に手を染めてるだなんて! と驚きの諸賢もいらっしゃるでしょうが、予が一番驚いた(1年前では考えもしなかったことだ)。まあ、クライアントから送られる資料が十分あるので、書くぶんには不自由しません。コアなIT知識よりも、文章のてにをはのほうが大事な仕事のようですな。しかし、2500w程度の原稿を書くのに、3回に分けて50枚近くのファックス資料を寄越されたのには、ちょいと閉口しちゃいました。イヤガラセだあ、ストーカーだあ、1・2・3・ダー! とイノキイズムに思いを馳せました。まあ、先方も少々恐縮していたようですが。

●6/1
 あるテーマにまつわる短編集について。

 写真判定の結果、第1回のテーマは「ブヨブヨとした」に確定しました。2着と12票差というブッチギリでした。どうも作者より読者の意向が強い結果だったように思います。知らんけど。みんなブヨブヨ・フェチなのね(?)――掲示板より一部抜粋
 読者の意向がテーマ決定に反映される。この点が、他の競作投稿サイトと異なる点のひとつだと思いますね(前にも書いたな)。よそは大体、運営者か作者同士でテーマを設定する(と思う)。しかも、第1回のテーマ確定を受けて、オーソドックスなテーマだけでなく、愉快痛快なヘンテコリン・テーマも出てくる予感。テーマ選定CGIがある種のごった煮状態になるのは、よい傾向だと思います。

 えー、作品投稿は、新作・旧作を問いません。日本語であれば問題ナッシング。今月末までにバカスカ送ってみてください(1テーマ1人1作だけど)。運がよければ、作品に感想が付されるかもしれません。予も、時間が許す限り、感想を書くと思います。時間が許せばという言い方になってしまうのは、表稼業の忙しさが、一ヶ月前では全く読めないからです。そんなかんじです。
 テーマ選定CGIにも、たくさんのご投票ありがとうございました。引き続き、第2回のテーマ投票を受け付けてますんで、よろしう、おたのもうします(てゆーか随時募集なんだけど)。

 作品はいくつ集まるかなあ。ひいふうみいよお――いまのところ、最低4作は集まるのではないかと、獲らぬ狸の徳川家康ですが、こればっかりは運営者の力ではどうにもなりません。てゆーか、運営者ではどうにもならないことだらけなのが投稿サイトだと思いますが。第2回以降は、そんな皮算用さえできなくなると思います。てゆーか、それがそもそも投稿サイトの性質でしょう。
 「短編」はノンジャンルゆえに、知名度が上がるごとに作品数が増える傾向にあると思いますが、「あるテーマ〜」は、テーマごとに投稿作の数がバラつくと予想します。

 久遠さんの5/30の日記を拝読。「あるテーマ〜」について客観的に、対立点を明確にして書いてくれるので大変ありがたい。読み慣れない人は攻撃かと思うかも、わはは。以下、一部回答を含む。
 まあ、確かにいまは「様子見」の状態なんですが、予の頭にある青写真では「投稿した」で終わりじゃないんです。まあ、その構想については、ある程度作品が集まらないと、そして予が密かに期待している、有志による自然発生的な感想の具合も見てみないと確かなことは言えないので、いまはナイショ(実は日記以外でチラッとしゃべったけど)。ひょっとしたら永久にナイショのままかも(トホホ)。
 現段階で言えることは、「短編」との差別化を図りつつ、それによって「短編」と共存したいと考えているということです。「短編」と投稿作の数を競うとか、そんなことはまったく頭にありません。先に述べた通り「あるテーマ〜」は、認知度と作品数が必ずしも比例しない(テーマに左右される)という宿命にあるので、そんなところで競う意味もないわけです。極論を言えば、作者さんは「短編」と「あるテーマ〜」のどちらかに投稿してくれればそれでいいや、と考えています(もちろん、両方に投稿してくだされば万歳三唱ですが)。北村さんやいとうさんは迷惑かもしれませんが、姉妹サイトとしたいくらいです(モーゲン認定)。姉と妹では、顔は少し似てるけど性格が全く違う、ということがあるでしょう。――あ、ギャグだとか思ってますね? まだ作品が集まっていないうちから申し込むのは失礼に当たると思うから黙ってるんですが、ある程度軌道に乗ったら、マヂで姉妹提携を北村さんにお願いする予定です。まあ、相互リンクのちょっとカッコイイ版です。北村さんの返事によっては、通常の相互リンクになるでしょうけど。いずれにせよ、もう少し先の話。「短編」のお客さん(いつのまにかお客扱いだよ)には概ね「あるテーマ〜」の存在だけは知ってもらってると思ってるので、いますぐに相互リンクしても効果は薄いという読みがあったりもします。「短編」→「あるテーマ〜」だけでなく、「あるテーマ〜」→「短編」のお客の流れも、将来的にはつくりたい。それでこそ、真の意味での「姉妹サイト(モーゲン認定)」です。
 「短編」に投稿しようと思ったんだけど、1000字じゃ収まりきらない。そういう作品を自分のサイト以外に出してみたいと思えば「あるテーマ〜」のCGI投票で得票して、出す。久遠さんのいう、テーマをクリアした1000字を「短編」に出してコンテストを楽しむ、というのもアリでしょう。どっちに出しても予は(そして多くの読者は)読むんですから、それはそれでいいんじゃないでしょうか(ますます姉妹提携が必要だなあ)。あと、ぢつは北村さんが投稿してくれることをひそかに期待してます。ひそかにといいつつ、堂々と書いてしまいました。確信犯でタイホする。
 よその競作サイトのことは、不勉強にしてあまり知らないのですが(巡回している暇もなかなか取れない)、CGI投票と「短編」経由の質の高い作者&読者には、なかなか拮抗し得ないのではないかと考えています。この駄文をお読みのかたで、もし競作投稿サイトを御存知の方がいらっしゃったら(競作でなくてもかまいませんが)、掲示板でもメールでもけっこうですんでお知らせください。予の考えていることはひとつ。そこの掲示板へ宣伝しにいって「あるテーマ〜」の知名度をあげてきます。お客さんに、選択肢のひとつとして「あるテーマ〜」を提示してみるわけです。そっぽを向かれたら、サイト自体も宣伝の仕方もまだまだだということでしょうし、有無を言わさず石を投げられたら「村社会サイトだったか」とあきらめて遁走してきます。そんなかんじです。

●5/30
 書いてもハナシがふくらむんかいなと懐疑的だったんで躊躇していたんですが、書いてみますか(行き当たりぱったりで日記を書いているという王室機密をバラしてしまいました)。
 焼肉の食べ放題に繰り出したときのことなんですけどね、なんか肉が悪質の油だらけで、てゆーかたぶん飽きたんだね(3回も通ってて今ごろ悪口言うなよ)。もう二度といかないと思う。このギトギトした油、ぢつはサラダオイルを塗ってるだけだったりして。まあ、そんなことはどうでもいいんですが。
 予の席の背後には、髪を脱色した典型的なコギャル風味(語源が「高校生ギャル」らしいから、その意味でいうともう少し上に見えたが)の女2人が隣同士に座り、机を挟んで同年代の男が座っていた。この組み合わせからして、予にとっては奇妙キテレツ大百科なんですが、まあ、それはいい。女2人がペラペラとよくしゃべる。片方は関西人で、もう片方は関東者らしい。特に関西系が大ハッスル。
 べつに耳を清まして聞いたわけではないので脈絡立てての再現はできませんが、こんなことをゆってました。「好きな男とのキスってええな」「会って3回目でやった」「上より下が好きやわ」「バックもいい」「やったら痩せるっていうけど、うち動かへんから痩せへん」「あのダイエット食品、一ヶ月続けたけどきかへん。生理とまっただけやった」「付き合った男、みんな5分しか持たんかった」「1回セックスしたらもう付き合ってる意味ない」「男みたいなこと言うなよ」――これ全部、ツッコミも含めてコギャルちゃんたちの会話でっせ。しかも、タバコをスパスパ吸いながら。いや、こういう会話をすることが驚きちゃうねん。猥談がある種のコミュニケーションツールになっているらしいことは、猥談にはシラけてしまうほうの予でも知っていますが、場所を弁えとらんアホやなあ、こりゃ公衆道徳なんて概念すらないねえ、と思うてね。男と寝ることなんてアタシにとって特殊なことじゃない、そんなガキじゃないもんというポーズなんでしょうね。そんな「童貞への恐怖」とでもいうべき傾向は男のほうが圧倒的に強いようだと思ってましたが、男女のボーダレス化が時代の趨勢ですから、べつに目を丸めるほどのことじゃありません。てゆーか、女も昔からそうだったのに、たんに予が知らなかっただけかな。でもしつこいけど、場所と声の音量を考えたほうがええんちゃうの、とは思いました。親の顔が見てみてえやコンチクショーめと言いそうになりましたが、本当はべつに見たくないので言いませんでした。
 第一、背後に予のようなハンサム・ボーイがおるのに、じゃなくて、対面に顔見知りの同年代の男がおんねんで。男はほとんどしゃべってない。ごくたまにセックスの話題をフラれて「ああ、そうだな。あはは」なんて一言程度の相づちを打っていたが、腹の中じゃ「下品な女どもだ」あるいは「俺にもやらせろ」とか思ってたんじゃなかろうか。寝たことのある男の前で、そんな話ができるとは到底思えないから、彼女たちと彼の間には、肉体関係はなかろうと推理します(byシャーロック・モーゲン)。彼女たちのセックス談義は、彼を挑発してるんだろうか? それとも、天然でこんなんになってるんだろうか。こればかりは、シャーロックな予にもチンプンカンプン微分積分でした。

 オチはどうつけようかな。あ、そうだ。こいつらが立ち去るとき、女のバッグが予の肩に当たったんです。模様がゴチャゴチャ入ってる、なんか焦げ茶色っぽい薄汚いバッグでした(ブランド物のバッグらしいと知っててあえてこう書いている。でもどこのブランドかは知らない)。予は思わず振り返りましたが、あのスケ、知らん顔して行きやがんの。ホラね、公衆道徳のカケラもありゃしない。――なんかチカラ弱いオチだなあ。ガマンできずに背後から蹴りを食らわせた、とかハデなオチをつけたいんですが、どっちにしろ予の好感度が下がってしまいますな、トホホのホ。

●5/28
 おとといの日記の続き。要は、他所の日記へのレスポンスですな。

 こういうレスポンス方式の日記は、最近覚えた(というか真似した)手法で、けっこう多用している。新しく拙宅に来てくれる人にとっては、「楽屋ネタ」っぽくて、あんまり面白くないかもという懸念がありますが、そういう場合は、その日の日記は読み飛ばしてくださいますよう。
 その他の日記は、それなりに面白くなってるはずですから。

 閑話休題。
 久遠さんの5/25の日記を拝読。要するに、
「もっとハードルが高くないと(=下限の字数がもっと多くて、テーマもわかりにくいものでないと)、書き手として燃えない」
 という主旨だと思う。その向上心には大いに共感する。でもそれは「書き手として」であって、「運営者として」は、下限が3000wでは長いという参加者予備軍の方々の声を聞けば、では下げましょうと言うのが自然でしょう。てゆーか、言いたい。1000wは下げすぎだというのは一理あるけど、だったら2000wでいいのか、いや2500wだ1500wだと確たる根拠もなく揺れるよりは、どうせ下げるなら1000wを含めてしまったほうがスッキリするだろうという判断。
 テーマ選定のCGI投票が「従」だったなんて首肯できないなあ。たとえそれが、かつての方針だったとしても。現在の「あるテーマ〜」は、あくまでもCGI投票が「主」です。どんなムチャなテーマも、トップ得票なら通します。あくまでココがキモなり。それは昔とちがうというなら、じゃあサイトの性質が変わった(変えた)のですと答えるしかないなり。CGI投票を主とすればこそ、「難解なテーマで書く」という久遠さんの「興味」にも合致すると考えます。現に、そういう投票結果になりつつあるじゃないですか。久遠日記の効果もある気がする。字数については、投稿者自身が決めれば済む話だと思う。そのために幅を持たせているのです。まあ、気が向いたら、オーソドックスなテーマでもご一考を。

 透明さんの5/28の日記を拝読。
 テーマ「ブヨブヨとした」(正確には、現時点ではまだ候補だけど、ほぼ確定しそうな得票)に合致しそうな休眠中の作品があるとのこと。これ至上の幸いなり。
 そうそう、そういう利用法も、運営者としては望んでいるのです。だからこそ、あえて「未発表」とか「新作」という枠は設けなかったし、テーマ選定のCGI投票に主眼を置くのです。
 はっきり言えば、読者(そして運営者)にとって「新作」かどうかは瑣末事であり、新旧作関係なく、一作でも多く、(ふたたびでも、みたびでも)日の目を見る場にしたいというのが願いであります。だからこそ、既に存在する作品を投稿すべく、それに合致したテーマのCGI投票も推奨するのであって…… ←くどい

●5/27
 未明に(?)地震ありの由。あの人は大丈夫か、この人は大丈夫だろうかと心配になって問い合わせようとしたが、大丈夫でないわけがない、万一大丈夫でないとしたら連絡がつかぬわけで、それなら連絡してもしなくても同じだという、わけのわからぬ論理を持ち出して手前勝手に納得。
 ちなみに予は地震のとき、寝ぼけていて、揺れてる揺れてるふわーいふわーい、といったかんじで、また夢の中へ戻りました。まあ、予が独居する以前の話、拙宅の前の道路で夜中にクルマの正面衝突があって、その衝撃音で家族中が飛び起きたというのに、予だけがグッスリと眠っていた(しかも部屋の位置的には最も事故現場に近い(直線距離にして10m足らず))という前科があるだけに、関東大震災でも再来しない限り、起きるわけないなと、これまた手前勝手に納得。

 「短編」の感想掲示板を見遣る。初登場のPさんと瑕瑾さんがゴッツンコ。こりゃおもしれー。(←こういう感想を持つことが、実は両名にとって一番の賛辞だと思うなり)
 議論の内容うんぬんより、久しぶりに熱い板を見たという点がオモロイね。一見、ケンカに見えるかもしれないけど、あれは両名とも楽しんでいるんじゃなかろうか。以後、Pさんがあの板に定着すれば、瑕瑾さんのカキコミと並んで「短編」の名物になることは必至で、よいことかと存じます。
 Pさんの感想は、感想というか批評ですか、乱読乱書きといったかんじで、これはこれでスゴイ技です。きっとご自分の審美眼に相当の自信のある人なのでしょう。わからないものはわからないというのも、妙に潔いです。おかげで拙作は蚊帳の外です。ある意味、断定的にけなされたほうがオイシイのに。
 Pさんはひょっとしたらプロあるいはセミプロ(編集者)かも。でもまあ、プロだからどうしたということはあります。予にとって「プロ」は「仕事上の関係者」となった場合のみ、もっと言えば金銭が絡んだ場合のみ意味を持つ区分であって、そうでなけりゃ別にどうということはないです。有名なプロ作家でも、故・星新一以外に会いたい人も特にいないし。
 Pさんより瑕瑾さんがプロだというほうが、信憑性が高いかな(でもプロじゃないでしょうね。時間配分からそう憶測できる)。黒木さんは、少なくともセミプロだと思う。
 妄想の自由に幸あれ。

●5/26
 「あるテーマにまつわる短編集」について、ちょこちょこと。

 久遠さん[ http://www.project-kuon.co.jp/ ]の5/22〜5/24日記を拝読。
 歴史・伝統とは「墨守」ではないはずなり。とか、ちょっとカッコイイかんじで言ってみる。
 3年前のえむいとうさん運営の頃よりも、募集作品の字数の下限を下げたのは、もちろんひとつには「新風を受け入れやすく」ということもありますが、拙宅掲示板でのご要望を、あっさりと受け入れたからです(予は当初3000字を下限と考えていた)。決して予の匙加減ひとつで決めたわけではないなり。「俺様サイト」だと思われることだけは避けたいとマヂで思ってるので、そこのところだけはわかってもらいたいお年頃なのよ。
 もちろん、運営者として譲れない部分はあって、「CGIの投票結果で決まったテーマで作品を募集する」という点がそれなり(これを変えてしまったら、あのサイトの存在意義がなくなってしまう)。
 それはさておき、自分で投票したテーマに決まったら参加しようかなという久遠さんの意向には感服するなり。いやあ、責任感のあるオトナって良いですな。←コラ

 透明さん[ http://www9.plala.or.jp/fictions/ ]の5/24日記を拝読。
 予は思うんですが、「どんなテーマでもバリバリ書ける」ちう作者のほうが珍しいんじゃないでしょうか。競作というものは、ほとんどの作者が、慣れないテーマに呻吟しながら書いて、産みの苦しみの結果、新境地が開けちゃったもんねわーいわーい、となる性質のものではないかと考えます。もちろん、参加を強いることはできませんが、最初から苦手意識を先行させちゃいやーん、チャレンジ精神というか遊び心でカモーン、と思った次第なり。結局形にならなくても、その未完成品はきっと、作者の「財産」になると思うのですよ。要するに、創作の発想のきっかけとしてあのサイトを利用してもらえれば幸いなり。で、首尾よく書けたら出せばいいや、でよいかと。

 読者の視点で言うと、「感想を書く」という関わり方のほかに、「テーマを投票する」という、作者の創作以前から関われるという点が、あのサイトの魅力ではないかと思います(募集するのは未発表作品に限らないのですが、たまたま決まったテーマに、たまたま合致する既発表作品というのは少ない気がします。恣意的に作者がテーマ投票するのもOKですけど)。
 あ、CGI投票への賛辞は「自画自讃」ではないですよ。そもそも、えむいとうさんから引き継いだ「伝統的な」手法ですからね。作品が集まるかどうかも含めて、運営者じゃどうしようもない不確定要素てんこ盛りです。ちうわけで、そもそも「俺様サイト」になりようがないんです。CGIはえむいとうさんが管理しているわけだし。
 あと、もうひとつの読者参加方法を考えていますが、これはえむいとうさんへの「依頼」が関連しているので、その結果次第ということで。

●5/24
 ついにやってしまったなり。

■あるテーマにまつわる短編集(新規立ち上げ)
http://www3.plala.or.jp/mougen/aruthema/

 サイトに時間を割いてるヒマはないはずのに、妙に高揚して作業に没頭してしまったなり。北村さんも「短編」を立ち上げた頃は、こんな気持ちだったのかなとお察ししてみたりして。
 いとうさんの助力が、かなりプラスでしたけど。

 まあ、これから訪問者・参加者の皆々様に、いぢり倒してもらって「このサイトは楽しく遊べるツールか?」ちうことを検証していってもらいたいところですが、そのためには、予のコンセプトも必要でしょうが、プレイヤー(作者&読者)の意見が一番大事なので、いろいろとききながら、変えるところは柔軟に変えていきたいところ。キモは「投票CGIで競作テーマを決める」という一点のみで、あとはどんな改定も(要望が多ければ)拒むものではありません。
 いろいろと「こういう遊び方もあるよ」という方策が、予の頭の中には渦巻いているのですが、それを押し付ける形になるのはアレなので、ある程度存在やらルールやらが認知されてから、また提案しようと思っていたりいなかったり。

●5/20
 モーゲンの奴、一週間前まではヨイサホイサと頻繁に日記を更新していたくせに、急に日記が止まりやがった、寝てんぢゃねえという声が聞こえてきそうですが、忙中閑有で、掲示板はそこそこ稼動しているんだい、レスのスピードもそんなに悪くないはずだいフン、などとナマイキ小粋な自己弁護でごまかします。

 忙しい忙しいと口走る奴に限って実はさほどでもなく、それはたんに時間の使い方がヘタなだけではないかとの説もありますが、予の表稼業はそれなりにテンテコマイです。病院で繰り広げられる老人たちの大病自慢のような、やや倒錯的な意味合いで、ちょっとここ最近のスケジュールを書き出してみよう。
 盲人の会社社長への取材・執筆、工学部の助教授への取材・執筆(その前に編集者と打ち合わせ&取材なしでの執筆1本追加)、歴史・時代小説をオモシロおかしく遊ぼうという企画のムック本の打ち合わせ&とりあえずラフ・構成案まで(もちろん執筆までやるけど、それはちょっとだけ先の話)、一週間前にも紹介した某賞の感想書きが締切近し(まだ40作も残ってる)、数時間はしゃべり倒すと宣言している経営コンサルタントへのインタビューが間近……とまあ、そんなかんじです。
 これね、経済的効率だけで考えると、サラリーマンってホンマ恵まれてるんちゃうの? 況や公務員をや、と言って差し上げたくなるほどのもんだと思う。これだけやって、コワくて時給に換算したことはないけど、コンビニのバイトとトントンなんぢゃなかろうかと思うこともある。いや、届かないかも。
 つまり、楽しんでやっている部分もどこかにないと、とっくに発狂しているでしょうな。ええ、していますとも。

 閑話休題。
 拙宅掲示板をチェックしてくれている諸賢はご存知のことかと思いますが、「あるテーマにまつわる短編集」という投稿サイトが、予(もしくは、えむいとうさん)によって、いずれ催されるっぽいです。
 「ぽい」って、ヒトゴトみたいに言ってるのがアイタタタですが、表稼業が一段落するまで、本腰を入れたくても入れられない。
 多かれ少なかれ、「短編」を意識しないわけには行かないわけですが、ハード(サイトの機能)は、はっきり言って「短編」には(技術的な問題から)遠く及ばないと思います。が、テーマをフリー投票で決めるという独自性と、ソフト(参加作者)の面で補って余りあるものにしたいと考えていて、徐々に手を打ちつつあります。てゆーか、ありていに言えば、この日記も含めた宣言活動をするってことなんですが。
 いまのところ、3000〜1万字程度という緩やかな字数規定で、拙作も含めて(ええ、予が主催であっても拙作は投稿するのです)最低5作以上集まれば「第一回」を開始してもいいんではないかと考えているんですが、いかんせん、ハードを整える時間が。えむさんがすぐに始動すると思ったのに、しくしく。←責任転嫁するんぢゃありません

 てゆーか、あれこれ忙しいからこそ、かえって意欲が出てくるのかもしれないと思う今日この頃。

●5/19
 「短編」9期優勝は、(あ)さんの「猫のドイさん」に決まった。
 フフフ、予が掲示板で予告していた通りなり。海松さんところの「トト短編」、参加しときゃヨカッタかなあ。たぶん予がぶっちぎりだぜ。ホンマやで。←なんてミゴトな遠吠えだ

●5/13
 権限なき下読み日記パート3。
 ……だんだん「別コンテンツにしたらええんちゃうんかい」という気がしてきましたが、10まで溜まったら考えます。てゆーか、本にします。←ウソコケ

 今日は、作品を読みながら、ムカムカしてきたというお話。
 あ、誤解しないで下さい。予はその作品を読んで、けっこう面白いと思ったんです。けっこう読ませる構成だと感じました。
 主人公である少女の、出生の秘密にまつわる小説なんです。
「えっ……あなたが私のお父さんだったの?」←注:あくまでニュアンスです
 という幕切れが、なんと中盤なんです。そこから終盤にかけて、死んだ母の日記を通じて第二の謎が解き明かされていくという、既存のプロ作家の作品に類似品があるのかどうかは知りませんが、上手いと感じました。冒頭と心理描写をもっと丁寧に描くなどの改稿をして、もっと大きな賞に出せばいいのにと、よっぽど作者に電話しようかと思いました。←そんなことしちゃイケマセン

 ――え? これのどこがムカムカする話かって?
 端的に言ってしまえば、予に予選通過をさせる権限がないことに臍を噛んだんです。予なら高次の審査に上げるところですが、権限を持つ撰者は、寸評欄で、
「出生の秘密小説?」
 と書いたきりで落としやがりました。だいたいこの撰者は、他の応募作の選評でも、
「欲望小説?」「小説というより詩?」「記憶喪失の青年との恋愛小説?」「線香花火とは?」
 と、投げやりなものが多く、いや、そういうふうに書きたくなる作品(はっきり言えば駄作)が多いのはわかるのだけれども、その煩雑さに紛れて、こんな原石(と予は思う)を落とすかねえ。まあ、最終選考には残せないというのはそうかもしれませんが、ココで落とすのは早いでしょうよと思うのでありました。

 ――あ、そおか。落選したということは、改稿して他所に出せるチャンスを得たのだ、この作者は。
 ムカムカするどころか、むしろラッキーだったのかもしれない。
 「改稿して」は、強調しておきたいところですが。

●5/12
 某出版社賞の、権限なき下読み日記パート2。
 5/8の日記の続編なんです。今日はコワイ作品を下読みしました。ケッサクのホラーですよ。
 あらすじはこんなかんじです。

 タイトルは「夢の中の風俗嬢」。
 主人公は、社会人一年生の青年。ある日、夢の中に出てきた風俗嬢と「つながって運動し」(このヘンチクリンな一文のみが唯一の性描写らしきもの)て、恋に落ちる。
 夢から覚めても彼女のことが忘れられず、会社を辞めて四国お遍路参りを決意する。その途中で、お探しの風俗嬢とそっくりの保育園の保母さん(園長)と知り合いになり、自分探しをすることに。その方法は、思い浮かぶ言葉をノートにビッシリと書きこむこと。なんとかそれを終えて達成感に浸る。あとは書き散らされたキーワードを自己分析するのみだと自分に言い聞かせるが、面倒だなあと苦悶するうちに、祖母に可愛がられた小学生の頃を思い出して泣く。
 最後は、日本語教師となった主人公が、園長とともに台湾に渡って子供たちと仲良く暮らす。めでたしめでたし。

 え? サッパリ意味わかんない? ツッコミどころ満載?
 夢の中の風俗嬢を現実世界で探すという発想もアホなら、そのために会社を辞めてお遍路参りに出るという発想もサッパリわかりませんね。いや、ナンセンス物には理解があるつもりの予にだってわかりませんよ。わかるもんか。明らかにマヂ描写だもん。あらすじというか、すじが全くつながってません。予の要約が悪いんじゃないよ。ホントにこういう、脈絡ナシナシの話だったんだもん。この原稿、誰が読んでも理解不能でしょう。世界中で理解できるのは、ただひとり。このケッサクの作者だけです。

 え? これのどこがホラーなのかって?
 あ、そうそう、言い忘れてましたが、この手書き原稿には、作者による付言がありました。

「この小説は私自身の体験で、85%の事実に基づいています」

 ――どうです、背筋が寒くなったでしょう?

●5/11 ※内輪ネタっぽいので、初訪問の方にはあまり面白くないかもしれません。飛ばしてちょ
 すぐに情報が古くなるから暫く口を慎もう、といった舌の根も乾かぬうちに、だったら未来予想も含めて書けばいいいんだとばかりに、おとといの日記に引き続き、「短編」における「外部選考サイト」について。おとといきやがれ。

 あ、予の基本スタンスですが、「外部選考サイト」の在り方には、もちろん賛成です(反対したって、なくなりゃしないんですけどね)。新規投稿作者の開拓ルートのひとつになるなど、限りない発展の可能性を秘めていて、今から楽しみでもあります。
 だけど、今のところは(少なくとも対「短編」に関して言えば)、予はそういう場からはフリーで(つまり現状どおりに)投稿していく予定です。
 あ、「勝負を降りている」からではありません。むしろ「勝負にこだわるから」です(注:これは現状の対「短編」に限って言えばの話)。

※以下、掲示板でのレスを一部加筆・修正した文章

 「外部選考サイト(注:この名称も、現状と合わない部分があるので問題がある。以降「対コンテストチーム」と勝手に呼ばせてもらいます。この名称さえ現状に合わなくなったら、そのときにまた考えよう)」は、予の見るところ、実は「短編」をマヂコンテストと見る向きがあるならば、もっと早くにできていてもおかしくない集まりでした。
 じゃあ、今まで「短編」をマヂコンテストと見る向きが皆無だったのかというと、まあ、はっきり言えばその通りでしょう。皆無とまでは言わないまでも、かなり少なかったと思いますね。今でも、多数派とは言えない気がする。その理由は、これはもうはっきりしていて、他の作者が投票権を持っているからです(賞金がないというのも一因だとは思いますが、賞金がないからこそ、ツチダ作品のようなケッサクが読めるのです)。

 他の作者(=対コンテストチームのメンバーになりうる人たち)が投票権を持っているということは、「初読時のインパクト」という重要な勝負技のひとつを、彼らにも仕掛ける必要があるわけです。というわけで、「対コンテストチーム」は、メンバー(=一部投票者)に対する「初読のインパクト」を犠牲にしてもあまりある「よい作品」を送り出す役割を果たさないと、少なくとも対「短編」においては失敗と言えるでしょう。

 それはともかく、たとえば、ツチダさんが(よく引き合いに出すのは、とてもわかりやすいから)「対コンテストチーム」に属して、投稿予定作をメンバーに公開したとしたら、そしてメンバーが正直に投票に臨んだとしたら、誰もツチダ作品に票を投じないでしょう。ツチダ作品は、初読時のインパクトが一番の武器からです(たぶん)。

「初読時のインパクトだけに頼ってちゃ、予選は通っても、決勝を制するのは夢のまた夢だね」
 なんて久遠さんあたりに毒づかれそうですが(注:予の勝手なイメージ)、予選を通らなきゃ決勝もないわけで。
 しかも、一票の差が雌雄を決するのが「短編」の現状ですから、たったひとりに対しても「初読時のインパクト」を犠牲にしたくない。とまあ、現在の予はそんなふうに考えてます。まあ、「対コンテストチーム」で感想がもらえるという魅力は、たしかに捨て難いんですけどね。揺れるオトメゴコロなり(アホ)。

 ちなみに、「短編」予選前に「対コンテストチーム」で作品を叩かれるのがコワイってのは論外。短編の予選で、無票だったときの悪寒の比じゃないと思いますよ。「対コンテストチーム」を通ってきたのに無票だったら――そのチームか、作品そのものか、運か、どれかが悪いんでしょう。少なくとも、チームにすべての責任転嫁するようなアホな他力本願作者は、どこにも所属しないほうがいいと思います。でも、予はそんなアホな理由で所属しないわけではないってことは言っておきたい。

 また、「対コンテストチーム」で(あくまで可能性の問題として)考えられる弊害は、「海坂派」「黒木派」「久遠派」など、派閥の論理で組織票ができてしまうことです。まあ、少なくともこの三氏の旗印のもとなら、そんなアホなことは起きないでしょうけど、今後、「対コンテストチーム(同人小説サイト)」単位で「短編」に参加する向きが出てきたら、組織票が動きそうで(あくまで可能性ですが)、それが懸念材料ですね。まあ、そうなったらそうなったときに、また考えればいいとは思いますが。
 などと、不安材料をごちゃごちゃと言いたれるよりも、サクサクッと行動するほうが、インターネットでは上等なんです。今回、劇的なタイミングで実働の口火を切った海坂さん――「ネット経験値」なんて単語を愛用なさっていた(というか予が押し付けた)頃も、今は昔ですなあ。もう竜王だって倒せるんじゃなかろうか。しみじみ蜆。

 えー、多少脱線しましたが、以上はあくまでも、「現状の『短編』」に限定した場合にのみ、言えることであって、今後、純粋読者が作者以上に増えるとなれば(あるいは投稿者の投票権を廃止しても成り立つほどの投票数になれば)、「対コンテストチーム」の重要性は格段に増すことでしょう。予も何処かに所属するかもしれない。てゆーか、べつに全部に所属したっていいんじゃん。
 また、「短編」に限らず、千字にも特定せず(場合によっては商業誌への応募も見据えた)、広い意味での「対コンテストチーム」に成長することを(あるいは新規に立ち上げて使い分けることを)希求します(クサレ評論家みたいなこと言ってますね。その通りです)。そうなれば汎用性が高く、その価値も高まるかと予測します。いや、既にそこまで見据えている「対コンテストチーム」も現存しているようです。ゆくゆくは、「短編」の枠をも超えた「ネット小説の発展」ということにもつながるのかもしれない(希望的観測かもしれませんが)。

 しかも「短編」発の「対コンテストチーム」たちを、久遠さんが「運営者連絡会」でもって、扇の要のように留めておく、という画策は、久遠帝国拡大の布石としては上出来じゃないでしょうか、わはは。
←注:「対コンテストチーム」を「烏合の衆」に留めず、仮留め的に束ねておくのは重要だろうという意味の賛辞です

●5/9 ※やや内輪ネタ? 申し訳ねっす。
 短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]の主掲示板の議論が急展開。一日にして「外部選考サイト(推敲なども含む)」が既成事実的に現実化した感がありますが、なんちう早い展開や。
 「短編」の前に「外部選考サイト」を通すのが必須だったはずの当初の案が、なんか必須ではないということになってるらしい(これはこれで「外部選考サイトを無視する」という選択肢を投稿者が選ぶことができるということでケッコウだ。選択肢は多いほどよい)。それなら予はしばらく、今までどおりフリーで投稿しようか? などと重箱の隅を突つこうとも天邪鬼を決め込もうとも、議論から各外部サイト管理人の行動へと事態は移ったようで、いまだムーブメントの途中といったところか。知らぬ存ぜぬの参加者も少なくあるまい。まあ、状況が落ち着くまで、いろいろと言うのはよしましょう。すぐに情報が古くなる。予の、かの掲示板でのカキコミも、ほとんど意味を成さなくなってるし。
 論ずるより動いてみよ、か。
 久しい王座陥落で、インターネットの基本ルールを忘れていたのかもしれないな。(ついでに言えば「失敗したらすぐやめればいい」という補足があったりする)

 そんな「外部選考サイト」にも少しだけ関連して、目下、予が関心があるのは、えむさん[ http://www2k.biglobe.ne.jp/~sf6329/ ]の5/9付の日記。詳しくはかのサイトでチェックしてもらうとして、かつて存在した「あるテーマにまつわる短編集」(えむさん主催)という投稿サイトを、商業誌などの懸賞コンテストに向けた「外部選考サイト」の機能を付属して(しなくてもいいけど)復活してもらいたいなあ、ということ。当時の参加者のひとりとして言うなら、「短編」とは、また別種の面白さがあった。競作のテーマをフリー投票で求める点がユニークだったなあ。
 かのサイトの掲示板に、ちゃっかり復活の嘆願をカキコミしちゃいましたよ。えむさんのお返事は「考えないでもない。様子見」ということですが、動かざること山のごとし、で終わりませんように。アーメン。どうしてもえむさんが動かないなら、予が新規に立ち上げるしかないかなあ、とさえ思わないこともないけど、まあ、たぶん遠からず復活させてくれるでしょう。えむさんも、まんざらでもなさそうだし。
 ええ、勝手に押し付けがましく、遠隔ラヴコール(解釈によっては呪い?)を送っちゃいますとも。こうやって拙宅の日記で勝手に前宣伝して、暗黙の圧力をかけちゃうのだ。うっしっし。

●5/8
 以前の日記にも書きましたっけ?(書いた) 先月下旬から一ヶ月ほどかけて、某出版社賞の応募小説の下読みをやってるんです。
 あ、下読みといっても、落とす上げるの権限は予にはなく、応募作の美点を見出してコメントを書いて、作者を喜ばせるという役回りなんですけどね。まあ、某出版社による一種の営業努力(応募作品の確保)の一端を担っているわけなんでしょう。
 面白い作品に出会えたときは、そりゃこんなラクなことはないですよ。本音で誉めちぎればいいんですから。
 予は、小説の読者としては、どちらかと言う甘いほうで、推薦しがたい作品でも「好みじゃないけど巧いんじゃないかな」というふうに見てしまうのが基本なんです。文章センスが皆無に等しいものには手厳しい感慨(本音)をいだきますですが、それでも、推敲すれば良い素材になるかもしれない、なんて比較的好意的なんです。だから、「褒める文章」はそこそこ正直に書けるんです。
 そんな予をして、「こんな駄作見たことない!」と言わしめる作品にぶち当たりました。今回に限らず、トータルで500作くらい下読みしてると思いますが、こんな駄作を送るんじゃないと、温厚で知られる予でさえプッツンきちゃいました。比較するのも恐れ多いですが、「短編」投稿作に比べたら月とスッポン、アインシュタインとミジンコです。
 冒頭はこんなかんじです(まるまる抜き書きだと著作権がどうとかいわれそうだから一応配慮しますが、そんな配慮いらねーよと言いたくなるくらいのもんです)。

「徳川家康が豊臣秀吉を倒して江戸に幕府を作った。幕府ができたのは1603年のことであった。その後は元禄時代だ。俗に言う元禄文化で、明るく朗らかな時代だ」

 テンメー! 時代小説をナメとるな(いちいち注釈するのもバカバカしい)。
 その他、江戸後期の実在の人物を勝手に元禄時代の人間にしてるし、農民をやめて職人に転向する超時代的な人物は出てくるし。シュミレーション小説かナンセンス小説かと思ったら、そうじゃないでやんの。明らかにマヂまちがいだ。小学生でさえこんなアホな誤りは犯さないだろう。ん? 小学生? ミミズが躍っているような字と(これはヒトのことは言えないが)、添付されている落書同然のイラストを見て、そおかそおか、小学生の作品だったのかと一応の納得をしたくて確認したら――43才。
 どこをどう褒めればいいんだこんなもん。しかも、どうしてこんなのが一次予選を通過できるのだ(してるんです、ええ)。撰者はよほどの歴史オンチか? もともとそういうユルユルな一次予選なのか? もう、イヤになってしまうでござるよ。ニントモカントモ。

●5/7
 36時間以上の徹夜がたたって、38度近くまで熱が出ました。たかが徹夜で情けない。予ってばホント虚弱体質なりね。頭ガンガン、関節痛ズキズキ、目を動かせば眼球の奥がズキンズキンと、ひどい痛みに襲われ、何も手につきません。あーやめてー、仕事の邪魔をしないでー。
 これは風邪だな。恋人と聞いて真っ先にロッテを思い浮かべる(お口の恋人)予のような独り身がもっとも堪えるのは、こういうときに誰にも看病してもらえないことだときいたことがあるが、なるほどそうなのかもしれない。予はきっと、世界で一番不幸なんだ。あんまり不幸な気はしないけど、いやいや自己欺瞞はよせよ、キミは宇宙一の不幸男なのさと言い聞かせているうちに、さらに睡魔にも襲われて暗転。
 翌日、ケロッと治ってしまいました。クスリいらずの医者いらず。どうやら虚弱体質というのは錯覚だったようです。おっかしいなあ。病院の患者の椅子が最も似合う男のはずなのになあ。
 ――という実話を、実に日記らしく書こうと思ったのに、そんな苦しみもさっさと忘れ、機を逸してしまいました。それが10日ほど前。やれやれ、時の流れはやさよ。
 嗚呼、悲劇のヒーローさえ気取れない不器用な予って、なんて不幸なんでしょう。

●5/6
 短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]について、予なりの駄弁。ええ、もちろんあのコトにも触れます。

 9期の予選結果が出た。
 選出された作品を見ると、妥当だ。予が投票した3作のうち2作が通っているんだから、予の眼力も中々ですな、ふふふ。
 あ、鋭い。そうです。推した作品で唯一通らなかったのは、ツチダ作品です。投票では「優勝だけはしてほしくなかったりする」と、予の名を挙げてくれた部分に敬意を表し、そこをパロッて評しました。インパクトがずば抜けていると思ったのも事実。あ、もちろん、予の名が作品になくても票は投じていましたよ。推しておいて優勝はしてほしくないってどういうことやねん。そういうことやねん。
 さてさて、予の読者としての眼力に話を戻すと、冒頭で「中々ですな」とフッておきながら、1票の差でどうにでも転がる結果だったので、実はそうとも言いきれないのだ(予選投票初参加の7期の頃の日記でも同じことを言っていたような気が)。しかも、もし6作くらい選んでもいいということなら、予は間違いなく6作、票を投じていましたね。2作とか1作とか、数を絞って投票できてしまう投票者から見れば、あまあまのペロペロキャンディーな読者ということになる。はっきり言ってしまえば、ギリギリまで投票しようか迷った「湯の怪」「充電」「祖母の話」にだって票を投じたかったということだ。でも、コンテストという性格上、選びにくかろうが呻吟しようが、コレッと選ばなければならない。つくづく、投票の重みと理不尽を思い知らされる。←注:コンテストに必ずついて回るもの、という意味であって、こういう「理不尽さ」があるから、コンテストがコンテストとして存在し得ると言える

 予の過去戦績は、9期現在で以下の通り。
 まあ、たった3回の投稿で過去を振り返るのもどうかと思うし、しかも大穴作者の戦績なんかどうでもいいという声はごもっともなれど、興味深いことがわかるはずですから。

 7期投稿作品。『懐刀と丸腰』3票(予選通過作と1票差)
 8期投稿作品。『あたしはうさぎ』3票(予選通過作と1票差)
 9期投稿作品。『源平呪留記』 無票(……うっ)

 ムヒョー! ほれ見よ諸君! 今期、予はめでたくも無票を獲得した。
 はっきり言って、拙作が優勝するかとか、予選通過するかとかの興味は薄く(注:したくないという意味ではない)、ムヒョーでさえなければ御の字だと思っていたのだ。ところが、そのムヒョー。これでは「1票の差に泣く」ことさえできない。言わば最大級の放置プレイ。4/17の日記の予告が本当になってしまった。いや、スキキライが大きく分かれ、キライ派が多かろうことは予想してたけど、ムヒョーとはね。まあ、別ルートで何件か「面白い」という評価を頂いたのでギリギリで救われたとか、実はあの作者でさえ無票の期があって臥薪嘗胆だったのだとか、ここが底値であとは高騰するのみぢゃわはは、などなど、いろいろ言いつくろってもいいのだが、ムヒョーはムヒョー。

 と、ここまでムヒョームヒョーと不名誉を叫ぶには理由がある。
 9期に限って言えば(限らせてくれよー)、予は言わば、ヘナチョコ作者だったわけですが、これを念頭に置きながら(つまりそういう奴の意見だということを念頭において)、以下を読んでください。

 かのサイト主掲示板の、記事番号566番の久遠さんの試案をチェックしてください。ココ、試験に出ますよ。原文は各人で確認してもらうとして、おっかない試案なのである。要するに、もし北村さんに採用されれば、優勝の難易度がさらに上がる。今後、膨張するであろう作品群をいったん「短編」から千尋の谷(外部選考サイト)へと叩き落とし、這い上がってきた作品だけを掲載するという、とっても非情なシステム。予のようなヘナチョコ作者には、「短編」への掲載すら覚束ないかもしれない。
 でね、ここからが大事なんですが、これは「短編」の在り方そのものを変えてしまう案であり、しかも現状のシステムでさえ予選突破すらできないという予のような弱者作者にはとっても厳しいので、こんな血も涙もないようなヒドイ、KKKもビックリの差別的な改革案には反対です。

 の反対です。つまり賛成です。

 優勝経験者が「難易度アップ」を待望するのはむしろ当然だと思うが、弱者作者である予も、かの非情な改革案を推すのだ。どうだ、まいったか。
 てゆーか、実はさほど非情でもないと思う。「短編」の運営(プレ予選)を、一部外部に委託するという形でしょ。選考方法が異なるプレ予選会場を作者が選択できるなんて、なかなか乙じゃないか。委託されたほうも試案を独自に編み出せるし。たとえば「アンチ票の導入」とか。非情というなら、例えば50作品でちょん切るほうが、よっぽど非情だと思う。俎上で無残にぶつ切りにされるよりも、一度も俎上に乗らないほうがね。

 席亭の北村さんがイマイチ乗り気でないので廃案の可能性もありますが(外部委託に伴う不安はわかるけど)、少なくとも一作者として、この案に反対する理由はないということは述べておこう。


追伸:
 ズリーニ氏(一部わざと名称略)とハチミツボーイ氏が同一作者ではないかとの疑念は、実はズリーニ氏初登場のときから持っていた。まあ、あえて未確認のままにしてあるので、引き続き未確認情報というレベル設定にしておきます。今後、確定事項となっても触れません。ご本人がイヤがりそうだから。同一視されるのがイヤだからこその改名(あとは改名でインパクトを狙ったか?)でしょうし。というわけで、やっぱりこう言える。
「ズリーニ氏の2作(9期現在)より、ハチミツボーイ氏『記憶』のほうがずっと上なり」
 調子の善し悪しが、期によって極端に出る作者ではないかと推測する。ボクサーでも、判定勝を繰り返す「まあまあ組」より、時にはKOされても、勝つときはガツンと勝つような、そんな破れかぶれボクサーかと思います。そういうボクサー=作者が、理想でもあります。そのうち、作風がカブるのを覚悟で「同系統対戦」を望むかもしれません。そんなかんじです。心やさしきチョビヒゲ・キューピッド、そんな予の思いをズリ氏に着払いで届けておくれ。

●5/4
 皆々様、今年のゴールデン・ウィークは、いかがお過ごしでしょうか。日並びが悪くて――え? 昨日の日記と出だしがいっしょ? ひょっとして、デ・ジャ・ヴじゃないですか? 日本語で言うところの「既視感」。初めて来た場所のはずなのに、以前に来たような気がするっていうアレです。
 人様に関してもありますよ。たとえばこういうの。
 貧乏を絵に描いたような予だって、たまにはバーに行くんです。そこで今日、ひとりの女性を見かけました。あれ、どっかで見たことあるような。誰だっけかなあ? 会ったことあるような、ないような――。向こうは予に気づかない様子だったので、無粋ながらも声をかけました。
「えっと――人違いだったら申し訳ないんですが、以前お会いしたことありましたっけ?」
 彼女は首を横に振りました。ナニこいつ、みたいな顔をされました。でも、妙に引っかかる。
「いや、やっぱりどこかでお会いしたと思うんですよ」
「知りません」と冷たく言い放たれましたが、へこたれるもんですか。
「よく思い出してください。欲に目がくらんで、予の顔を見忘れたか((c)暴れん坊将軍)」
「知らないって言ってるじゃないですか」
「いやいや、そこを何とか思い出してください」
「知りませんってば」
「ホントに?」
「本当です」
「マヂで?」
「ええ」
「ウソでしょ」
「もう、あんたってホントしつこいわね!」
「しつこいかなあ?」
「しつこい! そんな性格がイヤで離婚したのよ!」

 ――よくぞ気がついてくださいました。ええ、完全にネタでした。そもそも予は、離婚しようにも、未婚の父でした。もとい、未婚でした。バツゼロです。マルもゼロだけど。←マルってなんやねん
 それに、「バー」ときいてバーテンダーよりもリンボーダンスを思い浮かべるような奴でした。ついでに言うと「スクリュードライバー」ときいて真っ先に連想するのは、カクテルよりもプロレスです。それはパイルドライバー。
 残念ながら、上記エピソードで事実なのは、貧乏であるということのみです。とほほ。
 ただ、黄金週間には不自由しておりません。こんな黄金べつにいらねー。なにせ給料という枷がなく、ギャラという小銭で生き延びている霊長類ヒト科ですので、ちょいと油断すれば、ゴールデンウィークどころか、ゴールデンマンス、いやいや、ゴールデンイヤーだって簡単に手に入ります。吉本芸人みたい。
 って、そんなのイヤー!

 こんなサブいダジャレを吐いてしまうなんて(しかも油断するとまったく気がつかれない)。
 ゴールデンウィークは、ここまでヒトを堕落させるのです。くわばらくわばら。

●5/3
 皆々様、今年のゴールデン・ウィークは、いかがお過ごしでしょうか。日並びが悪くて、ロクに出かけられないという人も少なくないかもしれませんね。まあ、率直に申し上げて、「ざまあみてください」です。←ヒガミ根性丸出し

 あのATM(現金自動支払機、だっけ?)でさえ、ゴールデンウィークは3連休しやがるんですよ。奥さん、御存知でした? ついでに、たしか正月三箇日も全面停止だったと思う。。マシンの分際で休むな! てめえ、独身乞食……もとい、独身貴族の予が、財布の残高二千円で、そろそろカネを引き出すかという段になって、3連休しやがってからに! 冷蔵庫は見事に空だし。予が餓死したら香典はずめよコラ〜!
 銀行がますますキライになった予なのでした。

●5/1

問:
 下記の(  )に入る適切な言葉を答えよ。[配点:5点]

1.氷が溶けると( )になる。
2.品( )方( )[四字熟語]
3.けだし(  )である。
4.三度の飯より(   )が好き




模範解答例:
1.氷が溶けると(水)になる。
2.品(行)方(正)[四字熟語]
3.けだし(名言)である。
4.三度の飯より(ギャンブル)が好き




異次元解答例:
1.氷が溶けると(春)になる。
 →有名な逸話ですね。問題作成者の意図を超えた「感性による解答」。

2.品(川)方(面)[四字熟語]
 →東京中毒者は、案外マヂでこう答えるでしょうな。

3.けだし(ヘアヌード)である。
 →「毛出し」じゃなーい、ばっかもん!

4.三度の飯より(四度の飯)が好き
 →おまえ、食いすぎ。


 というわけで、予はここのところずっと、日に三食は食べていないという話につなげるマクラのつもりだったんですが、なんかマクラで終わらせてもいいような気がしてきました。まあいいや。

 「日に三度の食事」なんて言いますが、日本人が三食を食べるようになったのは元禄時代の頃からだそうで、江戸初期までは、日に二度が当たり前だったそうです。戦国武将も、三度も食わずに戦っていたということですな。八代将軍・徳川吉宗は、三度の食事が庶民の間でも一般的になりつつあったなか、「三度の飯は腹の奢り」と、二食(しかも一汁一菜)を貫いたそうです。まあ、彼の理想はすべてにおいて「権現様(家康)」の頃に戻す、というものでしたからね。
 というわけで、日本人は一日二食に戻れ!

 ――とは言いませんが(当たり前だ)、日に三度食べなければならないというのは、意外とどうでもいい「常識」だったりします。ような気がします。
 その証拠に、予はもう一年近く、ほとんど日に二食です。ブランチってやつですな。一食のときすらあります。
「朝食はきちんと食べましょう」
 と学校では習いましたが、成長期はともかく、二十歳を過ぎたら基本的に、二食で十分だと思う。肉体労働は、それだともたないかもしれませんが、ふつうのサラリーマン程度の活動なら、毎日ブランチで問題ないと思いますね。「中年太り」を嘆く人に申し上げたい。日に三食も食えば(そしてロクに運動しないんなら)、そりゃ太らないわけがない。予のような痩身(別名:ガリガリ君。もしくはヒョロヒョロ君)になりたければ、明日から二食にしなさい。

 それで腹が減らないのかと問われそうですが、減らないわけがありません。もちろん経るんですよ。ええ、減りますとも。減るんですが、それだけに、一回の食事の美味いこと! 空腹が最良の調味料とは、よく言ったもんです。思い知ったか海原雄三!((c)美味しんぼ) 舌先がデリシャスということもありますが、胃袋でも「うまい!」と言っているのがわかるのです。そんな予は、きっと、
「飽食ニッポン。くたばれアホンダラー」
 と、社会ふうしをインテリヂェンスにやってのけることのできる、選ばれし王だと思います。食べ放題のファンなんですけどね。←ダメじゃん 

●4/30
 昨日の日記から24時間経ってないのに、もう掲示板についての続報をお知らせすることができますよ。なんてスンバラシイんでしょ。
 詳細を報告いたしますであります。
 ついさっき、元レンタル元(←ちょっとややこしい?)から、一斉同報メールをいただきました。
「復旧不可能。どうせ旧型なので、再開する気もない。新型に乗り換えて使え」
 とってもあっさりした宣告でした。
 予は自慢のアゴビゲ(←つけひげ)をチョイナチョイナと撫でつつ、ミルクティーをすすりながら優雅に、
「コノヤロ、てめえ、ぶっころ<ピー>!」
 と紳士的に決別を決めて、とっとと新規の掲示板をゲットしました。てめえんとこの新型なんか、誰が使ってやるもんかー。
(現在使ってる人すいません。たんなる予の一方的な個人的逆恨みなり。てゆーか、新型は機能的に満足できなかったんです)
 それなりに比較検討したので、無料のうちでは使いやすいほうではないかと思います。
 そんなわけなので、新規掲示板に、よろしかったらお気軽にカキコミしてねー。

●4/29
「王よ。執務室を追われた気分はいかがかな? お客を招くことができないどころか、主であったはずの君すら入室できない、いまの心境をお聞きしたいものだね」
「ごっつブルーライトヨコハマなり」
「……このヤロ、アクシデントでさえネタにしてやがる。しかも三流ギャグのネタに」

 というわけで、28日深夜頃から、拙宅掲示板へのアクセスができないようです。一応レンタル元であるCGIBOYにはメールしましたが、休日の関係上、早くても30日の返答でしょうな。
 てゆーか、掲示板どころか、ジオシティーズ全般つまり拙宅全体がアクセス不能になり、数日後の復帰に際しては、それまでのカウンタをゼロにされたことが昔ありました。ことを思い出しました。
 そんなわけで、たまのアクセス不能は、ある意味無料レンタルの宿命と、

♪あーきーらめまーした あなたーのことはー もう電話もかけないー(by中島みゆき)

 いやいや、だから電話はかけなくても、いちおうメールは送ったんですけどね。経験上、もう少しの辛抱で復旧するんじゃないかと楽観はしてますが、フンガー! とカンニン袋の緒が切れたら、別のところからレンタルしようと思ってます。ほんとは今すぐとっかえてもいいんですが――とっかえちゃおっかな? でも、とっかえてすぐ復旧したら、なんか間抜けだしなあ。
 そんなわけで、今は様子見です。星アキコです。決して、カキコミに臆病になってアクセス拒否してるわけではないのよ。恋には臆病だけど。←ドアホウ

●4/27
 4/22の日記に書いた某賞から、ふたたび郵送による通知あり。
 二次審査通過のお知らせだった。

 しかし、へそ曲がりの予は、これを怪しんだ。←落語への応募とはエライ反応の違いだな
 一次通過の通知から10日くらいしか経ってない。ちょっと早すぎやしないか? そんなに早く、審査できてしまうものなんだろうか?
 最終結果は6月の中旬に出ると、通知にはある。そう、それくらい時間がかかるというのなら、わかるのだ。ゴールデンウィークもあるしね。
 そういや通知の文書の内容も体裁も、一次通過通知とほとんど同じ。極端な言い方をすれば、「一」を「二」に書き替えた程度の違い。機械的に、ほとんどの応募者に送付しているだけだったりして? そんな疑念が予の頭をもたげてきた。拙作は、締切後早い段階で二次まで通っていて、段階的に通知を送ることで、徐々応募者を喜ばせるという作戦では? そんでもって、三次こそが実質上の一次審査で、それ以前は、応募要綱と基本的な文章にさえなっていれば通るというカラクリでは? つまり、ゴールデンウィーク後こそが真の勝負。……勘繰りすぎかな。

 まあ、どっちにしたって入賞しなければ、一次通過も二次通過も三次通過も四次通過も(何次審査まであるかは知らないけど)すべてイミナシ。某賞の設けている賞の数は、サイトを確認すると、最低ランクの賞金3万円で60作とある(情報通は、これだけで某賞が何処主催なのか見抜いてしまうでしょうな)。
 眼中になかったので碌に確かめてなかったが、類を見ないほどの大盤振る舞いだね。要するに、このランク(受賞本数)にすらひっかからないようなら、そこまでの縁だったんでしょ。やっぱ、二次通過ごときじゃ喜べないですな。
 受賞がただ一作(あるいは数作)のみという賞であれば、二次通過かスゴイね、ということになるのだろうけど。

●4/26
 4/24の日記は、本当は4/25に書いたのでした。日付をまちがえるなんて、とほほだね。久遠さんが、数日のズレさえ気にせずに日記を書いているのがうつってしまったのかもしれんなあ。

 と、ゑれがんとに責任転嫁を成し遂げたところで、その久遠さん[ http://www.project-kuon.co.jp/ ]の4/24付の日記を拝読。

 一理も二理もある。数年前の予なら理解できなかったかもしれないが、今の予なら、その言わんとしているところはわかる。端的な答えは、かの日記の文末そのままなんですけどね。
 文字通り「看板」の人だという先入観があったんだもん編集者だったらまた反応は変わっていた可能性があるんだもんとか、メールだったらスマートにそーゆーこと聞けたもんとか、ちょうど予は疲れてたんだもんとか、電話で落選報告されるなんて想像の枠外でフリーズしちゃったんだもんとか、そもそも電話なんてキライだもんとか、そもそもそこまで考えて応募してないもんとか、めんどくせーとか、言い訳の要素はたくさんあるけど、どれも決定打とは言えず、よしんば言い訳が通ったとしても予には一寸の得もなく、つまるところ、興が乗れば(←これがいかんよな)次回から参考にしようかなと思ってしまったほどである。「次回」があればいいが。
 受賞したら? そのときに考えます。賞を主催した法人へのアクセス権を手に入れたようなものだろうから、久遠さんの立ち振る舞いに近いことはやりたいと思いますが、想定と実際は往々にして違うからなあ。少なくとも、22日付日記の応募作品に関しては、ランクによっては「きっちり断る」ということをやらなきゃいけないので、いずれにせよ、もし入選したら積極的にアクセスするでしょうね。でもまあ、そのときになってみないとわかりません。狸を狩る腹積もりのくせに「獲らぬ狸の皮算用は余計な神経を使う」とばかりに、投函するまでは気合に満ちていますが、そのあとは、そもそも応募したことすら半ば忘れちゃってる。通知が来れば思い出す、とまあ、そんなかんじですな。なに腑抜けたこと言ってやがんでい、とツッコミを入れられそうですが、投函後は意識を切り替えて、次のものに取り掛かったほうが生産的かと。
 いずれにせよ、貴重なアドバイスありがとうございました。

 それはさておき(おくのかよ)、「仕事関係の親分」の架空台詞やら、「アポ取り」なる用語が散見されることやらを読む限り、久遠さんは予の執務環境を一部確信的に推量している形跡がある。あなおそろしや。予の身辺に探りをいれようとは不埒千万、草の者を放って、いまのうちに屠ってしまおうか。←やめなさい
 でも、なんか古い情報っぽいな。誤解されたままでもいいんだけど、一応述べておくと、予は文字通り、自身が王であり尖兵なのであって、得意ではないとはいえ、自ら営業もアポ取りもやらねば、おまんまの食い上げなり。神仏(「親分」)は尊べど頼らず(でも御利益が頂けたら拝受する)、という宮本武蔵の境地にあるものなりよ。←カッコよく言いすぎ

 なんかアレですな。まんまと久遠氏の姦計に引っ掛かって(もしくは自ら墓穴を掘って)ペラペラと喋りすぎた感があるが、それもこれも、予が巡回するサイト諸氏に、大まかな職業やら勤務形態くらいは日記に溶かし込む形で明かしている人が多いからだな。影響されてしまったのかもしれない。完全秘密主義だったサイト開設当初には思いもよらなかった変化だ。やな病原菌もらっちゃったな。←おい


 海坂さん[ http://www004.upp.so-net.ne.jp/unasaka/ ]の4/26の日記も拝読。前半の「詳細」も興味深いけど、とりあえずこの日記の内容を統一するため、後半に注目。つまりは、以下の文章のネタ元。
 拙宅の日記を海坂さんにネタ元とされ、こちらもネタ元とする。久遠さんも同様。嗚呼、これぞ日本式インターネット文化「日記回覧板=日記を掲示板代わりにする荒業」かねえ(日本の文化と決め付けていいのか?)。

 キーワードは「営業(活動)」かな。
 新入社員には「営業以外ならなんでもやります」というのが多いようだ。その気持ちは予も十分わかるが、でも本当は、営業すらできない奴は使い物にならんのだね。なにも、スマイルを売ることだけが営業じゃない。賀状を出したり、メール交換したり、魅力的な履歴書を書いたり(ウソはアカンが)、雑談したり、飲みニケーション(注:誤字じゃないよ)を図ったり、イベントに出席したり――要するに「コミュニケーションとアピール」なんだろうね。あくまでコミュニケーションが主だと思う。アピールが一番大事という神話があるが、アピールはコミュニケーションの一部じゃないとね。もし、アピールがコミュニケーションより上位でよいということになったら、独善的な自慢話が一番尊いということになってしまう。そんなバカな。面接官とふつうにコミュニケーションできれば、たいていの面接は採用されるという話もある。
 営業に見える営業よりも、営業に見えない営業のほうが上、と言い換えてもいいかもしれない。

 「いい仕事」を実績として残すことも、広義での営業のひとつだろう。物書きで言えば、もちろんいい作品(商品)を書くということだ。どの「営業」が大事かと言われれば、「いい仕事をする」がずば抜けて大事なのは当然である。ふたたび物書きに喩えて言うなら、本当の傑作を書けば、向こう様から三顧の礼で迎えてくれる(かどうかは知らないが、少なくとも愛想笑いができないという程度で邪険にはしないはずだ)。
 あらゆる「仕事」というものを突き詰めていったら、「広義の営業活動」ということに尽きるのかな。一見営業とは関係なさそうな公務員ですら、信用される行動を取るべしという「営業活動」の概念でとらえることができるのではないか。4/23の日記では軽々しく使ってしまった語だけど、「営業」おそるべしひでぶあべし。

●4/24
 昨日おとといの日記の補足。4/22と4/23の公募は別物なりよ。ふつうに読めばおわかりとは思いますが、念の為。

 掲示板へのレスから派生する日記。
 「短編」への投票に影響するんぢゃないかという懸念から、他所へのカキコミを自粛していましたが、そいつは狭量だったかなと考えを改めつつあります。ツチダさんの9期作品を読んでから、その思いがさらに強くなった。小説と掲示板やウェブ日記との境界線を、すんなり越えてみせている(ようで紙一重でやはり小説になっているけど)からなあ。

 予はかつて「カキコミキング」を自称するほど他所にカキコミまくっていましたが、そんな全盛期の何割かは取り戻してもよいのではないか、そんなふうに思っています(当時よりそれなりに忙しいので、全開というわけにはいかないにしても)。カキコミして初めて発見できることも、まあ、あるし。

 例として適当かわかりませんが、いま「短編」掲示板で旬の(?)瑕瑾さんには、大昔、某掲示板で鋭く噛み付いたり噛み付かれたりした記憶があります。いやいや、大いに掲示板バトルを楽しんでいたということです。向こう様がどう思っているかはわかりませんが、悉く対立しながらも(内容は忘れたけど)、予には、ある種のシンパシーがある。御名の「瑕瑾」だって、辞書をひけばわかる通り、予の称号に通じるものがある。謙虚だというイメージは薄いけど。わはは。そして何より、「短編」を発見したときの「まだやってるんだ!」という感動は、つい2ヶ月ほど前に予が感じたものと、ほぼ同種であろうということがある。
 とまあ、そう言えば掲示板で熱を帯びたやり取りしたなあ、という昔話(過去記憶)によって、その「人物」を再構築するということができる。もちろん、ネットを離れた「本来の人物」とはズレがあることは十分にありうるが、虚構でもってエンターテインメントとなる小説そのものから人物を推定するよりは、いくぶん「実像に近い」んじゃなかろうか。まあ、小説も全く参考にならないわけでは勿論ないけど、小説から人物を想像すると、大失敗することがある。極端な例で言えば、乱歩は殺人鬼だったのかということだ。
 カキコミをそういう人格の類推材料として読まれるのは迷惑だという意見もあるだろうが、それなら掲示板に書き込むのはやめたほうがいい。なんともなれば、そういう視点で掲示板のカキコミを読む人は、少なからずいるからだ。「あなたはこういう人ですね」と「妄想」を押し付けられてイヤなら反発するのもいいだろうけど、「こういう人なんだろうな」と各人が想像することすら禁止できるなどと思っているのは、傲慢以外の何者でもないなりね。ちなみに予は、予がどんな人物なのだろうと、誰からも好き勝手に想像されてケッコウですよ。

 そんなわけで、今日の提言。
 そこのシャイなあなた。拙宅の掲示板でも、他所の掲示板でもいいから、「お気に入りの板」を見つけて書き込もう! ネットの醍醐味のひとつは掲示板へのカキコミなのだ。雰囲気は、他の人のカキコミや管理人の受け答えで大体わかるから。掲示板を設けている以上、管理人としては基本的に大歓迎に決まっているのです。まあ、たまーに「余所者は書き込むな」的なバカでトンマでスットコドッコイな管理人もいますが、そんなのはこっちから願い下げにすればいいんです。管理人が掲示板カキコミの削除や制限を設けられるのと同様に、訪問者にもカキコミをする掲示板を選ぶ自由があるのですから。
 書き込まないうちは、ホームページを持っていない人なら特に、ネット上の「透明人間」なんですね。それはそれで心地いい部分もありますが、「話し合う」ことで初めてわかる(ような気がする)ことも、あるのです。まあ、予が少しずつ、かつてのそんな心境に戻りつつあるから、言ってるんですけどねえ。
●4/23
 ついさっき、電話があった。
「もしもし、夢丸でございますー」
 2秒ほど脳裏にクエスチョンマークが点灯したが、3月末に、勧められて応募した落語台本募集の、冠の噺家さんであることを思い出した。「ああー」なんて素っ頓狂な声を上げてしまう。直々にお電話いただいてしまったのだ。

 拙作が入選したのだ、わはは!

 ――と、思うよね?
 残念ながら落選してしまいましたが――と続けられたときには、なんだか、ぬか喜びさせるための一種のイヤガラセのような気がしてなからなかった。意地汚くも、――特別賞(急遽増設)に輝きました、と話がオチるのではないかと淡い期待を抱いたが、数秒後に打ち破られた。またご案内しますのでよろしくお願いしますという、要は営業の挨拶だったのだ。予はたぶん、気のない返事をしていたはずだ。

 誰? → ああー → ばんざーい! → なしよ

 の過程を経て、呆気に取られてしまったといってもいい。まあ、人情噺なんて18禁より書きにくいので、さもありなんとは思うものの、応募している以上は、ひょっとしたらという思いはあるのだ。
 紙切れ一枚の郵送通知で済まさず、冠の人物が電話をしてくださったということに対しては「わざわざありがとうございます」と答えたし、その気持ちも、純粋とは言い難いが嘘ではない。

 しかし、一分足らずの電話を終えて、一分ほどでこう考えた。
 夢丸氏が一人で電話できてしまうほどの応募総数だったということではないか。仮に百本の応募としても、倍率は百倍なので生易しいとは言えないが、予が当初想定していたよりは、敵は少なかったのである。
 まあ、今後も案内を寄越すということなので、リベンジするかどうかは、そのときになってから考えよう。できれば、入選作を掲載した雑誌でも送付して欲しいものだ(台本が掲載されるものかどうかは知らないが)。きっと「笑い」に重きを置いた拙作とは大違いの、涙ありありの作品が選ばれているに違いないのだ。それならば「ベクトルが違ったのね」と納得も行く。

 ――んまあー、すっぱいぶどうのお話が始まったのね。言い訳する男って、あたくし大嫌いですわ!

●4/22
 某日、某賞に送付した某拙作に対して、某一次予選通過のお知らせが舞い込んだ。
 予はその通知を見て「ふーん」と思った。
 賞金付き出版社賞からのお知らせだ。謙虚に喜んでもよさそうなものだが、「まずは、よかろう」と思った程度であったことよ。まあ、いわゆる大手出版社ではないからということも関係しているのだろうが、応募前からの心積もりが大きく関係している。
 低ランクの受賞であったら、きっぱりと断ろうと思っているのである。
 この某賞の最低ランクの賞金は3万円なのだが、もしこのレベルの受賞であれば、はっきりと蹴るつもりでいるということだ。不遜にも、たった3万円ぽっちじゃ、版権は差し上げられないと考えているのだよ。どうした妄言王、おカネ大好き人間じゃなかったのか!

 ひとことで言えば、ネットから離れている間に「成長した」ということかもしれない。
 大昔、某ネット系列の賞で受賞したのに賞金枠がゼロだった、平たく言えば出版権だけ取られた(のだろうと思う)というお粗末様なことがあった。今から考えればとっとと受賞を辞退すれば良かったのだが、当時はその知恵がなかった、という痛い目を見ているので、その轍は踏みたくないのだ。まあ、現在も「ネット販売」されているし、詐欺というわけではない(たんなる予の不注意だったのだろう)から黙っている。話し合いによっては解決するのだろうが、まあいい勉強になったからいいや、それにめんどくさいやと、今のところは放置している。版権はたしか3年で消滅するはずだし(通常は契約を再締結すると思うが)、その頃にでもメールしてみようと思っていたりいなかったり。

 閑話休題。
 某賞賞金の3万円の次のランクに当たるのは、賞金10万円。これは魅力的だ。正直、いまだ迷っているのだが、しかしやはり、もし受賞しても、このランクすらご辞退申し上げようと考えている。
 次のランクが、賞金30万円。その上に伍拾萬、壱百萬と続くのだが、これらなら、文句ナシで拝受しようと思っている。
 そんなに肥大した野心なら、最初から大手の出版社賞(賞金は比較的高額で受賞数は少ない)に投稿すればよかろうとの意見もありそうだが、予が投稿したのは、実はいわゆる小説ではないのだ。詩でもなければシナリオでもない。エッセイでも論文でもない(まあ、強いて言えばエッセイに近いが、一般的にはそうは読めまい)。というわけで、文章よろず承りますという某賞が最適と判断し、応募したというわけだ。しかも、ちょうど節目の開催数ということで、いつもより特別賞(=30万円)が多めに設けられている。狙い目だったと言えよう。巡り合わせが良かった。←それは受賞してから言え
 たぶん落選しても、次回リベンジの再投稿ということは考えにくい(いやわからんけど)。

 単純に、賞金額だけの問題ではないのだ。参拾萬以上には、もれなく「単行本発行」という副賞がついている。てゆーか、十万以下、本にしないのに賞金だけくれてやる(=版権は差し押さえる)なんて、原稿の飼い殺しもいいところだと予は思ったのだね。もし本にしたければ、自費出版の費用を出しなさいということになるのだろう。そんなことをすれば、十万ぽっち、すぐに溶けてしまう。それどころか大マイナスだ。

 以前の日記にも書いたと思うが、本を出すなら「この内容でしたら弊社が全額負担で出版させていただきます」という声を出版社からゲットするのが唯一の理想である。自費出版なんて愚の骨頂。それをやるなら、編プロや出版社そのものを立ち上げてしまいなさいと予は言いたい。
 本にさえすれば印税がっぽがっぽだなんて夢想だにしていないが、賞金をもらうということは、それだけの「商品」を出版社に差し上げるということなのだ。弊社負担で、のみならず賞金を差し上げて貴殿の原稿を本にしたいのですと向こう様がおっしゃるなら、ようやくその話に乗ってもいいのではないかと考える。しつこいようだが、自費出版とは雲泥の差であることよ。

●4/21
 春になると予を苦しめてやまないもの。
 それは花粉症である。
 というのは去年までの話で、今年は調子がいい。たまに目が痒くなるが、去年までに比べたら屁のごときもの。花粉症ではなく、知らぬ間に前髪が目に触れて痒くなるだけなのではないかという説さえある。去年まで平気だったのに今年から急に花粉症に七転八倒するという例はきいたことがあるが、その逆は皆無に等しい。予を天然記念物に指定しておくれ。

 貧乏神の御利益か、花粉症が劇的に遠くなったのは幸いだが、去年も一昨年もその前も、特に春になるとその活動を活発にし、予を脅かし、怒り浸透させる輩がある。過去の日記の春頃を紐解けば、相変わらず「ムカツク」と取り上げているはずである。

 通称、白ゴキブリ。←と渾名しているのは予だけだろうな
 主要道路に、ノルマをこなすべく跋扈する、暴力を用いない強盗である。
 この前も、うっかりやられてしまった。奴はひっそりと予の愛馬(原付)の背後に近づき、やおら「ウウッー!」と吠え立てるのである。そして予に停止命令を下す。マシンの性能の差を考えると振り切るのは不可能。諦めて停止すると、「お急ぎ?」などと親しみぶって話し掛けてくるのである。そうして、スピード違反などという天下の悪法を振り翳して、予から福沢一匹を取り上げるのだ(正確には振り込むようにと違反切符を切る)。貧乏神の御利益らしい。数日は不快で不快で仕方がない。
 スピード違反をまったく悪法と思わない方々は、たぶんクルマに乗らないのだろう。そもそも、原付の制限速度がいかほどか御存知か? 聞いて驚け、わずか時速30kmなるぞ。自転車の全速力並じゃねえか。そんなんで国道を走れときたもんだ。こんな速度で走っていたら日が暮れてしまう。クルマにとっても、トロトロ走る原付ほど目障りな存在はない。
 その他、右折違反などというものもある。諸君、信じられるか。原付では、大きな道路は右折できないことになっている。予は、この悪法と戦うべく、口舌をもって何度か、予の財布を付けねらう警官を言いくるめ、切符を切られるのを免れている。論破しようなどと思ってはいけない。事実ではないと、徹頭徹尾否認するのだ。たとえばスピード違反の場合、速度メーターでチェックされなければ、確実にその言いがかりを無効にできる。逆に言うと、スピード違反だけは、警官を言い包めるのは至難だ。「メーター記録」という「物証」があるので、裁判に持ち込まれたら非常に不利である。
 義憤というにはあまりにむショボイ。もちろん私憤の割合も少なからずある。てゆーか、かなり私憤。しかし、この世で最も目障りな存在はと問われれば、ノルマにしやすい脆弱な原付を多くターゲットにする白バイ警官だ。
 とは言うものの、予とて彼らにまったく理解がないわけではない。彼らは法の執行者に過ぎないというのもあるし、それよりなにより、そういうアホアホしい法律の真の意義は、暴走族を停止させるための口実なのだという。昔、予を捕まえようとした白バイ警官がのたまわったことだから、まちがいあるまい。警察の総意ではないかもしれないが。暴走族だけに適応すると差別だの人権侵害だのなんだのとうるさいので、善良な市民も「平等に」標的にしてごまかしている。真相はどうやらそういうことらしい。暴走族は「敵意剥き出しで」警官に噛み付くが、予のように「羊の皮をかぶった狼」で異議を唱える分には、警官の正義感には着火せず、比較的穏やかに話は済む。はずだが、「中には人格的に問題のある警官もいる(=自分が権力そのものであると錯覚する)。そういうのとは一緒にされたくない」とは、前述の警官のことばである。

●4/20
 春眠北村さんを覚えず。
 ――「短編」の主催者の御名を無断で拝借して、楽屋オチをやってしまいました。笑って赦してくださるだろうという甘えですな。もし抗議をいただいてしまったら、素直に謝ってしまおう。

 八期終わりて九期来る。正直、松浦亜弥ならぬあやや、もといあらら? な投票結果だと感じたが、まあ、予自身をして優秀な読者でも作者でもないと思っているので、それも風雅よホトトギス。
 作品数が増えた。敵が増えるのは困ったもんだと思いつつも、サイト隆盛のためには、とりあえずいいんじゃないでしょうか。

 まだ、つまみ読みの段階だが、ツチダさんの作品タイトル「第10期感想一番乗り」を見て、あはは、またイタズラを始めたなと思う。拝読すると、「短編」では新参者のほうになる予をネタに使ってくれている。しかも、ご自分の作品歴を踏まえたギャグで、けっこうおいしいポジションだ(と予自身は思った)。他の肴にされた方々がどう思うかはわからないけど。個人的には大いに楽しんだが、投票するかどうかとなると、これまた別問題。これ以上ないというほどの楽屋落ちだからなあ。僭越な言い方をしてしまえば、予以外で楽しんだ読者はいるのだろうか。

 海坂さん[ http://www004.upp.so-net.ne.jp/unasaka/ ]の20日付の日記を拝読。
(なんか、久遠さん[ http://www.project-kuon.co.jp/ ]の日記の書き方をサルマネしてるみたいだなあ)
 投稿作の質については、云々できるほどの確かな審美眼を持っていると自身では思っていないのでニャンとも言えないものの(せいぜいが個人的なスキキライを言える程度)、「おもちゃ箱」と考えてはいかがかと。いい意味でも悪い意味でも、雑多&玉石混合だということです。種類も質もごちゃごちゃ。千字以内であること以外は、統一感まるでなし。あるひとが「これは駄作」と評すれば、またあるひとは「このよさがわからないとは」と嘆息する。その逆もあったりする。ごった煮あるいは闇鍋みたいなもの。掲示板での論争も個人的にはアリだとは思うが、感情に走って、肝心の創作に手が回らないという本末転倒になりかねないので、オススメはできない。
 ああ、そういや大昔、予の作品群をして、「おもちゃ箱」と評されたことがあったな。「短編」の存在そのものが、予の小説世界をデフォルメしたものかも、なんて考えが一瞬頭をよぎったが、これは予の勝手な妄想。

 おもちゃ箱でよかろう、とはいうものの、「名文はさまざまだが、悪文は一様である」という形容もある。「悪貨は良貨を駆逐する」という恐ろしい事態もあるかもしれない。(ナニが良貨でナニが悪貨かは、とりあえず措く)
 過激な意見として、「ワースト選出」の投票も同時に行なってみてはどうかというのがあるが、選ばれた人の心臓が弱ければ半狂乱になるだろうし、ただのイジメだと感じる人も少なくなかろう。
 そこまで極端に走らなくとも、商業誌のように「掲載される価値」を高める必要はあるかもしれない。予選で無票だった作品はウェブ上の掲載から外す、ただし再投稿によるリベンジを認める(対戦相手が悪かったという可能性をフォロー)とか。←これ名案かも ←自画自讃

 しかし、やっぱり自分は玩具箱の「短編」が好きなのであります――と、主催者の北村さんは考えているのではないかというのが、予の下衆の勘繰り。

●4/19
 いま、イスラム的思想が面白い!

 浦和鼠園をはじめ、米国・基督文化マンセーの日本ですが、その影響は、イスラム教徒への根強い偏見という悪影響をもたらしている側面があるように思う。日本人の口から「私、クリスチャンです」ときいてもべつに驚かないが、「私、モスレムです」ときくと、一瞬ぎょっとしてしまうのが、多くの日本人だろう。

 イスラムの考え方は面白い。はっきり言えば、好感が持てる。アラーのもとでは、ムハンマドをも含めて人は平等、アラー以外に人に命令できる者も、正邪の価値観を押し付けることもタブーらしい。宗教的習慣であるラマダン(断食月)をさぼる者がいても、「ちゃんと断食しろ」などと注意しようものなら、「おまえはアラーか?」と、逆に指弾されるそうな。神父や牧師のような存在はなく、コーランの解釈を教える程度の存在(名称は失念)があるだけで、人を矯正してやるという、ともすれば傲慢になりがちな考え方もないそうだ。東南アジアのイスラム教となると、また事情は違ってくるらしいが。

 他の宗教にも寛容で、他宗教への弾圧は戒められている。非イスラム教徒である日本人がイスラム文化圏へ入ったとき、郷に入れば郷に従えなどと考えて礼拝をサルマネすると、イスラム教徒でもないのになぜ礼拝をするのかと、逆に不快感を示されるともきく。妻帯は四人までというのは、ムハンマドの頃の時代背景で、戦争未亡人の救済政策の一環という。しかも、どの妻も平等に扱わなければならないとされ、そんなシンドイことができるか! とかと思っているのかどうかは知らないけど、多くのイスラム教徒は一夫一妻だ。過激派など、ごく一部の例外だけを見て、それをイスラムすべてであると錯覚しないことですな。

 そもそも、キリスト教とちがって「国教」なるステイタスはない。国ありて宗教ありではなく、宗教ありきなのだ。アラファト議長が来日したとき、パスポートの提示を求められて、数ヶ国のものを出し、好きなものを選ぶように言ったというエピソードがあるくらいだ。
 「宗教のために生きるのではなく、生きるための宗教(=一族の連帯感を強める)なのだ」という形容もある。労働は神からの罰で必要悪、娯楽は人間を堕落させる誘惑、と考えるあたりは日本に馴染まないが、では何に重きを置いているかと言えば、家族や友人たちと過ごすひとときだそうな。なんと「現代的」な考え方であることか。

 ただ、問題点がまったくないわけではない。約束破りは日常茶飯事だし(それを咎めると「おまえはアラーか?」となる)、役人が今日は暑いからと、気分次第で役所を閉めたりする。こんな奴が日本にいたら、まちがいなく村八分&吊るし上げだ。
 一番の問題は、コーランを凶々しく曲解する過激派の連中に対しても「それはマチガイだ」と論破できない点にある。アラーにしか、それを咎めることができないからだ。

 ――半可通で物を言うのも口幅ったいとは思うが、無知なくせにイスラムを毛嫌いする連中よりは、いくぶんマシだと思う。

 そのほかにも、いろいろと興味深い思想があるのだが、小説に生かすかもしれないので割愛。

●4/17
 うぎゃー、やべー、もう短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen ]の投稿締間近ぢゃねえか。脳みそ空っぽ。一字一句書けやしない。締切間際でヒーヒー言うのはいつものこと、ご同様の参加者もきっと少なくないに違いないと思いつつも、人はひと我はわれとて、今回マヂやべーよ。18日は仕事で雪隠詰めなんだぎゃ。やべーよやべーよ、岡村の相方だよー。連続投稿に燃えてる、参加することに意義があるとほざいたクーベルタンくん万歳[マンセー]なのに、三日坊主ならぬ三ヶ月坊主(未満)になっちゃうよー。そんなのいやだい、おねいさん助けてー!

 そういや予には姉などいないことを思い出し、マイPC君(中古品。推定年齢6歳。小学校に入学させたいところだが、人間の年齢に換算すると、たぶん年金が貰える)を、すみからすみまでズズズイーッと探索するに、書きかけの切れっぱしが見つかった。そういや一ヶ月前の投稿作『あたしはうさぎ』も、眠っていた切れ端をコチョコチョしてムニャムニャしてアブラカダブラして作品化したのを思い出し、今回もその手を使おうと、その切れっぱしと格闘すること、累計3時間。しかし案山子、どうにもこうにも膨らまず、形にならない。やむを得ず放棄して、またしてもPCを検索。するってえと、未発表の昔の作が見つかった。3700字を必死こいて千字に削りつつ推敲する。人事は尽くして天命を待つのみ。あとはどーにでもなれ投稿でポーン!
 勝負の前からこんなことかいちゃイカンが、今回の拙作は、スキキライがはっきり分かれる気がする。そしてどうも、投票する読者には「キライ派」が犇めいている気がする。生まれてこのかた、受験勉強というものに背を向け続けた報いというわけでもないでしょうが、苦手なのは、いわゆる圭子と大作です。もとい、傾向と対策です。そんなもの考えて小説を書いたことありません。

 うーむ、金銭が一切関わっていないのに、なんでこんなに必死になるんだろ。我ながら不思議だが、書き手に好敵手が多い場だからというのが、答えのひとつだろう。感想が貰える確率が高くてうれしはずかしうっきゃっきゃ、というのもあるだろう。
 しかして一番の理由は、予のネットの原点だからなのかもしれない。それすなわち「妄言王」就任の原点なのだが、むかし、そういう千字小説バトルがあった。Qを冠するサイトもそうだけど、その前にもそういうサイトがあった。ネットは不可思議な空間で、サイトが存在すれば、すぐにでも「今」として引き寄せられるのだが、消滅したサイトだと、ただただ記憶の彼方に消えて行くのみだ。「短編」には、そんなふうにはなってほしくないというのがあって、いや、形あるものいずれ滅ぶという釈尊のお言葉はごもっともなれど、少しでもその時を遅らせたい。そのためには、投稿の質と量が保たれることが肝要で、質はともかく、予が投稿すれば、少なくとも一作分、量は確保できるわけだ。少なくとも、選挙に一票を投じるよりは、その重みを感じられるのだね。
 そういえば選挙、ヒマなら行くつもりでしたが、コロリと忘れてました。一応オトナである予としては、選挙権なんかいらねーとは、言いたくても言いませんが、潜在意識の(いや、けっこう顕在だけど)拒絶は、いかんともしがたいですな。
 話がズレまくりました。「短編」でした。
 なんか、「短編」に投稿する答えが「センチメンタリズム」ってのは、やだなあ。もちろんそれはあるけど、一番の理由がそれでは、あまりに情けない。三番目くらいにしておこう。

●4/11
 バグダッド陥落で鬼畜米英大勝利!
 ……まあ、差別問題にやかましい現代では、「鬼畜」はギャグですよ、と書き添えるべきなんでしょうかね。そんなこと、わざわざ書かなくてもわかりそうなものではありますが、悪意的に読解しようと思えば、いくらでもできるだろうし。
 予はほとんど断言してもいいのではないかと思いますが、「言葉狩り」をして悦に入っている人間は、その大部分が差別心を持っていると見ています。要するに過剰反応なのです。クレームが付く前に別の言葉に書き換えてしまえ、書き換えればいいんだという安易さ、卑怯さ。ペンキ屋を塗装業にしなさいだの、チビクロサンボを抹殺してそれが正しいと信じるだのといったエセ正義のありようは、日本のいびつな文化の一例だと思います。落語にも、いくつもテレビ放送できないものがあるようです。「現代用語の基礎知識」ならぬ「現代用語のクソ知識」というタイトルで、「差別に配慮したつもりのくだらない言い換え」を収集したら面白いだろうなと思った時期がありましたが、だんだんバカバカしくなってきてやめました。
 こう書くと、予は差別主義者だと思われるのだろうか。予はたんに、「差別主義者でないふりをしている差別主義者」が大嫌いです、と言ってるだけなんですけどね。偽善者クソックラエってことです。

 閑話休題。こうしてはやばやと戦争が終わるのは、てゆーかフセインが負けるのはわかりきっていたことで、そんなことをやいのやいのいうのは頭が悪いの。危惧すべきは、早期終結したんだからこの戦争は正しかったんだという肯定派がたくさん出てきかねないことです。人の歴史は戦争ですが、戦争において最もナンセンスな価値観は正邪です。戦争のあとには、勝った官軍と負けた賊軍があるばかりです。たしかなのは、死ななくてもいい人が殺され、戦争によってイラクの歴史は塗り替えられたということだけです。日本という卑近な例から考えるに、一部西洋化されるんじゃないでしょうか。それがいいんだか悪いんだか、なんとも言えません。それは後世の人間が判断することです。ただ、残念ながらその行く末は、あまり日本人の知るところではなくなるでしょう。というのも、マスコミは戦争が大好きで、その後の復興支援なんて地味な報道は、あまり好みではないからです。

 フセインだのビンラディンだの金正日だのブッシュだの、個人に集約して話をするとスムーズで「面白い」ですが、それは比喩として有効であるというだけで、その分、実情からはやや乖離した解しか導き出せないでしょうね。これは予も含めてです。その程度でしか認識できないんです。そりゃそうでしょ。強大国家が弱小国家の一般人を、海を越えて殺しに行く理屈なんて、簡略化してせいいっぱい理解したつもりでいないと、どうしてアタマで処理できるもんですか。


●4/10
 不況だ不景気だと、呪文のように唱えながら歩き回るのが最近の流行のようですが、貧乏神に愛された予に言わせれば、経営者以外が(あえて過激に言えば、宮仕えの分際で、と言い換えてもいいですが)、不況に脅威を感じているなんてウソなりね。あれは挨拶みたいなものです、実際、予もたまに相手に合わせて口にしますし、相手も同様ですが、本気で不況を憂いているとは思えない。ムードが暗いみたいだぞ、といった程度のことではないかなあ。そんでもって、そのムードを作り出しているのはマスコミで、マスコミはそれをやると儲かるからやるのです。経済的に報われないんだったら絶対にやらない。ちうか、やれない。安月給でも低能でもサラリーマンをやっていけてる国。ホームレスが「仕事がないぞヤベー! マヂヤベー!」と必死な形相をすることもなく、のほほんとホームレスとして存在していられる国。隣国の「エセ楽園共和国」と比較するまでもなく、なんて豊かな国なのかと思いますよ。ただし、かなりいびつですけどね。
 要するに、経済的な安定を求めるなら、サラリーマンという地位ほど良いものはないないと言いたかったのです。植木等が、
「♪サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ」
 と歌ってだいぶ経ちますが、予はこの歌は今でも通じると思いますね。まあ世間の誰も賛成しないでしょうけど。不況だとか不幸だかとかは、過去や他者との比較から起こる感傷にすぎないのであって、バブルに帰りたいと思うんだったら、首でもくくって死ねばいいんじゃないでしょうか。←言いすぎ
 忙しい忙しいとぼやくのもいいですが、ヒマでヒマで死にそうな状態よりはマシではないかと思います。

●4/9
 エッセイストってスゴイよね。よくもまあ、あんなに珍奇な出来事がバカスカと起こるものだ。……と思ったことはありますか?
 先に結論を言ってしまえば、あれは私小説なのです。
 「あれ」が「どれ」を指すのかは曖昧なままにしておきますが、要するにプロのエッセイストの作品のことです。
 面白さのためなら誇張はもちろん、ウソさえ交えます。それがプロのエッセイストです。そんなところは小説と一緒。
 でも、社会的地位というかギャラというか、要するに扱いは「小説家」のほうが格上なのですね。その下には、ライターとかいう下級階層が存在するようですが。英語で書けばwriterで同じなのに、日本では厳然たる身分制度があるようです。
 要するに「物書き」にも階級が存在するという話なんですが、その線引きとして最も重要な基準は「カネになる原稿か否か」であるように、予は思います。大金に化ける原稿を書けばエライ。ということは、総じてエッセイより小説が売れる……とまあ、こういうわけらしいんですが、これでもって「じゃあ小説家が儲かる」というのはとんでもない話で、効率よく儲けたいならサラリーマンが絶対に得策です。そんなもん、プロ作家でもそう答えるのは明白なのです。←正直に答えてくれると仮定しての話ですが
 それでも作家を目指すなら、社内の出世はあきらめて飼い殺しされつつ二足のわらじを履くか、一生フリーター的な生き方を貫くか、そのどちらかの覚悟が必要かと存じます。「作家になるには云々」なんてご託宣を、作家として大成した人が筆舌にあらわしても、それはその人が結果論として導いているものにすぎないのだから、参考にはなっても実践はできない。将来のライバルを増やすようなことを本気でやっているとも思えない。何しろ作家とは、面白さ(興味を引く)ためにはウソをてんこ盛りにする人種なのだから。そして、そんなことを書かれても「そのとおりだよ、あっはっは」と笑っていられる種族なのだから。たぶんね。

●4/8
 四月八日はシャクソンの誕生日です。
 え? フランス人じゃないですよ。シャンソンに似てますが違います。漢字では釈尊と書きます。釈ゆみこの尊称です。……こおして、ほんのわずかな可能性にかけてワライを拾おうとする予ってばケナゲですなあ。←イヤシイといったほうが正しい
 お釈迦様の誕生日を祝って、日本の寺では甘茶を飲む習慣があります。どの宗派も、他国の仏教でもそうなのかは知りませんが、予は幼少のみぎり、一度だけ飲んだ事があります。マヂ甘いでやんの。あまりに甘ったるいので、「あんな甘いのはお茶じゃないやい」とケチをつけたら、「じゃあ今後、紅茶は砂糖を入れずに飲め」とツッコミを入れられたので、「いやいやあれはお茶だった。加藤茶より確実にお茶だった」とあわてて訂正しました。←ウソ濃度60%
 ニセ英国人である予は、コーヒーよりは紅茶派ですが、紅茶には砂糖を入れて飲みます。もっと言うと、自販機の紅茶はミルクティーしか飲めません。通に言わせると、「砂糖もレモンもミルクも、紅茶本来の風味を壊す邪道に過ぎない」ということになるのでしょうが予は……と、反論するかと思いきや、さにあらず。まったくその通りですと、全面的に認めちゃう。でも、その通りだからこそのミルクティーなのです。だって、自販機レベルの紅茶に、ストレートで味わえる風味を求めるほうがまちがってるやん。
 釈迦の誕生日に戻ります。
 物事がダメになるこを「おしゃかになる」と言いますが、あれは焼物から来た言葉だそうですね。焼物を窯から出したときに、失敗作を見て陶工が「火が強かった」と反省する。それが江戸弁だと「しがつよかった」と訛る。「しがつよかった→しがつよっかだ→四月八日だ」と転じたんだそうです。なんかうさんくさい語源ですね。うさんくさいからこそ好きな説ですが。

●4/6
 ティヴィーで、はぢめて綾小路きみまろを見ました。
 うーん、ビミョー。
 かつて世間を席巻し、いまや「おちぶれ芸人・あの人は今!?」を冠するに最もふさわしい芸人という意味で逆説的に有名な、つぶやきシローのほうが、よっぽど面白いんぢゃなかろうかと思いました。ちなみに、彼と、室井佑月とかいう作家とは、昔付き合っていたそうです。……いや、だからどうしたと言われたら困るんですけどね。聞きかじり満載の日記なのだからしかたがないのだ。←と開き直るのだ
アタマにきみまろをもってきて、つぶやきシローでしめるこの文章はどうかと思います。
 やはり、芸能界(しかもハシッコのほう)を肴にしようとしたのがまちがいでした。ナンシー関には程遠いなりね。

●4/4
 戦争報道、見てますか?
 あのね、予は思うんですが、見るに値しませんよ。
 反戦運動、賛成ですか?
 あのね、予は思うんですが、どこかヘンですよ。

 耳目を集めるには、時事ネタから入ればいいだろうとは思いつつも、予は長らく避けてきました。というのも、百花繚乱、もとい百家争鳴、戦争反対から戦争賛成まで、どこをつついてどうほざこうとも、誰かの意見とカブっているだろうと考えるからです。問題が問題だけに、ユニークな主張でなくてもいいんだということもあるでしょうが、なんか人の生き死にを「肴」してしまうような、わずかばかりの罪悪感が生じてしまうのですね。物書きにあるまじきことですな。

 戦争の報道ですが、見るに値しないというのは語弊がありますが、でも本当にそうですよ。テレビを通じたら、なんだって「劇場」に見えてしまうんだから。せいぜいが「ノンフィクションっぽい映画」を楽しむような感覚にしかなれないんだから、日本では。予はそんな不謹慎なことはできないので、ほとんど見ません。ウキウキしながら葬儀に参列するくらいなら、心の中で故人を偲んで不参加のほうがいい、というのに似てます。マスコミのピーチクパーチクな囀りを見聞きするよりも、リッター92円だった近所のガソリンスタンドが100円になっていた事実。そんな庶民感覚ではじめて、イラク戦争を「実感」しました。恥ずかしい限りですが、多くの日本人も、似たり寄ったりだと予は思いますね。
 それにたとえば、北朝鮮への米支援に賛成ですか? 賛成だというのなら話すことはないですが、反社会的組織に募金したくないですよね。でも、戦争報道に目が釘付けになるということは、死の商人に投げ銭をしているに近いと感じてしまうなあ。あ、武器商人じゃなくて、ニュース商人のほうですけどね。戦争のおかげでマスコミは潤ってること確実なんですから。軍需の恩恵に浴していれば、そりゃ死の商人でしょ。――まあ、そんな「あたり前」のことをトクトクと語るのはスマートでないですが、要は「マスコミ劇場」にだまされるのがイヤで見ていない、ちうことに尽きます。鵜呑みにするな、てめえの判断で情報を取捨選択せよ――とまあ、これまた面白くもおかしくもない正論につながるんですけどね。んで、予は戦争報道に関して言えば、捨てる情報が95%だということです。――あ、言うておきますけど、戦争がどうでもいいと言ってるんじゃないですよ。戦争報道のほとんどが、戦争を肴にしている軍需組に思えてしまう、ちょっとヘンテコリンな予なのです、と言いたいだけです。軍需すなわち悪、と短絡的に考えられるほど予は天真爛漫ではないですが、あまり好意的ではないなりね。
 某大新聞はご存知のとおり、ブッシュの提灯持ちですから、太平洋戦争、大東亜戦争と言ってもいいですが、その頃から進歩がないですね。マスコミは権力から独立していることに意義があるんだと学校では学んだ記憶がありますが、じゃあ今の某大新聞は昔から存在意義がないですね。まあ、購読していないので、予にとっては存在していないのと同じですが。

 ぢゃあ反戦運動こそ正義かというと、そうでもない臭いがするのだから、人間って面白い。どう言ったらいいのか、うーん、お祭り気分なのかなと勘繰ってしまうんです。韓国なんかでは暴動が起こっているのに、日本ではせいぜいが垂れ幕をぶらさげて「せんそーはんたーい」と生ぬるい声を上げている程度。フヌケたデモは、「しょせんその程度の反対か」と、逆の意味で世界にアピールしかねない。流血を見ない究極の反骨は納税拒否だと予は思いますが、戦後五十年、国家という概念を喪失している日本人にとって「納税拒否」の意味するところは、ノムラサチヨとかいう婆さんに見られるような、私腹を肥やす行為としか、なり得ないでしょうね。国家がシッカリしていないから、その国家に反骨を示すことすらままならない。星新一は「SF作家は、科学者の頑固さに対する反骨が命なのに、曲学阿世のやからが増えた」と嘆いたが、サンドバックがふにゃふにゃだから、反骨のサムライも生まれにくい。ありていに言ってしまえば、とてもいびつな国だと思います。でも住むには一等地だと思います。こんな奇妙な国、そうかんたんに理解できてたまりますかってんだ。アメリカはその点、単純なほうだと思う。多くの国民が大統領の元に結集するらしいですからね。真っ当な国家だと思います。でも狂気も真っ当に反映されるのが皮肉だ。
 誰だって戦争はイヤです。予だって嫌です。我が身に降りかかるのはもちろん、他所でやられるのも非常に不愉快です。国家に生命や家族や財産を奪われる大不幸を、誰が好き好みますかってんだ。それは戦争ゲームに興じている若者も例外ではない。多くの国家元首でさえ、戦争自体は好むところのものではないと予は思います。戦争にメリットがあるから、あるいはそうせざるをえないから行なうまでのことです。外交など、舌先三寸や筆先一寸で片付くことなら、そっちで処理するんです。当たり前じゃないですか。そっちのほうが国力の疲弊がずっと少ないんですから。つまり、戦争を望む人間は、ラムズフェルドのクラスになると知りませんが、まあ、ほとんど存在しないということです。
 それでも起こってしまうのは何故なのか。大事なのはそこぢゃないですかね。「メリットがあるから」「そうせざるをえないから」というのが答えはありますが、実は答えになってません。具体的にどういうことなのかを検討すると、テロへの報復(見せしめ)だの、石油の利権だの、戦後復興の軍需だの、いろいろと言われていますが、どれだろうなあ、なんて悩むのがおかしい。全部ビンゴなんです。それはアメリカの意図を読み解いているというよりは、そういう旨味がありますということを見つけたに過ぎない。本当の理由は――ブッシュやその側近が、フセイン一派を目障りだと思ったから。この一点に尽きます。要するに好悪なんです。フセインがどんな極悪人だろうと、日本のごとくアメリカに忠誠を誓っていれば、アメリカは彼の頭をなでなでするのです。ごちゃごちゃ言うから深い理由がありそうですが、しょせんそんなもんです。フセインのヒゲが気にいらねえ。象徴化して言ってしまえば、そんなかんじです。
 なるほど、戦争報道の95%は捨てるわけだ。


●4/3
 4/1の日記を読み返したんですが、びっくりしました。
「うわー、くだらねえこと書いてやがる」
 まあ、少しでも読者を意識してモノを書いたことがある人なら、一度や二度は見舞われる「自分の文章がくだらなくみえてしまう病」だと思いますが、そこへきて、本当に面白味がないとなると、症状はさらに悪化しますな。しようがないんで、四月馬鹿に免じて許してやっておくんなせえ、と自作自演で泣き付いてみます。なんて泣き言を書くと、さらに白けてしまって駄文チックなかんじがしてくる。デフレスパイラルみたいなものですな。わーい、ピリッとしゃかい風刺にせいこうしました。予ってばインテリヂェンスー。

 せっかくですから、4/1の日記、ドコがドウくだらないかと分析してみるに、CM云々の箇所。正論すぎるんですな。下手をすると、新聞の投書欄に載ってしまいそうな駄文でした(←語弊ありまくり)。当たり前のことを当たり前に書いても、そりゃ面白いわけがない。それなら書かないほうがマシ。あと、読者を意識した、なんて書いたのはいただけません。そんなのはWEBである以上は当然だし、それは文章の書き方で示せばいいのだった。反省反省。
 ぢゃあ、面白い文章(たんに笑えるという意味だけではない)はどうやって書くかというと、これは実は、ごっつ簡単なんですね。
 心が踊っていればいいんです。♪ぴーひゃらぴーひゃら パッパハラショー
 でも、人間いつもウキウキしていられるわけでもないし、踊り狂うほどになってしまったら、「ひとりよがり」に突っ走ってしまってダメですね。でも「ひとりよがり」というか、まずてめえを晒すところから作文は始まるので、そのバランスが難しい。
 うーむ、やたら論理的に考えてしまってる(それでいて結論を導いていない)のが、そもそももマチガイのような気がしてきました。歩くときに、えーと最初は左足から、いや、右かななんて考えないもんな。


●4/1
「あっしですかい? 妄言王というケチな野郎でさ」
 という言い方がある(世間で頻繁に使われるかまでは知ったことではない)。
 上記は謙遜する文化がある(たぶん)日本独自の言い回しだが、予は文字通り「ケチな野郎」で、はっきり言えば吝嗇なり。まあ、給料なる安定収入を「予は王なるぞ。宮仕えなぞ出来るか」という理由で避けているから(ウソ混じり)、なんて言い訳もできるが、性格なんでしょうな。
 そのくせ「節約術」とやらには、さほど興味はない。電気をこまめに切るとか、スーパーのタイムサービスを利用するとか、バーゲンは逃さないとか、風呂は水の入ったペットボトルを沈めて湯を節約するとか――そういう行為でもって「ああ、これで得しちゃってるのね。むふふ」と充足感に浸ることはできない。もちろん、そんな節約を実行している人たちに悪意はない(興味はないといったのは、予はそれらを実行できるほど細やかな性格ではないというだけのことなり。ただ、仕事として書くとすれば、面白いだろうなあとは思う)。ただ、こういう「主婦感覚」に訴えかけているつもりらしい、アホなCMには辟易する。新型冷蔵庫やエアコンなどを売りつける文句として「従来品に比べて電気代が月ン十円もお得」――こんなアホなメッセージに「ああ、そうなのか」と飛びつく視聴者がいるのか。いるのだとしたら与太郎の子孫にちがいない。落語的としかいいようがないですなあ。これが千円や二千円程度の製品ならまだわかるけど、代金にン万も払わせておいて、月百円ぽっち得しようが、そんなもんでお得感が出るもんか。予はケチだが、本末転倒なケチではないし、緻密なケチでもない。
 いやいや、そういう話をしたいのではなかった。金銭に関してケチなのは、まあ、いいとして、文字に関しても「ケチ」なのは困ったもんですなと、話を続けたかったのだ。妙なもので、「このネタは面白くないから書かないでおこう」なんて自粛が非常にしばしば起こったりする(しばしば、なんて日本語も老齢化してる(=死語予備軍)なあ)。忙しくて書けないこともあるが。あ、この日記のことですよ。それはつまり、多分に読者を意識しているということなんですが、他の文章はともかく、この日記はもっと「湯水のごとく」こしらえないといかんなあ、と開き直ることが大事だと思い至りました。書くことで考える。これですね。今まで予は考えをまとめてから書こうとしてた。もちろん、それは大事なんですが、日記はそこまでする必要がないというか、たとえば小説の創作とは全く異なるものだということです。それをダラダラ読ませるのは軽犯罪だから、ジョークというスパイスを加える。――うん、これだね。これでいこう。
 そんなわけで、以後はこの日記の更新頻度が高まる予定です。
 もっとも、4月1日の日記であることの意味を考慮しておくれやす。←もう逃げを打ってる

●3/31
 昨日の日記には、本が売れない原因として「インターネットの隆盛」を挙げるのを忘れていました。同時にネットは、文章を書きたい、本を出したいという人間を激増させた一因でもあります。予もそんな人間のひとりであることは、ほぼまちがいないようです。これ以上ネットが隆盛すると、パイが減るぢゃないか、あーやだやだというのがホンネではあるものの、コネも広げやすいし納品もメールで済むしネット時代の申し子だなあというのもホンネです。競争原理からすれば、「本」に対して「サイト」という競合が現れるのは、お互いの質向上のためにはいいんぢゃないでしょうか。淘汰されるし、実験的な試みも増える。予のような末端に支払われる原稿料はひどいものがありますが、バブルを知らない予には、まだ受けようがあります。惨めだの不幸だのという感情は比較から起こるものであり、その点、予は惨めにも不幸にもなりようがない。しかも、とりあえず飢餓がない日本ですよ。特に不満なんかないなあ。清貧とは言わないまでも、貧乏ですか、ああそうですかと笑っていられる。それすなわちハングリー精神の欠如とも言えるから、美点と笑ってばかりもいられない。

 貧乏をしていて唯一損をしうるのは結婚ですが、そもそも予は経済的な安定志向が薄く、そういう奴にとっては結婚に多くのデメリットを感じる。だから積極的ではないし、「男に養われる」を是とする嫁は、こっちから願い下げなり。予は、いわゆる「西洋かぶれ」がキライですが、フランスでは、夫婦の財布は別、割り勘が基本なのだそうな。素晴らしい。それでこそ男女同権だ。てゆーか、男女同権が欧米的な考え方であるということが、そういう夫婦の形態ならすんなりと納得がいく。しょせん男女同権という考えは、日本に輸入したものの、そう簡単には根づかない異文化なのだ。いや、それは日本の、いわゆる古典的な結婚形態が残っているからで、それはそれでいいんですが、それで男女同権だなんて、なんかヘンだ。「男に養われる=男が威張る」を認めておいて同権だなんて、ぶわっはっは。……いやいや、もちろん「内助の功」というものがあります。それをひっくるめて言うと「経済的には男が強く、精神的支柱の意味では女が強い」のであって、お互いに弱みも強みもあるというのが、日本における古典的な夫婦形態の実体だと予は思う。予は経済的な安定志向が薄いのだから、必然的に、こういう古典的な結婚にはそぐわないということになる。財布を分かつことに異論のない女性となら、結婚できるかもしれない。それができて初めて、真の意味での男女同権ちゃうの? 要するに、スローガンと実体に、若干(?)ズレがあるのだよね、日本は。

●3/30
 今宵は、題して「出版不況を考える」。
 大上段に出たけど、まとまった持論があるわけではない。構成だてて論じようというつもりもない。まあ、メモ程度に。
 ……あ、日記って、そもそもそういうものでええんちゃうんか。小発見! ←しょーもなー

 出版界では、本が売れないといわれて久しいが、原因は予の見聞する限り、さほど複雑ではない。
 本そのものがつまらんのだ。バブル期には、本を作っている連中でさえ「こんなんで売れるんかいな」という本が、バカみたいに売りさばけたそうな。不況で読者がケチになったという言い方は正しくあるまい。購読者の目がシビアになっただけのことだ。
 じゃあ、その購読者の御託宣に則った売れ筋はナニかというと、ゲームの攻略本だというのだから、とほほな気分になるひとは多いと思う。特に、小説なんぞで身を立てようなんて大それたことを考えているひとにとっては(予? 予のことはひとまず忘れてくれたまい。ふひゃひゃ)。「ゲーム」というと「関係ないやい」と縁遠さを感じる人も、実用書やハウツー本と言えば、なるほどと首肯するにちがいない。読者としての予も、小説はほとんど読まない。そのくせ「小説家になる」という本は、買いはしないが惹かれはする。これも実用書・ハウツー本の類いですな。
 多少特殊な職業に従事している人やちょっと変わった経歴の持ち主は、そこから「実用」「ハウツー」「実録」を導き出して本にする(出版社に売り込む)ほうが、「本を出す」ということが目的ならば、早道のような気がする。また、資格取得が流行っているが、「○○という資格を取りました」よりは「○○という本を書きました」のほうが、世間的に信頼度が高いだろう。
 とはいうものの、流行りの自費出版はいかがなものか。つまりは出版社がまったくリスクを負わずに出版するので、著者にとっては「本を出版した」というよりは「大枚を投じて本を作った」といったほうが実状に近い気がする。商業ベースにも乗りにくいだろうし。「自費出版」というだけで、出版業界のひとたちは、内心軽蔑する。「お金をもらってお道楽に付き合ってあげる」というのが、偽らざる心境だと思う。自費出版をメインに据えた出版社でも、賞を創設して原稿を集めるということをしている所もあるようだが、もし受賞したら、タダで出版できるんだということを確認し、印税契約とかも明確にし(できれば直に赴いたほうが良い)、友人知人にも「そういう本なんだ」ということを知らしめたほうがよい。出版関係に勤めている者がいるならなおさらだ。商業出版と自費出版は月とスッポンと、予は見ている。たぶん真実からさほど乖離した見方ではあるまい。「自費出版しませんか?」と「弊社のカモになりませんか?」は、たぶん同様のことを言っている。カネを払わされて、あげくの果てに「出版権」まで差し押さえられてしまうのだ。「著作権」が作者にあっても「出版権」が取られてしまったら、それはクルマは自己所有だが公道を走ることはまかりならん、というのと同じだ。陸運局がナンバーでクルマを管理するのと同様やね。――少し強く言いすぎたけど、印税で稼げる可能性は、まあゼロではない(でも極めて低かろう)と付言はしておいて、一応のフォローとする。

 もうひとつ、再販制度(=本の末端価格を出版社が規定できる制度。他にも新聞や雑誌やCDなどに適応されている。他の物品なら、独占禁止法に抵触する)について書こうと思ったが、これは微妙ですな。
 まあ、純粋読者としては、こういうかんじかな。
「再販制度なんか撤廃すればいいんだ。おまえが存在するから新刊が高騰したままなんだ」
 なんて言うと、「東京でも山奥の寒村でも同じ料金という安定性が失われる」という反論があるが、逆に言うと、地域による賃金格差を無視しているとも言える。インターネット書店は特に、人件費がかからない分、格段に安くなるでしょうな。一般書店でも新刊が安くなりうるから、たぶん読者は得をする。高くもなりうるが、それは他の物品も同じこと。出版社も、売れないよりは多少安くても売れたほうがマシなので、長期的に見れば得――と言いたいところだが、これはもう経済の領域なので、いくらシミュレーションを想定してみても、実際にやってみないとわからない。
 在庫を抱えるから価格を高めに設定しなければならないという出版社の事情もある。その解決策として、オンデマンド出版がある。要するに、注文を受けてから本を作る方式だ。そりゃ経済的∠搏Iな観点から言うと一番の方法だが、本好きは本を手にとってみて購入するか否かを決めるというフェチに近い部分があるみたいだからなあ。サンプルを書店において、そんでオンデマンド出版したものを後日届ける――宅配に無用な金がかかるか。難しいね。

 なんて書き散らしているうちに、出版ってビジネスなんだねと、当たり前のことに改めて思い当たった。
 中小の出版社(つまり日本の出版社の大半ということだが。このへんの事情は日本の大企業と中小企業の割合と同様)のなかには、それこそ採算を度外視しても、社会的に意義があるから、この原稿は出版すべきだというロマンに燃えているところもあるかもしれない(儲けようにも儲けられずにくすぶってる、詐欺まがいに原稿の諸権利を抑えてしまおうというところもあるだろうけど)。版元が何処であろうとも、「これは弊社のほうで出版費用を負担しましょう(=「非」自費出版)」と、つまりそれだけの価値があると言わしめるだけの原稿でなければ、出版する甲斐はないと予は思う。「お道楽だなあ」気分で本を作られては、著者としてもつまらない。書きたいことだけを書き散らして発表するだけなら、ホームページで十分にその役目を果たせるではないか。
 ――このサイトみたいにね。←やはりそういうオチか

●3/28
「おや、久しぶりだね。ここのところ姿を見かけなかったが、どうしてたんだい?」
「これは御隠居、御無沙汰しておりやす。……あるひとに『落語でも書いてみな。大昔、書きてえとか、ぬかしてたろ?』ってんで、新作落語の台本募集の要項をお知らせいただいたんですがね、そいつに向けた作品がまあ、それなりの形で書きあがって、推敲も一応終わったんで、こうして日記にしたためてるってわけでさ。その、あるひとへの報告も兼ねてね」
「『あるひと』って、わざわざ伏せる必要があるのかい?」
「かまやしねえとは思うんですが、一応メールでのお知らせでしたんでね。そのひとのウェブ日記には『あるひとにメールした』とだけ書いてあったから、こっちも真似して「あるひと」と伏せさせてもらったってえわけです」
「そうかね。……それで、その落語の台本の出来は、どんな塩梅だい?」
「それがね、新作落語の募集なんですけど『日本人が着物を着ていた時代を設定し、ストーリー性のあるものを求めます』ってえ御託宣だ。まあ一応、古典落語の文庫本が手元にあったんで、文体はそれに倣って書いたんですが……慣れねえ江戸弁でしょ。穴があるんじゃねえかと心配[しんぺえ]なんです」
「ははーん、古典落語の風格で新作落語をこしらえろというわけか」
「へえ、そのとおりなんで」
「だったら、いまのおまえさんみたいに、メールだのウェブだのストーリーだの横文字は入れちゃいけないよ。片仮名は御法度だ」
「それが……入れてるんでさ」
「ばかっ、そんなことしたら『日本人が着物を着ていた時代』の雰囲気がぶち壊しじゃないか。それともなにかい、舶来品を扱う話でもこしらえたのかい」
「いえ、『ツラ』ってえ言葉に、カタカナを使ったんです。そうしねえと、どうも雰囲気がでねえと思ったんでさあ。『面』と書いたんじゃあ、メンともツラともオモテとも読むでしょ」
「撰者なら、その程度の読み方はお手の物だろう。おまえさんが心配することじゃないんだよ」
「いえ、撰者が読みちげえるたあ思いませんが、あっしが読みちげえる」
「書いてるやつがまちがうんじゃないよ。……で、自信はあるか」
「へ?」
「せっかく書いて郵送するんだから、賞をいただく自信があるかってきいてるんだよ」
「利休ですな」
「利休とは大きく出たね。そんなに自信満々かい」
「いえ、その心は、茶道(さあ、どう)でしょう」
「だらしないねえ、どうも……。話の筋をここで割ってしまうことはできないだろうから、題だけでも教えてくれないかい」
「だい? お代は賞金30万円。枚数が400字詰換算で25枚程度ってんですから、1枚が福沢以上になるって寸法で……うしし」
「賞金を代金だと思ってやがる。……そうじゃないよ、おまえさんが書いた落語の題名を教えてくれと言ったんだ」
「ああ、タイトルですかい。『犬も食わない』と名づけやした」
「ふーん、夫婦喧嘩の話かい?」
「へえ、まあ、そんなところです。本当は『浮世床』みてえな、くすぐりだけで成り立ってるような噺を書きたかったんですが、ストーリー性を求められてるんで、とりあえず喧嘩してもらったんでさ」
「ふーん。で、喧嘩の原因はなんだい?」
「え?」
「喧嘩の原因はなにかってきいてるんだよ」
「……あ、書いてねえや」
「書いてない? なんだかおまえさんの台本は、文体以前の問題だな」
「……じゃあ、お尋ねしますが、『猫久』は、主人公が怒り狂ってる原因が出てきますか? 出てこないでしょ? 言ってみりゃ、ごたごたの元なんか書かなくても、落ちをつければ、ちゃんと噺になるんだ。しかも、こちとら仕込み落ちだぞ。そんじょそこらの地口落ちたあわけがちがうんだ。そういうふうに、最初っから計画して書いたんだい。それを文体以前たあ、なんだ」
「……そうかい、地口落ちを軽く見ているらしいのは感心しないけど、これは私が悪かったよ」
「(小声で)たまたま『猫久』を読んでてよかったな。それらしい言い訳ができた。……仕込み落ちなんて言ったけど、お筆先でそれらしく書いただけだし、見方によっちゃ、ただの地口落ちだ」
「……じゃあ、よほどの自信作なんだな」
「え?」
「だから、賞は獲ったも同然だと言ったんだよ。江戸っ子は宵越しの銭は持たないものだ、長屋連中で吉原にでも繰り出して……」
「たぬきヅラの隠居が、獲らぬたぬきの皮算用してやがら」
「なんだって?」
「いやべつに。……御託宣はまだあるんですよ。『夢があり、人の心があり、楽しく、またある一面悲しさもある骨太の作品を是非とも書き上げお送りください』って、こりゃあたぶん人情噺かそれに近えもんを求めてるんだと思うんですが……無茶でしょ?」
「まあたしかに、おまえさんは、くすぐりの才能はそこそこあるかもしれんが、人情噺って柄じゃないからな。……おまえさんの書いた噺に、夢はあるかい?」
「へえ、夢枕でお告げをきいたやつが出てきます」
「それは少し意味がちがうと思うがな。……人の心はあるかい?」
「……さあ」
「楽しい噺かい?」
「噺家の腕が良ければ……」
「このばか、噺家さんに責任を押しつけてやがる。……ある一面悲しさを持った噺かい?」
「もてねえ野郎が、もててえと嘆いておりやす」
「弱ったね、そんなものを悲しみなんぞと言ってもらっちゃあ……。……落ちは? 仕込み落ちとか言ってたけど、きれいに落ちてるんだろうね」
「まあ、そこそこ……」
「頼りないねえ、どうも……。なにかひとつぐらい、自信があることはないのかい?」
「ひとつだけあります」
「ほう、なんだい?」
「入選は一作だけのようですから、ずいぶんと狭き門です」
「それで?」
「あっしの家の入口のほうが、よっぽど広えや」


参照: 第3回 三笑亭夢丸「新江戸噺」台本募集(※たぶん時限リンク)
http://compe.japandesign.ne.jp/ap/01/lite/daihon/index.php3


●3/22
 短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]の第七期終了。予選・決勝とも、予が投票した作品がすべて予選を通過し、かつ優勝をかっさらっていった。予の読みってスゴーイわーいわーい、と喜んでいいやら悪いやら。って、もちろんこれは短絡的なのであって、どちらも大接戦だったゆえに、結果的に死票にならなかっただけの話ですな。
 翻って第八期。うーむ、これはわからん。この駄文をお読みの方々に予見を持たせてしまうのはどうかと思いつつ、物言わぬは腹ふくるるわざ、七期でその思いを強くしたので、節度を弁えつつほざいてみると、作品群を見ると、ありきたりなタイトルは、それだけで損をしている気がする。
 今回は惹かれるタイトルからつまみつまみサクサクと読み終えられたので、全感想を書いてみよう。感想というより雑感ですな。
 以下は、「短編」の8期作品を読んでから読むように。これはお願いというより義務です。いやマヂで。


1.アクロスティックな幽霊
 「心霊オンチ」というアイデアは面白いと思った。オチはさほど悪くないと思うものの、表現がスマートではないように感じた。与太郎を冠するなら、もっと「間抜け落ち」を強調してもよかったかと。

2 春疾風
 舞台が江戸なので、こんな良妻はもはや絶滅種ですよ、というふうに読めてしまった。添い遂げるにしても、腐れ縁だと毒づきながらも夫を気にかけるほうが、個人的には好み。

3 夢の列車
 ニューロン内の云々の箇所で、博識というよりは衒学を感じてしまった。初対面でこんなふうに翻訳漢語を重ねて話されたら、予はイヤだなあ。ギャグならともかく。真の博識は、難しいことを簡単な言葉で話せる人物だと思うなり。「ユングの入門書」をそのまま抜き出したような箇所も同様。計算されているんだけど、その計算が悪い意味でチラついてる気がした。話自体は嫌いじゃないけど。

4 雨
 よく言えば、読者の想像力を掻き立てる作品だろうが、残念ながら予は「読解するのが煩雑」と感じてしまった。人によってはツボにはまる作品なのかもしれない。

5 作家の風景
 まんまと作者の罠にはまって虚を衝かれた。というと単純に称賛しているように思われそうだが、相撲で言うとネコダマシ。いざ投票となると、かなり躊躇してしまうのは確かなりね。

6 女子高生ミサキのハードボイルド
 まずタイトルで笑ってしまった。ギャグだと思ったらそのとおりだったので「わーい」と思った。「純情パイン」とかいうタイトルだったと思うが、昔ジャンプで連載されていた、少女が巨大化するギャグ漫画を想起した。もっとはぢけてもいいのではという意見もありそうだが、この抑揚はアリだと思う。

7 サラバ愛しき
 時事風刺としては秀逸。ニシタマオとリストラの料理。時事風刺は腐食も早いので、個人的にはあまり好きではない。もっとも、ガリバー旅行記は当時の政治を風刺したものらしいが、現在の読者はそんなの知ったこっちゃない、という例もあるので、時事風刺が作者の意図でも、数年後の読者はべつの読みをするかもしれない。

8 赤い男
 作品の命(のひとつ)とも言えるオチが弱い。たとえば、色を変えていなかったがゆえに(なんらかの因果関係で)敵にやられてしまうとか、もうヒトオシほしかった。

9 そんなことはどうでもいいんだ
 タイトルの意味も、オチもいまいち読みきれないが、読ませる文章力はあると思う。ただ、これを面白いと思うかどうかは、賛否両論のような気がする。

11 パーティー
 具体的にケチをつけるべき箇所はないように思うが、どうも釈然としない。どこが気に入らないのかと、暫く考えてみるに、主人公が現在、パーティーの主催者なのか、それ以外にいるのか、混乱するからかも。あと、この作品世界なら、濡れ場がないとかえって不自然かな。

12 枕
 「春疾風」の雑感と対応するが、女心を描くなら、こっちのほうが好み。「キス」という語や場面を描かずに、それを読ませるあたりもよい。作者は、こういう、ほのぼのとしたかんじのものを書くのが巧い。

13 エサをあたえないでください
 タイトルからギャグを期待してしまった。すんまそん。主人公の一大事を、主人公をふくめ登場人物がそろいもそろってサラッと受け流すことで、ニヒルな世界観を表わしたかったのだろうか。主人公の動揺が、味覚を通じて描かれるアイデアはよいと思うが、透も母も、あまりにそっけなさすぎるので(それが狙いであろうとはいえ)、リアリティが薄れている気がする。

14 猫の背中
 猫好きはそそる作品なのかもしれない。残念ながら、予は猫アレルギーなり。少しキレてる教師のキャラは好き。

15 我、敵領内に上陸す
 タイトルから内容を予想して「それはやめたほうがいい」と思ったのだけれど……やはり北朝鮮ギャグか。予の思うに、あのヤクザ国家は「事実は小説より奇なり」を地でいく存在なので、ということはつまりルポのほうがよほど面白い(興味深い)わけで、虚構で笑わすのは至難の技なりね。

16 ソング
 高校生たちの駄弁の一夜のスケッチ、というかんじ。駄弁が駄弁で終わってる気がする。読み解けていないだけかもしれないが。

17 割引貴族
 スマートなタイトル。「割引」と「貴族」なんぞ、相反するはずなのに、それをくっつける絶妙さ。個人的には、今回のベストタイトル賞。「私小説(スタイル)」の多くは駄作というのが予の基本的な感覚だが、この作者の書くものは例外である。ひとつだけひっかかったのは「フリーター」という語で、教養の匂いのする文体には、この粗製チックで軽薄なことばは、そぐわない気がする。まあ、そこまで気にする読者は少ないとは思うが。
 どうでもいい余談だが、某有名ドーナツ店の元締めは、モップのレンタルなどで有名なダス○ン。なんか複雑な気分なのは予だけ?(あそこのドーナツ好きだけど)

18 蝿
 予は、千字規定ならせめて8割は使って欲しいと思うタチで、はっきり言えば増量して欲しい。まあ、下手に増やすと水脹れで、難しいのだけど。予なら「腐っている」に「根性」の意味を持たせるようなエピソードを書き加えるかもしれない。好みの問題。

19 侵食
 メタ小説だと思った。つまり(少なくとも予の定義によると)、作者が作品を書き上げる様子を描いた作品ということ。題材が絵画になってるけど。メタ小説にはあまり興味がない。それならルポを読みたいところ。あと、「和姦」「自慰」というアクの強い言葉に頼りすぎてる気がする。読者によっては、この言葉を古臭いと感じる向きもあるかもしれない。創作をしたことのない読者にはチンプンカンプン、創作をしたことのある者には、身に覚えがありすぎるで、どっちにも嫌われる気がする。

20 決意
 名前で大ナンセンスを期待していたのに、途中で執筆を投げ出してるかんじがする。パーツを乱雑に置いているかんじ。締切に追われたからかな? それなら、涙を飲んで来月に回すべき。このテのナンセンスなら、千字ギリギリまで、はぢけなきゃアカンよ。ラストがふつーのハッピーエンド(叙述)になっているのは大減点。「短編」内なら、ハチミツボーイさんの作品が参考になると思う。――と、ここまで強く書くのは、このテのナンセンスにはちょっとした矜持があるからで、拙作群では『ぼくと彼女の山本情事』(これも千字)がそれに当たる、とあくまで強気なり。

21 散桜花
 これは一方的に予のせいだが、予がこの作者の作品を読むときには、なにがしかの爽快感を求めるのだ。陰鬱な気持ちにさせるなんて、約束が違うやい。いや、だから一方的に予の予見のせいなのだが。
 余談ながら、氏のサイトの日記によると、見事3冠に輝いた氏は、己と並び立つ3冠が現れるまで、投稿を控えるそうな。優勝が決まる前から日記で、そうすると予告してたもんなあ。それを約一ヶ月前に読んだから、食い止めるべく投稿したのに、間に合わなかったなあ。BBSに果たし状のカキコミまでしたのになあ。しょうがないから「打倒丸々」ってのは休業して、己に克つのみ、とかカッコイイことほざいて、ごまかそうっと。要はあと3回優勝すればよいのではないか。理屈は簡単。実践は至難。……やれやれですな。

 以上なり。
 それにつけても、他人の感想を読むことの面白さよ。投票も、感想を義務づけたのは正解だと思う。数字だけじゃ、イマイチ楽しめなかったに違いない。予の読解と、他者のそれとのちがいが浮き彫りになって、予の読みの浅さも知れるというもの。だから「雑感」という、ちょいと逃げを打ったという次第。わはは。
 あ、でももし、なんぞ言いたいことがありましたら、遠慮なく掲示板へどうぞ。逃げも隠れもいたします。もとい、いたしません。


●3/15
 今宵は「憧れのアイドル」というテーマで書いてみようと思います。どなたさまも、異議はないですか? 意義なーし。←意図的な誤字
 あ、そこのあなた、チャンネルを変えないで。ちゃんとオチは用意してますから。←落語かよ

 予にはミーハー魂というものが根本的に欠けていて、生まれてこのかた女性アイドルに憧れたことがないのですが、それでも過去に無理して検索をかけると、小泉さんはちょっと好みだった時期があったように記憶しています。総理じゃないですよ。今日子さんのほうです。って、キョンキョンと呼称しない時点でファンではありえませんね。しかも彼女の曲は、
「アーユーレディー?(あなたはメスですか?) イェーイ! ヘーイヘイヘイヘーイヘイ云々」
 の箇所しか知らず、しかも「学園天国」の先駆者は、「じゃんけんのパー(五本指)」とかいうグルーヴであるはずで、つまり厳密には小泉さんのオリジナル曲ではないはずで、こんなんで彼女のファンを名乗ったら、未確認(飛行はしないが非行はしがちな)物体であるところの「キョンキョン親衛隊」にシメられかねません気がします。よって、いまのはオフレコで。
 その一方で、なぜか中島みゆきが数曲歌えます(けど歌いません)。しかも最近の曲というよりは「悪女」とか「わかれうた」とか、野郎が歌ってどーすんねん的な路線を。男としてあるまじきことですか? ことっぽいですね。

 さて、マクラはほどほどにして、本題へ。←いよいよ落語じみてきた
 予には目下、ちょいと気になる女性アイドルがいます。とはいうものの、彼女の姿は、テレビはおろか、ネット上でもめったにお目にかかれません。ライブ限定の活動を行なっており、しかも7つの顔を持つオンナなのだそうです。ぢつを言うと、予はその姿を見たことはないのです。
 彼女の名前は、綾小路麗華。ビンときたひとはマニアなりね。
 彼女の活動場所は、いまは下火になっているっぽいUSJことユニバーXタジオWャパン。そのなかの「ターミネーター2」のアトラクションで、前説をやっているキャラです。だそうです。
 ウリは、ズバリ毒舌。大阪のオバチャンの少し若いバージョン、あるいは毒蝮三太夫の女バージョン、と比喩すればわかりやすいかもしれません。気がします。
 入場客から数人を指して「どこから来たの?」と、タメ口で問いかけてきます。その指しかたも、
「はい、そこの化粧の下手なおねえさん!」とか、
「そこのバカップルの男のほう!」とか、
「ガキを肩車して、後ろの客の迷惑を考えていないオッサン!」
 などとフるらしい。客が唖然としていると、「あなたよあなた! 他に誰がいるっていうのよ!」と、毒舌のオプションをかぶせてくれる。しかも終始ハイテンションで、一説には藤井隆を超えるとのこと。
 つまり、こんなハードな役をひとりでこなせるわけがなく、七人の「女優」さんが、客が入れ替わるごとに、ひとりのアイドル「綾小路麗華」を演じているらしいのです。上沼恵美子似の綾小路嬢もいるそうで、彼女が一番「客いじり」がウマイそうです。さもありなん。

 綾小路嬢に指された客は、戸惑いながらも、あるいは「オレってオシシイ?」とか思いながらも、どこから来たのかを答えるんですが、その答えによって、さらにいろいろと毒舌を返してくれるのです。

奈良から来た人には、「んまぁー! 鹿しかいないんじゃないの?」
埼玉から来た人には、「んまぁー! あのダサイタマから?」
東京から来た人には、「あなた、東京だからってイイ気になるんじゃないわよ! ここは関西よ!」
千葉から来た人には、「あのネズミ園がある所ね。かんじわっるーい!」
横浜から来た人には、「どうして神奈川って言わないの?」
静岡から来た人には、「名物は何かしら?」と訊ね、「お茶」と答えると、「んまぁー! あたくし日本茶って大っキライ!」
枚方や堺など府内の人には、「ちぇっ、当てるんじゃなかったわ!」
客がウケようと思って、「太陽」「M78星雲」などと答えると、「頭がおかしいみたいね!」

 まあ、おそらく基本的な「台本」があるとは思いますが、何しろ生身の客が相手ですからね。客が大笑いのときと、ひきまくるときの差が大きいかと思われます。そんなプレッシャーのなか、それでも毒舌を吐く綾小路嬢。アドリブの能力も相当なものでしょうね。技量にも差があると思われ、どうせならアタリに当たりたいものですな。彼女は大阪だからツボにハマりやすいのであって、東京じゃ、特に例のネズミ園では絶対に成立しませんね。USJはUSO(Oosaka)に変更したほうがいいかもしれませんな。略称が「ウソ」で、ちょうどいい気がします。キティーやウッドペッカーなんかメじゃねえぜ。綾小路は綾小路でも、いまキミマロというベテラン芸人がブレイクしているそうですが、予はたとえ時代遅れといわれようとも、麗華のほうに一票です。どちらも見てないくせに。

 きくところによると、このキャラがまったく理解できずに怒り心頭、侮辱されたとUSJや行政に抗議する客もいるらしい。予は涙が出そうになりましたよ。あー、かわいそーに綾小路嬢。シャレがわからないって、一種の軽犯罪だと予は思ってしまいました。まあ、感覚的に合わないのは仕方ないかもしれませんが、抗議するというのは行き過ぎというか、大人げないというか、興ざめですなあ。街中でいきなり三流芸人に茶化されたのならともかく、USJという非日常的な空間なのにね。寄席と紙一重でしょうに。
 しかも、一見毒舌でも、最低限の配慮はしているらしく、たとえば差別につながるような暴言は使わないようです。「化粧が下手」は、抗議するほどの言われようなんでしょうか? 予は女でもオカマでもないのでよくわかりませんが、「ヒトのこと言えないと思います!」と見事に切り返して欲しいところなりねえ。そうやって綾小路のアドリブ能力を育てて欲しいものですなあ。育てるどころか、アホな客がくだらない抗議で絶滅させてしまわないだろうか。彼女を絶滅危惧種、天然記念物に指定して欲しいなりね。

 以上、「んまぁー! そこの頭でっかち尻腐り! 一度もUSJに来たことがないくせにナニをトクトクと語ってやがるんでございますか! あたくし信じられませんわ!」の巻でした。


●3/9
 衝動的にこのようなものを書いてみた。

■小説書きに100の質問/妄言王編
 ../../www.geocities.co.jp/Hollywood/9457jiko.htm

 自己開陳は長らくマイルール的にタブーだったんですが、ちょっぴり破ってみます。ビリビリ。
 あと、こーゆー「100の質問」シリーズが「ホームページでの自己紹介」では大盛況らしく、ということはありきたりだなあと思って忌避していたんですが、よく考えたら、回答が各人で異なるんだから問題ナッシング。ということにしました。まる。

●3/5
 短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]第七期、すなわち予の初参戦の予選結果を見た。3票。予選とおらじ。久遠さんの所望した最初で最後の対戦としてみた場合は、同点という結果。しかしそのうちの1票は、非匿名投票をしている当の久遠さんからいただいた票であり、もちろんそこに他意などないとわかっているものの、「敵に塩」を送られた気がしないでもない。とりあえず無票でなかったのは幸いだったが、なんというか中途半端ですなあ。

 拙作「懐刀と丸腰」に対する投票期間がひとまず終わったわけで、さすれば以前日記に書いたように、自作についてなんぞ語る方策もあるのだが、久遠さん[ http://www.project-kuon.co.jp/ ]の3/4日記で開陳されている拙作への読解やら、あちこちの自作解説やらを読むうちに、自作解説は百害あって一利なし、いや一利くらいはあるかもしれないが百害は看過できない、という気がしてきた。要するに、作者の多弁は、読者による作品の読解を邪魔する邪悪な行為であって厳に慎むべし、とのマイルールを得ました。てゆーか、数年前にそんなことを思っていたのを思い出しました。ちうわけで、拙作への感想は感想としてありがたく頂戴しつつ、しかしそれにあーだこーだと言うのはやめにします。唇寒し秋の風であります。優勝したら「勝てば官軍」チックに、多少は多弁になってもかまわない気がしますが。

 拙作に対する感想評を拝読する限り、「文句なし!」と、すんなりと投じていただけた票はなかったようで、ありがたい3表であると同時に、こういうことを言うと誤解を招きそうですが、脆弱な3票とも言える気がしました。無票と紙一重だったと思っています。
 しかし逆に言うと、予選通過作品との間にも、超えがたき深淵が横たわっているわけではなく、紙一重とまでは言わなくても、たぶん紙二重くらいの差なのであって、おのれ次回をみておれー。←かなしき遠吠え

 ぢつは、予が票を投じた作品すべてが予選を通過しているのです。が、文句なし! で票を投じたのは1作品のみで(どの作品かはあえて言わない。きっと「この作品」が優勝する)、あとは呻吟して投票したんです。その悩みの末に出した結論が一歩違えば、予選通過作品が変わっていたわけで、なんか人生の縮図を見た気がします。

 1票や2票など物ともしないぶっちぎりの得票数で某作品が優勝するのが望ましいのか、1票や2票で明暗が分かれるダンゴ状態が好ましいのか。読者の楽しみとしては後者が望ましく、作者としては前者のような作品を書く事が望ましいんだろうなあ。

●3/2
 日記は、ほぼ毎日書くから日記というのであって、週一で書くなら週記じゃないかバカモン、とヒトリツッコミを入れつつ、さーて今宵はナニについて書こうかなとキーボードを打ちながら考えてるんだから、どーしょーもないですね。エンターテイナーの名が泣きます。あ、それポン!
 前回の日記を振り返ると、ワライ度数0.3%であることに気がつきました。いや、正確には書く前からわかっていたんですが、ウケなくても「バカヤロー、金返せ」とは絶対に言われないのでまあいいか、と衝動のおもむくままに書いちゃいました。甘栗むいちゃいました。
 と、甘い考えでweb上に文章をさらしていると、あいつはバカだの駄文書きだの事実誤認じゃハットリくんだのと後ろ指さされてひでぶあべしと顔面七変化をしちゃいかねませんが、ネット上では取って食われるこたぁないんですから、後ろ指だろうと後ろ髪だろうと、ヘッヘッへの河童、と泰然としていればいいと思います。
 予なんぞは大昔、詳細は忘れましたが、2ちゃんねるから流れてきたと思われる「匿名弁護士」に、貴殿を訴える事も可能だという旨を、拙宅の掲示板に書き込まれたこともあります。予のレスは「ぎゃはは面白い。予が離婚するときにはお世話してね。←てめえ独身ぢゃん」という論旨でした。よっ、鋼の心臓くん! ←かなしき自画自賛
 あれから数年たちますが、いまだに独身です。ほっといてちょうだい!(おすぎもしくはピーコ風味)
 予の泰然自若っぷりをさらに自慢してしまうなら、わが執務室にゴキブリくんが闖入してきても、眉ひとつ動かさずに「おまえはもう死んでいる」と掃除機で吸い込む自信があります(たまに捕獲に失敗します)。さほど自慢になりませんか。そうですか。それならこれはどうだ。蛇なんぞが室内に乱入してきたら、うぎゃーどひゃーたわば!!! と絶叫して、8m/1秒ペースの速度(空気抵抗は考えないものとする)で遁走する自信があります。韋駄天もビックリ。えっ、まったく自慢になりませんか。そうですか。おかしいなあ。

●2/24
 短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]における、久遠さんの「作品不投稿」が決まった。
 「短編」サイトにおける大原則「来る者は拒まず、去る者は追わずA「久遠さんにとっての不倶戴天の作者驍閧cり、久遠さんが去った、という形になる。予想された結果とは言え、やはり後味は良くない。逆に、のぼりんさんが去る形だったとしても、気分爽快スッキリ快便! というわけにはいかなかっただろう。各人で程度の差はあれ「久遠派」「のぼりん派」「わけわからん」みたいな気持ちはあるとは思うが、「相変わらずだなあ」と言えるほど大昔の言動を含めて久遠さんの心境を推し量ってみれば(僭越だから拙宅の日記に書くにとどめるのだが)、それでもって騒ぐのは迷惑以外の何物でもないだろうし、そんなヒマがあったら作品を書け、であろう。

 それはそれとして、久遠さんがラストマッチとして、予との対戦を所望してくれたことは光栄この上ない。もし予がもう少し「短編」の存在をつかむのが遅くて、久遠さんが去った直後に知ったとしたら、喪失感が先立って、投稿を躊躇ったかもしれない。予がネットに邂逅した頃に知った面々のひとりであるから、そういう感慨がわいても、何ら不思議はない。文句あっか。
 そのラストマッチも「小事Aコンテストのほうが「大事v遠さんの発言にも納得。これは「久遠さんらしいな」ではなく「同感B2/21の日記にも書いたが、作品が金に化ける快感は、これは快感のうちで最高峰のものだ。プロとして足場が確立し、乱作の荒稼ぎで不感症になることはあっても、基本的にこれを否とするほうがおかしい。最優先とはしない向きはあるかもしれないが。

 そもそも、どちらかというと金に執着する予が最近までネットから遠ざかっていたのは、つまりネット活動が金にならないからという面もあった。その証拠に、というわけではないが、オフラインで(いや、メールは頻繁に使うけど)そこそこ金になる売文業に勤しんでいた(いや、過去形じゃないけど)。しかるに「短編」という非営利の投稿サイトに再び血が騒ぎ始めたのは、金銭は措いといてこのサイトに参加したいという思いが真っ先に立ったからであって、その動機を自己分析すると、いくつかある。ネット復活への足がかり、打倒・紺二冠(氏に三冠を取らせると、氏の闘魂が鎮魂してしまってフェードアウトなさりかねないので、氏の作品を読み続けたい一ファンとしても、この「下剋上繧黷驍j、かつて同様のコンテストサイトに同様の面々でバトルしていたことへの懐かしさ、拙作という「弾」を増産する刺激、かのサイトが進化(スポンサーが付いて賞金が出るとか)したときに古参級として留まっていたら都合よかんべー(逆なのかな?)、などなど。

 久遠さんによる「妄言王・海坂さんは元・呉越同舟」秘話について少々。秘話というか、ただの昔話ですが、両名とも別の時期に、「対・久遠」として、掲示板に、血反吐を吐くような思いで何がしかを書き込んでいました。予の曖昧な記憶に過ぎないのですが、海坂さんはそのような心境をウェブ上で(掲示板だったかな?)吐露していたはずで(ちがっていたらごめんなさい)、予はたしかそういうことは書き込まなかったと記憶してますが、実はそうであったとココに告白します。
 それが久遠さんいわく「今は少しマシか(笑)」になったのは、何しろ大昔のことなので議論の内容すら記憶の彼方ですが、久遠さんの真意(言葉の裏)みたいなものを汲み取ったからであって、のぼりんさんも「メンツ蛯uいといて、もう少し「一歩引いてみるZを使えば、結末はまた違っていたかも知れません。語調は(論敵になってしまった側にとっては)鬼畜にもなる久遠さんですが、何も取って食われることはないんだと知れば、当初は「ファッキュー」と思った書き込みも、虚心坦懐に読めるものです。そういうずる賢いカキコミなんです。なんでそんな迂遠な、誤解を招きやすいカキコミをするかと言えば、ご本人いわくiだからさ(笑)」。
 これまた予の記憶が薄弱なのがアレですが、横レスによって、ハッと思う瞬間が予の場合はあったはずで、そこから類推するに多分のぼりんさんにもあったはずで、久遠さんの「気づけよA精一杯のエールだったと思いますね。江戸っ子だからかどうかは知りませんが、ケンカのフリして相手に施す人だと予は思います。「気づかないA諦めてポポイのポイと斬って捨てます。まあ、対・久遠の当人としてはドタマがカーッとなってるときですから、気づける/気づけないは体調の差かもしれないし、能力の差かもしれないし、過去のネット遍歴の差かもしれないし、取巻きの差かもしれない。総称して、一種の運なのかもしれない。たんに、相性の差といってもいいかもしれませんが。

 拙作『懐刀と丸腰』に感想をいただいた皆様、ありがとうございます。全作感想の皆様、ご苦労様です。この場を借りて(っていうかテメエの日記じゃん)謝意を述べます。そんなら各地(各サイトの掲示板)を御礼参りに行けばいいようなものですが、それをやるとどうしても(今回の場合は)「反論」になってしまい、ひいては婉曲な「自作解説轤驍Aいやいやコンテストだからそれはまずかろう(しかも投票者がそれを読む確率が高い)との配慮で不義理をしております。ごめんちゃい。拙作が予選落ちするか七期が終わる頃(=拙作に対する投票期間が終わる頃)には、この場でいろいろ書きます。かもしれません。たぶん。(御礼参りはどうなったんだよ?)
 予は投稿常連者になる予定ですが、このスタンスはたぶん変わらないと思います。

●2/21
 予はカメレオンになりたいと思っています。
 カメレオンは変温動物なのでカロリーをあんまり消費せずに済むので経済的だし、振り向かなくても奴がいると見抜ける目玉があるし、そして何より変幻自在の皮膚の色で女湯を覗きに行けます。オーマイガー、今日は婆さんばっかりや。
 もとい、そういうハナシではないのです。
 文章のカメレオンでありたいな、とそんなふうに思ってるんです。わかりやすく言えば、硬軟書き分けちゃうよーん、ということです。
 短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]でいえば、際立った作風すべてを盗みたいですね。SF(少しフシギ)の紺さん、純文学の薫り高き海坂さん、ねっとりとからみつくような文体の黒木さん。あと、ツチダ節も好きです。海坂さんとツチダさんは硬軟の両極端で、わかりやすく言えば、予はこの両極端をどちらも手中に収めたいですね。そういう野望を持ってます。信長もビックリ。
 その他の作者の方々にも、素材採りの妙という点で学びたいところはありますが、残念ながら、こればっかりはカメレオン理論は通用しない。

 SFな紺さんのサイトであるシコウ回路[ http://www.geocities.co.jp/HeartLand/7945/ ]を睥睨すれば(『短編』でKOすべき好敵手であるからして、あえて「睥睨」するのだ)、2/20のマルヒニッキにて、短編六期の優勝をかっさらった『なくした消しゴム』は、海坂さんリスペクトであると告白している。さて、そのことに気が付いた読者がいたかとなると、答えは否であろう。つまり、清水義範のパスティーシュ小説のような路線を狙っているのでなければ、リスペクトがあってもコピーになるわけがなく、それがすなわち、紺さんの作風というものだ。マルヒニッキの「保守tは、たぶん「作風jアイコールだと思う。「作風・闖繧驍烽Aおさえがたく染み出てしまうものではないか。それを意識して全面的に出すのは、作風というよりも、芸風といったほうがいい気がする。
 予の狙いはまさにココにある。予がカメレオンちっくに誰かさんの文体や雰囲気、視点などを盗んでも、その作者そのもののには到底なれない。てゆーか、なってしまったら二番煎じだとバカにされるだけなので、なっちゃ困る。でもなるわけがないから(と言ってしまえるのは、盗みきれない無能さの露呈なのか、それとも自身に「作風i芸風でもいいけど)があるという自負なのか)、まんまと新境地を開けるという次第である。理屈の上ではそうなるはずだけどなあ。これを『短編』で実践していくのも、ひとつの手だな。技を増やしていく快感。「猿真似?」とか指摘されたら負けのマイゲーム。ああ、面白そう。でもリスキーだなあ。

 どこぞの売れっ子作家の言だったと思うが、売れる大人向けの小説は、考えなくても読める小説なのだそうだ。読者は疲れた頭で通勤の途中に読む宮仕えの面々。内田康夫や西村京太郎が売れる理由はそこにあるのだ、とも。じゃあツチダ文体がやっぱり最高ということになる(感覚的に面白さが味わえるから)、とも思うが、それはたぶん「考えなくてもいいBご神託の真意は、合理的解決がきちんと提示されている、という意味だろう。ということは「読者が考えない分、作者が頭をひねろ・B
 売れっ子になるのも甘くはないってことですな。

 文章を書く動機って、そもそもなんなんだろう。
 発憤材料はいろいろあるんだろうなあ。リスペクトでなくても、極端な話、軽蔑や怒りでさえ創作の原料となりうるはずだ。平賀源内が戯作に才能を開花させたのは、世に受け入れられない鬱憤が背景にあったと解釈する向きもある。稼ぎを研究費に充てる、という現実的な側面もあった。
 予の場合、現在貧乏だからということも関係しているだろうが、おそらくカネが一番の発憤材料になる。キャー、そんな白い目で見ないでー。要するに文章とは、読者を想定して書くものであるから(ウェブ日記でない紙の日記は別格)、文章を書くからには「他者の反応」を求めていることは誰にも否定し得ないはずだ。なかんずく、カネというのは最もシビアな「数値的評価轣Aこの感慨はむしろ当然だと予は思う。『短編』のようなコンテストの優勝も、シビアな評価の末に得られるものだから、きっと嬉しかろうと予は推測する。ボソッと漏れ聞こえる拙作への毀誉褒貶も、反応をいただけたということで嬉しい。程度の差こそあれ、とにかく反応がもらえれば嬉しいのが物書きだろう。それはプロでも異ならないはずだ。
 「幸せ者は小説を書けないtを聞いたことがあるが、ははーん、と妙に腑に落ちてしまった。

注:上記日記には「文章u小説Aわざとです。小説書きという例示で、文章を書くということ全般について述べてみたかったんです。


●2/19

 以下、短編[ http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/ ]周辺のお話。
 ゆえに、上記URLから、各人のHP(ある場合)を辿ることができます。

 かのサイトの掲示板のことなんですけどね。
 久遠さんが相変わらずだなあ、と思った。
 この人ほど、自らの、それから他者に対する発言に厳格(であることを掲示板で示している)ひとを、予は他に知らない。予ってば恋愛にまで理屈を持ち出して「あんたってキング・オブ・理詰め野郎ね」的なことを言われがちなヤツですが、しょせんは上岡龍太郎レベル。そこには、茶化してやろう、笑わしたるという下心があったりなかったり。(少なくとも自身は正しいと信じる)理非を問うて、それを自らの進退にまで絡めて考えられる氏には敵いません。いや、恋愛のことでなくして、あくまで掲示板での発言のことですよ、念の為。
 とりあえずは「久遠さんらしいな」と、わりと受け止められる。久遠さんの撤退に賛成か反対かと言われれば、そりゃ反対に決まってるが、まさか首に鎖を巻き付けておくわけにもいかない。北村さんの回答次第では不撤退もありうるが、それは「掲示板は小事。作品がメイン謔oしたサイト方針の転換を意味する。まあ、何度でも転換できるという自由さもまた、かのサイトの特質のようですが。
 最終的には、主催者である北村さんの匙加減ひとつですが、どっちに梶を切っても、後味はあまりよろしくないかな。
 でも、その後味も、時とともに忘却されると思います。Qナントカというサイトもそうで、予は一時期、そのサイトにたっぷり情熱を注いでいた時期があるんですが、かの主催者とは、理をもって話をするということがまったく不可能な状態で、詳細は忘れましたが、つまり脱退しました。伝え聞くところによると投稿が有料になったそうで、「ご乱心召されたかvいましたが、それでも投稿する人がいるんでしょう、ならばとりあえずは成功でしょうが、カネがからむと破綻したときの処理が尋常でない。ひそかに心配するものであります。しかしそこからの流出組が『短編』の素地にもなってるようで、ひそかに感謝するものでもあったりする。皮肉な&面白い巡り合わせですな。
 久遠さんと足して2で割れば、すんばらしい主催者になれるのにと、個人的には思いますね。まあ、水と油だと知って言ってるんですが。

 2/12の久遠さんの日記で、一早く予の復活を嗅ぎ付けてくれた(←言葉が悪いなあ)ことを、ひとりでキャッキャッと喜んだくらいで、素早いなあ、と感心しました。素早い情報のキャッチがあって、あの理詰めです。つまり「キャッチ&リリースv速。その気になれば、日記でもって、透明さんや坂口さんとの「回覧版方式yしむことだってできる。なんていうか、あんまり敵にしたくないです。わはは。
 でも、2/11の日記で叙述してくれたラリッパさんのほうが早いけどね。 
 第七戦は、予の既知のひとがあとふたり参戦することをつかんでいるので(みかりん&(あ)さん)、ごっつ楽しみです。参加者増が予想され、ゆえに投稿した拙作も、票数ナシの憂き目を今から懼れてるくらいなんです。猛者だなんてとんだ買い被りですよラリッパさん、きゃい!
 でも、ネタ的にはたぶんカブらないはずで、そういう意味での票の食い合いはないはずです。…って、それでもなお無票なら雪隠詰めぢゃん! ←自らの発言で首を絞める一例(他者との軋轢なら謝る方法もあるが、自業自得だとそれもできへんね)
 って、あ、もう明日!? ネット時間は早いなあ。読むだけだとそれほどにも感じないんですが。

 閑話休題。
 予は大昔「カキコミ王uメール魔」だのと塩を撒かれていた(注:お約束の比喩ギャグです)ことがあるので、久遠さんいわく「マッチポンプ驕Aのぼりん氏の心情も察する部分がある。他所の掲示板で出入り禁止になったことはないけれども、書き込んでも書き込んでも、息切れしてしまいそうな徒労感なら、予は知ってる。他ならぬ久遠さんに身をもって教えられたことがあるから。わはは。いや、そのときは、久遠さんも一目置くという竹本さんが加わり、そりゃ回顧するだに武者震いが止まらぬ血みどろの合戦が……(以下略)。

 純粋に発言内容だけ読めば、理はどちらかというと久遠さんにあると思う。それを最優先したカキコミなんだから、まあそうなるかなと。
 他方、検察官よろしく、そこまで他者を「指弾髟K要があるのか(久遠さんがそこまでするのは傲慢ではないか)と、眉をひそめる周辺の人々がいることは想像に難くない。たぶん多数派だと思う。これが昂じれば、久遠さんがどれほど正論を述べたとしても、結局は本意が(発言を読んでいる人に)うまく伝わらないように思う。
 昔、そんな鬼のような理詰めだと、無用に誤解されて敵を作って損だということを、僭越ながら久遠さんに忠告したけれども、たしか「性格だから齒嘯黷謔L憶している。そおだろうなあ、と思った。擬態では、あそこまでできないもん。それなりに時間も労力もかけているわけだし。

 「作品がメインであって、掲示板は小事だ」という『短編』のサイト方針に予は合点が行ったんですが、なかなかどうして、即時性がネットの醍醐味であるわけだからして、掲示板が派手に動けば、どうしてもそっちが面白くなってしまう。「久遠vsのぼりん」という対立軸で見やすい、というのもあるし。そういう見やすい対立軸に見方を固定されがちだからこそ、ますます久遠さんの真意が伝わりにくくなる。やっぱ損だと思うけどなあ。「理に勝って利に敗れる驕B

 構成を無視した日記になりましたが、言いたいことはつまり、さわらぬ神にたたりなし、であります。←ウソコケ

●2/14
 ヴァレンタインですね。毎年この日は巡ってくるんですね。ケッ。
 ウェブ日記の常套手段は「ヴァレンタインデーなんかクソックラエ」であり、それ以外の記述をすれば、たちまち読者にシラけた思いをさせるというのが定説であると、予は喝破します。チョコをもらってハッピーだっただの、手渡すときにドキドキした(女性筆者)だのと書いてる奴は、読者心理を微塵も考えないオロカモノなりね。呪われろー、くらいは思われかねませんよ。いやマヂで。

 そこまで見抜いている予ではありますが、毎年チョコ・モラ・エンジェルを標榜するのもナンなので、ココは思い切って、そのタブーを破ってみようと思い立ちました。

 予はニヒルくんだからして、チョコなんて1コももらわないんだい、というのは去年までのハナシであって、今年は1コ、チョコをもらいました。でも、別れ際に突き返しました。
 半月前まで「大好き」「離れられないA今日にはもう「うんざり」「トモダチ(に降格)」と前言を平気で撤回する、しかも「ひとりでよく考えた闡O勝手に納得した奇怪な生物からの贈物なんか、おっかなくて受け取れなかったんですね。ホントに人間なんでしょか? いわく不可解なり。テメエの血は何色だァー! 降格するんだったらそもそも、チョコなんて用意しなきゃええぢゃないかと思います。ある意味、イヤガラセです。チョコ授与の権利を有する人間(♀)は、予の脳みそ(♂)では理解できない感覚で生きているんですかねえ? もちろん、意地で突き返したというのもあるんですが、なにしろ別次元の人種なので、きっとそおいうことは、わかっちゃいないんでしょうね。太宰治は、人類と猿に分けるのではなく、猿と男と女とに分けたほうがよい(それくらい考え方が異なる)と喝破しましたが、さすがですな。
 いやはや、去年まではやや強がりで「チョコなんかいらないやい」と唱えていましたが、今年は半ば本気で「いらねー」と思ってしまいました。たかが菓子うんぬんで一喜一憂するなんざ、カッコ悪いったらありゃしない。漢[おとこ]の生き方ではない。それなのに、世間にはチョコ乞食に成り下がっている軟弱野郎が蔓延していることよ。あー、イライラするなあ。こおいうときは、甘い物を食べると落ち着くんだそうです。
 というわけで、年中チョコ募集中!(そおいうオチかよ)

●2/10
王政復古の大号令を唱える直前まで、縁あって、某出版社賞の下読みというものをやっていました。
報酬が出るというのが第一義的な魅力だったんですが、個人的興味もあって引き受けたんです。今後もチョコチョコとやることになりそうなんですけど、いやあ、参りました。ココだけが特別なのか、どこも似たり寄ったりなのか、寡聞にして知りませんが、なんというかその、出版社が持っている矜持、みたいなものが剥がれるのを見てしまった思いです。

下読みといっても、応募者のひとりひとりに宛てて、作品に対する寸評を書く作業なんですが、ウエから条件が申し渡されました。

「作品を絶対に悪く言わない」
「『こうしたらより良くなる』というアドバイスも不可
つまり、是が非でも褒めろというんですね。
なんだ、オベンチャラの提灯記事を書けということか。

本当に応募作のレベルアップを考えるなら、酷評すべきは酷評し、改善したほうがよいと思われる点も、参考意見として僭越ながら述べさせてくれてもいいじゃないか、と思ってしまいました。だって、駄作が1000作集まるよりも、珠玉の50作のほうが、出版社としてもプラスなんちゃうの?

と、最初は訝ったんですが、しばらく考えて謎が解けました。おそらく、

「今回は1000作も集まりました!!」(ちなみに前回は750作)

と宣伝したほうが、賞そのものに箔が付くのでしょう。きっとそれが狙いにちがいない。
というわけで、賞に応募する際は、応募作の総数そのものを「ライバルの数驍Aある程度、割り引いて考える必要がありそうですね。
賞に、たとえ1000作が集まっていたとしても、優秀な、というか水準のレベルにある作品は、半分もあればいいほうだと予は感じました。(てゆーか、この目算でもまだ甘いと思う)

――が、こちとらギャラをもらってる身。心とは裏腹に、提灯せよとの方針に従いましたともさ。どうせ予は、ゼニに屈したヨゴレなのさ。

まあ、何はともあれ応募作に目を通していくんですが、たまにキレます。
「ガオー! こんなデキソコナイ、どこをどう褒めろっちうねん!」
と、ひとりで月に向かって吠えていた夜もありました。ヒドイ作品が、どれくらいヒドイかというと、少なくとも拙作以下です。(わお、相当ヒドイね)
いや、ゴーマンだなんて言わないでおくれ。中には謔・閧沓なんて添え書きをしてるモノや、校正記号を入れたままのモノあったんですから。ええい、アホか!
横書きもけっこうありましたが、故V一は『ショートショートの広場』で「どういうつもりなのか」と最初から選考外にしていたようなので、予も反対します。いやいや、星氏のことばに意を強くしただけであって、ファンだからおもねってるわけじゃないです。ええ、ないですとも。本は縦書きで読みたいよ。

もちろん、応募作の中には、面白くて純粋読者として引き込まれてしまう作品もあります。こういう作品は、素直に賛辞が書けて気持ちいいですね。でも、1作につき100枚平均で、すべての作品をラストまで読んでいては納期に間に合いません。ということで、最後まで読むことがかなう作品は、ほとんどありません。なのに逐一、評なんて書きました。こんないいかげんな予をお許しください。アーメン。
(でも、少なくとも駄作については、ラストまで付き合う義理はないと予は思う。続きを読ませたくなるように書かなかった作者の力量不足なり)
それでも、冒頭とラストをふつうに読み、中身をザーッとキーワード(登場人物とか場面とか小道具とか)を拾って読む方法で、なんとかなりました。
小説はね。

同時に、詩の応募作もあったのですが、予はコッチの方面が滅法弱い。詩の評なんて、ナニを書いていいやらわからない。いや、ギャラをもらう以上は仕事ですから、しょうがないので「詩をよくわからない読者挙_で評を書きました。昔「官能小説を書くのは恥ずかしくないけど、ポエムは恥ずかしいqべていた人がいたけど(オモロイ言い回しだったので未だに覚えている)、少なくとも後半部分に関しては同感です。まあ、詩の評を書くにも困る予が、詩そのものを書けるわきゃないんですけどね。
「詩的な文章轤B小説であればストーリーを追えるから。まだ、画が頭に浮かぶ。

鉄色したこころの琴線が
わたしのからだを切り刻む
あなたはきれいな目で嘘をつく
わたしはこの世から消えてなくなる

――って、上記は予の試作品ですが、要は「恋愛を美しくうたってるぽいなあ、という詩」というニュアンスが伝わればいいです。予の試作品はまだわかりやすいほうでしょうが、抽象度の高い詩だと、試作品でもって例示することすら、予にはままなりません。

詩でもたとえば、

俺様はマツタケ キノコの王様だ
シイタケも シメジも マイタケも 俺様の家来だ
でもいつも 松の根に隠れている 弱虫な王様なんだ

という詩なら、比較的わかりやすいですね。擬人法ですから。理解の範疇内です。でも、高名な評論家あたりは「抽象化が低レベルなもので鑑賞に堪えない」とかなんとか言うかもしれません。
中学生の頃、予は社会風刺が知的でオモシロイと思っていましたが、いまはどちらかというと評価は低いです。この「擬人法の詩」も、詩人の間ではその程度の評価かも、という気がします。いや知らないけど。

――って、人様の小説のことはともかく、自分の小説書きのことでも考えよう。
ネタ、いまだ浮かばず。

●2/9
 以前の日記を一部削除。過去における「コップの中の争い竅Aそれに類する「時事ネタAお目汚しだと思ったので。
 PCのクラッシュとともにその生涯を終えてしまったとばかり思っていた拙作がメモの形で残っていたので、一年数ヶ月ぶりに再アップ。

●2/8
 王政復古の大号令!
 ウェブ活動を半年、いや一年近くかな? 勝手に休眠しまくってた予は、いきなりですが今日から復帰します。ふつうのオフラインなオンナノコに戻りたかったけど、ファンがそれを許してくれませんでした!(と、キャンディーズ解散宣言を踏まえたパロディにもキレがないですな。まあ、徐々にリハビリしていきますさかい、どなたさまもよろしうお願い申し上げますべ)

 拙宅のコンテンツのほうも、あちこちいぢらにゃいかんと思うのですが、たとえば『妄言辞典』なんてのは真っ先に手を入れて、滞りまくりのメルマガも発行しなけりゃいけないんですが、やらねばならぬぞこのオタンコナス、読者様はとっくにそっぽを向いておるぞアホンダラ〜! と半ば強迫観念にとらわれて手足がすくんでしまい(というのは比喩だけど。ホントは怠惰が予のからだを支配していただなんて言えない。←言ってる)、結局なんもやらずぶったくりでこんにちに至ってしまったので、♪あしーたがあるさー 明日がある と、あくまで九ちゃんバージョンで歌いつつ、の〜んびり整理整頓していきたいと思います。

 過去のモーゲン日記ですが、いつまでも残滓をさらしておくのもどうかと思って撤去を考えたんですが、読み返してみたら、これが70%の確率でオモシロイでやんの。って、自画自讃もいいところですが、こんな自画自讃は過去の日記にはあんまりなかったかもしれません。しばらく惰眠を貪ってるうちに、なんか日記の芸風も変わったかな? まあ、そのうちカンを取り戻すでしょう。長嶋氏直伝のカンピュータがあるのさ。ジャンク売り場で拾ったヤツが。
 そんなわけで、残滓は残滓でほっとくことにしました。
 んで、恥ずかしいことに、2002年の分がないことに気がつきました。いとしのマイ・パソコンがヘソを曲げて消滅させてしまった――わけではなく、たんに書いてないんですねえ。正確には一度や二度書いたようですが、「量より質」と言えるほどの価値もない駄文中の駄文だったので、ローカルからも抹消しました。 とまあ、予はこのように自らの文章にキビシイ「漢[おとこ]」なのであります、押忍!(もはや、ついさっき、過去の日記の自画自讃をほざいたというフヌケた事実は忘れ去っているらしい)

 とにもかくにも、復活の狼煙を上げようってことで、拙宅だけでその宣言をとどめてしまうと、またぞろ惰眠に引き戻りされかねないので、ある程度「公のサイト怺・骭驍B
 そんなわけで、ここ数日、あちこちのサイトを巡ってみて「わわっ、こんなサイトがあったのね」と、ごく個人的に驚いた。←ここポイント(だって多くのひとにとってそれは驚くに値しないことだろうから)
 かつて予がネットアイドルまっしぐらだったころ(注:自虐ギャグです。と断っておかないと本気にされる可能性があるところがネットのコワイところ)、酸いも甘いも分かち合った「同志たちiと予のほうで勝手に思っていますが)が、一年前とあいも変わらず、小説書きという、世間的にはおそらく、おそろしくマニアックな技能を切磋琢磨というか、コンテストしている場を発見したのです。

 ■短編 http://www.kinet.or.jp/kits/tanpen/

 がそれです。予に篆字バナーをくださった北村さんが主宰する「1000字小説投稿サイトB
 参加者の半分くらいはハンドルネームを存じ上げない方々ですが、それもまたいいかんじです。半年もネットから離れてるのに、皆々予の知った方々ばかりであったら、そっちのほうがブキミです。てゆーか、半分の方々を既知というのもブキミかも。
 よーし、ここに投稿して予の復活をアピールしてやるゾ!(なんてヌルイ動機だ)

 いやいや、そんな自己顕示欲だと言っておいたほうが、説明としてはラクだというだけであって、実は予自身も、本当の動機はよくわかってません。「ネットにふたたび根を張るための一手法Aとか思いますが、こんなケッタイな動機で参加する奴だと知れたら、参加者全員に後ろ指をさされそうです。
 参加者たちは「小説烽Aオソロシイほどの矜持と理念を持っているようです。予に小説論をふっかければ、たちまちコロリとやっつけてしまうという猛者ぞろいとお見受けします。「小説道の求道者u歩く文学史焉Aさほど誇張にはならない参加者も少なくないのではないと憶測します。予は小説に対して、そこまでの覚悟も知識もありませんが、要はオモシロイモノを書けばいいんじゃないか、それで勝利の雄たけびを上げればいいだけじゃないか、勝てば官軍だよ、なんだわかりやすいなあ、わはは。
(注:「わかりやすい」と「容易T念なり)
 そうなのです。予はシュミで少々小説書きをたしなむことが、たしかできたはずなので、ケッサクをひっさげて道場やぶりをしちゃいますとも。たのもー!

 ――あ、その前に、小説のネタを考えないと。