僕は当時、黒人で唯一レーガンの物まねが出来た。
突然、新たな道が開けたんだ―
制作 ブラボーTV/ザ・モーメント・プロダクションズ(2004年、アメリカ)
放送 NHK-BS2 2005年5月6日
司会 ジェームズ・リプトン James Lipton
ゲスト ジェイミー・フォックス Jamie Foxx
2004年、ジョン・L・ティッシュマン劇場で録画
| ●高校でのパスヤード記録 | |
|---|---|
| ジェームズ ・リプトン | 高校ではアメフトを? |
| ジェイミー ・フォックス | テレル・タイガースだ。 |
| リプトン | ポジションは? |
| フォックス | クォーターバック。 |
| リプトン | 記録を作りましたね。 |
| フォックス | パスヤード記録だ。 1,000ヤードを超えた。 |
| ●祖父の死 | |
| リプトン | おじい様の死は? |
| フォックス | 17歳の時だ。 |
| リプトン | ご自宅で? |
| フォックス | 祖父の死は 特別な出来事だった。 聖歌隊の練習をしていたら、 祖母が呼びに来たんだ。 慌てて戻り、祖父に 心臓マッサージをした。 その時、科学的というか 不思議な感覚を味わった。 生死の違いは、単に呼吸と 心臓の動きだけだと知った。 |
| ●大学でロックの良さを知り、人生が変わり始めた | |
| リプトン | 高校卒業した後は? |
| フォックス | 祖母が“家を出なさい”と。 “夏の間だけ居させて” “ダメ” |
| (会場、笑) | |
| それで、サンディエゴの 芸術大学に入った。 カルチャーショックを受けたよ。 | |
| リプトン | 都会だから? |
| フォックス | いや。81ヶ国から 学生が集まっていたからだ。 白人に声をかけると… 「(外国語っぽい言葉で)○×%□◎△…」 何だ? 黒人に声をかけても… 「○×%□◎△…」 |
| (会場、笑) | |
| 英語の通じない 黒人や白人がいると知って驚いたよ。 芸術のために 世界中から人が集まるなんて。 すごく感激して すぐになじんだよ。 寮のルームメイトは ネブラスカ出身の白人だった。 彼のレコードは ラッシュとかKissとか……。 どれも知らなくて “何だこりゃ?”って感じ。 でもやがて、 教え合うようになった。 僕はLL・クールJを、 彼はラッシュを。 そうやって、ロックの良さを知り 人生が変わりはじめた。 | |
| リプトン | 専攻は? |
| フォックス | クラシックピアノ。 祖母が続けろと言ったからだ。 “いつか役に立つ”ってね。 黒人優遇措置で クラシックピアノ科に入り、 ロシアとユーゴスラビアの 先生に師事した。 |
| ●音楽への挫折からコメディアンへ | |
| リプトン | クラシックを学んでいた テキサスの田舎町の青年が、 なぜコメディアンに? |
| フォックス | 家族は皆 僕に期待していた。 “カリフォルニアの大学よ 大物になるわ” でも入学して 音楽の難しさを知り、 大学も辞めたいと思った。 家族を傷つけることなく、 進路を変える必要があった。 何度もロスに行って 何ができるか模索したよ。 そしてコメディークラブに出会い、 いけるかもしれないと思った。 |
| リプトン | いきさつは? |
| フォックス | デートで行ったら、 その夜は素人が舞台に立てる日で、 彼女にけしかけられ 酒をあおって 飛び入りで参加した。 ビル・コスビーの物まねをした。 (コメディアンで、 TVシリーズ「アイ・スパイ」で 主役コンビの一人を演じた俳優。 「ビル・コスビー・ショー」では 全米ナンバー1の視聴率を取っていた) “(まね)いいかい 堕落した連中ってのは……” 会場は大爆笑。 でも客の一人が “つまらねえぞ” |
| (会場、笑) | |
| “ほかのネタをやれよ” 当時、僕は黒人で唯一 レーガン(元大統領)のまねができた。 | |
| (会場、笑) | |
| さっそく披露した。 “おやおや くどいですよ” こうして新たな道が 突然開けたんだ。 | |
| ●スーパーマンになった日 | |
| リプトン | 芸名の誕生は? |
| フォックス | ウケなかった日に 本名は捨てた。 |
| (会場、笑) | |
| 本名でやっても ウケない日が続いて 別のクラブで 出場用紙に名前を書く時 男でも女でも通用する名前にした。 店が出演順を決めるんだが、 女性の方が有利だからだ。 それでステイシーとか、 ジェイミー・フォックスにした。 “ジェイミーって娘は?” “僕だけど…” | |
| (会場、笑) | |
| 場つなぎ役として 雇ってもらえて その名前が定着した。 | |
| ●ジム・キャリーとテレビで競演 | |
| リプトン | テレビの「イン・リヴィング・カラー」 出演の経緯は? |
| (会場、拍手と歓声) | |
| フォックス | オーディションを受けたんだ。 100人のコメディアンが 5人に絞られ、僕も選ばれた。 会場は有名なコメディークラブで 少し様子が違ったけど いつもどおりのネタをやって 爆笑をさらった。 そして人生が一変した。 |
| リプトン | 共演者は? |
| フォックス | あの面々の中じゃ 僕も霞んだよ。 (参照ページ:英語) 笑いは全部ウェイアンズ兄弟と ジム・キャリーが持っていく。 “僕にもおこぼれを…”って感じ。 |
| (会場、笑) | |
| そんな時、舞台でやっていた。 キャラクターを思い出した。 それが人気に。 | |
| (会場、歓声) | |
| リプトン | ワンダのことです。 |
| フォックス | そう。 |
| (会場、ますます大歓声) | |
| きっかけは共演者のキーネンが 試しにやってみろと言って、 金髪のかつらをくれたんだ。 それが大当たり。 デヴィッド・A・グリアの アドバイスで “揺さぶってあげる”が 決めゼリフに。 | |
| (会場、笑) | |
| こうしてワンダが誕生したんだ。 さすがに初登場の時は 視聴者もあっけに取られた。 ドレスに厚化粧、 こんな顔だし。 (といって、寄り目、唇をとがらせる) | |
| (会場、大歓声) | |
| でも、やがて気に入られ 大人気になった。 (つづく) | |