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   聴き手が主役のコンサート談話室(3)
  (2008年1月以降の分)
新聞や雑誌のコンサート評、チラシやコンサート・プログラムの記載、CDの
ライナーノート等に何と書かれていようがいまいが、
それぞれの聴き手が自分で感じたことを、ホンネ・ベースで語り合えるのが
Internet時代のいいところでは?

この談話室は、音楽や舞台芸術全般にわたって、
徹底した「聴き手志向」で、しかも、マニアックにならないようにしながら、
無名だがステキなコンサートやアーティストをお互い発掘しあったり、
巨匠だが「こりゃ、どうみてもヘンだょ」といったことを注意喚起しあったり
しながら、「ココロのごちそう」を みんなで堪能していく一助にしていきたい
と思います。
ご感想や投稿をお待ちしてます。

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Figaroのいろんな音楽体験から
新登場!Figaroの「勝手にランキング」

コンサート版「ミシュラン」の新登場。
Figaroの音楽体験を、つぎの基準で★印にしてご紹介します。

★★★★★ 感動で涙が出た、もしくは思わず「ブラボー!」と叫んでしまった、
         一生モノの”私のココロの財産”コンサート

★★★★   「このチケット代でこれだけ感動したり楽しめたのは超お値打ち!」
         といった大満足コンサート

★★★    チケット代に見合うクォリティーで楽しめたコンサート。
         ここでは、星3つを標準点とします。

★★      「この程度だったら、無名のアーティストで もっとウマいのがたくさん
         いるョ」、といった、興醒めで フラストレーションの残るコンサート

       会場で思わず「ブ〜!」と叫んでしまったり、「ヒドい! 金返せ!」と
         言いたくなるような、後味のよくない最悪コンサート。


     


ホール・オペラ 「ドン・ジョヴァンニ」

★★(4月8日 サントリーホール)

昨年、絶賛を浴びた「フィガロの結婚」に次ぎ、サントリーホールの商標登録≪ホール・オペラ≫の、モーツァルト
&ダ・ポンテ三部作シリーズ公演の第二弾。
生命感溢れる音楽表現と、それぞれの役柄の性格が見事に浮き彫りにされた名演。
主な出演者&スタッフはつぎのとおり。

ドン・ジョヴァンニ:マルクス・ヴェルバ(バリトン)、 騎士長:エンツォ・カプアノ(バス)、 ドンナ・アンナ:セ
レーナ・ファルノッキア(ソプラノ)、 ドン・オッターヴィオ:ブラゴイ・ナコスキ(テノール)、 ドンナ・エルヴィー
ラ:増田朋子(ソプラノ)、 レポレッロ:マルコ・ヴィンコ(バリトン)、 マゼット:ディヤン・ヴァチコフ(バス)、
ツェルリーナ:ダヴィニア・ロドリゲス(ソプラノ)、

指揮&フォルテピアノ:ニコラ・ルイゾッティ、 演出:ガブリエーレ・ラヴィア、 管弦楽:東京交響楽団、
合唱:サントリーホール オペラ・アカデミー、
舞台装置: アレッサンドロ・カメラ、 衣装: アンドレア・ヴィオッティ

舞台の奥に、オーケストラが、指揮者を囲むように、正面客席に向かって後ろ向き、即ち、正面のお客に
お尻を向ける形で鎮座
している。従い、指揮者は正面のお客に顔を向ける形。
(正面客席からは、指揮者の指揮ぶりを眺めることができて面白いが、他方、歌手たちは指揮者を直接
見ることが出来ないため、客席の数ヵ所にモニター・テレビが置かれ、固定カメラによる指揮者の動きを
映し出して対処していた。)
そのオーケストラを360度とり囲むように、歌手たちが動き回るスペースが立体的にしつらえてあり、それ
あたかも、サントリーホールの舞台が地震かなにかでズタズタに破壊され、その廃墟の中での公演、
といった感じの舞台に仕上がっている。
ソリストが、ときに、オーケストラの奥からP席の通路を通って、正面奥のパイプオルガンの横のドア
に立
ち去るなんぞという動きも見せるなど、
舞台をとり囲むように客席が配列されている、ワインヤード・スタイ
ルのサントリーホールの構造特性や舞台の狭さを逆手にとった工夫がされていた。

指揮、演出、舞台装置、衣装ともにイタリア系で占め、一方、ソリストたちも、イタリアはじめヨーロッパの
主要歌劇場で活躍中の、しかもイタリア語ペラペラの逸材ばかりを揃えた公演は、指揮者自ら、レチタテ
ィーヴォ部分をチェンバロではなくフォルテピアノで弾いていたこともあって、何となくモーツァルトの時代
の公演の原点の中に自分がタイムスリップしてきたかのような≪異次元体験≫をさせてくれた。

まず、ルイゾッティの指揮とフォルテピアノが、活き活きしていて見事。普段は殆ど関心を示すことの無い
レチタティーヴォ部分の鍵盤楽器の伴奏までが、まるでジャズのアドリブのように躍動し、しかし、決して
自己主張し過ぎることなく、ソリストの声とごく自然に掛け合い、溶け合って客席に伝わってくる。

この公演で最もユニークだったのが、死んだ騎士長の石像が現れるところ(2幕)。
ルイゾッティは、フォルテピアノで、なんと、モーツァルトのピアノ協奏曲23番の2楽章冒頭のピアノ・ソロ
部分を奏でたのだ。
その旋律にあわせるかのように、舞台中央の奈落(床下)から、大きく真っ白な十字架のついた騎士長
の石像が、ゆ〜っくりとせり上がってくる! そして、重苦しいオーケストラの響きとなっていく、といった
具合。
全く違和感無い、というか、これほど効果的な石像の登場を、かつて観たことがない。見事!!
(一方、騎士長の石像がドン・ジョヴァンニの夕食に招かれて屋敷に入ってくる時の、とって付けたような
チャチなドアは興醒めだった。しかし、能舞台の西洋版と解釈すれば納得できる)

肝心の歌手たちだが、毎年来日してリサイタルを開くほどの知名度・人気度抜群の「大御所」では無い
が、全員、例外なく、歌も演技も、うまい!

タイトルロールのヴェルバは、長身&スマートで、歌のうまさのみならず、黒ずくめの衣装やサングラス
姿も含め、男がみても、じつにカッコいい。
2,065人もの女性を口説いてモノにした”実績”を持つドン・ジョヴァンニ役は、幾ら歌が上手くとも、ズン
グリムックリのオッサンではシラけてしまう。しかしヴェルバは、(昨年の「フィガロの結婚」の伯爵役もそう
だが)、このような「口説き男」役に、まさにピッタリ。

それとは対照的に、騎士長役のカプアノの重厚なバスが、2幕後半の舞台を効果的に引き締めていた。
まるで神のような威厳に満ちた声でドン・ジョヴァンニに最後の諭しをする、あの迫力は絶品。

ツェルリーナ役のロドリゲスは、純情な村娘といったこれまでの一般的な役柄イメージを超え、じつに色っ
ぽく演じていた。
「なるほど、こういう解釈もあったのか!」と納得。
ツェルリーナの婚約者のマゼットも、ドンナ・アンナの婚約者のドン・オッターヴィオも、ともに、男は優柔
不断なのだ。この二組のカップルは、明確に女性上位の位置づけで演出されており、現代っぽい衣装
とあわせ、今の時代に、じつにマッチしている。
そして、これらの性格や心の機微を、ソリストたちは鮮やかに表現していた。

一方、ドンナ・エルヴィーラ役は、男に捨てられてもなお、その男を忘れられないどころか、その男の心配
までしてしまうという、”けなげな女性”のイメージが一般的だが、この日のエルヴィーラは、ネクタイにズ
ボン、それにロング・トレンチコート
といった、”男装”で、まるで寅さんのような四角く大きな旅行カバンを
持って登場。
益田朋子は、最後まで日本人であることを意識させず、それほどに、他のソリストたちとともにこの舞台
に良く溶け込んでいた。

レポレッロ役のヴィンコは、未だ31〜2歳の若手だが、決して軽くなり過ぎず、”大人のレポレッロ”とし
て好演だった。

残念だったのは一つだけ。
緞帳の代わりに、大きな赤い幕(ビニールシート?)が宙吊りになっていて、演奏が始まると、ズルズルと
天井の方に持ち上がっていくのだが、その際にバリバリと音がして聞き苦しい雑音になってしまうのみな
らず、持ち上げた後も中途半端に上空(?)に鎮座しているために、サントリーホールならではの音響が
やや犠牲になったり、字幕が読み難い、といった弊害が出ていた。


さぁ、「今風フィガロ」の台本を早く完成させたうえ、「今風ドン・ジョヴァンニ」台本の制作にとりかからな
くっちゃ...。


カサロヴァ主演、演奏会形式の「カルメン」

★★(3月17日 サントリーホール)

「今をときめくメゾの新女王」、「世界中の歌劇場が認める最高の”メゾ・ソプラノ”」等々の謳い文句で、前評判
もすこぶる大きい、ヴェッセリーナ・カサロヴァが主演するビゼーのカルメンの全曲生演奏ということで、興味津々で
でかけた。 主なキャストやスタッフはつぎのとおり。

カルメン: ヴェッセリーナ・カサロヴァ、 ドン・ホセ: ロベルト・サッカ、 エスカミーリョ: イルデブランド・ダルカンジェロ、
ミカエラ: ヴェロニカ・カンジェミ、 モラレス: 森口賢二、 スニガ: 田島達也、 フラスキータ: 佐藤亜希子、 メル
セデス: 鳥木弥生、
ダンカイロ: 豊島雄一、 レメンダード: 小山陽二郎、
指揮: デイヴィッド・サイラス、 合唱指揮: 須藤桂司、 合唱: 藤原歌劇団合唱部+東京少年少女合唱
隊、 管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団。

カサロヴァは、舞台に登場しただけで、さすがに存在感がある。
そして、歌い始めるや、低音部のドスの効いた迫力に、まず驚いた! まるで、「オペラ界の和田アキ子」
ってな感じ(?)の、低音のド迫力なのだ。
カルメンって、女の色気で男を惑わす訳だが、この低音のド迫力では、男は怖がって近寄らないんじゃ
ないの?...なんて、最初はいらぬ心配もしたが、
中高音部の声の素晴らしさもあって、2幕あたりからは、どんどん引き込まれていってしまった。

昨年末に観た、映画版の「カルメン」にもエスカミーリョ役で登場していたダルカンジェロは、この日も、なかな
かの”男まえ”ぶりを発揮していた。
演技でごまかせない「演奏会形式」の中で、日本人歌手を含め、殆どの
ソリストたちや合唱が、聴いていて全く飽きさせない
実力。
英国ロイヤル・オペラで40年近く仕事をしているサイラスの指揮もいい。端正そのものの振り方ながら、
全編飽きさせない、”緊張感”に満ちたストーリーづくりに成功していた。

ところで、この日は、初めて、サントリーホールの「2階L席」で聴いたが、この席が、なかなか面白い。
中央客席からみて、ステージ上の左隣の2階にあたる席である。つまり、この席に座ると、左側に合唱が、
中央にオーケストラが、右側に指揮者とソリスト達がいる、というアングルになっていて、
そのオーケストラも、左端から、ティンパニー、金管、木管、コントラバス等が位置し、真ん中あたりにチェ
ロ、右にいくにしたがって、ヴァイオリンやヴィオラ、といった配置となり、それぞれの楽器の音が、正面の
客席で聴く時より遥かに鮮明なセパレーションをもって聴くことが出来る。
もちろん、ソリストが正面客席に向かって歌う時は、ソリストの顔が見えず、声がこちらには直接届かない
とか、全体の音のバランスが必ずしも良くない、といったディメリットもある席なのだが、
曲のオーケストレーションの妙を楽しむには最高の席といえよう。
そして、
その意識でこのオペラ全体を聴いてみると、指揮者の楽員に対するコマンドがよく見えることも幸いして、
ビゼーが、全編を通して、歌以外のオーケストラの各楽器部分も充分に考えながら、いかにお客に飽き
させないように作曲していたのかが、よく見えてくる。
オペラシティ・タケミツ・メモリアルホールのようなシューボックス・タイプのコンサート会場では体験できな
い、ちょっと「通好み」(?)の、違った音楽の楽しみ方かも?


HAKUJU HALLリクライニング・コンサート: ハープとフルートの日

★★(3月7日 HAKUJU HALL)

代々木八幡のHAKUJU HALLは、客席の後ろ半分の9列がリクライニング・シートになっていて、同ホール
の自主企画である「リクライニング・コンサート」の時は、この後ろ半分の席を一列おきにしか客を入れず
にして、お客が目いっぱいシートをリクライニングさせて、横たわる姿勢でライヴ演奏を楽しむことができる。
休憩無しの1時間のライヴで、入場料は2,000円というお手頃j価格。
開演時間となり、会場がやや暗くなると、まず、舞台正面の壁に、このコンサート・シリーズのキャッチ・
フレーズが写し出される。
「あなたは聴きますか、それとも眠りますか?」
これでもう、「ウフフ...」って嬉しくなってしまう。

56回目のこの日は、篠ア和子のハープと、小山裕幾のフルートのデュオによる、つぎのプログラム。
なお、1977年生まれの篠崎和子は、我国ハーピストの大御所、篠崎史子さんのお嬢さん。
かたや、小山裕幾は慶應義塾大学理工学部の学生でありながら、既に数々のコンクールで入賞してい
る、フルート界の若き新星。


イベール:間奏曲
グルック:「オルフェオとエウリディーチェ」より“精霊の踊り”
滝廉太郎(編曲:矢代秋雄):荒城の月
ビゼー:「アルルの女」op.23 第2組曲より“メヌエット”
フォーレ:シシリエンヌ op.78
ピアソラ:タンゴの歴史
ドップラー:ハンガリー田園幻想曲 op.26
C.P.E.バッハ:ハンブルガー・ソナタ ト長調 Wq.133
(アンコールで)イベール:物語より“金の亀を使う女”

モーツァルトの名曲に、フルートとハープのためのコンチェルトがあるが、あらためて、この2つの楽器の
相性の良さを実感した。まるで、生ハムとメロンのような、えもいえぬコンビネーション!

目を閉じて横たわり、癒し成分タップリのライヴ名演に身も心も浸しながら、うつらうつらする、っていう、
最高の贅沢が、気軽に味わえるのだから、これは理屈抜きにお値打ち!


ネトレプコ&ビリャソン主演 オペラ映画「ラ・ボエーム」

★★(2月4日 イタリア文化会館)

2月14日からのロードショーに先駆けて行われた特別試写会。客席には、TVなどで見かける国会議員、俳優、
文学者、デザイナー、華道家、タレント等も多く、華やいだ雰囲気の中で楽しんできた。
舞台公演の収録ではなく、音楽部分を2007年4月にミュンヘンで演奏会形式で事前収録しておき(注: 既
に上記写真のCD発売中)、その音楽に合わせて翌年、映像部分をウィーンのスタジオにセットを組んで、5週間
かけて撮影したという35mmの「オペラ映画」。主なスタッフ&キャストははつぎのとおり。
監督・脚本: ロバート・ドーンヘルム、舞台装置: フローリアン・ライヒマン、衣装: ウリ・フェスラー、
ミミ: アンナ・ネトレプコ、ロドルフォ: ローランド・ビリャソン、ムゼッタ: ニコル・キャベル、マルチェッロ: ジョージ・フォ
ン・ベルゲン(声: ステファーヌ・ドグー)、コッリーネ: ヴァタリ・コワリョフ、ブノア: テイツィアーノ・ブラッチ、
指揮: ベルトラン・ド・ビリー、演奏: バイエルン放送交響楽団、合唱: バイエルン放送合唱団、ゲルトナーブラッ
ツ州立劇場児童合唱団、ほか。

何といっても、ウリモノは、今や人気No.1のアンナ・ネトレプコの歌唱力・演技力と美貌。そして、最近ずっと彼女
の相手役をしているビリャソンのテノール。

ミミとロドルフォの別れのシーンの雪景色がこよなく美しい。そして、病魔におかされていくに従って生気を失っていく
ミミのメイクと演技が、痛々しいほどに真に迫ってくる。
ネトレプコの容姿は、まさに今が、あどけなさの残るか弱いお針子のミミ役にピッタリであり、10年後の撮影では
なく、今、制作されたことに意義があろう。

時代設定はオリジナルどおりに19世紀初頭のパリ。雪降る街並みを、敢えてモノクロの、ややキメの粗い映像に
してノスタルジー感を醸し出し、主人公が登場したところでカラーに転換させたりするなど、(舞台収録とは違う)
映画ならではの効果をあげている。
オペラ「ラ・ボエーム」の映画としては、今後も世界中で長く視聴されるであろう優れた定番作品であることに間違
いなかろう。

些細なことだが、映画づくりの面で気になったことが2つある。
1つは、雪のシーンでの日本語字幕。真っ白の映像の上に白色の字幕文字が乗ると殆ど読めない。この日の試
写会では、外国人向けに英語の字幕も付いていたので問題無かったが、一般劇場公開する際には工夫が必要
やも?(昨年末のNHK-BSでの放映時は、白の字幕文字に黒の縁取りがしてあったので容易に読めたが)
2つ目は、ミミが亡くなり、ズームアウトしていって本編が終わると、そこからは無音でキャストやスタッフ名等のロー
ル・テロップだけが黒バックで流れるのだが、全く音が無いためもあって、殆どの観客はこのロール・テロップが現れ
始めるや否や、そそくさと席を立って帰っていってしまった。ご招待を受けて無料で楽しんだのだから、全ての関係
者に敬意を払い、せめて制作者たちの名前のテロップが終わるまでは席に着いているのが礼儀と思うのだが、
お偉い政治家先生方やタレント諸氏は、さぞかしお忙しいのか、はたまたセッカチなのか??

ところで、もしこのオペラの時代設定を現代に移したらどうなるか?
「今風ラ・ボエーム」は、非正規労働者たちの、寒さをこらえながら、食べるものにも事欠くようなギリギリの暮らし
の中で、男は、愛する女性が不治の病に陥っても、お金もなく医者にも連れて行けず、温かい部屋やまともな
食事さえも与えられず、自分の不甲斐なさに正気を失って彼女と別れてしまう。そして、死の直前で二人は再会
するものの、寒く粗末な彼等の部屋の中で、永遠の別れとなってしまう...。
さしずめ、そんな、あまりにリアルで救いようのない非正規労働者たちの哀歌になってしまうだろう。
ラ・ボエームは、世界的大不況の中では、まことに痛々しい。



ロイヤル・オペラ・ハウス収録映画「カルメン」

★★(12月24日 新宿バルト9)

2007年のロイヤル・オペラ・ハウスでの上演を、SONYの「LiveSpire」というデジタル映像技術によって劇場公
開映画用にしたもの。スタッフやキャストはつぎのとおり。
指揮: アントニオ・パッパーノ、演出: フランチェスカ・ザンベッロ、衣装: ターニャ・マッカリン、照明: ポール・コン
スタブル、装置: アーサー・ピタ、ロイヤル・オペラ合唱団、ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団、カルメン: アンナ・
カテリーナ・アントナッチ、ドン・ホセ: ヨーナス・カウフマン、エスカミーリョ: イルデブランド・ダンカンジェロ、ミカエラ:
ノラ・アンセルム、他。

オペラ映像は、先般NHK放映されたネトレプコの「ラ・ボエーム」のような、”映画用に製作”されたものと、NHKで
TV放映されるような、”ステージ
公演を収録したもの”とがあるが、この「カルメン」は、その両者の良さを見事に
兼ね備えた迫力を持って
いた。(ロイヤル・オペラ・ハウスでの公演収録の形をとり、数箇所に観客の拍手も入っ
ているものの、じつは、カメラアングルも録音も演出も、”映画
用”に特別企画されたものと思われる。)

カルメン役のアンナ・カテリーナ・アントナッチは、歌唱力もさることながら、額や体にほとばしる汗のリアルさや表情
の変化
など、映画によるアップ映像ならではの、なまめかしい迫力に度肝を抜かれた。また、ミカエラ役のノラ・
アンセレムは、役柄ゆえ一見地味ながら、素晴らしい
声を聴かせてくれた。(04年の小澤征爾音楽塾でのボエ
ーム
でミミ役を演じて好評だったこともあり、日本でのファンも多いのでは?

一方、
ホセがカルメンを殺した後、ドライフラワーのように枯れてしまったバラの花をもみくちゃにしながら、横たわる
カルメンにふりかけて終わる、という
ラストの演出や、はたまた、ソリスト達の目線が指揮者やプロンプターには行か
に”眼でもシッカリ演技している”点など、この演出家は、ステージ演出のみならず、アップ映像を意識した「映
演出」の妙も兼ね備えている! と脱帽した次第。

SONYのデジタル画像は、画質は素晴らしいが、前から4列目の
席であったためか、フィルム映画に比べ、何と
く眼が疲れた感あり
1秒あたりのフレーム数が、フィルム映画と異なるのだろうか?(CDが世に出た時と同様、
慣れてしまえばこれが普通に思えるように
なるもかも知れないが)
また、サウンドは、映画館(バルト9)の装置で
聴くと、当然のことながら「映画館の音」になってしまっており、よく
言えば迫力満点だ
が、しかし、弦楽器の高音部などがやや平坦かつ粗っぽい音になっていたり、オペラのライブ
公演で感動する
”消えるようなピアニッシモの美しさ”の部分まで迫力のある音になっていたりした所があり、
もし
、この映像がサラウンド音声のDVDで発売され、我家のサラウンド・オーディオ・システムで再生したら、恐ら
くバルト9よりももっと繊細な美しさで奏でて
くれるのだろうなぁ、と想像しながら観入った次第。

よく、「オペラやコンサートは生演奏に限る。機械を通した音は似て非なるもの。」と主張する音楽ファン(?)が
いるが、
あらためて、≪客席から観るオペラのライヴ≫と、≪オペラ映画≫とは、双方共に、それでしか体験でき
ない違った良
さを持っており、どちらが良いかの話ではい、ということを実感した。



ソウル・オペラ「魔笛」

★★
(12月16日 東京フォーラム ホールC)

南アフリカのエリック・アブラハム(プロデューサー)と、英国のマーク・ドーンフォード=メイ(演出)が南ア
フリカのケープタウンで創設した、オール黒人のカンパニーによる、ロンドン公演の東京での引越し公演。
客席は65〜70%程度の入り。

モーツァルトの「魔笛」を、アフリカン・ビートやR&B、ソウルっぽいテイスト等に全面変換し、かつ、(クラ
シックのオーケストラではなく)、マリンバ、ドラム缶、太鼓、空き瓶、トランペットといった楽器のみで、ま
た、衣装もアフロ・テイストやモータウン・テイスト、といった、徹底した≪アフロ風「魔笛」≫になっていた。

楽器構成の制約もあり、モーツァルトのオリジナル曲にある繊細な半音やハーモニーなどは殆ど無視し、
そのかわり、ソロのアリアの部分でアフリカン・ビートのコーラスが入ったり、オリジナル曲には無いメロ
ディーまでが随所にちりばめられている。
タミーノの魔法の笛は別の人物によるトランペットで奏でられ、また、パパゲーノの銀の鈴は、これまた別
の何人かによる空き瓶を叩くのだが、オリジナル曲とはリズムもメロディーも異なる、”アレンジ”を超えた
”別モノ”になっていた。
台詞も、例えば、魔法の笛が「バオバブの木」から創った等、アフリカ風に書き換えられ、かつ、オリジナ
ルに比べて短縮されている。
一方、舞台装置は無機的でシンプルなもののまま、場面転換など一切無く、、時折、”The Spirits”とか、
"Nature/reason”とかのネオンサインが点灯する程度の演出しか無い。


マニアックなモーツァルト愛好者がこれを観たら、「何ヨ、コレ?」と怒り出すかも知れないが、天国のモー
ツァルトは、「よくぞここまで異国風の別モノに変えちゃって!」と、ケラケラ笑って喜ぶかも?

これが有りなら、常磐津伴奏による歌舞伎版の「魔笛」のロンドン公演、なんてのもウケるかも?。



フレンチ・カフェ・ミュージック

パリ、愛の歌 〜永遠のシャンソン&ミュゼット名曲集〜

★★
(12月5日 HAKUJU HALL)

パリのミュゼット音楽や1930年代〜60年代のシャンソンの≪人間味を心ゆくまで堪能できた、それは
それは心あたたまるコンサートだった。
特に、今年68歳になるダニエル・コランが醸し出す、たぐいまれなる匠の技なのにどこかノスタルジック

アコーディオンの響きと、演奏時の彼の嬉しそうな表情が素晴らしい!
なお、彼のアコーディオンは、白鍵と黒鍵のキーボードタイプではなく、右手側に64、左手側に96個も
ついた丸いボタンを押して鳴らすもので、小粋で人のいい初老のおじちゃんが、さりげなく超絶技巧をご
披露しながら、かつての温かい良き時代に連れていってくれる、って感じ!

前半は、ダニエル・コランのアコーディオンと、ドミニック・クラヴィクのギターによるパリ・ミュゼット。
戦前のモノクロのフランス映画に出てくるような、パリの酒場や路地裏のシーンを彷彿させ、また、ときに
沖縄の三線(ゲストのネギシ・カズトシ)も加わり、何ら違和感なくノスタルジックなアコースティック・サウ
ンドの波間に身も心もドップリ浸かることができた。ドミニック・クラヴィクはギターよりも渋いヴォーカルが
良い。


後半は、クレール・エルジエールのヴォーカルが加わった、シャンソンの名曲集。
この女性ヴォーカル、未だ30代半ばだが、ジュリエット・グレコがホンモノと称えただけあって、歌ってい
くにつれ、歌の説得力がどんどん増してくる。
フィナーレに、いずみたくの「見上げてごらん夜の星を」をフランス語で歌ったが、これもなかなかの逸品。

本国パリでもなかなか聴くことのできなくなってしまった古き良き時代の名曲を、初老のおじちゃん達が、
娘の年代の名歌手を発掘して一緒に演奏できる幸せ。そしてその幸せを会場の日本人も同じように共感
しているというホール全体の温かい雰囲気が何より≪人間的≫な一夜だった。

それにしても、当時の曲はどれも、メロディーもコード進行も美しく、かつ、歌詞を大切にしたものばかりで
あり、殺伐とした現代にこそ、このような心温まる曲がもっともっと演奏されてよいのではないだろうか?
そういえば、シャンソンだけでなく、カンツォーネも、タンゴも、スウィング・ジャズも、日本のみならず本国
でさえ、いつの間にかマス・メディアに載ることは殆ど無くなってしまった。
いまやモダン・ジャズがそうであるように、このようなライヴの定期的・継続的な公演機会を日本(東京)で
積極的に創っていく等、音楽の力による国際平和貢献とそれによる来訪外国人の増加⇒国際交流促進
なんかがあってもいいかも?


ウィーン国立歌劇場: ドニゼッティ「ロベルト・デヴェリュー」

★★
(11月4日 東京文化会館)

ウィーン国立歌劇場来日公演の3演目のうち、唯一、演奏会形式で行われたもの。
今年62歳になるグルベローヴァ。彼女のオペラ・ライヴを、今考えられる最高のオーケストラやソリスト達
との競演で体験できる、ひょっとして最後の機会かも知れないとの危機感(?)もあって、期待と心配が
交差しながら出かけた。
また、演奏会形式ということは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーンフィル)が、(オペラのオケピット
ではなく)舞台に乗って演奏される訳で、オーケストラの響きも、より理想的な音響環境下で
聴けるという
期待も膨らませて行った。

主な出演者等はつぎのとおり。
指揮: フリードリッヒ・ハイダー、合唱指揮: トーマス・ラング、エリザベッタ:エディタ・グルベローヴァ、
ノッティンガム公爵: ロベルト・フロンターリ、サラ: ナディア・クラステヴァ、 ロベルト・デヴェリュー: ホセ・
ブロス、セシル卿: ペーター・イェロシッツ、 グアルティエロ・ローリー卿: 甲斐栄次郎、 小姓: 伊地知宏
幸、ノッティンガム公爵の従者: マリオ・ステッラー、
ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、エリザベッタの衣装: 芦田淳

序曲が始まるや、ややっ? ホルンがフラフラした音を出すなど、オーケストラの始めのうちはやや不安定
さが感じられた。
そういえば、ウィーン国立歌劇場やウィーンフィルのライヴで、イタリア作曲家ものを聴いたことがなかった
こともあり、ドイツ、オーストリアものに比べると、やはり慣れていないのかナ? なんて、ふと思ってしまっ
たが、さすがに弦の響きは素晴らしく、また、後半になるにしたがって本領発揮していった。


舞台に登場したソリストたちのうちで、グルベローヴァだけは1、2、3幕のそれぞれでドレスを替えていた
が、特にこのオペラ用の衣装ではなく、また、他のソリストたちや合唱は、黒のロングドレスと燕尾服とい
ういでたち。舞台装置も無い。
(噂によると、ウィーンでのこのオペラ公演時の舞台装置があまりに大き過ぎて日本に持ってくることが
出来なかったために、日本では演奏会形式とせざるを得なかった、とのことだが、真偽のほどは不明)

さて肝心の歌だが、この日はもう、殆ど、グルベローヴァのための一夜といってよいほど、彼女の圧倒的
な魅力で包まれた。
サヴァリッシュ=バイエルンの「魔笛」で彼女が「夜の女王」を歌っているDVDを出してきてみたら、このラ
イヴがあったのが1983年。あれから四半世紀を経た今なお、(そりゃ、声の張りなどは当時ほどでは無
いかも知れないが)声だけでこれだけのドラマを創ってしまえる歌手は、そう多くはいない。
3幕最後の、「裏切り者よ、彼女のそばで生きればよいのです(女王の涙)」から、「あの流された血は」
に至る迫力なんか、もう圧巻!
悲劇のオペラだが、グルベローヴァとほぼ同じ世代として、なんだか元気を貰ってきた一夜だった。

サラ役のナディア・クラステヴァ(メゾソプラノ)は、おそらくまだ30歳あたりだろうが、素晴らしい声をもって
おり、将来大スターになっていく可能性を感じた。

また、タイトルロールのホセ・ブロスは、これぞイタリア・オペラのテノールといった高音の伸びが冴えてい
たし、他方、公爵役のロベルト・フロンターリの中低域の声のふくよかさも見事だった。


昭和音楽大学オペラ公演: ベッリーニ「夢遊病の娘」

★★
(10月12日 昭和音楽大学「テアトロ ジーリオ ショウワ」)

自宅の近くに、オペラにも適したホールが出来たと聞いたのが昨年。なかなか行く機会がなかったのだ
が、12日の当日、電話で問い合わせしたら、まだ2,000円の席が空いているというので、「それなりに
愉しめればいいかナ。」くらいの軽い気持ちで出掛けた。
結論: 2,000円でこれだけのライヴ全曲が、それも舞台からあまり遠くない席で楽しめるなら、超お値打
ち!

まず、このホールそのものが、なかなかチャーミングで良い。
3階席まであり、2、3階席が馬蹄形のいわゆるヨーロッパの伝統的なオペラハウスのような設計で、しか
もオペラ公演の場合、1.200席強という、決して広すぎない大きさ。オーケストラ・ピットが舞台の下に
少し潜り込んでいることもあり、3階席でも舞台と客席との距離を余り感じさせず、歌手達は声を張り上げ
なくとも客席の隅々まで届く、という設計。残響の具合も自然で、こんなホールだったら歌い易そう。
舞台装置や衣装もプロ仕様。舞台の左右に電光掲示字幕装置まである。

昭和音大は、声楽科や器楽科、オーケストラや合唱のみならず、バレエ、舞台製作、アートマネジメント
等までをも教えており、このような自前のホールを持って一つのオペラを仕上げるというのは何よりの実
地教育になると共に、裏方部分も含め、自前で殆ど全てを賄えるというメリットや横の繋がりも発揮でき
る訳で、このようなトータルな教育システムに拍手を送りたい。

ソリスト達は卒業間もない若手、オーケストラや合唱、バレエ等は現役学生による公演であったが、自前
の設備を使って、時間をかけて練習を重ねてきた賜物なのだろう、
イタリア語の原語での全曲公演を、
歌も演技も、観る者に殆どストレスを与えることなくやり通したのは、地元住民として嬉しい限りであった。

主なスタッフ&キャストはつぎのとおり。

指揮: 星出 豊、演出: 馬場 紀雄、アミーナ: 小林 郁絵、エルヴィーノ: 望月 光貴、ロドルフォ: 小田桐
貴樹、リーザ: 倉本 絵里、テレーザ: 佐藤 三穂、アレッシオ: 上野 裕之、公証人: 高嶋 康晴、
昭和音楽大学管弦楽部、昭和音楽大学合唱団、昭和音楽大学バレエ団、他


仲道郁代ピアノ・リサイタル

★★
(9月23日 麻生市民館大ホール)

今年のラ・フォル・ジュルネで、5つ★の感動的なシューベルトを弾いた仲道さんが、地元、新百合ヶ丘で、
しかも3,500円というお手頃価格でリサイタルを開く、ということで、自宅から歩いて行ってきた。
プログラムはつぎのとおり。

・モーツァルト: ピアノソナタ第8番 イ短調 K.310
・ベートーヴェン: ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」 OP.13
・ラフマニノフ: 前奏曲 嬰ハ短調 OP.3-2「鐘」
・ラフマニノフ: 10の前奏曲より、第5番 ト短調 OP.23-5
(休憩をはさんで)
・仲道郁代氏と日下部吉彦氏(音楽評論家)とのトーク・コーナー
・ショパン: 24の前奏曲より、1番、4番、7番、15番、24番
・ショパン: バラード第3番 変イ長調 OP.47
・ショパン: スケルツォ第2番 変ロ長調 OP.31

3,500円だったら満足。でも、べつにトチったりヘンな演奏という訳でもないコンサートだったのに、何と
なく緊張感に欠け、あまり印象に残らなかったのは、会場のせいなのだろうか? それとも客席の雰囲気
のせいだったのだろうか?
或いはひょっとして、
演奏が始まる前に、客席から、カジュアル・ジャケットを着た中年のオジサンがおもむろに出てきて舞台
に立ち、話し始めたりした、このプロデュース・スタイルそのものに起因していたのだろうか?

少なくとも「リサイタル」というからには、それは聴く方にとっても「ハレ」の場であり、ステージに立つ人は、
それなりの「華」があるようなプロデュースをするのが入場客に対するサービスなのではないだろうか?
当然、ソリストの仲道さんもその辺はちゃんと心得ていて、ステキなステージ衣装で登場し演奏している
にも拘らず、この「音楽評論家」という人が、お世辞にもオシャレとかステキとはいえないジジ臭いカジュ
アル・ジャケットとブカブカ・ズボン姿で舞台に上がり、「ご教養の音楽会のはじまり」、みたいな口上なん
ぞされてしまうと、もうそれで、客席は、聴く前からシラケちゃうのでは?

そりゃ、東京郊外の会場での祝日のマチネだもん、べつに燕尾服やタキシード姿で、とは言わないが、
それにしても、無頓着な服装でステージに登場し、仲道さんとのトークも含め、単なるたわいもない話を
するだけなら、そんなことはよして、
ステージに登るのは仲道さんオンリーとし、演奏に集中するなり、彼女が直接客席に語りかけるなりした
方が、よほど「リサイタル」に相応しい、集中できるコンサートになったと思うが、如何?



東京二期会:チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」

★★
(9月12日 東京文化会館)

ソリスト陣、指揮、オーケストラ、演出、舞台、衣装、その他、全ての面でトータルにバランス良く、世界の
トップクラスのオペラハウスに勝るとも劣らない、極めて水準の高い公演を堪能できた!
ロシア語による全曲をプロンプター無しに、かつ、聴く者にいささかのフラストレーションも与えずに全曲を
歌いきった日本人歌手達の力量と、コンヴィチュニーの類まれなる鋭い演出、そしてその演出に呼応した
アニシモフの指揮、等々の見事なコンビネーションの勝利といえよう。
主なスタッフ&キャストはつぎのとおり。

指揮:アレクサンドル・アニシモフ、演出:ペーター・コンヴィチュニー、美術:ヨハネス・ライアカー、照明:
喜多村 貴、合唱指揮:森口真司、演出助手:ヴェレーナ・グラウブナー・澤田康子、原語指導:山下健二、
舞台監督:幸泉浩司、公演監督:多田羅迪夫、
ラーリナ:与田 朝子、タチアーナ:津山 恵、オルガ:田村由貴絵、フィリピエーヴナ:村松 桂子、エフゲニ
ー・オネーギン:黒田 博、ウラジーミル・レンスキー:樋口達哉、グレーミン:佐藤泰弘、ザレツキー:畠山
茂、トリケ:五十嵐 修、管弦楽:東京交響楽団、合唱:二期会合唱団。

コンヴィチュニーの演出は、まるで、現代日本の、硬直化しダッチロール状態に陥っている政治、行政や
一部の問題企業等の≪当事者達は頑張っている積りでも、結局何も打開できず、見苦しく敗退していっ
てしまう、傍から見たらバカげたとしか思えない悪戦苦闘≫の様子を痛烈に皮肉っているようで、至る所
に、そんな「皮肉」を垣間見せるシタタカな演出意図がちりばめられているように思えた。
私なりの演出解釈を幾つか例示してみよう。

まず、オペラが始まる前に、舞台には市民たちがモゾモゾうごめいており、その中の一人の男が、急に
「ギャーッ!」を叫んで倒れる。(こんな、ノドを壊しかねない地声のワメキをコンヴィチュニーから要求され
た合唱団員は可哀想だが)泥酔した酔っ払いなのだ。そして、これはオネーギンの姿でもあり、この時代
の世相そのものが尋常ではない酔っ払い状態であることを暗示している訳だ、ということが、このオペラが
進行していくにしたがって見えてくる。

1幕。タチアーナ、オルガ姉妹とその母ラーリナの家の舞台設定が、メタリックな銀色の大きな階段が中
央にドドンとあるだけの無機質なスペース。そんな中で、
下手の隅に、
本が雑然と積まれた「人間的な」
コーナーがあり、ここが夢多きタチアーナの部屋、との設定。
「夢に酔っているタチアーナ」と、片や、「無意味な貴族のメンツのシガラミの下で自らを変えられずに押し
つぶされていってしまうのに、ただ酔っ払うばかりでいるオネーギン」や、レンスキーたちとの対比を、こん
な舞台設定でもそれとなく見せつけた訳か?
そして、この両者の境界線的な「象徴」が、舞台上の真紅の緞帳であり、ただ一人、その幕の開閉を行う
のがタチアーナ、という演出の「価値観対比」。
それにしても、タチアーナがオネーギン宛のラヴレターを書きながら歌う、2場の長いアリア(津山恵)は
初々しさも溢れた熱唱で見事!
そんな「夢見る少女」に対して、3場で、女達とじゃれ合いながら現れた泥酔のオネーギンが、タチアーナ
に大人ぶって説教し、愛の告白をはねつける場面の、なんともイケスカナい男の苦々しさも対照的。

2幕1場の舞踏会の場面でも、男の卑屈さやバカげたツッパリ、屈辱感などが、「これでもか!」というほ
どに苦々しく演じられる。そして、そんな貴族達のくだらなさに対して、その他大勢の人々の「動きだした
ら誰も止まらない無言の圧力」のような無表情でシラけた不気味さを対照的に見せつける痛烈な苦々しさ
には、ホント、今の日本を見ているようで、マイッタ。
その不気味さは、2場の決闘場面でさらに明白となる。
ここでも酔っ払って登場するオネーギンと、元々親友のレンスキーの決闘が、男達に取り囲まれ、おしくら
饅頭
状態になってしまって二人が見えなくなったところで銃弾が発射されるという、意外な演出だが、
これって、今の日本の政治や官僚のオヤクショ仕事が、幾ら奇麗事を言ったところで、不条理の泥沼の
大きなうねりの中に飲み込まれていってしまうような、なんともやりきれない苦々しい状況そのもの。
さらに、
殺してしまったレンスキーの死体を抱いてポロネーズを踊るオネーギンの狂気は、最近の日本の首相達
の無責任な業務放棄に対して多くの国民が抱く苛立たしさにも似た、筆舌に尽くしがたい厭世観、あるい
は、いたたまれないやるせなさの象徴のようにさえ思えてきてしまう。

そんなやるせなさを払拭するのが3幕1場の驚くべき演出!
グレーミン公爵婦人となって凛々しさ漂う真紅のドレス姿のタチアーナに、放浪から帰ったオネーギンが
再会する場面で、公爵とタチアーナが、なんと、2階の左側のバルコニー席に現れて歌うのだ。2階の右
側のバルコニー席には男声合唱が、そして1階上手にオネーギンがヨレヨレの姿で酔っ払って登場する。
近くにいるが届かない距離で、かつ、オネーギンがタチアーナを見上げる、即ち、二人の上下関係の逆転
の見事な演出!
ここで歌うタチアーノは、1幕の初々しさと対照的に、毅然とした公爵夫人に変貌し、この違いを津山恵は
見事に表現!
(なお、私は1階席中央の後ろの方の席で聴いていたのだが、2階席左側からの歌が、文化会館の右側
前方の壁にストレートにぶつかってホール内に反響するものだから、その反響音が結構大きいこともあり、
原音とその反響音とのディレイ(時間差)が微妙に不自然にミックスされた形で耳に届く、ヘンな音体験を
してしまったのも事実。世界でも有数の良い響きの文化会館ではあるが、さすがにそんな異例の場所か
らの演奏は想定していない音響設計であったことをあらためて証明してみせた。音響より演出を優先した
訳か?)

そして2場のフィナーレの演出も見事!
オーケストラ・ピットの前(客席側)に、舞台から通じる通路がしつらえてあり、歌舞伎の花道的な効果を
挙げながら、1階に下りてきたタチアーナとオネーギンとが、もどかしくも徐々に近づいていくシーンを創り
あげる。
やっと再会し、普通の演出なら、女は男に、「なによアンタ、今さら口説いても無駄ヨ。私は公爵夫人とし
て既に幸せに暮らしているの。でしゃばらないで、とっととお帰り!」といった感じで観る者をスカッとさせ
るのだろが、コンビチュニーはここでも常識を裏切った。
今もオネーギンへの愛は消えていないことを示しながらの、オネーギンとの「永遠の別れ」の告白なのだ。
さらに、例の真紅の段通を自分で引いていくと、舞台の後ろに、2幕のときと同様の人々がおり、オネー
ギンがそっちに引っ張られそうになっている一方で、タチアーナが、かつて書いたオネーギンへのラヴレ
ターを取り出し、曲が終わるまで、放心したような表情で延々とそのラヴレターを破り続ける、というもの。

既存の体制のバカバカしさ、そしてそれをブレークスルー出来ずにHappy Endにはなれない男たち...。
いやぁ、つくづく私はいい時に定年退職し、いい時に、既存の体制に媚びへつらわずに済むオーナー会社
を起業したもんですなぁ。



小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト
J.シュトラウスU:「こうもり」


★★
(7月30日 東京文化会館)

2000年にスタートした小澤征爾音楽塾の、今年の出し物は「こうもり」。
主なスタッフ&キャストはつぎのとおり。

音楽監督・指揮:小澤征爾、演出:デイヴィッド・ニース、装置:ヴォルフラム・スカリッキ、衣裳:ティエリー・
ボスケ、照明:高沢立生、振付:マーカス・バグラー、合唱指揮:キャサリン・チュウ、
管弦楽:小澤征爾音
楽塾オーケストラ、合唱:小澤征爾音楽塾合唱団、バレエ:東京シティ・バレエ団、

ロザリンデ:アンドレア・ロスト、ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:ボー・スコウフス、アデーレ:アンナ・
クリスティ、アルフレート:ゴードン・ギーツ、オルロフスキー公:キャサリン・ゴールドナー、ファルケ博士:
ロッド・ギルフリー、フランク:ジョン・デル・カルロ、ブリント博士:ジャン=ポール・フシェクール、
フロッシュ:
大浦みずき。

なにせ、ウィーン国立歌劇場総監督のマエストロ・オザワの監督・指揮による「こうもり」だもん、1ヶ月前
に愉しんだウィーン・フォルクスオパー並みの、それはそれは、とろけるような大人のウィンナ・ワルツを奏
でると思いきや、オヨヨヨヨ! 始まった序曲は、なんとも硬くて、リズムに遊びがなく、聴いていて体が揺
れてこない。
そりゃ、大人の男女の付き合いなんか、恐らく未だ経験したことも無い、若手演奏家たちを集めた「塾」の
オーケストラだもん、「とろけるような大人のテンポ&小粋さの演奏」なんか、期待する方がいけない、なん
て自分に言い聞かせつつ、幕が上がると、いやぁ、舞台はお金のかかった本格的な二階建てで、衣装も
原作に則ったゴージャスなもの。サンフランシスコ・オペラのものを持ってきたようで、「やっぱりオペレッタ
は、貧相じゃシラけちゃう。こうでなくちゃ!」と嬉しくなり、これでルンルン気分に。

歌い手陣は、特に上手い人もダメな人もなく、安心して楽しめた。
ふと気づいたのだが、この、「安心して楽しめる」要素として、歌の技量もさることながら、歌手のルックス、
体型、身のこなし(演技)が大いに影響しているのやも?
シャンデリアの下で、燕尾服やロングドレスをまとった紳士淑女達が、シャンパンやダンスや恋物語を展
開するといったシーンでは、それなりに背が高くてカッコよくなければサマにならないのだが、その点、ソ
リストたちの”西洋人”は結構サマになっていた。
(他方、”西洋人っぽく”厚化粧をした、チンチクリンのバックコーラスやバレエの人たちは、オペラグラス
の視界の中に入ってきちゃうと、ちょっぴりシラけちゃう??)

1幕出だしでアルフレートがトゥーランドットの一節を歌ったり、3幕でフロッシュ役の大浦みずきが宝塚と
間違えて登場といった設定で「ベルばら」を歌ったり小澤サンとの掛け合いをしたりと、それなりに楽しさ
サプライズもあり、かつ、とてもオーソドックスかつ分かり易い演出であったが、他方、バレエの見せ場は
化粧したオニイチャン達の月並みな”踊り”に終始し、また、「とろけるような大人のウィンナ・ワルツ」は、
結局、聴くことはできなかった。

木から落ちる直前の、半分透明になった甘味いっぱいのトロトロ完熟の柿、といった感じではなく、かぶり
つくとまだ硬みのある、出荷直前の柿、といった「こうもり」だった。
とは言うものの、無名の若手の寄せ集めで、よくぞここまで仕上げたかと思うと、あらためてマエストロ・
オザワの偉大さが充分に伝わってきた。
ステージ上の若手にとっても、オケの若手にとっても、この貴重な体験が今後の「大人の音楽」に向けて
の重要な一歩となったに違いない。


目白バ・ロック音楽祭2008
デカメロン物語 = 14世紀イタリアの恋歌とダンス =


★★
(6月15日 立教大学第一食堂)

木造の歴史的建造物の会場で聴く1300年代の恋歌や舞曲ってのも、なかなか趣があっていいものだ。

古楽と歌のグループ「アントネッロ」(春日保人のヴォーカル&フルート、西山まりえのヴォーカル&オル
ガネット、中世ハープ、藤沢エリカのヴォーカル、石川かおりのフィーデル、わだみつひろのパーカッション、
濱田芳通のコルネット&リコーダー)を中心に、アドリアン・ファン・デル・スプールのヴォーカル&中世リュ
ート、五十嵐柾美のダンスが加わり、トークショー的に、フランス文学の細川哲士氏と、桐朋短大教授の
上尾信也氏、という面々による、南仏の吟遊詩人の時代の抒情詩を基にした気取らないパフォーマンス。

曲はつぎのとおり。
・「彼女が手と美しい顔を洗うあいだ」(作者不詳/ロッシ写本より)
  = 男3声と、ハープ、オルガン、太鼓、笛、フィーデルによる、”あの娘の麻の下着姿を見ちゃったら、
    足元を隠しちゃった”という女性賛美の曲

・「私が不死鳥であった時は」(ヤコボ・ダ・ボローニャ)
  = 西山による、こぶしの効いたソロ・ヴォーカルで始まり、地声で歌う面白さの中での踊り〜男2声と
    いう変化に富んだ構成で歌う、「私は悟った。一人の女がなしうることは貞淑に生きることだと」と
    いった、男が作った理想の女性像のうた

・「春がきた」(フランチェスコ・ランディーニ)
  = 男2声にオルガン、コルネット、太鼓〜藤沢のヴォーカル〜女声と変化させながら、春の訪れを称え
    る曲

・「美徳の始まり」(作者不詳/ロンドン写本より)
  = オルガン、マンドリン、リコーダーによる演奏

・「美しい城から」(作者不詳/ロッシ写本より)
  = ハープと太鼓をバックにした男2声

・「私は愛する」(ギランデッロ・ダ・フィレンツェ)
  = オルガンをバックに男2声とソプラノで歌う、”私は無駄な時間を費やすことはせず、愛してくれる女
    を愛すんだ”ってな曲

・「思いに耽って」(フランチェスコ・ランディーニ)
  = 女2声+男声に、オルガン、コルネット、フィーデルによる、まるで日本民謡みたいな、魚捕り遊び
    のうた

・ベリカ(作者不詳/ロンドン写本より)(楽器演奏)

・「刈り入れの後に」(ロレンツォ・ダ・フィレンツェ)
  = オルガン、フィーデル、コルネットをバックにしたヴォーカルの掛け合いで、”犬が狩猟の持ち場に着
    いたゾ! 行け行け!”って歌う曲


つい2週間前に観たオペレッタ「ボッカチオ」の、まさにその主人公が活躍していた時代の曲ということも
あって、ビジュアル的にもイメージがわき易く、また、古楽器の形も響きも素朴なこともあって、親しみを
もって楽しめた。トークショーはちょっと準備不足?
西山まりえの、なんとも不思議な独特の地声が、ときに東洋的にも聴こえ、魅力的。
ダンスは14世紀当時のものではなく、五十嵐氏のインスピレーションによる即興のようだが、プロデュー
ス意図は?


東京フィルハーモニー交響楽団 第754回定期演奏会

★★
(6月13日 サントリーホール)

イスラエル交響楽団の音楽監督であるダン・エッティンガー指揮による東フィルのサントリーホール定期
で、プログラムはつぎのとおり。

・ワーグナー: タンホイザー序曲 (WWV70)
・シューベルト(リスト編): さすらい人幻想曲 (LW-H13(S366)) (ピアノ:小川典子)
・(小川典子のアンコールで、リストの「ラ・カンパネラ」)
・リスト: ファウスト交響曲 (LW-G12(S108) (テノール: 成田勝美、合唱: 新国立劇場合唱団)

リストのピアノ曲って、テクニックの誇示ばかりが目だってしまい、あんまり「中味の感動」が無いんですよ
ねぇ。それに、最近、「ラ・カンパネラ」を聴くと、以前たまたまテレビで観た◎◎◎ヘミングなる人のトチリ
っ放しの演奏がいつも想起されてしまって、よけいに浅はかに聴こえてしまう。

一方、リストの作品全てが浅はかな訳では無い、との強烈な主張があったのが「ファウスト交響曲」。
なんと1時間15分にもおよぶこの曲、ゲーテのファウストのストーリーに則ってる訳ではないが、リストが
ベルリオーズからこの作品を勧められて読み、それに触発されて、20年以上にもわたって改訂されなが
ら現在の形になったという、壮大・重厚なもの。
当日のプログラムを読むと、オクターブを三等分した「増三和音」とか、「12音主題」とか、20世紀の「音
列技法」に近い発想の創りとか、けっこう奥が深い、凝りに凝った作品であることがわかる。
合唱とテノールが登場するのは、終楽章の最後の7分ほどだけ、という、なんとも贅沢な(?)つくりで、
3楽章形式ながら、ベートーヴェンの第9にも増しての荘厳さは、交響曲というよりもオラトリオといった感
じ。
ちなみにここで歌われる「神秘の合唱」は、つぎのような意味の歌詞。
 移ろいゆくものは、すべて影なるかな。
 摩訶不思議のこと
 ここに現われ出て、絶妙の御業ここに為さる。
 女性におわす久遠の御手に、われら引かれて昇る。



ウィーン・フォルクスオーパー: フロトー「マルタ」

★★
(6月7日 東京文化会館)

「ボッカチオ」に続いて、日本ではなかなか上演されない「マルタ」を観てきた。
「庭の千草」のアリアが聴かせどころになっている、身分違いの恋を描いたオペレッタ。

キャスト&スタッフのDataは以下のとおり。
フリードリヒ・フォン・フロトー作曲、ヴィルムヘルム・フリードリッヒの台本、マイケル・マッカフェリー演出、
ジュリアン・マクゴーワンの舞台装置、アンドレアス・シューラー指揮、ウィーン・フォルクスオーパー管弦
楽団、ミヒャエル・トマシェック合唱指揮、ウィーン・フォルクスオーパー合唱団、ビルギット・マイヤーのド
ラマトゥルギー、ジェニファー・オローリン(レディ・ハリエット・ダーラムでマルタ)、ダニエラ・シンドラム(ナ
ンシーでユリア)、アイナー・Th・グートムントソン(トリスタン・ミタルフォード卿)、メルツァード・モンタゼー
リ(ライオネルでダービー卿)、ラルス・ヴォルト(プランケット)、ライムント=マリア・ナティエスタ(リッチモ
ンドの判事)。

ストーリーは何とも単純、かつ、現代では「なんて失礼な!」って言われそうな内容。
王女の女官(=日本でいうなら、さしずめ「大奥」ですな)のハリエットとナンシーが、退屈まぎれに、トリス
タン卿と一緒に、庶民たちの市場にお忍びで出かけ、マルタとユリアという平民の名前に変えて、公設の
女性の集団就職面接会のようなもの(=見ようによっては人身売買のようにも思えてしまい、現代の我々
にとっては今一つシックリこないが)で、農家のライオネルとプランケットに奉公人として買われていく。
ライオネル達の家に着いた二人は糸紡ぎ等の仕事もできず、ハリエットがライオネルに「庭の千草」の歌
を聴かせると、ライオネルがハリエットに夢中になってしまい、プロポーズしちゃう。ハリエットも、ちょい、
その気に。
でも、ハリエットもナンシーも、辛い仕事に明け暮れる世界に入っちゃったことを後悔し、トリスタンに頼ん
で翌日にライオネルのところから逃げ出して王宮に帰ってしまう。
後日、女官たちが森に狩りに出掛けたときに、ハリエットたちとライオネルたちが偶然再会。そこでハリエ
ットは、平民ごときと付き合えるかい!、とでもいった感じでケンモホロロな態度でライオネルに接し、彼
の心を傷つけてしまう。
でも、彼女はその後、彼を傷つけたことを後悔し、何とかしたいと思ってたが、じつは、ライオネルが持っ
ていた、彼の父親から譲られたという指輪から、彼が貴族であることが分かり、じゃあ結婚しましょ、とい
うことになって、ついでにナンシーとブランケットとも結ばれる、という話。

「庭の千草」と、後半でライオネルが歌う「マルタ、マルタ」の2曲は有名だが、「こうもり」や「メリーウィド
ウ」のような他の人気オペレッタに比べて、ウットリ聴かせるアリアが少なく、ストーリーも上記のような
感じであるため、≪オペレッタならではの甘美なウットリ感に身も心も満たされる喜び≫ってのが今一つ
足りない。
(ちなみに、「マルタ」のアリアは、私が高校時代、音楽の時間に日本語で歌わされた覚えあり。当時は
「丸太」ってどんな人物なのだか想像だに出来なかったが、この曲、こんなストーリーのオペレッタだった
ワケね)

しかし、このフラストレーションは、あくまで原作のせい。
「ボッカチオ」の時と同様、歌手陣も、オーケストラも、舞台構成や衣装も、全てにわたり充分に満足でき
る質の、さすが本場ウィーン・オペレッタの引越し公演!

たぶん、このようなオペレッタが作曲された当時は、あたかも現代のテレビドラマやオフ・ブロードウェイ・
ミュージカル、はたまたPOPSのように、消耗品のようにどんどん創られ、余程の名作で無い限り、いつの
まにか、どんどん消えていったのでしょうね。


目白バ・ロック音楽祭2008
カテドラルに響き渡るバッハの感動
目白バ・ロック音楽祭祝祭合唱団結成記念コンサート

★★
(6月6日 東京カレドラル聖マリア大聖堂)

4年目に入った「目白バ・ロック音楽祭」にオリジナルの合唱団が結成され、オランダの新進気鋭、ペー
ター・ダイクストラの
指揮でのお披露目コンサートがあった。
プログラムはつぎのとおり。オルガンが大塚直哉、ヴィオローネが西澤央子。

・メンデルスゾーン: 詩編第91番「まことに主は汝のために御使いたちに命じて」
・J.S.バッハ: モテット第3番「イエスよ、わが喜び」BWV227
ヨハン・ミヒャエル・バッハ: モテット「主よ、われ汝を待ち望む」
・メンデルスゾーン:
詩編第43番「主よ、我をつまびらき」
            
詩編第22番「我が神よ、なんぞわれを見捨てたまいし」
・ヨハン・クリストフ・バッハ: モテット「愛する神よ、われらを目覚めさせてください」
・J.S.バッハ: モテット第1番「主に向かいて新しき歌を歌え」BWV225

ソプラノ、アルト、テノール、バスそれぞれ4名、計16名編成の合唱団は、全員が黒一色のいでたちで、
声もじつに揃っている。また、ダイクストラは29歳の若さでバイエルン放送合唱団の音楽監督になり、以
降、ベルリンRIAS室内合唱団、サイトウ・キネン等でも活躍してきたというだけあって、なかなか精悍かつ
温かみのある指揮。

アカペラで荘厳に歌われ、ピアニッシモでささやくように終わる詩編第91番は、やれバロックだのロマン
派だのといった時代を超越した、さすが、バッハの偉大さを再認識させたメンデルスゾーンならではの、
燻し銀のような名作品。後半の43番と22番も同様で、特に、22番で、「我が神よ」と歌うソロから、静か
な合唱に至るところの美しさ、そして、「アーメン」と終わる流れは絶品!

J.S.バッハのモテット第1番での、「Sing! Sing!」と歌う声が、カテドラルの高い天井じゅうに響き渡り、
まるで天で音の鳥たちが舞っているかのような「天空の音空間」も、この教会でのライヴならではの体験!

アンコールでもメンデルスゾーンが歌われた。



ムジチスタ・スペシャルコンサート

★★
(6月4日 ルーテル市ヶ谷センターホール)

二期会テノールの成田勝美氏が4年前に結成した声楽集団「ムジチスタ」の公演。
今回も満席のルーテル市ヶ谷センターは、ご婦人方パワーの熱気であふれていた。
曲と歌手はつぎのとおり。ピアノは笈沼甲子。

・ロッシーニ: 「三つの聖歌合唱曲集」より「愛」 (女性合唱)
・シューベル
ト: 「糸車に倚るグレートヒェン」 (成田伊美)
・ドボルザーク: 「母が教えた歌」 (玉崎真弓)
・ドビュッシー: 「出現」 (田中絵里加)
・ドビュッシー: 「星の夜」 (成田淳子)
・オッフェンバック: 「ホフマン物語」より「舟歌」 (江口順子、金子美加)
・フォーレ: 「ばら」 (成田淳子)
・デュパルク: 「前世」 (金子美加)
・ショーソン: 「リラの花咲く頃」 (金子美加)
・ジョルダーニ: 「カロ・ミオ・ベン」 (成田勝美)
・トスティ: 「最後の歌」 (成田勝美)
(休憩をはさんで)
・ガーシュイン: 「ポギーとベス」より「サマータイム」
(玉崎真弓)
・モーツァルト: 「フィガロの結婚」より「手紙の二重唱」 (
田中絵里加、成田伊美
・童謡 「七つの子」 (江口順子)
・團伊玖磨: 「舟歌」 (
江口順子)
・小林秀雄: 「すてきな春に」
(玉崎真弓)
・中田喜直: 「髪」
(成田淳子)
團伊玖磨: 「別離」
(金子美加)
・瀧廉太郎(平井康三郎編曲): 「荒城の月」 (玉崎真弓、成田淳子)
・モーツァルト: 「皇帝ティトの慈悲」より「私は行くが、君は平和に」 (成田伊美)
・ベッリーニ: 「清教徒」より「私は美しい乙女」 (田中絵里加)
・ワーグナー: 「タンホイザー」より「おごそかなこの広場よ」 (江口順子)
・プッチーニ: 「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」 (成田勝美)
(アンコール)
・「オーソレミオ」
(成田勝美)、童謡メドレー(出だしのピアノはまるで「ラメール」のよう)、「乾杯の歌」(出
演各位)

今回も、トークまじりのアットホームな雰囲気の中、歌にとっては理想的に近い
響きのある教会で、いや
もう、オペラ・アリアから日本の童謡まで、サービス精神たっぷりの楽しいひとときを過ごさせてもらった。

成田伊美と田中絵里加の二人は未だ音大の大学院生だそうで、これぞ若さの特権か、声がストレートに
出る。前回聴いたときに比べての進化が著しく、この歳でフィガロの伯爵夫人を堂々と歌う意欲にも好感
がもてる。これで顔やしぐさの表情をもっと表すようになれば、いよいよ本格デビューか。

表情でいうならば、玉崎真弓の表情の豊かさは、クラシックのみならず、ミュージカルなどにも向いている
のではと感じさせた。 真紅のドレスに身を包み、妖艶な全身表現で歌ってみせた「サマータイム」は、ポ
ピュラー音楽の世界だったら、もうこの1曲だけで大人気となってしまうポテンシャリティーをたっぷり含ん
でいた。

江口順子は、「七つの子」で、客席全体をピュアな懐かしの
世界に連れていってくれたり、他方、タンホイ
ザーでは、「これぞワーグナー歌い!」とでも言いたくなるほどの安定した歌いっぷりで幅広く愉しませて
くれた。
安定感でいうなら、金子美加のメゾは特筆もの。デュパルク、團伊玖磨ともに、まるでじっくり寝かしたボ
ルドーワインを愉しんでいる時のような、聴く者が身を任せてその味に浸れる安心感・安定感に満ちてい
た。

成田淳子は、このコンサートのプロデュースと司会進行もしながら、歌のほうでも、伸びやかな高音の魅
力で会場じゅうにたっぷりアルファー波をふりまいてくれた。
望むべくは、せっかくご夫婦でのステージで、しかも、フィガロもティトも出たんだから、「コシ・ファン・トゥッ
テ」の
フェランドとフィオルディリージ役かなんかで、ご夫婦の甘いデュエットなんかも聴かせてほしかった
んだけど...。次回はぜひ!

そしてそのご主人の成田勝美は、今回も、会場のご婦人方をすっかり魅了し、同氏が登場するだけで、
レディーたちが前のめりになって乗りだし、もう、ウットリしちゃってる。

当日のイタリアものでは、会場を圧倒する迫力の中に、どこか女心をくすぐる(のであろう)甘美な魅力を
ほんのチラッとだす、さすがの貫禄と上手さ!
9月の「トリスタンとイゾルデ」でのトリスタン役公演が楽しみ。



ウィーン・フォルクスオーパー: スッペ「ボッカチオ」

★★★★
(6月1日 東京文化会館)

ストーリーはアホらしいけど、音楽も演技も舞台も衣裳も、すべて目いっぱい楽しく、とにかく幸せ気分に
なれたひととき!
ソリストも指揮者も知らない人たちばかり。でも、誰一人として不満レベルの人はおらず、ども曲、どの場
も心から安心&リラックスして楽しめる、いやぁ、さすが本場!

キャスト&スタッフのDataは以下のとおり。
フランツ・フォン・スッペ作曲、フリードリッヒ・ツェルとリヒャルト・ジュネの台本、ヘルムート・ローナー演出、
ミヒャエル・トマシェック指揮、ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団、ウィーン・フォルクスオーパー合唱
団、サッシャ・ウェイク舞台装置、マリー=ジェンヌ・レッカ衣装、ジョルジョ・マディア振付、アンティゴネ・
パボウルカス(ボッカチオ)、エリザベト・フレヒル(ベアトリーチェ)、ウルリケ・ピヒラー=シュテフェン(イザ
ベラ)、ジークリット・マルティッケ(ペロネラ)、ジェニファー・オローリン(フイアメッタ)、ヴォルフガング・
グラッチュマイヤー(ピエトロ)、カルロ・ハルトマン(スカルツァ)、クルト・シュライブマイヤー(ロッテリンギ)、
ハインツ・ツェドニク(ランベルトゥッチョ)、トーマス・ジクヴァルト(レオネット)、マティアス・ハウスマン(公
爵&家令)、アイナー・Th.グートムントソン(ケッコ)

エノケン&浅草オペラの”恋〜はや〜さし〜、野辺の花よ〜”の、あの「ボッカチオ」のオリジナルがコレ
なんですねぇ!
ストーリーは、「デカメロン」で有名な小説家のボッカチオ(男なのだが、メゾ・ソプラノの役)が、友人のレ
オネットやピエトロ王子も一緒になって、フィレンツェで小説のネタ探しをしながら街のご婦人方を口説き、
それを小説にして出版しちゃうもんだから、旦那衆はもう怒っちゃって....でも最後はメデタシ・メデタシ、
という、何ともたわいのない話。
曲は、ロッシーニとレハールとヨハン・シュトラウスを足して3で割ったような、いかにもオペレッタ!といっ
た、ときに甘くせつなく、ときにウキウキ、ときにドタバタといった、サービス満点のもの。
(「こうもり」や「メリー・ウィドウ」に比べて公演回数が少ないのは、台本のアホらしさ具合のせい??)

出だしから、オケの音が素晴らしい! 全く濁ることなく、乱れることもトチることもなく、このうえなくチャー
ミングで、弦なんか、もう、ウィーンフィルみたいだし、管も上手い。
歌手陣も負けてはない。歌も演技も手慣れたもの! ドタバタから3幕の2人のアリアの甘美な調べに至る
まで、聴いていると、まるで上質なスパークリングワインの飲み放題の体験をしているように、1曲1曲毎
に美味しく、それが繰り返されていくにしたがって、徐々に体じゅうに甘美な酔いがまわってきて、雲上で
ゴロ〜ンと転がりながら聴いているような「いい気持ち」になってくる!

コスチュームもまた絶妙。
14世紀の物語で、街の人々は当時のイメージを出しながら、一方、王子なんかはサングラス姿で、196
0年代のヒッピーみたいな格好で出てくるし、レオネットなんか、コスチュームに「アモール」なんてペイント
までしている。
そう。そうなんだ。あの「ウッドストック」の頃のヒッピー達の価値観(=それが当時のゼロックスのCMの
「モーレツからビューティフルへ」にもつながった)と、このストーリーの若者達の自由さとの、何と似てい
ることか!!

この作品、要は、≪世の男どもよ! 常にジョークの心をもって、あなたの奥方を飽きさせないようにして
いないと、女性たちは浮気心を起こしてしまいますぞ!≫というご教訓なのかもね!?
ところでウチはどんなもんでございましょう???


ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル

★★
(5月29日 オペラシティホール)

海外出張の予定が入りそうになり、買ってあったこの日のS席チケットを娘と娘のボーイフレンドに譲った
ら、出張しなくてよくなったので、急きょWebでやっと手に入れた追加のチケットが、3階のR(右側)の席。
この席の物理的な制約からくるものだったのだろうか? どうも音のキレが悪く、やたらと大きな音ばかり
が目立って、モワンモワンとガサツにこもった音となって耳に届くばかりで、最後まで感動できなかった。

普通のダークスーツに、まるでゴーギャンが描いた森の絵のようなド派手な原色の緑色のワイシャツ(そ
れも襟だけは真白)と赤系統(?)のネクタイという、なんともリサイタルっぽくないいでたちで登場したゲ
ルバー。
顔は40年前のレコード・ジャケットとあまり変わらなかったが、超メタボなボディーにはビックリ。
(初来日40周年記念コンサート、とのことだったが、そういえば、当時は、ゲルバー、アンドレ・ワッツ、そ
してクライバーンなどがもてはやされていましたっけ。


曲はオール・ベートーヴェンで、それも副題の付いた代表曲ばかり。アンコールは無し。
・ピアノソナタ14番 ハ短調 Op.27-2「月光」
ピアノソナタ21番 ハ長調 Op.53「ワルトシュタイン」
(休憩をはさんで)
ピアノソナタ8番 ハ短調 Op.13「悲愴」
ピアノソナタ23番 ヘ短調 Op.57「熱情」


最初の「月光」は、第1楽章の静かに奏でる聴かせどころからして一本調子のモワ〜ンとした音。ひょっ
としてペダルを踏みっぱなしなのかしらん?そして3楽章も荒い。

「ワルトシュタイン」もしかり。1楽章のダイナミックな弾き方そのものは賛成なのだが、3階にその音が届
く時には、それぞれの音がみんな一緒くたになって濁ってしまって聴き難く、また、3楽章のロンドでは、
デレ〜ッとしてしまってメリハリが無い。

後半の「悲愴」になって、若干ながら音はクリアに変わったようだが、しかし、弾き方は相変わらずガンガ
ンとどんどん進んでいってしまう感じで、この人、「音をためて感情表現する」といったことはお嫌いなのか、
それとも、ガンガン大きく弾くことがベートーヴェンの真髄と思っているのか??
「熱情」の1楽章の左手低音の強烈な弾き方なんぞ、まるでバルトークのよう! 一方、2楽章のアンダン
テは、悪いけど途中で飽きてきちゃった。

たぶん、いい席で聴いたらこんな風には聞こえず、この不満は単に3階Rの聴いた位置のせいなのだと
信じたいが、どんなもんだろう(???)


なお、翌日のNHK BSで、小澤征爾&サイトウキネンと内田光子によるベートーヴェンのピアノコンチェルト
を放送していたが、このピアノには到る所に心の機微が、時にキラキラと、また、時にいぶし銀のように
ジワ〜ッと溢れ出ていた。同じベートーヴェンのピアノ曲でも、弾く人によって随分違うんですねぇ。



アッコルドーネ: 「歌と魔法」〜口承された古い歌の記憶〜

★★
(5月16日 王子ホール)

テノールのマルコ・ビーズリーと、チェンバロ&オルガン奏者のグイード・モリー二が1984年に結成した
イタリアの古楽アンサンブル「アッコルドーネ」が、1600年代の曲を中心に集めた、なんとも温かいライ
ヴ・コンサートを初めて聴いた。

出演者はつぎのとおり。
マルコ・ビーズリー(ツルっ禿げの、一見怖そうな顔のオジサンだが、何と未だ51歳のテノール)、グイー
ド・モリーニ(音楽監督。オルガンとチェンバロ)、エンリーコ・ガッティ (第1ヴァイオリン)、ロッセラ・クロー
セ(第2ヴァイオリン)、ステーファノ・ロッコ(古楽ギター)、フランコ・パヴァン(テオルボという通奏低音用
の開放弦もついた大型のリュートのような古楽弦楽器)、ファービオ・アックルソ(リュート・ア・プレットロ)。

曲は、演奏順につぎのとおり。
・ケルビーノ・ブサッティ(?-1644): 「あなたは天使」
・ジョヴァンニ・フェリーチエ・サンチェス (ca1600-79): パッサカリアの主題によるカンターダ
・クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643): 「苦悩はかくも快く」
・ジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643):パッサカリアの主題による100曲のパルティータ
・ビアージョ・マリーニ(1587-1663):「恋人は手の届かぬところへ」
・ジョヴァン=バッティスタ・フォンタ-ナ(1630-?):2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ 第8番
・ジョヴァンニ・ステファーニ(17世紀後半):「幸せな恋人

(休憩)
・マルコ・ビーズリー(1957〜。この日のテノール):タランテッラT、U、V
・作者不詳:「カルピーノ娘に捧げる歌」
・セヴェリーノ・コルネーティ(1530-82): 「ぼくの魂はあなたのもの」
・作者不詳: カラーブリア地方のタランテッラ
・作者不詳: 「すてきな知らせ」(ウェディング・ソング)
・作者不詳: 「高らかに打ち鳴らせ」
(アンコール)
・「ガランチーノのうた」
・「オーソレミオ」
・カッチーニ: 「アモールよ何を待ってるの?」
・「幸せな恋人」

朗々と歌うイタリア歌曲やオペラとは全く異なり、フォルテで張り上げるようなことはせず、澄んだ柔らな
声で軽やかに歌い、それを古楽器アンサンブルが”癒し成分”タップリに、これぞアナログの原点ってな
温かさで伴奏する。
ロビーでスパークリング・ワインをちょいとひっかけてから聴いたこともこれあり、いやぁ、聴くにつれてカラ
ダの中からストレスらしきものがどんどん飛び去っていき、リラ〜ックス気分に!

前半は著名作曲家の作品、後半が世俗曲中心というプログラムだったが、当時のイタリアの古典曲が、
その後のイタリアもの(カンツォーネ等)よりも、むしろスペイン歌曲に近い歯切れの良さがあって楽しい。
ビーズリーの澄んだ声は、古典も、彼の作曲した現代ものも、時代を超越した柔らかな癒しに満ち、「恋
人は手の届かぬところへ」では、こよなく美しい旋律を胸に迫る「音楽の力」で静かに訴えかけてきたし、
アカペラで歌った彼の作曲の「タランティッラ」は、温ったかでピュアでホッとするひとときを与えてくれた。

アンコールの「オーソレミオ」を、こんなにソフトに柔らかく、まるでセレナータのように歌うとは!
「歌と魔法」のタイトルが、ここでやっと思い出した。
こりゃ、歌の魔法だ。



ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 天羽明恵のソプラノと
                    鈴木大介のギター


★★
(5月6日 相田みつを美術館)

2日に聴いた天羽さんが、こんどは鈴木大介氏のギター伴奏でのシューベルトの歌曲集リサイタル。
つぎの曲の数々を、最前列の席で愉しんだ。

・「春の想い」 D686
・「泉のほとりの若者」 D300
・「ただ憧れを知るものだけが」(ミニョンの歌) D877-4
・「糸を紡ぐグレートヒェン」 Op.2 D118
・メルツ編曲によるギター独奏: 「涙の賛美」 Op.13-2 D711
メルツ編曲によるギター独奏: 「我が宿」(歌曲集「白鳥の歌」D957より)
メルツ編曲によるギター独奏: 「セレナード」(歌曲集「白鳥の歌」D957より)
・「野ばら」 Op.3-3 D257
・「夜咲きすみれ」 D752
・「ます」 Op.32 D550
・「アヴェ・マリア」(エレンの歌 第3)D839

ギター伴奏によるシューベルトの歌曲、という体験は初めて。
同じ曲でも、ピアノ伴奏によるものとは全くイメージが違って来、どの曲も、セレナータを聴いているような
ものになるのは面白い。
ただ、、同じ歌手、同じ会場で、同じ曲を、ほんの4日後に聴いてみると、ピアノ伴奏に比べて、6弦を5
本の指で鳴らすギターというのは、どうしても表現力に限界があることが、あらためて如実に感じられた。

天羽のソプラノは、この殆ど響かない会場では辛そうに感じられなくもなかったが、「ただ憧れを知るもの
だけが」の、深く静かな想いの表現と、「糸を紡ぐグレートヒェン」の2曲には、恐らくは当時の「シューベル
ティアーデ」にあったであろう”サロン的な温かさの中の直接の感動共有”が、まぎれもなく、あった。

一方、3曲のギター独奏は、シューベルトの名曲を、”ヨーロッパ映画音楽”に変身させてしまったかのよ
う。
それはそれで楽しいのだが、シューベルトの時代にもギターがあったにも拘らずギターのための曲が無い
のもうなずける、楽器としての表現力の限界を感じさせた。


ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; バーバラ・ヘンドリックスの歌曲

★★
(5月5日 東京フォーラム ホールC)

今はスウェーデン在住の米国人ソプラノ、バーバラ・ヘンドリックスと、ルーヴェ・デルヴィンイェル(スウェー
デン)のピアノによる、シューベルトのつぎの歌曲の数々。

・ズライカT Op.14-1 D720
ズライカU Op.31 D717
・「愛らしい星」 D861
・「夜と夢」 D827
・「若い尼僧」 D828
・「君こそ我が憩い」 Op.5903 D776
・「さすらい人の夜の歌」 Op.96-3 D224
・「ミューズの子」 D764
・「トゥーレの王」 Op.505 D367
・「糸を紡ぐグレートヒェン」 Op.2 D118
(アンコール)
・「ます」
・「シューベルトの子守歌」

ピークを過ぎたんだナ? という印象を感じながら聴き始めたが、「愛らしい星」の、「やさしく輝いているの
を見ると、私の胸は幸福と悲哀とで不安になり、また重くなる」のフレーズの、深い心の機微
の表現は、
さすがのベテラン。
そして圧巻は、「ミューズの子」、「トゥーレの王」の2曲。一気に歌いあげた。

でも、アンコールも聴かせて貰って、そのあと、殆ど何も心に残らないのは、どうしてなのだろう?


ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; カペラ・アムステルダム&
                   ヴュルテンベルク室内管弦楽団
                   シューベルト ミサ曲第5番


★★
(5月4日 東京フォーラム ホールA)

シューベルトが、3年を費やして作曲した「ミサ曲第5番 変イ長調 D678」が、
ユッタ・ベーネルト(ソプラノ)、マルフリート・フォン・ライゼン(メゾ・ソプラノ)、トマス・ウォーカー(テノール)、
デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バス)、カペラ・アムステルダム(合唱)、それにダニエル・ロイス指揮
のヴュテンベルク室内管弦楽団によって演奏された。

ソプラノはドイツ人、メゾ・ソプラノはオランダ人、テノールはスコットランド人、バスはイギリス人、合唱と
指揮はオランダ人、オケはドイツという、「ヨーロッパ大連合!」

出だしの「Kyrie」で、弦、それも低音部の響きの荘厳さに感心!
そして「Gloria」の、Gratias agimus tibi〜のところの、弦の静かな出だしからソプラノに移っていくところや、
Domine Deus, Agnus Dei,〜のところの、アルトからクラリネットへ、そして、バスのソロに移り静かに合唱
も入って、そしてオーボエ、ファゴットといった木管の美しい響きを経て、テノールへと繋がり、フォルテに
なって盛り上がっていく一連の流れに、シューベルトが、宗教曲の分野でも素晴らしい「うたごごろ」や構
成力を持っていることをリアルに再認識できた。

一方、「Sanctus」の、アルプス・ホルンのような響きから合唱に至るパートには、思わず、インスブルック
で見た山々のおごそかさを感じ、「Benedictus」のチェロのピチカートから3人のソロ、そして合唱に続く
パート、さらには最後の「Agnus Dei」での静かな弦〜ソプラノ〜4人のソロへのつながりの流れに、キリス
ト教という宗教が、オーストリアの自然と風土に根付いたものであることをあらためて感じた。

4人のソリストも合唱も、そしてオーケストラも、特に華がある訳ではないが、日本ではなかなか生演奏で
聴く機会の無いこの曲の価値を体験するのに充分な、真摯な表現力を持っていた。



ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 小曽根真、児玉麻里、児玉桃、
                    大友
直人指揮 上海交響楽団

★★
(5月4日 東京フォーラム ホールA)

最初に、バッハの「3台のピアノための協奏曲 ニ短調 BWV1063」が、小曽根真、児玉麻里、児玉桃の3
人のピアニストを迎え、大友直人指揮の上海交響楽団で演奏された。

3人のソリスト達が、客席にお尻を向ける形で、小曽根氏を真ん中にして並んで座り、その後ろにオケと
いう配置で演奏するのだが、なにぶん5千人も入る巨大ホールでの演奏のためか、全ての音がボワ〜ン
とこもってミックスされ、3人の手の動きを見ていないと誰の弾くピアノの音かも分らない。
2楽章のカデンツァ部分の小曽根氏の弾きぶりに期待していたのだが、これまたオケの音とゴッタ煮に
なってしまって、ボワ〜ン、モワ〜ンとこもってしまい、結局、終始、「風呂場で聴くバッハのBGM」といっ
た感じで終わってしまった。

最悪だたのが、2曲目の、シューベルトの交響曲第8番 ハ長調 D944 「グレイト」。
オケ全体の音が何とも「無機的」であり、1楽章のフォルテの部分なんぞ、軍楽隊の演奏による行進曲
といった感じで、トランペットの金属的な音だけが耳に直接突っ込んで来る一方、他の音の塊が、あたか
も視界の悪いスモッグの中から現れた戦車隊のように冷たく押し寄せてくる。

2楽章の静かなフレーズでやっと「戦車隊」が消えたと思いきや、客席の幼児が何やら喋り出し、暫くし
(恐らく親がその子に喋るのを止めるよう叱ったのだろう)ギャーと大声で泣き出し、その親子が会場を
去るまでの数分のハプニングで、もう、会場はシラケっ放し。
大人だって退屈に思える、こんな演奏に、幼児は耐えられないのは当然だろう。

3楽章でも、まるで、雲の間から陽がさすことが無い、どんよりとした天気のような音の塊が延々と続き、
この楽章が終わったところで、(恐らく、「もういいヨ」という意味なのか?)パラパラと拍手が起きるあり様。

といった具合で、なんとも後味の悪いひとときでした。


ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 仲道郁代のピアノ

★★
(5月4日 東京フォーラム ホールD7)

2日前の感動を引きづりながら、定員222席の5列目の、中央から若干右側で聴いた。
プログラムは、つぎのようなシューベルトの名曲ばかり。

・即興曲 変ホ長調 OP.90-2 D899-2
・即興曲 変ロ長調 OP.142 D935-3
・ピアノソナタ第13番 イ長調 Op.120 D664

シルバーのロングドレス姿で現れた仲道さんは、弾き始めるなり、ピアノを弾くというより歌っている感じ。
このホールは、2日に聴いた相田みつを美術館とは異なり天井も高く、かといって大ホールほどの残響も
無く、インティメイトな感じでいい音を聴くには丁度良い具合の響き。一つ一つの音の粒と、曲全体のうね
りとが連携して、言霊ならぬ「音魂(霊)」となって、聴いている者の胸に心に、そして全身に、ぼわ〜ん、
じわ〜んと、直接訴えかけてくる!
これって、単なる「心地良さ」とかでは無いし、悲しみや苦しみの表現といったレベルのものでも無い。
「人の喜怒哀楽の音楽表現」といったものを超えた、人類、いや地球、いや宇宙が生まれて以来、もとも
と存在していた、何か根源的・本質的なものが、「音楽」という「波長」となって、まるでニュートリノのよう
にストレートにカラダに入って来、楽器としてのカラダの波長と共鳴し、そのニュートリノが他の人たちの
カラダにも同じように作用しているかのうよう!?

ひょっとして、共鳴する波長は、人によって、さらには同じ人でもその時の状態によって異なり、たまたま
その波長に共鳴する外的波長(=音楽演奏)に巡り合うと、共鳴し、その共鳴作用が「感動」となって、
「ぼわ〜ん、じわ〜ん現象」となってくるのかも?
或いは、
自然と共生し、季節の変化やもののあわれに敏感な、日本人ならではのDNAのようなものが、(タイプ
は同じではないが)内田光子や仲道郁代の中にあり、その演奏の中に現れるそのDNAが、どこかに同じ
ようなDNAを持つ日本人の心に共鳴するのかも?
そして、シューベルトやモーツァルトは、特に日本人のDNAなのか波長なのかに共鳴し易い何かを持って
いるのかも知れない。

そんな「宇宙的想像」を広げさせてくれた名演だった。



ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 小曽根真のピアノ即興

★★
★★(5月3日 東京フォーラム ホールC)

2年前のラ・フォル・ジュルネで弾いたモーツァルトの「ジュノム」以来、この人に大注目中であり、今回も
前売り開始日の開始時間から粘ってこのチケットを先ず押さえておいた。

1,490席のホールの舞台中央にスタインウェイのフルコンサートが1台置かれ、やがて、舞台の下手の袖
のドアが開く。
さぁ、小曽根氏登場か、と思いきや、出てこない。
アレレ?と思った瞬間、黒の細身のパンツに黒のシャツをはおい、シルバーのレザー・スニーカーといった
カジュアルな格好で、
(客の常識を裏切って)上手から登場。それでもう、ホール内は笑いに包まれ、
いい雰囲気に。

そして、小曽根氏は、ピアノの上に置いてあったマイクを持ち、客席に向かってジェスチャーたっぷりに
話し出す。しかし、声が聞こえない。
アレレ?と思った瞬間、「スタッフの方、驚かせてゴメンなさい。」と。またのジョークで会場爆笑。

そんな中で、時に語りも交えながら弾いたのは、それぞれ、つぎのシューベルトのフレーズを基にした、
小曽根氏の完全オリジナル即興演奏の数々。

・「野ばら」 (小曽根JAZZ風)
・「ます」 (小曽根ラグタイム風)
・「菩提樹」 (小曽根ゴスペル七変化風)
・即興曲 D935
・アンコール: アヴェ・マリア (小曽根バラード風)

いやぁ、いつ聴いてもワクワク・ドキドキの楽しさいっぱいで、これぞ音楽の愉しみ!!
もし、シューベルトの時代に小曽根さんが「シューベルティアーデ」に招かれ、こんな感じで弾きまくったら、
恐らくシューベルト氏は、前向きで明るく楽しい性格に変身し、恋人もでき、ちゃんと結婚もし、その結果、
悪い病気にもかからず、もっと長生きもして、明るい曲やオペラを含め、より多くの名作を残したのではと、
つい、楽しい想像を膨らませてしまった。
大満足の1時間!

来年のラ・フォル・ジュルネは、バッハ特集とのこと!
JAZZとBACHとの相性は抜群ゆえ、小曽根さん、来年も、ますます期待してますよ!



ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 田部京子のピアノ

★★
(5月2日 東京フォーラム G409)

同じ日に、同じ会場の、同じピアノで、曲は異なるものの、同じシューベルトを、違うピアニストで聴き比べ
ることができる、というのも、ラ・フォル・ジュルネならではの楽しみ。

海老彰子さんとは対照的に、田部京子さんはヘアスタイルもメイクも、黒のロングドレスも、大ホールでの
リサイタルのようにバッチリきめて登場。

弾いたのは、即興曲集 Op.142 D935。
名曲中の名曲を、モーツァルトの幻想曲とショパンのピアノ曲との「つなぎ役ふう」といった感じで弾いた。
海老さんが中低音部をよく響かせたのに対し、同じ日に同じピアノを使いながら、田部さんのピアノは高
音部の方がきれい。ピアニストによってこんなにも音に違いが出てくるとは!

もちろん、田部、海老、仲道の各氏ともに、日本を代表する著名ピアニストで、テクニック的には優劣つけ
難いプロ中のプロたち。
しかし、仲道さんの即興曲を聴いてしまった後に聴いた田部さんの即興曲は、上手いのだが、「胸キュン
体験」の無いまま終わってしまった。
べつに、トチリがある訳でも、ヘンなテンポや表現をしている訳でもない、いい演奏なのだが、こんなにも
感動力に違いが出てくるとは!


ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 天羽明恵と仲道郁代の歌曲等

★★
(5月2日 相田みつを美術館)

東京フォーラム内にある「相田みつを美術館」内の展示ルームで開かれた、天羽明恵(ソプラノ)と仲道
郁代(ピアノ)による、つぎの曲集のオール・シューベルト・コンサート。

・「野ばら」 Op.3-3 D257
・「ガニュメート」 Op.19-3 D544
・「糸を紡ぐグレートヒェン」 Op.2 D118
・「グレートヒェンの祈り」 D564
・ズライカ T Op.14-1 D720
ズライカ U Op.31 D717
・即興曲 変ホ長調 Op.90-2 D899-2
・「春のあこがれ」 D957-3
・「ます」 Op.32 D550

この会場も天井が低く、かつ、僅か102席という小ぢんまりとしたスペースで、周囲の壁には相田みつを
の「書」が掲げられている。そして、客席と同じ高さのフロアにポツンと置いてあるピアノは、ウォールナット

カラーのスタインウェイという、まさにサロン的雰囲気で、演奏者とほんの5mほどの近さで聴いた。

黒地に花柄のドレス、そして栗毛色のウィッグ(?)姿の天羽さんと、黒一色のドレス姿の仲道さんが登
場。ここでもホール残響は殆ど無く、かつ、曲順を変えて「野ばら」から始めたことも手伝って、会場全体
が、まるでどこかの家で音楽好きが集まって開いたホーム・コンサートのような、アットホームな感じにな
った。

2曲目の「ガニュメート」は、歌のみならず、歌の間のピアノが実にいい。シューベルトの歌曲って、歌と
ピアノとが対等にコミュニケートしながら1つの完成された作品になっているのがよくわかる。
3曲目の「糸を紡ぐグレートヒェン」は、天羽の実力を存分に発揮!
追い立てられるような不安、そして、心の「破裂」、とでも言おうか、真に迫る苦しみが聴く者にダイレクト
に迫ってくる。

うって変わって、
「グレートヒェンの祈り」では、静かに、自分の悲しみを真摯に聖母に祈る、深い気持ち
が、歌とピアノとが融合しながら聴き手に迫ってくる。

聴きながら、館内に掲げてある相田みつをの書を、2つ3つ、何となく見てみた。
そして気づいた。
ひらがなだけの平たい言葉を綴った文(詩?)にしても、ヘタっぽく こねくり回したひらがなの書体にして
も、単にウケを狙っただけの(或いは、たまたまウケちゃっただけの)、なんとまぁ浅いものか!?
(秋川ナニガシや、フジコ・ナントカと同じく、どっかでマスコミに紹介されて売れちゃったたぐい??)
シューベルトとゲーテの深さと比較されては、みつをサンも「バレたかぁ....」って苦笑せざるを得ないの
やも?

ズライカTでは、出だしのピアノの嵐の激しさから最終フレーズの静かさに至る全体の構成の良さが絶
妙。ピアノの冷静さがまたいい。
ズライカUでは、決して悲しさだけでない、どこかに期待のワクワク感を秘めた感情表現がよく、歌の間、
そして仲道のピアノのリズム感の素晴らしさも相まって、
その深さは、相田みつをの「浅さ」と対照的。

そして、この日の最大の「感動もの」は、即興曲 変ホ長調のピアノ・ソロ。
仲道郁代のライヴを聴くのは初めてであったが、この人、凄い。
女性では珍しくオーディオ・マニアと聞いていたので、ひょっとしてメカニックな演奏では?
とイメージして
いたが、それは大間違い。大ホールではなく、このような直接に音が伝わってくる、ごまかしのきかない
会場で、音に込められた「心」までもがビンビン伝わって来、思わず目頭が熱くなってくる。

この深い感動の後、「春のあこがれ」で天羽が強く一気に歌いあげ、そして最後の「ます」で、息づかいま
でをも音楽にしてしまったようなドラマ性を感じさせてくれた。
これで1,500円というのも感動もの!


ラ・フォル・ジュルネ・ジャポン; 海老彰子のピアノ

★★
(5月2日 東京フォーラム G409)

いよいよ今年も始まりました、「熱狂の日」音楽祭! 今年は「シューベルトとウィーン」がテーマ。

聴く方も目いっぱい愉しんじゃおうとのワクワク・ドキドキ感をカタチにすべく(?)、この日は、ロンドンは
Savile RowのRichard Jamesの白の麻のジャケットに、超細身の黒のジーンズ、それに、伊勢丹で作った
オレンジ・ストライプのボタンダウン・シャツ、といったいでたちでキメて出掛けた次第。

最初のプログラムは、海老彰子のピアノ・ソロによる、つぎのシューベルト。
・ピアノソナタ18番 ト長調 作品78 D894 「幻想」
・リスト編曲 「アヴェ・マリア」(エレンの歌 第3) S.588-12
・リスト編曲 「セレナード <きけきけヒバリ>」 変ロ長調 S.558-9

会場は、G409という会議室(135席で、天井の高さも普通のオフィス並み)で、そこに、スタインウェイの
フルコンサートのグランドピアノが鎮座しており、私が座った席は、そのほぼ正面の、ほんの5mほどの
ところ。

現れた海老さんは、黒のニット姿で、メイクもヘアースタイルも、ごくごく「普通のオバサマ」(失礼)といっ
た感じで、何となく、知り合いが集まってのサロンコンサートってな感じ。

部屋の特性もあり、「ホール残響」的なものは皆無に近く、飛び出してきた音が、そのままストレートに耳
に届く。まさに、スタジオ録音に立ち会っている感じで、まるで録音エンジニアになったような気分で、ピア
ノの多彩なパターンの音を聴き分ける愉しみがあった。特に、調律の見事さもあって(?)中低音の響き
が心地よく、「最上質のオーディオ・システム」でCD等を聴く際の、自分にとってのリフェレンス・サウンド
として記憶に留めたいと思えたほど。

一方、演奏だが、確かに一流どころで上手いのだが、最初のソナタは、聴いていて、どういう訳か、途中
で飽きてきてしまった。
「アヴェ・マリア」は低音の主旋律の太さが、まるでかつてのオーディオ名器「クレデンザ」で聴いている
ような懐かしさがあった。
演奏うんぬんよりも、良質なピアノが発する音そのもののサウンドや深みを確認するのに丁度良い機会
だった。
今、自宅のオーディオで、内田光子さんが弾く同じソナタのCD(1996年、ウィーンのMusikveren Grosser
Saal録音)を、エフェクトは全てオフにし、(当日の海老さんの演奏のサウンドを思い出しながら)聴いてみ
ているのだが、
(さすがに1千万円以上もするオーディオ・システムにはかなわないものの)、それなりに
原音に近い音が出ているナ、と再認識したところ。


鈴木秀美のガットサロンVol.3「シューベルトの夕べ」

★★
(4月25日 王子ホール)

オーケストラ・リベラ・クラシカを主宰し、バッハ・コレギウム・ジャパンの重鎮でもあるチェロの鈴木秀美氏
がプロデュースする、王子ホールでの、まるで「シューベルティアーデ」みたいなサロン的コンサート。

出演は、鈴木秀美(チェロ)、若松夏美(ヴァイオリン。オーケストラ・リベラ・クラシカのコンサート・ミストレ
ス)、成田真(ヴィオラ)、今野京(コントラバス)、平井千絵(フォルテピアノ)、畑儀文(テノール)で、
当日、オール・シューベルトでの演奏曲目は以下のとおり。


・弦楽三重奏曲1番変ロ長調D471 (若松、成田、鈴木)
・「恋人の近く」 Op.5-2 D162 (畑、平井)
・「音楽に」 D547 (同)
・「花大根」 D752 (同)
・「ミューズの子」 D764 (同)
・「冬の旅」より「春の夢」 D911-11 (同)
・「鱒」 Op.32.D550 (同)
-- 休憩 --
・ピアノ五重奏曲 イ長調 Op.114. D667 「鱒」 (若松、成田、鈴木、今野、平井)

まず始めの弦楽三重奏の出だしで、思わず、「おやっ? どうしたんだろう?」と思ってしまった。
ヴァイオリンが、何とも不安そうに、恐る恐る弾き始めた感じなのだ。
その疑問の答えはすぐに解けた。
ビブラートをかけずに、弦を弓で押さえるように弾く、いわゆる「ピリオド奏法」なのだ。これって、音程を
きれいに揃えるのが、よほど難しいのか、後半になってやっとペースに乗ってきたって感じ。
(鈴木氏のチェロは、始めからそれなりにビブラートをかけ、静かながら深い音で魅了していたのだが)

つぎは、フォルテピアノの伴奏によるリートの数々。
平井氏のフォルテピアノの、特に中音部〜低音部の温かいサウンドが素敵だった。フォルテピアノの音
を聴いてしまうと、現代のピアノが何となく金属的な響きに思えてしまう。この日の曲をフォルテピアノ伴
奏にしたのは大正解。
一方、畑氏のテノールは、きれいに澄んだ声の持ち主なのだが、常に目線が手持ちの楽譜の方に行き、
観客に顔の表情でもアピールして音楽性を倍増させよう、なんていう演出意図などまるで無いようで、
良く言えば、とても真面目な歌い方、悪く言えば、(失礼ながら)面白味が今一つで、お陰様で、久々に
夢うつつのステキなウトウト状態を体験させて頂いた。
(これって、とても贅沢なひとときなんですよね。悪い演奏では、こんな幸せなウトウトはできないもん)

休憩後の「鱒」は、ピリオド奏法の弦とフォルテピアノのアンサンブルが、とても温か味に満ちた演奏と
なって、派手さやきらびやかさの世界とは違う、「漢方薬」的なジワジワ〜ッとくる名演となった。
小ぶりのコントラバスも、地味ながら良い響き。また、鈴木氏のチェロは、エンドピンを出さずに(即ち、床
につけずに)チェロのボディーを両足で抱えるようにしながらの演奏で、しっとりと落ち着きのある響きを
聴かせてくれた。
それにしても、この曲の最終楽章の後半って、終わりそうにみえて、また同じフレーズが何度も繰り返さ
れるのだが、この「しつこさ」は、曲想は全く違うものの、ベートーヴェン的??

さて、王子ホールで嬉しいのが、スパークリングワイン。なんと400円でミニボトル1本+おつまみ付き。
夫婦二人で1本頼んだら、親切にもその1本を2つのグラスに均等に注いでくれた。(以前は、木村屋の
アンパンも置いてあったのだが、この日はサンドイッチだけだったのが残念)



ワーグナー「ワルキューレ」 by 二期会

★★
(2月23日 東京文化会館)

”舶来崇拝”の時代は終った

歌手陣、指揮、オーケストラ、演出、照明、舞台や衣装等、あらゆる要素でこれほどバランス良く優れた
「ワルキューレ」は、恐らく本場ドイツでも、そう多くはお目にかかれないのではないだろうか?
奇をてらった目障りな装置や衣装、無駄な動き等の無い、まさに”正統派”の演奏であったうえ、全ての
歌手・演奏者達の粒のそろった質の高さのおかげで、
安心して私の全身全霊を解放して舞台に集中す
ることができ、4時間半をあっという間に堪能するとともに、まるで三ツ星フレンチ・レストランのフルコース
を味わった後のような、おなかいっぱいの充実感!
ワグナーを堪能するのに、海外オペラ座の来日引越し公演を待つ必要は、もう、無くなった。

ジークムント: 成田勝美、フンディング: 長谷川顕、ヴォータン: 小森輝彦、 ジークリンデ: 橋爪ゆか、
ブリュンヒルデ: 横山恵子、フリッカ: 小山由美、
ワルキューレ達: 渡海千津子、江口順子、礒地美樹、
橋本啓香、津山恵、庄司祐美、金子美香、西舘望、ローゲ: 桜観、指揮: 飯守泰次郎、東京フィルハー
モニー交響楽団、演出・装置: ジョエル・ローウェルス、照明: 石井リーサ明理、衣装: 小栗菜代子、舞
台監督: 小栗哲家、他。


42.195Kmのマラソン・フルコースを全力疾走しながら歌うような、歌手陣の実力

大音量のオーケストラに負けない声量で、マイクも付けず、楽譜も見ずに、原語で、何時間も舞台に出
ずっぱりで歌うだけでも凄いのに、ましてや全体のアンサンブルをピタリと合わせながら、
感情を音で表
現し、演技もしていくとなると、こりゃ、フルマラソン距離を全力疾走しながら歌えというくらいに、或いは、
西洋人が歌舞伎座で仮名手本忠臣蔵を通しでやる以上に大変なことと思う。

ましてやワグナー。肉食人種ならではの重厚な「メタボリック・サウンド」を、切れ目なく、延々と表現する
ことをもって感動に結びつけなければならない。
お茶漬けサラサラの日本人には、どだい無理、と思われがちな、その「メタボリック的な感動創造」を、
しかし、この日の歌手達は、何の大変さも客席に勘ぐらせることも無く、ケロッと(?)やってのけた!

1幕で、特に感動的だったのは、第3場。ジークムントが、「一本の剣を父は約束した...」と、淡々と歌
い始め、「ヴェルゼ!、ヴェルゼ!」と高まっていき、そこでまた、木管ソロを聴かせるオケの「静」が。そ
こに、ジークリンデが登場し、剣の在りかといわれを歌う高まり。(パミーナが魔笛のいわれをタミーノに
伝える
シーンに似てる?)
そして、「冬の嵐は去り...」と、兄と妹(兼)愛し合う二人としての二人の感情の高まりがあり、ジーク
ムントと名乗り〜幹から剣を抜き取ると、オケがワ〜ッと盛り上がり、「あなたを見て憧れる私はジーク
リンデ」との熱唱、そして、「二人の子らの血よ栄えよ!」とフィナーレにつながっていく、途切れの無い
感情の”うねり”と高まりの見事さ! 成田勝美、橋爪ゆか両氏の「バイロイト級の力量」のたまもの。

2幕は、全体にのしかかる(おもしろさならぬ)「重暗さ」が聴きもの。
ヴォータンは、(客席からみると、何となく米米クラブのカールスモーキー石井氏のような衣装&風貌?
で)、ダイナミックなパワーや貫禄というよりも、「神でありながら俗そのものであり、一方、権力に固執す
る人にありがちな弱さや不安心」のような雰囲気も出していた。これは、「神だの何だのといったところで、
所詮は単なる男じゃない?」といった演出なのかも??
フリッカ役の小山由美は、「女の強さ」が表れており、古今東西、神の世も人の世も、「女性の力で地球は
回っていくのか?」なんて、つい悟ってしまった(?)次第。

2幕3場の、ジークムントとジークリンデが登場しての苦悩のシーンも真に迫っていた。
(他の場面もそうだが、男女愛と兄妹愛と近親相姦と、それに父子関係や神と人間界とのしがらみも含
め、こんなに複雑な心境を、どう歌で表現するか、さぞかし役づくりは大変だったことだろう。)
そして、その後に続く、ブリュンヒルデがジークムントに予告するシーンの、何という辛さ。そして、その苦
しさと対称的に、降ってくる雪と照明の何という美しさ!
そして、息子を殺さざるを得なかった父親の苦悩!
この、どうしようもない重たさに輪をかけるように、オケのダイナミックな重低音が、まるで駄目押しの一
刺しのように、客席の我々にグサリと刺して、第3幕に繋げようとするなんて、
作詞作曲家のワグナーさんよ、あなたは相当重厚な味付けの「肉食人種」なんですね!
同じ「死んじゃうオペラ」でも、イタリアもんは”ゴシップ記事的な軽さの救い”みたいなのがあるのに、
ワグナーサンは神様まで登場させてシリアスかつ徹底的にやっちゃうんだから!!

そして、例の「ワルキューレの騎行」で始まる3幕。子供(ジークフリート)を宿したことを知って熱唱する
シーンのジークリンデも感動的だったが、何といってもブリュンヒルデと父ヴォータンとの長く辛いやりとり
と別れ、そして、フィナーレに続く場面が圧巻!
フィナーレの、天井から吊るした真白の布と、そこにあたっていく真紅の照明も、シンプルかつ効果的。
引き続き第2夜「ジークフリート」も観たくなってしまうのは、さすが!

飯守泰次郎氏とJ.ローウェルス氏の実力

さすが、かつてバイロイトで経験を積んだ飯守さんだけあって、オーケストラの音創りも見事だった。
管楽器がフォルテッシモで、これでもか、これでもかって鳴らすことの多いワグナー。それだけに、管の
トチリがあると目立ってしまい、どうしてもシラけてしまうのだが、この日はそんなシラケが殆ど無かった
のみならず、歌手陣とオケとのバランスも、全体のテンポや構成も、じつに自然に聴こえて来、そして、
「これぞ正統派」とでもいおうか、奇をてらったところが無いのが嬉しかった。
弦の高音部がもう少し美しく響いてくれたらもっといいナ、と思えなくもなかったが、東フィルって、こんな
にいいんだ!と再認識した次第。

演出(ローウェルス氏)も「正統派」で好感が持てた。
(自分だって”今風「魔笛」”を書いているワケで、偉そうなことは言えないが)、ワグナーの場合は、ヘン
に現代物にしたり宇宙船が出てくる未来物などにしない、オーソドックスな方が好きだ。
まだ40歳そこそこのローウェルス氏だが、美術、歴史学、科学、数学もやってきたマルチ人間だそうで、
これからの活躍が楽しみ。
一方、白と赤が印象的だった照明や、じっくり動いていく舞台バックの美術も、目立ち過ぎることなく歌手
達を良く引き立てながら、しかもアートになっていた。

このキャスト&スタッフ陣で、「指輪」全曲4夜連続一気公演の実現を、近いうちに、ぜひ!!


クリスティアン・ゲルハーヘル バリトン・リサイタル「冬の旅」

★★
(2月1日 王子ホール)

シューベルトの「冬の旅」や「美しき水車小屋の娘」といえば、もちろん名曲中の名曲ではある。しかし、
その『チョー内気な失恋男のメメしい逃避行ドラマ』の主人公に、つい、「おい、おまえ男だろ!もっとシャ
キッとしろヨ!」と文句でも言いたくなるようなストーリー(歌詞)上の違和感が、もう何十年もの間、
私の
深層心理のどこかに根付いてしまっていたように思う。それは、歴史的名盤といわれたフィッシャー=ディ
ースカウやハンス・ホッターの録音を聴いても、或いは、ヘルマン・プライやシュライヤー、マティアス・ゲ
ルネといった超一流のライヴを
体験してでもそうで、《感動はするけれど、どっかにシラけた後味の悪さ
が残っていた。


しかし、この日のクリスティアン・ゲルハーヘルで、私は、初めて、《シラけ感》の一切無い、心から共感
できる『冬の旅ドラマ』に巡りあえた。
これは、王子ホールという小規模で響きの良いホールのおかげ、ということもさることながら、ゲルハー
ヘルのたぐいまれなる表現力と構成力のたまもの。

ステージ上で、凛とした風貌&ステージマナーで歌い通し、(注:ゲルネがステージで頻繁に鼻をクチュ
クチュさせていたのと大違いで、顔の表情や視線は変化に富むものの、手を組んだりチョコチョコ動きま
わったりは決してしない)、もうそれだけで、『ひ弱でネクラな若僧』ではなく、『分別のある大人の男』の
上質な世界観を醸し出していた。
そして、弱音のところでも決して「メメしさ」や「心細さ」を感じさせず、出だし第1曲の「おやすみ」からして、
目いっぱい喉を解放させた、極めてナチュラルで上品な声が会場全体にスーッと届いてくる心地良さ!
一方、感情をあらわにフォルテで歌う部分(第8曲「回想」あたりから)でも、大声だからといって、決して
「荒れた声」にはならず、だから、「失恋男のバカなヤケッパチ」にはならない。

ピアノのゲロルト・フーバーは、ゲルハーヘルと同じ、ドイツのバイエルン州シュトラウビング生まれの幼
馴染みで、永年、ゲルハーヘルの伴奏をしてきたとのことで、(何ヶ所か、「あれっ!」と思わせるトチリ
はあったものの)、さすがに息は
合っていた。

ゲルハーヘルによる《「冬の旅」への新たな開眼》体験の後、週末に、プライ、ヘフリガー、フィッシャー=
ディースカウ
、中山悌一による、それぞれの「冬の旅」のCDを聴き比べてみた。
それぞれに表現は違うものの、決して『チョー内気でひ弱なネクラ男』ではない、凛とした気品を、改めて
感じた次第。まさに、ゲルハーヘルさんのおかげ!

ところで、高齢化が急速に進む日本では、今後、孤独な老人たちの寂しい「冬の旅」が増えるのではな
いだろうか?
老人たちの孤独死増加に今から警鐘を鳴らすべく、≪今風「冬の旅」≫の詞も書かなくては!?



プラハ国立劇場オペラ「魔笛」

(1月16日 東京文化会館)

「ドン・ジョヴァンニ」や「皇帝ティトゥスの慈悲」が初演された、モーツアルトゆかりの由緒正しき”国立”
劇場の引越し公演が、S席で@19,000円で楽しめるというので、夫婦&娘で出掛けたのだが、期待外れ
であった。

序曲が始まる前から、男女共通の茶色の寸胴の衣装を着たバレリーナ達が、舞台上でチョロチョロして
いる。序曲の最中も、曲に合わせてモダンダンスもどきを踊り、その後もこの”茶色の物体達”が到る所
で動き回り、かつ、その茶色姿で、パパゲーノが追いかける”鳥たち”になったり、天井からぶら下がって
いる大きな布の上げ下げのロープ引っ張り役までやるのだが、ハッキリいって、観客の、音やソリストに
対する神経集中を妨げ、それでなくても支離滅裂なストーリーの中で、よけいに支離滅裂な感じになって
しまっていた。
この演出家、ひょっとして、舞台上で常に誰かをチョロチョロ動かすことがサービスとでも思っているのだ
ろうか? (日本の歌舞伎等の)”動かない美”、というのもあるのに!

序曲の中の、例の、管の”3和音”は全て舞台裏から鳴っていた。念の為、オリジナル総譜をみても、そ
のような指摘は書いてないのだが、何故、敢えてそうしたか、舞台の”チョロチョロ”との整合性も無いの
でよけいに不可解。
なお、このオケ(プラハ国立劇場オペラ管弦楽団)は、その他の部分でも、たとえば、金管の音がやたらと
大きかったり、弦の”繊細な機微”の美しさが最後まで殆ど出てこなかったり等々、イマイチだった
指揮はヤン・ハルペツキーという人


舞台装置も、良く言えば「省エネ・オペラ」。悪く言えば「手抜き」で、1幕初めのに出てくる大蛇も、舞台
上の大きな布をユラユラさせて代替しThat's All。背景も、バレリーナ達の衣装と同じ色のカーテンだけ。

ソリストの中で、声がちゃんと出ていて、かつ、それなりに”華”があったのは、夜の女王(エレオノーレ・
マルゲール)とパミーナ(パヴラ・ヴィコパロヴァー)くらい。モノスタトスの声はオーケストラの音に埋もれっ
放しだし、ザラストロは、到る所で音程がブレるのが気になってしまう。
パパゲーノとパパゲーナは、声は悪くないのだが、何せ、衣装とメイクが余りに気持ち悪く、せっかくの
ユーモアやコケティッシュな雰囲気の役が、このヘンなミテクレのために全て帳消しになってしまっていた。
まるで「青鬼」そのもので、二人とも、顔まで薄気味悪い青色に塗りたくり、髪の毛も鬼のようにボサボサ。
衣装も、二人とも、濁った寒色のダブダブ&ボロボロ・イメージで、これじゃぁ、いくら楽しそうにパ・パ・パ
なんぞと歌っても、明るさや軽快さが出ようがないのだ。
また、2幕はじめの、ザラストロの部下(神官)たちが出てくるシーンでは、神官たちが、まるで「オペラ座
の怪人」のような白い仮面をかぶっていた。なぜこのシーンだけ、こんな格好なのかも意味不明。

演出にも疑問だらけ。1幕はじめで、タミーノが、まだ見ぬパミーナの絵姿を見て歌うアリアで、なんと、
パミーナが舞台に出てきてしまう。そして、ヘンなカツラをかぶらされたり、顔のアップをカメラ撮影して舞
台上の大きな布に投影したかと思うと、こんどはタミーノの顔を(本人が舞台で歌っているのに)同じよう
に映し出したりする。しかも、布がたわんでいるので、映される顔も歪んでユラユラしてしまっている。
タミーノとパミーナは、2幕フィナーレの場面でも意味不明の奇妙な行動となって現れた。舞台奥で二人
が立っているのだが、パミーナがどういう訳か急に奥に引っ込み、すると今度は、舞台の袖から別人の
(?)パミーナがスポットライトを浴びて(タミーノ同伴ではなく独りで)登場する。コレ、何を言いたいの?
一方、タミーノが魔笛を吹くシーンは、全て、18世紀の衣装を着たフルーティストが舞台に登場して、(タ
ミーノに代わり)タミーノの横で実際にフルートを吹く。ザラストロやザラストロの部下(神官)達はスーツ姿
(でも、ヘンな前かけみたいなものを下にまとっているが)なのに、衣装の時代設定がバラバラ&マチマチ。
これまた支離滅裂・不可解状態を助長する。
タミーノとパミーナの、最後の、火と水の試練のシーンでも、テーブルの上に二人が乗っかって、ただ、す
っ立ってるだけ。何が”試練”なのか、さっぱり伝わってこない。

演出・衣装・照明の妙で、唯一楽しめたのが、1幕で夜の女王が登場したシーン。紅白歌合戦での小林
幸子のような超デカ衣装で、空からスーッと降りて来、キラキラと照明を当てて”謎のスゴモノ”を印象づ
けたのは、このオペラの原点にも即していて見事だった。
他方、2幕で、夜の女王、3人の侍女、モノスタトスが地獄に落ちるシーンは、中途半端以前の演出ミス
ではなかろうか?彼女らが単に大布の後ろに引っ込んだだけで、しかも、直ぐにその大布から善人達が
登場してしまうのだが、これじゃあ、誰が見ても、女王達が地獄に落ちたとは見えず、結果、フィナーレの
讃辞との対比の妙が出てこない。

ということで、ご教訓:
    「今風”魔笛”」こそ、このストーリーの支離滅裂を見事に解消し、しかも、不自然さ無く、老若男女
    あらゆる人が、クラシック初めての人もオペラ通も、ともに笑いながら感涙にむせび泣くことができ
    る、時代を超越した、”魔笛解釈”の決定版なり!(?)
    一日も早く、この「今風版」の上演で、この日の入場者の皆様の「お耳直し&お目直し」、そして、
    ”今風”による世界平和と地球環境改善に向けての共感の輪の拡大をしていかねば!?!?!
    (エヘヘ)



聞き手が主役のコンサート談話室(2)
  2006年6月〜2007年の分はこちらへ ⇒



聞き手が主役のコンサート談話室(1)
  2006年5月以前の分はこちらへ ⇒



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