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Scientific Fictional - Formula 1
SFとF1レーシングをミックスしたコンテンツ。

C O N T E N T S
*
トキョーメトロポリタンF1グランプリ
F1究極の改革
ゴムはほんとうにF1にとって必要か
JRがF1に参戦する日
ジャンピング・ジャック・フラッシュ
F1怪談 纏足の行き着く先
人工知能タイアウォーズ



トキョーメトロポリタンF1グランプリ

◆其の壱

2002年秋、フェラーリの独走にたいして、各国のマスコミから不満が噴出していた。

FIAのバーニ・エクレストンは、はじめシューマッハの車に、ウエイトハンデをつけることを提案したが、周知のようにこれは逆に火に油を注ぐことになった。あわてたFIA社長のマックス・モズレーは、毎回ドライバーとレースカーを交換すしたらどう?と珍案を出し、ミナルディをドライブするミハエルを、私も見てみたいと失言して、世界の世界中のファンから余計に失笑を買った。

いずれの案もその秋最後のFIA最高会議に諮られたが、予想していたとおり各チームから非難が沸き上がっただけだった。こうして救済のための鳩首会談は空中分裂し、バーニーとモズレーの二人組は、事態収拾の責任はこの騒動の元をつくりだしたフェラーリに一任する、と捨てぜりふをはいて帰ってしまった。フランク・ウィリアムズとロン・デニスもそれに同意して席を立った。頭を抱えたのは、フェラーリの首脳部である。この物語はその翌日から始まる──。

three men その日のフィノラオの会議室には、5人の男たちが無言で座っていた。 でぶっちょのジャン・トッド監督が気だるそうに口を開いた。「ミハエルはどう思う?」 口をへの時に曲げたF1の皇帝は手を広げて肩をすくめてみせると、F1カーに乗るときのように椅子に浅く座り込み、ふんぞり返り黙りこくってしまった。「いっひひひひひひひ。」いつも上機嫌なチーフデザイナーのロリー・バーンが、女のように甲高い声で嗤い出した。「前回の最後尾のレースカーが、次の競技には出られないという椅子とりゲーム方式なんか、どうよ。オレ、ぜったいうけると思う。」 ロリーがミハエルにウィンクした。同意を求められたミハエルは、気怠そうに口笛をひゅーと鳴らした。

それを遮って、黙ってノートパソコンをたたいていた智将のロス・ブラウンがつぶやいた。「なになに、シミュレーションリサーチでは、ファンの支持率が80%アップするとな? やっぱそっか。だったら、F2002でワンメークレースやるっきゃないじゃん。社長、金はまだ大丈夫なんでしょう?」 社主のルカ・ディ・モンテゼモーロが溜息をついて首肯した。「イタリア政府が全面的に資金を出してくれることになっている」 Jトッドが口を挟んだ。「じゃ準備は早い方がいいな、いまから工場にF2002を22セット発注しておこう。ミハエルもそれでいいんだな?」「ふー、まあね。ミナルディに乗るよりは・・」 皇帝は再び肩をすくめた。

こうして、フェラリー独走によるファン離れをくいとめる手法として、22人の全F1ドライバーにF2002を無償で貸与するワンメークレースが、アトラクションとして一回だけ実現することになった。これを聞いて喜んだのは、イタリア人ドライバーは乗せないという風評を聞いて失意の日々を送っていた苦労人のジャン・カルロ・フィジケラ、そして晩年の父と同じレースカーを一回だけはドライブっしたい祈願していたジャック・ヴィルヌーブであった。もちろん各チームオーナーは苦虫を噛んだように黙りこくった。しかしことの推移に固唾をのんで見守っていたマスコミは、このビッグニュースを即座に全世界に発信したことは言うまでもない。

モズレーから電話を受けたエクレストンは声を張り上げた。「ルカたちは、いったいそういうど派手なレースをどこで開催しようというんだ」「モナコなんかどうよ、っていってますぜ。近場ですませたいからだって。」「儂の目の黒いうちは、そんな勝手なことはさせん! 開催地は英国でなかったら、利権の大きいバーレンか上海かモスクワだっ!」「しっかしバーニー様、お言葉ではありますが、かの地ではまだサーキットができておりませんが」「そっか、儂としたことが、うううっ、間に合わんとはぐやじ。。」

翌日、内閣諜報室からニュースを受け取った奇行で知られる日本の小泉首相は、さっそくFIAに東京の市街地コースでの開催可能性を打診してきた。かつてジャパンマネーで美味しい思いをしたモズレーとエクレストンは、「そっか、まだトーキョーという隠し玉があったな。あのコーキョの周囲ならば、景観がいいから放映権も高く売れそうだ。若者の人気を稼ぐためには、一部はシュトコーを取り入れてもいいな。TOKIO MTR F1 GPか、これは美味しい。いひ、いひいひ、ぐふっ」 二人とも算盤勘定が速い。日本からのこのオファーに即座に飛びついたことは言うまでもない。

(初出 2002/10/17 19:27 YAHOO掲示板メッセージ: 123  投稿者: mozilla114)


◆其の弐

フェラーリ2002のワンメークレースがトーキョーの、都心市街地コースで開催されるという衝撃的なニュースは、一瞬にして全世界のモータースポーツファンの間を駆けぬけた。そして各国のモータージャナーリズムからの取材依頼や問い合わせの殺到に、日本国政府と首相の小泉ジュンイチローは顔色を失った。いつもの「わしら、まだなーんも考えていないもんね」式の無責任な答弁は、もはや通用しないのは火を見るよりも明らかだった。急きょ国会には国内のモータースポーツ関係者が召還され、この前代未聞のエグゼビション・レースのためのコースレイアウトが検討されはじめた。

FIAのモズレーとエクスレイトンからは、コースには必ずコーキョ周辺を採用することという強い要望があったために、はじめのうちはフジTVお得意のお台場臨時架設コースや、それでなかったら青山墓地外周コースでお茶を濁そうとたかをくくっていた政府関係者は、予想を超えた事態の展開に狼狽した。「ショウミー ザ フラッグ」、ホワイトハウスからもいつものように容赦ない圧力がかかってきた。もしもここでTOKIO MTR F1GPが実現しなかったら、国際社会全員を敵に回すことになる。そうなったら不況にあえぐ日本はもはや風前の灯火である。。こうして異例の超法規的な判断から、皇居外周の内堀通りがコースとして採択されたことはいうまでもない。

tokiof1map TOKIO MTR F1 GP は、内堀通りの一部を含む一周6840mの都心市街地コースを時計回りに45周する307.4kmのレースディスタンスで行われる。では、そのコース・レイアウトを紹介しよう。

採用されたコースの特徴のひとつには、F1では先例のないほど一直線に伸びたロングストレートがあった。これは内堀通り皇居前坂下門交差点から白山祝田通りを突き抜けて、日比谷公園の野外音楽堂先の家裁前交差点にいたる1440mの超高速区間だ。そのためにレースカーの高速セッティングの巧拙やドライバーの度胸が、あからさまに露呈する。見所はまだたくさんあり、竹橋の国立近代美術館の前から大手門のパレスホテルまでの内堀通り区間もそのひとつだ。路面がバンピーとはいえ、この区間は超高速オーバルをちょうど二分したような半径400mの半円形状であるために、レースカーとドライバーはインディカーのような強烈な横Gとの戦いになるだろう。

コウキョ前ロングストレート一気に加速したレースカーは、そのほとんどが祝田橋交差点あたりで最高速度に到達するが、日比谷公園横では完全にエンジンがふけきってっしまって、時速300km後半のハイスピードバトルを展開する。そして最初の第1コーナー手前で急激に一速に減速したレースカーは、家裁前交差点を右折し、さらにその240m先の霞ヶ関2丁目交差点も右折して、約600mのショートストレート桜田通りに突入する。

この区間の見所は、警視庁を左手にみて通過した直後に待ちかまえるサクラダモン・ヘアピンだ。平日この交差点を走行する車両は、内堀通りに面した三角地帯の手前誘導路部分を左折するのだが、レースではこの鋭角に突き出した三角地帯をヘアピンに見立てて、その外側をおお回りしながら左折する設定になっている。にもかかわらず、ここにはいっさいエスケープゾーンの余地がないために、ヘアピン処理に失敗したレースカーは、その先に口を開けて待っている地獄のような凱旋濠に飛び込むしかない。因果なことである。

ヘアピンを無事にパスしたレースカーは、今度は登りこう配のついた内堀通りを一気に直進、議事堂を正面に見すえながら、さらに傾斜のきつくなる国会前交差点を駆け上がっていく。この500mの登りストレート区間は、スパのオールージュのようにエンジンパワーのコントロールが競われることはいうまでもない。坂の頂上に達したらチキンレースのようにフルブレーキング。ギジドウの鉄フェンスへの激突をさけたレースカーは、左折して三角形の国会前南庭園にそって坂を駆け下りていき、霞ヶ関インター入り口手前に設けられた第2のヘアピン・カーブに飛び込んでいく。

TOKIO MTR F1GPは、一般道を利用した市街地コースだが、その一部にはシュトコウ都心環状を利用したコースが採択されている。そのために霞ヶ関インターから外回りのC1に突入した後は、いま通過した国会前坂道の地下を8の字を描くようにくぐりぬけて、瞑府のような高速トンネルを三宅坂ジャンクションに向かうことになる。国立劇場、イギリス大使館の地下を激走したレースカーは、再び高速千鳥ケ淵の低速コーナーでフルブレーキング、そしてその先にある代官町出口から地上に舞い戻り、竹橋からは再び内堀通の高速コーナーに進入していく。。

(初出 2002/10/20 19:19 YAHOO掲示板メッセージ: 125 投稿者: mozilla114)


◆其の参

東京メトロポリスF1グランプリは、2003年開幕直前の2月14日に開催されることになった。全選手に貸与されるレースカーはミハエル仕様のF2002 で、それぞれ各チームのカラーリングとスポンサーロゴなどのグラフィックは、そのまま反映されていた。連発したチームオーダーですっかり不評を買ったスクーデリア・フェラーリ社にしては、なんとも粋なはからいではないか。

F2002 を積載したアリタリア航空のエアー・カーゴが編隊を組んでナリタに到着した。そのころ、ひと足先に日本入りをしていたレースドライバーたちは、トーキョーの中心部に設置された前代未聞のF1コースの下見に余念がなかった。パーマネントコースではないので、ベテランにも新人にも、レース戦略を組み立てるためのコースデータが、全くなかったためである。

アオヤマ本社からタイプRのシビックEP3を借り出したジャック・ヴィルヌーブは、その日の未明、交通の全く途絶えた内堀通りをクルージングしていた。あと数時間もしてこの都市が目覚めれば、この通りはすぐに車で埋まってしまうだろう。そうなったら、またアオヤマからスクーターでも借り出すことにしよう。。ちょっと寒いけど、いつも使っているスキー用のフェイスマスクとアノラックを使えば、なんとかなる。

とその時黄色いスパッツ姿の獰猛なサイクラーが、EP3の前方に道路を斜行して飛び込んできた。歯を食いしばってペダルを回転させている男の顔は、薄い皮膚で顴骨がおおわれた東洋人特有のものだった。「ったく、タクマのやつときたら...」 気勢に殺がれて、ジャックはややアクセルを戻した。速度計をみるとそれでも60km/hをさしていた。ということはチャリにもかかわらず、タクマは時速90km/h近い速度で巡航していることになる。「あいつにハチマキをさせたら、スシバーのカウンターマンと見分けがつかない」ジャックは昨夜タクマといったロッポンギのスシバーを思い出して、顔をほころばせた。

jvimage ジャックが無名の新人として日本のフォーミュラー3を転戦していたのは 1992年である。「..あれからもう10年たった。トーキョーもずいぶん変わったのかもしれないが、自分はもっと変わった」 インディカートとF1の稀代のダブルチャンピオンホルダーは、一瞬時空の遠くを見るように目を細めた。コウキョ前の1440mロングストレート区間にさしかかったEP3の K20A・i-VTECエンジンはは、6速8000回転で蜜をかき回すように甲高いうなりを上げた。

そのころオホリ対岸のサクラダモン・ヘアピンには、漆黒のBMW-Z3ロードスターが突入していた。3.0iはフロントアクスルの後に重い直6・3リットルエンジンをマウントしているため、リアに軽量なV10エンジンをミッドシップしたレースカーとは元々ステア感覚が異なる。にもかかわらず、ドラーバーズシートに座したラルフ・シューマッハは、右手の一瞬の操作でリアタイアのグリップを開放して30.6kgm/3,500rpmのトルクを横方向に逃がすと、鮮やかな逆ハンさばきで 150km/hを維持しながらヘアピンの頂点を通過していた。

ラルフの脳裏には、フォーミュラー3000ジャパンのチャンピオンを獲得した1996年の記憶が去来していた。ニホンに武者修行に飛び出そうとする自分に対して、兄のミハエルがしてくれたアドバイスは、「ヤーパンのような極東で健康を維持するためには、スパイシーなカレーライスが一番。粗食なゲルマンの口にはアレで十分だし、なによりもそれは経済的だ」という揶揄を含むものだった。しかしsondern、F1チャンプの兄を崇拝するラルフは冷やかしの言葉を間に受けて、ニホンで過ごした一年間はカレーしか口にしなかった。兄と違って温厚なラルフのハングリー精神に火をつけたのは、あの一杯のカレーライスであったことを知る人は少ない。

ところで、暇を持て余していたケーシチョーの夜勤職員たちは、この道路の一部誘導路区間を逆走する正体不明の暴走車両に対し色めき立った。よりによってここは警察権力の総本山・桜田門である。これは国家警察権力に対するあからさまな挑戦であり、決して見逃すことはできない。即座にケイシチョービルの屋上のヘリポートからは、暴徒鎮圧用のガス弾を搭載したジェットヘリがスクランブルした。天蓋のない車両なら、ガス弾の直撃だけでじゅうぶん致命傷かも。。対人への実射経験のないパイロットは陰湿にほくそえんだ。

しかしながら、Z3はライトアップされたギジドウの鉄のフェンスの前で鮮やかな90度ターンを決めると、地下の首都環状線C1に飛び込んでいった。獲物を逃したジェットヘリのパイロットは、高速霞ヶ関入り口の上空で、苛立たしくホバーリングしながら尻を振るしかなかった。

(初出 2002/11/ 6 16:42 YAHOO掲示板メッセージ: 132 投稿者: mozilla114)


◆其の四

「なぁミハエル、確かにわれわれの間で隠し事があったのは悪かったかもしれない。しかしこれはおまえのことを思って、スタッフがしてくれたことなんだから、その気持ちぐらいは受けとめてやってはどうだい」 でぶっちょのジャン・トッドが仲裁に入った。しかし皇帝はかぶりを振って言葉を遮った。

miss 「オレにはフォーミュラー2002のシャシに、カーボンモノコック製のダミーボディをかぶせた、エンツォ・フェラーリ号なんかは運転できないよ。いくらスクーデリアの精鋭のスタッフが技術の粋を傾けて作り上げたとはいえ、マスコミにばれたらどうなると思う? オレだけがコクピットをセンターにオフセットしたエンツォをドライブしたら、またセカンドドライバーのルビーニョに世間の同情票が集まるだけじゃないか。トキオMTRのコースの下見が重要だとはいっても、コースデーター収集にルーベンスが使うのがノーマルのエンツォFだったら、オレはフェラーリ博物館に展示してあるDINO 246 GTで十分だ」

「だがミハエル、あれはエンジンもOHVだし、だいいち1969年製のボロ車だぞ」 「悪かったな、オレが1969年に生まれたことをもう忘れたのかい? それにオレは6気筒のディーノでも、ルーベンスの乗るV12になんかに決して負けない、ジャン、そうだろう?」
「わかったとも、もう勝手にするがいいさ。しかしミハエル、これだけは言っておく。今回のフェラーリ2002のワンメイクレースは、決してF1救済の慈善事業なんかではない。これはフィアットとスクーデリア・フェラーリ社にとっては、浮沈をかけた世紀の大プロモーションなんだ。そこだけは忘れないでくれ」

「オーケイ、ジャン。それを聞いて、もうディーノすら必要でなくなった。オレはアレをトウキョーに持ち込む」
「まさか、、ミハエル、それだけは考え直してくれ。4輪界に君臨する王者フェラーリの威信はどうなるんだ」
「そうさ、まさかそのアレに乗るのさ。まさかオレがハトバスに乗るとでも思ったのかい?」

──以上が一週間前のマラネロの合同記者会見のVTRでした。ではマイクを戻します。スタジオにはF1名実況アナの古舘伊知郎さんと、カート選手権の名解説でお馴染みのモータースポーツ評論家、石見周さんをお招きしております〜。

「モータースポーツファンみなさんこんにちは、朝の納豆が夜またしゃしゃり出てきた古舘です。ところで、いや〜ぁ石見さん、これはたいへんなことになってきましたね〜ェ。これまで一糸乱れぬ鉄壁の結束を誇ってきた現代のフリーメーソン・フェラーリ陣営が、ここまでおぞましい内紛を衆目にさらけ出すとは、まさに空前絶後、バビロニアタワーの崩壊ですねー。情に棹させば策に流されるを垣間みるような思いです。いったい誰がこのような紛糾を予想したでしょうかっ? 」
「う〜ん、そういうことが一般的にいえるのかもしれませんねー。ですが古舘さん、それが起こるのもモータースポーツの醍醐味のひとつではないですか」

「あらま、石見さん、クールなことをいきなりおっしゃって、このこの。さすが天上天下唯我独尊のクールな石見節でしたねー。時に石見さん、ズバリ聞きますが、この国民皆兵制を思わせるファシスト軍団フェラーリ一色に染まったレースの見所と勝者とは?」
「う〜ん、そうですねー。やはり第一コーナーのブレーキングと、警視庁前のヘアピンカーブの処理、ギジドウ前の直角のターンでこのレースの全てが決まるんではないでしょうか〜。いくらロードとはいっても、ここは北米のオーバルを思わせるコースですから。わたし的には神経の図太いジャックか、ここ一発のファン・パブロか...ごにょごにょ。ところで古舘さんは?」

「私ですか。きっぱりいいまして、予選では高速コースにめっぽう強いマカロニ野郎のヤーノ・トゥルーリー。彼はF1界の怪僧ラスプーチン、あるいはナニワ金融道と異名をとるマキャベリストのエディー・ジョーダンから離れることができて、本当に良かったですね〜。そして本戦決勝では、殿様キングスの宮地修にどこか似た女殺し油の地獄を地でいく、カラオケマイクをとったらスッポンのように離さない哀愁のコキュされた男、愛のコリーナの元彼であるH・H・フィレンツェン、ということでしょうか。」

「古舘さんよくもまぁ、、あんた男のくせにちょっとおしゃべりですね」 「そういう石見さんこそ、蛙の面にしょんべん男ではないですか。なんならガチンコ勝負で行きますか? ふんごっ(▼▼)」

──ではここでいったん、マイクを現地の川井さんに渡します(ノ´Д`)ノハァハァ

(初出 2002/11/ 7 0:08 YAHOO掲示板メッセージ: 134 投稿者: mozilla114)


◆其の五

hotel F1ファンのみなさんこんちは〜、ピットレポーターの川井です。私はいま、内堀通りのパレスホテル前にたっています。タケハシ方面からお堀に沿って円弧を描いて走ってくるレースカーは、私が今ちょうどいるあたりから、1440mの超ロングストレートへ突入していきます。その意味で、ここは今回のレースでは最大の観戦ポイントといえるわけです。外気温はおよそ5度ぐらい、路面温度は氷点下をわずかに上回ったぐらいでしょうか。うう〜、さぶーぶるぶる。

ところで、今宮さん。開幕まであと一週間を残すところとなりましたが、チーム関係者たちの間では、このレースの序盤戦はもう既に始まっているとの認識で一致しています。つまり、チームより一足先に現地入りしたドライバーたちが、一般の通行車両にこっそり紛れ込んで、非公式にコースを走行している噂まで流れています。ちなみに、今朝の早朝にはジャックのシビックEP3とラルフのBMWZ3ロードスター3.0iが、内堀通りですさまじいドッグファイトになり、それを警視庁のジェットヘリが追尾していたという未確認情報が寄せられています。警視庁はこの件ではいっさいコメントを拒否しているとのことですが、もしも本当なら、今宮さん、これはたいへんな騒ぎになりますねー。

>>川井ちゃん、他の選手たちの情報はなにか入っていますか<<

えーと、選手たちが下見に使っている車両についての情報だけは入っています。さきほどのジャックのシビックEP3とラルフのBMWZ3ロードスター以外では、、まずバリチェロ選手がロードゴーイングF1といわれる、フェラーリF60、つまりあのエンツォ・フェラーリ車を密かに日本に持ち込んでいることが判明しています。しかし、フェラーリチームが空輸したエンツォ・フェラーリは一台しかないという目撃情報もありますから、ミハエルがどうするのかは、まだ依然として謎につつまれたままです。

それからジャガーのエディー・アーバーイン選手はジャガーXK、ただし294馬力のXK8クーペではなくて、同じ4リットルでもスーパーチャージャーが搭載された375馬力のXKRのコンバーチブル。手のはやいアーバーンがすでに帝国ホテルの駐車場から、金髪スッチーを助手席に乗せてでてきたという、まことしやかな情報も流れています。とうぜんデラ・ロザにもチームは同じ車を貸与していますが、スペインはきびしいカトリックの国ですから、デラ・ロサはひとりで指をくわえています。

その他の英国勢では、元アロウズ・ドライバーのフィレンツェンとベルノルディ選手はTVRグリフィス、こちらは5リッター320馬力・44.5kgmエンジンが搭載された1989年モデル。トム・ウォーキンショウとしてはこれが精いっぱいのミエでしょうか。それからここにきて財政難から去就の怪しくなってきたジョーダン勢のタクマは、自前のトライアスロン競技自転車。フィジケラ選手は昔のつてをたどってどうにかアルファロメオ155、これは市販車ではなくて96年DTM走行車をデチューンしたもののようです。

その他、マクラーレンのライコネンとクルサードは、2002年モデルのAMG-Mercedes CLK、もちろんこれは完全に今年のDTM仕様車です。ウィリアムズのモントーヤ選手は、ラルフと同じBMWですがこちらは、2000年のミレニアムを記念して発表された2シーターのカブリオレZ8。アルミのスペース鋼管にアルミのボディパネルを使用した超軽量ボディ、50対50の理想的な重量配分を実現したV8400馬力を、公道レース用にアルピナが密かにチューンしたもののようです。それから、え〜っと..

>>他の選手はどうですか<<

トヨタのサロとマクニッシュはJGTCのGT500仕様のスープラ、BARのパニスは同じくJGTCの無限NSX、残りの選手はたいていポルシェカレラ 4S、トルクスプリット4WD駆動の、水平対向6気筒3600ccツインターボの462馬力のチューンアップ版で、とりあえずお茶を濁しているようです。

>>そうしますと、やはりミハエルがどうでるか...序盤戦の焦点はそこですね...<<

あっ、、、!今宮さん、いまとんでもない情報が入ってきましたッ。実はミハエルがこっそりナリタに入国したとの情報をキャッチしたのですが、驚くのはそれだけではなくて、ミハエルはわざわざチューリッヒから持参したアニバーサリ100周年モデルの883を駆って、東関東自動車道路をノーヘルサングラスの軽装で、都心に向かって移動しているとのことです。。いやぁーこれは驚きました。883といったら、ハーレーダビッドソンのなかでも小排気量のXLスポーツスター883ですからね〜。今宮さん、四輪界の皇帝はここにきてなにを考えているのでしょうかっ??

(初出 2002/11/14 19:51 YAHOO掲示板メッセージ: 137 投稿者: mozilla114)


◆其の六

両膝の間では55キュービックインチのVツインエンジンが不等間隔の心地よい鼓動を繰り返していた。

ミハエルのハーレー好きは一部の関係者にはよく知られている。それを面白がったマラネロのエンジニアの一人は、旧時代の設計の883のエンジンパーツの大部分を、チタンとベリリウム合金に置き換えてしまった。随所に最新のF1技術が投入され、クランク軸には¥完璧的なバランス取りが施されることによって、ミハエルの883のエンジンは、ストックの二倍の回転と出力を絞り出す小さなモンスターに変身していた。二輪のほうが路面情報の微かな変化まで捉えることができる。。ミハエルがTOKIO -MTR-GP下見のパートナーとして、究極のロードゴーイングF1、フェラーリ・エンツォをおいて意表を突くような選択をしたのは、ただの酔狂からではなかったのだ。

msjf3000sugo91 ミハエルが最初にニホンを訪れたのは1990年だった。当時FISCOで開催された第一回目のインターF3に、この年のドイツF3チャンプでマカオGPウイナーである彼が招待されたのだ。この親善試合に余裕で勝利したミハエルは、さらに翌1991年の7月にも再来日。今度はスゴオの日本F3000にたった一度だけエントリーして、この年のシリーズチャンピオンになるカミカゼ・ウキョーや、前年までジョーダンレーシングから国際F3000を走っていたエディ・アーバインたちをしり目に、完璧なドライビングを見せつけて圧勝した。それが7月28日のことだった。そして、このヤーパンでの神話的な活躍を境にして、ミハエルの周辺は急激にあわただしく変化していった。

この年から戦いの舞台をF1にステップアップしたジョーダンレーシング(GP)は、チェザリスやガショーという欧州でも富裕な家庭に育ったドライバーを擁していた。彼らはペイド・ドライバーではなかったものの、当然のごとく潤沢なスポンサーマネーをエディ・ジョーダンのチームに導入してくれた。それだけではない。初出場チームに抜擢されたガショーは、型遅れの非力なフォードV8エンジンながらも、8月11日のハンガリーGPではファステストラップを叩き出して注目を浴びていた。しかしながら彼の強運もそこまでだった。その数日後、ガショーはロンドンでタクシードライバー相手に暴行事件を起こし、ベルギーGPの直前にもかかわらず逮捕されてしまったのだ。

「キミはスパを走ったことはあるのかい」 チーム代表のエディー・ジョーダンがミハエルに訊ねた。「もちろん。あそこは僕のもっとも好きなサーキットのひとつさ」 本当のことをいえば、レースカーでスパを一回も走行したことのないミハエルが答えた。しかし守護天使は彼に加勢した。こうして二つ返事で8月25日開催ベルギーGPでのミハエルの代走が決定した。それだけではなかった。ベルギーGPの直後には、こんどは同じフォードエンジンを搭載したベネトンチームが彼にオファーしてきた。それはスパ・フランコルシャン本戦で、ファステストラップを叩き出したR.モレノを放出して、ミハエルを2ndドライバーとして迎え入れようというものだった。もちろん即答で承諾した。そのあとはライクア・ローリングストーン。F1界のすべての勝機が、ただミハエルひとりの周囲に集まってきてしまった。

50マイル毎時でゆっくり巡航している883の横に、先ほどまで走行車線で追尾していた1959年製シボレー・インパラがスッと並んできた。2月上旬という厳寒のさなかにもかかわらず、軽装でツーリングしているるバイカーの素性にただならぬ興味を持ったのだろう。こうしてF1界の皇帝とサングラス越しに視線をあわせたその童顔のツチウラナンバーのドライバーは、初めは自分の目がそこで捉えたものが信じられなかった。しかし気を取り直すと、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう」をフルボリュームで鳴らしだし、カストロールオイルの芳香をぷんぷんまき散らしながら高速道路から降りていった。

XL-883は東関東自動車道路から首都高湾岸線にはいった。前方の巨大な案内表示には<TOKYO MTR EXPRESSWAY>という文字が、皇帝の到着を待ちわびるように表示されていた。

未完

(初出 2002/12/ 1 17:20 YAHOO掲示板メッセージ: 139 投稿者: mozilla114)


F1究極の改革

◆其の壱

某月某日。F1には人類の過去の闘争の歴史が圧縮されている...そのことに気がついたFIAの某幹部は、中長期を見据えたF1の抜本的なグランド・リデザインに着手した。

たしかに現代F1のエンターティメントとしての魅了の後退の原因は、いったい誰が何のために戦っていて、味方と敵がどこにいるのか不鮮明であることに尽きる。ドライバー個人の名誉なのか、コンストラクターの名誉なのか、国家や人種の名誉なのか、スポンサーのグローバルカンパニーとしての名誉なのか?

それぞれの細かい事情や関係があまりにも入り乱れすぎていて、優先順位がますますわかりにくくなってしまっている。それでは戦いの構図がひと目で把握しにくいし、勝敗に伴う感動も半減してしまう。その結果、提出された究極の改革案の骨子はF1関係者やファンの度肝を抜くものとなった。

6wheel そこには戦いの規定が以下のように書かれていた。

「新生のF1グランプリは、日本・ドイツ・イタリアを中心とする同盟三国と、アメリカ・イギリス・フランス・中国・ロシアを中心とする連合国の間の、知恵と技術と勇気の粋を傾けた代理戦争であって、それ以上でも以下でもない。したがって、今後の国際紛争の調停の際には、各国のF1グランプリの戦績と貢献度が最優先して評価される...」

これを聞いて慌てたのは各国の首脳である。

世界の警察官を自認するアメリカには、国際間代理戦争を担うべきF1チームが無いではないか。こうなったら急造でアメリカ国のナショナルチームを作るしかない。アメリカのブッシュマン大統領は腹心のCIA長官を公邸に呼び出して、国家プロジェクトとしてF1チームを組織することを厳命した。

寝耳に水の展開にあわ吹いたのはCIA長官である。盗聴や脅迫、暗殺などならお手の物だが、モータースポーツに関してはいくらファイルをひっくり返しても、過去の成功事例は見つからなかった。だがさすがは中央情報局のトップまで上り詰めた男だけある。彼のとったアクションプランは素早かった。

通常の官僚ならば、アメリカ国内の最高峰のモーターレーシングであるインディやカート界の重鎮と、フォードやGMのオーナーに相談するところだが、彼の場合はいい意味でも悪い意味でも、そういう回りくどい民主主義的な発想を持ち合わせなかった。こうして発足した連合軍アメリカチームは、スペース・シャトル事故以来さっぱりのNASAの技術力と、ミネアポリスの海兵隊人材を集結したものであったのはいうまでも無い。

しかしながら、NASAと海兵隊だけではオートモビール戦争としての求心力が今ひとつ弱いと判断したCIA長官は、そこにアメリカンドリームを象徴するあのヘリコプターの水平6気筒エンジンをリアに搭載していたといわれる神話的自動車「タッカー」のイメージを刷り込むことを忘れなかった。

(初出 2003/ 5/ 7 3:55 YAHOO掲示板メッセージ: 180 投稿者: mozilla114)


◆其の弐

日本国では現在自動車メーカーのホンダとトヨタがF1に参戦しているが、国の命運を左右する代理戦争のキャラクターとしては、どちらも今ひとつ説得力が弱い。しょうがないからとりあえず同じ同盟軍のドイツとイタリアに国会議員の視察団を派遣して、両国の動きを参考することにした。

ドイツのナショナルF1チームの動きは速かった。宿敵だったポルシェ、メルセデスとBMW社は、この国家プロジェクトのために急遽手を結ぶことになり、メッサーシュミットSSGPを発足させた。パイロットのリーダーにはこのプロジェクトのために生まれてきたような男、ご存知ミハエル・シューマッハが満場一致で選ばれたのはいうまでもない。

他のパイロットは、ラルフ・シャーマッハ、HH・フィレンツェン、ニック・ハイドフェルドと、まったくもって磐石の陣容である。冠スポンサーとしては、光学機器のカール・ツアイス財団が全面的にバックアップすることになり、リアウィングには誇らしげにツァイスのロゴマークが掲げられた。

イタリアのナショナルチームは、誰もが想像がつくようにフェラーリを中心とする構成だった。そしてパイロットにはジャンカルロ・フィジケラやヤーノ・ツルーリ、ルカ・バドエル(あと他に誰かいたっけ)が据えられたことはいうまでも無い。冠スポンサーはパスタのブイトーニ。

これらの陣容を見て困まりはてたのは日本国の首脳であった。三国同盟の他国にはすでに圧倒的なキャラクターが集まっている。日本国がどう出るか、そこに期待が集まっているのはいうまでも無い。こうして調整に調整を重ねて誕生したのは、三菱重工業と日産プリンス、富士重工、石川島播磨の各社が結集したチーム・ゼロファイターだった。パイロットはまだ未定。

イギリスからは、ジャガーとマクラーレンが合体したグランド・スピットファイアーチームが参戦することになった。パイロットはいうまでも無く、デビッド・クルサード、ジェンソン・バトン、ラルフ・ファーマン、(あとだれだっけ)と、こちらもなかなか戦闘力の高さをうかがわせるものであったことはいうまでも無い。

(初出 2003/ 5/ 7 3:57 YAHOO掲示板メッセージ: 181 投稿者: mozilla114)


ゴムはほんとうにF1にとって必要か

FIAの独裁者たちによって、F1レーシングの抜本的な見直しが進められる中、とうとう一番ディープな問題が露呈してしまった。つまりそれは、レースカーは何故ゴムのタイヤを転がしながら走らなければならないのか、というもっとも基本的な問題である。あまりにもタイヤ特性や猫の目のように変化するサーキットの路面コンディションに左右される現実のレースの姿に、ファンばかりかレース関係者までは飽き飽きしてしまったわけだ。

「今後のレースカーは、ちょっとぐらいならば宙を飛んでもいいことにしよう。だいいち、これまでのレーシングアクシデントの最たるものは、タイヤがグリップを失って宙を飛んだ時に必ずおきていた。ルマンではメルセデスが何度も空を飛んでしまったではないか。しからば、宙を飛んでもちゃんと姿勢を制御できるような機構を、レースカーの基本性能として積極的に認可すべきではないか」と独裁者Mは放言した。

「またか...」 あまりにも奇想天外な論理の飛躍に、選手やコンストラクターたちは口をあんぐり空けたままだった。沈黙を破って最初に口をきいたのは、今では頭髪が汚く薄らはげてしまった天才デザイナーのエイドリアン・ニューウェイだった。

「ほーほー、おもしろいことをいうじゃないか。ということはスタートラインとフィニッシュラインを通過する時だけ、タイヤは接地していればいい、ということなのかい」

「おうとも。どうせ俺たちはもうすぐ揃って引退するんだから、東洋のことわざで言うところの<後は野となれ山となれだ」

f1evolution1 「だとすればレースカーはタイヤを操舵する以外にも、姿勢を制御することが可能なデバイズ持たなければならないことになる。つまり、現行のレシプロエンジンにかわるリアジェットシステムと、垂直水平方向に生えた可変ウィングだ。天才のおれさまならそんな図面なんて一晩で書き上げられる。しかしほんとうにいいのかい、そんなものを作ってしまっても?」

「もう好き勝手にやってくれ」

こうして毎度いつものことながら^^); F1界に激震が走っていった。近い将来F1はFX-1の世界に様変わりしてしまう、というのである。まずいことに時を同じくしてF1=国際間代理戦争のプロジェクトが進行して、かつての戦闘機メーカーが各国では秘密裏に再編されようとしていた。無責任なFIA幹部によってうっかり口にされたF1にゴム不要論は、その傾向にさらに追い討ちをかけるものになったことはいうまでも無い。

こうして2004年モデルのレースカーは後部に巨大な垂直尾翼を持ち、サイドポンツーンには後退した主翼が生えることになったのである。そのために空力関係者のなかで下克上が起こった。有能な技術者はさらに高給取りになり、無能な技術者は職から追放されていった。

ところで、そんな主力戦闘機のような姿に変身したレースカーを、いったい何処で走らせればよいのか。多くのサーキット関係者たちは頭を抱えた。しかし、軍の滑走路を自動車競走に転用していた数箇所の関係者は、この青天の霹靂のような推移に小躍りしたことは言うまでもない。

(初出 2003/ 5/18 7:15 YAHOO掲示板メッセージ: 184 投稿者: mozilla114)


F1からタイヤが消える日

<<<<<<F1からタイヤが消える>>>>>>

衝撃のニュースが(どこが^^);ぷっ)全世界のマスコミを駆け巡った。喜んだのは、世界に何十とある国際空港の関係者たちである。これはおいしいビジネスチャンスが到来した!

空港なら広大な休閑敷地ばかりではなく、アクセス手段も宿泊施設もすでに十分に整備されている。それに加えて、これまでの水平方向のシケインのほかに、立体的に配置することが可能になれば、どこの空港でもオーリュージュのコースレイアウトが可能ではないか。

というよりも、スパのコースもモナコのコースも、コピーして作ってしまおうと思えは、何処の開催地でもいくらでも作れてしまうのである。つまりナリタで伝統のモナコGP型レースを開催することも可能なのである。

おりしもイラク戦争と中国の肺炎によってエアビジネスは閑古鳥が泣いていた。そのためにこのことによって、いきおい国際空港運営団体からレース招聘のための賄賂合戦が起こったことはいうまでも無い。古臭いパーマネントコースなどはもう必要が無いのである。

こうして、上海とバーレンにフルピッチで建設されていた新しいコースは、あっという間に幻のものとなっていった。

(初出 2003/ 5/18 7:48 YAHOO掲示板メッセージ: 185 投稿者: mozilla114)


JRがF1に参戦する日

もしF1レーシングが、今日の国際社会における国家代理戦争であるならば、ニホン国の命運を、ホンダやトヨタという私企業だけに任せておいても良いのだろうか? 

sexpress 4つの車輪で地上を走る最速の乗り物、それがF1レースカーであることは誰しも疑ってはいない。しかしながら、そういう非日常的な速度域を毎日、日常的にこなしている地上の乗り物が一方にあることを忘れてはならないだろう。

E2系新幹線、営業最高速度 275km/h
700系新幹線、営業最高速度 285km/h
500系新幹線、営業最高速度 300km/h

この数字を見て、なんだF1カーよりも遅いじゃん、ミナルディとどっこいだわ、と思う人が多いかもしれない。

だがそれは浅墓な見識である。営業最高速度というのは、安全マージンを確保した数字であり、高速営業車両としては世界初のフルアクティブサスペンションを奢ったE2系1000番代車両が、この春から最高360km/hの速度試験を開始しだしたことはすでにご存知だろう。

ちなみに700系新幹線では275kWの出力機を48個使用している。これを450kWクラスの電動機に換装するだけで、今のままでも最高速を400km/hぐらいまでは上げることも可能だという。

参考までに実験車両での最高速度を列記すると

300X(新幹線955系) 443km/h
STAR21 (新幹線952・953系) 425km/h

つまり、技術が目標としている速度域で比較する限りでは、F1カーと新幹線やTGVは、かなり似通った乗り物である事は間違いがない。

誤解を恐れずに言うならば、この速度域で車両を走行させる事においては、JRはホンダやトヨタよりも確実に一日の長があることは確かなのである。もちろん技術力だけではなく、資金力的にも凌駕する事はいうまでもない。

タバコシンジケートのマネーがF1から撤退するのならば、いまこそニホン国の技術の粋をそこに集結させるべきではないのか。こうしてJRがコンストラクターとしてF1レーシングに参戦することが、秘密裏に決定していったのも当然な推移だろう。

この超法規的な国権発動の前で、ホンダやトヨタという一介のくるま屋たちは、この青天の霹靂のようなプロポーザルを受け入れないわけにはいかなかった。なによりも時速300km/hオーバーを湯水のようにシミュレートできる巨大風洞装置の前では、あまりにも彼らは非力すぎたのだ。

その結果、国の命運をかけて、2つの日本国籍のレーシングチームが再編成される事になった。

・JR HONDA GPX (JR東日本)
・JR TOYOTA GPX (JR東海)

こうして、F1界にはまた新しい激震が走っていった^^);


○月×日 走る実験室

JRイーストは深夜から早朝にかけての時間に、奇妙な試験車両の高速運転を密かに開始した。使用されたのは真っ黒にぬられたE2系新幹線で、最高速度は軽く360km/hをオーバーしていた。

そのE2系新幹線が牽引する平台の貨車の上には、さまざまな空力パーツが取り付けられた数台のF1レースカーが搭載されており、さまざまな気象条件、速度域でデータが着実に収集されていった。

しかし当然ながら、この作戦は秘密裏に、さまざまな区間で不定期に遂行されていた。そのために、実際に目撃するものはJR関係者の少数を除いてほとんどいなかった。

(初出 2003/ 7/ 3 1:42、2003/ 7/24 3:27 YAHOO掲示板メッセージ: 193、195 投稿者: mozilla114)


ジャンピング・ジャック・フラッシュ

200×年、FIAは夜間レース興行に踏み切った。これまで深夜にレース中継を見ていたファンが狂喜したことは言うまでもない。もちろんテレビ視聴率は高くなったことは当然だった。これなら、タバコやオイルマニーがなくなっても、なんとか凌いでレースを開催していけそうである。

路面温度も日中ほどは上昇しないため、タイヤやエンジンの開発費もセーブできった。ただ、サーキットをくまなく照らし出す電力費はバカにならなかったが、それは愛嬌というものである。しかしながら問題は、高速のためにただでさえ視力が低下するドライバー達にとって、視野の確保は重大な問題だった。

強化したオルタネータと効率の良い前照灯システム。F1には今までにない新しいテクノロジーが要求されるようになった。そのために、KOITOやPIAA、ボッシュなどの電装メーカー各社は、F1用のコンパクトなクセノンライトを開発した。

スタート5分前。ブラックアウトされたグリッド上では、静寂を破って、けたたましいエグゾーストサウンドが咆哮する。くねくねと蛇行するサーチライトが、グリッドに並んだレースカーを闇の中から浮かび上がらせた、、

スポットライトがカ−ナンバー14のレースカーを捉えた時、突然、スタートラインの横に積み上げられたPAからは、ストーンズのジャンピング・ジャック・フラッシュのBGMが、鼓膜を劈くほどのけたたましい大音量で流れ出した。

メインスタンドでは片手で小さなネオン管を振り回す観客達が立ち上がり、大きなウェーブをおこしながら大声で唱和しだした。「ジャック」「ジャック」「ジャック」「ジャック」。狭いコクピットに肢体を滑り込ませたジャック・ビルニューブは指先を小さく振って声援に応えた。

エグゾーストノートとBGMと観客たちの絶叫がピークに達した時、あらかじめ予定されていたようにサーチライトがフェイドアウト。漆黒の闇がサーキットを覆った。そしてスタートラインのクリスマスツリーがオールグリーンになるのと同時に、ナパーム弾のようなまぶしい照明弾が夜空に高々と打ち上げられた。

showdown02 2008年東京F1-GPがスタートした。瞬時、白煙を上げて空転するタイアから放射される世紀末の悲鳴に似た高周波サウンド。2004〜7年と古巣のウィリアムズから参戦したジャック・ビルヌーブは、小意地の悪いサーキット雀たちの冷笑を払うように、その後、破竹の勢いで4年連続チャンピオンの栄誉を勝ち取っていたのである。

この年で連勝5年目。通算6度目のチャンプ獲得がかかったレースに勝利すれば、前人未到の最多記録が達成されるのだ。鬼神のようなロケットスタートを、ジャックがいつものように決めるシーンを目撃するために集まった観客達。彼らは固唾を飲んで真っ黒く塗られた彼のレースカーの挙動に視線を釘付けにしたことはいうまでもない。


──F1夜間レース興行によって、急遽レースカーのカラーリングとして「黒色」が見直されるようになった。視認性の悪い黒がなぜ注目されたのかというと、それはズバリ視認性の悪さである。つまりレースカーにスティルス性を求めるようになった結果である。

黒のレースカーといったら、ヴェンドリンガーとフィレンツェンが駆ったメルデセスエンジン搭載の初期のザウバー。最近ではぎりぎりのスケジュールでシェイクダウンした2003年のジョーダンカーが記憶に新しい。しかし塗装が間に合わなくて、カーボンモノコックの地色だけだったジョーダンとは違い、F1参戦直後のザウバーには荒々しい野生と、走る商用広告塔が喪失した危険なアナキズムの匂いがあった。黒のレースカーといったら、オールドファンなら浮谷東次郎の駆るホンダS600「カラス」を思い出に違いない。

とにかく、それだけ黒のレースカーは存在自体が異様であり、危険な薫りのするカラーリングだったのだ。そのためにモータースポーツの最高峰のF1カーが黒のカラーを纏うと、一段とその未知なる野獣性がさらに増していった。

スポンサーロゴを全て撤廃して、真っ黒に塗りつぶされた漆黒のF1カー。それを最初にドライブしたF1パイロットは、2004年に突然BARから古巣のウィリアムズに移籍したジャック・ビルヌーブだった。彼はヘルメットも耐火スーツにも敢えてこの不吉な色を選んだ。

彼にとってこの黒のカラーリングは、父親の駆ったフェラリーレッドに対する決別の意思の表明であり、過去の栄光も含めてもはやもう何も失うものはないという、ダーティヒーローとして残りのレーサー人生に賭けることにした決意そのものだったのだ。そしてその背水の陣の鬼神のような走りは、全世界のF1ファンの顔色をなからせしめた。

ポールポジションには、真っ赤に塗られた優美なボディワークのフェラリーと、全身同色の赤ずくめ色を纏ったのミハエル・シューマッハ。その横にはカラスのように喪に服したどこまでも不吉な、2004年型ウィリアムズBMWが並んでいた。そしてその初年度のレース結果は圧倒的なワンサイドゲームだった。

イタリア人の好む赤色によって、彼らの民族魂をどこまでも思うが侭に挑発していたミハエルは、彼の頭上から守護天使が去っていったのを、もはや認めないわけにはいかなかった。一計を案じたミハエルが、二兎を追うようにレースカーを黒く縫ったときには、既に時機を逸していたのである。。

(初出 2003/ 9/ 8 23:17、2003/ 9/16 23:58 YAHOO掲示板メッセージ: 203、204 投稿者: mozilla114)


F1怪談 纏足の行き着く先

fw26nose ノーズコーンが後退したFW26を見て各チームのエアロダイナミスト達は絶句した。。。

真理はいつもアルキメデスの卵だった。鋭く前方に突出したノーズコーンには、フロントの整流効果とフロントウィングを吊り下げるステーとしての機能以外には、全く役割がない。2004年型のFW26はその事実を雄弁に示してくれたのである。

つまり、エンジンのコンパクト化、トランスミッションとの一体化、背面排気の導入にともなうテールゲイトの「小尻」化競走が終わってみれば、次のテーマはレースカーの狂ったような「小顔」化競争であったのは、火を見るより明らかだったのである。

レースカーのレギュレーションを統括するFIAは、この事態をすっかり甘く見ていた。「いくら効果があったとしてもやれることには限度というものがある。ノーズコーンがフロントアクスルよりも後ろまで後退してしまう事は、絶対にあるまいに。うっぷっぷ^^」

しかしこの楽観がまったくの誤算だったことにFIAの幹部が気がついたときには、後の祭りだった。あれよあれよといううちにF1カーのノーズコーンが後退していき、いつもまにかコクピットの先端部分の小さな突起物になるまでには、そう長い時間はかからなかった。

機械や技術の変化はあまりにもドラスティックだった。このノーズコーンの退化現象によってわりを食らったのは、他ならぬ生身のドライバーたちだった。コクピットのコンパクト化は、クラッシュテストに合格するぎりぎりレベルまで、非情にも追求されていったわけである。

まず足の長い長身のドライバーたちが気嫌いされるようになっていったのは、言うまでもないだろう。ドライバーに残されたフットスペースはどんどん削られていき、小さな突起物の内側に足の入らないドライバーは、否応無しにリストラされていくはめになったのである。チームとしては、足の小さなシンデレラドライバーの発掘が、何よりも急務となっていったのである。。

非情な生き残りをかけて、ドライバー達も一計を案じた。ならば、コクピットの先端の狭いスペースに足が入るように、バンデージテープで爪先から踵を縛ってしまえばいい??。このアイディアが、まさに中国の王朝で奇習として知られている「纏足」の復活であった! そのことに気がついた各チームは存亡を賭けて、小足化技術の優秀な纏足医の確保に躍起になっていった。。

獅子鼻のようなFW26の登場が、こうした非近代的な奇習を復活される事になろうとは、騒ぎを起こした知将フランクウィリアムズでさえも気がつかなかった。しかし時を読むに敏な彼には、更なる勝算と深遠某慮があった。。彼は涼しい顔で、密かにある引退ドライバーの番号に電話をかけた。フランクの採用した次なる秘術とは、、

「やあ、アレックス・ザナルディ。元気かい? 私が今日キミに電話をした理由がわかるだろうか、、、、(以下省略)」

(初出 2004/ 1/11 8:01 YAHOO掲示板メッセージ: 221 投稿者: f1topi_seijyouka_iin)


人工知能タイアウォーズ

コンピュータのデジタル信号で制御されたF1カーの性能にとって、4つの黒いゴムの塊のアナログな性能がネックになっていることは、誰の目にも明らかだった。だったら、タイアをそっくり人工知能化すればいいだけじゃん、実にかんたんなことじゃん。奇策で知られるポール・スタッダードはこともなげに言った。彼は自チームのレースカーに履かせるタイアがなくて、しかたなくF3000用のエイボン・タイアでF1を走らせた時の屈辱を、けっして忘れてはいなかったのである。

彼が考えた人工知能タイアのスペックは、以下のようなものだった。

・温度コントロール
・ミューコントロール
・トレッドパターンコントロール
・自己蘇生機能

人工知能タイヤの開発はマスコミの目を隠れて、ひっそりと秘密裡に進められた。もしも当初の設計どおりに常に理想的なトラクションが確保できれば、500馬力程度のプアなエンジンを搭載していてもトップ争いに絡むことができてしまう。

structure コンパウンドに含まれている硫黄化合物の成分を低温燃焼させることによって、いきなり理想的なグリップを保つ温度まで発熱できるために、これまでのタイヤウォーマーなどはいっさい必要としない。そしてまた、ブレーキングと走行抵抗でタイアが発熱しすぎ場合には、トレッド内部に血管のようにはりめぐらされた冷却孔の中を、シリコンゲルの冷却液が循環し、タイア内部の潜熱を放出してしまうのだった。そのデリケートな温度管理は、4つのホィールの内部に装着された温度センサーや形状センサーのデータ読み込んだCPUが、自動的に処理してくれるのである。

そればかりではない。ゴムに含まれた化合物の組成を微弱な電流によって変化させることで、エキストラソフトからハードなコンパウンドまで、タイアの硬度を無段階で連続変化させることも、そしてなんと、配合された形状記憶素子を利用してトレッドパターンのデザインまで、変化させることができてしまう。

つまりこの次世代のニュースペックタイアは、いったん履いてしまえさえすれば、たとえ雨が降り出したとしてもレース中にレインタイアに交換する必要もないのだし、スタートからフィニッシュまでグリップ力が低下しないために、ピットインしてタイアを交換する必要もないのである。

...そして何よりも恐ろしいことに、、この人工知能タイアは、グリップのエネルギーロスを極限まで押さえて燃費を向上させてくれるために、レース中に給油でピットインする必要さえないのだった。

「いっひひひひひひひ。やっと時代がオレさまに追いつた。これで我がミナルディ・チームさまの完全優勝は約束されたようなものだ。ニューエイやミハエルなんかが、いまさら土下座して頼んできても、ぜったい仲間にいれてやらんもんね。ざまーみろ!! ぶぉっほっほっほっ」 ポール・スタッダードはヒゲで覆われた口唇をわいせつに歪めて、人目をはばかることなく哄笑するのだった。

(初出 2004/ 3/22 5:24、2004/ 4/21 0:58 YAHOO掲示板メッセージ: 230、234 投稿者: jugon_north_pole)


中心になっているテキストの初出は、2002年頃からYAHOO掲示板の「近未来F1模様」トピに、mozilla114他のハンドルネームで書いたもの。今回の再掲載にあたっては一部に加筆した。お断りするまでもないと思うが、文中に登場する固有名詞は実在する人物・団体とは無縁の記号界の存在である。なお同掲示板へのジャック・ヴィルヌーヴ選手についてのメモのような書き込みも、今後は転載していく予定。後日、時間ができた際にJVの風変わりなバイオグラフィーに纏められたら最高^^);。。。