NOAH保有タイトル

GHCヘビー級チャンピオン

GHCタッグチャンピオン

GHCジュニアヘビー級チャンピオン

GHCジュニアヘビー級タッグチャンピオン

グローバル・ハードコア・クラウン(GHC)無差別級級チャンピオン

GHC
グローバル・オナード・クラウンの頭文字をとってつけられたタイトル。直訳すれば「地球規模の崇高なる王位」。

NOAH
2000年8月5日に三沢光晴が設立。「理想のプロレスを目指して」との考えから2000年5月28日に全日本プロレス代表取締役を解任されたのを機に、6月15日に全日本退団、6月16日に新団体旗揚げを宣言。7月4日には団体名を「NOAH」とし8月5日に東京・ディファ有明で旗揚げ戦を開催。旗揚げ戦では開始僅か2分で三沢が秋山に絞め落とされるなど、波乱の幕開けとなり旗揚げと同時に秋山の存在を大きく描くものとなった。

その波に乗るように、秋山はNOAH以外にも活動の場を広げる。そのきっかけになったのが2001年3月2日のZERO−ONE旗揚げ戦で戦った「橋本真也・永田裕志組」の永田裕志との出会い。この戦いをきっかけに秋山・永田のドリームタッグが結成。互いを「ライバル」視しつつも、「世代交代」を合言葉に今のプロレス会のけん引役を担っているともいえよう。2002年1月4日には秋山がGHCをかけて永田と対戦、小橋建太復帰戦では三沢・小橋組を秋山・永田のドリームタッグで迎撃した。その一方でジュニア戦線はNOAHvs新日本の「抗争」と化し、今後の行方が注目される。

白GHC
グローバル・“ハードコア”・クラウンの頭文字をとってつけられたタイトル。秋山が「タイトル戦のない地方大会で行う」との考えから独断でGHCベルトを作成。本家(?)GHCベルトは黒であるのに対して、秋山のベルトは自身のカラーである白であることは、個人的には「白ベルト」と呼んでいる。当初、三沢は我関せずの状態であり、秋山が独断で行い、ベルト制作費も秋山が出す予定だった。ところが04年3月13日のディファ大会で三沢組vs秋山組のタッグマッチ後に「俺が(ベルト制作費を)振り込もうと思ったら、もう支払われてたよ。社長、最高顧問に就任してください!」と、ベルト制作費が三沢のポケットマネーから支払われていたことが明らかに。三沢はこの要請を快諾、晴れて(?)「グローバル・ハードコア・クラウン無差別級選手権」としてタイトル戦の行われない、地方大会で開催されることになった。ただ、選手権ルールに関しては当事者どうして協議して決定する点も、本家GHCと違うところ。

 

現在のチャンピオン

GHCヘビー級チャンピオン 三沢光晴
GHCタッグチャンピオン 森嶋猛&モハメド ヨネ
GHCジュニアヘビー級チャンピオン 杉浦貴

GHCジュニアヘビー級タッグチャンピオン

杉浦貴&金丸義信
グローバル・ハードコア・クラウン(GHC)
無差別級チャンピオン
志賀賢太郎

 

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