昔、怪我をした白狐が、足の傷を癒すため、昼夜温泉に入っていたのを寺の和尚が見つけ、
これが湯田温泉の白狐伝説となって伝えられています。
湯田温泉駅の前にも大きな狐の像があります。(猫の像は無いニャー)
さて、いつごろから湯が出たのかというと、正治2年(1200年)11月に周防の国司上人だった俊乗房重源が、
防府の阿弥陀寺の免田を定めた古文書(阿弥陀寺文書)吉敷本郡の中に「湯田三段」と初めて湯田の地名が見えるので、
770年前には湯が出ていたと思われます。
むしろそれよりももっと古い時代から出ていたとも言われています。
また、温泉として開発されていたことを知る文献としては、明の使者だった趙秩が、応安6年(1373年)に
山口滞在中に作ったと伝えられる「山口十境の詩」の一つに「温泉春色」という詩があります。
「山川は秀ようにして陰陽の炭、天地は鋳成して化ろを造る、
誰か玉鴎を献ず天宝の後、春色を派分して東隅に到る」と湯田温泉春景色を詠んでいます。
次に「大内壁書」によると長禄3年(1495年)5月には、湯治人と婦人・農夫をのぞく人は、
夜中に湯田の湯へはいることなどを禁止している規定があって、湯田温泉の利用が盛んであったことが知れます。
ところが、温泉発見の伝説では、永正年間ごろ湯田の権現山の麓にあったお寺の境内にある小池に、
毎晩一匹の白狐が傷ついた足をつけに来ます。
不思議に思ったそこの和尚が池の水をすくってみると温かさが感じられました。
そこで近所の百姓に池の近くを掘らせたところ熱い湯がわき出るとともに、
薬師仏の金像が出てきたので、温泉の守護仏としてお堂を建てたそうです。
この仏像は拝んで湯あみをすると難病も治る「白狐の湯」として評判となり、温泉は栄えるようになったという伝説です。
もう一つの伝説では、大内義興が急病にかかった時、一人の老僧が訪れ、
小壺の水を注いだところたちまち病気は回復しました。
老僧は「温湯竜泉の地に住む者」と告げ、義興愛用の「花形の硯」を貰って立ち去りました。
その後朝倉の小堂にその硯が置かれていたので、義興は付近の小池に手を浸してみたところぬくみが感じられ、
百姓を集めてそこを掘らせました。こうして温泉は発見され、
大永五年(1525年)に「温湯山竜泉寺」が建立されたという縁起がそれです。
もちろんこれらの伝説は後の人の作り話であって、大内義興以前から湯田温泉は栄えていたことは先に述べたとおりです。