ご訪問いただき、ありがとうございます。
ピアノ講師・ヒーリング音楽カウンセラー
内多陽子です。
ここでは私のプロフィールのご紹介です。
正看護師からピアノ講師へ、そしてその職の両立に至った経歴を綴っています♪
【姫路市で生まれる】
飲食業を営んでいた母の元で
3人兄弟の末っ子として育つ。
5歳年上の姉もピアノを習っておりとても上手だった。
3歳で個人のピアノの先生に習う。
優しい先生で赤いピアノカバーが印象に残っていた。
【ピアノが来た】
母も貧乏ながらに働いたお金を貯めて娘のために、ピアノを購入。
当時の30万円は今の100万円ぐらい。
節約してコツコツ貯めたお金だ。
忙しい母でありながらも食事の用意をしながらよくピアノを聞いてくれた。
ところが、小学校1年生の時に厳しいピアノの先生に変わる。
弾けないと手を叩かれたり、足のくるぶしを蹴られたりと・・・
練習していないと、ハノン教則本を延々30分弾かされ続けた。
腕が痛くなりよく泣いた。
【転校ばかりの少女時代】
小4年で明石市に引っ越すことになる。
小学校時代は転校を繰り返した。
そのせいでなかなか心許せる友達ができずにさみしい思いをする。
【ピアノが友達】
でもピアノや歌が私を慰めてくれた。
練習熱心ではないが姉とピアノを取り合うこともあるほど、
ピアノが好きだった。
でも、やはり姉には勝てず。
姉がピアノを独り占めするようになって、
一旦ピアノはやめてしまう。
【独学でピアノが上達】
もともと耳がよく、幼い頃から姉のピアノをずっと聞いていたこともあり、
独学でありながら、学校の伴奏などもこなし
小5、小6では校歌を弾くなどもした。
友達や学校の先生から、ピアノをやめたにも関わらず
『上手』だと褒められ嬉しかったのを覚えている。
【中学時代】
陸上部に入るが朝練など、練習が厳しかった。
ここでも引っ越しすることになり
神戸市西区に。
母はいじめられないかとても心配したが、
転校を繰り返すうちに、だんだんと強くなっていった。
【天真爛漫】
もともと性格は天真爛漫
表情もコロコロ変わる子だった。
母からは『一言多い!気をつけなさい。』
とたしらめられたが
反面『いいところがいっぱいあるんだから、もったいないわよ。』
と言われた。
【母を助けたい】
忙しい母を労い、お手伝いしたり、
テーブルで寝落ちする母に布団をかけたりと
優しい子だったようである。
父が病気だったため、家計を切り盛りし3人の子供を育てた母。
子供ながらに可哀想だな〜となんとか役に立ちたかった。
【音楽のふしぎなパワー】
でも、まだまだ子供だったので素直に甘えられず
内心はとてもさみしかった
そんな自分を慰めてくれたのが音楽だった。
ひとりぼっちの部屋で、よく歌を歌っていた。
歌っていると不思議と元気が湧いてくる。
音楽の不思議なパワーを感じていた。
【塾に行かずに受験勉強】
中学では150人中10番以内の成績をキープ。
家計に負担はさせられないので、塾にもいかずに猛勉強。
見事、兵庫県立北須磨高校に合格する。
【高校時代】
自分の進路に迷い始める。
父が病弱だったために
看護の道に進むことを決心する。
高3春だった。
当然全然準備していない。
自分を追い詰め、寝る間も惜しんで
胃が痛い思いをしながら勉強した。
【看護師を目指す】
自分でもびっくりするくらい勉強した。
見事看護学校に合格
でも、合格といってもゴールではなく
そこはスタートだった
厳しい実習が始まる。
でも仲間との結束は固く、みんなで励ましあっていった。
【父の死】
神戸の企業系の病院に勤める。
父の病状が思わしくなく
早く孫の顔を見せたくて
22歳で結婚する。
ほどなくして父が亡くなる。孫の顔は見せられなかった。
【家族愛】
母のショックぶりは本当に痛々しかった。
母はとても家族愛の深い人だった。
でも、すぐに長女が生まれ、母が喜んでくれて
本当に嬉しかった。久しぶりに見た母の笑顔だった。
【悲劇が】
ところが、悲劇に見舞われる。
2人目を妊娠。
普段通りに看護師の仕事をするも
異常破水で緊急入院。
妊娠6ヶ月。
先生たちの決死の治療で何とか持ちこたえ、
2ヶ月の入院生活。
8ヶ月目に入り、「いつ生まれても、もう大丈夫」
そうみんな安堵の気持ちになったその日に、
おなかの中で赤ちゃんの心音が止まっていた。
【幻覚が見える】
死産を体験し、普通に赤ちゃんと生んだ幻覚さえ見た。
主治医の先生が『助けてあげれなくてごめん。』
看護師さんと泣いて下さった。
ちゃんと名前をつけてのお別れ。
【トラウマ】
その後、子供を産むことへのトラウマができてしまった。
そんな時、まさかの妊娠。
子供を無事に産むことへの恐さで悩んだ。
助産師さんに相談すると
『なんで?大丈夫よ!』と笑顔で言い切ってくれた。
そして家族も温かく見守ってくれた。
【決意】
当時、長女は1歳半。
もしもこの子が大きくなって
私たち夫婦に何かあったら、この子は独りぼっちになってしまう。
そう思い、出産を決意する。
25歳の出来事だった。
【幸せ】
子育てと看護師の仕事も少しづつ再開。
子供のいる幸せ。
私は家庭環境から肩身の狭い思いをしたり
色々我慢をして育った。
「子供たちにはやりたいことをめいっぱいやらせてあげよう!」
そう思った。
【親子レッスン】
26歳の時、長女が3歳になり、ピアノを習い始める。
私と姉が取り合いになったあの思い出のピアノ。
娘のピアノの先生はおばあちゃん先生。
きっちり教えてくれた。
なんと私にもピアノを教えてくれるということで
親子レッスンが始まる。
【うちの子天才?】
うちの天才?ピアノのレッスンは本当に指導者次第。
その先生は大変実力のあるピアノの先生だったので
みるみる娘は上達していった。
私も刺激され、練習をいっぱいした。
【ピアノの先生に?】
ところが、6年間レッスンしてくれたその先生が九州に転勤。
私が娘に教える姿を見て、ピアノの先生になったらいい!
と背中を押してくれた。
【ライバルは娘】
ピアノ演奏、親子で競い合い
流石に初めのうちは娘に負けることはなかったが、
ついにその時が・・・
再び良い先生に巡り会うことができ、どんどん実力をあげる娘。
【再び音楽に癒される】
この頃、私は子宮の病気で全摘手術を受けることを決心。
術後、音楽に癒され、
音楽療法などに興味を持ち、ヒーリング音楽で有名な
日本ヒーリング音楽協会、藤井郁子先生に師事をする。
【親子で輝く】
娘はピアノ教育連盟のピアノオーディションなどに
チャレンジするようになった。
中3の時に全国大会に出場。
高校では兵庫県学生ピアノコンクール本選優秀賞・
独唱独奏コンクール銀賞と次々と受賞。
人生で最も貴重な体験をさせてもらえた。
彼女の頑張りに影響され、その年
音楽の癒しJHMAヒーリング音楽コンクール本選で
金賞を受賞。
親子で最も輝けた1年だった。
【ヒーリング音楽カウンセラー】
自らの経験や看護師という職業を通し、
人の悲しみや悩み・苦しみに多く直面するようになる。
音楽療法(特にヒーリング音楽)の必要性も大きく感じ、
屋号を「MUSIC PHARMACY.」に変更する。
ピアノレッスンとヒーリング音楽カウンセラーとしての
活動も開始する。
【最後に】
教室に来てくださる多くの生徒・保護者の皆様が
心身ともに健康で心豊かな毎日が送れるようにいつも支えてあげられる講師でいたい、
支えてあげられる音楽を提供したい。
そして子供の持つ力を最大限に引き出せるように
指導していきたい。
ピアノレッスン…ピアノ演奏 楽典
ヤマハグレード受験指導
ヒーリング音楽
<使用楽器> YAMAHAグランドピアノC3L
ヒーリング音楽カウンセラー講座…5級~2級
1day5級レッスン
〒651-2137
兵庫県神戸市西区玉津町出合343-8