福島第一原発から係員の退避・撤退問題の考察
      
      ≪言った言わなかった≫の問題ではない。3回目の退避を、事前に所長でなく、

       社長が予め官邸に電話した事の魂胆が不可解と、大半の人は感じた。
21)

 3月14日6時と同日11時に二回要員以外が退避した。夜になり第二原子炉圧力急騰  ⇒  3月14日深夜近くに、吉田所長は初めてメルトダウン⇒チャイニーズシンドロームが起こる?と考えた。

⇒ 
 収拾作業中の人々の動揺を招かない様に、密かに退避用バス手配をした。

⇒ 
 全社でチャイナシンドロムの時、残る人員等の対応策を検討した。  ⇒  第1・2回の退避は所長命令、第三回目も所長が命令すれば済むことだ。 清水正孝社長は繰り返し電話したが、東電側の計画を官邸に伝えなかった。ある種の女性の様に。 

     

 小括
 
  
 1 3月15日0時の状況は第1・3号機爆発後で、第4号機の燃料プール水温上昇、第2号機の圧力が急上昇していた。
   既に、3月14日朝と昼に2回、所長の命令により、70人を残して退避した。
この流れで行けば、退避所長が
3回目の退避を命令すれば済む事。

 3  この頃初めて所長は第2号機のメルトダウンに気付いた。
続いて
チャイナシンドロームに発展する事を考えた。これは第1・3号気に波

及すれば?? そこで、密かに
避難バスの手配をした。

   社長が退避後の方針を示すか、相談すれば何事も起きなかったはず。





 3月15日0時前後の第一原発の状況; 3月11日午後に≪SBO≫に陥り、原子炉の各種の正確な計測値を得られぬままに、
3月12日午後に第一号炉の建屋が爆発
3月14日11時頃第三号炉建屋が爆発
第四号炉の燃料プールの水温が上昇
保存燃料棒が
メルトダウンしかねない危機的 状況になっていた。 

 
 東電HPの声明
119) 
  福島第一原発の推移と 所長判断と指示
  原子炉の状況 ;16)
@
第一回の退避⇒3月14日6時30分、;第二号炉の収拾作業中危険と判断退避。⇒解除。
A
第二回の退避⇒3月14日11時1分;3号炉建屋が爆発、自衛隊員重傷、係員負傷⇒当直員以外は退避。
  @3月14日⇒第二号炉の圧力上昇。
A
同日23時25分に格納容器の圧力も上昇。⇒
逆に圧力抑制プール圧降下。

Bこの頃に初めて、吉田昌郎氏は
メルトダウンを想起し⇒チャイナ・シンドロムへの進行の危険を考えた。
C吉田氏は、係員の動揺を防ぐべく、密かに事務スタッフに
≪退避用バス≫の手配を命じた16) 
12年7月6日;国会事故調の報告書による;
7月13日追加。
清水正孝東電社長が電話したのは
@3月14日;
18時41分
A3月14日;20時02分
B3月15日;01時31分
であった。
 @この前後に、官邸の複数の大臣と補佐官が、 東電清水社長からの電話で福島第一原発からの退避の電話を受けた。官邸のこの全員が証言しているので、民間事故調は事実であろうと判断した。18)
Aしかし、東電側は
そういう電話をした事はない と否定している。  まさか、狐につままれた のは誰であろうか?

B畑村委員会報告16)と国会事故調
20);21)
東電から撤退の話はなかった、と結論付けた。
Cしかし、≪全員か≫或いは≪要員50人を残して≫かは問題でないと考える。退
避後の東電の収拾方針を示していない電話をすることの方が問題である。

C所長は既に
3月14日6時に
第一回目の退避; 3月14日11時に中央制御室の要員50人を残して第二回目の退避を命令した。
Dこの経過を考えれば、
第三回の退避の際も、所長が退避命令を出せばよいことである。

E第三回目の退避について、事前に清水社長が海江田大臣、枝野大臣、細野補佐官へ電話し、了解を得る必要があるのでしょうか。
Fその
魂胆を問い糺すべきである。
  @3月15日1時2分に第二号炉の圧力は下がって、落ち着いた。
@3月15日4時30分清水社長が官邸へ行き、撤退の否定した。
A3月15日6時10分二号機の圧力抑制プール爆発、
第三回目の退避だけを何故社長が予告するのか?
@東電HPの声明では、≪全員退避でなく要員50名≫を残して、退避すると電話したという。
1カ所の制御室16人ほど残し、他の収束作業は止めると言うのか?。
清水社長は逃げることのみ述べ、爾後の策を言っていない。

A応援の自衛隊はどうするのか?地震の後とは言え、ナマズみたいな捉え所のない点が言動不審。
重ねて問う。前日の第1・2回の退避と何処が、どういう風に違うのかが大問題。


A第三回の避難
;⇒3月15日7時頃、吉田氏は要員59名を残して650名に第二原発への避難を指示す。




 この騒動が東電のいびつな社風と信憑性のないSchizoid体質の?    
@うがった見方では、≪この危機への
今後の対応法の選択を総理大臣に決めて貰いたかったこと≫が東電の目的であったという指摘もある。
A≪決めて貰えば、爾後何が起こっても株主へは勿論、国民・諸外国への
言い訳(an excuse)になる≫と東電は考えていたと言うものである。
   
B
時系列に状況を見ると、≪チャイナ・シンドロムの怖れ、退避バスの手配≫等々に関し、清水氏が具体的な対応策を官邸に告げず。その事が官邸の全員に、最悪の事態に対する危機感を促進した。恰も文豪モウパッサンの小説のある種の女の様の様な、曖昧な言動をした、清水社長のあくどさが招いた騒ぎである。12年7月10日付記。 


16)畑村事故調報告のZ項   

18) 民間事故調報告(2頁/全6頁)

119) 東電HPの2012年3月1日の声明;
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/info/index-j.html


20)国会事故調 ;
http://www.naiic.jp/wp-content/uploads/2012/05/5a1ad2d1baf0904f417880361a87a84f.pdf

21)国会事故調の印象

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