夏の日差しが、容赦なく照りつける。
日差しを吸い込み、光を跳ね返し、その肌はますます熱くなってゆく。
本来、熱を放出し体温を調節するはずの汗は、その体からは流れない。
いっそ涼しげにすら見える、鋼は冷めた色をたたえて人知れず熱を上げていく。
隣を歩く、この存在は少なくともこの町の誰よりも高い体温になっているはずだ。
……それを体温というモノに分類してもいいのなら。
人差し指と中指、そして親指の先にほんの少し力を込める。
どちらが、熱いのだろうか。なんてチープな思いつきのせいだ。
だが、実際に指先は音を立てる事なくそして口許に笑みだけが浮かんだ。
「どうしたんですか?」
私の笑った気配に気が付いたのか、振り返る。
声はどこまでも涼やかだ。
「いや、今日は…暑いな」
誤魔化すように口許を隠して、目を伏せる。
「…そう言う割に、汗・かいてないんですね」
何気なく、だけど鋭い。
「そう見えるか。では、君には制服の下は見せられないな」
涼しげな青の軍服の下は実際、汗で湿っている。それどころか、首筋にも。
君と居るから、いらない汗までかいてしまう。
「女優さんは顔に汗をかかないよう訓練するそうですけど…大佐もそう言う訓練するんですか?」
無邪気に問い返す。そして。
「だとしても、演技は嫌ですよ?」
もちろん冗談なのだろう。だけど、君の一言一言は、私を揺るがせる。
他の者に言われた言葉なら、軽く流せる言葉・でさえもだ。
「面白い事を言う」
否定も肯定もせずに、笑って流す。
今日は、舌の回りが悪い。
そんなときは余計な言葉を言わずに、濁すに限る。
「……大佐、まだお時間はありますか?」
「ああ。今日一日は余裕がある…短い夏の休暇という所だ。一応、午前中だけは顔を出しておいたが。丸一日の非番というのは、今の所夢のまた夢だな」
「じゃあ、もう少しだけお付き合いして欲しいんですけれど」
「では、お付き合いしよう」
元々、今日はこのために休みを取ったようなものだ。
普段、こちらに来る事があっても互いにすれ違う。
それが珍しく事前にくる事も解っており、こちらのスケジュールも調整出来る余裕があった。
そんな機会は滅多にない。
そしてその機会を逃す程馬鹿ではない。
会えなかった時間、その分の想いをどうやって伝えようか。
そんな心躍る想像にほほを緩ませ、今の時間を待っていたはずなのだ。
それを素直に言えばいい。
「君のために、今日一日は空けてあったのだ」と。
滅多に会えないのだから、何のためらいもなく言えばいいのだ。
なのに、言えない一言。
今日は、会ってから素直な言葉は一言も言っていない。
「会えて嬉しい」とも。
ずっと胸にしまったままだ。
今日は、なぜか素直な言葉がつかえてしまっている。
子供でもあるまいし、何をムキになっているのだろう。
ほんの少し前を行くその背中を見つめながら、自分自身に舌打ちする。
今日一日は永遠にある訳ではない。
時間の流れは無情だ。
こうして、何の感慨もないフリは今有効に作用していない。少なくとも私にとって。
温度を感じさせない背中を見つめ、自身の気持ちだけが焦ったように熱を上げていく。
そして、手を伸ばして思いっきり抱きしめたい衝動に駆られる。
いっそ、そうしてしまおうと何度も思う。
きっと日差しを吸い込み熱を蓄えた鋼は、私を拒絶するように熱い。
それでも…火傷してもかまわない。
気持ちはもうとうに火傷してしまっている。今更、だ。
結論は出ているのに、実行出来ない自分の優柔不断さに焦りだけを感じながら、時折向けられる視線に曖昧な笑みだけを返した。
曖昧にぎこちない空気を感じながら、足音を並べる。
どこか金属的な響きの足音と、響きのない足音。
音につられて、私の視線は並んだ肩に向けられる。
日差しが眩しすぎて、鎧の表情は見えにくい。
「本当は、何か用事でもあるんじゃないんですか?」
不安そうに響く声。
「いや、大丈夫だ」
逆光で相変わらず、表情は見えにくかったがまっすぐに視線を合わせる。
「本当に?」
それに安心したのか、少し声の強張りがとれる。
「どうしたんだ?今日はずいぶん疑り深いな」
からかうように言うと、足音が止まる。
「ボクは、大佐に無理をさせてませんか?」
弱い、響き。
「どうしてそう思う?」
「…ボクは大佐に比べたら、当たり前だけどまだまだ子供です。大佐がお忙しい事も知ってるのに…こうして会えたら、嬉しいから…本当に大佐の事を考えるなら休みの日くらいゆっくりさせてあげなきゃいけないのに…」
水の流れる音に溶けてしまいそうな声。
「少し、休もうか」
そう言いながら、舗装されている石畳の道路から外れる。
セントラルは都心部だが、まだまだ整備されていない場所が数多くある。
ここも、そうなのだろう。
石畳の道路を外れると、小さな川があった。
そしてその川の側には夏の花が多く群生していた。
川の流れのより近くに、腰を落とす。
土や草を踏みしめるためか、鎧の足音は先ほどより若干弱まっていた。
並んで座って、水面を見つめる。
口を開いたのは、アルフォンスが先だった。
「この花、知ってますか?」
なめし革の指先が、細い蔓を引く。
細い蔓は、まっすぐに空を向いて咲くタチアオイや、しっかりと根をはった背の低い木の幹、それから所々に立てられた柵に絡み付いていた。
アルフォンスが引っ張った蔓には、蒼の大きな花が咲いていた。その蔓の細さには少し不釣り合いな程の大きな花。
規則正しい6枚の花弁。
「…夏に、よく見かける花だね。名前までは解らないが」
バラや百合、蘭のように観賞用ではない。そして花屋の店先に並ぶ事もない、夏の花。
「てっせん、っていうんですよ」
聞き慣れない音。
「てっせん?変わった名前だな」
「…鉄の線のてっせん。花なのに、何だか花らしくないでしょ」
「そうだな」
「この細い蔓が、そう名付けさせたのかもしれない。花はこんなにきれいで儚いのに、蔓は針金のように強いんですよ」
「だから、てっせんと言うのか。勉強になったよ」
「一応花言葉もあるんですよ」
少し笑いながら、アルフォンスが言う。誘うように。
「後学のために、聞いておこう」
「…"たくらみ"、それから"縛りつける"です」
表情のない鋼。
だが、何かに吸い込まれるように手が、そのあごに伸びる。
「あまり、私を誘惑しないでくれ」
目眩さえしそうな誘惑に、指先が震える。
「…ボクは大佐に無理させてますか?」
「ああ、無理をしていると言えば無理をしているかもしれないな」
指先に触れた鋼は、やはり温かかった。
だが、拒絶するような熱さではなかった。
草の緑や、流れる水や、微かに吹く風が程よく熱を和らげたのだろうか。
日差しを吸い込み、そして和らげられた熱が放出されずに私に伝染る。
「ボクは、邪魔ですか…?」
どこか、乾いた響きの声。
「邪魔だと思った事は、一度もない。なのに君はいつもそう思っているね。どうしてだ」
強く抱きしめたい衝動は、こらえきれない程。
指先に知らず、力が込められていた。
「それは…ボクが…子供だから」
「両手を出してくれないか」
突然噛み合なくなった言葉に、アルフォンスは首を傾げる。
「さあ」
それにかまわず促すと、ゆっくりと手を差し出す。
「あ、あの…大佐…?」
差し出された両手を、花の蔓で幾重にも縛る。
手首に咲いた花は、鋼に映える蒼。
「縛りつける、か。何度そうしてしまいたいと思った事か」
「あの…え、と…」
「いっその事こうして、縛りつけてどこかに閉じ込めておきたいくらいだ。私は君が思うよりずっと酷い男なのだよ」
エゴだけを優先させるなら、どんな手を使ってでも手元においておくだろう。
賢者の石などという物騒なものなんか、追いかけさせたりしない。
「無理なんかしっぱなしだ。いつ君が心変わりしてしまうか解らない。離れていれば、不安にもなる。こうしてたまに会えても、理性で抑えておかなければ私は無理矢理にでも君を攫ってしまうだろうからね」
縛られた両手をそのままに、アルフォンスはまっすぐに見つめる。
「…大佐…ボクの、心はもうずっと前から…大佐に縛りつけられたままです」
毅然とした声でそう言うと、両手を目の高さまで上げた。
そして
「ボクは、大佐の心も縛りつけたいです。大佐の事だけを考えて、大佐もボクだけを見て…いっそ、すべてを捨ててしまえたら…いいって…」
絞り出すような声に、ぎりぎりと胸が締め付けられる。
不自由なその両手を掴み、握りしめる。
君には、捨てられない。捨てるにはあまりにも多くのものを背負っている。
結局は、君も私も。
解っている。
「不毛、だな。お互いに」
「…そうですよね。出来ない事ばかり考えてますね」
不意に風が吹く。
夏の風に、雲はゆっくりと乱れる。
破滅を望んで愛した訳じゃない。
ただ、時折どうしようもない衝動に心が曇るだけ。
「大佐」
アルフォンスが優しい声を出す。
「…この恋が終わるまで、愛して下さいね」
あまりに控えめなその、願い。
「では、君もこの恋が終わるまで私を愛していてくれ」
言葉とは裏腹に、互いに強い独占欲が見えた。
私たちは似たもの同士なのかもしれない。
強く深く想っていても、それを素直に出せなくて。
強い自分の感情に戸惑って、翻弄されて。
そうしてようやく、曝け出す事が出来るようになって。
そして、結局は同じ事を思っていたのだと。ただ臆病だったのだと、自分の弱さを再確認する。
そうして互いに愛して行くのだろう。
これからも。
私は、縛りつけたままの両手に口づけて囁く。
「愛しているよ。誰よりも」
どうか縛りつけたまま、ほどける事のないようにと願いながら。
これから、何度でもこの囁きを君に贈る事が出来ますように、と。
夏の花は、その細い蔓で確かに私たちを縛りつけた。
風にその大輪の花をふるわせながらも、逃れられないようにと心の隅々に絡み付いていた。