1.

ここに勤めてから何年になるだろうか。
高校を卒業してからになるから、かれこれ・・・15年になる。
それはあっという間に過ぎ去った15年だった。
ずっとここで働いている自分は、他の街を知らない。生まれ、育ち、今までの生活。この街が自分の全てだ。
小さな子供を預かる仕事ではたくさんの、それこそ数え切れない程の子供達をここから送り出した。
その中にはこの街を出て、時折手紙という今の時代ではクラシックな方法で連絡をくれた子もいる。
勿論、その後の人生を全く知らない子もいる。ほとんどが後者だ。
保育園での仕事は、小さな子供達の小さな背中を送り出すだけだ。

子供達の扱いは、昔から多少の自信があった(見た目だけだと理解されにくいのだが)。
何故か10歳ぐらい違う子達が、周りを囲った。
お菓子を買ってあげて一緒に歩いたり、はたまた喧嘩する二人をなだめたり。

「あいつら、喧嘩ばっかりしよんねんもんなー」

もうここに残る園児達はいない。外に出ると、梅雨時期には珍しく綺麗な夕日が映えていた。
ザクザクと何の気なしに歩いていると、ふと昔の記憶が蘇った。
自分が中学生か高校生の頃か、やたら絡んで来る親戚の女の子がいた。
恐ろしい程に生意気で、ショートカットが良く似合う女の子だった。

「私より先に嫁にいったけども」

偶然にその情報を耳にしたのは、彼女が結婚してから2年後の事だ。
確かにぷっつりと交流は無くなっていたけど、本人の口から出なく偶然の産物でしかも他人の口から聞いたのは、少しショックだった。
その事実をタイムリーに知っていたのは、二人の両親だけだったらしいから、しょうがないと言えばしょうがない事ではあるが。

「お幸せに」

その知らせを聞いて、ふと呟いた言葉だった。
彼女に会いに行った時、すでにお腹は大きくなっていた。

「裕ちゃん、久しぶり。会いにきてくれてありがとう。本当に嬉しいよ」

彼女は本当に幸せオーラをこれでもかという程発散させ、笑顔で迎えてくれた。
こっちまで幸せな気分になった。
先に行きやがってという気持ちは、多少あったが。
狭い敷地内、ここのど真ん中にあるジャングルジムまであっという間に辿り着ける。

わざとゆっくりと歩きながら、ポケットにしまってあった携帯を取り出す。
今日は朝から何度も同じ人にメールを送っているが、一向にリアクションが無い。
あまりに腹が立って、電話もかけたが、同じようにリアクションは無し。
もう少し若かりし日の自分であれば、ふてくされてみたりしたものだが、そういった駆け引きめいたものも面倒臭いと感じてしまう。
色々考えながら行動していた過去を振り返ると、よくもまぁそんな生き方が出来たなと思う。
30を過ぎたあたりから、思った事を全て言っておかないと気がすまなくなってきた。
これはある種の開き直りだが、その事によって楽に生きられるようになったし、逆に考える力は劣化したと思う。
気に入らなければ文句を言うし、連絡が取りたいのに取れなければ取れるまでしつこく追い回す。

「あの子はほんま・・・今日に限ってでーへんなんて」

学生である彼女が、この時間帯に電話に出れないとは到底思えない。
苛立ちを隠さず、ポケットに携帯をしまいこんだ。

目の前に来ていたジャングルジムに触れる。
毎日のように繰り返される、陣地争いのような光景。
子供にとってはここは相当な高さだろうが、ここを登ろうとする子達に恐怖心は無い。
落ちやしないかとハラハラする自分の気持ちも理解して欲しい、きっとその想いは届く事は無い。
彼らにとって先生のそんな言葉は、あってないようなものだろう。

ここの園児達にとってはちょっとした山のようだろうが、自分にとっては目線よりも下。
登らずともてっぺんを見る事が出来る。
制服であるエプロンを脱いで、ジャングルジムに掛ける。
その部分は今のままでも見えるが、そのジャングルジムのてっぺんまで登って確認した。

『いちー』
『やぐち』

もうほとんど見えないが、ギリギリでその単語を確認出来る。
これは彼女達二人が最後に仲直りをした証。自分の事ではないにしろ、どこか嬉しかった。
彼女達の記憶にはとうの昔に消え去っているだろうが、自分にとってはこのジャングルジム毎思い出になっている。
ジャングルジムのてっぺんに腰掛けながら、その横にあるもう1つの文字に触れる。

『ゆーちゃん』

ここで働く事になって間もなくして見つけた2つの文字。
何となくこの二つに加わりたくて自分で彫ってみた名前。
真横に掘り込むのは申し訳ない気がして、少し外して名前を金属の棒で彫った。
もし二人が追加されたこの文字を見たら、この行為を許してくれるだろうか。
二人の間に土足で割り込んだような行為をして、彼女達は怒るだろうか。

そんな事を考えるのはくだらない事なのかもしれない。
なぜなら、きっとこの追加された文字を彼女達は見る事はないだろうから。
丁度一年前、偶然が起こるまではそう思っていた。

ポケットの携帯は、まだ鳴らない。

2.

去年の4月中旬のある日、わざわざ彼女は私に会いに来てくれた。
偶然では無かった。彼女の意思でここまで、彼女の生まれ育ったこの街に帰って来た。
そして、私に会いに来てくれた。大きくなった(変わらず体は小さかったが)その姿を見せてくれた。
でも、やっぱり偶然だった。彼女は私がここで働いている事を知らなかった。
そらそうだ。彼女との交流は長らく途絶えたままだったのだから。

「偶然ってすごいね」

彼女の口から漏れた一言はきっと本音だっただろう。
私がこの街にい続けているとも限らない。
この保育園に来るなんて、働いても無い限り来る確率なんて天文学的な数字だ。
逆に言うと、その時の二人の接点はこのジャングルジムにしかなかったと言える。
だから彼女はここにすがったのだ。
彼女のその疲労した表情を見ると、一目瞭然だった。
愛くるしく成長した姿を見て、私は問答無用で目を細めた。

そういえば彼女はあの文字を見ただろうか。
恥ずかしくてどこかむず痒くてそんな事聞けやしない。
消しゴムで消せるんだったらすぐさま消したいぐらいの気分だった。

彼女はぴょんと飛び降りるようにジャングルジムを降りた。
私もゆっくりとここ降り、その後をついて歩いた。
ギャルっぽい今風の格好をしたその後姿を見つめた。明らかに何か言いたげだった。

「どないしたん」
「矢口・・・結婚するんだ」

彼女は振り向かず、伝えたい事を伝えに来た。

「裕ちゃんにはどうしても伝えたくて」
「そうかいな。わざわざありがとな。相手、ええ人なん?」
「まぁね。まずまずの所で手を打ったよ」
「ほうなんかいな。おめでと」
「うん。ありがと」

彼女は今、神奈川で暮らしているという。
私にその知らせを持って、何時間もかけてこの街に戻って来てくれた。
確かにその知らせを持ってきてくれたのは嬉しかったが、それ以上にやはりその成長を見せてくれたのが何よりのプレゼントだった。

「幸せになりや」
「分かった。裕ちゃんもね」
「私はまだ先やな。また私より先にいきよってからに」
「え?何の事?」
「こっちの話や」

彼女は紗耶香の事を知らなかった。

「これ、渡しにきたんだ」
「ん?」

彼女から1枚の葉書を受け取った。披露宴の招待状だった。

綺麗な花嫁姿だった。相手もなかなかよさげな人物だった。
その披露宴で会ってから彼女とは会っていない。

勿論、ブーケはゲット出来なかった。

3.

すっかり日が落ちた。
もう諦めざるを得ないのか。本日もう何度目だろうか、携帯をチェックする。
何かリアクションがあったらすぐに分かるのに、やはり自分の目で確認しないと納得がいかない。
やはりメールも着信も無い。
もしかして忘れてしまっているのではないか、そんな不安さえ感じる。
確かに住んでいる所は随分離れているため会えないのは分かっているが、離れた所で時間を共有したい。
今日の事を知っていた同僚が色々と誘ってくれたが、全て断った。
あまりプライベートな話をしていなかったので、ここぞとばかりに詮索する友人もいたが、煙に巻いた。

時計を見た。すでに7時前だった。
空は飴色に染まっていた。せっかく梅雨時期に珍しい天気だったというのに、心は曇り空。
いや、雨模様。
仕事の合間を縫い、仕事が終わった後もひたすら連絡を取ろうとし続けてきたが、さすがに根気がなくなってきた。
最後のチャンスとばかり、携帯を鳴らす。
何度もコールするが、やはり出ない。出ないというのがあの子の結論だろうか。
もしかすると今日一日ずっと寝続けているという疑惑も浮上する。
この予想はいいのか悪いのか。
無視されている訳ではないという一方、あの子にとっては今日はそういうものであるとも取れる。

やはり出ない。
こんな事なら同僚と飲みにいけばよかったと後悔する。
今日だけは女王のような気分が味わえるし、飲み代も全てみんなが払ってくれるし。

「しくったなぁ」

呼び出しを止め、同僚の名前をディスプレイに出す。

「もしもし、圭織?今どこで何してるん?おー、そこにおんのかいな。皆もおんの?やっぱ私も行くわー。うん。じゃあ後で」

さすがに今日は一人ぼっちでは過ごせない。
さっき断った同僚に連絡を取り、今から行くように伝えた。
まだ歓迎ムードは漂っているという。ギリギリセーフ。滑り込みセーフ。

「よっしゃ。行くか」

気持ちを切り替えて、ジャングルジムを勢いよく飛び降りる。
掛けていたエプロンを取り、早足で保育園の方に向かった。

「ちゃっちゃと着替えよ」

早足はいつしか駆け足に変わっていた。
もう息が切れそうだ。いくら毎日子供を相手に走り回っているからといって、年齢から来る衰えを隠せるものじゃない。

「しんど・・・」

丁度保育園の中に入ろうとした時、入り口の門の所で騒がしい音がした。

「セーフッ!」

目を見開いた。物凄い勢いでここに駆け込んできたのだ。

4.

「ごっちゃん!」
「裕ちゃん。あはっ、会えた会えた。あたしってすげー」
「何でここに・・・?」
「何でって、今日裕ちゃんの誕生日じゃん」
「いや、まぁそうなんやけど。ってか携帯も全然通じひんし。電話もできへんと思って・・・」
「でも、ここにいるぜぃ」
「おお、おるなぁ」

どうやってここに来たんだろう。
彼女の住む東京からここまでは、新幹線で来ても何時間もかかる。
それに今日来てくれるとは一言も聞いていない。

「え、何でここに・・・?」
「何でって、ハッピーバースディを言いに来たに決まってんじゃん。ハッピーバースディ!ダブルスリーおめでとう!」

満面の笑みで彼女はそう言ってくれた。
そんな笑顔で言われると、皮肉も全く感じない。心から祝ってくれていると感じる。
実際この目で彼女の笑顔を見るのは何ヶ月ぶりだろうか。

「あ、ありがと。でもダブルスリーって何やねん」

確かにこの子に関しては、細かい事を考えてはいけない。それは理解している。

「携帯は?全然繋がらへんかったで?」
「うん、家にあるよ」
「全然携帯してへんやん!」
「あはっ。まぁね」
「褒めてへんし!」

やはり彼女は自分の理解を超える。
彼女はもう体力を回復しているようで、肩で息をしていたのも止まっていた。これが若さか。

「でも、どうやってここにきたん?」
「んー、勘かな」
「勘だけかいな」
「基本的には。後、裕ちゃんよく話してくれたよね、この辺の事。それにあたしも一応ジモティだし」
「相変わらずすごいな」
「あはっ、また褒められちった」

彼女も15までここに住んでいた(その頃に全く面識は無かったが)。
初めて会ったのはこの街にあるとある居酒屋だった。
そこの店長と彼女が元々知り合いで、たまたまこの街に来た時にその居酒屋へ寄り、無理矢理働かされたという。
その時自分はこの店で同僚が見捨てる程飲んだくれていて、その店員に声を掛けていた、と。
ひと目で何かを気に入ってしまい、やたらと話しかけたりベタベタと体に触れたり。
挙句の果てに電話番号とメールアドレスを執拗に聞いたり。
どこぞの親父がお水の女性を口説いてるのとなんら変わりは無い。平たく言えば、ナンパの様なものだ。

次の日にはさっそくメールを送っていた。
彼女はすでに東京に帰っていた。そこから奇妙な交流が続いている。

彼女がよく話していた、小さい頃の思い出で『紗耶香』という名前が度々出ていた。
何でも子供の時、すごく特別な存在だったという。
それが自分の知る紗耶香だと知るのはもう少し先。

世界って狭い。

「わざわざきてもーた」
「下手な関西弁使いなや」
「すんまへんなぁ。下手で」

彼女と目が合い、笑いあった。

「何かあわへん間にえらい胸でかなったんとちゃうか」
「やっぱそういう所は鋭いよね、裕ちゃんって」
「で、何カップから何カップになったんや。裕ちゃんにゆうてみ」
「まだその話し引っ張るんかーい!」
「やっぱ、関西弁下手やな」
「だって東京人だもーん」

最高のプレゼントをどうもありがとさん。




「やばっ!圭織にまたいかへんって言わなあかん!」