1.

ただアクセルを踏んでいたら進んでいく、AT車はあまり好まない。
好きな音楽を流したり歌を歌ったり、周りの風景を見たり。
そんな暇つぶしの仕方はあるけど、長時間運転になるとあまりにも退屈だ。
だからMT車を買う事にしている。
京都に住んでいた頃は道が広くて、運転中の退屈さを顕著に感じていたが、こうして東京に
出てきてからは道が混んでいるし、いちいちギアを変えるのは面倒さを感じる時もある。
それでも長年の癖はなかなか抜けないもので、アクセルを踏む度に加速していくAT車を
運転するのはすっかり恐くなった。

こっちに来てから意識し始めた事がある。
それは車庫入れする時に必ず、隣の座席の後ろに手を回す事。
よく若い子が聞かれる「あなたが恋人に色気を感じる時は?」といった質問に
「車をバックで車庫入れする時」なんてのを目にする。
元仲間達は皆年下で、どうしてもかっこつけたくなる。
だからバックする時にはいつもそうするようになってしまった。

『ドライブに連れてって』

淡白な中にわがままさが溢れるメールが届いた。
普段は人に気をよく回す子なのに、こういう時には他の今の若い子に相違なくわがままなお嬢。
もう12時を過ぎ、日付は変わっている。
つい一時間前に帰ってきたばかりで、まだ仕事の後の一杯のビールも飲んでいない。
ずっと仕事だったから体はクタクタ。
いつもこんな風にしか言ってこないけど、思うことは1つ。

「まだ飲まんでよかったー。捕まってン十万とられたらシャレにならんし」

いつも12時を過ぎるまで飲むのを我慢するようになったのは、こういうメールが届き始めてからだ。
最初に知り合ったのはまだ中学生、今はもう来年成人式を迎える年になっている。
大人になったなぁと思うけど、自分から見ればまだまだ子供。
そういう所が微妙にくすぐられたりする。

『すぐそっち行くから待っといて』

自分だけ気持ちが高ぶっているのはしゃくだから、敢えて淡白に切り返す。
ついさっきまではしゃいでいても、いつでもどこでもすぐに眠ってしまうような特技を持っている子だ。
急がなくては。脱ぎ捨ててあったコートをもう一度来て、外に出た。

ドアを開けると一面の星空、何てことはこんな所ではあり得ない。
ただただ、吐く息が白く見えるだけ。
マンションの地下の駐車場まで行き、車にエンジンをかけた。
新車で買ってまだ2年ぐらいなのに、こんなに寒いとエンジンのかかりが悪くなる。
一度見てもらって文句の一つでも言ってやろうかと思ってはいるけど、なかなかそんな時間は取れない。

「くそっ」

何度も何度もキーを回し、ようやくブルルンとエンジンがかかった。後ろからモクモクと煙が噴出す。
他の人には絶対このエンジンはかけれないだろうと思う。冬にこの車を盗まれる事はまずない。
変な自慢しか出来ないような車でも、ずっと乗っていると愛情も沸いてくる。

「ヤバイ、急がなほんまにあの子寝てまうわ」

左手でギアを入れ駐車場を出た。目的地まで約30分。

こんな時間だから道は全く混んでおらず、予定通り一軒の家の前についた。
2階の電気だけがついている。
いくらこの家族が放任主義であったとしても、さすがにインターホンで呼び出す時間帯ではない。
電話で呼び出してもいいけど、一応メールで連絡することにする。

『今着いたで。起きてる?』

メールを送って、シートを少し倒し背伸びをする。
そういえば晩御飯を食べるのを忘れていた。
ビール飲みながら何かつまもうと思っていたけど、飲む時間帯を遅くしてからたまにこういう事をやってしまう。

「ゆーちゃん。お腹がすいた時に食べて、眠たい時に眠ればいいんだよ」

いつしかそんな事を言われたような気がする。それは君が若いから言える台詞だよ、と言いたかった。
ここまで来ると食べたものが全部贅肉となって、食っちゃ寝なんかしたら次の日の朝ムカムカしてしょうが
ないんだよ、と言いたかった。
それでなくても、最近丸くなってきたなんて言われているのに。しかも、性格ではなく見た目が。
思い出したら腹が立ってきた。今日はもう絶対何も食わん!

メールはまだ返ってこない。もしかしたら寝てしまったか。あの子は電気をつけたまま寝れる子やから。
一応センターに問い合わせてみる。何もなし。もう少し待ってみよう。

うるさくて近所迷惑になってはいけないから、エンジンを止める。
一気に車内の温度は下がり、静寂に包まれた。そのためか、頭が冷静に働き始めた。
たった一つのメールで小躍りし、わざわざここまで来る自分ってどうなんだろう、と。
こんなにくそ寒いのに、携帯を握り締めて返信されないメールを待っている自分ってどうなんだろう、と。
一回り近く違う女の子にこうも簡単に振り回されている自分ってどうなんだろう、と。
いたいけな少女の夜遊びに怒るどころか、参加までしてしまっている自分ってどうなんだろう、と。

「ふっ」

何だか笑える。昔からそうだ。気付けばいつも相手に振り回されている。
そんな自分に自己嫌悪に陥ったりもするけど、体に染み付いたものは消えるものではない。

「もっと落ちつかなあかんよなぁ」

その時手に持っていた携帯が震え、メールを受信した。

『今下に行く』

またしても淡白な内容。一つ目ののメールが送られてきてから一時間近く経っている。
おそらく転寝してしまっていただろうけど、そんな事は詮索しない。
こうして『行く』と言ってくれた訳だから、それでいい。携帯を後ろに投げ、シートを起こした。

家の電気が完全に消え、真っ暗闇から一つの人影が出てきた。
外は相当寒い。両手で体をさすりながら小走りでこっちにやってくる。
止めていたエンジンをかけ助手席のロックを外し、彼女が入ってくるのを待った。

「ううう、寒いよゆーちゃん」
「ごっちゃん。ちゃんと厚着してでてこなあかんやろ。それに髪もまだ濡れてるし。ちゃんと拭いてこな」
「だってお風呂に入ってて出てきたらメールが来てたんだもん」
「だからってなぁ。せめて頭は拭いてこな。風邪引くやろ」
「もう。お母さんみたいなこと言わないでよ」
「お母さんみたいなもんやん」

後ろの座席からハンドタオルを取り車の暖房を入れ、半渇きの後藤の髪を拭く。
「違うよ」という否定の言葉が欲しかったが、後藤は黙ってされるがままになっていた。
そういえばこのハンドタオルは、一度トイレにいった後使ったものだ。背に腹は変えられない。
風邪を引かれるより数段まし。だけど正直に言ったら半殺しにでもされかれない。

「はい、おしまい」
「もう、髪ぐしゃぐしゃになっちゃったじゃん」
「出て来た時からぐしゃぐしゃやった」
「まぁそうなんだけど・・・ありがと」
「どういたしまして。んじゃいくか」
「うん」

すっかりあったまったエンジン。周りを見ると、真っ白なエンジンの煙が噴出している。
最大にしてあった暖房を少し下げ、愛車を発進させた。

2.

「かっこいいよねー。それ」

以前後藤に言われた言葉。彼女は右手でその物真似をした。ガチャガチャとギアをシフトする動作。
そんな事は思いもしていなかった。ただ暇つぶしのためにMT車にしていただけなのに。
好奇心旺盛な後藤の眼差しが左手に注がれている。むずかゆくて掻きたくなった。

「もっとガチャガチャやってー」

楽しいオモチャを見るようなキラキラする視線を送られても、そういつもやるもんじゃない。

「そんないつもいつもするもんじゃないから」
「ええー、じゃあもういい!」

感情の起伏の激しい子やなぁ。クールとか言われがちやけど、全然そんな事ない。
それは自分に心を許してくれてるから見せてくれる一面なんやなぁ、と都合のいいように解釈。
口をへの字に曲げたり頬を膨らませたりして、怒りを前面に押し出す所を見るのは結構楽しい。

発進の時と停止の時は、必ずその視線を感じるようになり、その視線を横目でばれないように見るのが
お決まりのパターンとなった。

3.

車中では基本的に話しを聞く、受身のスタイルを取っている。
仕事やプライベートの楽しい事やつらい事を聞く。彼女はそういうのを話したがっている。
やっぱり不満や愚痴が多くなる。中学生の頃からずっとこういう世界でやっている訳だから、
ストレスもいっぱい溜まっている。そのうっぷんをいい方向に吐き出させてやるのが自分の仕事。
彼女から求められているものだと解釈している。大袈裟に言えばカウンセリングに近い。

「でさー、まっつーがさ・・・・よっすぃがね・・・梨華ちゃんが・・・」
「もうアイツやだ!会いたくないよ!」

等等。自分は多少長く生きている分経験がある。その経験を生かしてその内容に同意し、時には否定し。
そうやってうまく流しながら話を聞くようにしている。

いつも行き先は決めない。ただ思うがままにドライブする。
彼女にとっては車の中で色々と話す事が目的だから。
今日はいつもと趣向を変え、高速道路に飛び乗った。少し飛ばしたい気分だ。
このドライブに自分の意志を取り入れたのは初めてかもしれない。

夜の高速をグングンぶっ飛ばす。京都にいた頃はよくやってたなぁなんて事を思い出しながら。
お喋りが止まったな、と思って後藤の方を見てみると、ちょこんと身を乗り出すようにして外の景色を眺めている。
表情までは見えないが、「うわー」とか言ってテンションが上がっているようだ。
喜んでもらえてるみたいで、ほっとした。

さすがにこんな時間に車はほとんど通らない。今聞こえてくる音は、自分が運転する車のエンジン音と
ぶち当たってくる風の音。今日はとても風が強い。すごい音がビュンビュンぶつかって来る。
隣を見ると、話し疲れたのかはしゃぎ疲れたのか随分と黙ったまま外の景色を眺めている。
そんな時はこっちから特に話は振らない。あくまで受身のスタイルを貫く。
車内の会話が途切れたまま、20分ほど過ぎていた。

「ゆーちゃんはさぁ、彼氏作らないの?」

静まった中、外を見たままそう問いかけられた。
今まで自分の事に触れられたことがなかったのに、急にそんな事を聞かれて戸惑った。

「つくらんというか、出来へんねん」
「何で?あたしからみたらゆーちゃんは綺麗だしたまに恐いけど優しいし、そんなのおかしいと思うんだけどさ」
「ありがとう」
「結婚したいって、いつも言ってるじゃん。あれ嘘なの?」
「いやー、結婚はしたいよ。ずっと意識してるよ」
「じゃあ、まず相手見つけなきゃ」
「そうやね」
「何か彼氏作らない理由でもあるの?」
「いやー、そういうタイミングがないっちゅうかなんちゅうか・・・」
「そうなんだ」

ここで会話が途切れるまで、後藤はずっと外を見たままだった。
今までこんな事を聞かれた事は無かった。彼女の真意は何だろうか。
別に無くてこの黙りこくっていた空間に耐え切れなくなって暇つぶしに切り出しただけなのか。
後藤の横顔はとてもクールで、どこか寂しそうに見えた。

「ここで降りようよ、ゆーちゃん」

名前も知らない出口の標識があった。こんな遠くまでは来た事が無い。カーナビを見ても何も分からない。

「分かった」

全く知らない出口を降りることにした。

高速を降りると、周りは一気に田舎になった。降りた所から一面田んぼばかりで、明かりがほとんど無い。
高速から少し離れていくと道はどんどん狭くなっていき、一車線しかない道を走らせる。
当然のように他に車は無く、ただこの愛車だけが走っている。
明かりがほとんどないしほかに車も通っていないので、ライトをハイビームにする。
かなり先まで見渡しても、一面何も作られていない田んぼばかり。

「何もなさそうやで。戻る?」
「この辺で降りようよ」
「ここでか?」
「うん」

車のエンジンを止め外に出て、真っ白い息を吐き出した。
目の前にある水溜りが凍っている。そういえば高速を降りてから途端に車の制御が悪くなっていた。
それは地面が凍りかけていたからなんだと分かった。
車が全くいないからといってスピードを出しすぎていたら、かなり危険だった。
本当に何も無い所だ。コンビニどころか家さえも見当たらない。
ここら一面に敷き詰められている田んぼは、一体誰の所有なんだろうと思う。
目を凝らして見てみると、田んぼに生えている雑草に霜が降りている。
軽く踏んでみると、ギュッと音がした。
助手席から降りてきた後藤は、家から出てきたとき同様、両手で体をさすっている。
こんな時、「寒いだろ」とか言いながら自分が着ているコートでもかけてあげればいいのかもしれない。
だけど、彼女は私にそんな事は求めてはいないと思う。きっと、そういう事ではないのだ。
体を震わせている後藤の横に立った。断続的に出ている後藤の吐く白い息が、どこか綺麗だ。

「ムチャクチャ寒いな」
「そうだね」
「ほんま何も無い所やなぁ。どこなんやろ」

二人とも体をさすり、なんて事のない風景を見ながらなんて事のない話。
それに対する後藤の返事は無く、暫く無言が続いた。
だんだん暗闇に目が慣れてきて、ぼんやりながら後藤の表情が見え始めた。

「さっきの話の続きなんだけど・・・」
「ん?何や?」

分からない振りをした。おそらくあれなんだろう、と見当はつく。
彼氏がどうのこうのといった話。そんなに興味がある事なんだろうか。
結構長い付き合いの中で、今まで全く聞いてこなかったような内容。
何故今それを聞いてくるんだろう。正直、この子にはそういう話をしたくない。
それはきっと自分が。

「あたしも車の免許とろうかな」

話題が変わった。後藤は手持ち無沙汰のような感じで足元の草を蹴っている。
色々聞きたそうだけど、聞いちゃ悪いのかなと葛藤しているようだった。
聞かれたら答えづらいけど心の中をぶちまけたい、自分の心も後藤と同じように葛藤している。

「何でまたそんな事思うん」
「だって、自分でこういう所とか色んな所に行きたいじゃん」
「私のじゃあかんの?」

何でそんな事いうねん、自分。

「駄目って事はないけどさ。いっつもゆーちゃんに頼んでばっかじゃ悪いしさ」
「そんなん全然思ってないって」
「でも、やっぱ自分の車欲しいし」
「運転すんのは結構危ないで」
「ゆーちゃんだってやってるじゃん」
「ま、そうなんやけどな」

ポケットに突っ込んでいるにも関わらず、手がかじかんできた。
また暫く沈黙が続いた。寒さで頭の中が麻痺してきているようだ。
どのぐらい沈黙の時間があったのだろう。10秒ぐらいか。5分ぐらい経っているような気もする。

「んじゃその助手席、予約するわ」

ふいに言ってしまった。我ながらくさいセリフだなと思った。何必死になってんねんやろ。
目の前の後藤が、大きく息を吸い込んで背伸びした。

「分かった」

小さい声だけど、確かにそう聞こえた。予約は入ったと。キャンセルされなかったって事でいいんかな。

「かえろか」
「うん」
「これ、寒すぎひん?」
「うん、あり得ないね」
「あ、鼻出てきた」
「汚いよ」
「汚いな」

帰りの車中、会話は全く無かった。
中澤のギアを変える左手のその下に、後藤の右手が敷かれていた。
かなり車中は寒かったが、中澤は暖房を入れなかった。


数ヶ月後、後藤は仕事の合間を縫って自動車学校に通い、見事一発で車の免許を取った。
最初に買った車は、中古の国産のMT車だった。