元ネタ
(ハイウェイスター/星霜/大友克洋)
1.
こんなアルバイトをしようと決心したのは、暑い時期に涼しい所でのんびりとお金を稼げると思ったからだ。
思いのほかアルバイト代もいいし、たまたま広告を見て「これはいける」って思った。
今や貴重となっている文化に触れるのも悪くない。
私は面倒臭がりやだから普通なら真夏の炎天下、家から出るなんて考えられない。
今までの16年間、お金に苦労したことは無い。
今時の女子高生だからといってポンポン色んなものを買ったりもあまりしない方だと思う。
裕福な方だとは思うけども。
「東京のど真ん中にこんなに広くて、たくさん樹があるなんて」
そこに初めて訪れたのは夏休みに入ってすぐ、7月の終わりだった。
朝からセミが大声でわめき散らしていた。
いつもいるような高層ビルやたくさんの車が行き来する所では聞けない夏の音。
夏休みは昔からクーラーのある家から出ないことを決め込んでいた私にとって、それは初めて生で聞く声だった。
うちの家族が東京に出て来る前は福岡に住んでたって言ってたっけ。
私はそこにはまだ行った事がない。生まれも育ちも東京。
教科書でしか見た事ないようなものがまだ実際にあるらしい。
東京のオイル色の水とは違って、そのまま飲める水。売っているのとも根本的に違う。
私達は飲むために水を買うことはなくて、主に体を洗うために使ったりする。簡単にいえばお風呂。
でも、福岡では井戸ってやつから水をくみ上げてそれを飲む所もあるんだって。
東京の水の色をいつも見てるから、あんなもの飲もうとも思わない。コーラと間違えるぐらいだし。
私はおばあちゃん子ですごい可愛がってもらってるし、私もおばあちゃんが大好きだ。
ついでにおばあちゃんの友達とも仲良くなって、いつもおこずかいもらってる。
お母さんはいつもおばあちゃんとその友達に「私の娘を甘やかさないでください!」って怒ってる。
おばあちゃんといえば田舎に住んでいて、畑仕事なんかをしていて、っていうイメージがあるんだけど、
うちのおばあちゃんは全然そんなんじゃない。私なんかよりも活動的にすごい町の中を歩き回る。
もう60を過ぎてるのに、お母さんやお父さんよりも元気。
毎日のように携帯電話でその友達を呼び出して街に繰りだしてる。
私はそんなおばあちゃん達が大好きだ。
初めてのバイトに関しても、お母さんはすごい反対した。
「そんな事しなくてもやっていけるでしょ?まだお金が欲しいの?」
なんて素っ頓狂な事を言ってた。おばあちゃんは大賛成。
「若いうちから色んな事を学びなさい」って言ってくれた。おばあちゃんの友達も賛成してくれた。
初めてその高校に訪れた時に案内してくれたのは、面接で会った校長先生だった。
校長先生ももうおばあちゃんで、貫禄のある女性だった。うちのおばあちゃんよりはちょっと上かな、って思った。
「ここです」
私にとっての初めての職場は、都会のど真ん中にぽつんとある、緑の残る静かで趣のある建物だった。
「うわぁ、アンティークってよりはアナクロって感じ」
「入って。ここがあなたの仕事場よ」
私の仕事は返却された本の整理だった。山積みになったたくさんの本を元の場所に戻す、それだけの仕事。
「田中さん。紹介するわ、この人はあなたと一緒に働くことになる・・・・」
あまりの本の多さに圧倒されて、紹介された人の名前を聞きそびれた。
ついつい「うわー」と言葉をもらしてしまったみたい。
その「先輩」はクスクスと微笑んだ。
「いやー」と言いながら頭をポリポリと掻いた。
今更聞き逃した名前を聞き直すことなんて出来る訳もなく、しょうがないからその人の顔をじっくりと見た。
その人もお年を召した女性だった。私は本当におばあちゃんに縁があるみたい。
高校にバイトに来たはずなのに、会う人みんなおばあちゃん。全然嫌って訳じゃないんだけどね。
寧ろやりやすいかもしれない。付き合い方には慣れてるから。
それにしても、この「先輩」はどこかで見た事があるような気がする。
どこか遠い所で会った事があるような気がする。
おばあちゃんにもなると、みんなおんなじように見えちゃったりするのかなぁ。
そういえば校長先生も見た事あるような気がするし。
しかも校長先生、面接の時私のこと知ってるような話し振りだったなぁ。
私の考え違いかなぁ。
「仕事の事はこの人に聞けば何でも分かるから」
「はい」
「よろしくね、可愛いお嬢ちゃん」
「あ、はい!こちらこそよろしくお願いします」
結局名前は聞けずじまい。あれ、校長先生の名前は?
忘れた。
たくさんある本の整理は思っていた以上に大変だ。
普段運動なんか全くしない私にとっては、数冊の本を持ってうろうろするだけでヒイヒイ言ってしまう。
この暑い中、外でクラブ活動で汗を流してる人なんて信じられない。
だからクーラーの効いている部屋の中の仕事を選んだのに、それでもつらい。
「ひゃぁ。やっぱり喫茶店にしておけば良かったかなぁ」
「はは。分からない事があったら何でも私に聞いてね」
「あ、はい。でも、こんな難しい洋書、ここの生徒は読むんですか?私なんかさっぱり・・・」
今整理しているのはドイツ文学の本だった。整理番号を見ると棚の上の方だったので、脚立に登り本を入れる。
「ここはね。図書室じゃないんですよ、田中さん」
「え、そうなんですか?」
「ええ。ここは蔵書なのよ。先代の校長が本が大好きな人でね。だからここには生徒なんか来ないのよ」
「そうですか。それにしてもすごい量の本ですね・・・」
本棚の上の方に、数枚の立派な写真が並べられていた。みんな恰幅のいいおじいさん達。
おそらく彼らが歴代の校長先生ということなんだろう。先代の、って言ってたからおそらく一番右端の人がこれらの本の持ち主。
なるほど、確かに本が好きそうな顔をしている。あくまでインスピレーションだけど。
脚立の上から「先輩」を見ると、仕事の手を止め、その先代の校長先生らしき写真を見つめていた。
表情までは見えないけど、じっと見つめているという感じ。
それ以上は話しかけれる雰囲気じゃなかった。
「どうです?お仕事ははかどってますか?」
ギィと古臭い音と共に校長先生が入ってきた。
「あ、校長先生。若い人が来てくれて助かってますよ」
「いやいや、まだ全然慣れなくて・・・」
「そりゃまだ初日ですもの。徐々に慣れてってくれればいいわ」
「ありがとうございます」
「意外に力仕事で戸惑ってるんじゃない?」
その通り。本がまさかこんなに重いなんて。ましてや普段運動をしない私にとっては信じられない重さで。
「はい。少し戸惑ってます」
「ふふ。正直な子ね。やっぱりそっくりだわ」
「は?」
「いえいえ。こちらの話よ」
校長先生はしわしわの顔をくしゃと崩して微笑んだ。一体何の話なんだろうと思ったけど、さっぱり分からなかった。
そのやりとりを無視して黙々と作業をしていた「先輩」も、一瞬微笑んだように見えた。
だけど私と目が合った瞬間、また真剣な表情に戻り、作業に戻った。
校長先生はつかつかと「先輩」に近づき、窓の外を見ながら話しかけた。
「田中さんには悪いけど、ちょっとお茶でもしませんか」
「はぁ。でも田中さん一人にやらせるには・・・」
「私にはお構いなく。全然大丈夫ですので」
「悪いわね。田中さんも疲れたら休んでいいから」
「はい。分かりました」
「先輩」は持っていた本を机の上に置き、校長先生の後を追った。
二人は図書室の奥にある二人がけのテーブルに腰をかけ、校長先生がお茶を入れた。
校長先生は自分が入れたお茶をおいしそうにすすっていた。
「先輩」の方はというと、カップには手をつけずに窓の外を眺めていた。
校長先生はその風景が当たり前だと言う感じで、相変わらずお茶をすすっていた。
窓の外はセミが大きな声で鳴き続けている。
本の整理が終わり、校長先生の言葉に甘えて私も少し休憩しようと思い、外に出た。
一瞬で汗が噴出しそうなほど暑いけど、薄い上着を着て来て本当に正解だったと思う。
あっという間に真っ黒になりそうなぐらい太陽が照りつける。
ポケットの中からハンカチを取り出し、構内を歩き回ってみる。
暑くてたまらないから、自動販売機を探そう。
だだっぴろい校庭を横切り、体育館の横に自動販売機があるのを発見した。
グラウンドからは野球部の叫び声が聞こえ、体育館からは剣道部の竹刀の触れ合う音が聞こえる。
皆上を目指して大きな声を出し、走り回り、一生懸命になってる。これが青春を示す音なんだな、私には無い青春の音だ。
自動販売機でお茶を買い、ベンチに腰掛ける。
隣のベンチには女子高生が一人、暑い暑いと文句を言いながらだらっとしている。
「暑いねぇ」
私はその女子高生に話しかけた。
「めちゃ暑いよねぇ。何もやる気しないし」
「あなたは何部?」
「サッカー部のマネージャー。暑くてたってらんなくて。あなたは?制服でも体操服でもないって事は外部の子?」
「そう。あっこの図書室でバイトやってんの」
「へー、そうなんだ。誰も人いないでしょ?」
「うん。校長先生とおばあちゃんがもう一人いるだけ」
そういえばまだ名前聞いてなかったな。早くきっかけ見つけて聞かなきゃ。
「うちの校長先生ね、結構すごい人なんだよ」
「え、どういうこと?」
「昔女流作家だったんだって。かなり有名らしいよ。私は本なんて無縁だから知らないんだけどね」
「へぇ、そうなんだ」
「『星霜』って小説、知ってる?」
私も本は読まない。だけどこの小説は知ってた。おばあちゃんがしきりにすすめてきたから。
確か内容は良くあるような若い二人の恋物語。だけどこれは悲恋に終わる。最後に二人は心中しちゃうやつ。
こういうエンディングはあんまり好きくない。もっと楽しい話じゃないと。
おばあちゃんにそう感想を話したら、「あなたはまだ子供だからね」と言われてちょっとむかっとした。
確か作者を知ってるっておばあちゃん、言ってたっけ。
って事は校長先生とおばあちゃんは知り合いって事?
「でね、この校長。もっとびっくりする過去があるの。あのね・・・」
「ちょっと待って!」
はっとしてふと腕時計を見ると、仕事場を抜けてから30分も経っていた。
まだクビにはなりたくなかったから猛ダッシュで図書室に戻った。
こんなに汗だくになったのは久しぶりだ。
あの女子高生は何を言おうとしてたんだろう。
2.
毎日のようにこうやって二人でお茶を飲んでいる。
目の前の人は一度たりともこっちを見ない、見ようともしない。
だけどもそこに不満なんてものはこれっぽっちもない。これは懺悔だから。
十年前にこの人がここに来たのは心臓が飛び出るほど驚いた。そしてそこには縁を感じた。
それは亡くなった主人に対してさえもなかったものだった。
十年もの間、こうして毎日お茶を一緒に飲んでいる。
それでこれまでの空白が埋まるなんて思わない。今の現状で十分に満足している。
こうして目の前にこの人がいるだけで。
もう決心はついた。十年は長いようであり、短くもある。
約束を果たす時がきたと思う。あの時裏切ってしまった約束を果たす時が。
もうお茶はいらない。お腹がタプタプする。今の年齢にはこたえる。
「ごちそうさま」
いつもこの言葉だけは言ってくれる。そして仕事場へ戻るその後姿を見る。
十年も続けてるこの光景。さぁ、一歩を踏み出そう。
3.
「おはようございまーす」
何とか無事1週間は乗り切った。
結局初日に30分も職場を離れてしまっていた事に関しては、何のお咎めもなかった。
戻ってみると校長先生の姿はなく、「先輩」はただ笑っていただけだった。
重たい本にも少しずつ慣れ、腕を見ると少し筋肉が。今までいかにさぼってたかってのが良く分かる。
「まだ来てないみたい」
私は私の仕事をする。積み上げられた本を、国別に分けて整理していく。
「ヴェルヌかウェルズはないのかな」
あまり本は読まないけど、SFだけは結構好き。今となっては当たり前のような事を、予言のように小説として昔の人は書いてる。
この人達が今の時代を見たらどう思うんだろうって考えると楽しい。
「これは・・・フランス文学か。参ったなぁ。本の海だよこりゃぁ」
脚立に乗って棚の上段に本を入れる。上から周りを見渡すと、校長先生の姿が見えた。確かあの辺は、日本文学が置いてあるあたり。
「何してるんだろ」
校長先生は一冊の本をじっと読んでいるようだった。一冊の本というよりも1つのページを眺めている感じだ。
ペラペラとページをめくる雰囲気はない。声をかけれる雰囲気でもなく、その光景をただ見つめるしかなかった。
数分後、パタリと本を閉じ、校長先生は去っていった。何をしていたかは分からない。
「おはよう」
そうこうしているいちに、「先輩」が来た。
「あ、おはようございます」
「ごめんなさいね、遅れちゃって」
「いえいえ」
こういったのんびりとした空気は、私に合ってるのかもしれない。
だからこそ1週間経ってうまくやっていけてる。
仕事をせかされたりノルマを課せられたりすると、途端にやる気をなくしそう。
このバイトは、本当にあたりだと思う。
「すいません、これはどこですか?」
「あ、それはあっちの方ね」
このおばあちゃん「先輩」は何でも聞ける人だからすごいやり易いし。
何を聞いてもニコニコして優しく答えてくれる。
アメリカの小説を持って整理して、次はイギリスのSF小説。
イギリスがどこかまた分からなくなっちゃったからまた「先輩」に聞こうと思ったら、そこには「先輩」はもういなかった。
「あれ、どこいっちゃったんだろ」
両手に本をたくさん抱えたままでその辺をうろうろすると、少し離れたところに「先輩」はいた。
そこは先ほど校長先生が立ち止まっていた、日本文学が分別されている辺りだった。
その「先輩」もある本を手に取り、読むというよりは1つのページをじっと見つめているようだった。
数分後、「先輩」はパタンと本を閉じ、静かにその場を去っていった。
校長先生と「先輩」、二人が見ていたあたりが気になり、脚立から降りて日本文学が分類されている所を調べた。
「ん?」
一冊だけ、ピョコンと飛び出してある本があることに気づいた。
その本を棚から取り出し、表紙を見てみる。
「これ、『星霜』の初版じゃないの。古本屋行ったら高く売れるんだろうな」
適当にペラペラとめくっていると、とあるページが目を引いた。そこには花の絵が書かれた栞が挟まっていた。
「ん?何だろう、この赤丸。8月14日の所に丸がしてある。8月14日といえば丁度1週間後、来週の日曜日か」
その時は特に気にならず、そのまま本を戻した。
もしもこの時にストーリーをきっちりと思い出していたら、違う結末があったのかもしれない。
結果的には、私なんかがどうこう出来るようなものではなかった。
次の日曜日、つまり8月14日を迎えても、その時の事を私はすっかり忘れてしまっていた。
聞きそびれてしまっていた「先輩」の名前も、もういいやって思い始めていた。
完全に慣れきってしまっていた私は、静かでのんびりとしたその空間を楽しむようになっていた。
あまり興味の無い本にも手を出し、「先輩」や校長先生がいない所でこっそり読むようになっていた。
二人はそんな私の様子を知っていたらしいけど、黙って見過ごしていてくれた。
若い私が本に興味を持ってくれた事が嬉しかったのかもしれない。
カチャ
「あっ」
「田中さん、ご苦労様。お茶にしませんか?」
校長先生がいつもと同じ時間にやって来て、お茶に誘ってくれた。
「先輩」は相変わらず黙々と作業をしていたけど、その手を止めて先にテーブルの方へ向かった。
校長先生はいつもと変わらないやわらかい笑顔を見せてくれたけど、いつもよりほんの少しだけ違って見えた。
少し化粧をしているようだった。化粧をする校長先生を見るのはは初めてだった。
「ありがとうございます。だけど、私は外の空気を吸ってる方がいいので」
「そう?」
校長先生はお茶のセットが乗った盆を手に、テーブルの方へ向かっていった。
「先輩」は窓の外を見つめていた。
休憩時間のお茶は、断るようにしている。
何だか分からないけど、それは二人だけの時間のような気がして、私が入ると邪魔になるような気がして。
きっと校長先生は否定するんだろうけど、ちょっと入りづらい。あまり二人に会話は無いようだし。
外に出て自動販売機まで行き、遅れ過ぎないように図書室の近くで休憩を取る。これはあの時から反省して行っている事だ。
そういえば、あのサッカー部のマネージャーは真面目に行ってるだろうか。かなりひ弱そうに見えたからちゃんと行ってないっぽい。
目の前に大きな木が見える所で腰を下ろす。目を閉じると、耳障りなセミの声が際立って聞こえる。
微かに吹く風が、目の前の木々の葉を揺らす。
暑苦しいのは変わらないのに、このまま寝てしまいそうだ。
「今日は8月14日ですね」
頭の上から校長先生の声が聞こえた。そうか、ここはあのテーブルのある窓の下だったんだ。
何か盗み聞きしてるようで嫌だけど、聞こえてくるものはしょうがないよね。この二人には色々と謎が多いし。
「まだ許してもらえないかしら」
校長先生の言葉が続く。一体何の事だろう。許すとか許さないとか。
「先輩」の声は聞こえない。ずっと黙っているみたいだ。
「あの頃は若かったわ。自分というものを押さえ切れなかった。特にあなたに会ってからは。何に対してもずっと消極的だった私は、
あなたに会って変われたの。歌を歌う事、ダンスを踊る事、そして恋愛も。何をやっても楽しかった。」
「そしてあなたは結婚した」
やはり二人は昔からの知り合いだったのか。
「あなたは娘が解散してから、フットサルのチームから声が掛かった。あなたはそれから全日本のメンバーにもなった。
すごい楽しそうにやっていたのを私はずっとTVで見てた。あれからの私は自分を見失ってた。あなたにも声をかけれなくなった」
「そんな時、あなたはあのご主人と結婚された」
「精神的に参っていたせいかしら。主人は優しい言葉を色々かけてくれた。本当に優しかった。だからそのまま結婚を受け入れたの」
へぇ、二人にそんな過去があったんだ。分からないもんだなぁ、人間の関係って。
「先輩」もものすごい有名人って事?
「私に黙って、主人が『星霜』を本にしてしまった時は、本当に驚いたわ。『星霜』はあなたに頂いた原稿だって言ったの。そして、あなたの事も」
「・・・」
えっ!じゃぁ『星霜』を書いたのは「先輩」って事!?
「主人は私を許してくれた。でも、あなたの名前は出せないって言った。
学校の体裁、そしてあなたの名前が売れていたというのが、気に入らなかったんでしょうね」
「すごい昔の話・・・」
「先輩」はお茶をすすった。
「実は私、医者に言われたの。もって後半年。癌だって」
「癌!?」
半年!校長先生の命が後半年だって!?
「あなたはここに来て十年。一度もあの頃のように、私に心を開いてはくれなかった」
「・・・私は、十年間ずっと君の傍にいたよ。君が戻ってくるのを待ってた。君を忘れた事は一度も無かった。
だからここに来たんだ。十年もの間、ここで君を見てたんだ」
「本当に?ありがとう、よっすぃ」
「ははは、よっすぃ・・・人にそう呼ばれるの、何十年振りかな。本当に君を待ってたよ、梨華ちゃん」
「もう、よして、梨華ちゃんなんて年じゃないんだから」
よっすぃ、梨華ちゃん。どっかで聞いた事がある。
そうか!あの二人、おばあちゃんと昔・・・だから校長先生もよっすぃ「先輩」も私の事知ってたんだ。
おばあちゃんが安心してこのバイトをすすめてきたのは、こういう事だったんだ。
知り合いの所だから、私みたいな世間知らずでも安心して預けれるって思ったんだ。
おばあちゃん、言ってた。青春時代にやってたアイドルグループの中で、本当に仲のいい人達がいたって。
校長先生と「先輩」もその中の二人なんだ。
おばあちゃんにもいたって言ってた。
私の名前を決める時、そのすごい仲の良かった人に相談したって。で、二人の名前を合わせてつけたって。
ママは勝手なことしないでください、って怒ったっていうのも聞いた。
「梨華ちゃん、あの時の約束、覚えてる?」
「勿論覚えてるわ。あなたが言ってくれた、『一緒に生きていこう』って言葉」
オールド・タイマー
運命って、こういう事をいうのかなぁ。
でっかい木にもたれかかって、ふうと息を吐いた。何だかすごい優しい気持ちに今なってる。
木から伝わる熱が、心地良く体を通り抜ける。
「あれ、待てよ。確か8月14日って・・・!」
急いで頭の中の記憶を手繰り寄せる。確か、確か・・・
「8月14日は、『星霜』の主人公の二人が心中する日だ!」
ばっと立ち上がり、窓から中を見ていつものようにテーブルでお茶をしているはずの二人の姿を確かめる。
「校長先生!よっすぃ先輩!」
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ーーーーー
学校から家までの道のりはそんなには遠くは無いけれど、いつもバスに乗っていた。
歩くエネルギーを持っていない、日に焼けるのが嫌、クーラーが効いてないと生きていけない。理由はそんな所。
バスから見ていた風景は、ここら辺りでは珍しい静かで田舎なものから、徐々に私がいつも生きている世界、2055年現在のものに変わる。
バスで帰るのを止め、今歩きながら見ている風景は、いつもとは違う。
もし私がもう少し『星霜』を早く思い出していたら、結果は変わっただろうか。
私があの二人の名前を呼んだ時、二人が飲んだカップの横には薬方紙があった。
『星霜』の主人公達は、最後に立ち寄った旅館で二人で毒を飲んだ。
私が叫んで窓の中を見た時、すでに二人はテーブルに突っ伏していた。互いの両方の手は、しっかりと握られていた。
あの時の約束を果たそうって言ってた。だからこれから二人は一緒に・・・
私が二人に出来る事なんて、これっぽちもない。ただ、二人の邪魔をしないだけ。きっとそれだけ。
だから、救急車も警察も呼ばなかった。出来るだけ長い間、二人の時間を作ってあげたかった。
歩いて帰っているのを、少し後悔している。バスだったらあっという間だから、歩いても大丈夫だろうと思ったのが間違いだ。
これからは少しづつ運動しようと思う。クラブ活動をしようとは思わないけど。
家まで3分の1ぐらいの所まで来た時、ポケットに入れてた携帯電話が震えた。
相手を見ると、おばあちゃんだった。
「もしもし、れいなおばあちゃん?」
「絵里奈、やっと出たね。早く帰っておいで、今日はアンタの誕生日なんだから。ちゃんと覚えていたと?」
あ、そうか。今日は誕生日か、すっかり忘れてた。おばあちゃんには悪いけど、さすがに誕生日を祝ってもらう気分にはなれないや。
「うん、今帰ってるから。あ、そういえばおばあちゃんが何で反対しなかったか、今日分かったよ」
「ん、何の事?」
「ううん、何でもない」
「ちゃんと二人には挨拶してきたと?あの二人はなにせおばあちゃんの・・・」
「分かってるよ、ちゃんとしてきたから」
「絵里も来てるから。アンタを祝いたいってうるさいから、早く帰ってきなさい」
「はい」
携帯の電話を切った。私の名前の生みの親でもある絵里おばあちゃんも来るって言ってた。
でも、今日はやっぱり。
帰るまでここはまだ3分の1。景色はまだ2055年に戻ってはいない。
今日は何時になってもいい。歩いて帰ろう。
多分、暫くバイトはしない。そんな予感がする。