1.

4年という歳月は確かに長い。
だけど、目的がはっきりしていた分しんどさとかはなかった。
ただそれを継続出来るかどうかの不安はあった。

私が変わったのは高校2年生の時だった。
どっちかと言えば冷静に人を観察する方だし、二人で話をしていても自分を
第3者の立場に置いてあまり踏み込まないようにしていた。
もしかすると、自分の核の部分に触れられるのが少し恐いのかもしれない。
全てを傍観するような人間だったのに、無意識のうちに変わっていた。
特にこれといったきっかけがある訳でもないのに。

機会があればその姿を目に追い、何度も話し掛けていた。
まぁまぁ成績が良かった事、ビジュアル的な事(恐らく眼鏡をかけていたというだけ)
からクラスの委員長に選ばれ、他の生徒達より雑務を頼まれる。
そういう些細なきっかけを利用し、その担任の先生と触れ合う機会を得ていた。
役得というやつだ。

「めぐちゃん、ごめん」
「何が?」

ある日、友人の柴ちゃんに屋上に呼び出された。
何度も何度も頭を下げて謝っている。
その度に揺れるポニーテールのループする上下運動を見ていると、少し頭がぼんやりしてきた。

「実は組織票なんだ」
「は?」

うさんくさいおじさん達が出てきそうな言葉。

「その・・・めぐちゃんならめんどくさい委員長もうまくやってくれるだろうって誰かが・・・」
「え?そうなの?」
「ごめん!ほんとにごめん!」

いや、寧ろ感謝している。
その事によって私は変わったのだから。
しかも自分でもわかるぐらいいい方向に。
だから感謝こそすれ、謝られる筋合いは実はこれっぽっちも無い訳で。
何度も頭を下げる友人を見ていると、何故だかこっちが悪い事をしているようにも思えた。

「ありがとう」

柴ちゃんの肩をぽんと叩いた。柴ちゃんはきょとんとした顔をしていたけど説明するのも面倒だったので、
それだけ言って屋上から去った。

その日の放課後、委員長である私は担任の先生に呼び止められ、仕事を与えられた。
修学旅行のしおりを作成するために残され、その作業は先生と二人でやる事になった。
他の子達はあの独特の言い回し、少しきつく聞こえる関西弁に怖がっている所もあった。
私自身もそう感じていた。だけど、実際その言葉の中に悪意が無い事に気付いた。
決して人を傷つけるような言葉は言わなかったから。

すっかり寒くなった教室、二人でせっせとしおりを作り続けていた。
たまに口を開くと先生は、こんな時間まで残してしまって申し訳ないとか、終わったら
ちゃんと家まで送り届けるからとか、ずっと謝っていた。

「いえいえ、全然大丈夫ですよ」

私は心の中で、密かにガッツポーズをしていた。

2.

高校生になって3回目の夏、いよいよ受験というものと対峙しなくてはならない時になっていた。
まだ自分から勉強をしようという姿勢にはなっていない。
そんな状況の中、自分の力でこじ開けようという積極性は持ち合せてはいない。
どこかで偶然の産物を期待している。が、そんなメルヘンな世界はそうそうない。
この頃から具体的な目標が出来始めた。

『まずは先生と同じ土俵に立とう』

それから受験勉強への意識が変わった。
はっきりとした目標があると、それに向かって努力できる。
ひたすら机に向かった。色々な誘惑を全てシャットダウンした。
TVも見ない。音楽も聴かない。教科書と参考書だけを見る、シャーペンを走らせる。

『先生に認めてもらえるような、ちゃんと自分を見てもらえるような教師になりたい』

日本の大学は、入りにくいが出やすいと聞いた事がある。
今までに無い程の努力をし、国公立の教育学部に合格した。
自分の番号を見た時は確かに嬉しかったし感動もしたけれど、いつもの第3者の自分が出てきて
それを冷静に見ていた。これからが大変なんだよと言われた気がした。

卒業式の間、感慨深いものは特に無かった。それはやはり先の事を意識していたからだと思う。
周りの子達は時折鼻をすすって泣いている。友人のあ柴ちゃんも例外ではなかった。
この時気付いた事だけど、彼女は何に対しても正直だと思った。
悲しいと思ったから今泣いている。
あの時もそうだ。私を騙したのが嫌だったからわざわざ謝りにきてくれた。
ナチュラルに色々なものを吸収し、それを感情で表現している。私には出来ない事だ。
式が終わったら一緒に写真を撮ろう。携帯のカメラじゃなくてデジカメで。

「めぐちゃん、こっちこっち」

柴ちゃんを含めた4人で、校門の前で写真を撮る事にした。
よく一緒にいたグループ4人組で。
柴ちゃんは料理の専門学校。マサオは地元の私立大学。ボスは・・・ダンサーになるんだって。

「はいちーず」

写真はまた後日送ってもらう事にした。

「めぐちゃん、今からカラオケでもいこうよ」
「ごめん、先行ってて。ちょっと寄る所があるからさ」
「絶対きなさいよねー」

私は職員室に向かってダッシュした。
3年になってからは先生の姿はほとんど見ないようにしていた。
偶然目にする事はあっても、直視する事は出来なかった。そうならないように努力もしていた。
自分が一人前になるまでは見る事も話す事も駄目なような気がして。
でも、どうしても今日は会って一言言っておきたかった。今日だけは許されるだろうと
自分だけが納得できる理由づけをしておいた。

すっかり人気もなくなってきた廊下を走り抜け、職員室の前で立ち止まった。
ゼエゼエと切れる息を整えるために、深く深呼吸する。

「あ」

そういえば、これから何をするのか全く考えていなかった。
一体私は先生に何を言いたいんだろう。何をして欲しいんだろう。結局何も浮かばない。

「ま、たまには」

理性や計算を捨てて、思った通りに行動するのもいいかもしれない。
ゆっくりと職員室の扉を開けた。
中は閑散としていて、先生達も卒業生達と何処かへ行ったようだった。
ただ一人、となりのクラスの担任だけが、ポツンと自分の机に座って何かを書いているようだった。
この先生だけ生徒から人気が無いのか、なんてくだらない予想を立てる。
その先生は静寂を破ったドアの音に驚いて、ビクッとしてからこっちを見た。

「ん?何か用か?」

私は一応中を見渡して、目的の人がいない事を確認してから聞いた。

「あの、中澤先生は?」
「んー、ここにはいないな。どっかにいるんじゃないか?」

当たり前だろう。そんな事を聞いているんじゃないんだ。使えない人だ。

「そうですか。ありがとうございました」

とりあえず礼を言ってドアを閉めた。心当たりはない。
そういえば、職員室に座っているイメージもあまり無い。
先生はいつもどこで何をしていたんだろう。
他の生徒達とどこか遊びに行ってしまったかもしれない。
私が言うと客観的じゃないかもしれないけど、中澤先生は男女問わず結構人気あるから。

ふと思い出した。一緒に修学旅行のしおりを作っていた時、あの後仕事が終わって
先生にコーヒーをご馳走になった。確かあの時も謝ってたな、ずっとスマンスマンって言ってた。

「屋上」

根拠としては薄いし、学校にいる可能性もたいしてない。
だけど今はそこしか思いつかない。
屋上に向かって走った。今日はずっと走ってる気がする。
息が切れて鼓動が早くなっているのか、もっと他の理由なのか。
そろそろ何を言おうかまとめとかないと。こういうのは得意なはずだ。

勢いあまって思い切り屋上のドアを開けてしまった。

「中澤先生・・・」

屋上は春の光を浴び、微かに花の匂いがした。
ここは都会のど真ん中。周りは高層ビルばかり立ち並んでいる。
奥の方に見える自然の海は、ここから見る分には綺麗に光っているが、明らかにここからの景色に溶け込んではいない。

『こっから見えるもんて、四角いのばっかりやろ。何となくかっこええ思て好きなんや』

コーヒー片手に呟いていた先生の横顔にドキリとしていた。
まともに先生を見たのはあれが最後になっていた。
手すりにもたれかかってそのとき先生の視線の先にあったものを見てみた。
そのよさもかっこよさも正直よく分からない。

「先生との口実のために教師目指してます、って言ったら怒られるかな」

何だか今になってやっと、卒業するんだって自覚してきた。
カラオケの約束忘れてたから、柴ちゃんからお叱りの電話を頂いた。
「すぐ行くから」って言っておいた。

明日から一人暮らしの準備しよう。

3.

4年という歳月は確かに長い。

大学ではひたすら勉強していた。
1度決めた事は絶対に途中で止めない、ましてやめる理由も無い。
二十歳過ぎたら視力は悪くならないってどっかで聞いた事があったけど、この間に2回も眼鏡を変えた。
すっかりパソコンのお世話になっていたからだと思う。
赤い縁の眼鏡もすっかり板についてきた。
どんなに度が進んでも、今は牛乳ビンの蓋みたいなレンズにはならない。
柴ちゃんとはたまに会っていた。
マサオは普通に女子大生やっていて、ボスは・・・色々な所を転々としながらダンスの勉強をしているらしい。

「まぁ、野性的だからどこでも生きていけるよね」

そんな事をぽろっと漏らすと、柴ちゃんは大爆笑をしていた。

4年間全く気持ちが変わらずいれたのは、はっきり言って奇跡に近いのかもしれない。
それは卒業式の日に会えなかったのがよかったのかもって思ってる。
あんなんじゃ終われない。
何も伝えてないまま終わらせるなんて、私の性分に会わない。
必ず教員免許を取ってあの学校に帰る、という目的を果たす。

マサオのような普通の女子大生がするような事を全て絶った。
はなからそっちのベクトルには興味は無かったけど。
単位を落とすなんて事はしなかったし、学年でずっとトップクラスを維持してきた。
そうやってきた事は無駄じゃなかった。
希望していた学校への就職を決めれたのは、我ながら当然だと自負している。

大学と高校、同時に卒業したような気分だった。
多分あの時、きっちり卒業してなかったんだと思う。
ちゃんと卒業してたんならここまでやってこれなかっただろうし。
もしあの時先生に会っていて、何かを伝えていたとしたら、おそらく今の自分はない。
だからあの屋上で会えなかったのは運命だったんだと思う。
そういうのを全部乗り切ってきたから、やっとここまでこぎりつけて新米教師としてあの学校に訪れた時、
先生がいない事なんて考えた事もない。
いなかったとしても、どこまでいっても探してやる、それぐらいの気持ちはあった。

「めぐちゃん、卒業おめでとう」
「ありがと、柴ちゃん。わざわざこんな所まで来てもらっちゃって悪いねぇ」
「いえいえどういたしまして。それにしても、めぐちゃんさぁ」
「何?」
「すっごい晴れ晴れとした顔してるよね。憑き物が全部落ちたみたいな」
「そう?まぁ大学も無事卒業できたし、新しい生活が待ってるしね」
「私達の高校に行くんだよね。イメージ通りだよなぁ。めぐちゃんが先生ってさ」
「えっへん。たまには遊びに来てよね」

今回の卒業式の写真は、柴ちゃんとのツーショットになった。
マサオは忙しくて来れなかったという連絡をもらった。
ボスは行方不明だった。

私はまた地元へ戻る事になった。
4年という歳月を費やして漸く権利を得た気がする。
堂々と中澤先生と向き合う権利を。
物凄く遠回りかもしれないけど、自分で納得してやってきた事だから後悔なんてしない。
その後どんな風になっても構わない。勿論、理想はあるけども。
一人暮らししていたものを全て引き払って実家に戻る時、これまでにない充実感に溢れていた。
次見る桜は、懐かしい場所で。

4.

高校生と呼ぶにはまだ幼さが残る新入生達と一緒に、新鮮な気持ちで懐かしい校門をくぐった。
働くにあたって何度か訪れた事はあったけど、とても清清しい気分だ。
その何回かの訪問では、中澤先生の姿を見る事は出来なかった。
見慣れた校舎を歩いていると、ついつい学生の教室のある階へ上がろうとしていた。
職員室は一階だ。何人かの生徒に、不思議な顔をされた。
もう一度気合を入れなおし、職員室へ向かった。
ゆっくりと職員室のドアを開けると、中の先生方が皆一斉にこっちを見た。
急激に緊張感が増した。中に誰がいるか確認するなんて余裕は無くなってしまった。
かなりの数の先生方が揃っていた。

「あ、村田先生、おはようございます」
「お、おはようございます!すいません!遅れました!」

先生と呼ばれるのに、違和感を感じる。
あまりに数が揃っているので、かなり早く来たつもりだったが遅刻してしまったのかと思った。

「はっはっは!全然遅れてませんよ。うちの先生達は皆来るのが早いだけです」

そうだったのかぁ。
落ち着いて今会話していた人を見ると、校長先生だった。
恰幅が良くていかにもって感じの、私が高校生の時から変わっていない人だ。
校長先生は私に教室へ入るように促した。

「今日から赴任される事になった村田めぐみ先生です。じゃぁ、自己紹介してくれる?」
「あ、はい。村田めぐみです。これからよろしくお願いします」

単純明快な自己紹介をすると、パチパチという拍手が鳴った。

「いやー、若い女の先生はいいですなぁ」
「そういうセクハラ発言はいただけませんよ」

さっそくセクハラ発言をしてきた奴は、私の卒業式の時にここで一人ポツンといた体育教師だ。
あいも変わらずいけ好かない奴だ、だから生徒に人気がないんだろ。
校長先生が鋭い目つきでけん制してくれたのは救いだった。
すぐに肩をすくめた所を見ると、権力には弱い奴だと分かる。
このやりとりで幾分落ち着きを取り戻し、職員室全体を見渡すと全員が立ち上がってこっちを見ている。
ただ一人、自分の机に向かったまま手を叩いている、かなり場違いな真っ赤なスーツ人以外は。
一通りの挨拶や説明が終わって、校長先生に私の席を促された。

「あそこの机を使ってください」
その指差された机は、真っ赤なスーツの人の隣だった。

「はい、分かりました」
「何か分からなかったら中澤先生にでも聞いて下さい」
「ありがとうございます」

はっきりと校長先生は『中澤先生』と言った。
高鳴る胸を抑えて、ゆっくりと自分の机の方に向かった。
徐々にその真っ赤なスーツに近づいている。
あの時、探しても見つける事の出来なかったその姿が今目の前にある。
眼鏡のレンズが少し汚れている事に今さら気付いた。
ちゃんと磨いてきたつもりだったのに。もう足は止められない。

赤いスーツ姿の横まで辿り着いた。
大きな山でも登りきったような気分だ。
一度深呼吸をして言葉を捜した。

「あ、あの・・・」
うまく言葉に出来ない。今日初めてこっちを見てくれた。そして何年かぶりに。
中澤先生は相変わらずのブルーの瞳で、私の言葉を待ってくれている。
その姿はあの時のまま、いやそれ以上に綺麗だった。

「む、村田めぐみです、よろしくお願いします」

それを言うのが精一杯だった。
中澤先生はにっこり微笑んで、私の肩をポンと叩いた。

さぁ、これからだ。自分の事も、そして中澤先生との事も。