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「絶対性」

動くものを自分の「外」に動かないものを「中」にという精神が働くように思われます。絶対的なものは鏡に自分を写す精神行為だと思われます。点でとらえるときも「外」だから動くものの中に入るでしょう。


「見るということ」

 道具としての機械は大変発達して初期の時計の段階でもう時は刻々と正確に刻むような感覚は当たり前になっています。ここでは精神において行われる知覚(特に見る行為)を問題にしました。例えば数字の3を認識するときに人間が見れるような光が数字の3にあたり目という感覚器官で知覚しそれに脳の経験を照らし合わせて「3」を理解します。これが算数の解答を書く場合「タイムラグ」が生じ脳の記憶の方の「3」と書かれた数字の「3」ふたつが生じるわけです。

「掲示板から抜粋」

 焦点を合わす行為は物からの光を目という感覚でとらえるわけで「物」→「人」という精神の流れがあります。でも一般には目で物を見るという言葉を使うように「人」→「物」という流れを表した言葉です。精神のありかたからいうと「物」と「人」同時に認識しあう「反射」現象になります。
 
 距離があるから見えているとしたらアインシュタインによると離れた場所にある2つの時計は同じ時刻をさしてても証明できないということになるそうです。ミクロが見えている世界では写真として一瞬を顕微鏡などで撮って研究します。でももっと小さくなると写真の画面上でタイムラグが生じるかもしれません。その錯覚的な物が時間ではないかというのが僕の仮説です。
 空間的にはいつも止まっているのに知覚によって動いている。精神は空間にとどまらないというのも僕の仮説です。

(スペシャルサンクスdelompaさん)


「排他的な認知による時間=言葉」(有理学)

 赤ちゃんの頃はなぜしゃべれないのだろう。そう考えると普通は言葉を知らないからという結論が出る。時間の流れがあってその流れにそって認識されるのだろうか?しかし言葉は排他的である。なぜなら音は音として映像は映像としてにおいはにおいとして言葉で書き表せるが音+映像を同時に単語として表せないからだ。赤ちゃんは言葉を知らないつまり分けて考えない。そして親の語りかけによって言葉を覚え時間などを認識することになる。物理学はその認識をよりどころとして成り立っているわけだからだだ時間が不可逆的だという普通の人が感じるようなことでも人間の認識上はとことわらなければならない。宇宙が膨張しているとか空間に対する矛盾が出てきてる以上は時間の不可逆性も証明できるものではない。時間は止まっているが認知のずれによって流れていると感じるのではないだろうか。物質が存在として存在するから空間が生まれその認知によって時間が規定されているのではないだろうか。当然時計を見て時間を確認する時にもタイムラグが生じる。人間の認識が細かいことをみたら確認できるだろうか。


「非対象の人間と時間」

 人間には感覚器がある。物理学で使っている数字などの尺度は前提としがちだが本当なのだろうか。時間も不可逆にながれているように感じるのは本当だろうか。感覚器は視覚にたよることが多いし物理学でも基準となっているので視覚について疑問を投げかけたい。
 時空という概念から考えを始めてみよう。まず動くと時間が流れる。時間が流れていると普通は感じるがまったく何もないところから誰も見てない場合は時間が証明できない。動くことが時間と考えるのが視覚にたよった人間の概念で証明できないが少なくとも人間としての科学だと思う。この点において人間というのは非対象である。このあたりが科学の限界に今なっている。
 対象的な視覚といえばもう限界だが「反射」というのは唯一客観的に思う。これはパソコンが人間を簡単にしたものと考えればたとえになるだろうか。「反射」とは人間が物を見れるということはあると認識する過程は人間側から見たのでもなく物から出るものでもなく光を知覚するという根本的なものだからだ。
 DNA構造から人間は物を必ずしも順番に思い出さない。夢などは脳がつくりだしたもの正に「非対象」なものだ。だから物理学でいう対象的なものは疑う余地もある。
 言葉は人間の把握の構造からして心のものだ。赤ちゃんから記憶したものを言葉に変えて発するものだ。見ている方は逆に外界というよりも神経伝達構造やDNAの再生である。人間の一生は長くコンピューターのように全部調べつくしていくことはとても無理。
 物を使って測る人間の英知は便利でいてまさに物理学という感じだが「反射」の方が本当に客観的だと思う。そうするとまた時間が別に存在して人間は非対象だから触れることの出来ないまた別の存在になる。石を積み上げるように時間に人間の感覚器を介し認識する。見ているようで実は見てない見れない時間だということだ。



ほーむへ