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荒砥城の歴史
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1524年頃、村上氏家臣の山田氏によって築かれたのが始まり。1553年に村上氏が滅亡するまでは村上対武田の最前線、村上氏滅亡後(越後長尾氏へ亡命後)は長尾対武田の最前線の城として幾度となく争奪戦が繰り広げられた。
しかし、前線がより北の川中島方面になると、武田氏配下の屋代氏の支配城として安定した。
1582年に武田氏が滅亡すると、上杉氏が荒砥城を含む北信地域を支配。海津城を中心に支配を行い、荒砥城は輪番制の城番を置いた。
1584年、徳川家康がこの北信地域に謀略の手を伸ばし、それに呼応した海津城副将の屋代秀正が謀反。海津城を出て、荒砥城に籠城した!しかし上杉景勝の動きは速く、荒砥城はあっという間に落城。その後荒砥城は破却された。
1995年に城郭整備がなされ、その整備具合は2007年には大河ドラマ「風林火山」の撮影が行われた程である。
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荒砥城所在地
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長野県千曲市大字上山田
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荒砥城石碑。料金所近くにある。
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三の郭〜二の郭間に残された、築城当初からの物と思われる石垣。通路下にこっそり隠れている。
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そして、二の郭からは本格的に戦国の山城が復元整備されています!
まずは簡易な櫓門が出迎えてくれます。
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本郭に復元されている、兵舎(手前)と城主の館(奥)。織豊時代の豪壮な城郭以前の姿の現実を知ることができる。
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本郭、櫓門(右側)から郭内に至る、細い通路。これは横矢掛の性質の本領発揮といったところだろう。
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本郭櫓門上から見た、二の郭と城下の光景。ちなみに、手前の山には、村上氏の本城・葛尾城(と、姫城)がある。
(2008.6.15)
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荒砥城へのアクセス
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・しなの鉄道戸倉駅から、千曲市循環バス大循環線(ちくま)東回り屋代駅行き及び上山田線(ほっとバス・信州観光バス)上山田温泉方面方面行きバス(ただし漆原経由便除く)で「城山入口」下車。西へ徒歩20分。 |
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荒砥城について
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財団法人千曲市文化振興事業団/城山史跡公園
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