研究概要

【研究の背景】


 日本人の形成史を問う研究は遠く江戸時代まで遡る長い歴史を持つが、それはまた大陸やその周辺域からの渡来人に関する議論の歴史ともほぼ重なっている。日本のような島国に住む人々の生い立ちを問おうとするなら、議論はおのずとその島国にいつ、どこから、どのような人々が渡来したのか、という問いかけに繋がることは自明であろう。しかし、これまでの長年にわたる取り組みにも関わらず、日本列島と大陸との人の交流についてはまだまだ未解明の部分が多い。

 殆ど資料の無い更新世人類はもとより、その子孫と見なされている縄文人についても、近年の列島周辺域の調査によって当時の東アジアにおける彼らの形質・文化両面にわたる特異性が浮き彫りにされ、その由来にまつわる謎が改めて研究者の関心を集めている。

 とりわけ、これまでの南アジア起源説(例えば埴原和郎の「二重構造モデル」)に対して、近年の遺伝学的な分析結果は大陸の北方起源を強く示唆しており、そうした従来の考えに再検討を迫っている。また北海道における古人骨研究や遺伝子分析によって、縄文時代以後の新たな遺伝子の流入を示唆する研究結果も寄せられ、大陸北方と日本列島の人的交流の実体解明が大きな課題になりつつある。

 その解決にはロシア東部や中国東北地区で出土した既存の古人骨調査に加えて、近年の新手法である遺伝子分析や食性分析などを活用するためにも、沿海州一帯で新たな資料を発掘、発見し、その充実を図ることが肝要であろう。

 列島南端の琉球列島もまた一つの流入路として日本人の形成に重要な役割を果たしたと推測されるが、その実態にもやはりまだ謎が多い。沖縄では港川からわが国で唯一とも言うべき更新世人類の化石が発見され、日本列島の古層集団の由来に関する考察の貴重な拠り所となっているが、その一方で、港川人以後の約1万年に及ぶ遺跡の空白期があることも指摘され、この地域の更新世末から完新世に至る人類史については殆ど白紙のままである。

 また、さらに南に点在する先島諸島では、中世のグスク時代以前の古人骨が皆無という状況が今も続いている。この先島諸島はアジア南部と沖縄を結ぶ位置にあり、その先史住民の姿を明らかにすることは、琉球列島の人類史、ひいては本土集団の成立過程を理解する上でも重要な課題と言えよう。そして、この先島諸島の延長上にある台湾では、近年、遺伝学や言語学、考古学などの諸分野において広く太平洋各地に分布する人々との関係が取り沙汰されている。その先史住民や土着集団に関する情報の充実は、先島諸島はもとより日本人の、とりわけ縄文人の起源を巡る議論に大きな影響力を持つはずである。

 そして、こうした列島南北における人の交流に加えて、日本人の形成により大きく寄与したと推測されるのが、地理的に最も近接した朝鮮半島や中国沿岸部との交流である。長年の議論の中で、縄文末〜弥生期にかけての渡来人問題は常に最大の争点になってきたが、近年に至ってようやく渡来人の寄与を重視する考えが定着しつつある。しかし、彼らが大陸のどの地域を原郷として、どのようなル−トで渡来したのか、そうした具体的な様相については今なお不明のままである。

 これまで韓国や山東半島、江南地方などで渡来系弥生人に強い類似性を示す集団の存在が明らかにされたが、大陸には未だ未調査区が多く残されており、これらの結果だけで結論を出すのは早計に過ぎるし合理性にも欠ける。そしてまた、人骨から得られた結果とその他の例えば考古学情報がもたらす大陸各地の社会、文化的な動態との関連づけなども殆どなされておらず、異なった分野で各々の主張がいわば相互の検証を経ぬまま繰り返されているのが現状であろう。懸案の解決にはそれら多岐にわたる知見を突き合わせ、整合性を探る統合的な取り組みが求められている。


【当研究の目指すところ】

 こうした研究状況を受けて、以下の国内外の地域、資料を対象として人類学的知見(形態、遺伝子、年代、食性分析)に考古学情報を加味しながら、懸案である縄文人の起源問題と渡来系弥生人の原郷問題の解決に取り組みたいと考える。

1,中国でまだ資料空白域になっている安徽省、浙江省、四川省の新石器時代〜前漢代の古人骨調査、および吉林大学所蔵の主に中国東北部の古人骨の調査、分析を実施し、その結果をこれまでの知見と組み合わせて、弥生時代の日本への渡来に関係した大陸の人と文化の動態を明らかにする。

2,朝鮮半島の縄文・弥生相当期の古人骨(釜山大学、及び東亜大学所蔵人骨)について、日本や朝鮮半島を取り巻く中国各地(主に山東省、江蘇省、遼寧省など)の古人骨群との比較分析によって、弥生期の日本への渡来にこの地域が果たした役割を明らかにする。

3.ロシア沿海州やモンゴル地域の新石器〜鉄器時代遺跡の発掘調査、及び胴地域の各研究機関所蔵人骨の調査によって、大陸北方と日本列島との人の交流、特にシベリア東部集団と縄文人との関係を明らかにする。

4,先島諸島での先史遺跡の発掘調査、及び琉球列島の古人骨の分析を通して、琉球列島の人の成り立ち、ひいてはこの地を介した日本列島とアジア南部との人の交流を明らかにする。

5,台湾の先史人骨、及び土着集団の資料調査によって、改めて港川人や種子島広田弥生人など日本列島人との繋がりを追求する。



【問題解明に向けて】

 日本列島はその北で北海道、樺太を介して大陸北部と、中央部では朝鮮半島を介して華北、華中と、南は琉球列島を介して華南や東南アジアと結びついており、これまでの長い歴史の中で各々時期や内容を違えながら日本人の形成に寄与してきたものと考えられる。

 従って、これらの一部のみを取り上げて日本列島との繋がりを追求しても、その成果の意義がかなり限定されてしまうことは自明であり、縄文人の起源にしろ渡来系弥生人の原郷問題にしろ、広く周辺域を見渡したかたちで可能性のある地域や時代についての検討結果を組み合わせ、各情報の整合性を探りながらその全体像を描くように努める姿勢、視点が肝要であろう。

 また、過去の交流の追求には例えばmtDNA分析が現時点では比較的有効であるが、古人骨からの抽出が困難な場合や、母系遺伝の影響で結果の意味付けが判然としない事例も少なくなく、より明確な結論付けには、種々の形態情報や考古情報による文化的な繋がりなど、多角的な分析結果を統合して考察を進める必要がある。

 さらに骨による食性分析やストレスマ−カ−の分析結果も、各集団の生業を復元して相互の関係を推察したり、形態上の集団差の要因解釈にも有益な情報を提供することが期待される。研究代表者はこれまで15年余にわたって古代中国との人の交流を明らかにすべく取り組んできたが、その結果の意義付けのためにも、他地域や他分野、他手法による研究成果を統合する場を設けて、総合的に議論、考察する必要性を痛感してきた。

 本研究はそうした認識のもと、これまで長年にわたって周辺各地で人骨形態や遺伝子・食性分析、あるいは考古学調査などに精力的に取り組んできた研究者を一堂に会し、各地域で得られた多方面にわたる知見を統合して日本人の形成史、とりわけ縄文人と弥生人の起源解明を主要な目的として取り組むものである。

 本研究によって、まずはこれまで不明確であった縄文人の起源問題に関し、大陸北方の先史人骨と縄文人骨との形態、遺伝子、文化面に及ぶ多方面の比較分析によって、より明確な知見が得られことが期待できる。また、現代日本人の形成により大きなインパクトを与えたとされている弥生人の源郷についても、これまで候補地として上がっていた朝鮮半島や山東半島、あるいは江南地方等のいずれにその源流を求めるべきか、そしていつ頃、どのような社会背景の下、どのルートで渡来が実現されたのか、そうした長年にわたる日本人の起源論争において残された最大の懸案に対するより明確な回答が得られるものと考える。

研究組織図
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