1、生命倫理の誕生
@倫理とは
「人が共にあるときの規則」である。倫理が提起された最初のころは「殺すなかれ」「盗むなかれ」
のように人間のモラルに訴えかけるような“普通の人と人”が共にある場合を考えられて作られた。
しかし、生命倫理や環境倫理は必ずしも通常人同士ではない。これが大きな特徴のひとつである。
Aバイオエシックス
生命倫理の元になったものはV.R.PotterのBioethicsである。これは“地球環境の危機を背景に、
人類が地球生態系と共にいかに生き残るかを探求する”という考え方である。その後、この考え方は、
元々の意味を持つ「地球バイオエシックス」⇒環境倫理と、人の生命に関する「医療バイオエシックス」⇒生命倫理に分かれた。
つまり生命倫理と環境倫理の考え方の根源は同じであった。
B生命倫理の整理
日本は生命倫理の概念を米国から輸入した。加藤尚武や加茂直樹はそれらの本格的な議論がされていないため、
いまだに十分な概念規定がされていないということを激しく指摘した。加藤らは生命倫理を
「新たな倫理体系」「人権運動」「生命をめぐる学際的研究分野」という三つの流れに整理した。
2、医療バイオエシックスとしての生命倫理
@日本の生命倫理
米国から輸入したこともあり、概念の基底がキリスト教である。生命倫理を医療の倫理とするとき、
人の命に関する行為についての意思決定の規範となる。そのときに、「命とは何か?」のような哲学的な考え方が入ってくる。
この哲学的な考えの基盤がキリスト教である。日本はこの概念に対して、自ら哲学的思考を深めようとはしない。
そのため、欧米人(キリスト教やユダヤ教の人々)の考え方に偏るこの概念にしたがって医療の倫理を
考えていることになる。今日の具体的な問題としては、「重度の精神障害者」や「不可逆的な意識障害者」などの
命をどのように扱うか、どのように定義するかといったような非常に大切なことにつながってくる。
日本は欧米の生命倫理を解釈することに重点を置いているため、欧米人の人間観、宗教観、生命感に
お任せしているといった現状である。このようなことも含めて「日本的インフォームドコンセント
(倫理的に信頼さるべき人に判断を任せる)」という。
A宗教によるズレ
宗教観の相違として最も大きいことは、人間と自然のかかわり方に対する認識の違いである。
キリスト教の考えでは、神は人間を創り、自然を支配させようとした。一方、仏教やまた神道の
アニミズムでは人間も動物も輪廻の環の中でひとつに繋がっているという考え方をする。このように宗教によって
考え方が相当違う。この違いは環境倫理だけでなく、生命倫理に大きく影響してくる。