今まで書いたエッセイ
ママのお仕事
本当のアメリカ人
母の想い子知らず
私もつらい
80階
ママのお仕事
上の子の社会科学の先生が出産のため退職する事になった。
子供はとても寂しがっていて、「生まれたらすぐ戻ってくればいいのに、なんで辞めちゃうのかなぁ。」
としきりに言う。
私は出産後職場に復帰するお母さんもいるし、子供の世話に専念したいお母さんもいる事を説明した。
「お母さんが学校でお仕事をしている間、子供はお母さんと離れているわけだから、寂しいもんね。 先生は子育てする事をまず優先してから、そのうち戻ってくるんじゃないかな。」
「ふ〜ん。 僕みたいな可哀相で寂しい思いをした子が増えないようにだね。 僕はいっつも寂しかったからねぇ。」 という言葉に正直言ってびっくりしてしまった。
私は上の子が8ヶ月の頃からずっと働いていた為、子供は幼稚園に上がるまでずっとDay Care(保育所)に行っていたんだけど、その頃のことを聞いても「よく覚えていない」としか言わなかったのに。
夫が出張に行っているときに残業が重なり、夜7時半に迎えに行き、先生と二人でポツンと座っている子供を見たとたん申し訳なくて泣き出した事など、とても苦い思い出ばかりのあの頃。
いつも子供に対して申し訳ない気持ちでいたけど、生活するのに精一杯でとても立ち止まれる時期じゃなかった。 子供もつらかったんだな。 本当にごめんね。
下の子が生まれて、経済的にも働く必要がなくなったので仕事を辞め、それ以来ずっと、ある一時期を除いて、何年も子育てに専念している。 学校や習い事の送り迎えも、各種行事の参加も出来るし、3時のおやつも手作りのものを出せる。
でも上の子は10歳になったし、友達と長電話したり遊びに行ったり、もう以前程、私のそばには寄り付かない。
私の順位はちょっと下がったかな?
「ねぇねぇ。 もうそろそろママお仕事しようかな。 毎日じゃなくてもさ。」 と聞いてみた。
「絶対ダメ」と子供。
「なんで?」
「寂しいから。それに誰がおやつだしてくれるんだよ! 絶対だめ!」
子供達がそう言い続けてくれるのはあと何年だろう?
私の順位は今のところ、まだ1番なのかな?
もうすこし順位が落ちるまで、私は家にいよう。
私にとって、働く事よりもっと大切なものがここにある。
本当のアメリカ人
5年生の長男には、毎日クラスのいろいろな友達から電話がかかって来る。
子供達は皆きれいな英語を話すけど、日本、ロシア、韓国、中国、ブラジル、
スペイン、イタリア、インド、と小さい頃、または両親や祖父母の世代に
それぞれの国から渡って来た背景を持っている。
こんなに様々な国の人々を包み込んでくれるアメリカは
本当に懐の大きな国だと思う。
こうして見ると純粋な意味での“アメリカ人”ってほとんどいないんじゃないかな。
ピッツバーグ留学時代、毎晩のように大学院のカフェテリアで勉強していて、
ある日ショッキングな落書きを見た。
「外国人よ出て行け!この国は純粋なアメリカ人だけのものだ!」
という壁の落書きは、私だけじゃなく、その辺にたむろする多くの学生を
びっくりさせてしまった。
2日後、誰かが返事を描いていた。
「よし。 インディアン以外は皆出て行こう! 純粋なアメリカ人は彼らだけだ!」
誰もがその落書きを賞賛した。
本当にそうだと思う。
アメリカンインディアン以外は、すべての人々が外国からやってきて、
アメリカという国に順応していったのだから。
どの国の文化も優劣の差なく尊敬されるべきだと思うし、
この国に育つ子供達にはそれが出来ると思う。
また、我が家の子供達にもそうあってほしいといつも思う。
All human beings are equal,
Despite the color of the skin nor their country backgrounds,
With a pure heart,
Respect others the way they respect you.
By Nami & Andrew
母の想い子知らず
今日はお寿司をとって食べた。
お寿司はあまり食べない二人の子供の為に、うどんも作ることにした。
上にのせる具は子供達の大好きなものばかりにして、えびものせる事にした。
”えび大好きだから喜ぶだろうなあ”と一人ほくそ笑みながら食卓にだすと、
二人とも”わあー!”と喜んでいる。へへへ、よかった。
なのに、なのに、...食べ終わったどんぶりをのぞいてみると、二人ともえびを残している!! なんで?
聞いてみると、二人とも”もうおなかいっぱい”などとほざく。
せめて一個くらい食べろよ。
せっかく大好きだからと茹でたのにさ。
母の想いは時に、子には伝わらないものなのだ。
私も母の想いをわからずに子供時代を過ごしたのだろうか?
ごめんね、おかあさん。
私もつらい
夜、家族でTVを観ていた。
毎週楽しみにしている番組だったけど、途中で我が家の ”兄弟”君たちが暴れ出した。
上の子がふざけて下の子をたたき、4歳になったばかりの下の子が、
弾みでコタツの角に顔をぶつけ、”ギャ−!” と泣き出した。
それを見て、カーッとなった私は「ケンちゃんに謝りなさい!」と怒鳴ってしまった。
「わざとじゃないのに」とつぶやく上の子を無視し、「いいから謝りなさい!」と怒鳴り散らす私。
上の子は「ごめんなさい」と怒り顔で言い、
傷ついた様子ですごすごと2階に上がっていった。
10分くらい放っておいた。罪悪感。
上の子は前に恐怖番組を観て以来、2階に一人で行くのがすごく怖く、特に絶対夜は上がって行かないのに。
私が立ちあがったのと、「迎えに行ったら」という言葉は同時だった。
2階に行くと心細そうにTVを見ている男の子がいた。
「早く降りといで」と手を引っ張ると、ひしとしがみついて来た。
下の子も心配そうについてきて、三人で階段を降りていった。
鼻の奥が ”つーん”となったけど、へそ曲がりの私はわざと怒った顔をした。
80階の思い出
一時期私はダウンタウンの銀行で働いていた。
企業向け融資課でアシスタントとして採用されたけど、
女性を評価してくれるいい上司に恵まれたためか、
責任のある仕事をいろいろ任せてもらえた。
同じ課の先輩女性Aさんは会計課に異動し、昇進してスーパーバイザーになった。
アメリカらしく、ありとあらゆる国の人が働いていた。
皆で不満を言い合ったり、ぷっつんキレた上司に苦しんだり、
二人目を妊娠中は、つわりを知られないように脂汗をかきながら仕事もしたっけ。
忙しい時は連日9時くらいまで残業し、家族にしわ寄せが行ってしまい落ち込んだりもした。
仕事の合間に80階のオフィスの窓から見る景色は最高で、ハドソン川も自由の女神も見渡せた。
風が強いとビル全体が船のように揺れていた。巨大な戦艦のような船。
夏とクリスマスはビルの一階にあるイタリアンや中華のレストランでパーティーをして、
上司も同僚も皆遅くまで無礼講で騒いだ。
辞めるときは涙が出た。
今はレストランもビルもオフィスもどこにも存在しない。
世界貿易センターという戦艦は私が辞めた2年後に沈んでしまった。
でもずっとあるよ、心の中に。
どんな形でもいいよ。また同じ場所に戻って来てほしい。
