「ありがとう・・・そしてさようなら
 わたしのおなかの中で4ヶ月、15週で逝ってしまった子の記録。」

 妊婦さんは体がいつもと違う。12月の暮れぐらいからなんとなく変だな・・・と思い始めた。

 ・毎月来るものが来ないな〜もしかしたら、もしかしたらな〜くらいのとき(4週から)から、つわりらしい症状が始まった。
 ・何食べても口の中が気持ち悪い。歯磨きしょっちゅうしてたしキシリトールのガム噛んだり。
 ・いつもは大好きなキムチとコーヒーはすぐ受け付けなくなった。無性に酢豚が食べたくなったことがあった。でも食べた後気持ち悪くなった。毎日何が食べられるかな〜と思ってた。ばっかり食べ(そればっかり食べること)はなく、毎日自問自答。
 ・寒気、悪寒をよく感じた。毛布かぶってぶるぶる震えてた。背中がゾクゾクすると、吐き気をもよおすので腰にカイロ。
 ・午前中は体調がまだ良い。午後になって夕方になって夜になって〜と気持ち悪さがだんだん増していく感じ。天気悪い日は朝から気持ち悪い。真夜中なんとか吐き気が収まって寝室へ行く毎日。イロハの寝かしつけができないので、リビングのソファで寝かしてから、MINE(イロパパ)の帰宅後ベットへ運んでもらう。
 ・お風呂も気持ち悪くなることが多いので入れるのは2日に1回とか。頭は朝洗ってた。真夜中収まってから入ったり(それでも湯上りはゾクゾクして、トイレにダッシュすることもしばしば)。
 ・1ヶ月で5キロ以上やせた。食べられるとき(午前中)に食べるが、量はとっても少ない。それでもリバースすることがあるので、水分だけはがんばって飲んでた。胃液出ると喉も鼻もヒリヒリして後がつらいので。キツイときは白湯のみやっと喉を通る。
 ・やせた結果、急に立ち上がった時などに目まいが。目の前が暗くなってチカチカ星が見える。がんばろうとせず無理せずすぐ横になり、良くなるのを待つ。
 ・つわりの時はどんな感じか?というと“みぞおちのあたりに生ぬるいこんにゃく一丁ある感じ”。それがときどき上にあがってきそうになる。食あたりとか二日酔いとかなら1日〜数日で治るがつわりだと2ヶ月以上続く。
 ・妙なゲップがでる。大きなゲップが出るとすぐにトイレに行かないと。
 ・便秘になった。ときどき下痢になった。おりものも増えた。妊婦はそーゆーものらしい。
 ・顔に吹き出物がたくさんできた。風邪や花粉症の時期だったので、外出時はマスクや防止を着用。
 ・涙もろくなった。親子の感動ものなんかがだと特に止まらなくなる。
 ・MINE(イロパパ)大活躍。イロハの世話や遊び相手はもちろんのこと、食事や片づけを率先してやってくれた。イロハを妊娠してるときのつわりのときはこんなにやってくれなかったような気がするが(?)。つくづくパパになったんだな〜、と思う。台所でイロハと喧嘩しながら料理してるとき(イロハは手伝うのが好き。ときどき邪魔するけど)、あせってるみたいなんだけど、私は気持ち悪いながらもそれ見てるのが楽しかった。

 そんなこんなでも願ってやっと授かったふたりめの子なので、つらくても“もうしばらくの辛抱”くらいに思えた。日ごろは家にいられるんだし、気持ち悪くてもトイレは数秒で行けるんだし、ま、吐けばいっか〜って感じ。ふたりめだからもあるが。ひとりめの初めて、イロハのときは弱音ばっかり吐いて、こんなんで子供産めるんだろうか?と思ってたのにな。
 イロハさんには“つわり”と言ってもわからないので、「おなかに赤ちゃんが出来たから、これからどんどん大きくなるの。ママのおなかは大きくなる準備をしてるから、痛くなったり気持ち悪くなったりするのよ。イロハのときも同じだったのよ。だから、ママ、ソファで寝てるね。おなか痛くなっちゃうから、上に乗ったりしないでね。」と話してわかってもらった。
 たまにイロハがおなかをなでて「おねえちゃんですよー。げんきにでてくるんですよー。」と言ってくれる。


 3月4日。
 13週、出血が…。微量の出血はよくあることらしいので、イロハの幼稚園の参観が終わってから病院へ。
 おなかの検査。我が子は無事。「血液もちゃんといってるよ」と先生。胎盤も大丈夫。一週間くらい大きくなるのが早いらしい。
 内診で、子宮の入り口あたりにびらん(という軽い傷のようなもの)があるらしい。そこからの出血だったらしい。入浴禁止、安静にしていることを言われる。薬はなし。
 出血止まって一安心。

 3月5日。
 だが。診察して次の日の14週の夕方、多量の鮮血が…。昨日の茶褐色のとは違って、真っ赤。真っ赤、ということは、今!、おなかのどこかで血が出ているということ。横になって、とまりますように、とまりますように、と祈る。でもダラダラ出ている感じがする。
 MINEが帰宅後、メソメソしている私に、電話して!先生に聞いて!診てもらえるようならすぐ行こう!。
 泣きじゃくりながら電話で、症状を説明。すぐ診てもらえることに(夜9時近く)。
 MINEとふたりで行ったので、出かける前、お留守番のイロハは泣いてしまった(1階の両親にお願いした)。夜だし、眠いのもあるし。私のただならぬ様子を見て、「あかちゃん!あかちゃんが〜!」とヒックヒック。血、見られちゃったから余計心配させてしまったらしい。「おなかの赤ちゃん怪我しちゃったから、病院の先生に診てもらいに行くの。おなかの中じゃ、バンドエイド貼れないでしょ。」と苦しい言い訳して。
 内診。子宮口は開いてないし、今のところは大丈夫、とのこと。流産する可能性はゼロとは言い切れないけれど、今この状態なら心配いらないとのこと。流産を止める薬はないので様子をみるしかないらしい。ひとまず安心。

 3月6日。
 翌日は、まだ出血はあるものの、真っ赤ではなく量も微量になった。自宅安静中。
 安心したら、夕食後つわり復活。出血ですっかり忘れてた。2、3日食欲がなかったが、気持ち悪いどころじゃなかったし。

 3月8日。
 そんな数日後、イロハさん嘔吐。ただの食あたりくらいに思っていたが、急性腸炎だった。病院のMINEから電話があり、家族も感染する可能性があると言う。インターネットで調べてみたら、それが原因で流産した話が・・・。そのときたまたま実家の母から電話があって、声を聞いていたらどーにもこーにもならなくなってパニック起こして泣き出してしまった。受話器を持つ手が震える。今すぐ行くからしっかりしなさい、と電車で2時間以上かけて来てくれた。

 私はつわりも出血もひどくなるいっぽう。

 点滴して帰ってきたイロハはぐったりしていた。高熱が出て真っ赤な顔をしてフーフー苦しそうに息をする。一晩中冷やした。寝る前は39.4度。真夜中は40度以上はあったと思う。
 朝になって寝たまま下痢をした。イロハはおなかが痛いと苦しんでいる。
 吐き気をどうにか堪えてイロハの側にいると母が黙ってパンツやシーツを片付けてくれた。洗濯や食事の世話、買出しもしてくれた。なにより精神的に楽になった。母は1晩泊まっていってくれた。

 それでも吐き気は止まらず。つわりが前よりさらに悪化。前は、吐けばいっか、くらいに思っていたが、今は吐くとクラクラして立っていられなくなる。腸炎に感染してたら、と思うと今の体力を維持しなければ。気持ち悪くても体に入れておかないと。洗濯と(感染源になる)イロハの食事を作る。フラフラして歩けないイロハを抱っこしてトイレにつれて行く。

 私はトイレに行くたびに出血がある。なんとか乗り越えないと。

 イロハは数日でよくなっていった。食欲もだいぶでて、下痢の様子をみながら食事を用意する。

 3月14日。
 つわりで吐く。出血も続いている。なんだかおかしい。やせても下腹はふくらんできたはずなのに、へこんだように感じる。痛みも出始めた。下腹がギュっとするような感じ。
 明日の土曜日に病院に行くつもりだったのだが、どうしようもなく心配になって夕方の6時すぎにMINEと一緒に病院へ行く。久しぶりに履く靴がぶかぶかになっていた。

 切迫流産。流産しかかっていた。でもおなかの赤ちゃんは生きている。子宮口も閉じている。よかった。
 すぐ入院。用意もなにもしてこなかった。トイレ以外はベットで横になって安静にしていなければいけない。不安で不安で胸がつぶれそうだった。泣きはらした眼が痛かった。泣きすぎて声がかれていた。外は雨と風でごうごうと音をたてている。わたしはおなかに手をあてて祈った。しっかりするんだよ。しっかりママのおなかにしがみついているんだよ。大丈夫だからね、一緒にがんばろうね。そして、泣きつかれて、眠った。

 3月15日。
 前日からずっと何も食べていない。朝の様子次第で手術かもしれないので空腹のまま。吐いたりしていたからここ数日まともに食事をしていない。
 出血を止める薬と子宮の収縮を止める薬を飲む。
 隣の部屋から赤ちゃんをかこむうれしそうな家族の声が聞こえる。不安だけれど、わたしはひとりじゃない。おなかの子と一緒なんだ。大丈夫。きっと大丈夫。
 出血が少なくなる。下腹の痛みが弱くなる。
 お昼にやっと食事がゆるされる。出血して出したぶん、おなかに栄養をおくろうと私は必死に食べた。
 MINEとイロハと母が来てくれた。着替えや洗面道具を持ってきてくれた。この部屋は携帯がつながらないので不便だった。

 3月16日。
 出血がさらに少なくなる。下腹の痛みも弱くなる。
 トイレ以外はずっと横になる。自宅だとなんだかんだ動いてしまうが病室だと横になる以外することがない。
 実家の母が来てくれた。足りないものを買出しに行ってくれた。
 MINEとイロハと母も来てくれた。大丈夫。ちゃんと食べてるから、とみんなで笑った。ほっとした。
 夕方、出血がなくなった。
 うれしかった。病院の先生は1週間くらいは様子をみましょう、と言っていた。

 3月17日。
 朝、9時すぎに超音波検査をした。
 下腹が少し膨らんでいた。
 だが。
 そこには小さく丸まった姿がうつっていた。
 静かな、静かな、動かない赤ちゃん。
 ずっとずっと大切にしていたおなかの赤ちゃん。
 羊水がぜんぜんなかった。
 下腹の膨らみは私の尿が入った膀胱だった。したくないのにたまっていた。妊娠していたくて、体がそうしたのかもしれなかった。
 心臓が動いていなかった。
 頭の形がいびつになっていた。
 死んでいた・・・。

 病院から連絡を受けてMINEがすぐに来てくれた。
 しゃくりあげる私をささえてくれた。
 両親も来てくれた。私はうなだれて顔をあげることができなかった。
 ふたりめがなかなかできなくて、やっと授かって、みんなみんな待ち望んでいたのに。
 申し訳なくて。期待を裏切ってしまって。申し訳なくて。
 泣きじゃくることしかできなかった。

 5時すぎ。子宮口を開く管を入れることになった。
 分娩台にあがる。
 涙が頬をつたう。痛みに耐える。
 きちんとこの子を産めるだろうか。私は不安だった。
 トイレに行くのでさえ、今はフラフラしていた。
 夕食。泣いても辛くても必死に私は食べ物を喉に流し込んだ。
 母親としてこの子にしてあげられる最後のこと。このいとおしい我が子の亡骸を産まなくては。

 日が暮れ始めたとき、実家の母が病室にかけこんできた。昨日とは違う、陣痛室。
 ベットで寝ている私の横で泣き崩れた。
 もっとしてあげればよかった(自宅安静中のとき)、と自分をせめて、
 こんなに痩せちゃって、と私の手をさすり、
 命をちゃんと持ってこなかったのかねぇ、と私のおなかをさすった。
 ずっとついていてくれたMINEも私もみんなして、泣いた。

 夜。寝なくちゃ、と思うと余計に頭がさえた。
 真っ暗になると気が狂いそうだったから小さい明かりをつけて、わずかな音でテレビもつけっぱなしにしていた。
 この子との最後の夜。
 ずっとずっとおなかをさすった。ごめんね。ごめんね。
 夜が長かった。
 ときどき来る陣痛に私は耐えた。

 3月18日。
 朝9時すぎ。分娩台にあがる。子宮口を広げる管をはずす。陣痛をおこす薬を入れる。
 ずっとベットで横になる。おなかをさする。

 MINEと実家の母とイロハ(幼稚園がお休みだった)が来る。イロハを近くの公園に連れ出してもらう。

 11時すぎ。陣痛が強くなる。痛みで体がこわばり、ぶるぶると震える。手がしびれる。
 呼吸がまともにできない。ゆっくり。ゆっくり。ひきつるように息をして。
 1時すぎ。あまりの痛さに声をあげる。何かが足の間から流れ出た。
 分娩台に移動する。
 血の塊(胎盤)が出たらしい。
 陣痛が弱くなる。
 そして、足の間から少し出てきた。
 私は体中の力をふりしぼった。出て、出て、出るんだよ、無意識に言っていた。
 もう、おまえはここにいてはいけないんだよ。ここから出なくちゃいけないんだよ。ごめんね。ごめんね。
 他の人に引きずり出されることだけはしたくなかった。
 自分で、この子を産むんだ。
 1時26分。
 そして、私は力いっぱい声をあげて、
 この子の亡骸を産んだ。
 90g。18.5cm。
 あたたかかった。とても小さかった。とても静かで。ぜんぜん動かなかった。
 男の子だったのか女の子だったのかもわからず。私のおなかを蹴ることもなく。逝ってしまった。
 抱っこしてあげたかった。おっぱいを口に含ませてあげたかった。
 一緒にたくさん笑ったりして楽しいことをしようね、って毎日毎日おなかをなでていたのに。
 ごめんね。ごめんね。
 さよなら。

 分娩台で2時間ほど横になった。点滴をして、子宮の収縮剤を入れた。おなかの痛みに耐える。
 MINEが呼ばれて、私の横に座った。
 わたし、あの子の母親として、最後に、ちゃんと産んだよ、と言った。
 よくがんばったね、と汗でぐちゃぐちゃになった頭をなでてくれた。
 そして、ふたりで、あの子のために、泣いた。

 隣の分娩室から赤ちゃんが生まれて泣く声が聞こえた。
 よかったねぇ、とふたりして言った。
 命があるということ。
 あたりまえのことと忘れがちだけれど、ありがたいものなんだと身にしみて思う。
 ふたりめができないと、妬ましいくらいにうらやましかった時期もあったけれど
 今はただ、元気に泣いている赤ちゃんに、よかったねぇ、と言っていた。

 病室にもどるとき(また部屋が換わった)、私は看護婦さんにおそるおそる聞いた。
 あの子はどこに行くんでしょうか。
 あの子の体はどうなるんでしょうか。
 胎盤やさんに聞いてみないとわかりませんね、とそっけなく言われた。
 あの子に手をあわせたかった。

 夕方、業者の人が来た。あの子の亡骸は火葬され埋葬されると言う。
 火葬に立ち会いますか、と聞かれて私はお願いしますと、深々と頭を下げた。
 火葬場も共同墓地もそれほど遠くない場所だった。

 夜になって皆が帰るとわたしはひとりぼっちになった。
 おなかにもうあの子はいない。
 辛くて苦しくて、もうこの痛くてたまらない心を取ってしまいたかった。
 それから、久しぶりの友人のことを思い出した。私と同じ経験をしていた。
 あの時は何と言ってあげたらいいのか、わからないだけだったけれど。
 真夜中にもかかわらず返事をくれた。
 “うちには空にひとり赤ちゃんがいるんだ”とあった。時間が癒してくれるのを待つしかない、とあった。
 私はたくさん涙を流した。なんだか少し救われた気がした。

 3月19日。
 病院の先生から原因は母体の胎盤らしいという説明を受けた。
 私は出産した後と同じような出血がしばらく続くらしい。
 退院。
 家に帰ったとき、今までのことが全部悪夢のように感じられた。
 でも全部本当に起こったことなんだ。

 幼稚園から帰ってきたイロハが無邪気に「まま、かえってきてくれてうれしい」と言ってくれた。
 私はイロハが無事に生まれて元気に育っていることに感謝した。

 3月20日。
 私は何度かふさぎ込んで泣き出してしまうことがあった。きっとこれからもあるだろう。
 MINEもイロハも疲れていた。
 悲しんでばかりもいられず、MINEは保険や役所の手続きを全部してくれた。
 イロハは“がんばれ がんばれ ママ”と絵を描いてくれた。
 私の目の周りが赤丸でぐるりと囲んであった。イロハには泣きはらした眼がこんなふうにうつっていたのだろう。
 しっかりしなくちゃ、と思った。

  がんばれ がんばれ まま

 3月21日。
 イロハを幼稚園に送り出した。
 その後実家の母が来てくれた。
 寝てなさい、家事は全部やってあげるから、と言っていたが、
 私は寝てるほうが辛いから、と断った。
 一緒にお昼ご飯を食べて、たわいもない話を延々とした。
 いつもと同じようにふるまってくれたのがうれしかった。

 3月22日。
 火葬。
 小さい箱に、胎児、とあった。
 私はとてもあの子の顔を見てあげられなかった。
 MINEは、最後の姿をしっかりと見ておいてあげたいと言った。花と、MINEと私とイロハで書いた手紙を添えた。
 手をあわせて、見送る。

 1時間ほどロビーで待つ。
 イロハがなんで?と言う。
 赤ちゃんはね、燃やされて、煙になって、天国にいくのよ。

 あの子の骨は1センチくらいのが2つ。あとは灰になっていた。
 MINEと私でひろった。
 手をあわせて、お別れをした。
 あとは業者の人がお寺に持っていくと言う。お彼岸の後に埋葬されるらしい。
 近いうちにあの子の眠っているお寺に行こう。

 今日の空は青くて、暑いくらいだった。
 今年の冬は長すぎたな、と思った。


 お別れの手紙

 残念ながら会う事はできなかったけど
 宝物でした。
 これからは僕達の事を天国から
 見守ってください。
 パパ

 みじかいあいだだったけど
 おなかのなかにいてくれて
 ありがとう。
 あなたのママになれてうれしかったよ。
 あなたのママ


 あかちゃんへ
 おねえちゃんですよ
 もうあかちゃんとあえないけど

 おねえちゃんわあかちゃんのことを
 おもいだしてるよ
 あかちゃんだいすき
 いろはより

 あななのおねえちゃん いろは

 たのしくてんごくで
 あそんでてね

 (原文そのまま)


 あれから約1週間がすぎた。
 あの子のお墓参りにも行ってきた。
 あの子の誕生と成長を願っていた皆が苦しんで辛いおもいをしていた。
 後悔と自責の念。
 あのときこうすれば、ああすれば、あの子は今も生きていたかもしれない。
 1ヶ月前はまだ生きていたんだなぁ、とかずっと後ろばかりみていて
 心がヒリヒリしている。
 でも、わたしはあの子を身ごもった母親だからなんとなく感じるんだけれど
 そんな風に悩んでいる皆をきっとあの子は望んではいない。
 毎日毎日の生活の中で
 悲しんでばかりもいられない。おなかもすくし、眠くもなるし。
 私はつわりでフラフラしていた体の回復につとめ、掃除をしたり、食事を作ったり、洗濯したり。
 MINEは休んでいた分の仕事に忙しくして。
 イロハは人前では泣かないようにがんばって(でも泣いちゃうけど)。
 あの子に関するすべてのことが夢だったことのように思える。
 けどあの子がいたおなかは
 4ヶ月の小さいものだったけれどシワシワになって皮がむけた。
 あの子のために皆がんばった。
 でも逝ってしまった。
 仕方ないとわりきることはできないけれど
 泣いてばかりもいられない。
 きっとあの子は、笑ってばかりいる我が家に生まれたいと思っていたのだから
 笑顔の毎日をもっともっと増やして生きたいと思う。
 ありがとうね。
 おなかをなでて、あなたの誕生を待ち望んでいる時間がママはうれしかったよ。
 みんなみんな喜んでいたんだよ。
 ありがとうね。

 あの子のお墓の近くにはとても大きな桜の木がある。
 毎年桜が咲く頃はあの子を想い、泣くんだろうな。
 また手をあわせに来るね。
 またね。