教育者として

| 独学で音楽を学ぶ | 家族のために教育用の曲を創る | 弟子の教育 | 悪い学校教師 |

● 独学で音楽を学ぶ ●

バッハは教会付属学校を卒業してすぐに音楽家になりました。今でいうと高卒にあたります。彼の少年時代の成績はとても良く、大学に進学することもできたのですが、9歳で両親を失い経済的余裕がなかったので、就職の道を選んだのです。

音楽に関しては、バッハは独学者でした。もちろん音楽家だった父や兄から手ほどきは受けましたが、正式に音楽を学んだわけではありませんでした。彼はいつも他人から学ぼうとしました。たゆまぬ努力が彼にとっての先生だったのです。


● 家族のために教育用の曲を創る ●

バッハの弟子に対しての教え方は次のようなものでした。まず、指使いを教え、曲ではなく、切れぎれの楽節を半年から1年かけて練習させました。練習に飽きてしまった弟子には、練習用の楽節がいくつかつながった小さな曲を書いてあげました。

バッハの長男のフリーデマンが9歳になった頃、バッハは教育用の楽譜帳を5年かかって完成させました。これが、有名な『インヴェンションとシンフォニア』や『平均率クラヴィーア曲集第一巻』のもとになりました。

そして、妻のマグダレーナのために『クラヴィーア小曲集』も創られました。これらの曲はすべて教育用に書かれたものですから、彼が教育を重んじていたことが分かります。


● 弟子の教育 ●

さて、弟子の教育の話に戻ります。小曲の練習が終わると、次はバッハ自身が作曲した大きな作品の練習をさせました。最初にバッハが、これから練習しようとする曲を弾いて聴かせました。

そして、作曲の授業もしました。その際、バッハが注意させたのは、一つ目はクラヴィーア(鍵盤楽器)なしで、頭の中で自由に考えて作曲させることでした。二つ目は、それぞれの声部の流れと、声部どうしの関係を「まとまった会合で、互いに話し合っている人物」のように自然なものにすることでした。


● 悪い学校教師 ●

このような優れた教え方によって、弟子たちは立派な芸術家になりました。特に優秀だったのが、バッハの二人の息子、フリーデマンとエマヌエルでした。

ところで、弟子たちに対する教育とは正反対に、教会付属学校の教師としてのバッハの評判はあまりよくありません。聖トーマス教会では、「自分で授業せず、上級生に任せきりだ」と非難されました。

シュバイツァーはこう言っています。「バッハは、教育的才能において劣ることはないが、これほど悪い学校教師はかつていなかった。しかし、彼に付いて学ぶ意志のあった人々にとっては、彼は卓越した指導者であった」


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