作曲家として(2)
ライプツィヒ時代

| 『ヨハネ受難曲』と『マタイ受難曲』 | 世俗音楽の時代 | 音楽の捧げもの | 最後の作曲 |

● 『ヨハネ受難曲』と『マタイ受難曲』 ●

1723年、聖トーマス教会のカントルになったバッハは、カンタータの創作に専念します。そして、バッハの生涯の最初の頂点にたどり着きます。これが、新約聖書ヨハネ伝の第18〜19章をテキストにした『ヨハネ受難曲』(BWV245)です。

そして、聖トーマス教会の礼拝のために、円熟の頂点をなす大作を完成しました。これが、マタイ伝26〜27章を骨格とする『マタイ受難曲』(BWV244)です。バッハ42歳のときでした。


● 世俗音楽の時代 ●

1929〜37年は、バッハにとって世俗器楽曲の第二の黄金時代になりました。(第一はケーテン時代)「コレギウム・ムジクム」と呼ばれる、大学生を中心とした演奏グループが、バッハを指揮者に招いて、毎週、コーヒー店で演奏会をしたのです。

コーヒーカンタータ『おしゃべりはやめて、お静かに(BWV211)は、コーヒーを飲み続けようとする若い娘と、それをやめさせようとする父親のお話を書いた曲です。

1734年、『クリスマス・オラトリオ』(BWV248)を作曲。翌年、『イタリア協奏曲』(BWV971)、『フランス風序曲』(BWV831)を作曲し、当時の二大先進国、イタリアとフランスの代表的な管弦楽曲の様式をチェンバロ用の音楽にすることに成功しました。


● 音楽の捧げもの ●

1741年、バッハは不眠症だったカイザーリンク伯爵のために、30の変奏曲からなる『ゴルトベルク変奏曲』(BWV988)を創りました。

翌1742年、バッハの作品の歌詞を長年つくってきたピカンダーが荘園の領主になりました。この時、ピカンダーの依頼で書かれたのが『農民カンタータ』(BWV212)です。農民二人が方言まるだしで殿様を讃えるというお話で、庶民的な舞曲のリズムをとりいれています。

同じころ、バッハは、『平均律クラヴィーア曲集第二巻』(BWV870〜893)を集大成しました。これらは、ケーテン時代以降に、折に触れて書かれた曲を集めたもので、曲風はきわめて多様なものになってます。

1747年、60歳になったバッハは、長男フリーデマンとともに、ポツダムへ行きました。そこでは、バッハの次男エマヌエルがフリードリッヒ大王に仕えていました。バッハは、大王の与えた主題にもとづいて、フーガの即興演奏をし、大王たちを驚かせました。これが後に『音楽の捧げもの』(BWV1079)になりました。


● 最後の作曲 ●

1733年、亡くなる前年に、『ミサ曲ロ短調』(BWV232)が完成されました。この崇高な作品は、バッハの創作活動の総決算とも言える作品です。

そしてある日、バッハは自分の死期が近いのを悟り、弟子に一曲のオルガン・コラールを口述筆記させました。これが、『汝の御座に、われ進み出で』(BWV668)で、ほかならぬバッハ自身が、主の御前に立つことを暗示したのです。