なおぞうの趣味
1.将棋
飽きっぽいなおぞうが、いちばん長続きしている趣味がこれ。小学校4年頃、
おやぢに棒銀でコロコロ負かされたのを覚えている。
その後、自分で本など読んで勉強したが、振り飛車を愛好して受身の棋風に
なったのが災いしたか、あまり強くならなかった。
高校のとき、将棋部に入部。このころの棋力は2級位か?人材に乏しかった
のが幸いして、対外試合には必ず出場した。唯一、輝かしい思い出が、
当時、神奈川県で無敵を誇っていた私立K高校との団体戦で、三段の相手を
中飛車で負かしたことだ。この時、結局、なおぞうの高校は1勝4敗で、
唯一土をつけたのがなおぞうだった。
大学では、将棋部には強豪が揃っており、なおぞうの出る幕はあろうはずもないので、
将棋部には入らなかった。
結局、なおぞうは高校以来、たいして強くなっていない。
今、なおぞうは、インターネットの将棋道場(将棋倶楽部24)をよく利用しているが、
3級の相手にころっと負かされることもあり、初段で指すのは厳しい感じである。
それどころか、プレイステーションの東大将棋に負かされる始末である。
あーあ、もっと強くなりたいなあ。
2.映画鑑賞
なおぞうは最初の大学時代、ひまがあったので、いろいろと映画を見た。
洋画より邦画の方が好みである。
1998年秋に惜しまれつつ閉館した銀座の並木座には、なおぞう、
しばしば足を運んだものである。
好みの監督は、小津安二郎、成瀬巳喜男といったところか。
黒澤明は、1950年代位まではまずまずなんだが、それでも、
ちょっと大時代的なヒューマニズムについていけないところがある。
小津安二郎の中では、東京物語がもちろんいいが、初期のサイレントものにも
なかなか味わい深いものがある。
フィルムセンターでみた非常線の女や浮草物語は良かった。
弁士もおらず、シーンとした中で観客が画面を見つめる雰囲気には、
独特の味わいがある。
成瀬巳喜男は、浮雲が素晴らしい。20代のころ見たときは、おそろしく暗くて、
退屈に感じたが、最近見なおして、最高傑作であることがわかった。
薄汚い男女の腐れ縁が、何か崇高なもののように思われてくるから不思議だ。
あと妙に印象に残っているのが、乱れるである。
加山雄三のういういしさが魅力的だ。
高峰秀子(この人は決して美人ではないと思うのだが、
好きな女優の一人である。)もなかなか良い。
黒澤明は、隠し砦の三悪人が肩が凝らなくて良い。
あと、映画全体としては失敗なんだろうが、白痴の原節子の凄い顔が
印象に残っている。
洋画はあまり見ていないが、ヒッチコックの映像が恐くて美しくて、好きだ。
めまい、マーニ−、本当に恐いですねえ。
3.パチンコ
なおぞうが最近ハマってしまっているのがこれ。
初めてパチンコをやったのは、小学生の時である。
当時は、今のように子供のパチンコ屋への出入りが厳しく禁止
されていなかったので、おやぢに連れられて、パチンコ屋に入ったのである。
その頃は電動式ハンドルなどなくて、手打ち式であった。
もっと古くは、玉を一つ一つ、手で穴から入れて打っていたらしい。
(小津安二郎 「お茶漬けの味」に、鶴田浩二と佐分利信が
パチンコをやる場面が出てくる。)
初めてやった時は、玉が下皿に貯まった所ですぐに止めてしまい、
せこく、チョコレートか何かと交換して帰った覚えがある。
次にパチンコをやったのは高校生の時である。
なおぞうの今は亡きHおじさんが、大のパチンコ好きで、
長期休みで遊びにきていたなおぞうは、そのおじさんと
一緒にパチンコ屋に行ったのである。
なおぞうに罪悪感は全くなかった。
その頃のパチンコは、天穴などから玉が役物に入ると、
チューリップが開くという古典的なもので、きわめて単純だったが、
出るとけっこう面白かった。
浪人から大学に入ってからもパチンコはある程度やった。
羽根物やフィーバーが全盛の時代だったが、あまり勝率は
よくなかったので、それほどハマらなかった。
就職してからは、忙しくて時間がもったいなかったことと、
安定した収入が保証されたことで、パチンコで勝つこと自体の
魅力がうすれ、全くやらない時期が続いた。
ところが、派遣社員に転落してから、収入が減少したのに
反比例して、パチンコに吸い寄せられるようになった。
(マンガ「ナニワ金融道」の作者は、パチンコは貧乏人から
金を巻き上げるものだと言っていたが、当たっている面がある。)
資金が少ないので、玉ちゃんファイトなどの羽根物、
せいぜいやって、現金機(F・クィーンU)だったが、
一昨年の秋、たまたまやったCR機(ウルトラマン)で、
3000円で24回、70000円の大勝ちをおさめてしまって以来、
とうとう禁断のCR機にまで手を出すようになってしまった。
昨春、大学に入学してからしばらくは、体調を崩したこともあり、
パチンコ屋から遠ざかっていた。
しかし、夏、久しぶりに入ったパチンコ店で
ほとんど初めてCRギンギラパラダイスをやったところ、
3000円で36回、110000円の大ブレイク。以来、
趣味はパチンコ、愛読書はパチンコ雑誌という情況が続く。
しかし、勝ちが大きければ負けも大きいのが世の常。
同じ店のギンパラ設定1フェアで、50000円ハマリを食らってからは、
さすがのなおぞうも、かみさんから離婚されるのも困るので、
パチンコに対して慎重になっている。
パチンコは出る時は3000円で出るんだよね。3000円負けて、
そこで帰れれば勝てるのかもしれないんだけど・・・・。
4.相撲
もちろん観る方です。なおぞう2号とはたまに取るけど。
いまのぢいさんのおやぢ(つまり、なおぞうの祖父)が相撲好きだった
こともあって、なおぞうも小さい頃から相撲を観ていた。
若秩父という力士が、でっかい膏薬をはっていたことを覚えている。
この力士は栃若時代から活躍しているので、その晩年だとしても、
なおぞうが5歳位の頃であろう。
(若い人にはわからないと思います。ごめんなさい。)
当時、大鵬がむちゃくちゃ強くて出場すればほとんど優勝、柏戸はもう衰え、
千秋楽で9勝6敗といった感じだった。
いま、日本相撲協会ででかい顔をしている時津風理事長(元 豊山)なんて、
学生相撲から入って大関になったものの、ここという一番には堅くなって必ず敗れ、
一度も優勝できなかった。その前の理事長(元 佐田の山)も、大鵬・柏戸の
脇役に過ぎなかったが、名門出羽海部屋の婿養子におさまった人物である。
世渡りのうまい奴が出世するのは、どこの世界でも同じである。
なおぞうが好きになった力士は、彼らではない。当時、若干23歳の新鋭大関
玉乃島であった。最初はちょっと変わったそのしこ名に興味を持ったのであるが、
その相撲っぷり、小柄なくせに本格的な四つ相撲で、豪快な投げ、吊りを
得意としていたので、たちまち熱狂的なファンになってしまった。
子供にも良いものはわかるのである。玉乃島のライバルは北の富士であったが、
玉乃島が北の富士に負けたときは、本当にくやしかったものだ。
その後、応援の甲斐あって、玉乃島は横綱となり、玉の海と改名する。
横綱になってからの玉の海の充実ぶりはものすごく、
初日から14連勝ということがざらだった。
ところが、彼の前に立ちはだかったのが大鵬である。
大鵬は、千秋楽の対決で2度も玉の海の全勝優勝を阻止し、
しかも2度目には優勝決定戦で玉の海を倒して逆転優勝したのである。
この屈辱的な出来事は、今でも強く印象に残っている。
くやしくてくやしくて、夜眠れなかった。
その後、大鵬は引退し、玉の海もついに全勝優勝を果たし、
いよいよ彼の黄金時代が来ると思われた。
ところが、である。
玉の海は突然死んでしまった。盲腸の手術の後、血栓症をおこしてあっけなく。
その後3年間、なおぞうは相撲をほとんど観なかった。
輪島、北の湖の全盛時代から、なおぞうは相撲を再び観るようになったが、
負けたらくやしくてくやしくて・・・・というような力士には二度と出会っていない。
というか、もう出会わないだろう。
相撲であれ何であれ、熱狂的なファンはうらやましいものだ。
ところで、近代相撲史における最強力士といえば、空前絶後の69連勝を達成した双葉山であろう。
実際、映像に残されている双葉山の姿をみても、均整のとれた体格、どんな相手でもまっこうから
受けて立つ堂々とした相撲っぷり、投げ、吊り、寄りとバランスのとれた技、
なおぞうも、双葉山がナンバー1であることに異論はない。
ただ、相撲界において、双葉山はあまりにも神格化されすぎているのではないだろうか。
双葉山はすばらしかった。相撲のみならず、人格的にも立派だった云々と、
相撲界の中ではただただ賞賛の嵐である。
しかし、彼も人の子、神様では決してなかった。10年以上前であるが、ちくま文庫から、
確か、「ひとりさみしき双葉山」とかいう題で、双葉山の素顔を描いた本が出版された。
(なおぞうはもちろんこの本を所蔵しているのだが、整理が悪く、すぐに見つからない。
著者名を忘れてしまったので、見つかったら紹介します。)
その本によれば、何と双葉山はマザコンであったというのである。
さらに、爾光尊事件という、今ではもう忘れられてしまった事件も紹介されている。
彼は終戦直後に引退したのであるが、その後、人生の目標を見失ったのか、
爾光尊という変なおばさんの開いた新興宗教にはまり、このおばさんのボディーガードとして
活躍し、暴れて警察に保護されたりしているのである。
相撲協会としてみれば、神様双葉山のそのような過去は、決して触れてもらいたくない汚点なので
あろうが、なおぞうは、かえって双葉山に親しみを感じたのであった。
もう一つ、なおぞうが衝撃を受けた本は、玉の海と同時期に活躍した元高鉄山が書いた
「八百長 相撲協会一刀両断」という本である。この本では、千代の富士や輪島はおろか、
北の富士まで八百長をやっていたと暴露している。
それだけなら別に構わないのであるが、あろうことか、あの玉の海が、八百長で北の富士に星を譲った
と書かれているのである。
この本の著者、本の出版と前後して、変死している。また、この本の内容が事実無根で差し止めになった
という話は聞いていない。
なおぞうと相撲とを結ぶ糸は完全に切れてしまった。
だから、相撲観戦は、正確に言えば元趣味である。
(以下、更新していきます。)