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疎開 小学校

疎開
なりじぃが生まれたのは今の芦屋市です。
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戦争がはげしくなり、とうとう田舎の親戚をたよって引越しすることになりました。行き先は、島
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根県の日登村です。(いまの雲南市木次町日登)JR山陰線の支線、木次線沿いで、中国山地
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に囲まれ、斐伊川の支流、久野川が流れていました。ここで、小学校に入学し3年生まですごし
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ました。村の人には大変親切にしてもらいました。いまも深く感謝しております。
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それは、映画二十四の瞳に出てくるような木造の校舎で、春になると大きな桜が,美しく花を咲
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かせました。毎日、片道3q位の道を歩いて通っていました。先生はやさしい若い女の先生で
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した。勉強は、さっぱりでしたが学校は楽しいところでした、大事件は、同級の女の子の弁当を
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間違って食べてしまったことでした。女の子には泣かれるし、先生にはこっぴどくおこられるし、
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さんざんでしたが、なりじぃは、「間違ったんやから代わりになりじぃのを食べたらええのに」と、
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ケッロとしていましたが、なぜか次の日から、弁当箱が、今までの倍くらいの、ドカ弁になってい
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ました。この学校では、上級生は、下級生のめんどうを、それはよくみてくれていました
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なりじぃも、字を教えてもらったり、いろんな遊びもおしえてもらいました。今でもそれが、
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大変に役にたっています。それから、教科書は進級する時に、次に来る生徒に渡すので汚し
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なりじぃのお父さん
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戦争中は,海軍で大分にいましたが、戦後は神戸で本の仕事をしていました。時々田舎に来た
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ときは、都会の土産に大喜びしました。中でも珍しかった、チューインガム、チョコレート等は、
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友達にも分けて大評判でした。他には、来る前に,神戸港で釣った、たくさんの、大きなすずきの
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塩魚や、本、野球用具などでした。本は覚えているだけでも、イソップ物語、ガリバー旅行
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記、ファブル昆虫記、三銃士、ロビンソンクルーソー、次郎物語、などなどでした。神戸に帰る
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時にはかわりに、お米を持って帰りました。お米は田舎でも毎日は食べられません、都会では
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木炭自動車
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村の製材所に、大きな釜の付いたトラックがありました。村にある自動車は、これ一台だけでし
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た。釜の中に木炭を入れ、下から、ふいごで火をおこして、出て来るガスで、エンジンを動かし
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て走ります。学校の帰りに、ふいごをまわすのを手伝って、乗せてもらうのが、楽しみでした。
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へび
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へびは,いろんな種類がいました、よく見かけるのは、しまへびや、からすへびでした、時々青
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ある日、友達と畑のゴミを焼いているところに,まむしがいるのを見つけ、棒でつかまえて,火の
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中に,ほりこんだところ、しばらくすると,いいにおいがしてきました。引っ張り出して食べたら,い
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がいに美味しかったので、他の友達にも教えたら、蛇を食うとたたりがある、と言われ、それか
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