神戸へ 転校









神戸への引越し
小学4年生に進級するとき、神戸市の菊水小学校に転校しました。
日登村から突然神戸に移ったので、周りにあるもの全てめずらしく、、市内電車に乗ったり、港
に大きな船を見に行ったり、デパートや諏訪山公園にもよく行きました、当時諏訪山公園は小
さな動物園でした。アメリカ兵も大勢いました、これまで外人等見たことも無かったので最初は
びっくりしました。
学校の友達も出来、都会にもなじんで、またまた遊びに熱中する毎日となりました。
なりじぃの家から少し歩くとすぐ山で、六甲山系に続いています。烏原水源池の周辺はカブトム
シやクワガタの宝庫でした、水源池では、ふなやもろこ、さわがに、小えび、なまずなどが捕れ
ました。山には、やまももやあけび、くり等もあります。こうしている内に、言葉も自然と島根の
ずうずう弁から関西弁へと変化していきました。

当時の神戸の様子、
戦争も終って約3年たっていましたが、市内のいたるところに焼け跡がたくさんありました。コン
クリートやレンガで作られた建物もくずれ、瓦礫になっているところがたくさんあり、空襲のはげ
しかったことがよくわかりました、板で作ったバラック建ての家も多くありました。
近所の人の話では、この地区を守るために、焼夷弾にふとんや、砂、をかけて防ぎ、屋根に上
って飛んでくる火を消して必死にがんばったそうです。
おかげで、ここは、焼けずに残ったそうです。
このような光景は二度と見ることは無いと思っていましたが、平成7年1月17日再び眼にする
ことになってしまいました。

進駐軍
アメリカ軍が大勢いました、近くのイーストキャンプ基地ではカマボコ兵舎がたくさん並び入り口
には銃を持った兵士がいて星条旗を揚げ大砲も置いてありました、キャンプでは兵士がよくソ
フトボールをしていましたので金網越しに見に行きました、町中に兵隊が大勢いて外国のよう
でした、警察のパトロールにもジープで同行していました、市内の施設の注意書きにも連合軍
総司令官マッカーサーの命により、などと書かれていました、
日本中が全て連合軍(GHQ)の支配下におかれていました。

食糧事情
日本中が食糧不足で、お米は配給制で、パンも割り当てられたクーポン券が無ければ買えま
せんでした。
なりじぃは、コッペパンが大好きでした、ダ円形のふっくらした少し甘くてとてもおいしいパンで
す。お米は、配給ではとてもたりません、ヤミ米(違法な自由流通米)を手に入れやっとしのい
でいました。

くじら
この頃、捕鯨が再開され、鯨肉が市場に並ぶようになりました、なりじぃの家の、肉料理といえ
ばもっぱら、くじらです、価格が安く栄養豊富で、しかも、神戸は捕鯨船が南氷洋から直接帰って
くる港でした。肉や皮は冷凍や、塩蔵で持ち帰りました。捕鯨船の出航や、帰港時には苦労を
ねぎらい歓迎会をしました。
くじらのなかでも、白長須や、長須鯨はおいしく最高です、尾の身はステーキにしてもやわらか
く、刺身で食べても大変美味しい肉でした。
なりじぃは、ステーキにキャベツを添えて、ソースをたっぷりかけて食べるのが大好きでした。
他に、水菜と一緒に炊いて食べる、ハリハリ鍋や、コロと呼ばれる油の多い皮を、おでんに入
れたり、大根と煮たりしました。また、くじらベーコンや、油を絞った後の皮で作る、サラシくじら
も酢味噌で食べました。

学校給食
昼には、コッペパンとミルクの給食がありました。パンは美味しかったのですが、ミルクはアメリ
カの脱脂粉乳をお湯で溶かしたもので美味しくはありませんでした、
当時は、ほとんどの人がお腹に回虫を飼っていましたので、駆除の為に時々マクリという海草
を煮た汁をのまされました。ミルクと同じ鍋を使うため、次の日のミルクはマクリの匂いがして、
特にいやでした。
友達のなかには、給食のパンやミルクを自分は食べずに弟や、妹に持って帰る感心な子供も
いました。

楽しみ
当時の娯楽や、楽しみは、ラジオ、映画、お祭り(みなと祭りでは花電車が走った)などです。

ラジオ
放送局はNHKだけでしたが、毎日夕方には、テレビを見るように前に座って聞いていました。
なりじぃの家のラジオは戦争中からのもので、カン高い音のする古いラジオでしたが、それでも
お気に入りの番組になると熱心に聞きました。大人の人気番組は、ドラマ「君の名は」です、放
送時間になると、風呂屋の女風呂が空になるといわれました。子供の人気番組は、おらぁ三太
だ、笛吹き童子、鐘のなる丘、などでした。クイズ、20の扉もよく聞きました。民間放送が始ま
った時、新しいラジオに買い換え古いラジオはなりじぃがもらいました。ダイアルを回すとアメリ
カのFENやVOA等でジャズやアメリカの音楽が聞けました。
戦争中は外国の放送を聞くことはかたく禁止されていました。

映画館
なりじぃの子供のころ映画は娯楽の王様でした。
神戸の新開地にはたくさんの映画館があって、日本映画、洋画、現代劇、時代劇、西部劇等
あらゆる映画を毎日上映していました。映画館も封切館から2流、3流館と色々で中には、湊
川温泉のように風呂に入った後2本立て、3本立ての映画を観られる所もあり、一日中遊べま
した。映画の看板は皆手書きで迫力ある、今思えばどれも芸術作品でした。
他に覚えている所では、松竹劇場、松竹座、大映会館、聚楽館、セントラル会館、新劇会館、
東映劇場、他にもっとありましたが、中には焼け跡にテントを張って無声映画を上映していると
ころもありました、弁士もついて本格的な映画です、観たのは、丹下左膳、忠臣蔵などでした。
学校や、公園など野外で無料の映画もあり、少々遠くても必ず観に行きました。
日本映画は白黒でしたが、洋画は総天然色カラー映画でとてもきれいでした、中でもディズニ
ーの自然の驚異や動画は大変美しい映画でした、なりじぃはこづかいがあれば映画館に入り
びたっていました。

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神戸での遊び 1
神戸での遊び 1