利益の社会性について考える

社会の秩序と発展と利益追求競争


 「ものつくり屋」は、しがない技術屋にすぎません。社会学者でも経済学者でもありません。
 ただ長年社会で生きていれば、社会がどういうメカニズムで動くものかどうかくらいは分かってきます。 そして現代が侵されている病についても分かってきます。

 まず資本主義による利益追求と競争から説明しましょう。現代の資本主義先進国において、商品あるい サービスの供給者として経済活動に参加する者の利益追求を「容認」しています。ここで間違えて欲しく ないのは基本的人権のような「権利」ではなく「容認」であるということです。「容認」には条件 がつきます。その条件を文書化するとすれば、「社会秩序と発展に貢献する限り」ということになろうか と考えます。
 そのことを如実に表すのが「人の健康や安全を侵す商品の禁止」や「独占の禁止」です。もし「利益追 求」が権利であるなら、利益の追求できる「麻薬や武器の販売」あるいは大きく成長した企業による「新 規参入者の排除」などを禁止するのはおかしいことになります。これらが「社会秩序や発展を阻害」する が故に禁止されているのです。

 それでは法によって規制されていないものは全て「容認」されるかというと、まず「法的には容認され」 その次の段階で「競争」による淘汰によって「社会の秩序と発展」への貢献の悪い利益追求が排除されます。 単純に言えば「消費者の要求」から離れた商品やサービスが見捨てられることになります。

 現代社会の罹っている「病」は、多くの商品やサービスの生産・販売者が「企業組織」の壁に阻まれて、 「消費者の欲求を満たすべく活動し、欲求を満たした事に対する報酬を得ている」ということを体感できず にいるということにあります。

 私がMLMの可能性を新たな産業構造の視点から調べ始めたとき、当然のこととして「起業家」である MLM参加者に「消費者の欲求を満たすべく商品やサービスを提供する」という意識が存在するものと考 えていました。そして利益について「今まで満たされなかった消費者の欲求を満たした」ことに対する報 酬という「利益の社会性」についての感覚があると考えていました。

 しかし、私の見聞きした範囲では、そのようなものが見あたらず、他者の「起業して利益が上がると良 いな」という「起業家予備軍としての消費者の欲求」を満たそうとしている部分をかろうじて感じるのみ で、「商品やサービスを最終的に消費する消費者の欲求」を満たすという点において既存販売以下の意識 以外は見いだせませんでした。

少なくとも製造販売される商品やサービスは、最終的に消費されることによって「社会的価値」を生みま す。そういう意味でMLM参加者が「最終的消費者のどういった要求を満たして報酬を得ているか?」というこ とは、MLMを社会に位置づける上で非常に重大です。


そこで私がMLMに関して議論されている掲示板において過去に発言した内容をまとめてみました。 MLMに参加しようとお考えの方、あるいは参加されている方に、下記に示した問題提起について考えて みてくださいとお願いします。


過去発言1

MLM販売者の利益とは何か?という点について少し考てみます。

そんなもの販売マージンに決まっている訳ですが、販売マージンの社会の中における意味合い的なものを 少し考えてみたいのです。

個人が荷物を背負って行商などしていた江戸時代などですと行商人の得るマージンは、(1)仕入れ品の選択 という知的労働への報酬、 (2)運搬を中心とする肉体労働への報酬、 (3)顧客の確保と商品の情報提供 を含む信頼関係の構築への報酬などと位置づけて良いのかなと思います。相対的な大きさとしては、 (2)>(3)>(1)というところでしょうか(その時代に生きていないので自信がない)。

一般量販店になると組織化して複雑ですが、(1)立地条件の優れた場所を選択し店舗を出し、維持するのに 要する労働への報酬、 (2)仕入れ品の選択という知的労働への報酬、 (3)商品管理・販売に関わる労働 への報酬、 (4)バーゲン情報などの情報提供に関わる労働への報酬などからなっていると考えていけるの かなと思います。ざっくりとまとめたので少しまとめかたに無理がある気がしますが、とりあえず。これら の順ハ付けは難しいのですが(3)>(2)>(4)くらいで(1)はどこかに入る(バリエーションがありすぎて位置 づけられない)のかなと考えます。

さて、MLM販売の利益について考えたいと思うのですが全く自信が無いので、議論の「たたき台」だと思 って読んでください。 (1)在庫をお持ちで有れば、仕入れ品の選択という知的労働への報酬、 (2)商品管 理・販売に関わる労働への報酬、 (3)顧客の確保と商品の情報提供を含む信頼関係の構築への報酬と位置付 けられるのではと考えます。順位付けは間違いなく(3)が大きいということは分かるのですが(1)と(2)の関係 は分からない。

行商人時代に存在した「顧客を探し、商品の情報提供を含む信頼関係の構築への報酬」が一般量販店では 「立地条件」や「商品管理」に取って代わられ、MLM販売では重みをまして復活していると考えています。 重みが増したと書きましたが、一番考えなければならないのはどんなものが付け加わってきたために重みが ましたかという点です。

行商人の時代とは比較にならない量の商品が巷にあふれ、商品の情報も処理しきれないほど氾濫している という状況の中で、MLM販売者は本人の意識するしないに関わらず、商品購入者から「多量の商品のスク リーニングの一端」を担わされる状況となっているのではと考えます。「信頼関係」の構築の中に「スクリ ーニングの一端を担う」ということが組み込まれてしまうと言い換えたほうがよく分かるかも知れません。

MLMの将来を考える中で、この部分をもう少しきちんと理論化して組織形態の中に何らかの形で明確化しないと 「社会的に位置づけの不明確な利益」を得ることになる気がしています。

解説:この時期私は、MLM参加者にきちんとした「起業家」としての意識があると考えていました。そして 「利益の社会性」について考える人も決して少数ではないと思っていましたが、この考え方にいくつかのコメ ントは頂いたのですが、「利益の社会性」を把握することができませんでした。



過去発言2

1.社会の必要性を満たす仕事には報酬がある。
2.社会の必要性を満たすやり方を最初に始めれば報酬は高い。しかし短期間で通常の報酬にもどる。   (競争主義の中で模倣者が必ず出るから)
3.社会の必要性を満たしている以上の報酬を得ようとする動きは犯罪であるか、 将来的に犯罪と位置づけられていく。

解説:これは、MLMの社会問題について議論されている所に割り込んで述べた発言です。 この時期に私は、ひょっとしてMLM参加者に「利益=成功」という感覚のみがあり、「利益=社会からの報酬」 という概念が無いのではと思い始めました。


過去発言3

「製造−販売−消費の関係が変化しつつある」というのは私自身がかなり確信をもっている事です。

MLMが、この関係変化の時期にかなり一致して発生してきたということもあって、「MLM販売法に、新たに 生じている社会的ニーズを満たす側面がある」という前提(思考のための作業仮説)をたてて、考えてきました。

MLM販売法が様々な問題を起こしながらも拡大しているという事や新たにMLM販売型で起業される動きなど をこの会議室を通じて知ることで考えた前提です。
分からなくなってしまった大きな原因の一つは、MLMを実際におやりになる方に「狭い感覚の利益追求の意識」 を強く感じてしまうことです。仕事ですから利益追求は当然ですが、「社会のニーズを満たしているから利益が ある」「人のまだやっていないやり方でニーズをみたしているから大きな利益がある」というこの社会で利益を 追求する中でそれなりに持っていなくてはならない部分があまり見えてこない。

MLMが様々な社会問題を引き起こしているのも事実です。私としては問題個々を議論する前に、MLMは 「新たな社会ニーズ」を満たすやりかたなのかが最優先課題なのです。もしその部分がきちんとあるのであれば、 個々の問題を回避するやり方を考えていくべきだし、その部分が無いので有れば淘汰されていくだけのものだと 思います。

解説:MLMによって大きな利益を得ている人がおり、その大きな利益が社会的に容認される利益追求の結果と みなすためには「何か必要とされている社会ニーズ」を満たしたものと定義しなければなりません。この時期 かなり理論付けに苦しんでいました。


過去発言4

(収入を期待するのは当然の事)というコメントに対して。

そう当然のことです。だからこそ既存の販売法でやる人は、「店舗の立地条件」なり「予想される客層」に合わせた 店舗ディスプレイや駐車場の規模に心を配って店舗を設置して、そのあとも「取扱商品の選択や管理」とか「店員の 接客態度」などに心を配り続ける訳です。そういった部分がビジネスとして「儲け」になっているわけです。この 「儲け」はきちんと社会の必要を満たしているという部分とリンクできるわけです。

だからこそ、あえてMLMをおやりになっている方の「儲け」は社会の何を満たした報酬なのか?そんなもの無いの ではないですか?という意地悪な話をしているつもりです。

(努力は必要)というコメントに対して。

うーんちょっと。努力の話では無いと思っています。既存店舗の例で言うと儲けのために「立地条件」を検討すると いう部分を見れば「便利なところにある」という意味でお客様の役に立っている訳です。MLMの方の努力は商品購 入者の何の役にたっているのかな?何の役にも立っていないのじゃないですか?(あくまで意地悪に徹して)

(流通を無視した、単にビジネスとした展開もある)というコメントに対して。

こういうのってビジネスっていうんですか?(これは本当の意味で素朴に疑問です)

解説:反発でもなんでもコメントをもらわなければ、MLMの社会性を考えるネタがつきはじめてきました。
ただ相変わらず、見えてくるのは参加者の「利益追求は悪ではない」のみでした(別に私も悪とは思いません。 社会ニーズを満たした正当な報酬であるのなら。)



過去発言5
(押しつけにしない販売を心がける)という事へのコメント

 要は購入者の中に潜在的にでも「商品知識が豊富で、使用感も含めて商品選択にアドバイスしてくれる販売員が いて欲しい」という要求がどのくらい醸成されているのか?

という事のように考えています。購入者にこういう要望がなければ、どうやったって「押しつけ」「しがらみ」 という部分になってしまうと考えます。私自身は販売の経験はわずかしか無いのですが、おそらく販売員が利益 と別に購入者から与えられる「感謝」や「ねぎらい」というものを真剣に受け止めていくとこの部分が見えて くるのではと思います。

「販売員に商品知識を正しく持たせる」「訪問販売における法的制限を遵守する」といったことはシステム構築 技術上の問題として不可能では無いと思いますが、消費者の中に上記の欲求がどの程度あるのか?、今後どの程度 増えるのか? によってMLMの将来が定まってくるのではないでしょうか?

社会変化の一端として物事をとらえようとする視点からは、「旧システムでは、***の社会欲求を満たせなく なっていたため、***方式の出現をみた」という整理の仕方をしたくなります。この会議室の過去記事などを 拾い読みするとMLMに対して懐疑的なあるいは否定的な人に対して「新たな流通革命であり固陋で保守的な考 え方では理解できない」というMLMをおやりの方の発言がありました。

スーパーマーケットの出現、コンビニの出現、宅配便の出現すべてにおいて、始まりは決して順調と言えるもの ではなく多くの問題を抱えながら始まりました。ただ共通しているのは、それが社会に対して利便性を提供する ものであり、潜在的なものも含めて社会の要求があったということです。

私が分からなくなってしまった原因の一つが、私はMLMをやっていないので、購入者(消費者)欲求があるのか 無いのか分からないという点です。MLMの中で購入者から与えられる利益以外の「感謝」「ねぎらい」という ものをどのように体感されていますか?

解説:すこし法制度について補足すると、例えば「宅配便」を始めようとしたときには「運輸省」の「鉄道小荷物」 の保護の壁により「違法」でした。新聞広告なども使った社会的な意識喚起により「適法」となるように業者と消費者が 変えてきたのです。キーワードは「社会的な必要性」です。現行法にひかからない事よりも、社会的に有意義か どうかが問われなければならないのです。この時期に私はMLM参加者に「社会的有意義感の欠如」を感じながらも、それが 社会一般にもあることを思い、まだMLM参加者が「社会的有意義性に気づいていない」という可能性を捨てていません。



過去発言6
(利益=成功トークでリクルートする)ことに関して

「購入者欲求」がある程度明確に認識された上で、短期間に限って言えば「 なたがあの地区でDTになれば 利益は得られるはずだ。」ぐらいならいえるのかな? と思います。

その地区に十分な「購入者欲求」があり、対応している他のMLMがないというのであれば、他の同種商品を 扱うMLMと競合が始まるまでの間は、「購入者欲求」を満たすという事業をその地区で独占できますから 利益は保証まではいかなくとも有る程度言えるでしょう。

この場合、その上部の方に入る利益というものは、フランチャイズ店と類似した状況として、かなり明確に位置 づけられます。有望な地域を選択し、販売のノウハウを提供し、商品供給の仲介を行ったことに対する報酬です。 そしてそれは、社会的にも欲求のある地域に対して欲求を満たす手段を提供した事にたいする報酬です。

長期安定的な権利収入というのは果たしてあるのでしょうか?
知り合いに本の印税収入のある人もいますが、長期間にわたって安定的に売れる本などなかなか書けるものでは なく、小遣いにもならない事が多いようです(たかる気にもなれない)。

私の考え方の基本として「利益とは社会に対してなした事に対する報酬」と考えています(あくまで基本であり 短期的、一過的には何でもあるとも思います)。長期安定的な権利収入を得ようとすれば、長期間にわたって 社会への何かのサービスを成し遂げる事をする必要があるのでは無いかと思います。

解説:厳しいことを言えば、MLMに販売者として参加するということは、「一起業家として社会に商品あるいは サービスを提供する」ということです。それは既存の販売では資本を用意しなければなりませんでした。自己資本 にしろ融資を受けた資本にしろ一つ読みを間違えれば損失を被るということから、「儲かるか否か」について厳 しく考察する必要があります。その考察の中に必然的に「儲かるか?=売れるか?=社会の必要性を満たすか?」という検討が 入っています。MLMは自己資本もわずかで始められることから、安易に「あの人が儲かっているから自分もやってみよ」という 起業家としての基本の無い状態での参加が起こっているように見えます。そして、起業家は「起業したものが社会的な必要性」を満たすか どうかで最終的な勝者と敗者に分かれます(これが競争淘汰です)。これは初期の持ち出し如何に関わらず厳然と 存在します。


最後に

 相変わらず長々と書いていますので最後まで読んだ方はいないかも知れませんが、社会で生きると言うことは 厳しい事です。そんなことは、おそらくほとんどの方が聞かされて来たことでしょう。ただ現代社会が罹っている 「病」は、厳しさの意味を誤らせています。おそらく「厳しい」の後に続いた事例は「組織に属することの厳しさ」 を表すものではなかっでしょうか?。だから「組織に属さなければ厳しさから逃れられる」と感じていないでしょうか?

 社会で生きる事の真の厳しさは「組織に属して、組織から報酬をもらう事」から生ずるのではなく、「社会に対 して商品やサービスの供給者である」事から生じます。組織は変わることもありますし変えることもできます。 しかし、社会で生きる限り社会に対して何かの供給者であることから逃れる道はありません。同時にそこに報酬 以外の「喜び」もまたあります。一度考えてみていただければ幸いです

 ここに書いた内容についての質問やご意見が有れば「ネットワークビジネス研究室掲示板」を定期的に 見ていますので、そこに書き込んで頂ければと思います。