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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」から出典させていただきました。

革新懇インタビュー



このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.9.10)から出典させていただきました。

憲法守り、軍隊のない独立国家に
日野原 重明さん
(医師・聖路加国際病院理事長)
ひのはら・しげあき
1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒業後、41年に聖路加国際病院へ。
著書は『10歳のきみヘ−95歳のわたしから』、『人生、これからが本番』、『95歳からの勇気ある生き方』など多数。
「よかった」参院選結果
 −先の参院選で自民党が大敗しました
 よかったです。安倍内閣がちょっと崩れましたね。民主党も安倍首相のように改憲を強引に進めると反対があるということを読んで、もっと審議を続けるべきという方向になるでしょう。いまこそ憲法を守る国民運動が効果を発揮してきます。
 憲法をかえるかどうかを最終的に決めるのは国民です。安倍内閣の改憲の狙いはアメリカといっしょに地球のどこかで起こる戦争に従事することです。その足がかりとして国民投票法を国会で強引に成立させましたが、心して憲法を読み返して、改憲阻止の運動を進めることが大事です。
平和守る勇気を
 −過去の戦争について、「正しかった」という人がいます。
 日本は日中戦争という誤った戦争に踏み出し、近隣諸国に大きな惨禍をもたらしました。中国で人体実験をおこなった731部隊の石井四郎中将は京都大学の先輩です。私が医学部4年生のとき人体実験の16ミリ映画をみせられました。捕虜を檻のなかに入れてチフスやコレラ菌その他の各種の病原菌を感染させて何日目に熱が出るか、何日目に発疹が出るか、何日目に死ぬかというものです。また、南京で日本兵が銃剣で妊婦のおなかを突き刺す場面も見ました。見た学生はみんなぞっとして、脳貧血を起こして倒れるんです。
 僕らはそういう事実を知っているから、「あれはもう過去のことで、なかったことだ」なんて嘘は通じない。アメリカのべトナム戦争もそうですが、戦争というものは人間を悪魔にしてしまいます。
 久間前防衛大臣の原爆投下「しょうがない」発言もひどいものです。
 私の父はミッションスクールの広島女学院の院長を務めていました。昭和19年(1944年)に定年退職で上京したから助かりましたが、被爆後すぐに焦土化した広島を訪れ、「女学生が死んだ」「学校の建物がなくなった」と、報告しました。私も医学生時代は広島女学院の官舎にいたことがあるので、広島にはなじみがあります。
 被爆の悲惨さを知る私たちは、世界に何万発もの核兵器があることを踏まえ、平和の尊さを語り継いでいかなければなりません。現代人に必要なのは戦う勇気より平和を守る勇気です。
安保条約の破棄を
 −米軍基地の解消も提言されていますね。
 私は日本が平和憲法を実現して世界平和のとりくみの先頭を目指すことを願つています。米軍への基地提供も10年後には解消したいと、アメリカに伝え、その後は完全に軍備のない独立国家となってほしいと思います。
 そのために安保条約を破棄することにアメリカは文句を言えません。いい方向にするんですから。また、反対したら他の国は文句を言いますよ。ポツダム宣言を受諾して日本が無条件降伏をしたのはアメリカに無条件に従うということではなく、世界に非戦を宣言したのですから。
「命への畏敬」
 −平和や憲法への思いの原点には何がありますか。
 それはシュバイツアー博士の「命への畏敬」という考え方です。すべての命は皆神様から与えられたものであり、動物でも植物でも生きる権利がある。だから地球上の全生物が共生する方向にもつていくべきだという考え方です。いわんや人間同士が殺し合う
などとんでもない。
 東京大空襲の時には多くの被災者が聖路加国際病院に運ばれてきました。大やけどを負った大人や子どもたちが薬品もなく目の前で死んでいきました。その光景はいまも私の脳裏に焼き付いています。
 私は命を守る医者です。命を脅かす最大のものが戦争です。だから私は日本が軍隊をもつことに同意できないし、平和運動に徹するのは医者の務めです。
(全国革新懇ニュース2007年9月10日号)


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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.7・8月合併号)から出典させていただきました。

映画「日本の青空」主演
憲法9条は守り抜きたい
高橋 和也さん(俳優・歌手)
高橋 和也さん たかはし かずや 1969年東京生まれ。88年「男闘呼組(おとこぐみ)」としてデビュー。93年解散後は音楽活動を続けつつ、俳優として幅広く活躍。映画代表作に「KAMIKAZE TAXI」 (94)、「HuSh!」(02)などがある。最近の主な出演作はTV「純情きらり」 (06)、「風林火山」 (07)、舞台 「写楽考」 (05)、「サムワン」 (06)、「獅童流・森の石松」 (06) など。NHKの韓国ドラマをはじめとするイ・ビョンホン主演作のドラマ、映画の日本語吹き替えのほとんどを担当し、好評を得ている。
 連合国軍総司令部(GHQ)の憲法案は日本の民間人による「憲法研究会」がつくった憲法草案を基礎としました。この日本国憲法誕生過程を描いた映画「日本の青空」(自主上映)で主人公の憲法学者・鈴木安蔵を演じています。
九条は生きていく指針
− 同映画に出演した感想は。
 たいへん責任のある役だと緊張感がありました。
 マルクスを知り社会科学に目覚めて、治安維持法違反第一号として投獄された人です。自由民権運動など、自由や民主主義を研究してきた歴史のなかに鈴木安蔵さんたちがいて、戦後の焦土と化した東京の焼け野原で民主主義、国民主権の憲法草案をつくった。それが現在の憲法の元になっているんですね。
 民衆のための憲法や政治を真剣に考えた人たちがいたから、日本は六十年以上も戦争をせずに平和に暮らしてこられた。
 ぼくはGHQがつくった憲法と思っていたのでこの歴史的事実も、いま当たり前のように享受している幸せや健康的な生活が憲法で守られているということも、驚きでした。 憲法前文はもう二度と戦争はしないという基本精神をはっきり言っている。世界平和を恒久的に求め続け、そこに貢献していきたいという宣誓ですよね。戦争に負けてなにもかも失った人間の心の叫びであり、次を生きていく指針だと思います。だれかに押し付けられるというより、当時の人たちの心情だったんじゃないか。
 いま、そういう時代を知らない人たちが日本のトップになり、そのときのことを非常に軽く論じているという気がします。やはり歴史から学ばなければいけない。足早に変えてしまえというのではなく、国民に考える余地を与えてほしいし、考える材料として映画、「日本の青空」をぜひ観ていただきたいです。わかりやすく、胸を打つ映画です。
 いまさら「戦争しよう」はずるい
− 憲法を変えて戦争する国になるのではなく、憲法のもとで六十年余、戦争をしなかった実績を世界にもっと訴えるべきですね。
  まさにそのことを日本は言わなきゃいけないですね。広島と長崎に原爆を落とされた国なのに、また軍備増強の方向に戻ってはなんのための六十年だったのかと思います。
 自衛隊は他国を攻撃して人を殺すことはできない。それが憲法九条です。アメリカや多国籍軍に非難されても、日本の憲法ですから、だれに恥じることはない。六十年前の戦争で負けて我々が得た宝ですよね。どこの国にもない平和憲法を持っている。
 アメリカには「いっしょにつくった憲法じゃないか。いまさら『いっしょに戦争しよう』はずるいだろう」と言えばいい。そのくらいのことがどうして言えないのかと思います。
− 「米国から独立して自立国家になるために軍備が必要」と言う人もいます。
  そういう自立の仕方ではなく、世界とどう共生していくのかを考えなきゃいけないですよね。
 ぼくは子どもたち全員に「日本の青空」を観せました。この映画を通じて日頃から改憲への動きを気にするようになったぼくの姿を知る中学生の長男は、真剣に観たようです。
子供を兵隊にとられたくない
 いま首相は憲法を変えると言っています。軍備増強を言うあの人たちは戦地に行って、前線でたたかうわけじゃない。たたかうのは若い兵士たちで、少なければ徴兵で集めるしかないですよね。そういう論理になったらもう収拾がつかない。一つ許してしまえば子どもや孫の世代では大きな間違いになるかもしれない。いま、その大事なところにいると思います。
 うちは男の子が四人います。この子たちが兵隊にとられるような国に住みたくはありません。「そうなったらお父さんはみんなを連れて日本を出ていくかもしれないよ」と話をしたことがあります。
 世界中には祖国がありながらそうやって難民になった人がたくさんいるわけで、そうなる前になんとかここでくい止めないと。守り抜きたいですね。
「僕らの生活はどうなっていくんだ」
 --憲法の条文一つひとつが持つ意味の大切さをいま実感します。
 年金問題や(企業)献金問題のほか、政府は改憲を焦ったり、法案をよく議論もしないでどんどん強引に通している。やっていることはなんだかおかしいですよね。
 憲法にはすべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すという一項(二五条)があります。でも格差社会で「ワーキングプア」(働く貧困層)や町工場の経営者や失業した人たちがホ−ムレスになったり、社会保障が削られて最低限の生活すら営めない人たちのドキュメンタリーを観ると、この権利はどうなったんだと言いたくなります。一生懸命働いて払っている税金はどんどん高くなり、「ぼくらの生活はこの先どうなっていくんだ」と思う。そういう肌で感じる苦しさが、いまのみんなの怒りの根底にあると思います。
 俳優はさまざまな人間を演じるのが仕事です。政治的な発言ばかりするとよくないと言われるけれど、ぼくは六人の子どもを育て、暮らしている普通の市民ですからこの国がどこへ向かうのか、とても不安です。
 もう一度憲法の意味を問いただしたいし、ぼく白身ももっと勉強しなきゃいけないと思います。
本当の力は民衆のなかに
 −韓国の映画やドラマの吹き替えに挑戦し、同国との接点も多いですね。 
 近いけど遠い国という感じでした。実際に仕事をして、目から鱗が落ちるようでした。人々は明るく、歌が好きで、情熱の国です。なぜもっと早く来なかったんだろうと思うくらい好きになりました。
 国が映画を重要な産業ととらえ、映画界が盛り上がっていました。二十四時間 映画が観られるんです。真夜中でも人がわんさかいて、上映中もかけ声や笑い声がして、エネルギ−がすごい。うらやましいくらい自由なんです。韓国の歌を韓国語で歌えるように練習しました。みんな喜んでいっしょに歌ってくれました。
 国境があり言葉は違いますけど、人間は分かり合えないものじゃない。日本人にもいい奴がいると思ってくれたらうれしいという気持ちで、付き合いました。
−民主的な感性をお持ちですね。背景にはどのようなことがありますか。 
父はぼくが子どもの頃から店を経営しています。そこへいろんな人たちが来る。まわりに親戚もたくさんいて、大人はみんな一生懸命働いていました。それを見ていて自然にそういう考え方になったのかな。 
-アイドルグループ 「男闘呼組」で活躍した十代の頃からのファンも多く、交流を大事にされていますね。 
 ファンの人たちに「いつも勇気やパワーをもらっている」と言われるけど、ぼくの方こそ彼らから愛や勇気、エネルギーをもらっています。みんなの笑顔を見るのが生きがいです。
 ほんとうの力は民衆のなかにあると思うんです。だから普通の人と同じ目線で歌を歌ったり、芝居をしたい。民衆のなかにいて民衆の姿を体現できる、息の長い俳優になりたいですね。

     (「全国革新懇ニュース」2007.7・8月合併号)


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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.6.10)から出典させていただきました。

9条は世界中にない発明品
みんなが幸せに暮らす国づくりを
木村 政雄さん(フリープロデューサー)
木村政雄さん 初めてお会いしました。 日本の現状を憂い、憲法九条を「誇り」にするような国づくりをと発言。革新懇のめざす方向と重なり、たいへん励まされました。
イラクのことはイラクに
 ぼくは革新でも保守でもありませんが、いま国のアイデンティティー(主体性)はどこにあるのかと思います。まず、余りにもアメリカの言いなりになっている気がします。
 アメリカとは仲良くしなければと思いますが、いまではアメリカに要求を突きつけられると、ただただそれを忠実に履行しているだけのような気がします。
 イラク問題でも「派兵を」と言われたとき、ハイハイと返事しつつ、なかなか行かないということがあってもいいのに、他より忠実に守るみたいなところはやはり気持ち悪いですよね。
 イラクのことはイラクに任せておけばいいんだし、世界中をアメリカスタンダード(米国標準)にしてどうするんですか。
 フセインがアメリカの常識からみて問題があったにしても、イラクの国民が選んだ大統領です。それを自分たちのスタンダードに合わないからつぶしてしまえというのはやはり不遜というものです。それに日本が加担する義理はどこにもないと思いますね。
大企業の理屈で進みすぎているのでは
企業のあり方も、余りにもアメリカスタンダードで、企業の業績や利益が最優先されています。  そのために安い労働力を使うのが一番効率いいことになり、経常利益が飛躍的に伸びても、社員には全然それが回っていない。内部留保や配当に回っているだけで、国民に景気がいいという実感がないのも当たり前。
 国のお金を注入した銀行なども税金を払わないで、ただもうかった、もうかったといっている。外国のように利益の何パーセントかを社会的な寄付に当てるようなことを今こそやるべきだと思います。それもやらずに勝手に統廃合し、利用者は遠くまで足を運ばなければならない。すべてが余りにも大企業の理屈や、力を持ってる人だけの理屈で進みすぎているような気がします。
 テレビも視聴率の高い番組がすぐれているかというと、必ずしもそうではありません。NHKでいえば、「プロジェクト]」や「その時歴史は動いた」などは比較的いい番組だと思います。
 先日NHKに出演したときも、「ああ生きててよかった」と思えるような番組をつくるのがNHKの使命だという話をしました。
 余り視聴率目当てに民放のまねなどはしてほしくないですね。
 やはり国民が「この国に生まれてよかったなあ」と思える国にするのが何より大切なことです。国のコンセプト(概念)を変えなきゃいけない。
 経済成長はそれほどなくても、みんなが幸せに暮らす国づくりを志向しなければいけない時期にきていると思いますね。
六十年生きて きて
 第二次世界大戦の総括として、また世界で唯一の被爆国として生まれた憲法九条は、世界中にない発明品、先進的な理念です。日本のアイデンティティーに直結するものだと思います。
 「あの国は戦争や武力で、ことを解決しないんだ」と、世界からみられることは最大の信用たるものです。日本は九条を誇りに、世界とつきあう積極的な意思をもつべきですね。
 ぼくはもうすぐ六十一歳です。人間六十年生きてきたら、お金とか名誉はいりませんね。
 憲法九条のような理念をもつ人が一人でも二人でも増えていく手助けができるといいと思っています。国が進む方向も大きくは必ずそちらに向かっているという気がしますね。


     (全国革新懇ニュース2007年6月10日号)
きむら まさお
 1946年京都生まれ。同志社大学卒。吉本興業で横山やすし・西川きよしのマネージャーなどを経て常務取締役に。退職後、テレビ・ラジオでのコメンテーター、講演、執筆など幅広く活躍中。五十歳からのフリーマガジン『5l(ファイブエル)』編集長も務める。


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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.5.10)から出典させていただきました。

憲法九条は
世界に冠たる戦争の歯止め
宝田 明さん(俳優)
日本は戦争をしてはいけない
− 平和や憲法についてどのようにお考えですか。
宝田明さん べトナム戦争で背中を焼かれ泣きながら逃げる少女を見たとき、本当に悲惨だと思いました。除草剤をまいて奇形児が生まれる、地雷がいまも人を殺傷する。そんなことをする権利が人間にあるのでしょうか。
 イラク戦争も(日本政府は自衛隊の)空輸だけとか後方支援とか言っていますが、そんなことは必要ありません。
 戦争は軍人だけでたたかうものではありません。罪のないたくさんの一般人が死ぬ。日本が唯一守っていかなければならないことは絶対に戦争をしないということです。その歯止めの世界に冠たるものが憲法九条ではないでしょうか。
 行方不明になった兄との再会
−あの戦争のとき、中国におられたそうですね。 
 終戦(一九四五年)のとき、旧満州(中国東北部)のハルピンにいました。父が満鉄(南満州鉄道)の技術者で、私は小学校六年生でした。
 中国人の子どもとも一緒に遊びましたが、彼らが生意気なことを言うとほっペたを張ることなどは平気でした。日本軍が中国で行った暴行、強姦、放火− それと相似形のようなことを日本の少年もやっていた。いまでも心が痛みます。
 (四五年)八月九日、ソ連軍が旧満州に攻め入り、無政府状態となりました。
 南下して逃げようと、毎日何十人もの日本人が満鉄の社宅にもやってきました。幼い子どもを預ける悲しい別れを何度も見ました。着せられていた着物の切れ端を持って日本にやって来る中国残留孤児の姿を見ると、我がことのように思えます。
− 日本への引き揚げ時や帰国後もご苦労されたと聞きます。
 引き揚げが決まったとき、二人の兄は出征して不在、姉は別の町に住んでいました。すぐ上の兄はソ連軍の強制使役にかりだされたまま帰ってきませんでした。やむなく両親と私と弟で引き揚げ列車に乗り、停車する駅、駅に、私たちがめざす新潟の実家の住所を書いた紙を貼りました。
 駅での手荷物検査で家族の写真などが没収され焼かれました。そのとき火の中に手を入れ、写真を取りもどしたのは母でした。のちにそれが戦死した長兄の遺影になりました。
 実家に帰ると営林署の建物になっていて、菩提寺の四畳半を間借りしました。生活のために私も学校を休んで、母が仕入れてきた魚を雪の上に並べて売りました。
 牡丹雪が降りしきるある日、行商している私に、傷だらけの顔にひげが伸び放題の男が道を尋ねてきました。顔をじ−と見ると、なんと行方不明になったすぐ上の兄でした。私たちは抱き合いました。
 兄は強制使役から解放されたあと、農家で働いて食べ物をもらいながら南下。密航船に乗って九州に着き、新潟まで歩いて帰ってきたのです。しかし日本になじめず、親に見捨てられたという思いからか心もすさみ、家を出ていきました。後になってわかったことですが、北海道の炭坑のたこ部屋のようなところで殴られたり蹴られたりしたそうです。早くに亡くなりました。かわいそうな兄でした。
「ゴジラ」は核競争時代への警鐘
−宝田さんは、銀幕のスターとなり、映画「ゴジラ」で初主演されました。
 「ゴジラ」は、ビキニ環礁での水爆実験、第五福竜丸の被爆など、当時の時代背景のなかで生まれた作品です。荒唐無稽なものではなく、ゴジラは核競争時代に入った人間に対する警鐘のシンボルでした。
− こんごのお仕事は。
七月二十四日からミュージカル「葉っぱのフレディ」を再演します。葉っぱの一生を通して死について考えさせる童話です。子どもたちといっしょに命について考えたいですね。少し胸をはり、背筋を伸ばせる仕事です。
     (全国革新懇ニュース2007年5月10日号)
たからだ あきら
 1934年旧満州ハルピン生まれ。1954年東宝のニューフェースとしてデビュー。 ミュージカル「アニーよ銃をとれ」「マイフェアレディ」、テレビ「徳川家康」などでも活躍。 紀国演技賞、ゴールデンアロー賞などを受賞。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.4.10)から出典させていただきました。

お金に換算できない喜び
大事にする社会を
小川 洋子さん(作家)
小川洋子さん ベストセラー「博士の愛した数式」の作者はプロ野球阪神の熱烈なファン。兵庫・芦屋「九条の会」の呼びかけ人でもあります。
 阪神が得点すると町内のマンションの窓辺にメガホンのシルエットがパーツと映るのが「日本の平和を一番感じるとき」といいます。 
本を焼くような時代はノー
− 憲法九条を守るのはどのような理由から?
 小説や芸術、学問は人間が人間らしく生きるうえで必要なものです。しかし油断をしていると、とくに戦争では目に見える利益に関わらない分野だと扱われ、一番最初に切り捨てられます。このことを人間は繰り返し体験してきました。
 ひとりの人がふらっと図書館や本屋に行って一冊の本を手にとる。それを読んでいる二、三日の間、物語の世界でささやかな喜びや充実感を味わい、また本を閉じるという幸福は、絶対に奪われてはならない。
 本を広場で焼くような時代は見たくないし、お金に換算できない喜びを大事にする社会であってほしい。
 こういう立場から憲法「改正」に反対したいと思っています。
 小川さんは一九九四年、第二次大戦中のドイツ軍によって四百万人を 超すユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ(ポーランドの都市)を訪問。
 これをきっかけに戦争で小説が抹殺されることを一番恐れるようになったといいます。
 私は自分の才能が枯渇して小説が書けなくなることは全然怖くありません。書きたいのに社会のせいで書けなくなることのほうがすごく恐ろしい。実際、そういう時代が日本にもありました。谷崎潤一郎の『細雪』はぜいたくな暮らしを描写しているというだけで、連載が中断させられた。ほんとに愚かなことです。
 憲法九条は北斗七星
−安倍首相は「自分の目標は九条を変えること」と発言しています。
憲法を変えたい政治家は憲法について「あいまい」との考えをもっているのかもしれません。が、「あいまい」ななかでしか表現できない真実もあるという作家的な文章の解釈でいくと、いまの憲法が抱えるある種の「あいまいさ」は大事なことです。
 さまざまな思想や宗教をもつ世界の人々のなかで、日本が生きていくうえで「あいまい」であることは必要不可欠だし、平和についても想像できるということです。
− 憲法九条について小川さんは「北斗七星」のような存在だと。
憲法は理想的であれば、誰もがそれを守ろうとすると思います。「そうだな。人間は戦争をしちゃいけないんだな」って。必ずそこにある北斗七星のように、動かしがたい理想として憲法九条が存在することはひとつのあるべき姿です。 
危険察知する創作活動を
−政府・与党は憲法改定の手続き成案を早期に成立させようとしています。「戦争ができる」国への改憲が先の話ではなく、現実の問題です。
 そのように段階を一つひとつ踏んでいくことが恐ろしいですね。
 ユダヤ人への迫害も最初からアウシュビッツヘの連行があったわけではありません。最初はラジオを供出しなさい、自転車に乗ってはいけない、劇場に入ってはいけないと、少しずつ近づいていった。
 ユダヤ人でない人も「ラジオぐらいしょうがないじゃないか」といって許した。
気がついてみると、アウシュビッツのガス室でした。
− 小川さんはアウシュビッツに旅行されたさい、アンネ・フランク(ナチスの迫害にあったユダヤ人少女)の一家を支援した女性に「体験を下の世代に伝えてください。必ず真実は残るはずです」と訴えられていましたね。
 いま、甲子園球場で野球がおこなわれるのは当たり前、ずっと以前からやっているみたいに思われていますけれど、それは戦後、人間が努力した結果です。高校野球の歴史を見ても戦争のために中断がありました。
 平和は自然にそうなるというものではありません。それを守る義務が私たちの世代にはあります。
 炭坑に下りていくときにカナリアをもっていくように、とくに芸術に関わる人は危険を一番に察知してみんなに知らせる、その繊細さをもって創作活動をしていかなければと思っています。


     (全国革新懇ニュース2007年4月10日号)
プロフィール
 1962年岡山県生まれ。「妊娠カレンダー」(芥川賞、91年)、「博士の愛した数式」(本屋大賞、読売文学賞、04年)、「ミーナの行進」(谷崎賞、06年)など。近著に『小川洋子対話集』(幻冬舎)

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.3.10)から出典させていただきました。

経済人は平和に
敏感でなければならない
寺島 実郎さん
(日本総合研究所・三井物産戦略研究所所長)
寺島実郎さん 前回登場の01年2月号は反響をよびました。6年ぶりの再会は近著『経済人はなぜ平和に敏感でなければならないのか』の核心にふれる機会になりました。
結論が出たイラク問題
 イラク戦争について私は一貫して「不条理で不必要な戦争だ」と言ってきました。
 アメリカのイラク攻撃が差し迫っているといわれたときも私は、日本はイラクヘの武力攻撃を支持しない、国連の武力行使容認決議があっても、憲法で「紛争の解決手段としての武力を用いない」ことを国是とする日本の原則を貫くべきと主張してきました。
 ちなみに私は国際活動のなかで、憲法の立場を説明したさい、それで「軽蔑すべき国だ」というような評価を受けたことは一度もありません。
 いま、アメリカ自身、昨年十一月の中間選挙で与党共和党が敗北し、米国民もブッシュ政権のイラク政策はまちがいだったとの結論をだしました。
 世界のなかで現在、イラク戦争が「正しい戦争だった」などと言う国はまずありません。
 こうしたもとでブッシュ政権はいま、イラク戦争を「北朝鮮問題などを考えると、アメリカが日本を守っているから、アメリカについていくことは正当だった」と、国益としてアメリカを支持したのだという議論が浮上している。
 しかしイラクでは少なくとも五万人から十五万人という人が死んでいる。日本の国益のためなら、あの人たちは死んでも仕方がなかったと言えるのか。途方もなく危険なロジックです。
 21世紀の世界は国際法理と国際協調で
 日本がアメリカの「力の論理」を無批判に許容していくならば、アメリカがつくりだす「有事」に際限なく巻き込まれていきます。
 米軍再編問題でもたとえば東京・横田に米軍の中核基地ができることはアメリカの世界戦略に日本が巻き込まれることを意味します。
 日本はアメリカとの関係を大切にしながらも、適切な距離感と主体性を持つことを模索すべきです。
 イラク戦争からの三年半が日本に大きな教訓を残しているからです。 「目には目を、歯には歯を」的な力の論理が挫折していくプロセスを私たちはみてきました。
 冷戦型、相対峠する構図のなかに日本をもっていく選択肢は正しくありません。
 二十一世紀の新しい世界秩序は、世界の核廃絶に向けてのルールや環境を守るルール、国境を越えた組織犯罪を処断する国際刑事裁判所構想の推進など、国際法理と国際協調の仕組みで粘り強くつくりあげていくことが重要です。
時代の観察者から関与者へ
 日本の多くの経済人は同時テロの9.11(2001年)からイラク戦争への流れを、ある種の計算高さでアメリカのシナリオについていき、日本政府の方針を支持しました。
 しかし経済人はだれよりも平和に敏感でなければならない。戦後六十年間、曲がりなりにも平和で安定的な環境のなかで生きることができたからです。
 また、平和産業に徹して今日の経済国家をつくりあげてきたことに、戦後日本の経済人の誇りがあります。
 このことに思いを致して、平和や繁栄を享受する側から、次の世代にそれらを残していく側に自分の立ち位置を転換しなければいけない。
 これがこんどの本のタイトルに込めたメッセージです。私自身、時代の観察者であるよりも時代への関与者として発言していかねばならないと感じています。


     (全国革新懇ニュース2007年3月10日号)
てらしま じつろう  
 1947年北海道生まれ。73年三井物産に入り、米国三井物産ワシントン事務所長などを経て現職。著書に『新経済主義宣言』『「正義の経済学」ふたたび』『脳力のレッスン』など。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.2.10)から出典させていただきました。

日本は憲法九条が
あるから「美しい国」
山崎 洋子さん(作家)
山崎洋子さん 平和や憲法についての発言を依頼すると、「声をあげたくても声をあげられない人がたくさんいるなかで、チャンスを与えられた者が言わなければいけないと思います」と述べて快諾。
 その勇気とあわせて、みずみずしい良識にふれる機会になりました。
日本の戦争は なんであったか
 いまインターネットの掲示板などには「戦争をやれ」「北朝鮮をぶっ殺せ」などと書かれています。
 そういう世代の人に「日本の戦争とは何であったか」を教えるのが教育だと思います。
 また、あの戦争をマスコミあげて大検証することも求められている。でも十分にはやられていません。それが一番怖いと思います。
 私も戦後生まれで直接には戦争を知らないわけですが、亡くなった夫は横浜の空襲を経験し、「焼けこげた人がいっぱいいて、街が死体の山だった」と語っていました。
 私自身、作家になろうとして戦争に関するいろんなノンフィクションを読みました。
 「天使はブルースを歌う」に書いたように、横浜では敗戦直後、仕事がなく、家族を支えるために身を売るしかなかった女の人と、米兵との間に混血児が生まれた。
 当時差別がひどく、育てられないとして市内の根岸外国人墓地に葬られた赤ちゃんは九百体近いといわれでいます。
 戦争で犠牲になるのは子どもや女の人など弱い立場の人です。
 戦争はカッコいいアクション映画みたいなものではないことを教えてから、安倍内閣は憲法改正を言ってほしいと思います。
アジアの人々との草の根交流を 
 いま「戦争のできる国にしなければ」と、その理屈を政治家や評論家がいろいろ言います。
 でもどうして戦争をする方向にばかりいくのか。なぜ首相自らあおるのか。
 その前にすることは「戦争にならないようにすること」ではないかと思います。
 アジア外交を重視し、アジアの人たちと草の根的に私たちが交わっていくこともその一つです。
 例えば私が住む横浜はアジアの街です。欧米人よりはるかに多く中国人や韓国・朝鮮の人たちなどが住んでいる。
 友人から誘われて北朝鮮の朝鮮人学校に行くと、壁ははげ落ち、校舎が痛んでボロボロでした。
 そこへもってきて拉致問題で評判が悪くなり、いじめも始まった。
 そうしたとき日本の警察がパトカーで朝鮮学校の玄関前に必ずきて、守ってくれたそうです。
 文化祭のとき小学生の二人がお皿を持ってきて、お巡りさんに「ありがとう」と差し出すと、お巡りさんがポロポロと泣き出したといいます。
 私もその話を紹介するたびに泣けるんですけれど、玄関前で守るお巡りさんは同じ日本人が罪のない子になんてことをしているんだと分かるわけですね。
 そういうボロボロの民族学校などにいま日本の補助があまりいきません。でも日本で生まれ育った子どもたちは何の罪もない。そこへ日本の政府や日本人が出来るだけのことをしてあげれば、その子たちは「日本の国はこんなことをしてくれた。あったかい」「日本人は差別する人ばかりじゃないんだ」と分かり、自分の国へ行ってもそれを伝えてくれますよね。
 安倍首相は教育が大事だと言われるのならば、ほんとに大事な教育はそこにあるのではないか、「美しい国」とはそういうことではないかと思います。
戦争はむごいもの
 日本は憲法九条があるから「美しい国」だと思います。
 「九条は時代にそぐわない」という言い方が私にはどうしても理解できない。
 どのように時代にそぐわないのか、きちっと説明して欲しい。そして戦争がむごいものだということをまず言ってから、「武力をつけて戦争ができる国にしなければいけないんだ」と話してもらいたい。そこに説得力があると違ってきますが、ありませんね。


(全国革新懇ニュース2007年2月10日号)
やまざき ようこ  
 1947年京都府生まれ。 86年、横浜の遊郭を舞台にした「花園の迷宮」で江戸川乱歩賞受賞。 ほかに「ホテルウーマン」「ヴィーナス・ゴールド」など。演劇の脚本・演出も。 現在、テレビ朝日 「スーパーモーニング」(水曜日)のコメンテーター。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2007.1.5)から出典させていただきました。

日本は平和憲法を
基軸に進むべき。
半藤 一利さん(作家)
半藤 一利さん 著書『昭和史』(二巻・平凡社)がこのほど毎日出版文化賞特別賞を受賞。
 日本は平和憲法を基軸にして進むべきと記しています。
東京大空襲で死の寸前に
 ■中学二年の三月十日、東京・向島で東京大空襲にあい、家が全焼するとともに、ご自身、死ぬところだったと聞きます。
 「焼夷弾が何発も雨のように落ち、私たちの町内もいっペんに火が出ました。
 『消せる』と教わっていましたから消していましたが、とてもだめで逃げました。
 葛飾寄りの中川の川岸に着き、『ここなら安全だろう』と思っていると、まもなく火の海になりました。
 大勢の人が中川にダボンダボンと落ちましたが、川岸で赤ちゃんを抱いてる人などは川へ飛び込む元気、勇気はありませんから、うずくまっていると、上から火をかぶって身体がパーッと燃えた。
 私は舟に乗ることができ、水の中の人を引き揚げていましたが、そのうちに手を引っ張られて水のなかに落ちました。
 水面が分からず水中で右往左往していると、脱げた長靴が落ちていった。逆が水面だと分かり、水面に出て舟の人に助けられました。
 たくさんの人がおぼれ死にました」
戦争は非情で無惨なもの
 ■戦争体験を語るのは六、七年ぐらい前から?
 「あまりにも目の前で無惨に死んでいくのを見ていますから、話すのは本当にいやでした。
 でも平和のことなどを書いていると、『戦争を知らないくせに何だ』と言う人がいる。
 妥協しているとダメだ、戦争が非情で無惨で、むなしいものであることをきちんと言うためには体験を言わざるをえないと思いました」
 ■学生時代は米軍占領下。日本共産党員と支持者を職場から追放するレッド・パージ(一九五〇年)に反対し、ピケラインの最前列に。
 「赤色か桃色か、よく分からない理由で大学の優秀な先生がパージされるなんて何ごとかと思いました」
軍隊の「怖さ」を考えるべき
 ■安倍首相は憲法を任期中に変えたいと公言し、自民党の改憲案は「自衛軍保持」を明記しています。
 「軍隊は『攻撃する組織』で独断専行が許されないと、軍隊たりえないものです。
 使命として強くなければいけないことから、障害物があれば、クーデターを起こすこともありえる。
 いま世界で起こるクーデターも全部軍によるものです。
 その怖さを考えないで『憲法改正して軍を持ち、核兵器も持て』など、とんでもないことを言っている。
 平和憲法をもつ日本人は世界に『お互いに戦争をやめよう』と言うことができます。
 それをぐんぐん進めたほうが、よほど人類のためになります」
 ■世界の流れをみると、イラク戦争などが端的な例ですが、国際紛争を武力では解決できません。
 「武力ではなにも解決できません。全部政治や外交で解決しなければできない。
 戦前の日本も一番判断を誤ったのは国際連盟から脱退(一九三三年)したことです。それ以来、日本に国際的センス、外交力が失われ、『お山の大将』になった」
戦後も見捨てられた戦没者
 ■独善、無惨といえば、日中戦争、太平洋戦争の戦没者の多くが餓死者です。
 「軍人の死者二百四十万人のうち七〇%が餓死です。しかも死者の約百十五万人の遺骨がまだ南の島や北の荒れ野にほったらかし。遺骨も放ったまま、靖国参拝ばかりに熱を入れている。
 『なにを考えているのか』と指摘すると、『だんだんアカになってきた』と、いつのまにかアカになっている」
 ■文芸春秋の元編集長が?
 「ええ(笑い)。アカでもなんでもないですよ。もともとそう言っていたんですからね」

   (全国革新懇ニュース2006年12月、2007年1月合併号)
はんどう かずとし 
 1930年生まれ。東大卒。 文芸春秋の週刊文春や文芸春秋の編集長を経て作家に。 著書に「日本のいちばん長い日」「聖断」「ノモンハンの夏」など。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2006.2.5)から出典させていただきました。

戦争には
「おかしいね」「おかしいよね」と
言い続けたい。
根岸季衣さん(女優)
自分が世間に 訴える場所
 ■「非戦を選ぶ演劇人の会」による平和の大切さを訴えるピース・リーディング (朗読劇) に数多く出演されています。
根岸季衣さん根岸 一番最初のピース・リーディング (〇三年二月二十八日) は記事で読みました。
 ちょうどイラク攻撃(〇三年三月二十日) が始まる前でした。
 イラク戦争を話題にすると、まわりが沈黙する状況があり、表現者として、社会人として、この問題とどう関わっていくかを考えていました。
 リーディングという形で参加できるならと、渡辺えり子さん(劇作家・女優)に「ぜひいっしょにやりたい」と電話をかけました。
 二回目 (〇三年四月)からは可能な限り出演しています。
 「会」に入ってみると何でもストレートに語りあえるんです。
 〇四年の夏からは実行委員に加えていただきました。
 みなさんお忙しい方ですから、集まって稽古ができない。
 それぞれ事前に台本を読んできて劇場に入り、舞台の立ち位置を決めるだけの時もあります。
 「会」には事務局長も事務局員もいません。
 私も台本をホッチキスで止めたり、リーディングの案内状の発送をしています。
 空いているときは必ず行くようにしています。
 自分が世間に訴えかける場所をもらったという充足感があって、ありがたいと思います。
憲法九条を日常会話として語りたい
 ■いま、メディアのなかではものが言いにくい状況があると聞きますが。
根岸 とくにテレビタレントのようにダイレクトにテレビと付き合っている人は言いづらさを感じているかもしれません。
 テレビで憲法九条について語られることはほとんどないですよね。
 何か言うと、昔の言葉でいう「アカだ」みたいなニュアンスがあります。
 頭でっかちではなく、日常会話として話していかないといけないなと思っています。
 そんななかでもこんど、新聞社から「関西の演劇人でピース・リーディングを」という話があり、五月三日に大阪で公演することになりました。
 渡辺えり子さんと私が参加します。
 ■平和などへの熱い思いはどこからくるのですか。
根岸 高校時代が七〇年安保だったというのがあるのかも知れません。
 みんな正義感もあった。自分自身のことより、社会の動きに対する憤りがあったように思います。
 ■「九条の会」 のアピールに賛同されていますね。
根岸 昨年十二月のリーディングで渡辺えり子さんが、日本のまちがった戦争の歴史をとりあげて、また同じことをくり返してしまうかも知れないと問題を投げかけました。
 私たちも、いまちゃんと踏みとどまって、過去を見直さなければと、勉強になりました。
 「改憲すべき」という意見をいくら読んでも、どうして戦争に向かうのか、理解できません。
 経済的な問題や国際社会のいろんな問題があるにせよ、とにかく戦争はおかしい。
 人が人を殺すこと、うらみからは絶対に正しいことは生まれてこないと思います。
 とにかく戦争は正しくないという一点だけで、「おかしいね」「おかしいよね」と言い続けられればと思います。
 イラクで人質になった香田証生さんが殺されたときも、「行くのが悪い」「自己責任だ」と、さっと片付けてしまうところがありました。
 高遠菜穂子さんたちの事件のときもそうでしたが、イラクで一生懸命にやつてくださっている人がいるというのに、失礼な話ですよね。
 自衛隊のイラク派遣についても、「日本はアメリカに頼っていかなければ」と言う人がいますが、番長にくっついている「ぱしり」みたいな感じがします。
 ■こんごのお仕事は。
根岸 三月十日から二十六日まで東京・紀伊国屋サザンシアターで、山田太一さんの新作『流星に捧げる』に出演します。
 いま歌が楽しくて。ブルースが大好きで、バンド「TOSHIE&ザ・ブルースロード」で歌っています。
 最近自分でオリジナル曲を書き始めました。
 人の心にしみるような曲でないといけないなと思います。
ねぎし としえ 1954年東京生まれ。
 桐朋学園演劇科を経て、女優デビュー。 舞台『蒲田行進曲』 『にごりえ』、映画『ゲロッパ』、テレビ 『ふぞろいの林檎たち』 『天うらら』 『女王の教師』など出演多数。   【聞き手 佐藤博】

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2005.11.5)から出典させていただきました。

演技や朗読を通じて
平和を伝えたい。
市原 悦子さん(女優)
市原 悦子さん背筋がまっすぐのびた立ち姿。
はっきりとした、よく通る声。はじける笑顔。
想像通りの、自由でのびやかな方でした。【佐藤博】。
まんが日本昔ばなし」が再開
− テレビで十一年ぶりに、市原さんがナレーションと声を担当する人気アニメ「まんが日本昔ばなし」の再放送(TBS、水曜日午後6時55分) が始まりました。
 あのお仕事は子どもの頃から束縛が嫌いで、自由気ままな私とまったく重なるんです。
 子ども心に返って二十年間、やりたいことをやらせていただきました。
 − 映画「黒い雨」では被爆者の役をされ、いまも各地で戦争童話の朗読をされています。
 CDで空襲を題材にした「ちいちゃんのかげおくり」を聞かせていただき、もしかしたらちいちゃんは市原さんだったかも知れないと思いました。
 そうです。でも私は戦争を生きのびることができました。ですから″ちいちゃん″がいとおしい。
 野坂昭如さんの「戦争童話集」も恐ろしいことが美しい言葉で書かれていて、胸を打ちますよね。
 そういう作品をずっと大事に語り続けています。
 朗読を聞いて心に残ってくれれば、戦争反対に通じるかなと思って。
− 親も一緒に朗読を聞かなくてはと思いました。
 役者をやっていると、朗読でも演技でも肌で感じなければできません。
 そうすると、原爆症の認定とか、外国に対する戦争当時のひどいことをしたことへの反省も、とても気になります。
 でも、他人事のように、偉い人たちは痛みを感じていないみたい。
 そういうことを役者の仕事を通じて、観てくださるみなさんの気持ちにひっかかるように演技をしたいと、戦後の食糧難の体験以来ずっと思っています。
空襲で防空壕が崩壊
− 千葉市ご出身ですが、終戦の年の六月に千葉市へ空襲がありました。
 私は小学校の低学年でした。
 家は線路の脇にありました。
 爆風で砂というか、ほこりが朝ごはんの上にばっとかかりました。
 広い廊下のガラス戸が全部壊れて、廊下がガラスの川になったんです。
 中学生だった兄が線路づたいに爆弾が落ちたほうに行くと、小学校の近くに落ちたらしくて、璧に肉魂がへばりついていたという恐ろしい話を覚えています。
 それからすぐ家族全員で四街道に疎開。
 その前に食器など大事なものを全部庭の防空壕に入れました。
 その防空壕が簡単にべしゃとなって、中の物が駄目になったのを覚えています。
 四街道で終戦を迎えました。
 そこでは食料難が子ども心に一番印象が強いですね。
誰が戦争をして いいことがあるの
 自分で食べるものを見つけてお腹がいっぱいになったら人に分ける、無駄使いしないでものを大事にする、お風呂に入れてくれたりジャガイモをくれた人への感謝の気持ちを忘れないなど、この食料難時代が私の原点です。
−八月十五日にはどうされていましたか。
 そのころ、父は千葉市の銀行に、兄は中学に毎日通っていましたから、家に残るのは妹二人と、病気のおじいさんと母と私。
 食べるのがせいいっぱいで、終戦についてははっきり覚えていないですね。
 私は、どの戦争をみても、誰が戦争をしていいことがあるのって思います。
 誰もいないじゃないの、何故するのって。
 戦争でいいことのある人はおかしいと。
− 憲法を守る「九条の会」のアピールに賛同されていますね。
 ずうーと、そう思っていました。
 でも改憲をのぞむ人が多くて、危機感がでてきました。
 そのとき、「九条の会」に尊敬する方々のお名前を見て、とにかくそこへ意思を伝えておけば、何か拠り所になる、独りぼっちで心配しているより(笑い)。
 そんな気持ちでお手紙を差し上げました。
 役者の仕事以外では力になれないのを知っているから、恐る恐る「話もできません。何もできません」と書いて出しました。

          (全国革新懇ニュース2005年11月5日)
いちはら えつこ 
 1936年千葉市生まれ。「三文オペラ」「その男ゾルバ」「芽キャベツがほしい」など多くの舞台に出演。 映画「黒い雨」「蕨野行(わらびのこう)」、テレビ「家政婦は見た!」などに出演し、幅広いファン層を持つ。 著書に自伝『ひとりごと』 (春秋社)

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」(2005.10.5)から出典させていただきました。

戦争のない時代が必ず
訪れることを祈って
川原 亜矢子さん (女優)
川原亜矢子さん身長176センチのスラリとした体形。
そよ風をまとっているような軽やかな足取りで稽古場に現れました。
舞台
 10月17日から始まる舞台「風回廊」(渡辺えり子=作・演出)に出演します。
 廃墟となったタバコ工場で、過去、現在、未来の時空を超えて、生者と死者が交錯。
 アコーディオンや三味線、フラメンコギターとダンスが織り交ぎる音楽劇です。
 舞台は3年ぶり2度目の出演に。
 「今回の舞台では本来、人が持っている真の強さと優しさ、それから平和についても語られていると思います。
 いまこうしている時間にも戦争など悲しいできごとが起こっています。 私自身、幼い頃に持っていた真っすぐな目線をもう一度見つめ直す機会になっています。
 ご覧になられた方々にも感じていただけるとうれしいですね」
モデル
 16歳で雑誌モデルとしてデビューし、翌年、オーディションで2万7千人 余のなかから選ばれて映画「キッチン」に主演。日本アカデミー賞など7つの賞を受賞しました。
 19歳のとき、モデルを極めたいとの夢を持ち、フランス語も英語もわからないまま単身渡仏。
 オーディションを受けるため、街にスニーカーを持ってでかけ、履きな れないパンプスでウォーキングの練習をし、疲れて歩けなくなると スニーカーに履き替えて帰ってくるなど努力を重ねました。
 偏見や差別も経験しました。
 そして8年間、パリを拠点にミラノ、ニューヨークと、世界のトップコレクションでスーパーモデルとして活躍。
 東洋人では初のシャネルコレクション参加も。
 現在、映画、テレビ、ラジオ、CMのほか写真集やエッセイの出版など活躍の場を広げています。
 「言葉でなにかを人に伝えるという作業に魅せられて、気がつくと仕事のジャンルが広がってきています。
 これからも体力、気力とも続く限り、幅広く仕事を続けていきたいと思っています」
 若い女性から絶大な支持を得る川原さん。
 柔らかいトーンで、丁寧に語る様子から、人を大事にする姿勢が伝わってきます。
 「20代の頃は少しでも自分と意見が違うと感じると、もうそこで接触を絶ってしまうタイプの性格でした。
 30代に入ってからは『こういう意見もあるんだ』と、自分の意見と違う考えを受け入れることができるようになりました。
 いまは人が持つそれぞれの良いところをもっと知りたいと思います。
 見えない、さりげない気遣いができる人になりたいですね」
平和
 昨年は「非戦を選ぶ演劇人の会」のピース リーディングに参加し、ことし3月には東京大空襲60周年のチャリティイベントに出演しました。
  東京大空襲については事務所社長の母親から「まわりが赤く染ま っていく光景を目の当たりにして、言葉にできない悲しみと痛みだった」との体験談を聞き、イベントで「一日も早く人と人が争わない幸せで平和な日が訪れてほしい。いさかいのない時代が必ず近い将来訪れることを祈っています」と発言。
 東京大空襲60周年記念のチャリティCD「青い地球(ほし)/青い空っていいな」でもふんわりと包み込むような歌声で平和への願いを歌っています。
  「(平和の取り組みに)参加し、一人ひとりが興味を持つことで世の中が変わっていくんじゃないかなと思います。
 人が人を傷つけること、心や肉体を傷つける行為は一番いけないことですよね。
 いまの戦争をニュースや新聞などで見ていると、意図して人を傷つけています。
 それぞれの国を代表する政治家の人たちも思いやりが薄れてきてしまっているのでは。
 幸せについてもう一度見直す時期なのかなと感じています」
  憲法を守る「九条の会」の賛同者にも名を連ねています。
  「途絶えることのない戦争を少しでも減らすことができて、いつかそうした行為がなくなるときがくるといいなと願う人間の一人として、賛同しました」


          (全国革新懇ニュース2005年10月5日)

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」から出典させていただきました。

障害者に重い負担の「自立支援法」
政治の優先順位が違う。
もっと優しい国に。
稲川 淳二さん (タレント・工業デザイナー)
稲川淳二さん 昨年十二月、障害者「自立支援」法に反対する東京・新宿駅頭でのリレートーク (きようされん主催) に参加しました。
子どもが重度障害者です。「子どもの話をすると、泣けちゃって話ができなくなることがある」。
ときどき目に涙を浮かべてのインタビューとなりました。
 障害を持って生まれた子どもは生後四カ月で手術を受けました。
 当時の記憶はいまでも鮮明です。
稲川  長時間の手術で体中切り刻まれて、せがれの頭は鼻から上、全部包帯でぐるぐるに巻かれていました。
 手足にはいろんな針やくだ菅が刺さっていた。
 でも包帯のあいだから見えた小さな口で、「ハッハッハッ」と息をつき、生きようとたたかっているんですよ。
 それを見て自分を最低だと思った。子どもが生まれてきたとき「どうしよう」と不安になったからです。
 でも人の命の大事さがわかったんです。手術後、ベッドで運ばれていく子どもに「俺はお前のお父ちゃんだぞ!!」 って叫びました。
 そのとき自分の子どものためだけじゃなく、自分にできることはやろう、他人も助けようと思いました。
どうやって生きろというの
 四月から障害者「自立支援」法が施行され、介助などの利用料が定率一割負担に。
 障害の重い人ほど負担が多くなりました。
 稲川  障害者は難病の人ほど、自分ではなにもできないから、国が助けなくちゃいけない。
 それなのに国が「自分で負担してください」といって面倒見なかったら、いったい誰が面倒見るの。
 どうやって生きろというの。「難病だから死ねって言うのか」と思います。
 人の命に関わる問題まで、国の財政が苦しいことを理由にして扱うのは(政治の)優先順位が少し違ってる。そんなの先進国じゃないと思います。
 政府の人たちにもう少しわかってもらいたいし、もっと優しい国になっていいんじゃないかと思います。
 昨年夏、筋ジストロフィー(筋肉が萎縮する進行性の難病)患者のファンから、稲川さんの怪談話を「生で聴きたい」と手紙をもらい、病院へ。
 照明や美術スタッフも全員無償で集まりました。
稲川  病院に着くとたくさんの人がいました。
 セミがミンミン鳴いている暑い盛りに、汗をかきながらみんな真剣に見ている。
 終わったら、ワーって拍手をしてくれました。
 一人の人が贈りたいものがあるといって、細かくてきれいな切り紙細工を持ってきたんです。
 筋肉が萎縮して曲がった手を見て、「この手で」と驚いた。
 「あなたのその気持ちだけでいい。時間をかけて一生懸命作ったものを、私がもらうわけにいかない」と言いましたが、「あげたい」と言うんです。
 ぼく、言葉がなくなっちゃいました。
 みんなに「やってあげる」「与えてあげる」という気持ちで行った私が、逆に温かいものをもらい、感動しました。
戦争も地雷も絶対いけない  
平和への強い思いがあります。
稲川  戦争はもう絶対あっちゃいけない。
 親父は四人兄弟でしたが、三人をあの戦争で失いました。
 こんな悲しいことはないです。
 無差別に人を殺す地雷もいけないですね。なんの罪もない人を何人も簡単に殺してしまう。そんなの冗談じゃない。
 人を生かすことがどれだけたいへんなことか。
 弾一発、いくらすると思いますか。そのお金で助けてあげたい人がたくさんいるじゃない。殺していい命なんかないですよね。
温かい人間社会がある
 車掌用発券機、店舗デザインなども手がける工業デザイナーです。
 バリアフリーにこだわり、自身の工房も塀、段差、部屋を仕切る壁がありません。
稲川  私は大家族で近所中の人が出入りする家に育ちました。
 人はみんな違う文化や考えを持っていて、大勢いると楽しいんです。
 工房は近所の人が自由に庭から入ってくるし、留守のとき、勝手に庭の草を刈ってくれる。ありがたいですよ。
 そこに平和があり、温かい人間社会があるんですね。


          (全国革新懇ニュース2006年4月5日)
いながわ じゅんじ
1947年東京生まれ。テレビ、ラジオ、映画などで活躍。怪談話では全国ツアーも。「車止め」で通産省選定グッドデザイン賞を受賞。

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このページは、「全国革新懇」発行の「全国革新懇ニュース」から出典させていただきました。

憲法九条は人類にとって
一番理想的な存在
林家 いっ平さん (落語家)
 「大銀座落語祭」(春風亭小朝、笑福亭鶴瓶などが参加する落語家「六人の会」主催)で昨年、初めて中国語落語に挑戦。
 五百人超満員の会場を笑いの渦に巻き込みました。
 ことしも新ネタを披露するため、ただいま特訓中です。
-中国語落語を始めたきっかけは。
 三年前、中国の桂林を旅行したとき、ガイドの人が「芸人さんです」とぼくを紹介しました。
 中国の人は芸人に対してすごく敬意があり、丁寧に対応してくれました。
 うれしくて何かの形で、小話の一つでもお返しがしたいと思いました。
中国語習得のほかに、落語独特の言葉のニュアンス、おかしさを中国語に訳す苦労も。
一話を中国語に訳すのに、約一年。
 歌舞伎や中国の京劇は何をしているか目で見てわかるけど、落語はしゃべったことで想像してもらう難しさがあります。
 中国人は言葉に対するプライドをすごく持っています。
 去年の大銀座落語祭では発音を間違え、観客全員からすごい突っ込みが入った。
 それを見てまたみんなが笑って(笑)。
 日本語の解説もあるし、おもしろい動作が多い話を選んだので、中国語がわからない方でもぜひいらっしゃっていただきたいですね。
歩み寄ってこそ
− 昨年十月の青島での中国語落語会はどうでしたか。
 中国に行って中国語落語をしたのはぼくが初めてということで、責任を感じました。
 残念ながら(小泉)総理が靖国神社に参拝したときで、お客さんの規模は少し小さくなっていました。
 でも「いったい何をするんだ」と真剣に聴いてくれた。
 みんなすごく好意的だったし、フレンドリーでした。
 チャーリー・チャップリンの「笑いに国境はない」という言葉は、その通りだと思います。
 笑うことに憎しみはないし、笑いを共有することでみんなの心が一つになる。
 仲良くなろうと思ったら相手に一歩近づいていかなきゃいけない。
 近づいて、お互いに歩み寄ってこそ交流が生まれてくる気がします。
 相手の国の文化を知り、その国の言葉でしゃべって笑いをとる。
 そこから親近感を覚えていくのも大切だと思いますね。
 落語は元々中国の仏教から宗教色を抜いたものが原点なんです。
 中国には似ている話があるし、中国からきた話もあります。
 だから人間関係での目線の高さ、感覚は意外と通じ合う。
戦争の傷跡は永遠に
−平和への思いは?
去年、仕事でカンボジアに行ったんですよ。
 山に入って走ったら「そっちへ行くな!」と言われました。
 戦争のときの地雷がまだ埋まっているというんです。
 戦争は終わったけれど、実際に危険な場所がいつでも目の前にある。
 ほんとうに自分が怖い体験をして、「いくらみんなが平和になっても戦争の傷跡は永遠に残る」と実感しました。
 中国の錦州にある博物館には日本軍が何をしたか事細かに展示されていて、「日本はすごいひどいことをしてきたんだな」と改めて感じました。
 メッセージを書くノートがあり、旅行で来た日本の子どもたちが「ごめんなさい」「すごく悲しいです」、そういうことをだーつと書いている。
 それを読んで「日本はほんとうに平和な国になれるのかもしれない」と、少し安心できました。
みんなと仲良く
 -日本国憲法についてはどう思いますか。
 憲法九条は人類にとって一番理想的な存在。
 戦争はしない、人を傷つけないというのはすごくいいと思います。
 侵略戦争は絶対いけないし、大っ嫌いです。
 あの戦争の悲惨さは子どもの頃からおふくろ(エッセイスト・海老名香葉子さん)に聞いてきました。
 指導者が決めたことでいつも被害を受けるのは国民です。
 国民が犠牲になることだけは政治を動かす人たちに知っていてもらいたいですね。
 ただテロに対してどう立ち向かうかというと、ほんとうの意味での防衛は必要な気がします。
 だからって自衛隊がどうのということじゃないですけど。
 -それこそ政治でも対話や文化を通して、国同士の相互理解を深める努力が大事ですね。
 中国人と私たち日本人との間にも肩を組んで笑えるものが必要だと思います。
 一つのテーブルを囲んで笑いが起こり、握手できる会議があるといいですね。
−国際会議には噺家さんが呼ばれるとか?
 ほんとうにそうですね(笑)。
 民主主義ですから、やはり政治的な問題も政治的な人たちにまかせっきりはだめですよね。
 中国やシンガポール、タイなどは中国語が通じるので中国語落語を通して交流し、みんなと仲良く手を組める状況をつくっていきたいですね。
          (全国革新懇ニュース2006年6月5日)
はやしや いっペい
1970年、東京生まれ。02年、真打に昇進。テレビ、ラジオなどでも活躍中。父、林家三平さんの資料館「ねぎし三平堂」堂長。

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