教員様の目安箱

NO10

  


[100] 辞めればいいのに 投稿者:ぴろ 投稿日:2003/06/27(Fri) 16:39
知り合いの中年の女性教員の話。昨年、一人娘が東京の大学に進学し、寂しくて寂しくて、どうすればまた娘と暮らすことができるかと考えた挙句、なんと研修制度を利用し、自分も東京の大学に社会人枠で入学し、今年の4月から2年間、娘のマンションで一緒に暮らすことになったそう。別に大学で特に勉強したいものがあったわけじゃない。ただ娘と一緒にいたいだけ。そんな人に、2年間、給料の八割が毎月支払われる。そんなに娘といたければ、辞職してずっと娘についとけばいいのに。税金ドロボーだよ。

[97] 教員になったら
投稿者:教員 投稿日:2003/06/12(Thu) 16:58
ここに書いている人に、少なからず学校事務関係の方がいらっしゃるようです。教員になることをおすすめします。他の職業の方たちも教員試験を受けるといいと思います。書いていることが当たってはいると思いますが、それだけでもないと思います。

[96] ちょっとひどくない? 投稿者:オバタリアン 投稿日:2003/06/11(Wed) 12:29
とある掲示板のレスで実習助手についての批判が600件ほど載っていた。内容は教諭の方々の実習助手に対する誹謗・中傷ばかり、かなりひどい実習助手がいることも確かだから全部嘘とはいわないが、デブ、クズ、シネ、テイノウなぞという言葉が頻繁に出てくるのはいかがなモノか? 

[91] 教員乞食論 投稿者:JIMU 投稿日:2003/06/10(Tue) 00:14
 はじめまして、たまたまこのサイトに入って思わず読みふけってしまいました。教育委員会の事務職員です。ある日友達の教員に「教員は乞食である」と言ったらマジで怒られましたが、私の真意は逆説的に「教員は聖職である」と言いたかったのです。つまり教員という職業には特別なモラルがあるべきで、労働時間を切り売りするような労働者では無いと思います。「三日やったらやめられない」と言われるように、教員は死ぬまで教員であり、教育委員会の指導主事が殊勝な顔つきで「行政の勉強をさせてもらっています」と言うのは、管理職になった際の権力運用術としての行政であって、決して「行政職」の勉強をしているわけではありません。せいぜい公文書の書き方くらいでしょう。私はそれでいいと思うし、教員はそうあるべきだとも思っています。
 ところで乞食については次のような話があります。
 ある時乞食の親子が橋の下から眺めていたら、立派なお侍が通りかかった。弟が「兄ちゃん見てごらん。俺もあんな風に生まれたかったなあ」と言うと、兄が「お侍にはお侍の苦労があるんだ。それより俺たちの方が気楽に暮らせていいぞ。」弟「それもそうだなあ。」すると寝ていた親父が起きてこう言った。「そういうおまえたちは、誰のおかげで気楽に暮らせていると思うか。」

[90] ふざけるな 投稿者:道徳心って 投稿日:2003/06/08(Sun) 21:03
私の夫は、高校の教員をしています。生徒課に所属し、生徒に「我慢が大事だ」などと説教しています。ところが、その言葉は、あんたに一番言ってやりたい。本当に女癖が悪く、職場の女教師にちょっかいを出し、メールを毎日出しまくり年上でも年下でも際限ない。女の先生がいなければ、事務の女にも手を出したこともあった。また最近同僚の教師との不倫が発覚、こういう人間に、教育なんてできるのか???私はいつも信じていたのにいつも裏切られました。今日も飲み会といっていますが、おそらく女の家に行くのでしょう。もう疲れたので離婚を考えていますがなんとかぎゃふんと言わせてやりたいと考えているところです。


[88] 1を10と思わないで… 投稿者:通りすがりの事務職員 投稿日:2003/06/05(Thu) 23:38
私は某県で事務職員をしています。
このサイトを拝見して思ったのは、とても悲しい人が多いな、ということです。
でも、結局は人。
とんでもない教員もいるし、事務職員も、ただの公務員もいる。
反対に素晴らしい教員もいるし、事務職員も、ただの公務員もいます。
前任校では仕事もできず、ストーカーをするようなとんでもない教員ばかりでしたが、現任校ではきちんと仕事もできて、人としての思いやりをもった教員と一緒に仕事をしています。
意欲的に仕事に打ち込む同僚事務職員もいれば、さぼることばかり考えている人もいます。
前任の役所は横の繋がりもきちんとできていて意欲的に働く公務員の町でしたが、現任の役所は仕事ができなくせに威張りちらし、自分のミスを他人に擦り付けるひどい公務員の町です。
そんなひどい学校や役所の中にもきちんと意欲的に働く方も、もちろんいらっしゃいました。
民間でもそれは同じでしょう?
私はこのサイトは自分の言動を顧みる際の参考にさせて頂いています。
ここに書かれてる「ひどい人」にならないように。
自分の考えを主張するのはいいことだと思いますが、人間の数だけ考え方があるのですから、自分の意見を人に押しつけたり、自分と違うからって否定するのは止めましょうよ。
溜まったストレスをここで発散させてもらって、明日は笑顔で子ども達の前に出られたらいいですね。

[84] 現れないつもりでしたが・・・ 投稿者:さくら 投稿日:2003/06/02(Mon) 00:03
 ただの公務員さんへ、そこまでおっしゃらなくても・・・。全人格まで否定された気分です。手が出たのは過去2回です。初任の頃です。毎日のように書かれていますが・・・。色々、押し付けがましさや幼稚さ、捨て台詞など指摘なさっていますが、ご自分はどうですか?重箱の隅をつつくような論調はあなたも同じではないでしょうか?違いますか・・・どのような立場の方か分かりませんが、あなたの考え方で義務教育が可能なら、ぜひその具体的方法を教えていただけませんでしょうか?言いたいことは山ほどありますが、どうしてもあなたの発言が感情的にしか聞こえないのです。最初から・・・ですから、前回「お読みにならなくても結構です。」と書いたのは、はなから敵対視されているのなら話がかみあわないだろうなと率直に思ったからです。あなたの理論に整合性も感じられません。何言っても「教員様だから」の論調ではあなたの方が排他的ではないでしょうか?日教組を批判しているのは同僚の悪口ですか?日教組支持者がいったいどれだけいますか?日教組内でさえあきらめているほど中身はぼろぼろの組織ですよ。イデオロギーがからんでいますから、自滅して行くのは自明の理ではないですか?昼間の書き込みは、家からです。家庭の事情なので詳しくは書けませんが。

掲示板をご覧の皆さん、そんなに私の発言はいただけないでしょうか。どうも自覚がありません。もしよかったら教えていただけませんでしょうか。一言でも結構です。黙って聞きます。ご迷惑はおかけしません。
「ただの教員」さん、長くてごめんなさい。みんなの掲示板ですものね。

[82] すいません。書き忘れていました。 投稿者:ただの公務員 投稿日:2003/06/01(Sun) 12:44
いくつか書き忘れていました。どうでもいいことですが。

まず職業に対する批判ですが、今日は思わず強く書きましたが、前回程度の批判で「職業差別」と言い出すのにも笑ってしまいました。さくら様が教員様として、普段児童生徒に言ったり、その他の場面でも言ってる言動を振り返ってみましたか?あなたの言う「行政」に対する批判をはじめ他の仕事に対して向けられている批判はこんなものではありませんよ。前回程度で怒り出すのは・・・「教員様らしさ」の表れですね。

それから「子供の人権」と「教員の人権」を当然のように並列に書くのは、教員様らしさの表れといえ呆れました。あなたは同じような理屈で、散々子供に暴言を吐き続けているにもかかわらず、子供が一言でも言えば、信じられないような報復を「躾」の名の元に行っているのでしょう。その非常識さを問われれば、自分の言ってきたことは棚に上げて「教員の人権」を最後に主張する。

なるほど教員様に人権はあります。世間で尊重されすぎるほどに尊重されている人権が。そして子供の人権も、少なくとも対教員に関して無視されており、学校内では事実上存在していませんが、あります。

教員様以外の世界では、業務においてお客様の人権より職員の人権が優先される、そんなことは無いのですよ。理解できませんか?さくら様には。

したがって、教員様の人権なんぞより生徒児童の人権が、少なくとも業務について論じている限り優先されるのは当たり前ですよ。学校で生徒児童の生命と安全に対する保障より、教員様が誇りを持って殴る権利が優先される、そんな理屈は、さくら様をはじめとする教員様集団以外には存在し得ない屁理屈です。

という常識は理解できませんよね。教員様ですからね。

あなたのクラスの子供達が、あなたが担任であるという受難を少しでも無事にやり過ごされるように祈ります。そして、この様な無法地帯が、いつの日か、少しでも解消されますように。

[82] すいません。書き忘れていました。 投稿者:ただの公務員 投稿日:2003/06/01(Sun) 12:44
いくつか書き忘れていました。どうでもいいことですが。

まず職業に対する批判ですが、今日は思わず強く書きましたが、前回程度の批判で「職業差別」と言い出すのにも笑ってしまいました。さくら様が教員様として、普段児童生徒に言ったり、その他の場面でも言ってる言動を振り返ってみましたか?あなたの言う「行政」に対する批判をはじめ他の仕事に対して向けられている批判はこんなものではありませんよ。前回程度で怒り出すのは・・・「教員様らしさ」の表れですね。

それから「子供の人権」と「教員の人権」を当然のように並列に書くのは、教員様らしさの表れといえ呆れました。あなたは同じような理屈で、散々子供に暴言を吐き続けているにもかかわらず、子供が一言でも言えば、信じられないような報復を「躾」の名の元に行っているのでしょう。その非常識さを問われれば、自分の言ってきたことは棚に上げて「教員の人権」を最後に主張する。

なるほど教員様に人権はあります。世間で尊重されすぎるほどに尊重されている人権が。そして子供の人権も、少なくとも対教員に関して無視されており、学校内では事実上存在していませんが、あります。

教員様以外の世界では、業務においてお客様の人権より職員の人権が優先される、そんなことは無いのですよ。理解できませんか?さくら様には。

したがって、教員様の人権なんぞより生徒児童の人権が、少なくとも業務について論じている限り優先されるのは当たり前ですよ。学校で生徒児童の生命と安全に対する保障より、教員様が誇りを持って殴る権利が優先される、そんな理屈は、さくら様をはじめとする教員様集団以外には存在し得ない屁理屈です。

という常識は理解できませんよね。教員様ですからね。

あなたのクラスの子供達が、あなたが担任であるという受難を少しでも無事にやり過ごされるように祈ります。そして、この様な無法地帯が、いつの日か、少しでも解消されますように。

[81] さくら様へ、最後に。 投稿者:ただの公務員 投稿日:2003/06/01(Sun) 11:48
精一杯婉曲に、丁寧に書いたつもりですが、図星を突いてしまったために怒ってしまったわけですね。教員様が大多数を占める掲示板なのに、真実をついてしまい、すいませんでした。しかし、さくら様の、教員様らしい小学生の様な御意見は微笑ましく読ませていただきました。

さくらさんの今までの過去の書き込みを振り返ってみましょう。特に最後近くの書き込みは平日の昼間になされています。休暇でしたか?そんなわけありません。明らかに学校で勤務時間中に、学校の備品と学校の電話回線を使って書き込みをされているのですね。

その内容。日教組非難と言えば聞こえはいいですが、つまり同僚の悪口。勤務時間を使って熱心に同僚の悪口を世間に向かって発信する。さすが仕事熱心。さくら様の「全人教育」は光り輝いていることでしょう。

特に、さくら様の最後の書き込み内容を見て見ましょう。5月25日の私の書き込みに対して書かれています。したがって私の書き込みと対比させつつ何と何が対応しているのかを読み取らなければなりません……と、国語の授業で教えていらっしゃいませんか?さくら先生?

「教員様に全人教育をしろと要求するのは不可能だ。不可能を教員様に強いるのは止めよう」という私の意見に「(さくら様をはじめとする)教員様はしなければいけないからしているのだ」と怒っていらっしゃる。発言内容に対立は無い事がさくら様には理解できていないわけです。「不可能なことをやろうとしている(だから問題が起きる)。」という問題提起に「不可能だけどやろうと努力している。」と答えている。その通り。あなたの「努力」が子供も家庭も不幸にしているという当たり前の事実に気がついてください。は教員様には不可能ですね。すいません。それにしても教員様って本当にバカですね。

「次に教職が全人格的教育をするような職業、ボランティア的職業と言えるか。まさにそれがこのホームページの主題のように思います。さくらさんは、そう思い、そのように実践なさっているのですね?」こう問われて「そう思うも何も、現状がそうですから、そう思い込み、そうせざるを得ないでしょう。…」と怒るわけです。

なぜ、あっさり「実践しています。例えば先日はこんなことがありました。」とは書けないのでしょう?「ボランティア的な動きや自腹を切らざるを得ない場面に出くわす(家庭の事情でご飯を食べれない子どもにこっそりパンを食べさせたり・・・見てみぬふりはできない)」という文書を読んで、かなり以前ならいざ知らず、最近こんなことがあって、しかも教員様のボランティア精神にすがっている?と疑問に思いつつ、具体例をお書きいただけるものと期待していたのです。

ところが具体例を書くどころか感情的に怒り始めた。これから推測されることは簡単です。つまりそんな事実は全く無いのです。さくら様のおっしゃる給食費云々の例でしたら私も昔々の話として聞いたことがあります。その程度の事を、さくら様は偉そうに書いただけ。さすが教員様ですね。

体罰について書き始めると、さくら様は「人権」について書き始めます。私の元の文書には「人権」という単語は一つも出てこないにもかかわらず。

実は「人権、人権言うな。教育の場に人権なんて単語は要らない」は教育委員会でも教員様集団がよくお使いになる論調です。新聞、テレビで教育現場の不祥事が出るたびに、教育委員会の先生方(つまり教員様も管理職の皆様ですね)が揃って言うセリフです。「あれは人権屋がたきつけているから大騒ぎになる。教育現場では殴るときには殴る必要があるし、たまには怪我をする奴もでる。稀には死ぬこともある。当たり前だ、大騒ぎすることじゃない。」この類の発言は教員集団の中では当たり前です。テレビでは勿体つけて謝っている風な校長先生も、テレビカメラが止まるや否やこう言っています。

実際、学校で児童生徒を教員が殺した場合どの様な罪に問われているか、さくら様はよく知っています。だから殴る必要があると平気で書けるのですから。

強姦事件の多くは「スキンシップ」の名の元でウヤムヤにされてしまう。だけでなく、わけのわからない言いがかりの元に被害者である生徒児童の方が酷い目に遭う、という事は、さひちさんへの書き込みの中で書きました。

殺人まで発展し、隠しとおすことができなくなった場合、問われる刑法上の罪は「過失致死罪」であって殺人罪ではありません。「過失致死罪」とは50万円以下の罰金だけです。刑務所に入る可能性はありません。これではあんまりだ、と検察が同情するような事案(一般に検察も教員様と同じ行政側ですから「同情」なんてしません)で「業務上過失致死罪」かで争います。たいていは「過失致死罪」になるかどうかで多くの事案は過失致死罪にすらない、いや、裁判にすら取り上げられません。「業務上過失致死罪」になって5年以下の懲役若しくは禁固又は50万円以下の罰金。同罪適用の代表的犯罪は交通事故です。つまり、ついうっかり人を轢いてしまうより、体罰の名の元に子供を殺す方が罪として遥かに軽いというのが、教員様の常識です。

では民事事件ではどうでしょう?行政職員の私が言うのもなんですが、行政機関は、多少変化はあっても総合的に言って裁判には強い、まず負けません。しかし、あらゆる事を犠牲にしてやっと(殺された生徒児童の親御さん側が)勝ったとします。すなわち、損害賠償をとれるわけです。それを誰が払うかというと市立学校でしたら市です。税金として集めたお金から予算を組んでお支払いします。殺した教員は…故意又は重過失で市に損害を与えた(裁判で損害賠償を払わせたのは典型的な損害です)職員に対して市は求償(=弁償)を求めます。軽過失(=通常の過失)なら免除ですが「体罰」という暴力は当然に故意で行われています。しかし多くの自治体では求償していません。私の勤めている市でも「良かれと思ってやったのだから」と処理がされています。どの自治体でもこうしていると思います。

せめて行政機関内部の処分。例えば懲戒免職にだけでも…していないと思います。せいぜい批判をかわすための異動止まり。昇進にすら影響を与えない。全く無抵抗の子供を一方的に虐殺しても。これが平和な法治国家の現状です。

さくら様に対して「社会のルールを守ってもらいたい」とは書きました。考え方の違いは人それぞれにあるでしょう。しかし「違うからそれでいいんだ」では社会を営む上で困ることもあります。そこで最低の合意事項として「法律」があります。法律の内容を批判することは自由(私は教員様のように内心の自由を否定するようなことはしません)ですが、現行法規を破ることに自由はありません。

さて「人を殴ってはいけない」という現代社会最低のルールは刑法208条の暴行罪として間接的に示されています。破った方は、この法律で処罰されなければなりません。体罰ならいい?体罰は学校教育法第11条で禁止されていることは御承知の通りです。したがって殴ってはいけないのですよ、さくら様。

教員様であるさくら様レベルすなわち小学生レベルで「社会のルール」について書かせていただきましたが、ご理解いただけましたでしょうか?

さて、さくら様はさくら様の主観において素晴らしい学級経営をなさっている。理屈を言ってもしょうがないと言うことで腕力を振るい続けている。怠け者の同僚の分も含めて躾に奔走している。「統制的な学級経営ではない」と自分ひとりで決めつけ、感情をぶつけ、押し付けている。しかし屁理屈をつけて自分は正しいと自分でも思い込んでいる。批判する者がいても、それは批判する人間が悪い。批判者が自分よりも立場が弱ければ大声でわめいて黙らせる。子供なら殴る。自分よりも強ければ陰口を言う。インターネット掲示板(ここですね)のように黙らせることができなければ捨て台詞を残す。そしてこうした「俺は正しい」という絶叫は学校の勤務時間中に学校の備品と学校の経費を使ってなされている。

そうそう「具体的な提案が見えてこない」というご意見がありましたね。私としては、この掲示板の中でもっとも具体的な提案を書いたわけですが、あなたの言いたいのは、この提案は気に入らないと言うだけ。なぜならあなたの「日教組批判」のどこに「具体的提案」があるのです?偉そうに教員様特有の口調で書かれていますが、さくら様の主張には「提案」すら無い。相手の聞いている質問に具体的に答えることすらできない。いや、相手の文書を読むことすらできない。仮にあなたに「具体的提案」を示しても、あなたは能力的に理解できません。無駄です。

まあ、さくらさんは典型的な「教員様」です。具体的提案として、さくら様に「反省してください」などとは言いません。無駄ですから。

冒頭で「憎しみのはけ口」という表現がありました。なるほどと思いました。教員を憎んでいる人は決して少なくありません。私も小学校時代の恩師を思い出すと目玉にボールペンを突き刺してやりたくなります。少なくとも駅のホームで見かければ電車の入場を見計らってホームから落としてしまうかもしれません。

さくら様。あなたが今日殴った生徒児童さんも決して口では言いません。態度にも表さないように(子供なりに)心がけているでしょう。しかし私と同思いをあなたに対して持っていますよ。仮に今思っていなくても将来思います。繰り返された体罰の衝撃は永く永く永く永く続きますからね。子供から見れば死ぬような恐怖をあなたから受けているわけですから。

教員様に対して職業差別?これだけ守られに守られているのに、まだ不満ですか?さくら様も、能力的に難しいでしょうけど、自分の言動をたまには振り返ってみたらいかがですか?という、言葉も聞こえませんね、教員様には。すいません。

さくら様も書き込みをしない、という事ですのでこの位にします。


[80] それは、大多数を占める一般組合員の了解事項でしょう。 投稿者:ミスター珍 投稿日:2003/05/31(Sat) 16:12
 無頼派事務員のミスター珍です。
> イデオロギーまっしぐらな人ほど、管理職になれば手のひら返す。
>これ、どこでも同じなんでしょうか?
 私も組合員から管理職推薦された沢山の教員を見てますが、管理職になって「日の丸君が代」
反対をする人は、一人も知りません。
 共産党が町長の某町でも、日の丸を掲揚しています。彼は、私は市民党だと主張しています。
人間は立場で思考します。野球選手でも選手時代と監督になったときでは、思考は正反対です。
 野党が「日の丸君が代」反対でも、村山さんのように与党になったとたん政策を180度転換
しました。そこを理解すべきです。
 ただ、無頼派の自分(嫉妬心が人一倍強い者です。)として組合推薦で管理職になって転向し
た者に対して制裁措置が皆無の点に疑問を感じます。俺が組合員なら絶対に私的制裁措置を取ります。
 マルクス思想なら虐殺(粛正)が正義であり、新撰組なら殺すのが正義の執行です。
 それを一般組合員がしないのなら、その組合は八百長組合です。
だから私は、一部の転向者よりも、大多数を占める一般組合員に対して疑問を感じます。
その意味では、今の教員組合は完全な八百長組合です。
もっと情けないのは、その教員組合に加入しているコバンザメ事務員です。
これじゃ 軽蔑されるのは当然です。

 

[79] Re[78]: イデオロギー 投稿者:事務職員A 投稿日:2003/05/30(Fri) 19:44
> イデオロギーまっしぐらな人ほど、管理職になれば手のひら返す。これ、どこでも同じなんでしょうか?

 どこも同じです。去年まで君が代 反対!反対!と叫んでいた
 人たちが狂頭になったとたんに、えらそうにこうしゃくします。あきれちゃいます。


[78] イデオロギー 投稿者:某県の教員 投稿日:2003/05/29(Thu) 23:32
イデオロギーまっしぐらな人ほど、管理職になれば手のひら返す。
これ、どこでも同じなんでしょうか?


[76] ただの公務員さんへ 投稿者:さくら 投稿日:2003/05/26(Mon) 16:02
丁寧なコメントありがとうございます。ご批判いただいたこと、納得する点、反論させていただきたい点ありましたので書き込みをいたしました。もしあなたの書き込みが、単なる教員に対する憎しみのはけ口ならば、お読みにならなくても結構です。

まず、わたしは義務教育がそこにあり、「全人教育をする」と規定されている今の状況を土台として考えているということです。ですから、「教員には無理だから全人教育をすべきでない」と言われれば、「その通り」と納得せざるを得ません。私だって人格に自信があるわけではありません。しかし、どんなに世間からこの職業が馬鹿にされようと今日もまた学校に行き、「全人教育」をしなければならないのです。この発言さえ「甘え」と取られるなら、もうこの掲示板には教員は訪れられなくなってしまいます。
「次に教職が全人格的教育をするような職業、ボランティア的職業と言えるか。まさにそれがこのホームページの主題のように思います。さくらさんは、そう思い、そのように実践なさっているのですね?」
そう思うも何も、現状がそうですから、そう思い込み、そうせざるを得ないでしょう。教員が人格的に優れているなんてとても思えません。でもしなけりゃならないのです。職務として規定されているのですから。逃げれば「教師不適格者」の烙印です。

 体罰については、子供の本質の捉え方によって考え方が分かれるところではないでしょうか。私は2人の子供を成人まで育てました。子供を導くのが親の務めと信じ、自分なりに良かれと思って、自分の考え方や生きていくための術を教えてきました。時には真剣勝負で手が出たこともあります。それが間違っていたとは思いません。そして自分の受け持った子供たちにも同じ気持ちで接してきました。これが精神論だとおっしゃるならば、ただの公務員さんはどのようにして子育てをなさってきたのでしょうか?私が精神論を唱えているとおっしゃるならば、私から見ればただの公務員さんは無神論を唱えているように感じます。
 現に人権主義で学級経営をやっていた若いころより、今の方が学級は安定しています。子供たちが自分の好き勝手を言い、担任を自分と同列に見るようでは授業自体が成り立ちません。これに気づいたのは自分が子育てを始めてからでした。人権が学校の基本と信じていましたから。昔の教育には何かしら学ぶべきことがあると感じたのもその頃です。体罰に関しては議論は平行線でしょう。これは人権そのものに対する考え方のぶつかり合いになると思います。私は過度な人権思想や平等主義は逆に不公平感を生むと思います。私は決して自分の感情で子供たちに当たっていませんし、押し付けていることもありません。
 多分「給食の好き嫌いを認めない」という部分も体罰と捉え、不快に思われたかもしれませんが、これは「食べたら歯を磨く」「授業の始まりは挨拶をする」などと同じような基本的な生活習慣に関する部分です。これまで価値観の押し付けと言われたら、どうしたらよいでしょう。現にその子が嫌いなものも食べるように努力するようになって、その子自信も明るくなりました。友達も増えました。自分の子供も同じように教育しました。
 誤解されているかもしれませんが、私は統制的な学級経営は行っていません。友達を呼ぶ時「さん」づけしか担任が認めない学級が多い中で私は「愛情を込めた呼び方を」ということでニックネームも使わせています。巷で流行のジェンダーフリーだって必要な部分だけしています。

 何を持って「教員が怠け者でけち」とおっしゃってるのかも私には分かりません。そういう人もいます。ここまでくると単なる職業差別にしか聞こえません。怠け者になりやすい環境にあるとは思います。そしてそれを結果的に助長しているのが日教組だと言っているのです。怠けた人たちの分の仕事を黙々とこなしている人だっています。その人たちまで怠け者呼ばわりされては、あまりにかわいそうです。「けち」は単なる感情論でしょう。ボランティア的事例も出しましたが、ではあなたが教員だったとして目の前にそんな子がいたらどのように対処しますか?私はわが子の顔がまぶたに浮かび、無意識のうちに食べさせます。放って置けますか?鼻に着く聖職者意識でしょうか?あなたは「教員のボランティア=偽善」と決め付けようとしていませんか?私はボランティア的な面があるから聖職だと言っているのではなく、そういう面もあるから予備校方式はなじまないのではと意見を述べているだけです。

予備校方式も良いでしょうが、授業のみを教員が担当するとなれば、学校で子供たちが生活する時間が大幅に減りますよね。学校に子供を残すとどうしても生徒指導的な面が出てきます。また、係や委員会、掃除や給食の準備なども集団生活のマナーなどを教えないといけないので、教員はノータッチ。教員の価値観が出ますから・・・。授業が終わったら子供たちは下校か親のお迎え。これだけ共働き家庭が増えている現状でそれが可能ですか?それどころかますます少年団や学童保育など学校の施設を遅くまで利用する場面は増えています。残っている子供たちを見ているのはだれか?教員もその中に入っています。また、予備校方式が成り立つのは集団生活の最低限のマナーが身についているとうい前提があってのことですよね。小学校から予備校方式が可能ですか?子供たちは特に低学年のうちは担任に「親」を求めます。その子達が寄ってきた時、仕事じゃないからと言って無視できますか?子育て経験の無い若い教員ばかりの集団がサポートできますか?子供は物じゃあありません。理屈を言ったって相手は感情の生き物です。美しい面醜い面両方持ち合わせる「人間」です。ですから計算ずくの方法だけではうまく回らないのではないでしょうか?

 どうも一方的な「教員」そのものに対する批判に終始し、具体的な提案が見えてきません。この掲示板が教員を攻撃するためだけのものなら、それも必要ないんでしょうけど・・・。嫌いだからこき下ろし、その中でなんとか自分を見つめようと勇気を持って門を開き、議論に参加する教員さえも頭ごなしに批判するようではそれこそカルトではないですか?教員はダメ人間だから、何かと理屈をつけて叩こうとしているように感じます。私たち教員だって無能で力はありませんが、あなたも同じではないですか?変えようったって変えられないから現体制で何とか頑張っているのではないですか?教員に子供たちの人権を踏みにじる権利は無い・・・なら、あなたにも人の人生観や職業観を踏みにじる権利は無いのではないですか?今の論調では極めて
すいません。最後は感情的になってしまいましたが、批判が私の人格にまで及んでいたような気がしたものですからついつい・・・。くれぐれも職業差別にだけは陥らないでください。


74] さくらさんへ 投稿者:ただの公務員 投稿日:2003/05/25(Sun) 15:38
「残念ながら」などと書くと、かえって失礼かもしれません。私が批判しているのはさくらさんの様な方であって、日教組の様な方ではありません。そして、例えばさくらさんに「変わりましょう」と言っているのではなく、さくらさんのまわりの社会に、さくらさんへの接し方や遇し方を考え直しましょうと言っているつもりです。

と言っても、お書きになっているような日教組を擁護するつもりもありません。さくらさんもおっしゃているように「現実を見つめないこと」は問題と私も思います。しかし理想主義的な主張そのものに私は問題を感じません。学校の教員自身はさておき、年若い少年少女が分別くさい現実論だけを語る社会には将来がない様にすら感じます。とにかく現状を容認、体制批判の類は一切しない…全員が全員、常にそうであるなら民主主義社会は停滞してしまいます。政権や体制に批判的な国民を育てることは、決して無意味ではないと私は考えます。

しかし、ただ批判をすればいいといったものではありません。学校の教員が子供に教えるべきはそんなことではないことについては、さくらさんと私は同意見だと思います。

私は教えるべきことは「考える」ことだと思います。例えば「大学は希望者全員が入学できるように大幅に増やす。高校は義務教育にして全額無料。大学は今の公立高校並の授業料にする。この大学は放送大学(当時できたばかりでした)の様な誤魔化しチープ大学ではなく、研究と教育が一体になった大学だ!」といった主張それ自体は別にいいのです。

ある意味もっともで、例えば文部官僚の主張と言うより「思い」はこれに近いのかもしれないと思います。ただ、こうはならないのはなぜか、を考えることが大切なのです。

どの程度考えるか、考えられるかは年齢によっても異なると思います。しかし中学生以上なら、これは財源の問題であることを考え始めなければなりません。増税すなわち個人生活を犠牲にすれば、あるいは例えば他の社会保障を犠牲にすれば、可能かもしれません。では何をどの程度犠牲にすべきか、これを考察することがよき市民の条件とも言えます。

もちろん子供は「財源」なんて概念は知らないし思いもつかないかもしれません。それを気づかせ、教えるために、教員は雇われているのです。

私が大学時代の教員志望連中の特徴として書いたのは、その主張を書いたのではなく、その考えの浅さを書いたのです。現状批判それはそれで結構なのです。日の丸君が代を見て反吐が出る感覚は私も同じです。偏差値教育が問題と言う意識が社会全般にあるからこそ毎年のように受験制度に変更が加えられてきたのです。

しかし、優秀と言われているいい大人を常に悩まし続けているのにはそれなりの理由があるのです。もし教員希望の彼らが大学大幅増設の後に大幅増税も主張したなら、賛成反対はさておき彼らの主張に耳を傾ける価値を私は感じました。同様に帝国憲法下で権力が過度に集中していた実例を示してもらえれば、やはり傾聴しました。ところが彼らはあまりに無知。あまりに考察が無い。結論を出せとは言いません。結論が現在出ていないような問題ですから。しかしそれだけに悩みが全くない彼らの決め付け論にあきれ返ったと言うことを前回は書いたのです。


さて日教組の話はさておき、さくらさんの文書を読んでいて、就職したときに隣にいた先生を思い出しました。彼女の口癖は「私は行政の人じゃあない!!」。だから私はあの仕事もこの仕事もしたくないし、できないのは当然だ、と言いたい訳です。彼女ほど極端でなくても教員様は「行政って奴らは」と言うのが好きなフレーズですよね。

当時、大学を出て就職したばかりの私は困惑しました。行政って?行政控除説(立法と司法の作用を除いた国家作用のすべてが行政)や積極説(法に従いながら国家の目的の積極的実現をめざして行われる統一的かつ継続的な国家活動が行政…でしたっけ?)を思い出しながら「事務屋(事務職員)」だと立法なのか司法なのか民間職員なのかわからないけど、学校の先生(学校も私学がありますけどね)は、より典型的な行政職員だよな〜などと考えました。

それで「先生は行政職員だと思いますけど」(教員様は「先生」と言わないと本気で怒ります)などと言ってしまったから、もう大変!!プリプリプリプリプリ怒り続けて、さすがプロのイジメ師とばかりにくだらない言いがかりをつけ始めてくれて…。

今から考えると彼女は「教育委員会に来たからには(=来ている間は)行政の人ですよ(=だから行政の人として自覚しなさい)」と注意されたと感じたのでしょう。人の上下関係といったことに極めて敏感。それが全てと言っても過言ではない教員様にしてみれば、新人の事務職員ごときに教員様である私が批判されるとは許し難き屈辱!!しかも、この私が悪の権化、行政の一員だと!!耐えられない侮辱!!さらに、そのセリフに理があるだけに、ますます許せない。生意気だ。教育的配慮から酷い目にあわせてやる…………と、まあ、極めて教員的反応をお示しになられたわけです。

教育委員会に何年か勤めて思ったことは、所詮、教員様はお客様に過ぎないと言うことです。上記の先生方の主張は、つまり「自分は客(ゲスト)であって当事者(メンバー)ではない」と言っているのです。

この御考えを御改めいただくことは不可能です。教員様ですから。
ですので「お客様」として気持ちよく御過ごしいただくことに、私はじめ「行政」は対応させていただきました。(無責任ででたらめの教員様らしい)批判に謙虚に耳を傾け、お客様お帰りの後に必死でサービス残業で仕事を片付ける。就職1年目の私ごときが教育委員会に来られて5年目6年目の役立たずお客様(お客様なのですから役立たずなのは当然ですよね)のご面倒が見られて大変幸運でした。


サクラさんのお考えは、こういった教員様の御仕事が大変な聖職。ボランティア的側面が強く、全人格的教育をなすにはチームワークで仕事をする必要があり、1年で変わるなんてとんでもない。学校経営とはそれほど容易なものではない。行政の無責任さが教員様に献身的奉仕を強いており、それは永年勤めている良心的教職員によってやっと成り立っているのが現状です。

なんでしたら、さらに付け加えましょうか?教員という高度に専門的な職業は日々の研究研修の繰り返し。10年勤めてやっと一人前。教員は子供に全人格的な教育を専門的な見地からしているのであって素人が口をはさむのなんて許せない。………と、まあ、こんな感じでしょうか?

まず「行政が悪い」は私の耳には「政府が悪い、自民党が悪い、文部省が悪い」に似ているような気がします。給食費云々といった具体的システム的な問題なら、具体的な提案を、有権者・システムの一員として、考えていきたいですよね。とにかく悪者を作っておきたい、とにかく行政が悪いとおっしゃるのでしたら、まあ、そういう考えもありますか。

次に教職が全人格的教育をするような職業、ボランティア的職業と言えるか。まさにそれがこのホームページの主題のように思います。さくらさんは、そう思い、そのように実践なさっているのですね?

世間的には、さくらさんのようなお考えが多数であると私も承知しています。そして私はその様な考えに反対です。なぜなら(教員様の)能力的に不可能だからです。どのように不可能なのか。それはこのホームページの過去ログやリンク先が典型例です。そしてできもしないことを要求し、無理やりやろうとするとどうなるのか?それも多くの不祥事事例から明らかです。

何を変えるべきか?理念の方を現状に合わせる以外、選択枝は実は無いと思います。つまり教員に不可能を要求することを止める事です。人格的教育など皆さんには不可能です。教科を教えることも満足にできていないじゃありませんか。さくらさんは、ボランティア的動き、自腹を切る、とおっしゃっいました。それは最近、いつ、どのくらいの頻度で、どの様にありましたか?教員様は怠け者でケチだって話がこのホームページには多数あります。違うと言う実例を期待しています。

さて、全人格的教育を人格未成熟な人達がやろうとした結果……体罰の話になります。制度で生徒は抵抗できないように縛って一方的に殴れるようにしておかないと上下関係を示すことができないのですね?その大人には権威は無いのですか?

ここで言う「権威」は相手を服従させる力です。この「力」は「暴力」とイコールではありません。例えば上で書いた「私は行政の人じゃあない」先生は新人職員の私を従わせる力に残念ながら少々欠けていました。まず従わせる要素として先輩・年長者で、組織上上位であり、(始末に終えない)やかましい性格がありました。ただ力の欠ける要素として、無責任で、当事者意識が無く、さらに決定的なのは(本人に自覚が欠如していますが)知識の無さです。彼女の指示に従っていては仕事が進まないのです。おかげで新人の私は組織上無関係な人の指示を探し回りました。

別に私は「教員に権威を持て」とは言いません。不可能ですから。

当たり前のことですが、現代社会は暴力を否定した社会です。警察、自衛隊、といった一部の例外的機関のみが暴力を集中的に持っています。その中に学校は入っていません。入っていないにもかかわらず暴力を使う。しかも「体罰」という、通常、無抵抗な弱い相手に対して一方的に振るわれる、しかも言いがかりと言える屁理屈大義名分のもと振るわれる、最も卑劣な暴行行為を。そして、これが社会的にも一部是認されてしまっています。なぜでしょう。

それは不可能を学校に要求した結果です。できもしない「全人格的教育」をやらせようとした結果です。そして体罰を肯定している連中は、やられた経験の無い連中なのです。

私は悲劇をなくしたいと思います。「全人格的教育」なんてのは、誰かがどこかで専門的にやるものではありません。さくらさんは「家庭が、行政が」とおっしゃった。そして、やってないから学校でやるのだと。私も家庭や学校を含めた社会がやると言うのはもっともだと思います。しかし学校が暴力を使ってまで担当するのは悲劇しかあり得ない。

しかし現に学校にそうした役割を求められているのだ、そういう反論をなさるでしょう。しかし、できないのだから、できないとはっきりさせた方がいい。学校は勉強だけ教えるので精一杯だと(実際は勉強すら教えられていない。だから子供が塾にいかなければいけないのです)。

はっきりさせるために短期雇用に変えていくべきです。短期雇用で教科を教える能力は十二分だと私は思います。「長年教職を勤めてきた」それで教科を教えることは上手くなりましたか?できる様になりましたか?かえってマンネリ化していませんか?社会的には数年で変わっていただいたほうが利益になると思いますが、如何ですか?

次に解雇するかどうかの判断能力、といった話ですが、原則は全員解雇です。と言うのは現実的に難しいのでしたら、常に一定の比率で解雇です。前に意識しているモデルケースとして予備校の講師のシステムと書きました。それでしたら毎年、契約更改です。自由契約選手にならないように、精一杯がんばってもらいます。人気投票でも、独断と偏見による管理者評価でもかまいません。人事考課なんてのは、どの組織であっても100%正確なんてことはありません。その中で教員は比較的評価のし易い職種だと思います。なるほど、今までやってなかった事ですから当初は混乱するでしょう。しかし混乱は数年です。トータルで見れば、大きく社会に貢献する改革になると思います。

そして、このことを通じて、学校がやらなければいけない仕事、やったほうが好ましい仕事、してはいけない仕事、が明確になります。あるいは、学校ができる事、できない事、が明確になります。

日教組の話からも、さくらさんの話からも、方向性は違っても「精神主義的なニュアンス」を感じます。そして学校や教員様にはこれが充満しているように思います。しかし私はこれが嫌いです。また(学校と対学校を除く)社会も精神主義的な方向には大局的には無いと考えます。学校も、ごく普通の社会になっていくべきと思いませんか?

それから、学校が荒れる原因ということですが単純に社会の一般的な反映と私は思います。むしろ学校だけが無関係に整然としていたら不自然に思います。それを学校だけは無理やり秩序つけようとすれば……私は、その方が遥かに問題が多いと考えます。


[72] ただの公務員さんへ 投稿者:さくら 投稿日:2003/05/20(Tue) 10:08
「大学は希望者全員が入学できるように大幅に増やす。高校は義務教育にして全額無料。大学は今の公立高校並の授業料にする。この大学は放送大学(当時できたばかりでした)の様な誤魔化しチープ大学ではなく、研究と教育が一体になった大学だ!」
「つまり帝国憲法は権力が過度に集中された非民主的なものでなければいけない…?」
 まさしくこれです。これは教員様の考えというより日教組の方針です。集会に行くと皆さん,何かに取り付かれたかのようにこんな夢想を唱えています。ただの公務員さんの見てきた教員志望のかたがたは,おそらくかなり洗脳されています。その洗脳の元は左翼思想です。権力を憎み体制をまずは批判する。そして自分の思想に合わないものは排除しようとし,事実を捻じ曲げて持論を正当化しようとする。
 言論の自由は結構なのですが,日本の現体制の恩恵をどっぷり受け,市民の血税から給料をもらっている立場にいながら,権力そのものを否定するとは,親に反抗する中学生みたいです。早い話が甘えです。思想ごっこですね。体制批判を本気でし,子供達にそれを伝えるのが正しいと信じるなら自費で私学を作り,そこに希望して集まった子供達に左翼思想を教えるべきです。たぶん集まりませんけど。
 体罰についてはわたしの立場は一部容認です。縦社会は必要です。大人へのおそれです。本来それを担うのは親。それが前提にあっての人権自由です。学校に何の権限も与えず,いかなる場合も傷つけてはいけないとするならば,生活の躾は家庭がすべきであり,それができない場合には行政がすべきです。 
 体験上,体罰をおそれ,人権を意識しすぎると学級崩壊が起こります。子どもは強い大人を望んでいます。ですから,いじめられている子を見たとき,よくよく観察すると原因がわがままからきており,それを強制するために一手段として好き嫌いを徹底して認めず,食べさせることで結果的にいじめが直った(親に許可をもらいました)事例もあります。これは一つの例ですが,基本的にこの考え方で学級経営を進めると,いじめのない向学心に燃えた学級になります。長い経験上,人権を意識して学級経営がうまくいったためしがありません。昔ほどの家庭教育力があれば,人権主義でもうまくいくのでしょう。(日教組は人権教にどっぷりつかっています。)
 責任のなすりあいをしてきた結果が今の荒れた学校の現状だと認識しています。学校が責任もって学力をつけるところ,家庭は人様に迷惑を掛けない人間に教育するところと本来の姿に戻ってほしいです。
 また,教育予算も潤沢に準備し,教員が動かなくても行事や施設管理ができるようになれば,おたがいに気も使わなくてすみ(運動会などは体育主任や管理職が他の職員の機嫌を損ねたら実施不可能になります。今の現状で不適格教員を排除しようとしたら学校は機能が止まります。)ますし,日教組に対抗してけんかもできます。会話をせずに自分の仕事だけすればよいのですから・・・そうすれば教員の単年度採用も可能でしょう。


[71] ただの公務員さんへ 投稿者:さくら 投稿日:2003/05/19(Mon) 01:02
 丁寧なコメントありがとうございます。多少食い違うことはあっても、多分考え方はお互い近いと思います。私は自分が右だとは思っていません。ただ、現実を見ようと心がけています。私を周りの教員は「右」と噂しているようです。日の丸君が代を信奉するしないは個人の自由であり、それが信条の自由ということだと思います。ただ、子どもたちの前で悪く言うのは許されないことだと思います。自分で私学を作って、その中で主張するのは勝手です。そして生徒が逃げてつぶれるのも自由です。公費を使っている学校で、ヒノキミだの自衛隊のことなどを論じるのが間違いです。日本の国でどう充実した生き方をするか、子孫のためにどう国づくりに関わるかを考えさせるのが公教育の究極の姿だと思います。 偏差値主義の受験システムはかなり公平な制度だと確信しています。試験管の主観に左右されるような試験内容では、不公平です。客観のきわみが偏差値だと思います。
 大学時代に接した教員志望の人々の発言、まさしく日教組の影響です。そもそも今思えば大学の教授に左よりの人がけっこういます。理想を追い求めるのが教員の使命であるかのように錯覚しているんでしょう。理想は持っていたほうがいいですが、認めざるを得ない現実は認めてもらわないと議論としてフェアじゃないですよね。
 最後に教員の単年度採用制についてですが、難しいと思います。そうなってほしい反面、苦しい事情があります。
 まず、解雇するかどうかの判断が出来る人材が教育関係者に少ないこと。基本的に管理職は「教員様」です。しかも能力がかなり低い人間でもなれてしまうというか、そんな人でもならないと絶対的人数が足りません。教育委員会も「教員様」です。行政になると一気に内部事情を知らなくなりますから、質の悪い管理職が下した解雇か否かの判断を鵜呑みにしなければならなくなります。不適格教員は淘汰されて欲しいですが、まともな教員までも淘汰されてしまう事例が出てきそうです。そしてそうなればめんどうくさい生徒指導の仕事から教員は逃げ出すでしょう。
 次に協力体制がなければ仕事が進められないことです。仮に学校内に教員が30名いたとして、そのうち「教員様」が20名だったとします。あとの10名が頑張っても学校運営をしていくのはかなり困難です。細かく仕事内容が決められていないのがこの職場の特性です。もし学校が生徒指導や躾、道徳など心の成長に関する教育をしなくてよければそれも可能でしょう。かなり繊細な面も持ち合わせています。かきまわす教員が1名でもいると生徒の指導がむずかしくなりますが、実際にはいっぱいいます。それでも表立ってけんかをしないのは謙虚な教員が生徒に悪影響を及ぼさないために耐え忍んでいるからです。お互い疑心暗鬼になり、1年しか付き合いがないとなってくれば、人間関係が希薄になり、協力しあわなければできない部分が止まってしまいそうです。
 もともとボランティア的な動きや自腹を切らざるを得ない場面に出くわす(家庭の事情でご飯を食べれない子どもにこっそりパンを食べさせたり・・・見てみぬふりはできない)この仕事、計算通りにはなりません。給食費一つにしたって、徴収は学校に丸投げ、未納分は学校が請求しなければならず、かといって何の権限も与えられていない。それで「徴収できませんでした」ですまされることもない・・・。行政は何も助けてくれません。そのへんまでしっかり行政が面倒を見、主観的な評価を伴う仕事を学校からなくして初めて教員の評価は出来ると思います。
 私は「教員様」になってしまうのは悲しいかな避けられないと思います。いろいろ考えてみましたが、全人教育を受け持つとなっている今の現状では、システムを変えるのは困難だと思います。が、それを助長する組織はなくなって欲しいと思っています。思い上がりを助長するのは思想です。選民思想ですね。自分たちが選ばれた人間で社会を変えられるという思い上がり・・・。