chikako of nekoneko



娘に残したかったこと・・・・

8月の終わり頃に電話で彼女から撮影の依頼を受けました、内容が内容だけに迷い無くOKしました。まず娘に残したい、ピンクリボンに参加して乳がんの恐ろしさ、醜さを訴えたいとの事で反する2つのリクエストを考慮して撮影しました、場所は彼女の家で撮ることを勧め打ち合わせ及びロケハンしました、某写真集の乳がんで乳房を取った本を参考にこうならないようにとのリクエストでした(手術跡などピントは合わせたり全体に美化しないように同じポーズばかりにならないようになど)、撮影だからと部屋も片付けないように勧め、いつもの娘の見てるようなイメージを大切にしてみました、当日用意してもらうようにスリップ(なかなか今では売ってないみたいでした)、娘の好きな料理の準備をしてもらいました。
カット数を伸ばすためにグラビアチックな写真も混ざってますが娘に残したい母としての写真、女としての写真、がんの悲惨さを伝えるカットなどを撮影。撮影時間は約3時間ちょい、枚数にして1200枚、セレクト後200枚、となりました。最初ブックにした時に20ページ作れたらいいかなと思ってたのですが40ページ組めるほどに仕上がりました。このアルバムではヌードなど特に色を変えたり少し刺激を減らしてます、ヌードは最初は避けたのですが彼女のセレクトを重視してアップすることになりました。ネットに出すので色々考慮してセレクトもしてますが彼女の言いたいことが一人でも伝わればと思います。
以下の文章は彼女に送って頂いた文章です。


私は30歳から乳ガン、子宮癌検診は欠かさず受けてきました。なぜなら、祖父も祖母も癌で亡くしているからです。祖父は、胸膜悪性中皮腫と大腸癌。祖母は、胃ガン、乳ガン、腎臓癌、共に全て原発性の癌でした。家族にガン患者がいるという事で、ガンの恐ろしさを嫌と言うほど目の当りしていました。特に、祖母の乳ガンで、左乳房を切除した傷跡を見て、その傷口の悲惨さや思うように手が上がらなかったり、という不自由さを祖母からも聞いていましたので、  自分で出来るガン予防は進んで、受けたいと考えていました。祖父も祖母もお酒も、タバコも、飲まない人だったので、なぜガンになってしまったんだろう?これは、きっと体質のせいだと思ったときに、いつか、自分も、ガンになる可能性があるなと考えていました。そして、毎年、乳ガン子宮ガン検診を受けている間に、医師からマンモグラフィーの検査を進められたのは、たった一度でした。その時のマンモグラフィー検査の結果は幸いにも異常なしでした。

私は、双極性障害(躁鬱病)も煩っていたため、2007年の約半年は、トイレに行くのも苦痛な精神状態でしたので、その年に限っては、乳ガン検診は受ける事が出来ませんでした。それでも長年の習慣で、お風呂に入るたびに手のひらに石けんを付けて、自分の胸を撫でるようにして乳ガンの自己検診は欠かさず行っておりました。そして2008年の秋口に、お風呂に入っているときに、ふと、脇の下のリンパ節が腫れている事に気がつきました。私の頭の中では、すぐ、乳ガンが脇の下のリンパに転移したモノだと思い、その日から更に念入りに、セルフチェックをしながら、10日ほど様子を見ましたが、脇の下の腫れが納まる気配を一向に感じませんでしたので、掛かり付けの内科に行き相談したところ、近所の大学病院を紹介されました。大学病院で、専門の医師に触診を受けたときも、医師には判断が出来なかったようで、マンモグラフィー等の予約を取って、その日は帰ってきました。私の乳ガンが、何故専門の医師の触診でも判断できなかったというのは、多分、若い女性のように乳房に張りがなかった事と、出来た場所が乳房の下側だったからだったと思います。検査の結果、私の予想通り、既に、脇の下のリンパ節にも転移していて、シコリも3cmくらいの大きさになっていたので、たとえ部分切除をしたとしても、乳房の形は大きく変形してしまうこと、再発のリスクが高まる事、精神的疾患を持つ私に、1ヶ月間一日も休まずに慈恵医大の本院に放射線治療に通う事が難しかったという理由で、右乳房を全摘出するしかないという結論になりました。




不思議と、手術に対しての恐怖は何も感じませんでした。ただ、娘が6歳の頃に私は離婚しておりましたので、私が長く生きられなかったら娘を一人にしてしまうなと思うと、それがとても娘に申し訳なく、苦しく悲しかったです。手術後、病理検査の結果を聞いたとき、女性ホルモンに対する感受性がプラスだったので、当面2年間はホルモン治療を受ける事に決まりました。それと同時にガンの悪性度がグレード3=悪性度が一番高いガンだという事も分かりました。担当の先生からも、国立がんセンターの遺伝子学の研究をしている先生からも、近い将来、どこかに転移する事は間違いないという事を聞いて、私は、娘のために何か残しておきたいと思いました。そこで考えた結果、今の、まだ元気な私の姿を写真に撮って、娘に残してあげられたらいいなと思い、その意志を写真家の先生に話したところ、先生も私の気持ちに賛同して下さり、今回、とても例外的な金額で写真を撮っていただくことが出来ました。そして、もちろん、第一の目的は、娘へ私の写真を残す事なのですが、第二の目的は、ハイリスクの若い女性が自費ではなく、たとえば保険適用されるとか、自治体からの援助などが受けられるようになって、もっと、希望をすれば二十歳から乳ガン検診(マンモグラフィー検査)が受けられるような、制度が出来ればいいなと思い、乳ガン検診の啓発運動に少しでも自分の写真が役立つ事を祈って止みません。

この写真は、娘に残す事を前提として撮影していますので、カラーをモノクロやセピアに変えたり、縁を付けたりした以外は、一切修正はしておりません。その結果、見る方によっては中年の崩れたプロポーションにお見苦しい点もあるかもしれませんが、私が皆さんにお伝えしたいのは、乳ガンで乳房を取ってしまった身体というのは、こういう風になってしまうんですよ。それは今、人事だと思っているあなたも、決して人事ではなく、自分の事であるという事を、真剣に感じて頂きたいというものであります。