移植作と原作 (MD版『大魔界村』篇) 2003/09/20→2005/02/01
完全移植というものにクリエイトする余地はほとんどないですよね。
おまけ要素を付けたら完全移植じゃなくなってしまいますし。
私はむしろハード性能の制約上、完全移植ができない時にこそ
PG(プログラマー)の腕の見せどころだと思うんですよね。
メガドライブの『大魔界村』なんてその最たる物だと思うんです。
移植作品のレビューでよく使われるキーワード、「ゲーム性」。
MD版『大魔界村』ではその「難易度」と「爽快感」で見事に再現されています。
(それでもアーケード版の方が難しいみたいですけど。
このゲームの難易度が高い事への批判は被移植作を作ったカプコンにすべきであって
セガへするのは御門違いだとは思います。
「移植」である以上は難易度もそれなりが求められるのですね。)
移植度だけを見ていたら「ゲームの語り部」としてはまだまだなんだと痛感する次第である。
異なるメーカー間での移植はセガ内で業務用から家庭用に移植するのとは
比べようもないくらいに人的及び物的障害があったであろう事は想像に難くない。
ハード性能をかけたプライドもあるだろうし。
『大魔界村』に限らず、PSシリーズ、ソニック・シリーズ生みの親の
中裕司氏が関わった移植作品の完成度の高さはというのは
驚くべきものがあります(移植度・再現度ではない)。
中さんというのは今思えば移植職人出身なんですね。
発売当時、連日夢中になった作品群。
それらの開発に名前すら知らなかった「中裕司」という人が関わっていた事を
後々知ることになる。
あの外見(というか風貌)だけでは見えないハード性能の限界に挑戦するかのような
チャレンジ精神は業界人のみならず注目の存在だ。
何を残して何を削るか。
それが分かっている人だけが完成度の高い移植作を残しているんだと思います。
そして完成した時に面白さの差になって出てくるんだと思います。
移植作と原作 (DC版『バーチャファイター3tb』篇) 2003/10/05→2006/06/15
やっぱり完全移植を貫いちゃうとこういう仕様になってしまいますなぁ。
DCユーザが求める「最大多数の最大幸福」とは程遠いというか。
もうユーザは完全移植だけじゃ満足できない体質になってしまった。
あのソフトにあった「おまけ」が何故これにはないのか。
ユーザから要求される「おまけ」の数は前例を越えなければならない。
それだけアーケードとコンシューマでは「幸福の力点」が異なるという事なのだと思います。
というか個人が業務用(アーケード)の基板を比較的容易に入手出来る昨今、
完全移植ってそんなに価値があるのでしょうか。
SSの『バーチャファイター2』で言えば
豊富なオプションをトレードオフしてまでウルフ・ステージに金網は欲しくないと思うし、
MD版『大魔界村』の例を出せば、
私は移植度で言ったら高いであろうサターン版よりメガドライブ版の方を好んでプレイしている。
要は(自分にとって)面白いかどうか、である。
つまり、このオプションが最たるものだが、仮にゲーム本編での完全移植が出来たとしても、
家庭用ゲームはアーケード・ゲーム以上の容量を要求される命運にある。
必ず「あれがない、これを付けろ」となります。
「完全移植しさえすればいい時代」=ベタ移植は終わり、
「完全移植だけでは不十分な時代」=完全移植+αが求められる様になったと言っていいでしょう。
たとえある人にとって不要な機能を追加したとしてもそれが自由にオン・オフ出来る機能なら、
それを以って「余計なものを付けるな」とはなりません。
やっぱり「あれがない、これを付けろ」となります。
アーケード以外でも古いコンシューマにも言える事でしょう。
実機を持っていて問題なく稼働できる人にとっては移植の完全さは意味がない。
全く同じ内容のゲームがこの世に増える事が良い事なのか。
それよりは選択肢が増えた方が話のネタになるだけよっぽどマシ、というのは言い過ぎかも知れないが、
つまらないゲームのつまらない部分を含めた移植度100パーセントというのは御免被りたい。
原作のゲームを面白いと思えない人にとって移植度が高い事はマイナスである。
逆に移植度が低くなる事によって面白いと思えるゲームに仕上がる「可能性」が出てくる。
ク○ゲーでも移植度を無視する事によって名作に成り得るのである。
(そこまで行くと「別物」の感も否めないが)
私は多分、『大魔界村』なんて死んで覚えるゲームをアーケードでやってても面白いとは思えなかっただろう。
家で無限コンティニューで出来たから、楽しめる領域に踏み込めたのだと思う。
「俺はアーケードでもやってたから移植度が高い○○版が好きだな」とか、
「俺は移植度は低いけど○○版は△△だから好きだな」
という状況こそ、自然なのではと言いたいのである。
移植度だけにしか目が行かない"移植度至上主義者"は実は本質を見逃しているのでは、と。
何故、こうまで頭から煙を出しながらwクチを尖らせてww言うのかというと、
私は気付いてしまったからです。
「移植度至上主義者は面白さを求めていない」という事を。
「面白いかつまらないか」「良いか悪いか」
というゲーム本来の視点ではなく、
「どちらに先に触れたか」「触れた時間がどちらが多いか」「先発か後発か」
という本質を見失った視点に陥っているのだ。
追い掛けているのは"思い出"という逃げ水(幻影)かも知れません。
私を含め、何か物を集めた経験がある方なら分かるでしょうが、
「初物」にはそうである時点で価値が有ります。
どの分野にもオリジナル追求志向というのは存在します。
漫画で言えば単行本ではなく雑誌自体を収集・保存しているコレクターがいます。
ゴダイゴのタケカワユキヒデ氏が割と有名です。
鉄道模型ではスケールの違いでNゲージではなくOゲージというのが存在します。
では単行本コレクターやNゲージ愛好家は趣味として格下なのでしょうか。
私は即答で「ノー」と答えたい。
AC(アーケード)→CS(コンシューマ)への移植というのは
コンソールが違う時点でちょっとなぁ、
というか私は「完全移植」の存在自体に懐疑的なのである。
最悪なのはメイカの謳い文句で「完全移植」なるものが軽々しく使われており、
それが果たされていないソフトが数多いという事だ。
そもそも違うフィールドであり、
「完全移植」という言葉が定義としてどの条件をクリアする事が必要かが統一見解に至っていない。
(特にその格差はユーザとメイカ間で大きい)
「insert coins」が「push start button」になったらもう不完全移植?
ポーズ機能を追加したら?
処理落ちが改善されたら?
誤記、差別表現を修正したら?
もし差別表現がネックになっているなら修正して移植されても無意味ではないでしょう。
というかそもそも同時代で比較すれば、アーケードとコンシューマでは
ハード・パワーに差があるのは明白なので、
敢えて完全移植を目指さず、家庭用ならではの調整(コンシューマライズ、家庭用アレンジ)をして
リリースされたタイトルがあったという歴史、
またそのメイカの苦労・努力・センスを一切無視してしまうのもどうかと思う。
純粋なレビューとはかけ離れてしまいますが、
さらに追い討ちを掛ける様に書けば
このソフトはローンチ・ソフトが求められる命題をクリアできなかったという点にも
言及しなければならない。
本来サターンで発売する予定だったものがドリキャスに変更した時点ではユーザーはサターンの性能の限界を知っていたので
あれやこれの二の舞になるぐらいなら、という事で納得していた。
がしかし、発売されてみるとこの仕様だったわけで「待たせた挙げ句にこれか」「アーケードで済ませるのと変わらない」というものだった。
『ドリームキャスト』の次世代機として時代を先取りしたとは言い難いハードの仕様、
ローンチ・ソフトの中の看板タイトルとしてのこのソフトのこの仕様で
テイク・オフ(離陸)せざるを得なかった僕らの夢を乗せたw『ドリームキャスト』号という飛行機は
数年後、失速してセガ自体の手により強制着陸する事になります(ハード的に)。
このソフトを見るだけでも98年末商戦に合わせてハードを"出さざるをえなかった"という
切羽詰ったセガ側の内部事情というのが見えてきます。
(そういう状況に追い込まれている時点で様々なものが既に決していた、と思います)
この後にプレステ2が世間も納得の性能・仕様で満を持して発売され好評を得たのは周知の通りです。
急いては事をなんとやら、とはよく言ったものです。
「リアル」の誤用 2003/06/10→2006/2/12
「魔法使いが出てくるロールプレイングゲーム」に「リアル」は有り得ない。
「リアル志向」とか「リアリティーがある」ならまだ分かるんですけど。
※「reality」には「1.現実 2.現実味」という意味があります。
歴史上魔法使いはいなかったみたいです。
「魔女とされた人」は結構いたみたいですが。
それに対して「リアル」っちゅーのは嘘も大嘘ですね。
「リアル」って何だろう。
"re・al"
━━形 1 本当の,真の,本物の,真正の.
━━形 2 [通例限定] (想像ではなく)現実の,実際の,実在する.
━━名 現実,実態,実在,実物.
〜『ジーニアス英和辞典 第5版』より抜粋〜
形容詞"real"の意味は「本当の」や「(想像ではなく)現実の」ですが、
「現実の」という意味で使う場合、語法上通例では「限定用法」でしか用いられません。
つまり、「the real world」とは言っても「The world is real.」とは言わないんですよ、普通は。
この用法では今目に見える物以外には使えないんですよね。
ホントのホントに正しいというか狭義の用法では歴史的事実であっても
「今目に見える物」以外なので「現実の」という意味では「リアルだ/な」とは言えないんですよね。
つまり、「現実的」という言葉の"的"が抜け落ちてしまっている。
「じゃあ何て言えばいいの?」と思われた方もおられるでしょう。
「ご自分で調べて下さい」と言っても良いのですが、
知らないと思われるのも癪ですので書きます。
「realistic」(リアリスティック)
この言葉がなかなか出てこない。
手元にある、高校生でも使う英和辞典の『新クラウン英和辞典 第4版』の用例でこうあります。
「a realistic novel 写実小説」
つまり、この言葉ならフィクションに使っても誤用にならないのですね。
ですので、写実的なゲームがあったら「リアリスティックなゲームだね」と言いましょう。
(実際にそんな奴がいたら後ろから蹴りを入れたくなるか近づきたくもないですが;笑)
○○:「ねぇ、このゲーム凄いリアルだよね」
私:「いえ、ヴァーチャルです」
○○:「ほら、この背景なんかリアルだよね」
私:「いえ、ヴァーチャルです」
○○:「何か、このキャラなんかリアルだよね」
私:「いえ、ヴァーチャルです」
○○:「なんていうか、リアルとしか言いようがないよね」
私:「君と話している方がよっぽどリアルだよ」
学生言葉に見られるように省略語は仲間意識を強める性質があるが、
何でもかんでも省略しようとする風潮が、誤解や格差を生んでいる。
そんな感じです。
「リアル」を追求しすぎるとエンターテイメント(娯楽)として成立しなくなってしまう可能性もある。
普段、注意せずに何気なく使われている言葉ですが、
「リアリティをどんなに積み上げてもリアルにはならない」というのは覚えておいても損はないでしょう。
×「アスファルトの質感がいっそうリアルになり、〜」
○「アスファルトの質感がいっそうリアルに近づき、〜」
って事ですな。
"real"という言葉に程度はありません。
"real"or"un・real"のゼロかイチです。
おまけ;
敢えて比べれば
コーエーがプレステ2とかで出してるなんたら無双の有り得ない武器を振り回している武将よりも
光栄時代にファミコンとかで出してたシミュレーション
のグラフィックの方がリアル志向なんだと思います。
時代考証的に。
ハードのグラフィック能力だけで語られているケースがあまりにも多い気がします。
「戦術ゲーム」と「戦略ゲーム」 について 2003/06/16→2005/08/01
シミュレーション・ゲームの紹介文やレビューでは
戦術ゲームは「所詮は戦術ゲーム」などと評され、
戦略ゲームよりも数段は劣るかのように記述されている。
「そうやないやろ」というのが私の意見。
規模じゃないんですよ。
範囲なんですよ。次元と言ってもいい。
次元と言えば、ルパンの相棒、じゃなくて英訳すると「dimension」ですが、
2D(two-dimension)のゲームと3D(three-dimension)のゲームでどっちが優れているか、
3Dゲームの方が優れている、
なんて言う人はまさに次元が低い訳で、(これを読んでいる人にいない事を願うが)
そうじゃなくて2Dにする事で情報をシンプルに伝えられる利点がある。
実際、それまで3Dゲームばかりに使われていたポリゴン等の技術が逆に2Dゲームに応用されている。
一長一短なんですね。
確かに技術的なハードルの高さという単一の物差しだけなら3Dゲームの方が上でしょう。
でも、それは物事をある一面からしか見ていない。
何でこういう事が起きたかと考えると「戦術級ゲーム/戦略級ゲーム」という言葉が使われ出してからの気がする。
またゲーム以外でも「戦術/戦略レベル」って言葉があるけど、この「レベル」って言葉も要注意。
本来の「水平、水準」という意味以外にも色々な意味というか用法がある。
本家RPG(和製英語で所謂TRPG)の世界では
ダンジョンの深さを表すのに使われたりする。
つまり地下5階を「Level5」という具合に。
ゲームに主に使われる「程度」「水準」「深度」の3つの意味で
正確に「レベル」という言葉を理解して使い分けられる人は案外少ない気がする。
話を戻すと、
「戦術(tactics)」と「戦略(strategy)」とはいわばミクロとマクロなんですよね。
兵站をも考慮しなければならないという点で、
囲碁が究極的に洗練された戦略ゲームで
チェスが究極的に洗練された戦術ゲームとも言える。
将棋はどっちになるかは意見が分かれるでしょうけど、
戦力の絶対値が既定されているので戦術ゲームだと思います。
どっちが上とかじゃない、と思うんぢゃ。
レア・ソフトについてのミクロ経済学考 2003/05/21
レアな本体について語ろうとすると殆どが恨み節で埋まってしまうので、
レアなソフトについて書いてみようと思います。
一口にレア・ソフトと言っても
(この場合の「レア」は肉の焼き具合ではなくて「希少な」という意味ですが)
「単に出荷本数が少ないだけ」というのと
「出荷本数はそこそこだけど需要が大きく上回っている」というのの
2通りに使われていると思います。
本来のレア=「希少な」、レアリティ=「希少性」という意味からすれば、
後者にレアという言葉を使うのは誤用と言ってもいい。
だが、「市場の」という条件付きで使われていると解釈すればそうとも言い切れない、ね。
なので、値段が上がったり下がったりで
「レアになった」「レアじゃなくなった」というのはおかしな話で、
それはプレミア(ム)のことでしょうと腹の中では突っ込みを入れてます。
前者はメーカーで言えばアクレイム製品などで、
後者で言えばトレジャー製品などがそうみたいです。
「テンゲンなんかはどっちなんじゃい!」と言われれば、
中間と言いたいところですが、あえて決めれば後者だと思います。
印象としては本数は多かったですよね?
移植・リメイクされて相場が下がったりすると「とにかくプレイしたいだけなのよ」
という人が確実にいる事を確認出来て安心します。
特定のソフトを自分の手でレアにしたいなら、
そのソフトを片っ端から入手して
それをゴミとして処分していけば、
現存する数が減ってレアになると思います。
でも勧めている訳ではないですよ(笑。
ここからは個人的な感傷ですが
今まで中古ソフトを買うぐらいでは感じなかったのですが
特にオークション等で生活の変化や個人的な都合で自分のコレクションを
手放さざるを得ない状況になった方からソフトを譲って頂く事があると
結構複雑な心境になります。
それだけゲーム仲間が減る訳ですからね。
つまり、レアソフトって実在本数以上には所有仲間は増えない訳で。
でもそういった人でもそれまでとは違ったスタンスでゲームに関わっていくのでしょうけど。
「ゲームの達人」 について 2003/03/28
(同名の書籍とは何の関係もありません)
私が考えるゲームの達人、、、。
達人はゲームとの距離感をわきまえている。
達人は割ける時間を心得ている。
達人のハードは常に手入れされ、ゲストからのリクエストに
即座に応じられる様にしてある。
達人には嬉しい時にやるゲーム、悲しい時にやるゲーム、喜怒哀楽毎のマイベストがある。
達人は語り出すと止まらない。
さういふ達人に私もなりたひ(←宮沢賢治かい)。
私の嫌いな言葉でよく「嵌る(はまる)」っていうのがありますが、
あれは達人じゃないですね。
結局一時的なもので嵌りから抜け出すのも
時間の問題でそのうち飽きると思います。
趣味じゃなくて罠か何かですか?
「覚えゲー」の幸せ について 2003/06/08
どうも巷では「覚えゲー」という言葉はネガティブ一辺倒な使われ方しか
してないように感じる。
本来、「覚えゲー」は「覚えなければクリアーが難しい(又は出来ない)」
という意味の他に、
「覚えさえすればクリアーできる」
という意味を内包しているはずである。
多くの人が経験があるであろうRPGでの「経験値稼ぎ」。
「覚えゲー」の「覚え」の本質はあの「経験値稼ぎ」と同じである。
ただ異なる点は、経験値が数値として目に見える形で画面に表示されるかどうか、
経験値の享受者がゲーム中の架空の主人公か現実のプレイヤーか、である。
アクションにしてもシューティングにしても「覚えゲー」でありさえすれば、
その一プレイ、一プレイは無駄ではなく、経験値として蓄えられ、
確実にクリアに近づいているのである。
(但し、一定の水準の学習能力が要求されるのは周知の通りです)
シューティングの「覚えゲー」、特に家庭用オリジナルだと
可哀想な一面もありますね。
シューティングというジャンルであるが故?に
攻略本が発売されなかったりするので。
フェアじゃないよね。
逆に言えば攻略本が発売されたために「覚えゲー」の烙印(これまたネガティブな表現だが)
を押されずに済んだ、というソフトもあるでしょう。
「覚えゲー」の対義語(たいぎご)はちょっと思い浮かばないので
仮に「フィーリング・ゲー」とでもしておこう。
実はこっちが厄介である。
なぜなら「覚えゲー」と違い、覚えてもクリアできるとは限らない。
言い換えれば、ある種の「才能」を要求される。
例えば「絶対音感」を必要とするゲームとか。
まぁ売れませんが。(w
「覚え」も「フィーリング」も要求されないゲームは「ヌルゲー」と呼ばれ、
「覚え」や「フィーリング」で要求されるハードルが
ある一定の水準(人によって異なる)を超えたり、
「ヌルゲー」がある一定の水準を超えてぬるくなると
「ク○ゲー」と呼ばれる様になってしまうようである。
(命名者のみうらじゅん氏の意向通りだと食事中の方などに支障が出るのでこの表記にした)
ゲームの難易度は映画『もののけ姫』の「タタリガミ(祟り神)」のように
その評価を180度変えてしまうのである。
オールド・ゲームの愉しみ方 について 2003/06/05
まず先にここで「オールド・ゲーム」を定義しておこう。
まぁ普通に考えて
「現行機種でなくなった(もうソフトが出なくなった)ハード用のソフト」、
で良いでしょう。
そのオールドゲームでは味わいにくい要素が幾つかあるように思われます。
・凄さ、驚き(最新技術での映像・音楽等の表現法)
逆に年月が変わっても変わらない要素。
・爽快感
・達成感(未プレイの場合ね)
・感動(薄れるけど…)
今考えれば私は今まで爽快感・達成感にお金を払っていたという事なのでしょうか。
小型化するならこんな箱 について 2003/03/01
『Xbox』というのは舶来ものなのでデカイ(所謂アメリカンサイズ?)。
日本の住宅事情を無視してデカイ。
後から来てお茶の間の一角を占拠しようとするのにデカイ。
日本用にコントローラーは小型化したが本体は相変わらずデカイ。
ということで、小型化するならこんなだったら良いかもという妄想をつらつらと書いてみます。
ケース →キューブ型自作PC風だと面白いかも?。
ディスクドライブ →フロントローディングで上面に物を置ける感じ。
コントローラーポート →ディスクドライブの下側にサイコロの「4」と同じ様に配置して
画面4分割ゲーム時の「俺今どれよ?」問題を解消。
DVDリモコンの受光部 →本体に内蔵してコントローラーポートを潰さない。
遊びたいソフトと所有したいソフト(止まらない無形化) 2003/10/17
近年、遊びたいソフトと所有したいソフトの乖離が甚だしい。
これは私だけではないようで、市場に多く出回っていていつでも遊べるなら
持っている必要性はないと考える人が増えてきた。
以前は自分が買うか又は借りるにしても誰かが物として買わないと家庭用TVゲームは遊べなかった。
だが、最近は、遊ぶだけなら店頭での試遊、体験版、レンタル(成功はしなかったが…)、
パソコン&携帯電話用ネットゲーム、
等様々な機会がある。
5800円で売ったソフトを1週間以内で4500円で買取ったら
実質的には7泊8日で1300円のレンタルだ(消費税は抜きで)。
映画でも音楽でもゲームでもそのコンテンツ(言い換えれば著作権で保護される対象)自体は無形である。
データでありプログラムである。
レンタルするのでもダウンロードするのでも、
用があるのはその中身であって目に見えるモノではない。
インターネットによって新聞や情報雑誌が要らなくなった人もいるかも知れない。
それらに接し、保存する「器」さえ用意すれば良いのである。
まさに「止まらない無形化」である。
ユーザーにソフトを物として所有させるのが難しくなってきているようだ。
もし中古買取が無かったら新作がどれだけ売れるのだろうか。
ユーザーのゲームソフトに割けるリソースは
携帯電話料金等で圧縮される様になって減少が一層進んでいるようだ。
メーカー側にしてみれば、時間が経ったら
飽きてもらわなければ困る訳で、
飽きないゲームを作ってしまう事は死活問題なんですね。
ですから建前上終わりのないオンラインゲームは有料なんですね。
長いことゲーマーをやっているとどうしてもコレクター的な側面が顔を出します。
中にはとっくにゲーマーを引退し、ただのコレクターに成り下がり、
積みゲーの山の前に茫然自失という末期的状況に陥っている人というのも結構いる。
持っていないソフトをリスト通りに全部集める、所謂コンプリートは
思考が停止した馬鹿の一つ覚えでも出来ます。
私はどうかというと、自分で言うのもあれですがゲームを見る目はスレているので
余程のゲームでない限り、私のコレクション・シェルフに収まる事はないのです。
もっとグローバルな面で考えると地震大国日本で一箇所に物を集めるのって
結構危険だよなぁ、とか考えます。
戦争とか起きないと思っているのなら平和で良いなぁと(←そうか?)。
ゲームソフトのレビュー について 2003/03/25→2006/5/19
>「パンツァードラグーン オルタ」
>ファミ通「ゲームの殿堂」プラチナ受賞!
ってメイカが自分とこのサイトに掲載するのって何か違うと思っちゃうんだよね。
癒着を感じるから。
金色の最中(もなか)1個で1点アップとかだったら嫌だな。
となると編集長になるには袖の長い服が必要か。
ウェッブマスタがソフトを買う時に参考にする資料
・雑誌ライターのレビュー
(自分と嗜好が近い人の、)
・雑誌の読者評価
(相対評価として)
・インターネットの掲示板へのユーザーの投稿
(特に不満点に注目する)
ウェッブマスタがソフトを買う時の基準
・面白さ
(上記の「資料」で調査)
・希少度
(多く出回る物は後で安いコストで入手できます)
・心の琴線に触れる物
(最終的な決め手はこれ)
ま、要するに殆ど全部だね。
でも店の「店長お薦め」は使いません。
在庫が多いソフトが高評価なので。(^^;
気骨という点では良いのでしょうが。
何の臆面もなく涼しい顔で雑誌の「殿堂情報」をべたべたと
貼り付けているような所よりは。
雑誌もメイカとの企業同士の契約で成り立っている以上は
純粋なレビューは期待できないはずである。
(それはこちら↓でも書かれていることなので参照下さい)
http://allabout.co.jp/game/simulationgame/closeup/CU20010810A/index.htm
既に万人が納得出来るレビューにしなければならなくなってしまっている。
定期刊行物というのもまた厄介な点で、定期的に面白いゲームが発売される訳ないんだが。
まあ、あれは"レビュー"ぢゃなくてインプレ(インプレッション;印象)
と自分の中で変換しておくのが精神衛生的に良いのでしょう。
あるのかさえ分かりませんが、信用できるとしたらメイカのスポンサーが付いてない雑誌でしょうね。
今時、雑誌ライターのレビューだけで買う人も希だとは思うが。
でもそういった人達が新作の売上を支えているのかも知れません。
新作を高額で買取って利鞘を稼ぐ店、
すぐ売るのを前提に新作を買う人、
中古でしか買わない人、
売る目的で買う人。
どっちもどっち、高度にシステマイズされています。
私だって転売目的じゃなくても当てが外れて結果的にそうなる事もあります。
でも転売ってより大事にしてくれる人のものになる訳ですからね。
発売日に買わない事がバレバレじゃん。
「ザ・キング・オブ・ファイターズ」シリーズ について 2003/09/20
私の中でKOFは95が最初で最後でした。
それでも一応はチェックしてたんですよ。
1年毎に。
SNKの格闘はやりにくい。
良い意味でも悪い意味でも突き放している。
例えるなら
カプコンのスト2シリーズが足し算の進化なら
KOFシリーズは足し算&引き算の進化である。
スト2は基本的にキャラ、必殺技が増えることがあっても減ることはなかった。
が、KOFを含め、SNKの格闘ゲームはキャラの入れ替わりが激しいし、
必殺技(及びコマンド)の変更も多かった。
つまり、特定のキャラに愛着があると逆に付いて行きにくいのである。
また完全にキャラ人気に頼った安易な営業戦略を嫌悪する人も多いようです(私もそうですが)。
ネット上のBBS等ではスト2よりもKOFの方が「シリーズ中どれが好きか」という話題になりやすい。
それは裏を返せばシリーズの中で出来・不出来があり、統一感が無いからとも言える。
個人的な事で恐縮だが、私はSNKの格闘物の対COM戦をあまり面白いと思ったことがない。
その点疎かにしていないと思われるカプコンとは大きく違う。
アーケードにおいて、対人戦ブームの時は対COM戦が面白いかどうかは気にはならないし大きな問題でもない。
しょっぱい対戦になるか面白い対戦になるかは対戦相手というユーザ次第だからである。
だが、一端ブームが去ると対COM戦の出来は一気に露呈する。
また対COM戦が面白いかどうかはゲームセンターで長く生き残れるかに関わる。
対人戦はブームに乗っている時は良いが、他ゲームの出現などで一端下火になると一気に冷める。
その点、対COM戦がしっかりしていれば、ある程度のインカムは保てる。
結局、SNKの格闘物は自治的なネットワーク作りが出来る
一部の限られた「常連」のためにアジャストするように作られており、
それが新規参入者を拒みインカム低下という悪循環の構図に至ったと分析できるだろう。
(裏技による隠し強キャラの出現などはその最たるものである。)
つまり、この件に限らず、盲目的なコア・ファンというのはメイカ側の問題を
ユーザ側の情報収集不足という努力不足に自ら置き換えてくれるこの上なく良くできた有り難い存在なのである。
そこで語られるのは「勝てないからつまらないと思うのだ」という論理である。
新規参入者に最初のコインを入れさせる事よりも常連に連コインさせる事に注力していては
市場規模を拡大することは出来ないと会社が無くなってから痛感しても遅いのだが。
現在では作り手も変わっているのでこのシリーズからの脱落者(笑)は
今後も増えると思われるがそれも時代の流れか。
TVゲームのジャンル表記 について
「キャラゲー」という言葉。
「キャラゲー」というのはあくまでテイスト(雑誌「ファミ通」でも使われている)であり、
ジャンルではないのです。
「ギャルゲー」というのもそうです。
私の好き好きソフト、『幽☆遊☆白書〜魔強統一戦〜』は格闘アクション(ジャンル)であり、
キャラゲー(テイスト)でもあります。
スクロールするシューティング・ゲーム→2005/09/11
「縦シュー」というのは、「縦スクロール・シューティング」の略であると同時に
「縦撃ち・シューティング」という意味も内包されている。
逆に「横シュー」というのは、「横スクロール・シューティング」の略であると同時に
「横撃ち・シューティング」という意味も内包されている。
なので「縦シュー」を略さずに表記すれば「縦スクロール縦撃ち・シューティング」となり、
「横シュー」を略さずに表記すれば「横スクロール横撃ち・シューティング」となるのだが、
長いのでまず使われない。
(スクロールで言えば、「強制スクロール」と「任意スクロール」の二元論もありますが
それはまた別の機会に)
縦スクロールのシューティング・ゲームは画面表示方法で2分すれば
「横画面」と「縦画面」の2種類があります。
横画面縦スクロールSHTは横向きに置かれたモニター用に設計されたゲームで、
フィールドが縦よりも横に長いです。
縦画面縦スクロールSHTは縦向きに置かれたモニター用に設計されたゲームで、
フィールドが横よりも縦に長いです。
※蛇足ですが、横スクロールSHTには縦画面はない?と思います。
ここで言う「縦画面」とは縦と横の比率が縦の方が大きく、
「横画面」とは横の方が大きい事を意味します。
(同比率のゲーム(ソフト)というのを聞かないのはそういうモニターがないから?)
これは実際に映っているモニターの種類には関係はありません。
あくまでもそのソフトがどちら用に設計されているか、を表します。
横画面縦スクロールSHTのソフトには
家庭用オリジナルのソフトと
アーケード・タイトルを家庭用に移植する際に泣く泣く縦画面から横画面に設計が変更されたソフト
(「横画面移植縦スクロールSHT」)と
家庭用に移植するのを念頭に置いて設計されたのか元のアーケード版から横画面だったソフト
の3種類があります。
横画面移植縦スクロールSHTは移植された際に難易度が変わりやすく、
特に難しくなるケースが多いです。
『TATSUJIN』とか『雷電』を思い浮かべると分かりやすいかと思います。
縦画面縦スクロールSHTはセガのコンシューマーで言えばSS以降に
「縦画面モード」と言う事で一部登載されています。
縦画面縦スクロールSHTの移植作を家庭用横画面モニターで遊ぶ限り、完全移植はないのです。
※据置型家庭用TVゲーム機向けのオリジナルのタイトルで縦画面縦スクロールSHTというのはなかったと思います。
横画面縦スクロールSHTは特徴として、
横に画面が広いので、演出が華やかなソフトが多いです。
例えば、MDソフトの『武者アレスタ』の冒頭のオープニング・デモに
アニメーションでプレイヤーをゲーム世界に引き込むような演出がありますが、
あれがもし、縦画面だったら、魅力は半減だったでしょう。
さらに2人同時プレイを考慮すれば、左右に分かれて担当を決めて遊びやすい、
と言うのも利点でしょう。
ただ、2人(以上)同時プレイには画面が見にくくなるので
パワーアップアイテムばらまき型のゲームは向かないのですが、
その点が考慮されているのはトレジャー製のソフトぐらいではないでしょうか。
(意図しているかは分かりませんが)
横からの不意打ちでやられるよりも下からの不意打ちでやられやすいとも言えます。
ですので、後方や全方向に攻撃できる武器があることが多いです。
この点が横画面移植縦スクロールSHTの難易度が変わりやすい原因です。
移植の際に武器が増えることは、完全移植を求めるユーザーには逆らえないので、まずないのですから。
ユーザーは体裁上無理な完全移植よりも「面白さの完全移植」を求めるべきなのよね。
そうじゃないと「アーケード版をやってみてから家庭用を買うかを考える」という買い方が
通用しなくなっちゃうので。
以上のような理由からか私はどちらかというと横画面縦スクロールSHTが好きだと言う事が
このサイトを作っていて分かりました。
(特に横画面用に作られたソフトです。)
逆に縦画面縦スクロールSHTは縦に長いので
前方に強力なレーザーなどがあると威力を発揮しますし、
尚かつ左右からの不意打ちにも注意が必要です。
こっちのファンというのは
昔からの、根っからの、生粋のシューターという感じで、
性格は寡黙でプレイ中の背中が煤(すす)けていると最高です。
光ディスク系ソフトの研磨 について
「研磨」という言葉を聞くだけで拒否反応を起こす
研磨アレルギーの読者も中にはおられるでしょう。
それもそのはず、研磨機が出始めの頃は酷かったです。
使っていて出来た多少の傷を消すためにさらに広範囲に薄い傷が残るという
何とも残念な「仕様」でした。
値段が高いのでリースという事も多いようです。
ですが最新の研磨機の性能は実はかなり進歩していて、
外見では研磨してあるのが分からないようなのもあります。
古くに研磨機を導入してそれをそのまま使い続けている店というのは
注意が必要です。
(私が知っているある店では研磨機に「株式会社○○リース」と書いてありました。)
売り物に研磨されたソフトが混じっている可能性が
そうでない店よりかは高いです。
傷があれば取り敢えず研磨するという店が
利用価値がないかというとそうではありません。
「研磨してある事を理由に買取を断れない」
「研磨で消える程度の傷なら買取を断れない」
という事になりますので。
私が時々行く中古の音楽CDを扱っている店があるのですが、
そこでは有線などのBGMを流さないで代わりに買取ったCDをラジカセで流して
音飛びをチェックしています。
問題があるCDは売り場には出さないのでしょう。
値段はそんなに安いとは言えないかも知れませんが、
安心して買う事が出来ます。
個人でやっている店だから出来るのかも知れませんが。
ゲームではまず無理ですね。
不親切ゲーム について
私が真っ先に思い付く操作系不親切ゲームというと
アクレイムのメガドライブ版『モータルコンバット』ですかね。
なにしろ必殺技を出すのに「スタート・ボタン」を使わせる仕様ですからね。
たしかゲーム中に中断(ポーズ)もできなかったと思います。
「親切なゲーム」≠「簡単なゲーム」という公式は成り立ちます。
結果的に親切で簡単なゲームになるケースもありますが
図で表すと円の面積で2割程重なる程度で全くのイコールではありません。
逆に親切でも難しいゲームは結構あります。
『真・女神転生デビルサマナー』とかがそうだと思います。
ですが「不親切なゲーム」→「難しいゲーム」という公式も成り立ちます。
要するに、数学用語(「数学I」)を使えば、
「ゲームが親切である」事は「ゲームが簡単である」ための
必要条件ではあるが十分条件ではない、ということです。
(分かりやすくしたつもりが逆になった気が…)
※「簡単なゲーム」が良くて「難しいゲーム」は悪い、とか
「難しいゲーム」が良くて「簡単なゲーム」は悪いとか言っているのではありません。
特にインターフェース(操作系)に問題があるソフトはその時点で
何割かのユーザーを拒絶するので本当の意味でのゲームの善し悪し(面白さ)を判断できません。
「不親切なゲーム」の罪深いところはそういった点さえクリアしていれば
面白いだろうにと思わせるソフトが結構多い事です。
現在巷で良作と言われているゲームに「不親切なゲーム」はないですよね。
やはり暗黙のルール、文法は守られている方がストレスなく遊べます。
例えば日本人なら左からめくって読む漫画って読みにくいですよね。
有無を言わせない面白さがあってもこの部分での既成概念を打ち破るのは難しいと思います。
操作系が親切かどうかというのは神経に直結した部分であり生理的なものだからです。
それが出来たのは近年で言えば『バイオハザード』位でしょうか。
売上は結果的には大成功でしたが、発売当初はかなりの苦戦でした。
やはり、浸透するまで持ち堪えられるかが勝負です。
ゲームの文法って言うのは今まで多く売れたソフトの最大公約数で
成り立っているのだと思いますけどね。
「ネタばれ」 について 2003/03/16
ネタばれ(内容をバラすような書き込み)には各自注意してください。
ネタばれを書く場合は、タイトル(1行目)に (ばれ) 等と明記して下さい。
ゲーム関連サイトでの掲示板利用上のネチケット(ネット上のエチケット)の1つですが
何が「ネタ」で何が「ばれ」なのか。
「ネタばれ」という言葉自体の定義が曖昧なのが現実。
例えばソフトを開封もしていない人にとっては
説明書の内容、オープニングのデモや一番最初に対峙して退治する敵についての情報が
既に「ネタばれ」です。
雑誌・攻略本で既に書かれている記事と同じ情報はネタばれになる/ならないのでしょうか。
公式サイトに掲載されている内容はネタばれにならないんでしょうか。
時間的にはどうか。
現時点で『ドラゴンクエストIII』の最終ボスの情報はネタばれになるのか。
発売直後に読売新聞の日曜版に読者投稿のイラストとして掲載されたという「事件」もありましたが。
移植作品の場合でもネタばれになるのか。
MD版『TATSUJIN』のパッケージの絵はアレでしたが。
説明書に載っているかどうかもヒントの1つになります。
メーカーのバグ情報が既に「ネタばれ」という事もあります。
まだそこまで進んでいない人にはネタばれです。
これをリンクならまだしも掲示板にペーストしたらネチケット違反でしょうか。
またジャンルに関して言えば殆どがロープレ(w)かADVについてで
現実としてアクションやシューティングについては
殆ど使われていません。(私も時々うっかりしますが)
と、以上のように検証しようとすればきりがない。
丁度自分に都合の良い情報だけが丁度掲示板に書いてあると思う方が実は無理がある。
ゲームの外側だけの情報を知ろうとするなら板違いと言うしかない。
と言うよりも、掲示板の一番上にデカデカと「ネタばれあるかも」と一言で書いてしまえば済む気がする。
推理小説が好きな人は登場人物一覧のところに前所有者によって
犯人の名前に丸印がされているかも知れないので古本屋で買わずに新刊で買うだろう。
まだ読んでなくて毎週楽しみにしている漫画があれば
掲載されている雑誌の最新号を読んでいる人には近付かないだろう。
もし本当にゲームする上でネタばれ情報に遭遇しないように攻略しようとするなら
ネタばれ情報に遭遇する可能性が少しでもあるインターネットは利用しないに越した事はない。
そもそも個人の情報量に配慮しないのがインターネットなのですから。
事件・事故と同様に巻き込まれないように自己防衛は必要だ。
ネット上の掲示板は公共性・その利用者の数に比例して大体、
メーカーなどの公式掲示板>掲示板群サイトの掲示板>個人のサイトの掲示板
の順に社会性があるのでそれに応じて書き込む場合に内容について吟味が必要になります。
ネタばれを含めた掲示板固有の注意事項を守るだけで所謂ネチケットは無視、
みたいにならないように気を付けるのも忘れないようにしたい。
全ての思考・感情を言語化できる訳じゃないというのもあるし。
どんなに正しい事を言っても口調次第では同意を得られないというのがリアル世界ですが、
それはネット上でも同じですし。
『連邦vsジオン&DX』の発売顛末 について 2003/04/24
まずは『連邦vsジオン&DX』の発売までの経緯について書きます。
DC版『連邦vsジオン』の夏頃の発売発表 01年3月
↓
DC版『連邦vsジオン』がセガの発売予定表から削除 01年9月頃
↓
PS2版『連邦vsジオンDX』の発売発表
↓
PS2版『連邦vsジオンDX』発売 <発売日>2001年12月6日 バンダイより
↓
DC版『連邦vsジオン&DX』が発売予定表に再登場(タイトルが変更された)
↓
DC版『連邦vsジオン&DX』発売 <発売日>2002年4月11日 バンダイより
最初からの状況を知っている人ならともかく、
発売予定表にないソフトが発売予定だなんて無責任は私には言えませんでした。
純粋にあの発売予定表を見て発売されると判断できるのは関係者か超能力者かその他普通じゃない人でしょう。
つまり、「発売されるのを信じるか、信じないか」という2択に追い込むメイカって、どうよ?
宗教じゃないんだから。
信者以外はお断りって事でせうか。
盲目的な信者でない場合、物事を客観的に判断する材料が必要だが、
それが無い時点で判断を下すのは危険である。
プロセスの是非について語られていない。
まぁ、そういった発売に至るまでの細かい?不満も
出来が良ければ吹き飛んだのでしょうけども。
「あれだけ発売を延期してこの仕様かよ」というのが魂の叫び。
だってことごとく「無い」のですね。
画面分割対戦、ケーブル対戦、…と基本的なシステムが。
いつ終わるのかも分からないネット対戦サービスだけじゃあねぇ。
私は開発現場に『対戦ケーブル』がなかったからと思いたいが(苦笑)。
一年戦争を舞台にした最高の対戦ツールになることを期待していたのだが
通信対戦オンリーで小遣い稼ぎときたか。
何しろ1人用では既に他に秀作がある訳ですから。
このゲームの本質は対戦だと思っていたのですが。
オフラインで対戦の練習→オンラインで対戦orアーケードで対戦、、、
という構図はなしですか。
そうですか。
頼んでもいないのに2枚組になりましたが。
上の表を見れば分かる様に残存部隊が余力で作ったのかと思わせるようなこの内容。
仕様だけに「仕様がない」か。
うーん…。
すべてのユーザーがどんな出来であれ発売さえされれば
すべて帳消しと思える訳じゃないのでしょうから。
ユーザーは苦しい台所事情で発売された事を評価するのではなくて
純粋にゲームの出来を評価するのですから。
結局、メーカーとしては結構ロスしたと思います。
DC版とPS2版で2回売れるところを片方しか売れない状況に自ら持っていったのですから。
利益を上げる事が使命の企業としての「あるべき姿」としては失格だったと言わざるを得ないでしょう。
目出度い人は「待った甲斐があって良くできている」と言うのでしょうが。
ソフトには「2001」と書かれているのでとっくに焼き上がっていたそうですので、
メーカーが売るタイミングを調整した気配が。
DCユーザーは二の次、三の次だったと。
PS2持ってるのにDC版買うとか言う人がよりによってセガの掲示板で奇人・変人扱いされるというこの状況。
気付かない人もいるみたいですがDCユーザーはなめられています/いました。
プロジェクトごと持って行かれました。
血涙の歴史、ベヘリット、永沢君!?
既にセガのハード撤退が報道された後だったので最後くらいは夢を見させてくれyo、
と思ったものだが結局かなわず…。
"キャストされる事無く終わったドリーム"、まさに「ユメマボロシのマシン」だったよ、『ドリームキャスト』…。
人気のある素材なだけに目立ってしまった印象。
三社での共同プロジェクトだったために調整に手間取ったか、
結果的に責任の所在があやふやになった。
これがバンプレストなら「あー、またか」と軽く流せるんですけどね。
(って同じグループじゃん!)
もし親しい友人が両ハードを持ってて連ジを買いたいと言ったら、
「PS2版にしといた方が良いよ」と言います。
良心にかけて。
TVゲーム悪玉論 について 2003/10/22→2006/4/13
たまには真面目な話を一つ。
あれですよ、例の「青少年犯罪の原因=TVゲーム」ってやつです。
特にゲームを擁護する訳ではないのですが、
TVゲームが他のメディア(ここで言う「メディア」とは報道機関の事ではなく、
情報媒体の事です。)よりも1段も2段も劣っているように捉えられ、
同じ土俵で語られていない、と思います。
たしかにTVゲームというのは他のメディアよりも遅くに世に出てきたため
まだ未発達・未整備な部分が多いのですけど。
でも、あの
「テレビ、ラジオ、新聞、本、雑誌は良いけどゲームは駄目」みたいな論調。
(場合によっては映画も入るがポジション的にマスコミに近いので悪者にされにくい。
映画は良いけどビデオは駄目とか活字は良いけど漫画は駄目、というのも似たようなものです。)
あれは何とかならんのかね。
テレビなどで活躍する
ジャーナリストとかコメンテーターとか評論家とか批評家の多くは
ゲームの実態を知らずによく分からないけど批判するというのが大半です。
それはゲームが自分の意見を言えるメディアじゃないからというのもその理由の1つかも知れませんし、
大人受けするからというのもあるでしょう。
青少年に限らず、人間ですから何時間も接していれば影響は大きいっちゅーに。
影響といっても悪影響ばかりではないでしょう。
人によってはゲームで視野が広くなったり、興味の対象が増えたり、知識が増えたり、
感動したり、達成感を感じる人がいます。
これらは「良い影響」の例と言えるでしょう。
影響を受けやすい年頃っていうのもよく分かるのですね。
感受性が強い時期、多感な時期。
でもそれはゲームに限った事じゃなかろうに。
そのある意味大事な時期に
テレビやラジオや新聞や本や雑誌なら何時間でも接していても良いのでしょうか。
本でもクラクラしてきますよ。
活字離れ、映画離れと言われて久しいですが、
そのうちTVゲーム離れと言われるようになるでしょう。
そしたら次は「パソコンが悪い」とか言われるようになるのでしょうか。
アメリカの銃乱射事件の犯人がスティーブン・キングの小説を読んでいたとか、
映画『バスケットボール・ダイアリーズ』を見ていたとか、、。
犯人探しにはきりがない。
本当にこれらを読んだり見たのが原因で犯罪を起こしたのでしょうか。
私には日常生活の不満などから既に犯意(犯罪を起こす意思)を持っていた人間が
犯行の手口の参考としたのが殆どではないかと思えてなりません。
つまり犯人にとってはどんなメディアでも良かったのだと。
問題にすべきは犯意を持つに至った原因なのに、
その前のフィルターに騙される。
犯人の周辺情報だけで納得してしまう。
いつの時代にも凶悪犯罪は後を絶ちませんし。
話を戻すと結局は接し方のバランスなのではないでしょうか。
最近になって言われ始めた「メディア・リテラシー」ってやつ。
むしろ私は何の影響も受けないようなある意味で「麻痺している」人間の方が
何倍も怖いと思います。
最近研究されているものに「ゲーム脳」というのがありますが、
その原因は「ゲーム」以外の、例えば携帯電話のメールなどでもなりうるそうですが、
結局ネーミングには「メール脳」ではなくてゲーム脳と「ゲーム」が使われる。
ゲームをスケープゴートにして徹底的に叩いていれば話は簡単です。
言っている方もいまさらゲームが無くならないのは百も千も承知なのですから。
将棋の千日手と一緒です。
「終わり無き論争」に持ち込みたいのは目に見えてます。
そういう論調が
「緑色の血が本当に出るのか試したかった」とか
「格闘ゲームの技を試したかった」とか言う輩を生み出します。
そんな取って付けたようなどうでもいい「言い訳」を興味を惹くような記事に仕上げて
それを真に受けてしまう読者に届けるという一方通行の強固なシステム。
まさかと思っても疑いきれないのが視聴者・読者なのです。
つまり、結局のところ、マスコミも自分の周りを安全地帯で囲みたいのです。
これ自体は人間の本能の延長みたいなものでおかしくもないのですけど。
だからといって自分のテリトリーよりも外の世界は危険地帯だと決めつけるのは
やめてほしいのよね。
自分たちが普段仕事場にしているマスコミというメディアの事は棚に上げて
「ゲームが悪い」の一点張り。
というのは何だか、ねぇ。
メディア間の弱い者いじめというか。
そのくせメディア規制法案とか出ると猛反発するんだから。
そりゃワイドショーでも「犯人の家にテレビがありました!
きっとテレビが原因で犯罪を起こしたのでしょう!」とは言えないよねぇ。
テレビ画面の中のドラマやアニメでは一日に何件も殺人事件が起きていますけど。
ゲーム機だって数えられないくらい売れているんですけどね。
そのテレビに繋いで遊ぶから「テレビゲーム」って言うんですけどね。
以上、長々と書いてきましたが、結局何が言いたいかと言えば、
映画や音楽や小説には良い物もあれば悪い物もありますよね。
それはゲームにも当てはまって、ゲームにも悪い物もあれば良い物もあるんだよと知らない人には言いたいのです。
TVゲームをしなくてテレビを見ているだけでも目は悪くなる事はあります。
それらを抜きにして「TVゲームというメディアの枠組みだけを狙い打ちにした批判論」があまりに多いと思います。
ゲームセンターが快適にゲームをやる場所として(自分にとって)不十分な理由:
- 騒音が激し過ぎる。自分がプレイする以外の台の音は騒音でしかない。
(→イヤホンジャックぐらい付けてもいいんじゃない?いい加減、もう21世紀だぜ。
まさか録音したがる椰子が出てくるとか?)
- 1コインでペイできる様にプレイ時間が約3分になる様にバランス調整
(回転率維持の為のバランス変化)がされている。
そのためゲーム開始後約3分経つと妙に難易度が高くなる(敵が強くなる)。
- 対戦ゲームは殆どが対戦台で乱入されて負けると払ったお金分楽しめない。
しかも強いプレーヤーはかなりの確立でしょっぱいプレイをする。
- 対戦ゲームで上手くなるにはある程度の時間プレイすることが必要だが、
乱入を拒めないシステムである以上、自分が練習したいのに対戦相手の練習相手というか
サンドバッグになってお終いというパターン。
これでは何時になっても上達しないが、かといって場末の汚い店に行くというのもアレでして。
だから負けそうになってから乱入してね♪ と、ここで書いてもしょうがないのだが。
- それにしても某店で右隣のさらにその先の台と繋がって対戦台だったというのはホント勘弁してくれと思った。
両隣が全く別のゲームだということを確認したくらいじゃ足りないっていうのか。
っていうか3回くらい1面で負けて「CPUってこんなに強いのかな。おかしいな」
と思って良く観察したら遠くで私の続きをやってる人がいたyo…。
何でゲーセンごときで悲しくて泣きたくならなきゃならんのかね。
- 台が壊れているのがコインを入れた後に気付く。
なぜなら触っただけでは台の調子の判別がつかない事が多いからだ。
- コインを入れてスタートを押してもうんともすんとも言わない事がある。
- しかも場合によっては返却レバーを押してもコインが戻ってこない。
- しかも店によってはその事を店員に言っても信じてくれない。
- 雰囲気が悪い。
- マナーが悪いのがいて気分を害す。特にそれがゲームが上手い人だと。
- メーカーのメンテナンスの人は目立つように自分のとこの台の音量を最大にして帰るという裏事情を知ってしまっている。
- 空気が悪い。空気清浄機があればね。
- やたらと注意書きが多く(連コイン禁止・置きコイン(予約)禁止・飲食禁止
・ゲームしないで椅子に座るの禁止・寝るの禁止(笑)等)、
ゲームをしに来ているのか説教されに来ているのか分からなくなる。
と、まぁ少しでも楽しめるなら数百円ぐらい置いていっても良いかなという最低限の条件を
クリアできない娯楽施設の存在意義ってどれだけのものかね。
Lock on heaven's gate!
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