貴方は積み木崩し人目のソウルハッカーです。


ここは「ゲームの語り部」のゲーム系コラムです。
言いたい放題書いてます。
眉に唾を付けながら読むと精神衛生的に良いらしいです。
45度の角度で読むと身体的に良いらしいです。
ちょっとずつ読んで下さい。
(こちらもちょっとずつ書いてますので)




ゲーム系今回の一言2


ゲーム系今回の一言






ゲームにおけるリアリティの考察 〜重装機兵編〜 2007/7/3

『重装機兵レイノス』は1990年3月30日に日本コンピュータシステム株式会社 メサイヤから発売されたメガドライブ用のソフトである。
一方、『重装機兵ヴァルケン』は1992年12月18日にスーパーファミコンで発売されたシリーズものだが、
話的には前になるので続編ではなく前編となる。

ヴァルケンではゲーム中に戦場で「P」というマークの物体が落ちていて、それを拾って武器が強くなる。
武器が共通の規格であるなら弾倉ぐらいは流用も可能だろうが、そんな設定あっただろうか。
これはリアリティよりゲーム性を優先しての事である。
これが実は仕掛け爆弾であったり、見た目数ドットの民間人を救出しようとしたら自爆テロに遭ってしまいました、、
ではこの時代のゲームとしては困るのである。
プレイヤーはこの「P」が「パワーアップ」を意味するというゲームにおける"お約束"を
説明書を見なくとも分かっているのだ。
これこそゲーム固有の文化と言えるかも知れない。
だからプレイヤーは安心してこの「P」を取る事ができるのである。

この点、レイノスでは武器は配給と換装のみによって変えられる。
何とも硬派な作りである。

別のゲームだが、SS『ガングリフォン』についてどこぞのレビューだったかで
「戦場でアイテムが空中に浮いて回転しているのはおかしいし、興醒めだ」云々とあった。
ここで忘れてはならないのが、この『ガングリフォン』はゲームであってシミュレータではないという事だ。
ゲームとシミュレータの明確な違いは、人によって差異はあろうが、
面白くなくても許されるのがシミュレータだと私は思う。
これを書いた人は「逆転裁判」シリーズについても「裁判が三日で終わるのはおかしいし、興醒めだ」云々と言うのでしょうか。。

レイノスとヴァルケンではハードの性能・ソフトの容量差もありヴァルケンの方がビジュアル面では強化されている。
しかし、それをもってしても前述の様な仕様もあってヴァルケンの方がリアリティがあるとは言えないのである。

つまり、リアリティとビジュアルというのは別の問題であって、
絵が綺麗になったからといってリアリティが上がるのではない、という事である。
また、結局リアリティやビジュアルというのはゲームを評価する上では尺度の一つに過ぎず、
それが全てではないのである。

かねてから私はレイノスとヴァルケンとではヴァルケンの方が完成度が上だと思っているが、
レイノスにはヴァルケンにはない魅力が詰まっている。
まだレイノス未プレイの方には是非お薦めしたい。
非量産型の見た目とは裏腹に鉄の棺桶の機体を繰って、
チリチリに乾いた戦場を体験できる事、請け合いである。
瞬殺によって灰にあるのとは常に隣り合わせなのである。
実際の戦場には映画のようなドラマはないのでしょう。


ぷれすてさんと三郎君 2007/4/22

今度の席替えで隣同士になったぷれすてさんと三郎君。
どうやら比べられる事も多いようです。
(ちなみにうぃー君は年少です)

プレステ3は設計が良いですよね。
値段の高いノート用の2.5インチとはいえ、自分でHDDを換装できるし。
でも出てるソフトは、、うーん。

それに対して三郎君のHDDは独自のカスタム仕様っぽいし。
出てるソフトのラインナップは濃くて良いけど弾数が。。

にしても3.5インチHDDを実装したゲーム機なんて出ねーよなぁ。。


少子高齢化・人口減社会下のゲーム業界 2006/9/23→2007/7/3

ゲーム屋の数が減ったのと比例するかの如く、
ある施設が日本全国にドカドカと出来ております。介護施設が。
介護業界はこの先団塊の世代が入所する10〜20年後までは安泰でしょう。
その後は葬儀会社が儲かるのは想像に難くない。

話転じてゲーム業界は、、
家庭用ソフトの値段が上がったと言われています。
その理由は経済学的アプローチで説明できます。
上記の様な社会状況下では何が起こるかというと必然的に企業は生き残るために客単価を上げなければならなくなる。
現在ではスーファミ〜サターン、プレステ時代の様にミリオン連発とはいきません。
買う側の興味も分散していたりで数が出ないのだからソフト自体の単価も高くなる。
良いか悪いかではなく、「必然」なのです。

ゲーセンなんかでも少子化も手伝って集客数が減っていると言われています。
(これは店単位の話ではありません。ゲーセン自体の総数が転業・廃業で減っています。
ゲーセンによっては繁盛していますが、メイカ系列の大規模店舗が多い様です。)
ではなぜゲーセンが絶滅しないかというと、やはり客単価を上げてしのいでいるからと言えます。
カード系と言い、オンライン系と言い、今幅を利かせているゲームはそういった側面も持ち合わせている。
しかし、たとえ客単価が横ばいまたは上がっているとしてもユーザー数が減っていれば
ゲーセン自体の数は減らざるをえません。
というのも総合アミューズメントセンター(要するに大規模なゲーセン)にさえ行けば、
ほぼ全ての現行異機種が揃っているので他のゲーセン、特に中小規模のゲーセンに行く必要は無くなってしまうのですから。。

ここでさらに話が横道にそれるが、ゲーセンという業態の歴史的転機として、
『スペースインベーダー』とその亜種によってゲーム喫茶で生まれたインベーダー・ブームも
家庭用ゲーム機の台頭によってブームの終焉となり、
その後の大きな転機になったのは総合アミューズメントセンターの出現です。
つまりゲーセンが大規模なゲーセンによって駆逐されたというのがあります。

ユーザーの絶対的母数(パイ)の拡大が見込めない以上は
どんなに間口の広いゲームを作っても維持するのがやっととなりかねません。
よってコアな層に訴求するタイトルの投入が多くなりがちです。
SIMPLEシリーズにしても当初の思惑はどうあれ、実情は「SIMPLEシリーズ・マニア」を生み出している感が強いです。
目先を変えて海外に目を向けるのも一つですけどね。
これからは在日外国人の数も増えるでしょうから、
洋ゲーというか英語版で作っておけば日本でもそれなりに捌けるって寸法。
消費者の構成が複雑になっているのでマーケットとしては以前ほどウマくないのは確かかと。



なぜ洋ゲーFPSは酔うゲーなのか。 ゲームにおける視点論 2004/11/14→2006/7/27

3Dゲームにおける視点の分類
・主観視点……DC『魔剣X』、一般的なFPSなど
・背面視点……PS2『魔剣爻 - MAKEN SHAO』『バイオハザード4』など。客観視点の一種。
・客観視点……『バイオハザード』など

主観視点の3Dアクション・ゲームで酔うのってダメだよね。
だって酔うんだもん(3D酔い)。
(気持ち悪くなる&頭痛くなる)
まず変なのが、前後に移動すると「視点を無視して視線が上下したりする」という点。
(もちろん昔のゲームはそれすら再現できずに単一視点ですが)
確かに人間は歩くと頭は上下に揺れます。
しかし、人間の視点は意識しなくても自動的に補正されて
遠くの対象物の一点を見続ける事が出来るのです。
つまり、真にリアル志向を追求した主観視点の3Dアクション・ゲームなら、
現に視点を合わせている遠くの対象物は上下しないはずなんです。
手前は上下するけど。
そのうち「まばたき」を再現しましたとか言って
数秒間に一回画面が真っ暗になるゲームとか出たら私、怒ります(w。
あと「○○視点」という言葉が使われますけど、実は「○○視界」と言う方が正しいのでは、と思ったり思ったりするのです。

でもまぁ、そもそも「視野」という概念自体がないし、「視点」と言っても
はっきり見えるとかいう訳じゃないけどね。
「視点」「視線」「視界」「視野」と正しく使い分けられているのか、と。
ただ、そこまで計算するのは難しいのかも。
カプコンのソフトは見やすいのが多くて好感度+1点

アングロサクソン系の民族は遺伝的なのか、アルコールには強く、酔い難い体質らしい。
多分、そういうDNAなのだろう。
それはゲームの3D酔いにも言えるのではないか?
という仮説が成り立つと思うのだが。
もしそうなら西洋人が作った洋ゲーFPSは作った本人達が酔わないのだから、
それをそのまま移植してしまって東洋人がプレイするのに支障が出てもおかしくない。


リアリティを…(「リアル」の誤用 の続き) 2005/05/07→

リアリティをどんなに積み上げてもリアルにはならない。

実写のゲームが一部の人にしか支持を得ないというのには興味がある。
つまりユーザーは口とは裏腹に真に求めているのはリアル(現実)ではないという事が分かる。
それが何かと言ったら「パラレル・ワールド」という事になる。
今までは映像技術的に"リアル"を追求していればそれで済んだ。
だが、技術の進歩が実写に近付いた現在、
ではフィクションが目指すべきがリアルでは無くなったら何を目指すのか。
それは「説得力」に他ならない。
実は既に我々ユーザーは
「自分が実際に見聞していない物事にリアリティを感じている」
事からも、その様なベクトルの思考に浸されているのだ。


先発移植ソフトの存在意義 2005/04/15→

後から出た大容量を扱える高性能機と同じ要求をしても意味無いな、と。
追加要素を羨ましがるのは分かるが、
移植元がPCで移植先DCでは「DVDロム→GDロム」だったりするから
その時点できっついでしょう。

DC版は先に出るという事に於いてのみ、唯一の意義があって
一通り出揃った後には存在意義は無いだろうね。
それかDCしか持っていなくて他と比べない人とかね。

これがPCからの移植なら尚更。
ACからならまだ分かる。


とゆーか、この程度の事は今までのハードでも繰り返されてきた
"歴史"の延長上だから今更どうとも思わないのだがw。

大方の人は既に忘却の彼方だろうが、
プレステ2が出る前、プレステとDCという歴史上1ページあるかないかという短い
時代に於いては逆だったのではないか?
嗚呼、短かったこの世の春。。
「この世をば 我が世とぞ思ふ(ry」


後から出たのに追加要素のみならず、
勢い余って基本部分まで削っちゃった「連ジ&DX」と比べ(ry



ゲームに縁がある絵師(敬称略)を大まかに好きな順で列挙してみるテスト2004/10/1 →2006/06/20

出渕 裕いづぶち ゆたか
幡池 裕行はたいけ ひろゆき
玉木 美孝たまき よしたか
末弥 純すえみ じゅん
米田 仁士よねだ ひとし
金子 一馬かねこ かずま
小島 文美こじま あやみ
カトキ ハジメ
天野 喜孝あまの よしたか



ゲーム化された○○   掲載日:2004/10/1   最終修正日:

他メディアからゲーム化されたソフトを語る(レビューする)時に、
注意しなければならないのは
「違うメディアである」という至極最もな大前提を無視してはならない点である。
それに注意しなければ
「あれが違う」「ここがカットされている」
などという原作との比較・間違い探しの指摘に終始してしまい、
最も肝心な「ゲームとしてのそれはどうなのよ?」という点に関して
全くなおざりだったりする。
馬鹿の一つ覚えに陥りがちです。
そういうレビューを読んだ事が皆さんもおありでしょう。

"違う"ならそれがゲームの方にはどう影響しているのか、
"カット"されているがゲームとしては本当に必要なのかどうか。
と、そこまで踏み込んでいる文章というのは案外少ないと思います。

ここでまた私の得意な例を挙げて説明させて頂くと、
メガドライブの『幽☆遊☆白書〜魔強統一戦〜』
はゲームとしての評価はかなり高いと思いますが、
原作好きの方が間違い探しをするとそれなりに厳しいものがあるでしょう。
でも、「何で海藤戦が無いんじゃ〜」とは誰も言わないでしょ(w。
つまり、"原作の重要なファクターを押さえつつ、 そのメディアとしてのツボを突いているかどうか"
が大事なのでは、と。
これはゲームに限らず映画等の他のメディアでも同じです。
ゲーム化、映画化、小説化(ノベライズ)、漫画化(コミカライズ)、アニメ化……された○○みたいなね。
それぞれ容量も違えば、見せ場の作り方も違う訳です。
ディテイルに拘る事は作り手も出来ない訳では無いでしょう。
でもその拘りによって魅力を失う事があるんだという事です。
原作の再現度と面白さは別、という事です。


正義の味方、「サンザイン」(出張版 ゲーム篇) 2004/8/5→2004/8/28

「"アキバの黒い遊星"とは俺の事。覚悟しろ!」

敵が言い放つ。
かくて勝負を受ける事となったサンザイン。
変身の合い言葉は「実装!!」である。

ポスター・ビームサーベルを正眼に構える。
袈裟から斬り込む。
かくて勝負は一瞬で決した。
刹那の刻が流れる。

「"アキバの黒い遊星"を騙るとは不届きな。」
その名は外神田では知らぬ者がいない、サンザインの好敵手の通り名だった。

やおら首実検する。
「値札が、、無い!」
悪の暴利結社"プレミアン"の幹部には首に戦闘力を示す値札が付いている。
サンザインが倒した相手は一戦闘員に過ぎなかったのだ。

サンザインが立ち上がる。
そして左手にマーフィー岡田を目にしつつ、電気街口の改札に向かうのだった。

行け!サンザイン。戦え!サンザイン。
その心に平穏が訪れるまで。

つづく。



ゲームとラーメンの美味しい関係   公開日:2004/7/5   更新日:

ゲーム・ソフトなんてものはラーメンみたいなものである。
不味いと思われたら最後まで食べてもらえなかったりする。
長丁場のゲームでは尚更である。
先程、「かったりする」と書いたのはそうじゃない人がいるからで、
払った分は回収したいと思うのは至極当然である。
(「日本一まずいラーメン屋」という看板の店があるらしいですね)

ラーメンは器に様々な具があり麺がありスープがある。
ゲームもそうである。
システム、背景、キャラクター、音楽、効果音、、。
初めてプレイする新品なゲームは目新しさもあって産地直送、新鮮だ。

ラーメンはゲーム同様、様々な視覚メディアで取り上げられている。
しかし所詮目にしただけでも分かる"情報"である。
美味しい(面白い)かどうかは実際に食べ(プレイし)てみないと分からない。

多くのゲームにある戦闘は麺を食べるに等しい。
つまらない戦闘は最後までつまらなかったりする。
一口目のスープだろうと最後の一滴のスープだろうと味は同じである。

それでも、
どんぶりの底が見たいなら(林原めぐみというか綾波レイ風に)「クリアすれば?」


ゲームにおけるセコハン事情   掲載日:昔   最終修正日:

中古ゲームの販売に関する是非を巡る裁判があったのでそれについて。

まずはメーカー側の「ゲームにも映画同様頒布権を」という苦しい主張。
もし家庭用ゲーム・ソフトの流通に映画業界の論理を持ち込むなら
映画館で上映される映画← →アーケード・ゲーム
ビデオ・ソフト← →家庭用ゲーム
の図式が成立してしまい、ならビデオ同様中古もオッケー、と
なってしまうと思うんですが。
この主張は一部を除いて認められましたので著作権法は古いのかなぁーと。

メーカーもゲームというプログラムとしてのコンテンツの価値が
時間と共に目減りするというのを自ら証明していますよね。
廉価版、リメイク、携帯電話用アプリ、等々。
どんどん小型化の方向に向かっている。
行き着く先は「無形化」である。
つまりそれはメイカーという第2次産業である製造業から
コンテンツ・サプライヤーという第3次産業への転換を迫られているとも言える。

逆に気になったのが中古販売店側の「今となっては中古でなければ入手できないソフトがある」
という主張。
何をおっしゃるウサギさん。
売れなくなってくるとコーナーごとごっそり扱うのをやめてしまうのが常であり、
良くて一世代前の機種を扱うぐらいだ。
でも最近はファミコンを扱う店も増えてきたと思うが、
それはレトロ・ブームを遅れて嗅ぎ付けてきたハイエナでしかないと思うし、
特に一度扱うのをやめたのに最近になって再開した店はかなり嫌な気分にさせてくれます。
利幅が小さくなって面倒になると扱うのをやめて
儲けられると思うと何の臆面もなくプレミアを上乗せして再開する。
この点に関しては決してユーザーを思っての事じゃないのに
あたかもユーザーの気持ちを代弁するかのような言いよう。
原告側の上昇が経営する七色変化爬虫類倶楽部のある店舗はメガドライブは無くなっていました。
(しかもここの系列で買取られたファミコンソフトの背中には無惨にも店のシールが…)
また系列のある店ではアルバイト募集の張り紙に「女性のみ」とかちゃっかり書いてあったりして
遵法意識の低さを知っているというのもありますが、、。

ま、所詮は利権争いなのでユーザーは蚊帳の外なのだが。


ハメ技と総合格闘技  掲載日:2004/03/13→最終修正日:2005/05/11

格闘ゲーム・ブームの火付け役であるストIIの頃から言われているものに
「ハメ技禁止」というのがある。
今ではソフトの側で出来ない様にプログラムされているのが通例だが。
(確かファミコンの『イー・アル・カンフー』は壁を使った三角跳び蹴りのハメ技があったが、
後でそれを修正して無くした後期版が出たそうですね。
対CPU戦だけの格闘ゲームにそこまでやるかと思うが
さすがコナミのやりそうな事だとは思う。)

近所にできたハードオフで初代ストIIの攻略ビデオを新古品で入手して見て驚いた。
まず当時のゲーメスト編集長の石井ぜんじ氏のプレイが収録されている事に驚いた。
ゲーメストはバーチャファイターの記事が載ってる号を何度か購入した事があるが、
まさか"編集長"がプレイするとは…。
自分がアーケードに詳しくないのでそれはごく普通の事なのかも知れませんが。
実際に視聴してみて驚いたのは、
誇らしげに対CPU戦のハメ技(パターン・ハメ含む)のオンパレードなのですよ。
今では考えられないし、今見るには厳しいです。
当時はそれで良かったのだとは思いますが。
まだ対戦ブームが起きる前の、ある意味平和な、牧歌的な風景が広がっております。
ここで大事なのは「ハメ技でも立派なテクニックとして扱われている」という事です。
つまりこのビデオを見て純粋に技術を吸収したプレイヤーが
ゲーセンに出た途端、悪者扱いされなければならないという状況について
その後ゲーメストなりの当時の雑誌でフォローされていたのかというのは結構重要な事だと思う訳です。

ハメ技とういうのは言ってしまえばバーリトゥード(何でもあり)である。
さらに言い替えれば格闘技の世界で言う「ブレイク」を認めるかどうか、である。
ハメ技禁止という暗黙のルールがユーザー側から出てきたのは
扱っている題材が総合格闘技なだけに面白い。

ゲームにもなっているので御存知の方も多いでしょうが、
「UFC」というバーリトゥード・ルールを採用した総合格闘技大会があるのですが、
本場アメリカではテレビ視聴率の低迷→スポンサー収入低下にあえいだ結果、
ルールの規制を強化してソフト路線へ転向(テレビでの視聴に堪える内容に)したそうです。

日本で言えば総合格闘技団体「パンクラス」のヒール・ホールド禁止
というのも挙げられる。

これら3つの例で1つ目の共通点は「見ていて面白いかどうか」
が基準になっている点である。
「勝てばいい」というのはある意味シンプルで魅力的ですが、
どうもギャラリーはそこに踏み止まる事は出来ないらしく
さらに別のレヴェル「魅せる技」を要求し始めます。

2つ目は「選手・プレイヤーが技術的に向上できない」
という点である。
確かに同じ強い技ばかりでは…ねぇ。

マニアにとっては
格闘ゲームで言えばハメ技に至るまでの攻防、
実際のバーリトゥードの格闘技で言えば何をやっているのかよく見えないグラウンドでの攻防、
というのはとても見応えがあってそこに魅力を見出すのですが、
結局それではファン層の拡大に至らずに結果として儲からない、という事の様だ。



Lock on heaven's gate!